フィンジ 「レクイエム ダ カメラ」 ヒコックス指揮
緩やかな水をたたえ、流れるともない河の流れ。
その土手に咲く「曼珠紗華」の赤い花。
まさに彼岸の風景は、この世のものとは思えない。
岐阜県の南濃町。
車で走っているときに彼岸花の群生の看板を見つけ寄り道。
そしたらこんな絶景が・・・・。
おかげで、仕事のお約束に遅刻。
ジェラルド・フィンジ(1901~1956)の抒情に満ちた音楽は、作品数としては決して多くはない。
自身が破棄してしまったものもあるにしても、40曲あまり。
そのどれもが、フィンジの個性ともいえるデリケートで優しい響きに包まれていて、いとおしい。
子供の頃に父親を亡くし、さらに兄達も亡くしたフィンジは健康も害し、ヨークショアのハロゲイトに移住し、ここで父や兄とも重ね合わせて敬愛した師ファーラーに出会い、音楽の勉強を本格化することとなった。
このファーラー(1885~1918)の音楽、いずれ取上げる予定だが、なかなかほのぼのとしたいい音楽。
ところが、この師が第一次大戦で戦死してしまう。
またしても取り残されてしまったフィンジ青年。
戦後、コッツウォルズに戻り、1924年「レクイエム ダ カメラ」を作曲し、この作品を師ファーラーの思い出に捧げることとした。
ブリテンと同じく、反戦と平和への思いに満ちた「レクイエム」。
曲は4部からなり、1部はオーケストラによる静謐で美しい前奏で、これぞまさにフィンジならではの少し寂しげで、ひたむきな内向的な音楽。
2部は、ジョン・メースフィールドの詩に付けた真摯な音楽で、アカペラで自然の営みの美しさを歌いはじめ、徐々にオーケストラが加わって、変わることのない人間の行為を歌ってゆく。
3部は、トーマス・ハーディの詩に付けた曲だが、このオーケストレーションが未完で、フィリップ・トーマスという人が82年に補完して完成させた。
バリトン独唱がはいり、ハーディ特有のナイーブな世界と音楽が結びついた音楽が仕上がっている。フィンジは、この章がおそらく核心と思い、それゆえ書上げることが出来なかったのではなかろうか。
私の能力では元詩が理解できないゆえ、そのあたりはハーディ詩集を確認しなくてはいけませぬ。
4部は、1部のような平和で慰めに満ちた音楽で、W・ギブソンの詩。雨上がりの陽光をの中、雨に濡れたライラックの花々に小鳥が鳴く・・・・。平和が戻ってきた。
極めて印象的で儚いほどに美しい。
ステファン・バーコーのバリトン、ブリテン・シンガーズに、ヒコックス指揮のシティ・オブ・ロンドンシンフォニアの演奏は、これしかない録音という以上に、フィンジの魅力を伝えてやまない。ほかのカップリング曲も素適すぎる曲。
いや、ブリテンのカンタータがこれまた私の提琴に触れる素敵な曲。
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