R・シュトラウス 「ツァラトゥストラはかく語りき」 メータ指揮
ご覧下さい、この美しい刺身。
たまにお世話になる名古屋のお寿司屋さんにて。
こんな宝石のような刺身をつまみに、私はビール一本に、日本酒2本はいけちゃう。
私にとって寿司屋は、飲み屋なのであります。
刺身のあと、つまみで穴子とか鯖を食べて、さらに日本酒2本。
それから日本酒1本で、ちょっとだけ握ってもらうという寸法。
寿司屋さんで、寿司をあまり食べない。食べても、赤身やひかりものばかりで、儲かる客じゃないのです。
目で楽しんで、少し食べて、たくさん飲む。これが私の寿司屋の楽しみ。
R・シュトラウス(1864~1949)の作品連続シリーズ。
オペラをすべて取上げてからは遅々として進まない。
今日は、メータの「ツァラトゥストラはかく語りき」だ。その豊穣な音色は耳のご馳走だ!
NHKだと、「・・・・こう語った」となるけれど、「・・・・かく語りき」の方が、いかにも哲学風で受け止めかたがよろしい。
1896年、シュトラウス32歳の作品。
オーケストラ作品では、それまでに「ドンファン」「死と変容」「ティル」などを書いているから、オケを鳴らすことにかけては、もう天才的な作曲家だったのが実によくわかる。
一方、歌の分野では、合唱曲や数曲の歌曲はあるものの、オペラは第1作の「グンドラム」のみで、「サロメ」でさえ、あと数年を待たねばならないかった。
愛するシュトラウスのオペラの数々を聴く時、そのオーケストラの素晴らしさにまず心動かされ、歌は歌詞、つまり台本の優劣に若干左右されるものと思う。
逆に、オーケストラ作品を聴くとき、私はそこに歌を感じることも多い。
このツァラトゥストラも、独奏ヴァイオリンや舞踏の音楽に、最後の死に行くような成り行きのなかに。
そんな訳で、シュトラウスの音楽の聴き方にはまだまだ多様な楽しみかたがあるような気がしてならない。
メータの名前を一躍、高らしめたレコードが68年に録音された手兵ロサンゼルスフィルハーモニックとのこの1枚。
レコード1枚にゆったりとカッティングされたこのLPは、当時オーディオのデモ用にもよく使われていた。
子供時代よく行った「ダイクマ」というディスカウント店に、オーディオコーナーがあって、タンノイのでっかいスピーカーの上にこのレコードがディスプレイされ、冒頭部分を思い切り鳴らしていた!
そりゃもう、ヨダレが出るくらいにすげぇ~音で、いつかはこのレコードを大型スピーカーで鳴らすぞ!、と子供心に誓ったもんだ。
以来、数うん十年を経過し、いまだにその夢は叶うことがなく、ヘッドホンでこそこそと、ちんまりと楽しむのみであ~る。はぁ・・・・。
CD化された音源を今聴いても、なかなかに重厚かつバリッとした音に快感を得る。
メータは、ニューヨークフィルハーモニックに移籍後、再びこの作品を録音した。
80年のデジタル録音で、12年の隔たりを経て、音楽はよりスムースによどみなく流れるようになった。
冒頭部分は、LAPO(2分)、NYPO(1分32秒)となっていて、聴いた印象が随分と違う。
旧盤が、一音一音をたっぷりと堂々と響かせるのに、新盤では練達の域ともいえるスマートぶりで、少しあっさりしている。
それでも、ここぞというところでは思い切り腰を落ち着かせ歌いまくっているし、濃厚な響きも聴かせる。
でも、それ以上に違うのが、録音である。
デッカとCBSとでは、音楽の印象すら異なって聴こえる。
これでは、レーベルの差が一般に不遇とされたメータの80年代、すなわちニューヨーク時代の原因なのではないかとも思ってしまう。
CBSは、低音がやや軽く、高音がきらびやかでハープの音色もやたらに耳につく。
鮮明で、もたれない軽やかさもある。
デッカは、重厚な低音が前提としてあり、その上に幾層にも渡る音のピラミッドがある。
そう、分厚く、濃厚なのである。でもきらびやかというよりは、渋さがある。
こうした曲だと、演奏のイメージも、なんだか録音が優先してしまう。
メータの一時の凋落ぶりは、レパートリーはそのままに再録音ばかりしただけに、録音のイメージがかなりあるのではなかろうか。
録音のマジックと捉えられても気の毒だから、メータを擁護すると、メータはアメリカよりは、ヨーロッパに根っこがあったのではなかろうか。
ニューヨークではなくて、欧州のどこかのオペラハウスでじっくりと自らを熟成させた方がよかったのかもしれないなぁ・・。
この「ツァラ」に関しては、ロスフィル盤の勝ち!
いずれ「英雄の生涯」も取上げるが、そちらの軍配は・・・・。
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コメント
メータのR・シュトラウス、いいですねえ。大編成のオーケストラ曲を振らせると、ホンマに上手で、マッチョで濃厚な音楽を聴かせてくれました。
この「ツァラ」もイイですし、「英雄の生涯」や「アルプス交響曲」なども僕はメータ盤大好きです。
ニューヨーク・フィルとの再録音盤は、目玉のジャケットが強烈で、LP時代は音の鮮烈さが話題になったものでした。ただ、彼の音楽は、DECCA録音向きだったように思います。こってりとしたステーキを食べたいときには、僕はメータのDECCA盤を聴きます。
投稿: mozart1889 | 2008年10月25日 (土) 07時58分
mozart1889さん、コメントありがとうございます。
私のシュトラウス、やはり最初はメータでした、それからケンペ、セル、ベームへと聴き進みましたがメータに心惹かれることも大です。
そして、デッカ盤はいずれも、>こってりしたステーキ<、無性に食べたくなるケンタッキーフライドチキンといった味わいでしょうか(笑)
投稿: yokochan | 2008年10月25日 (土) 22時20分
今晩は。私はとんでもない勘違いをしていたようです。ブログ主様が例えばメータ&ロスフィルの「ツァラトゥストラ」を記事のお題にしたのであればそのレコードを聴いていなければコメントをする資格は無いと勝手に思い込んでいたようなのです。私が大馬鹿者でした。お題になっている曲や演奏を聴いたことが無くても、~音楽を愛する心さえあれば~コメントしてもいいようですね。実は私はメータの「ツァラトゥストラ」は、未だにニューヨークフィル盤しか聴いたことが無いのです。記事を拝読した限りではロスフィル盤の勝ちのようですが、ニューヨークフィル盤も素晴らしい演奏だと思います。
でもデッカの音の方がCBSの音よりもメータに合っているというブログ主様の指摘は当っているように思います。CBSからメータが出したワーグナーの指輪の管弦楽曲集もデッカから出していたらもっと高い評価を得ていたような気がするからです。80年代のメータ凋落の原因の一つとしてCBSに移籍したことを挙げられたブログ主様の慧眼には驚かされます。
メータには80年代の演奏を聴いてアンチになってしまった人たちを「メータってこんなに凄い指揮者だったのか!」と仰天させるような名演をやって欲しいです。彼なら出来るはずです。
ドイツの作家ヴァルター・デビッシュのR・シュトラウスの伝記を読んでいます。偉い人は皆変わってはるというのは某評論家の名言ですが、R・シュトラウスは偉人にしては(?)比較的まともな人だったようですね。
投稿: 越後のオックス | 2009年11月16日 (月) 21時42分
越後のオックスさん、こんばんは。
これはお聴きになってらっしゃらなくても、イメージでわかるのではないでしょうか。
それだけ、デッカの録音は、音楽をいい意味で一緒に作っていたのではないかと思います。
ショルティがEMIやDGだったら、そしてそこからリングを出していたら、われわれの印象はまた異なっていたのではないかと思います。
メータのリングが映像で出るようですが、私はちょっと期待してます。
アバド、小沢の三羽烏と言われましたが、一番若いのがメータです。
まだまだやってくれそうですよ!
シュトラウスは、ご指摘のとおり、生真面目だし几帳面な普通の人だったらしいですね(笑)
投稿: yokochan | 2009年11月16日 (月) 22時40分