武満 徹 「秋庭歌」
組みガラス越しに見る紅葉。
東北のとあるSAにて。
なかなかお気に入りの1枚。
トイレなところが玉に傷・・・。
組みガラスといえば、銀座のブランドビルが、外壁そのものを組みガラスで出来ていて豪奢なものだ。
構造的には充分な強度が取れるという。
武満徹(1930~1996)が亡くなって、もう12年が経つ。
66歳での逝去は早すぎる人生。
でも死に急いだ感がまったくない。
多作だったし、その多くの作品がゆったりとした静かなものばかりで、その人生に静的なイメージがあるから・・・・・。
多くを聴いている訳ではないが、オーケストラ曲は比較的ライブでもよく接してきた。
思い出に残るものは、「カトレーン」の初演。
小沢・新日本フィルにアンサンブル・タッシの演奏。
それから、岩城&N響の武満作品によるコンサート
。これはライブCDになっている。
このふたつはいまだに印象深いコンサート。
若い自分も感受性が今より深くてナイーブな青年だった・・・(??)
今日は、秋にちなんだ音楽の多い武満作品の中から、雅楽による「秋庭歌」を。
演奏は宮内庁式部職楽部。
1973年に、国立劇場の委嘱で書かれたこの作品。
日本のクラシック系作曲家が日本の伝統楽器や伝統音楽を積極的に取上げていた頃のもので、雅楽器による現代音楽ではなくて、雅楽そのもののような音楽に感じる。
そこが武満作品のすごいところで、革新性なき革新。
CDの解説によると、「古代の雅楽は、庭園で奏楽した立楽や、自然のなかを歩きながら奏する道楽」などがあって、今のように畏まって演奏されるスタイル以外の多様性があったらしい。
武満はそうしたイメージも込めてこの曲を考えたという。
17人の雅楽奏者により、中央に「秋庭」、後方に「木魂」という配置で、秋庭のエコーを木魂が奏でるという曲の運びは、まさに日本人の好む絶妙な間や微細な音のずれによるえもいわれぬ空間を生み出してゆく。
静的な秋の澄んだ空気。そこにひとひらの紅い葉が舞い落ちる。
それ以外はまったく動きがなく、自分の活きている証の鼓動のみが鳴っている。
こんなイメージを私は聴き取ることができた。
皆さんはどうでしょうか?
いろんな秋の庭を思い浮かべて、この雅楽による音楽を聴くのも一興。
今、私は焼酎を濃い緑茶で割ってチビチビと飲んでいるところ。
のちに武満は、さらに5曲を作曲して全6曲の「秋庭歌一具」の大曲とした。
その第4曲として生まれ変わったのが16分あまりのこの曲。
「まさに音がたちのぼるという印象を受けた。それは、樹のように、天へ向かって起こったのである」
これは武満が宮内庁始めて雅楽を聞いたときに書いた日記という(CD解説より)。
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