モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 新国立劇場
新国立劇場オペラ公演「ドン・ジョヴァンニ」を観劇。
平日月曜の白昼という大胆なチケット選択である。
午後休みを取って万全を期したものの、何となく後ろめたい気分は平日マチネーの宿命。
それでもほぼ満席で、こっちは青色吐息のなか不安を抱えつつ駆け付けたのに、皆さんにこやかで余裕の表情。世の中は広いし、東京は人間の層が厚いね。
今回はアサガロフの新演出によるプロダクションで、この演出家は「カヴァレリア&パリアッチ」についで2度めの体験。
オーソドックスで正攻法の演出イメージと装置や衣装の鮮やかな色使いが印象に残っている。
今回のドン・ジョヴァンニも総体として、同じ印象で目新しい解釈や奇抜な装置のない、ある意味誰でも安心して楽しめる美しい舞台だった。
時代設定は、モーツァルトの時代くらい、舞台はゴンドラで、ドン・ジョヴァンニとレポレロがすぅ~っと登場するし、その背景の街並みから、ヴェネチアではないかと推測。登場人物達が付ける仮面も謝肉祭風だし。振り付けや劇への解釈が普通だから、どこがどう、といったことが書きづらいけれど、思いついた場面だけを羅列するに留めます。
①序曲から幕が開きドン・ジョヴァンニ主従が現れ、右手階段に主人は消える。
バタバタと仮面を付けたドン・ジョヴァンニを追い掛けるドンナ・アンナに優しく口づけする。これにより、ドン・ジョヴァンニの夜這いの顛末はご想像にお任せ・・・・という次第。
②「女のにおいがするぞ」のセリフには毎度笑ってしまうが、今回は舞台に架けられた橋の上から下を覗き込んでのもの。この橋が、屋敷の二階の回廊になったりもして上下の空間を各所でうまく活用するツールとなっていた。
③ドンナ・エルヴィラに主人の武勇伝を聴かせるレポレッロのカタログの歌の場面では、巨大な女性(金髪)の少しリアルな人形が降りてきて、それをドン・ジョヴァンニが二階から操るという細工が施された。この人形、イメージとして観客にだけ見える設定ではなく、レポレッロはスカートに中に入ってしまうし、エルヴィラも興味深く触ってみたりで、実在として登場した。この人形は、最後の幕切れでその意味の種あかしがあった。
④ツェルリーナとマゼットの村の集いの場面は、それこそ色とりどりの、鮮やかな衣装の男女が、回転木馬で戯れている。
その木馬、ブラック&ホワイトのチェスのナイトで出来ている。紳士であるはずの騎士の象徴としてのパロディであろうか。ツェルリーナもマゼットも立派な騎士様だから大丈夫、と今は安心してしまう。
⑤ドン・ジョヴァンニの「シャンパンの歌」は、衝立の壁が降りてきて舞台前面だけが仕切られた状態で歌われる。ここでの急速テンポぶりは、野放図なドン・ジョヴァンニの性格を浮き彫りにしようとの意図であろうが、何故かガッロの声が二重にハウリングを起こしたように聴こえたのはどうしたことだろうか?舞台を仕切ったゆえの響きか?
後でこうした設定で、他の女声たちが歌ったが全然普通だった・・・・。
⑥被害者3人(ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴィラ)がマスクを付けて、宴会に潜入するが、黒いマントに白いマスク、そのいでたちは、まさにヴェネチアのもの。
⑦エルヴィラの館の前で、衣装を取り替えっこする主従。
その背景は、とても美しい森が描かれていた。主人の声で、その演技指導を受けつつエルヴィラに謝罪して取りいらんとするレポレッロ、このやり取りに観客から笑いが。
⑧その森は縦に数枚用意された木を描いた大きなつい立てだが、それが前後互い違いによく動いて、迷路のような仕掛けとなって、数人の登場人物たちが出たり入ったり。
⑨裏切られたことがわかっていながら、揺れる女心を歌い出したエルヴィラの名アリアでは、彼女はレポレッロが残していったドン・ジョヴァンニの帽子を抱えながら歌う。
ミコライの名唱とともに、印象に残る場面だった。
⑩騎士長の立像のある墓地では、真中にまっ白い騎士長が立ち、左右に先のナイトが並ぶ。空には満月が浮かんでいて、とても美しい舞台を作りだした。
⑪ドン・ジョヴァンニの邸内。長いテーブルで、フルーツを頬張り、キジのグリルにうまそうにかぶりつく主従。楽士たちも律儀に並んで演奏していて、レポレッロから報酬をもらったりしている。このあたりは、今風に芸がリアルで細かい。
エルヴィラが思いなおすように飛び込んでくるが、ここで唯一、女性を押し倒すような動きをようやく、というかやっと見せるドン・ジョヴァンニ。
無謀でハレンチぶりを強調する演出が昨今多いなか、口ばかりで行動は意外と紳士的だった今回のドン・ジョヴァンニ。日本の保守的な聴衆を意識したのか。
⑫騎士長の来訪は、お馴染みの二階部分に。
舞台右手で、両足を貧乏揺すりで震わせるレポレッロ。なかなかの恐怖感が出ている。
ドン・ジョヴァンニは軽やかにテーブルの上に飛び乗り、騎士長と対峙する。
手を握るのは、二階からだから届かず、身振りだけ。
ドン・ジョヴァンニの地獄落ちは、テーブルがしずしずと舞台の下、文字通り奈落に沈んでゆき、そのテーブルのうしろから、白い手が数本にょきにょきと出てきて、地獄へいらっしゃ~いムードが満載になるし、背景の舞台装置が逆に上へ昇ってゆくので、その落ちゆくさまがなかなか効果的になった。
⑬何もなくなった舞台に6名の登場人物が集合。
先の奈落から、今度は騎士長の立像が不在の墓と、レポレッロのカタログ、ツェルリーナの結婚祝いのブーケ、ドンナ・アンナの下着風な黒いもの(だと推察?)が上がってきて、それぞれ該当する人物たちが手に取って歌う。
そして、例のデカイお人形さんも再登場。今度は首ももげ、ぐったりくん状態で。
これによって、希代の色事師ドン・ジョヴァンニの消滅が象徴され、被害を受けた女性たちも戻るべき先・治まるべき先を見出す、といったところか。
皆が左右の出入り口に消え、フィナーレの音楽が奏されるなか、ひとりレポレッロはカタログを手に、そしてパラパラとそれを落としてこちらに背を向けて幕となった。
レポレッロは、新しい主人をまた見つけ、まだまだドンファンはどこかで活躍しますよ・・・・。
大胆で大掛かりな解釈こそなかったものの、なかなかピリっとした締まった舞台ではなかったでしょうかね!
ドン・ジョヴァンニ:ルチオ・ガッロ 騎士長:長谷川 顯
レポレッロ:アンドレア・コンチェッティ ドンナ・アンナ:エレーナ・モシェク
ドン・オッターヴィオ:ホアン・ホセ・ロベラ ドンナ・ルヴィラ:アガ・ミコライ
マゼット:久保 和範 ツェルリーナ:高橋 薫子
コンスタンティン・トリンクス指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
演出:グリシャ・アサガロフ
(12.15@新国立劇場)
歌手は過不足なく、いずれも満足。
なかでもやはり、タイトルロールのガッロの存在感の大きさが光る。
「西部の娘」での憎々しい悪漢保安官が今でも脳裏にあるが、その豊かな声量と表現力の強い歌唱は舞台映えする姿とともに、今回も忘れられないものとなるであろう。
アバドのフィガロでの素直な歌唱から、さらに進化した性格バリトンで、来シーズンのオテロあたりにも是非出て欲しいものだ!
あと、私が気にいったのが、ミコライのエルヴィーラ。広い音域を要求され、いつも怒っているようでいて、愛憎半ばする難しい存在であるが、そのあたりを確かな歌唱で、かつ美しい声によってきれいに歌っていた。ポーランド生まれの彼女、ヨーロッパではかなり活躍している様子で、覚えておきたい存在。
それと我が日本人の3人。外来客演陣にひけをとらないばかりか、それをも凌駕する実力ぶりを発揮していてうれしい限り。
高橋さんは夏に素敵なラウレッタを聴いて気になっていた存在。モーツァルトが描いた、かわいいスーブレットの理想的な歌唱で、声も安定してよく出ていて見事。
ドン・ジョヴァンニがしつこく狙うのもわかるというもの。
シュトラウスのダナエで素晴らしかった久保さん、寝そべりつつ、駄々をこねつつ、いい声でした。いい声といえば、長谷川さんもだけど、ちょっと疲れていたかしら。
もう少し、デモーニッシュな迫力が欲しかった。
今年のヴィオレッタを歌ったモシェク、絶妙のピアニシモと見事な高音を惜しげもなく聴かせてくれて、新国の聴衆にその名を刻みつけたにちがいない。
アバドやムーティとも共演のあるコンチェッティのレポレッロ、最初は声が届かなかったし、固い声かと思っていたら、徐々にエンジンがかかり、自在な演技も加わって若々しいレポレッロとなった。
甘口のテノール、コロンビア生まれのロベラはおそらく逸材であろう。きれいな声は、きっとベルカントものに絶大な力を発揮するであろう。(ドイツものの私には甘々で、ちょいと苦手かも)
あいや~、歌手べた褒めすぎか。
この歌手陣を引き立てたのが、33歳の若手、ドイツのトリンクスの指揮。
この人は大野和士のアシスタントを務めたこともある実力派で、はやくもダルムシュタットの音楽監督就任が予定されているという。
緩急を自在につけ、かなりドラマテックなオーケストラ。世代や経歴からして、ノンヴィブラートの古楽奏法も身につけているようだが、今宵はそうした傾向は多少感じられたものの控えめ。でも、名アリアの数々でのニュアンス豊かな伴奏のつけ方には印象的な部分が多い。ツェルリーナの「ぶってよマゼット」におけるチェロのオブリガートソロをかなり強調した場面など美しかった。その反面、先にあげたように、猛スピードで走る場面もあって、おや、っと思わせるところもあった。
全体をしっかりまとめ上げるというよりは、部分部分を美しく、そして面白く聴かせるような演奏に感じた。
ちなみに、チェンバロを弾きながらの指揮でありました。
劇場をあとにしつつ、やはり痛感するのは、モーツァルトの音楽の素晴らしさ。
人間の持つ多面的な心情が、愉悦と笑い、そして深刻さの中に見事に描きだされている。
深いものだ。
今年の最後のオペラにして、最後の演奏会(たぶん)でした。
来年はどんなオペラが観れるのかな?
というより、こんな世の中で、オペラやコンサートが引き続き楽しめるように切に願いたい。
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コメント
オペラって無理して読み替えたりしなくても、十二分に楽しめることをあらためて納得させられる舞台でした。詳しい解説と感想、全く同感です^^++
投稿: edc | 2008年12月16日 (火) 07時30分
euridiceさま、こんばんは。
ほんとうですね。素材(音楽と劇)が良ければ、余計な解釈はいりませんね。
こんな時代だからこそ、普通が一番に思いました。
オペラ観劇のあと、舞台を思い起こしつつ、日記のように記事を書くって、ある意味、贅沢な日記だなと思ったりしてます。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2008年12月17日 (水) 01時04分
yokochanさん、
月曜の昼間に同じ空間に座っていました。私の場合はこの夏から自由業に転じたので堂々たる平日マチネー派です♪
とても良い舞台でしたね。新国のキャスティングの良さとレベルの高さを改めて認識した次第です。
投稿: YASU47 | 2008年12月17日 (水) 11時33分
yasuさま、こんにちは。コメント遅くなってしまいました。連日、午前さまでございまして・・・。
同じ日の観劇、まだお会いしておりませんが、何かとっても嬉しい思いです。
そして堂々たる平日マチネーに、うらやましくもありますが、私もおどおどは最初だけ、あとはもう夢中でございました(笑)
>新国のキャスティングの良さとレベルの高さ<
ほんと、おっしゃる通りです。
いろいろこねくりまわさなくても、すぐれた作品を立派に上演すれば説得力ある証左ですね。
1月は、蝶々さんで泣く予定でございます。
投稿: yokochan | 2008年12月19日 (金) 12時14分