プッチーニ 「トゥーランドット」 第3幕ベリオ版フィナーレ シャイー指揮
新宿のサザンテラス。
今年は、ブルーを基調とした美しいイルミネーションで多くの人が集まるようになった。
昨年は、グリーンだった。
ちょうど1年前の今日に画像をのっけてる。
1年はまったく早い。
今年は、ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)の生誕150年の年だった。
そして今日12月22日は、その誕生日である。
ちなみにワタクシは、プッチーニの100年後の11月21日が誕生日で、ちょっとだけ因縁を感じて嬉しくもあり。
プッチーニは天才肌というよりは、音楽家の一族の中にあって、もって生まれた才能を開花させた作曲家である。
代々、故郷ルッカの音楽院の院長を務めあげる地場の著名家族であったが、オペラに目覚め、オペラ作曲家となったプッチーニは、一族の中で異端であったようだ。
時代がヴェルディの後継者を求めるのと同じくして、出版元のリコルディの戦略や名台本作家たちとのコラボに巧みに乗って、ヒット作を次々に繰り出した。
有名なオペラ以外にも、あまり上演されない愛すべきオペラや、管弦楽や声楽作品がひっそりと存在していたりする。
そのどれもが、プッチーニらしい美しい旋律と新鮮な筆の運びに溢れていて、放っておくには惜しい作品ばかりだ。
ことし、ほぼすべてのオペラを聴いて、その感を強くしているし、大いなる愛聴盤のシャイーの管弦楽曲集を聴けば今更ながらの感銘と納得感を得られる。
そのシャイーが、前作を補完するかのように、未開の作品ばかりを集めた1枚を録音している。「プッチーニ・ディスカバリー」と題された1枚。
1.管弦楽のための前奏曲 2.エッチュ・サチェルドヅ・マニュス
2.スケルツォ 9.サルヴェ・レジーナ
3.「マノン・レスコー」2幕前奏曲 10.アダージェット
4.カンタータ「戦いの音を止めよ」 11.レクイエム
5.軍楽隊のための電気ショック 12.ヴェクシラ
6.軍楽隊のためのシチリアの戦艦 13.聖パオリーノのためのモテット
7.ローマへの讃歌 14.「トゥーランドット」3幕フィナーレ
(ルチアーノ・ベリオ版)
リッカルド・シャイー指揮 ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団
同 合唱団
リューの自害の歌から最後まで収められた「トィーランドット」が23分あまり。
あとは短い曲ばかりで、オーケストラ曲、吹奏楽あり、合唱曲、オルガン付き独唱曲、オーケストラ伴奏付き独唱曲ありと、バラエティ豊かな1枚は、そのほとんどが初録音。
未完に終わったため、アルファーノの補完による、虚しいくらいのハッピーエンドは、プッチーニの意図からは離れてしまったとする節が有力。
リュー亡きあとの悲しみに満ちた場面。小休止のあと、不協和音風の音楽が湧きあがり、一瞬ベリオっぽい雰囲気に包まれるものの、各所にアルファーノ版と同じメロディも聴かれる。プッチーニのスケッチ+アルファーノ版を両睨みにして作曲したのであろう。
シロフォンの活躍が目立つし、先鋭の度合が増しているが決して聴きにくい音楽にはなっておらず、晩年のプッチーニのオーケストレーション能力が相当な高みに達していたことを思えば、全然OKの響き。
リューの死がどこかへ追いやられ、能天気な結末になってしまったアルファーノ版との最大の違いは、やはりエンディング。
プッチーニの手で、スコアに「この先は、トリスタンのように・・・」記されたことを、ベリオは完全に意識して、口づけ後の音楽を愛の昇華と捉えているようで、その背景にはリューといういたいけない女性の犠牲もあるという、ほろ苦い結末とした。
だから、音楽は同じ「誰も寝てはならぬ」の旋律が繰り返されても、ゆるやかに回顧される雰囲気だし、やがて後ろ髪ひかれるように、静かに曲を閉じる。
これはこれで、立派な解釈であるし、名作トゥーランドットのもつ別の姿と思えば、充分に受け入れられるものだと思う。
あまり知らない歌手たちによるものだが、いずれも立派なものだし、シャイーの指揮するヴェルディ響のしたたるような音には抗しがたいものがある。
他の諸作で気にいったのは、18歳の処女作「前奏曲」の明るく快活な響き。
絶対に成功しないと後がなく、入念に改訂されて、いまはその形がない「マノンレスコー」の前奏曲。
第三者の編曲だが、ボエームのアリアやカルチェラタンの音楽を楽しく聴ける「シチリアの軍艦」。
ソプラノとオルガンの宗教曲「サルヴェ・レジーナ」は、一幅のアリアのようで、極めて美しい。それもそのはず、「妖精ヴィッリ」に転用されている。
転用の得意だったプッチーニ、オーケストラ作品の「アダージョ」は、「エドガール」のフィディーリアの清楚で美しいアリアに使われている。この曲は素晴らしく美しいのだ!!
あと、ヴェルディの死を悼んで、47歳で書いたレクイエムは霊感はやや薄いが、そのモニュメント的なムードがいい。
バリトンの長大なアリアが聴かれるモテットも宗教曲らしからぬ音楽で、妙に気持ちがいい。
多作家ではなかったが、その作品を聴くほどに、理解が深まり、愛情も増してゆく思いだ。
これまで、散々音楽を聴いてきて、今年ほどプッチーニと、そしてR・シュトラウスを聴いた年はなかった。
ともにワーグナーの呪縛のもとにあったのも確かだが、時代を考えるとそのメロディストとしての立場は保守的だが、オーケストラの扱いや大胆な和声は今でもびっくりするくらいに新鮮なものだと思う。
プッチーニの音楽をこれからもずっと聴いていきたいな。
その同時代のイタリアオペラ作家と、なんといっても大御所ヴェルディを極めるという大命題もございます。
音楽・オペラ人生、やめられません。
こちらは、同じ新宿南口を西口に結ぶミロードの通路。
シルバー・ホワイトでキラキラ感がおさえられて、こちらもなかなかに美しい。
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コメント
こんにちは。
私もこのCDを持っております。ベリオ版のエンディングはアルファーノ版に慣れている身には少し寂しさを感じる気がします。エンディングがどうあるべきなのかは謎のままでしょうか。プッチーニ自身も解けなかった問いだったようですし。「シチリアの戦艦」は愉快でいいですよね。
投稿: Shushi | 2008年12月23日 (火) 13時57分
shushi1さま、こんにちは、コメントありがとうございます。
このCDお持ちですか。シャイーの渋い一面を垣間見せてくれる1枚ですね。
最初から、この版をもった全曲を聴けば、納得のものですが、たしかに日頃見て聴いてきたアルファーノ版はどうしても、脳裏に強く刻まれてますね。
毎度悩むプッチーニが、最終場面をどうしたかは、永遠の謎かもしれませんね。
投稿: yokochan | 2008年12月23日 (火) 22時23分
以前Deccaから、ジョセフィーヌ-バーストウの歌った『オペラ-ファイナル-シーンズ』と言う、『サロメ』『マクロプロス家の事』『トゥーランドット』の終結の場面を歌った、ユニークなアルバムが出ていたような、覚えがございます。トスカニーニの進言でアルファーノが一旦書き上げながら削除した部分を、ノーカットで収録したとかで、話題になった筈です。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年6月 6日 (木) 05時54分