プッチーニ 「蝶々夫人」 シノーポリ指揮
将軍家の別邸でもあったこの場所、海に隣接し、海水を引き込んで潮の満干をも楽しめる趣向。
海に囲まれた日本の土木・灌漑技術は古来素晴らしいものがあるのだな。
自然の機微を細やかに取り入れ楽しむ繊細な心情も元来、日本人特有のものであろう。
いまや、この場所も外資の高層ホテルやビルが見下ろす場所となってしまった。
生誕150年のプッチーニ(1858~1924)。
国内では、今年どれだけのプッチーニのオペラが上演されたろうか?
定番ばかりで、そんなに本数がないのに驚き。
三大オペラは毎年上演されているが、それにトゥーランドットと三部作のみ。
メモリアルイヤーだからこそ、普段接することのない作品も上演して欲しかったもの。
でも、私の方は充実したプッチーニ・イヤーでありましたことよ。
「トゥーランドット」と「三部作」の舞台が観れたし、本ブログでは、オペラ全作品を今回で取り上げることができたのだもの。
全10作(三部作を1として)のうち、最後になったのは「蝶々夫人」。
実は苦手なのであります。
何故かって、理由はあまりありません。
「ある晴れた日に」があまりに有名すぎて近寄りがたいのと、子供の頃にテレビで見た八千草薫の扮する映画を見て、自害という、そのあまりの可哀そうな結末がショックであったこと。長じてそれが国辱的な思いにもなったことなどがあげられる・・・・。
あと、中国と一緒くたになってしまった、へんてこりんな日本の描き方を見たくないというのも理由のひとつだけれど、これはまあCDで聴くかぎりは問題にはなるまい。
だから蝶々夫人の音源を買ったのはそんな昔じゃありません。
社会人になってから、というか結婚を控えて、式のバックミュージックを自分で作ろうということになった。
入場は、「ローエングリン」で、あとはショパンの2番の協奏曲とか、ラヴェルの協奏曲、マーラーの3番・・・・。そして花嫁のお色直しでの音楽に「蝶々夫人」の「ハミングコーラス」を入れたのである。(ホント夢と希望に燃えていたのよね・・・・あの頃は)
このとき買ったのが今回のシノーポリの全曲盤なのであります。
実はこれも買ったきりで、その後何年もしてから今度は、バルビローリ盤を購入して真剣に聴いてみた。そしたら涙がちょちょぎれるほどに美しい音楽だとわかった。
日本の旋律もふんだんに使われ、その溢れ出る素晴らしい音楽の泉に私は驚き、かつプッチーニの大胆なオーケストラの技法にもあらためて感じいった。
こうして私に遅れてやってきた「蝶々夫人」。いよいよ、年明けに新国で観劇デビューを果たすことと相成りました。
新国ならば変な演出じゃないだろうし安心。
最近ドイツあたりでは過激な演出が出ていて、以前ビデオクリップで見たが吐き気を催したくなる思いだった。ご参考までにこちらコミューシュオーパーでございます。
完璧主義者のプッチーニの台本選びは毎度大変だったらしいし、いざ決まって作曲を始めても、何度も訂正を要求されるため台本作家との衝突は茶飯事。
そんな中で、イルッリカとジャコーザのコンビとは抜群の相性で、三大オペラは、この二人を加えた黄金トリオのなせる技なのだ。
全オペラを聴いてきて、この3つとマノンは一際すぐれた出来栄えだし、のちのアダーミやフォルツァーノのすぐれた台本による、トゥーランドットや三部作も同様に霊感に満ちた名作となっている。
でも有名でないほかの諸作は、音楽は素晴らしい旋律に満ちてはいるものの、やはり台本が弱く、ドラマとしての魅力がいまひとつなのだ。
1903年の完成。プッチーニはロンドンで見たベラスコの同名の舞台劇に大いに感化され、オペラ化を思い立つ。
日本をかなり研究し、「おっぺけぺ」の川上音二郎や川上貞奴に会ったという説もある。
このあたりは、われわれ日本人として、とても嬉しい逸話である。
好きな場面は、1幕の陶酔的な二重唱。プッチーニのオペラの中でも最も長大な愛の二重唱で、幸せな思いに満ちていた蝶々さんが愛らしい。
後半になると蝶々さんが可哀そうで、胸が痛くなる。
でもやはりあのアリアは外せない。フレーニの名唱で聴くと涙がにじむほどの感動を味わうこととなる。
それから人情味豊かなシャープレスに子供を見せて歌う歌もたまらない。
もうやめてといいたくなるし、ハミングコーラスが流れるなか、スズキと子供と3人で障子越しにピンカートンの帰りを待つ場面も想像するだに泣けてくる・・・。
脳天気だったピンカートンが悔やみ歌うアリアもいい。おばかなメリケン人だけど、いいアリアを付け加えてもらえたもんだ。
そして音楽は悲劇に向けて淡々と進んでゆく。やがてレクイエムのように、ティンパニが同じ音を繰り返し、そこにこれまで出てきたいろんな旋律が重なり、ついにティンパニの強打となり、自害の場面が用意される・・・・。
蝶々夫人:ミレルラ・フレーニ ピンカートン:ホセ・カレーラス
スズキ :テレサ・ベルガンサ シャープレス:ホアン・ポンス
ゴロー :アンソニー・ラチューラ ボンゾ :クルト・リドゥル
ジュセッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
アンブロージアン・オペラ・コーラス
(87年 ロンドン)
プッチーニのオペラ全曲録音を果たせずに亡くなってしまったシノーポリにとって、プッチーニほど気質のあう作曲家はいなかったのでは。あと、シュトラウスとマーラー。
ゆったりめのテンポで、思わぬ静謐な音楽作りで、デリケートで緻密の限りを尽くす。
それが頭でっかちにならずに、音楽の隅々に息がかよっているから悲劇の隈どりが深い。オケの響きに何度、耳を澄ませたことかわからない。
フレーニはスコットと並んで、最高の蝶々さん。テバルディやカラスだとスケールが大きすぎるし、われわれ日本人からあまりに遠い存在に感じる。
その歌唱の細やかさと、ドラマテックな場面での迫真性。それぞれを見事に歌いだすフレーニに聴くこちらの思いも同化してしまう。
ありあまる声を抑制し、同情心あふれる歌で感動するのがベルガンサとポンスの二人。
カレーラスも良すぎるけれど、こんな真面目人間が日本女性を裏切ったらいけません!
てな思いになるくらいに凛々しい・・・・。
端役に、当時シノーポリと共演多かった日本人歌手たちの名前を見出す。
小松英典、片桐ひとみ、佐々木典子の3人。佐々木さんは、いまやワーグナーとシュトラウス上演になくてはならぬ人となった。
かくしてお決まりの涙ひとしずく、「蝶々夫人」聴きました。
これにて、たぶん年内のオペラ鑑賞を終了。
こちらは、「赤い靴」チョコレート。
異人さんに連れられて行っちゃった方。
こちらも国辱もの。
でもこのチョコかわいいのである。
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コメント
また、お邪魔させていただきます。
来月楽しみですね、わたくしも参ります。
蝶々夫人というとどうしても三浦環のお墓が思い出されてしまいます。
恐ろしく昔から知っておりますが子供心にはあれは蝶ではなく蛾だと思われました。
かなり反れてしまいました。お許しくださいませ。
投稿: moli | 2008年12月28日 (日) 23時14分
moliさま、今回もコメントありがとうございます。
新国行かれるのですね。私も、今回記事でかなり聴きこみましたから、ほんとうに楽しみです。
三浦環ですよね!
そうそう、忘れちゃいけませんね。
われわれ日本人の蝶々さんの原点ともいえる存在です。
>子供心にはあれは蝶ではなく蛾<
(笑)たしかに、漢字としてそうですし、たしかにこわい結末で、子供心に怖かったです・・・・。
ついでに申さば、蛇女の映画を見て恐怖のどんぞこに陥った経験もございますよ!!
投稿: yokochan | 2008年12月29日 (月) 23時56分
今年はプッチーニ・イヤーでした。CDで沢山聴きました。
でも、「蝶々夫人」はあまり観ないです。妙な日本人の描写に違和感があって・・・・・。ですから、「聴いて楽しむ」ことが多いです。このシノーポリ盤などエエですね。フレーニがホンマに素晴らしいです。この人のミミと蝶々さんは最高だなぁといつも思います。
シノーポリもプッチーニ向きの人でしたが、急逝は残念でした。もっと彼のプッチーニを聴きたかったですね。
投稿: mozart1889 | 2008年12月30日 (火) 05時41分
mozart1889さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
やはり映像や舞台よりは、われわれ日本人は、音源としての蝶々さんですね!!!
フレーニはカラヤン盤もいいです。
こちらはシノーポリに入念な指揮ぶりが素晴らしいひと組です。シノポーリはきっと全作品を取り上げたかと思うと、悔しいです。パッパーノ君がその後の望みですが、録音がEMIでちょいとイマイチであります。
投稿: yokochan | 2008年12月31日 (水) 00時34分