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2009年1月25日 (日)

プッチーニ 「蝶々夫人」 新国立歌劇場公演

Butterfly
















新国立劇場公演、プッチーニ「蝶々夫人」を観劇。
2005年のプロダクションで3度目のサイクル。
そしてその最終日にあたったのが、土曜のマチネ。
オペラは初日のワクワク感も、有名人がいたりして好きだけれど、最終日は演出も演奏も練れてきて、充実しているし、カーテンコールの出演者たちの開放感あふれる姿を見るのも楽しい。
今日も満足げな歌手たちに、堅そうな見た目とは大違いの指揮者モンタナーロ氏の明るい動作に湧いたものだ。
ちょっと会場の雰囲気が違ったのはあらかじめノーティスされていたが、学生さんが入っていたこと。
幕開きまで、結構黄色い声が飛び交っていたけれど、上演中はお利口さんに、静かでした。
きっと、悲しいドラマと美しい音楽、そして歌手やオケの競演に感激されたのではないでしょうか!
こうして、オペラを日常に感じていくことは、東京の恵まれた環境があるとはいえ、実によいことであります。

Ki_20001740_8_2 さて、肝心のわたくし、実は、本日は「初蝶々さん」だったのです。
弊ブログをご覧の方々ならおわかりのとおり、舞台体験はワーグナーに偏重していて、国内上演は殆ど観てきたものの、有名オペラには弱く、トラヴィアータは昨年が初なくらい。

一念発起して、初観劇に向かう気になったのは、ひとえに新国立劇場のおかげ。
二期会や藤原歌劇団ではそうはいかなかったかもしれない。
やはり、オペラは専用劇場で、かつオペラ好きが醸し出す独特の親密な雰囲気の中で観るにかぎる。文化会館もいいのだけれど。

 観劇のきっかけ、その2は、プッチーニ。
以前より特別な存在ではあったが、一昨年からその全作品を聴いてきて、その時代性ゆえ、私の大好きなR・シュトラウスやマーラーと相通じる世紀末の響きを感じ取るようになったし、何よりもその甘味な音楽が、甘いだけでなく苦さも悲しみも含有していることに大いに共感するようになった。
だからこそ「蝶々さん」に接してみたくなったし、大いに涙してみたくもなったわけ。

そして、泣きましたよ。
歳とともにすっかり弱くなった涙腺を、しっかりと刺激されましたであります。

 蝶々夫人:カリーネ・ババジャニアン  ピンカートン:マッシミリアーノ・ピサビア
 シャープレス:アレス・イェニス      スズキ :大林 智子
 ゴロー  :松浦 健            ボンゾ :島村 武男
 神官   :龍 進一郎           ヤマドリ:工藤 博

 ケート   :山下 牧子

      カルロ・モンタナーロ指揮   東京交響楽団
                         新国立劇場合唱団
               演出:栗山 民也
                         (1月24日 @新国立劇場)


もうすでに語り尽くされているであろう演出だから、ここに細かなことは書きません。
プログラムにある演出家の言葉にもあったが、われわれ日本人は、外国人が見て描いた奇妙な場面を、そりゃ違うだろと、修正を加え、正しい所作を持ち込もうとするあまりにオペラから離れて違う結果に行きついてしまうことがある。
そういう意味からすると、具象性を排して、全幕を通じシンプルな装置にとどめ、動きも少なく「光と影」の効果を多用したこの演出は、とても好ましく思った。

細かな動きも、よく考え抜かれていて、ピンカートンは土足で畳の上に上がってしまい、アメリカ讃歌を歌い、ゴローはそりゃ困りますとばかりに畳を拭いたりしている。
節度あるシャープレスは、一切上にはあがらずピンカートンや蝶々さんをあたたかく見守る。
1幕は、枯葉の舞う季節で、提灯のあかりがほのかに美しい。

Ki_20001740_2_2 Ki_20001740_3_3                     
 舞台左手から上に階段があり、上には「星条旗」がはためいている。
これが、消える場合もあるが、舞台の進行や音楽に合わせてスポットを浴びたりする。

2幕1場最後の「ハミングコーラス」。障子ごしに、蝶々さん、スズキ、坊やの三人の姿がシルエットで浮かびあがる。
音楽の素晴らしさと合わせて、とても美しい場面だ。
坊やはスズキにもたれて寝てしまい、影が一人いなくなる。次に蝶々さんが花嫁衣装で出てきて、ゆっくりと歩み髪に赤い花をさし、階段を登ってゆく。

Ki_20001740_4_2  そこには、星条旗が濃紺の空にはためいていて、蝶々さんはその横で聴衆を背にピンカートンを待ち受けつつ幕となる。
 なんて美しいんだろ。その音楽とともに、私は惹かれっぱなしだった・・・・。
美しさでは、その前の「花の二重唱」では、庭に散りばめられたりためられた桜の花びらを二人で集め、部屋にまき散らし、舞台上からは花びらが舞い散ってくる。

さらにさかのぼって、シャープレスとの「手紙の二重唱」。
ただでさえ、ぐっときてしまうのに、坊やが右手坂道を走って登ってくる。その姿が、舞台壁にシルエットとなって写し出されるのである。これには、お父さん参った・・・・・、涙でました。

ティンパニーのレクイエムのような連打が鳴りだすと、もう私の涙腺は手に負えない。
母を振り返りつつスズキに引かれて去った坊やが、蝶々さんが自害したときに障子を開けて走りこんでくる。
舞台裏からは、憎っくきピンカートンの声がするが、姿はあらわさない。
舞台には、短刀を自ら突き立てた母と、それをじっと見る息子が目を合わせ、まんじりともしない。舞台上には、星条旗は相変わらず(呑気に)はためいている・・・・。
オーケストラの断末魔の響きとともに、蝶々さんは遂に倒れ、こと切れる。
坊やは、父の声はそのままに、母を見つめたまま、舞台は真っ暗になり幕・・・・・・。

やはり日本人でよかった。そう思わせる、われわれ日本人が感じた舞台ではないかしら。
軽いヤンキー気質で慎重さに事欠いたピンカートン、周囲の声が聞こえなくなり真面目に一途になりすぎて自らの退路を断ってしまった蝶々さん。
気が良く、同情心あふれてはいるもののそれ以上を踏み出せなかったシャープレス。
時代ゆえ、主従の枠から踏み出せず、主人を厳しく助けられなかったスズキ。
 一番かわいそうなのは、子供じゃないか。
彼は、よく聞かされてはいたまだ見ぬ父ではなくて、母の元を選んだわけだが、この場面を直視してしまった。ケートに引き取られて幸せになったのだろうか・・・・・。
 そんなことを考えてしまった演出である。

Ki_20001740_13 アルメニア出身のババジャニアンは、エキゾテックな美貌も加わって、蝶々さんとして違和感はまったくなく、着物での身のこなしも堂にいった落ち着きあるものだった。
蝶々さんを主要なレパートリーにする彼女、シュトットガルトを中心に活躍しているという。
ビジュアル的には完璧な彼女、高音があまり響かなかった。というか、はなやかな高域をひけらかすソプラノでなく、ちょっとメゾがかった豊かな中音域がとても魅力的に感じる、内省的な知的なソプラノに思った。
だから舞台の隅々まで声を行き渡らせ、ドラマテックに引っ張るタイプではなく、感情をこめて歌いこむしっとりとしたソプラノに感じる。
ここ一番を期待したむきには、不足だったかもしれないが、「私の坊や」での迫真の心に迫る歌唱には涙が止まらなかった・・・・。
ここで彼女の歌声をお聴きください。

ピンカートンのピザピアは、生粋のイタリア人。これが実はすんばらしい声で、私は今日の一番だった(声のみ!)。
コレッリに師事した経歴の持ち主だが、そのリリカルでかつ輝きあふれる声は、晴朗かつクリアー。この人もピンカートンを持ち役にするらしいが、ロドルフォやアルフレートなんぞ是非聴いてみたいもの。
でも、ビジュアルが・・・・。ハンバーガーか、それこそピザの食い過ぎのアメリカの兄ちゃん的な風貌は、考えなしのピンカートンにはお似合いかもしれないが、蝶々さんとつり合いが取れまへん。
「さらば愛しい家」を歌って、階段を駆け上がる姿は、ちょいと滑稽だったり・・・。
でも、いい歌手。注目!

シャープレスのイェニスは、スロヴァキア出身の若手で、こちらはスマートで身のこなしも鮮やか。そして声も中庸で、可も不可もないが、好ましいこの役柄をしっかり歌っていた。

以上三人、いずれもまだ日本ではあまり知られていない若手だったが、今後しっかりと活躍しそうな人たち。新国もなかなかいい歌手を見つけてくるもんだ。
蝶々さんを主要レパートリーにするババジャニアンにとって、今回の舞台はきっと忘れがたいものになったであろうし、スズキのあまりに素晴らしい大林さんとの共演も、日本人的な身のこなしを体感するうえで大いなるものがあっただろうな。
その大林さんをはじめとする、日本人歌手や合唱団の着物の着こなしやその動作は、日頃のわれわれの日常のものゆえに、舞台にかかるとなんときれいに感じることだろう。
 これで、海外DVDを見てしまうと、冗談としか思えなくなるから悲しい。
そうそう、坊やクンは実に物怖じもせずに名優だったぞ。

モンタナーロ指揮する東京交響楽団。こちらも素晴らしいものであった。
前半はよく押さえながら、抒情的な表現に徹し、後半は激情の度合を徐々に高めつつ、巧みにクライマックスへ向かっていった。
そして、よく歌わせること。
幕が降りたら、オケを称え、そしてスコアを掲げていた。

蝶々さんの悲劇ばかりでない、登場人物たちの悲劇をも感じさせた舞台だったように思う。

Backstage06_1 Stage29_1      

 

 

 

 

 

こちらは、ババジャニアンの出演したヨーロッパの舞台。
何ともはや・・・・。
まぁ、こんな感じなんだろな~

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コメント

早々のアップありがとうございます。 
昨日を楽しみに3ヶ月過ごしてまいりましたのにチケットを紛失いたしました。 
泣いても泣いても泣ききれません。 
どうやっても気持ちが静まりませんがこちらで舞台の様子をお伺いできて本当によかったです。 

今夜は眠れなさそうです。。。。

投稿: moli | 2009年1月25日 (日) 01時39分

えっえ~!
moliさま、チケット紛失ですと!
それは泣いても泣いても泣き切れないじゃないですかぁあ。

ほんと、申し訳ありません。
傷心の気分の方を目の前に、調子に乗って書きまくってしまいました。

土曜は、ほぼ満席、空席がほんの少し。
そこがmoliさんのお席だったとは・・・・。
せめて、ご案内しましたババジャニアンの歌声をお聴きください。
蝶々夫人というオペラを自身、見直すことのできた公演でした。
主催者側も、何か証明できるものがあれば、救済策を取れるようにすればいいのではないでしょうか。
チケットレスもやはり必要なのかもしれません・・・・。
お気を落とさずにお願いいたしますね。

投稿: yokochan | 2009年1月25日 (日) 02時30分

どうしようかと迷っていたんですよ。yokochanさんにまた一歩先に行かれてしまいましたね。
僕もyokochanさんと同じ理由で、「チョーチョー奥さん」はずっと敬遠していました。プッチーニの諸作を全て舞台体験したとしても、この作品だけは絶対に観るものかと。
でも「アイーダ」や「サロメ」が再演されていることと、この演出;栗山=美術;島のステージを前2者と同様新国立劇場の定番として捉えているようなら、もう1回くらいチャンスがありそうですね。
そしたら、今度こそチャレンジしたいと思います。

投稿: IANIS | 2009年1月25日 (日) 10時43分

そうそう、チケットですけど、紛失防止のため、僕は某美術館のショップで買ったチケット保存用ブックに日付順に入れています。
一冊丸ごとなくしてしまうという惧れはありますが、さすがに一冊丸ごと無くすと怖いという思いがあれば、無くしてしまうという危険はないと思います。
透明なポケットに入っていることが紛失のリスクをなくします(トヨタ流「見える化」)。

投稿: IANIS | 2009年1月25日 (日) 10時49分

こんにちは
>アルメニア出身のババジャニアン
素敵な蝶々さんのようなので、急きょ行こうかと思ったのですが、今回は我慢しました。新演出に行きましたがほんとに大満足、感動の舞台でした。

今回もすばらしかったとのこと、よかったですね。私は残念でしたけど・・

ピンカートンの見た目はまあ仕方ないですね。新演出時は本物のでっかい、お歌のほうもちょっとあららのアメリカンでした。新演出のときの記事ですが、TBします。

投稿: edc | 2009年1月25日 (日) 17時16分

IANISさん、毎度どうもです。
一足お先に初蝶々さんでした。
結果はご覧いただいたとおり、大満足でして、なかなかに飽きのこない名舞台ではないかと思います。
欧州の東南アジアに置き換えたヘンテコ演出なんぞ、クソ喰らえと思えました。
ですから、あともう1回は再演あるのではないでしょうか。
その時はぜひ!!

チケット保管は、簡単なようでなかなか難しいですね。
必ずそこに入れて、同じ場所に置いておくという決めをつくればいいのですが、郵送された場合など、つい封書のまま置いてしまうものです。
「見える化」は確かに、大事なカイゼンでありますねぇ。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2009年1月25日 (日) 22時59分

eurideceさま、こんばんは。
コメントとTBありがとうございます。

euridiceさんには申し訳ありませんが、大いに楽しみ、大いに涙してきました!
初演時にご覧になったのですね。TB拝見しました。
こうしたすっきりした演出なら飽きもこず、定番化しそうです。私は今回が初めてでしたが、テレビなどで、古くは東敦子さん、そして林康子さんなどを見てきました。
日本の様子が各国に理解されるようになり、今回のように外人の素敵な蝶々さんが日本で歌うようになることで、演出もまた新たな局面を迎えるような気がします。

今回のピンカートン、ピザのようなお名前と横に立派なお体でしたが、素晴らしい声でした。これはよかったです。
舞台って難しいものですね。

投稿: yokochan | 2009年1月25日 (日) 23時08分

お優しいお言葉をありがとうございます。 
チケットに関しましては保存用ブックを是非購入し使いたいと思います。 
幸い『妙心寺』展へ近々参りますのでそこで入手し、その足で三浦環のお墓にお参りしてババジャニアンでの早い再演をお願いして来ようかと。 

父の戒めの「国辱オペラ故、決して観るな!」というきつい言葉が具体化したような今回でした。 

上の記事のタンポポに大変慰められました。 
大好きな花なので嬉しかったです、重ね重ね御礼申し上げます。

投稿: moli | 2009年1月29日 (木) 15時51分

moliさま、こんばんは。
いつもお世話になってますIANISさんのナイスなチケット保管のアイデアでございました。

そして、私からもお願いします!
>ババジャニアンでの早い再演<、ぜひとも三浦環さんのお墓に!

>「国辱オペラ故、決して観るな!」<
新国のこの舞台をご覧になったら、登場人物みんなの悲劇を観る思いで、気持ちがまた変わるものと思います。
テレビで放送されるといいですね。

タンポポ、春も近いです。
こちらこそ、ありがとうございました。


投稿: yokochan | 2009年1月29日 (木) 23時21分

なんと、yokochanさんも初・蝶々さんでしたか!!
私も初体験のが新国でよかったです。というか、新国以外の演出では観たくないかな~という感じですが(笑)

テレビ放送されたら是非観たいです(それまでにテレビを買うかして)。
それに、この演出を商品化して、ぜひとも海外に出して欲しいなんて思います。
そしてできれば、この演出でアレンにシャープレスを歌って欲しいんですけど(笑)

投稿: しま | 2009年2月 1日 (日) 10時25分

しまさん、こんにちは。
そーなんです。お初でした。
デビューが新国でよかったです。
これで、二期会や藤原歌劇団も行けちゃう気がしますよ。
 
そうそう、ロンドンあたりでもたぶん、へんてこりん演出でしょうから、そこで演って欲しいものですね。
アレンのシャープレスで(笑)

投稿: yokocahan | 2009年2月 1日 (日) 13時44分

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受信: 2009年1月25日 (日) 17時15分

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 プッチーニのオペラ《蝶々夫人》の初演は1904年。日本の暦では明治37年で、ちょうど日露戦争が勃発した年にあたります。  既にこの時代から、日本においても歌劇団体は存在してたそうですし、学生によるオペラ公演も行われていたようですが、オペラ先進国に肩を並べるレベルの《蝶々夫人》が日本の国立歌劇場のレパートリーとなり、頻繁に上演される時代が来ることを、はたして作曲者のプッチーニはどこまで予想していたでしょうか。  2009年初のオペラ実演鑑賞は、新国立劇場の《蝶々夫人》。1/24最終日の公演です。... [続きを読む]

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