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2009年2月 5日 (木)

シカゴ交響楽団演奏会 ハイティンク指揮 ②

Chicago_so_2009 ハイティンクシカゴ交響楽団来日公演最終日。

 モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」
 
 R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

    ベルナルト・ハイティンク指揮 
       シカゴ交響楽団

        (2.4 @サントリーホール)
        
前回のドレスデンとの来日でも取り上げた得意のプログラミング。
今回の席は、LD2列目。ハイティンクの指揮ぶりをを左横から眺める席。
そして、シカゴの誇る強力ホルン・セクションの真上。
前回のマーラーは、最前列でシカゴの低音楽器群の威力に圧倒され、まさに平伏してしまった。
今回は、豊かにブレンドするシカゴの鉄壁のアンサンブルの素晴らしさを目と耳でしっかりと堪能することができた。
マーラー・オケというレッテルに惑わされてはいけない。
柔らかく繊細、センスのよいモーツァルトを聴いて、このオーケストラの底しれない能力に感服した。大は小を兼ねる、じゃないけれど、どこまでアクセルを踏み込んでも余裕のある高級車のようでありながら、低燃費で小回りの効く機能も持ち合わせているのだ。

ハイティンクはモーツァルトのオペラは録音しているのに、交響曲や協奏曲はひとつもない。
ジュピターだから、きっと堂々たる演奏になるかと思っていた。
そうしたらどうだろう
先に書いた通り、その出だしから柔らかくもふくよか、そして、きめ細やかな美しいモーツァルトが始まったのである。音がともかく澄んでいてきれい。
休止が多い1楽章だが、その休止が入るたびに、ホールに響きがゆったりと「こだま」する。その美しさにため息が出てしまう。
2楽章の弦の目のつんだ澄み切った音色。弦出身のハイティンクらしく、とてもよく歌わせている。
シンプルな3楽章、威圧的にまったくならない、清冽な終楽章。
ほんとうに気持ちのいい、すっきりとした素敵なモーツァルトにこのとところの胸のつかえが、とれた思いだった。

英雄の生涯」、冒頭から確かにシカゴ
ぐぃーっと腹に響くような出だしだ。
そして、シュトラウスとなるとシカゴの威力は、また全開となり、その音の洪水はホールの隅々まで溢れかえる印象で、オケを横から聴いているだけに、その鮮やかな音たちが、ステージから自分の右手側のホール奥にブワッーと拡がっていくさまが手に取るように感じ取ることができる。
 しかし、この演奏には、威圧感はこれっぽっちもなく、カラヤンやメータのような聞かせ上手の語り口もない。
最初から最後まで、どこまでも音楽的でむしろ訥々とした味わい深い「英雄の生涯」であったのだ。
もちろん、「英雄の戦場」における大迫力場面と、勝利シーンでのあまりに感動的な冒頭部分の再現。これらはもう無条件に、いや、なすすべなく降参。
もーーすごすぎ。グレヴェンジャー率いる9本のホルンの輝かしいことといったら・・・。
 それと、コンマスのチェン氏のソロの鮮やかさ。
こうした名手たちが突出することなく、全体のシカゴ・サウンドの中で機能していることも、スーパーオケたる証しであろうか。
 でも一番素晴らしかった部分は、「英雄の業績」から「引退と完成」にかけての最後の場面だった。まだ若いシュトラウスが、自己の過去作の主題を振り返りつつ老成へと至らんとした場面。様々な楽器で、浮かんでは消えてゆき、歌い継がれてゆくティルやドンファンのモティーフ。これらが、実に味わい深く、かつこんなに明晰に演奏されるのを、私はまったく初めてといっていいくらいに聴いた。
私の好きなシュトラウスのオペラ数々、その最後のトリのような感動的な場面をも思わせてくれる。
 ハイティンクがじっくりと自己を熟成させて築き上げてきた実り豊かな人生。
そんな感慨深い名演奏ではなかったろうか
本当に心に響いた。

Tit01_ph 静かに曲を閉じ、会場は静かなまま。
ハイティンクが指揮棒を譜面台にコトリと置く音までホール響いた。
それを待っていたかのような大きな拍手に会場は包まれた。

マエストロ、いつまでも元気で。
また日本にやって来て欲しい。
今度は、ヤンソンスとともに、コンセルトヘボウとバイエルンで



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コメント

おめでとうございました。
モーツァルト、良かったでしょう!もう、シカゴの能力は底なしですよ!みなとみらいより響きが潤沢なサントリーだから、きっと美しかっただろうなぁ・・・。
シュトラウス、やはり「英雄の業績」からエンディングにyokochanもやられましたね。そう、あれはもう「バラの騎士」のマルシャリンの世界です。私も感動してしまいました。「英雄の生涯」で、黄昏れた人生を感じたのは初めてです。
ハイティンク=シカゴ、是非ともこの演奏をCDで出して欲しいですね。

投稿: IANIS | 2009年2月 5日 (木) 01時00分

精緻でしなやかでジェントルなモーツァルト。大言壮語せずともずっしりとした手ごたえを感じさせるクライマックスと、悟りの境地をすら感じさせるしみじみとしたエンディングが印象に残るR.シュトラウス。とりわけ弦のピアニッシモの美しさは筆舌に尽く難いものがありました。ブルックナーを聴けなかったことが返す返すも悔やまれますが、この至福の二晩の前にはそれは贅沢というものでしょうか。
余談(戯言)ですが、近接して似たようなプログラムを聴いたせいもあるのでしょう、先日のペーター・シュナイダーにこのハイティンクと同じ匂いを嗅いだ気がします。ドイツの古典派とロマン派の音楽の様式の把握の仕方に、根底で通じるものを感じるのです。オーケストラを思いのままにねじ伏せドライブするのではなく、じっくりと腰を据えてともに音楽を作りながら同時に音楽のエッセンスを吸収して大きくなってきたふたりの指揮者。これがヨーロッパの伝統の奥深さというものなのかと思ったり致しました。

投稿: 白夜 | 2009年2月 5日 (木) 21時12分

IANISさん、行ってきました。
そしてすっかりやられちまいました。
私はみなとみらいの美しい響きでも聴いてみたかったです。
ちょっと贅沢をし過ぎてしまいましたが、それ以上の手ごたえと満足感があります。
 英雄の生涯が、まさに黄昏時の音楽として聞こえました。
ちょっとあの曲を見直してしまいました。
是非ともCD欲しいですねぇ。

投稿: yokochan | 2009年2月 6日 (金) 23時25分

白夜さん、コメントありがとうございます。
私もブルックナーは無念ですが、その変わり得た「至福の二晩」。忘れ得ない思い出となりそうです。

白夜さんのコメントを拝読し、PCの前でまったくもって、頷いております。
先のシュナイダーと同じく、まさに今では尊い欧州の伝統の深さ!
一朝一夕では築き得ない、大人の熟成した音楽でした。
本当に素晴らしい経験ができました。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2009年2月 6日 (金) 23時32分

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