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2009年2月 1日 (日)

シカゴ交響楽団演奏会 ハイティンク指揮 ①

Chicago_so_2009 なんという音楽性、なんという音の威力

このふたつが完璧なまでに調和して、目の前に展開された稀有の体験をすることができた。

こんな音楽体験ができるなんて、東京というところはとてつもなく恐ろしいところだ、と思うとともに、不況感に喘ぐ日本のなかの東京とはいったいどんな都市なのだろうと、怖くなった。

世界から見たら、日本はドイツと並んで今や有力な国なのであろう。
一方、国内は、悲しいまでに寂寞感が溢れている。

こんなことを書いたのは、音楽における夢の実現と、信じることの大切さを思ったから。

ベルナルト・ハイティンクは、クラウディオ・アバドと並んで、私の愛する指揮者の一人であって、1973年頃からレコードを通じてずっと聴いてきた人。
当時、日本の評論家筋は文字取り、けちょんけちょんで、私は、アバドと並んで、あまりに不当な評価に反動して、かえってかたくなまでに応援したものだ。
アムステルダム・コンセルトヘボウとのブラームス、1回目のチャイコフスキー、ワーグナー、シュトラウス、マーラーにブルックナー、ロンドンフィルとのリスト、ハイドン、英国ものなど、いずれも聴いた。
 ハイティンクが評価されだしてからも、ずっと聴いてきた。
ドレスデンとの前回来日で、ブルックナーの8番を聴いて、とてつもない感動を味わった。
そのハイティンクが、着実にステップアップして、世界の最高峰のオーケストラのプリンシパルになった。

今日、ご一緒したIANISさんと痛飲しながら語り、氏から教授いただいたことと、私も大いに同感したこと。
そう、ハイティンクは私生活も含めて、人生を波瀾万丈じっくりと極めてきた・・・・・、その経験が長年に渡って熟成され、ここに人間としても、音楽家としても最高度に人の尊敬に値する高みに達しつつある。
本来コンサート指揮者であった人がオペラ経験もしっかり積むことによっても、その熟成の度合いが強まったはずだ。
 ともかく人間ハイティンクが、オーケストラを動かし、聴衆を感じいらせるようになった。
80歳を超えての、このハイティンクの事実は、音楽を聴くわれわれもしかり、すべての中高年にとって、人生の後半生を生きる心強い糧となるのではなかろうか
 こんなお話を、IANISさんの主導でしながら、おおいに盛り上がったアフターコンサートでした。

       マーラー  交響曲第6番 イ短調

        ベルナルト・ハイティンク指揮 シカゴ交響楽団
                        (2009.2.1 @サントリーホール)

懐も鑑み、最後まで悩んだシカゴSO。
やけくそぎみに、買ってしまった時は、いい席がなく、今回は最前列のA席だから、チェロの真ん前。
ハイティンクの指揮姿は、首を大きく左に向けながらの観劇。
でもこの席、シカゴの誇る低音域が、あまりに手近に、あまりに圧倒的に響く。
チェロ奏者の気迫がリアルに感じられ、その松ヤニがいましも飛んできそうな迫力に満ちていた。
最前列で聴くと、そちらのプルトばかりが分離して聴こえてしまうのが日本オケの常だけれど、シカゴはすごい!!
威力あるチェロは、こんな間近に聴いても音は一体で、一本。
右側からはコントラバスがズンズンとこれも一本の音で迫ってくる。
1楽章の冒頭から、こんな感じで圧倒されっぱなし。
この楽章の最後は、あまりのかっこよさに失禁しそうになってしまった
アイロニカルな2楽章もきわめて音楽的。どこまでも、まじめさが本質の演奏。
耽美的に陥る3楽章アンダンテは、きっちりとどこまでも清潔で高潔。
シカゴの誇る弦セクションが、もう堪らないくらいの歌を奏でる。
とくに第1ヴァイオリンのここぞというときの素晴らしさ。
 そしてですよ、終楽章の圧倒的な音塊の連続とそのピラミッド感。細部が緻密なまでに完璧で、リズムの刻みが100人のメンバーの隅々にまで行き渡って完璧なまでに縦線がそろっている。じわじわと盛り上がりつつ、とてつもないクライマックスを築きあげる。
いったい、どこが最高潮のクライマックスなのだろうか? 
ハイティンクの余力をもった柔らかな指揮を見ながら聴いていると、まだまだ秘力があるような気がする。
最後のはて、苦しげにコンバスと木管低域がうごめく。ここでの音の明確さはあまりに完璧で、むしろ白日の明るささえ漂う。
思いきりの大打撃で、ピチカートとともに、すべてが終結した時、会場にはしばしの間が漂い、静寂が覆った。
でもそこは、さりげないハイティンク。
いったん止めた指揮棒も、ささっとおろして、拍手を待つ。
アバドとルツェルンが、緊張に満ちた静寂を音楽の一部として永くわれわれに共感させたのに対し、ハイティンクはどこまでも普通に指揮棒を降ろした。

あたたかくも熱い拍手に応えて何度も応じるハイティンク。
最後はひとり、まじめそうに聴衆の拍手に出てきた。
謙虚で真面目人間のハイティンク。その生き様が、本日も勝利した日である。

ハイティンクの指揮ぶりを、それこそ手近に観た。
いつものハイティンクらしく、しっかり拍子をとりながら、譜面も確認しながら、目をつぶったりしている。でも、ときおりパっと目を押し開き、各奏者を見つめ、指示する、その眼ぢからの強さ
こうした場面からも、経験とともに人間力の味わいを強めつつある一人の偉大な人間を思わざるを得ない。
ハイティンク、シカゴをムーティに譲ってからも、さらなる高みを目指すかもしれないし、あらたなオーケストラとの出会いや再開をやってのけるかもしれない。

1 アメリカのオーケストラとしてのシカゴ響。
人種的には多国籍化しているものの、その根源はヨーロッパのものであり、そうした存在としてもハイティンクとの相性も強く感じた晩でもありました

アバドとルツェルンを聴いた2006年から3年。
あれ以来封印してしまったマーラーの6番。
今日またハイティンクによって封印の儀とあいなりました・・・・・・。

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コメント

こんばんは。

連日すごいコンサートに行かれてますね。シカゴ響は私も行きたかったのですが、さすがに新潟からでは交通費が大変なので・・・。ブルックナーが聴きたかったのです。

ちなみにシュナイダー&ウィーンのばらの騎士は、まだ中学生だった頃、新潟から出て見に行きました。前奏曲のホルンの吹き上げる感じしか覚えていませんが、それだけでも十分宝になってます。

ハイティンクは90年代ロイヤルオペラのドン・ジョヴァンニを東京で見ました。マイナーなところでは、LDで同じくロイヤルオペラの「イーゴリ公」なんかも買ってしまいましたが、今では見れなくなってしまいました。

膨大な(というほどでもありませんが)LDコレクションを生かすためにも、プレーヤー修理に出そうか迷ってるところです。そもそも直せるのでしょうかね。

2件のコメントありがとうございました!!

投稿: HIROPON | 2009年2月 2日 (月) 00時58分

はじめまして^^
検索でとんできましたm(__)m
あまりに感動的な文面に惹かれコメントしたくなってしまいました(笑)

パワフルかつ緻密な演奏で圧倒されてしまい、終演後しばらく拍手できる状況ではなかったですわ。。。
ハイティンクは80超えには見えない若々しい指揮でしたね♪

ハイティンク&CSOのマーラーの世界にドップリ浸かれた最高の一日でした!

投稿: ケンデ梨 | 2009年2月 2日 (月) 09時40分

こん〇〇は。みなとみらいでの信じられなく美しかった「ジュピター」、艶やかで豊麗な「英雄の生涯」を聴いた翌日に、あの10/13の奇跡と謳われたアバド=ルツェルンの「悲劇的」とはまた違った深い感動、オーケストラ演奏の極致を身体の奥深くに浸みこませる物凄い演奏会でした。
つくづくシカゴのファンでよかった。新潟から一泊二日。追っかけをやった価値はありました。新潟でショルティとバレンボイムを貧粗な県民会館で聴いたときには分からなかったシカゴの音色の美しさも確認できたのも収穫だったと思います。
そして、何よりもハイティンクの人間としての成熟の素晴らしさに感銘を受けました。yokochanさんも書いておられましたが、年齢を重ねることが実は素晴らしいことなんだということを教えてくれたハイティンク感謝する次第です。
広場で『神様』デイル・クレヴェンジャーがにっこり微笑んでくれたのも素敵な体験。一生記録に残る2/1でありました。

投稿: IANIS | 2009年2月 2日 (月) 09時48分

こんばんは。
やっぱり素晴らしいコンサートだったのですね
私は迷いに迷ったあげく断念してしまいました。
マーラーの6番といえば、アバドの伝説の名演奏から、もう2年以上経つのですね。
ハイティンクはまったくアバドとタイプが異なりますが、シカゴ響と組んだアプローチもほんとに聴いてみたかったです。

「また封印します」という一言の重みを感じました。

投稿: romani | 2009年2月 2日 (月) 20時13分

ハイティンクとシカゴ、ちょっと見には決して相性がよさそうには思えないこの組み合わせ。実際は互いの長所を引き立て合う理想的な出会いなのだと感じ入りました。それもこれもハイティンクの人格と手腕あってこそなのでしょう。シカゴ響の威力を損なうことなく、これほどまでのしなやかさ、繊細さ、優しさを引き出すとは。途轍もない燃焼度で戦慄をすら感じさせたアバド=ルツェルンとはまた違った、しかし同じくらいにかけがえのない経験となりました。
昨年のインバル=都響も素晴らしい出来で「これほどのマーラーを聴かせるオケが海外にもそうはなかろう」と思ったものでしたが、このような演奏を耳にしてしまうと正直モノが違うとしか言いようがありません。
諸事情によりブルックナーは泣く泣く諦め、明後日のモーツァルトとR.シュトラウスを聴きに参ります。

投稿: 白夜 | 2009年2月 2日 (月) 20時49分

HIROPONさま、こんばんは。コメントありがとうございます。
出費は甚大ですが、それに見合う感激を味わっております。
ウィーン国立歌劇場のばらの騎士、ご覧になったのですね。
私の初オペラは高校生でしたから、中学生とはまたご立派。
よき思い出ですね。

それと、ハイティンクのドンジョヴァンニ、うらやましい。
モーツァルトのダ・ポンテ三作をもってきたときのものですね。当時は金欠でコンサートはあまりいってませんでした。
DVDのコンパクトぶりからすると、LDは存在感がバッチリです。ちょうど、CDとレコードにも似てます。
直せない場合は、オークションか何かで中古品を購入する手もありますね。
私はCD一本だったのでLDは一枚もなく、何か寂しい気もいたします。

投稿: yokochan | 2009年2月 2日 (月) 21時46分

ケンデ梨さま、はじめまして。
コメントどうもありがとうございます。

かなり酔った状態で書きましたので、支離滅裂で恥ずかしいかぎりです。
好きなアーティストに対する熱い思いをぶつけてしまいました(笑)
それにしても、素晴らしすぎる演奏でしたね。
しばらく拍手できそうにない気持ち、おおいにわかります。
現実にもどりたくない、もっと続いてほしい・・・、そんな気分じゃなかったでしょうか。
ハイティンクにはいつまでも若々しく活躍してもらいたいものです。
 どうもありがとうございました。

投稿: yokochan | 2009年2月 2日 (月) 21時52分

IANISさん、こんばんは。
昨日はどうもありがとうございました。
そして、充実極まりない二日間、お疲れ様でした。

あの奇跡のアバド&ルツェルンを生涯忘れ得ないように、ハイティンク&シカゴも違った次元において忘れ得ない思いでとなりそうです。
>ハイティンクの人間としての成熟の素晴らしさ<
楽員たちのハイティンクを見上げる眼差しに、まさにそんな尊敬と憬れの念を感じとりました。

デイル・クレヴェンジャーとの出会いも、シカゴ狂のIANISさんにとって堪らない出来事でしたね!
 ちなみにわたしは、ルツェルンのとき、ザビーネ・マイアーと楽屋口の狭い階段で出会い、ニッコリされました(笑)


投稿: yokochan | 2009年2月 2日 (月) 22時04分

romaniさん、こんばんは。
わたしもその高額チケットゆえに迷いました。
でも、えいくそ、とばかりにイープラスのサイトでクリックしてしまい、ついでにもう一公演追加してしまいました(笑)
ハイティンク好きゆえの暴挙でしたが、あんなすごいことになるなんて・・・・。
アバドの奇跡とは、別次元の高みに達した、超演でした。シカゴはスゴイです。

そして、またまた封印でございます・・・。

投稿: yokochan | 2009年2月 2日 (月) 22時08分

白夜さま、こんばんは。
またご一緒でしたね!
いやはや、素晴らしい体験でした。

おっしゃるように、アバドの時とはまた違う、高次元の体験でした。
まさに、「ハイティンクの人格と手腕」シカゴのしなやかさと強靭さ、これらが巧みに合体して、演奏という行為を感じさせない世界を築きあげていたようです。

私もブルックナーはあきらめ、シュトラウスにまいります。
またよろしくお願いします。

投稿: yokochan | 2009年2月 2日 (月) 22時13分

最近、海外オケ、全然聴いてない私です。

「最前列でのハイティンク」・・・30年以上前にコンセルトヘボウ管の名古屋公演で、同じ経験をしました。
ずっと顔を上げながら聴いてて、時折、右腕を振り上げると同時に脇の下から客席方向を睨むかのようなハイティンクと「にらめっこ」状態だったです・・・そんなことを思い出し、そして、激しく聴きたくなる気にさせるエントリでした。
(* ̄0 ̄)ノ

投稿: 親父りゅう | 2009年2月 3日 (火) 19時48分

親父りゅうさま、コメントありがとうございました。
激しく、その気にさせてしまい、誠に申し訳ありません。
30年以上前といえば、コンセルトヘボウとの来日ですね。
その頃は、外来オケなんてほとんど行ったことがない私でしたので、むしろ大いにうらやましいです。
マーラー4番や、海を演奏した時でしょうか?
シカゴもいいですけれど、コンセルトヘボウとのコンビで、もう一度聴いてみたいものです。
チケット奮発しすぎてしまい、昼ごはん抜きか、自炊の日々が続いております・・・・。

投稿: yokochan | 2009年2月 4日 (水) 08時54分

マーラーの悲劇的はライブは聴いたことがありません。
CDではクーベリック&バイエルンがベストです。
ショルティの豪快な六番も聴いて見たいですね

投稿: 越後のオックス | 2010年2月 6日 (土) 23時37分

越後のオックスさん、こんばんは。
私の6番のライブは、若杉さん、アバド、ハイティンクと、とんでもなく贅沢をしてしまいました。
こんな凄いのばかり聴いちゃったから、もう何も聴きたくありませんので、封印している曲なんです。
ところが、金聖響くんが、神奈フィルでやってしまうのですよ。
これには悩みます。定期会員だからチケットはあるんですが、全然その気になれません・・・。

ショルティのCDは所有しませんが、何度か聴いたことがあります。かなり快速で、ずばずば切りこんでくる怪演でした。

投稿: yokochan | 2010年2月 7日 (日) 01時23分

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