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2009年3月

2009年3月31日 (火)

バルトーク 「中国の不思議な役人」 ブーレーズ指揮

3 横浜中華街、市場通りの様子。

いまだに、中華街は全貌がつかめない。
というか、それは無理にしても、どこに何があるかわからない。

きっと常に酔っているせいであろうか?
または、人に連れられてきては覚えられないのだろうか?

それが魅力の、不思議なスポットなのである。

Bartok_mandarin こんな誘導的な出だしで始まった本日の曲は、ルトークのバレエ音楽「中国の不思議な役人」なのである。
1919年の作品。
敗戦国であったハンガリー、第一次大戦後間もない頃、こんな激しくも不健全な音楽が書かれたわけだ。
私の好きな「青髭公の城」は、それより以前、1911年、マーラーの亡くなった年の作品で、これら劇音楽はバルトークの前期作品とされる。
後年の緻密な作風より、この頃の原色さながらの響きにみちた音楽の方が私は好きである。

組曲版は20分足らず、全曲版でも30分ちょい。
短いなかにも、強烈な内容の不道徳パントマイムで、今では何ともないかもしれないが、当時はとんでもないとされ、上演はどこでもすぐに打ち切られたらしい。

悪者3人と少女一人。どこを探しても金がない。
じゃあ、ということで、少女に男を誘惑させて金を奪おうとする。2階から見下ろし、誘惑。
最初のカモはうらぶれた老人、老人はギラギラと迫るが金はなく、つまみだされる。
次のカモは、気の弱そうな青年。ウジウジしていたものの、火が着く。でもこれもまた金がなく放り出される。
さて、3番目は、中国の役人。階段を上がってくるが、途中で止まり、なかなか来ない。少女が誘い、部屋に入ってくるが、その無気味な雰囲気に少女も怖くなる。
3人に後押しされ、怪しいダンスで誘うと、役人は飛びついてくる。キモイと少女は逃れ、激しい追いかけっことなり、3人は役人をつかまえ金品をうばい、枕をおしつけ殺す。
しかし、少女を見つめ復活する役人。さらにナイフで3度刺され倒れるが、またもや見詰めつつ起き上がり飛びついてくる。最後に、天井に吊るされ、その姿が怪しくも青白く光る。
怖くなった悪党ども。少女は役人に憐みを覚え、下に降ろし、二人は抱き合う。
すると役人はついにこと切れる。


・・・・・というストーリー。

これは、少女による魂の救済なのだろうか。まるで、「さまよえるオランダ人」みたい。

こんな内容を反映した音楽は、冒頭から激しく荒れまくっている。
不協和音と、過激なリズム、音の衝突、極端なルバート・・・・、劇の内容を忠実に思い起こすのもいいが、それは置いといて、これらの音たちを無心に楽しむことは、ある意味ストレス解消にもなっちゃう。(こんな思いは私だけ?)
とりわけ、中間部の役人との闘争場面はむちゃくちゃ興奮するdash
組曲盤は、ここで激しく終わるが、全曲盤は、まるでペトルーシュカのように怪しくも悲しみに満ちた終結までまだ少しある。
役人が青白く光るとき、アカペラのコーラスが不気味に響いてくる。怖ぁ~。

ブーレースの1回目の録音は、円熟の2度目のものより、荒れ具合がよろしく、切れ味も抜群。ニューヨークフィルの暴れようとソロの抜群のうまさもいい。
指揮者のニコリともしない冷徹な指揮ぶりが目に浮かぶよう。
この曲、私はアバドとLSOも愛聴していて、そちらはクールでかつ哀愁に満ちている。
演奏会では、いずれも組曲版ながら、アバド&LSO、サロネン&N響を聴いたことがあるが、どちらも、そのクライマックスはとてつもなく凄かった。

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2009年3月29日 (日)

プッチーニ 「トゥーランドット」 神奈川県民ホール

Minatimirai 寒い土曜日の午後、横浜でプッチーニ「トゥーランドット」を観劇。
神奈川県民ホール・びわ湖ホール・二期会・日本オペラ連盟の共同制作。
クラシック音楽を取り巻く厳しい環境のなか、エリアを跨ぐ複数の団体による共同制作事業は、表面的な経費の分担という効果以上に、複数公演による上演の精度アップと演奏力のアップ、そして何よりもオペラファンの開拓につながるものとして、大いに評価したい。
昨年は、ホモキの見事な演出により「ばらの騎士」を観た。
ベルリンの聴衆が観たのと同じ上演がいながらにして楽しめたのだ。
あれから、もう一年経ってしまった。年々時間の経過が早く感じるようになってきた。
そしてそれはそのまま歳を重ねていることで、充足感よりは、焦りを感じてしまう・・・・、あらーわたし何を言ってんだろ。
こんな思いは、昨年の「ばらの騎士」にこそ相応しく、マルシャリンは過去を断ち切って今ある未来に駆け出していったものだったなぁthink
こんな鮮やかな記憶に残る舞台を今年のプロジェクトでは味わえるだろうか・・・・。
結果は、オケと歌は最高。舞台はやや消化不良、といったところ。

    トゥーランドット:横山 恵子   皇帝 :近藤 政伸  
 
   カラフ :水口 聡        リュー :木下 美穂子     
    ティムール:志村 文彦     ピン  :晴 雅彦
    パン  :大野 光彦       ポン  :大槻 孝志
    役人   :与那城 敬


   沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
              二期会合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
              赤い靴ジュニアコーラス
   演出:粟國 淳
                      (3.28@神奈川県民ホール)

Turandot 舞台は、演出家粟國氏も書いているとおり、時代設定不詳。
映画のひと場面のような、近未来の生産工場でスタートする。
巨大な機械に大きな歯車が回り、労働者たちは無理じいされているし、しかも動きがきわめて機械的。大気は汚染され濁っている。
機械的といえば、体制側の見張り役、役人たち。無機的で足が先に出て妙な歩き方。
最初は、へぇ~っと思ったけれど、これが出てくるたびに、興がそがれることになった。
でも幕間で、山下公園を散歩したけど、歩き方を真似しちゃったりする自分に自嘲・・・。
民衆は、まるで人民服のようなカーキ色のズボンの上下。
そしてその動きは集団的だがまったく生気なく、さっぱり気勢があがらない。
でもこの群衆が、物語の進行と展開とともに変貌していく。
最初は完全に意志をもてず体制のなすがまま。やがて、カラフの登場とともに、その姿に解放者を見てとりカラフが銅鑼に突進するのを後押しするかのよう。
トゥーランドットとカラフのクイズ合戦では一喜一憂し、姫様や役人にたしなめられてしまったり。
そしてクライマックスのカラフの名前探しには、冷酷で容赦のない顔のない群衆になってしまう。でもリュウの亡き骸を悲しみに包まれ運びさるのは、群衆の中から現れた数名だし、合唱は悲しみに打ちひしがれている・・・・。
とってつけたような最後のエンディングでは、当然に輝かしく人間的な表情や所作を取り戻していた群衆。
いやはや、いつの世もわれわれ群衆とは恐ろしくも力強いものなんだ。
そんなことを痛感させてくれた演出ではあった。
粟國氏の師匠筋は、ブロクハウス。この人は、昨年の新国のトゥーランドットを演出した。
私はこの新国演出がとても気にいっていて、プッチーニの絶筆部分を逆手にとり、見事、劇中劇として読み替えてしまった。そしてその演出でも巧みだったのは、集団=群衆の動かし方だった。

こうした圧政下にある民衆に、威丈高の支配階級たち。
お触れを出す役人は、ズボンは履いていたけどレイザーラモンHGのようなゲイ風のマッチョ軍団。そして件のロボットもどきの連中。
皇女付きの女官たちも冷たく偉そう。
クイズに出てきた頭でっかちの宇宙人のような賢人3人。こいつらは、質疑にたいする答えをスルスルと巻物で出してみせて、正解ですといわんばかりに舞台から去る。
思わず笑いそうになった。感情や意志のない生活の象徴なのだろうか。
やっかいなのは、ピン・パン・ポンの三人組。
イタリア演劇がかつての昔より培ってきたコメディアの世界。悲劇の中にも仮面を付けた喜劇役者がいて重要な狂言回しを担う。
プッチーニが晩年の作品に中国を舞台にしつつも登場させた仮面トリオ。
新国ブロクハウス演出でも、パントマイムの連中を三人組に絡ませていたが、粟國演出でも昆虫のようななりをした女性ダンサーたちが常にまとわりついている。
三人の色が、赤・紫・緑をどこかにあしらっていて、影のようなダンサーちゃんも同じ色を付けててちょろちょろしているんだ。
これ何気に鬱陶しかったが、三人が故郷を思いノスタルジーに浸るところでは、追い返されていたから、彼女らは仮面の役割をしていたのではと。
でも3幕ではほとんど出てこなかったから、不徹底なのか、それともピン・パン・ポンは仮面なしの本質が3幕だったのか・・・・。
 そんな冷たい上流支配階級のなかで、よぼよぼ皇帝は、いい人でいい味出している。
だからよけいに、皇女トゥーランドットの冷酷な圧政ぶりが浮き彫りになるというもの。
1幕の舞台奥、半導体の基盤のようなモザイクがあるメタルチックな壁の窓が開き、まばゆい光の中に美しいトゥーランドットが現れ、死刑の執行を命じる。
白いまばゆい衣装にキラキラ光る宝飾。どこからどこまでも、われわれがイメージするトゥーランドットそのもの。
2幕の超絶アリアを歌う場面でも同じ衣装で、冷凛とかつ神々しくもとりつくしまのない雰囲気が完璧なまでに醸し出される。
3幕、リューいじめの場面では、紫の柄の衣装で登場。白から少し染まってきたのかしら。
カラフの口づけを受けてしまったトゥーランドット。並みいる群衆・役人・老皇帝の前に出てきたときは、オレンジ色の明るい服で登場。
身も心も春色に染まり、明るく新しい一歩を踏み出した。
カラフと手をとりつつ、全員の称賛と祝福のなか舞台奥が開けて白い雲が浮かぶ青空が現れたsun ここで初めて美しい空が開けた。大気汚染もない。


 対する、ティムール国の3人は、砂漠を抜けてきたかのような民族衣装で、この方々だけが異質。まさに解放者たる異端者ぶりにうかがえた。

ブロクハウスが苦心した、リュー亡きあとの場面。
アルファーノ補筆の場面から、プッチーニの書いた最高傑作に対比し、霊感不足はあまりに否めない。モーツァルトのレクイエムにも匹敵するその落差。
粟國氏は、リューの死のあと紗幕をおろして、一旦舞台を暗くしてしまった。
これは極めて嬉しくも妥当な配慮ではないだろうか。
惜しむらくは、パラパラと拍手が起きてしまったこと。
それと、紗幕ごしに歌われるトゥーランドットとカラフのぼんやりとした場面。
なにもない背景の中に浮かび上がるその二人だけど、音楽の力が不足するのと、リューが死んで間もないのに、現金なカラフ王子。あまえはいったい・・・・、という気分になる。
粟國氏は、過去の栄光・権力志向がカラフにありとしているらしい。
いずれにしても、この最終場はどんなことしても落としどころが難しい場面だ。
最後の青空を見ても、私の気分はいまいち晴れない。
秀逸なアイデアだった、先の新国の幕切れも、同じように晴れなかった。

この作品、大傑作だけど、舞台は本当に難しい。
プッチーニが語ったとされる、幕切れは「トリスタンとイゾルデ」のように・・・、口づけによる愛の目覚めで、楽天的に解決するのもひと手。
でも、愛の苦しみと別れ、死による浄化もトリスタンの真髄。
こうした厳しいシーンには背を向けてしまった。
リューの死も自決というよりは、自ら飛び込み、役人軍団に殺られてしまった感じで、劇性が薄かったかも。

今の日本を代表する歌手の皆さんが悪かろうはずがない。
二人の女性、横山さんと木下さん。彼女たちがまず最高。
どちらかというと、ワーグナーとシュトラウスのタイトルロールをこれまでずっと聴いてきた横山さん。イタリアものは初めて。力強さは充分だけど、あたたかく女性的なふくよかさも持ち合わせたすばらしい声。ヘレナ、アリアドネ、ブリュンヒルデと聴いてきたけれど、このトゥーランドットが一番よかった。すこしスリムになって、女性的なトゥーランドットを見事に歌い演じていたものと思う。
 それと拍手の一番多かった木下さん。人気歌手であります。
そしてその人気のとおり、涙さそう素摘なリュー。ほんとうは、新国の浜田さんのほうが、はかなげでよかったけれど、さすがの名唱。
ダブルの高橋さんがファンなだけにこちらも聴いてみたかった。
 カラフの水口さん。バリトン出身なだけに、低域を豊かに響かせつつ高音をエィッと張り上げるドラマテックぶりは聴いていて嬉しい。でもつねに一皮かぶったような声に・・・。
この方、昨年「グレの歌」を聴いたけれど、ドイツもののほうがいいような気がする。
あと皇帝の近藤さんが明晰な歌声だったし、私が大注目のHG与那城さんもインパクトありすぎ。ピン・パン・ポンの三人、お馴染みの二期会トリオ、文句なしだけど、演出ゆえに中途半端な存在に感じ、そして終わってしまった。
ティムール爺さんの志村さんも、このところいろんなところで聴いているし、いい声だった。
でも少し若すぎか・・・。

日頃聴き慣れた神奈川フィルは、やはりプッチーニにあったスリムでキラめいた音を聞かせてくれる。私は何度もオケの音に耳を澄まし、そしてオペラへのこのオケの適性に感心することしきりであった。歌心をシュナイトさんや現田さんに徹底して仕込まれた賜物!!!
歌と劇の感どころを的確にとらえた沼尻さん。
昨年にも増してオケがドラマを語るように、ピットから素晴らしい響きを引き出していたのではないだろうか。
幕が降りたら、オケの皆さんはそそくさとピットをあとにする。
ということは、と思っていたら、舞台に全員勢ぞろい。
石田氏を除いて、今日は首席級も勢ぞろい。おなじみの面々が舞台上で、喜々としている姿は、こっちまでうれしくなってしまい大拍手を送ったものだ。

今日の涙一滴の場面は・・・・。
なんといっても、リューの「氷のような姫君の心も・・」。涙さそう音楽に、高潔で愛すべき自己犠牲の場面。そして死後のティムール爺さんの嘆きぶり。
 それと、意外に、2幕の姫君の不感症女の大アリア。血が通ってました横山さん。

馴染みある苗字に、下のお名前。我が家にも字は違えど、鎮座しておりますです。
ははぁっー-~。毎度、いや永遠に頭があがりませぬ。
謎かけに、いや命令にそむこうがものなら、即、お酒召し上げのお仕置きが・・・・crying

Silver_whisper1 山下公園から、大桟橋に停泊中の豪華客船「シルバー・ウィスパー」をパシャリと撮影。
ともかくデカイ、美しい、バブリシャス。
幕が引けて、大桟橋までいって観察。
お金持ちがデッキでシャンパンのんだり、マダムがすんげぇドレスきてこれ見よがしに電話をしていたり・・・。
それを見るわれわれと、あえて見られるお金持ち。

Wakiya 会場にありましたよ。
中華の鉄人、脇屋さんの生花。
まさに、「トゥーランドット」にございます。

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2009年3月26日 (木)

「カリーネ・ババジャニアン プッチーニ・アリア集」

Zojyoji_sakura一気にほころんだ桜も、ここ数日、寒さが戻って開花は足踏み状態。
この方が、長くもって楽しめるというもの。

こちらは、芝増上寺の桜。
結構咲いてます。
青空だともっと映えてきれいだけど・・・。

桜を落ち着いて、心から楽しんだことが、ここ数年ない。いつも、公私ともに切迫していて、桜を愛でる心のゆとりがないんだ。今年こそは。。。なんて思ってると散ってしまうんだな・・・。

Babajaniyan 今日は愛するプッチーニを聴きます。
歌うは、アルメニア出身のカリーネ・ババジャニアン
名前がなかなかにインパクトあるものだから、そのエキゾチックな美しい容姿とともに、一度その舞台に接しただけで、忘れ得ない存在となったソプラノなんだ。
1月の新国立劇場での「蝶々夫人」で味わった、素敵な彼女の歌と演技。
声はどちらかというと大人しく、内省的な歌を心がけていたが、その演技の細やかでかつ、日本人的な所作の堂にいったさま。
その彼女が、演技の伴わないCDを出した。それも得意のプッチーニのアリア集で。
しかもメジャーEMIからデビューなのだ。
ただし、録音は2007年9月だから、正確には現在の彼女の姿(声)を反映したものではないけれど。
 でも、私はこのCDを聴いて、誠実でまじりけのないピュアな歌唱が、とっても気に入ってしまった。

 「蝶々夫人」~「ある晴れた日」「愛の二重唱」「愛しい坊や」
 「ラ・ボエーム」~「私の名はミミ」「あなたの愛の呼ぶ声に」
 「トスカ」~「歌に生き愛に生き」
 「マノン・レスコー」~「この柔らかなレースの中で」「二重唱」「ひとり寂しく」
 「修道女アンジェリカ」~「母もなく」
 「トゥーランドット」~「お聴きください」「氷のような姫君の心も」「誰も寝てはならぬ」

       S:カリーネ・ババジャニアン
          T:ジュゼッペ・ジャコミーニ

   ピエール・ジョルジョ・モランディ指揮 ブタペスト交響楽団

アリアだけでなく、二重唱までも含んだなかなかの企画。
こうしてまとめて聴いてみると、先に書いた誠実さは、知的な考え抜かれた歌唱の上に成り立っているものと痛感。その分、情熱や熱き思いのほとばしりは少ないけれど、たたでさえよく書かれたプッチーニの音楽が今ここに生れたばかりのような新鮮さでもって聴こえてくる。言葉のディクションも完璧。
有名・大ソプラノたちによって歌われた歌唱を、いやというほど聴いてきた私の耳に、ババジャニアンの真摯な歌唱は、じわじわと抑えた感情でもって迫ってきて、アンジェリカのアリアでもって、完全に虜とされてしまった。
そのあとのリューの涙さそうアリアもそう。これはいけない、曲の配列が素晴らしすぎる。
 蝶々夫人は、一番歌が身についている感じだが、意外なほど淡泊であっさりしている。
次ぐミミも同じ印象で、いずれも楚々とした清冽な歌という印象が勝る。
トスカは、心の底からじっくりと歌いあげた充実感があって素晴らしいし、マノンも同様。
一曲、一曲、誠意とともに血が通ったあたたかさを思う。

でも、この素敵なババジャニアンのアリア集に、どうしたものか盛期を過ぎたジャコミーニが登場しなくてはならなかったのだろうか。
しかも、最後のトリに「誰も寝てはならぬ」が配置されていて、清々しく聴いてきたババジャニアンの歌声が少しかすんでしまう。
実は、ここでのジャコミーニはすんばらしいんだ。歳を忘れさせる往年の輝かしさがある。
が、しかし、ピンカートンとデ・グリューはまっくもっていただけない。
鈍重で疲労困憊。ピチピチしたババジャニアンに比べ、疲れきったタンホイザーのようだ。
普段明るく、爆発的なブタペストのオーケストラまで、そんな風に聞こえてしまう。

これが唯一の不満だが、ババジャニアン、大いに気にいりましたぞ。
モーツァルトやヴェルディを聴いてみたい。そしてシュトラウスもいいかも。
新国も、こうした人をしっかりレギュラー陣として押さえればいいのに。

※新国といえば、若杉さんは依然体調不良で、「ムツェンスク・・」の指揮を降板してしまいました。来シーズンの「ヴォツェック」「影のない女」もどうなるだろうか・・・。
若杉さん、心配でならない。

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2009年3月25日 (水)

ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レングラード」 バーンスタイン指揮

Goroukou 以前だけど、仕事で水戸を車で走っているときに見つけた「黄門さま」。
御老公、お風呂入っちゃってる。
なんで、お銀ちゃんじゃないんだ。

でも、お銀だったら、ここは公道に面してるから事故が絶えなくなっちまうし、じーさんでよかった。

なんのこっちゃ?

この黄門さんは、西村晃に似ている。
黄門さんも、その前の東野英治朗、後の佐野浅夫、石坂浩司、里見浩太郎と続いてる。長寿番組の代表ですな。お銀ちゃんは58歳だって!

Shostakovich_sym7_bernstein

しばらくぶりのショスタコーヴィチ(1906~1975)交響曲シリーズ
本日は大作第7番「レニングラード」。

水戸黄門じゃなけれど、闘いをテーマに重苦しさから、最後は歓喜の凱旋勝利に終わる、見え透いた偉大なるワンパターン的音楽。
でも、わかっちゃいるけどこれにはまってしまうのよね。すっかり乗せられてしまって、いろいろと起きるけど、最後はとてもいい気分。
それも、ショスタコーヴィチの音楽を楽しむひとつのあり方だと思う。
音楽の裏に秘められた謎めいた暗示や思いは横へ置いといて、素直にその素晴らしい音楽に耳を傾けるにかぎる。

独ソ戦勃発によるレニングラード包囲に触発され、かつ前作6番が芳しい評価を得られなかったこともあって、ショスタコーヴィチは、愛する生まれ故郷レニングラードのために大交響曲を作曲するにいたった。
戦争交響曲と呼ばれる所以。
当初自ら、各楽章に付けた表題が、Ⅰ(戦争)、Ⅱ(回想)、Ⅲ(祖国の大地)、Ⅳ(勝利)というものであったが、まさにそんな表題に相応しい大交響曲。
もっとも有名で、かつ一度聴いたら忘れられない第1楽章の中間部に現れる「戦争の主題」。まるで、ラヴェルのボレロのような単一主題のオスティナート風繰り返し。
太鼓の上に、いろいろな楽器で繰り返しつつ、そして徐々に力を増して全オーケストラのトゥッティになり、別動隊バンダも加わり、ものすごい興奮状態を巻き起こす。
だがしかし、そのピークに至って、この楽章の冒頭にハ長調で晴れやかに歌われる「人間の主題」が、今度は大いなるカタルシスのようにハ短調で猛烈に響く!
ここまでの巨大な展開を聴いて、心動かされない人はいないのでは。
醒めた耳で聴いてしまうと、かえってしらけてしまうものだが、私の場合、こうした音楽に、まだまだ大丈夫だ。
そのあと、妙に澄み切った心境のようになり、回想しつつこの長い楽章を終わるわけだが、その展開は5番にそっくり。
ちなみに、戦争の主題がヒトラーの愛した「メリーウィドー」のダニロの歌に似ているのは、承知の有名なお話。油断もスキもないショスタコなんだ。
 たのしき思い出をゆったりと思い起こすかのようで、悲哀に満ちた一筋縄ではいかない第2楽章は、これもまたショスタコーヴィチの別の顔。
 コラールのようで、祈りにも溢れた第3楽章は深い。ロシアの大地を思わせる。
そして中間部以降は、音に力を増し強烈なクライマックスを築くが、そのあとの抒情的なビオラの歌に導かれ、再度深い祈りの歌が始まる。
そしてそのままアタッカでもって、終楽章に引き継がれる。
低弦がうごめくなか、いずれ来る勝利を思わせる印象的な旋律が徐々に姿をあらわす。
いろんなイメージの旋律が錯綜するなか、じわじわと雰囲気が高まり、勝利のファンファーレが準備され組成されていく。
そしてついに、冒頭の人間の主題が強大に奏でられ、圧倒的なクライマックスを築いて、毎度おなじみのティンパニ数基による連打でもって大団円を迎える!

例の、ヴォルコフの証言では、ヒトラーによって完結されてしまったスターリンの暴虐をテーマにしていて、私の作品は墓碑であるとした。
真偽は毎度不明ながら、その内容に一理あることは認めつつも、7番の本来持つ、反戦・平和・勝利、という基本モティーフは変わりなくこの曲に流れているものだと思うがいかに。

連合国側でも大評判となったこの曲、米国初演を競い合って、それを勝ち取ったのはトスカニーニ。音源にもなってる。
最近では、各地で二つのオーケストラの合同演奏の形で取り上げているゲルギエフが、独自のメッセージ性をもっている。
さらに純音楽的な解釈で聴かせるのが、ハイティンクやヤンソンス。
 そこへゆくとバーンスタインは、まるでマーラーを指揮するかのように巨大な演奏をしていて、好悪が別れるかもしれない。
ニューヨーク盤は、部分的にしか聴いたことがないが、かなりストレートで直情的な演奏だった。DG時代、シカゴ響とライブ録音した今夜の演奏は、重々しい展開の中に、誰にも真似のできないような情熱を注ぎこんだもので、晩年レニーが希求してやまなかった平和への思いが圧倒的に迫ってくる。
テンポは、他盤と比べると、かなり遅く、弛緩したイメージも与えかねないが、私はマーラーほどの違和感を昨今感じなくなった。そしてレニー、かなり唸ってます。
当然、オーケストラホールのデッドな響きに聴く、シカゴの凄まじい破壊力にも降参。

 7番は、前述の演奏などや、重厚なロシアン演奏なども含め、多様な解釈を許容する面白い作品だと思うが、聴き過ぎ注意だimpact

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2009年3月23日 (月)

スクリャービン ピアノ協奏曲 ウゴルフスキ&ブーレーズ、そして札幌

Scriabin_boulezスクリャービン(1872~1915)はピアニストでもあって、大変な名手だったらしい。
そのピアノ作品や交響曲に聴く作風の変化にも、シェーンベルクやストラヴィンスキーにも負けないくらいに驚く。
後年の神秘主義的な怪しいムードに比べて、前期のメロディアスでロマンテックな作風は、後期ロマン派色満載で、私は結構好き。
このピアノ協奏曲は、2度目の記事だけど、アシュケナージ盤が出た昔から聴いてきた好きな曲。
どこからどこまでもショパンのような詩情に溢れた懐古調の協奏曲。
憂愁に満ちた1楽章は、胸焦がすような青春サウンドだ。こちらはラフマニノフにも近いが、第2主題などはもろショパン。
緩徐楽章も、まさにショパンの2楽章そのもの。変奏曲形式で、中間部のピアノの鮮やかさといったらない。
そこまでやることはないだろう的な、3楽章。何がそこまでかって?
ショパン似ですよ。こちらは自己陶酔的な様相を帯びているし、民族色もある。
ロマンティックな音楽が好きな方、是非にも聴いてみてください。
 ブーレーズがどんな顔してこの曲を振っているのかわからないけれど、結構まっとうにやってるし、ウゴルスキはもう、そちら系の名手だから、このCD全然問題ない。
でもなんで、シカゴなんだ?

 過去記事 「オピッツ&キタエンコ」

Satsu_eki 函館から、昼過ぎに札幌駅に降り立つ。
どこかで、パソコンを借りて、少し仕事の整理をしたい。
でもその前に腹ごしらえだ。
ラーメンだ。

Ichiryuan 駅近くであれば、ホクレンビル地下の「一粒庵」。
地産地消で素材を道内産にこだわった店で、今人気。
2時近いのに行列。
食べたのは、「元気の出る味噌ラーメン」。
納豆かと思ったら、行者にんにくとチャーシューを卵で炒ってあるものがトッピング。
そして、濃厚な味噌がめちゃくちゃうまい。

Sapppro_tv 大通り公園をちょいと撮影。

Kitara1

夜は、いよいよ札幌コンサートホール「キタラ」へ。
地下鉄の駅から、中島公園を抜けて歩く。
圧雪の上を、地下鉄で同時に降りた方々と一列になってザクザクと雪を踏みしめて行進する。遠く、キタラの照明が見えてきて、期待がいやでも高まるというものだ。

Uni コンサートのあとは、すすきのへ侵攻。
お馴染みのお寿司やさん「すし万」で、おいしくいただく。
ウニをスプーンですくって食べる。
そして酒を飲む。

Kani

「かに」ごございます。

大将、今回もご馳走さまでした。
また食べたいっす。

Tobo_tobo

疲れもあったのか、そこそこ酔ってしまった。
トボトボと、雪に足後を付けながらホテルに戻る。
記憶が曖昧。
悲しいことに、アル中ハイマーは進行しているのだろうか。

Chitose

次の日の朝、千歳空港を飛び立つ前に・・・。
さすがに食べれませんや。
撮影のみのラーメン大会。

Ana2 さらば北海道。
苫小牧あたりか。
また来るぞ~。
札響に合わせて。
それと、今年のPMFは、MMTがマーラーを振るんだ。これは注目。

Ana 機内の様子。
あれ?
また飲んでる。
3月で切れてしまう、アップグレードを利用して、贅沢にもプレミアクラスに搭乗。
軽食と飲み物は飲み放題。
シャンパンを午前中から飲んじゃった。

明日からまた日常へ。

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2009年3月22日 (日)

シベリウス 交響詩「大洋の女神」、「ルオンノタール」 ヤルヴィ指揮、そして函館

Sibelius_jarvi_dg シュナイト&札幌交響楽団の定期演奏会は、1年前から狙っていて、チケットも押えてありました。だがしかし、旅費+宿泊費は高いし、行けば行ったで、飲み食いをしてしまう私のサガ。
公私ともに忙しいし、音楽会も行き過ぎだし・・・・。
やっぱり、諦めよう。。。。と決心した矢先に、あまりに素晴らしいタイミングで仕事の依頼が飛び込んできた!
「やったぁ~、やったぁ~・・・」と、某アニメ・映画のように小躍りしたワタクシの姿をご想像ください。
仕事は、函館だったけれど、ぎりぎり伸ばして演奏会前日に予定を入れ、本来なら日帰りすべきを宿泊して札幌入りすることになりました。
ですから、函館の夕方からは、完全にプライベート。札幌の晩だけ少しお付き合い。
午前中の便で、東京に戻りお仕事お仕事・・・・。
疲れたけれど、大満足の旅でございました。

日曜の昼に、北の大自然を思い起こしつつ、シベリウスを聴きます。
青森も独特の北国のムードを持っているけれど、海峡を渡って函館に入ると、北海道独特の空気と雰囲気に満ちている。
森と湖がそうだし、海も果てしなく広がっている。

交響曲の楽章のひとつのような「大洋の女神」はとても幻想的な交響詩で、深淵な「タピオラ」にも似た壮絶で厳しいムードと波の刻みを思わせるリズム感に溢れた桂作。
一方、「ルオンノタール」は、ソプラノを伴った音詩で、毎度おなじみの「カレワラ」からその題材を得ている。大気の精ルオンノタールが波間を漂う様子が歌われる。
どちらも、交響曲でいえば、4番と5番の間ぐらいの作品。
ヤルヴィエーテボリ響のすこし鄙びた演奏にイソコフスキのソプラノの怜悧な空気を思わせる歌声がいい。

Onuma 函館では車だったので、時間の合間に隙をみて寄り道。
こちらは、大沼。
まだ凍ってる。
こんな荒涼とした風景がシベリウスの音楽を私に呼び起こす。

Luckey_piero1 朝5時半に家を出たものだから、朝食は函館で。
市内で知らない人のいない、ハンバーガー屋さん「ラッキーピエロ」に。
ここは、マジすごい。
まずは、店装が市内14店舗、すべて違う。
それも、ボッティチェッリだったり、クリムト(!)だったり、ミューシャ、アールヌーボー、アーリーアメリカン、プレスリー、サーカス、クリスマス・・・・、もうLuckey_piero3_christmas2_2 涙が出るくらいに凝りまくりの内装なんだ。
私は午前中に行ったのは、北斗市(旧上磯)にある、ミューシャの店。
全部をお見せできなのが残念だけど、もうスゴイです。
私はどこにいるんだろう?的な感覚。この店は、ハンバーガー主体のレストランでメニューは、なんでもあり。


Luckey_piero3_christmas_3 夜は、一杯飲んだあと、クリスマス一色の十字街銀座店へ。
12時30分まで営業してる。
アルコールがないから、雰囲気が保たれるのかもしれない。
クリスマス好きの私としては、ここで飲みたかった・・・。

今回、クリムト店に行けなかったのが残念。

Luckey_piero2 で、そのバーガーがこちら。
ユニークなバーガーがたくさんあって悩んでしまうが、定番の「チャイニーズ・チキンバーガー」を。
甘辛く味付けされから揚げチキンがぎっしり。ともかくデカイ。これで、@350円。そして超うまい。
1個で腹一杯。

今回2店で、テイクアウトして、ホテルの冷蔵庫に入れて置き、飛行機に一緒に乗って自宅で食べちゃった。
かつて、道外の唯一の「ラッキーピエロ」が、どういう訳か私の住む千葉にあった。
一度行ったきりで、いつのまにか閉店・・・。
函館に行かれる方は、是非にも訪問くださいね。こちらで楽しんでみて。

Hasesto2

なんか、ブログの方向が違ってきたぞ。
お昼には、これまた函館の名物。
ハセガワストアの「やきとり弁当」である。
道南地方にあるコンビニ大のスーパーで、お弁当が大充実。
中央にある厨房で、この名物の注文を受け、その場で焼いて作ってくれる。
ワイン仕込みのタレ、塩、うま辛とある。
やきとりでなく、豚なんです。これがまた、チョーうまいのです。
車を止めて、海を見ながら、こいつにがぶり付くのです。こちらがハセスト

Ika_sashi そして、晩からは、フリーの立場になり、居酒屋へ急行!
そうです、活イカです。
ヒクヒク動いてます。そのつぶらな瞳がこちらを見つめてます。
でも気にせずに食べるであります。
コリコリ、あま~い。

Hakadate_don

そして、翌朝は、朝も早よから、市場へ向かい、どんぶり横丁で!
もう何も書きませんね。
どうぞ、ご覧になってくんなさいまし。

Motomachi 夕闇せまる、元町界隈の教会群。
こちらは、カトリック協会。
あいにく時間で堂内には入れなかった。
十数年前、親父が死んだとき、中に入ったことがある。
誰もいない、静寂の教会で涙したものだ。。。。

Hakodate_dog

早朝、丼まえの散策。
誰もいない倉庫群。キリっとした空気が気持ちいい。
正面の函館山には、雪が少し。

Hakodate_bay 函館港から、函館山を。
有名な八幡坂や、教会の尖塔も見える。

Hakodate_bay_masyu 青函連絡船「摩周丸」
中学1年のときに、初めて乗って足を踏み入れた北海道。
演歌の世界であります。
今は、記念館。

Hakadate_st

さぁ、函館本線に乗って、札幌に。
連休もあって、スーパー北斗は満席。
通常の北斗で我慢。

函館は、仕事でとても縁があって、これまで何度来たかわからない。日帰りで、帰りに寿司食べて、おみやにして持ち帰ったこともある。
たいてい、車を借りて走るので、たいたい覚えちゃったから、とても愛着がある街だ。
旅のお勧めは、少し余裕があれば、新幹線か飛行機で青森の八戸に入り、そこから車で奥入瀬か恐山を訪問し、頑張って青森まで行って一泊。
そこで、おいしい寿司を食べて、翌朝、電車で函館へ。函館観光をして翌日飛行機で帰るか、洞爺湖か、登別に一泊ないしは、札幌を楽しむか・・・。
旅行のコーディネイトはこうでねーとね。

札幌はまた次稿にて。

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2009年3月21日 (土)

札幌交響楽団定期演奏会 シュナイト指揮

Sso20093 「ワタシは、ハマッ子!」のシュナイト翁が、「サッポロっ子」になった。
「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」、かつて、ビールのCMにあったけど、緯度を同じくするこの街で、シュナイトさんは、普段、横浜で見るより、なまら元気そうだったっしょ(北海道弁っ)。
気候風土が、体に合うのだろうか。
そんなわれらがシュナイト爺、終始ニコニコとご機嫌。昨年の仙台客演は、心強い相棒、石田氏を連れていったが、今回札幌には単身乗り込んだ。
シュナイト師のわかりにくい指揮とテンボに、そのすべてを理解し、オーケストラをリードしていく石田氏の不在もあってか、かなり細かい指示を出し、オケメンバーを優しく、時には厳しく見つめながらの指揮だった。
スリムで華奢だけど、キラキラした音色の神奈川フィルに南ドイツ風のあたたかな響きを持ち込んだシュナイト師。
重厚でかつクールな札響にどんな作用をもたらすか。


     ブラームス    ヴァイオリン協奏曲
             Vn:神尾 真由子

     パガニーニ   カプリース第13番(アンコール)

           ベートーヴェン  交響曲第6番「田園」

       ハンス=マルティン・シュナイト指揮 札幌交響楽団

                  (3.20@札幌コンサートホールKitara   

シュナイト師お得意の曲ばかり。
いずれも横浜で聴いた演目で、ことに田園は忘れがたい名演だった。

背中の大きくあいた素敵なドレスで登場の神尾嬢。
ゆったりと始まるブラームス。オーケストラとちょっと呼吸が合わない。
でも加速とともに徐々に音が落ち着きはじめ、神尾嬢登場の場を見事に築きあげてゆく。
始めて聴く神尾さん。もっとバリバリと弾くかと思ったら、意外なほどしっかり・じっくりの内省的なヴァイオリン。シュナイト師の作り出す音楽に全面的に包み込まれたヴァイオリンで、ゆったりとした中にふっくらした暖かなブラームスだった。
こんな演奏だから、2楽章が最高に美しい。
艶やかで、完璧なまでのヴァイオリンは、少しも技巧が勝っているようには感じず、若々しい清々しさがとてもうれしい。
ちょっと歌い過ぎてしまったオーボエ氏。シュナイト師にずいぶんと抑えられていて、見ていて微笑ましかった。
走ることなく、これもじっくりと盛り上げていった3楽章。
丁々発止のソロとオーケストラのやり取りを聴きたかった向きには、欲求不満だったかもしれない。シュナイト師の音楽は、協奏曲といえどもソロも含めて、大きく包み込んでしまう暖かな包容力とまろやかな優しさに満ちているのだ。
 アンコールのパガニーニ、超絶技巧の曲を難なくすいすいと弾いてしまう神尾嬢。
協奏曲とはまた違う顔だった。

休憩後の「田園」
のどかな田園風景が、まさに展開され、私の思いは昨年3月の神奈川県立音楽堂の演奏会へ。
あのときより、テンポが伸びている感じ。
オケがちょっと窮屈そうだけど、キタラの美しい残響が、私を桃源郷にいざなってくれる。
ほんとうに心から和み、優しい気持ちになれる1楽章。
北海道の大自然をいやでも思い描いてしまう2楽章。春から初夏にかけてのたおやかな北の自然の機微。札響の木管と弦の美しいブレンドにいつまでも浸っていたかった。
一転、にこやかにリズミカルに指揮を始めた3楽章は、まさにおおらかな農民ダンス。
不協和音が、少しも刺激的にならない嵐の場面はじっくりとしたもの。
そして嵐のあとの感謝の音楽は、文字通り感謝と喜びに満ちたあまりにも感動的な歌に溢れていた。
日頃の殺伐とした気持ちを、おおらかに解放してくれるような自愛と慈しみ溢れる演奏に、私はシュナイト師の音楽を聴くいつものように、涙ぐんでしまった。
オーケストラも心の底から歌っているのがよくわかる。
自発性に溢れた、なんて素晴らしいオーケストラなんだろうか。
そして、最後の主題を回顧する場面。
1年前に涙したあの感動的な場面がまた再現された。
シュナイト師は、指揮棒を置き、両手を合わせ祈るように指揮をする。
最弱音で、テンポも落として、デリケートに心震わせるように歌う。
まさに祈りの音楽。
シュナイト師の音楽の根底にある「歌と祈り」。
田園も祈りの音楽なのだ。
かつて、デッカから出ていたイッセルシュテットの田園のジャケットがミレーの晩鐘だった。
今宵の田園は、どこからか教会の鐘が聴こえてくるような祈りと感謝の音楽だった。
音楽が鳴りやんで、いつものように指揮を止めたまま、楽員もまんじりともしない。
ホールに静寂が支配すること数秒・・・・・。
約50分間の奇跡の田園がまたもや聴けたことに、わたくしも感謝。

札幌の皆さんも驚かれたのではないでしょうか。
おどけた様子を見せるご満悦のシュナイト師。
隣の女性が、チャ-ミングなおじさんと評しておりました。

Kitara3 仕事がらみで、ありがたくも聴くことが出来た素晴らしいコンサート。
神奈川から登場の、毎度お世話になっております神奈川フィルを応援するメンバーのお一人スリーパーさんとも会場でお会いし、シュナイトマジックを語り合いました。

終演後、わたくしは、仕事先の方が待ち受ける店へ急行し、ヘロンヘロンになってしまいました。最近、寝不足と飲み過ぎがたたり、雪のなかをどう帰ったかわからない自分。
北海道中の模様は、また別稿にて・・・。

Kitara2

キタラは、もう数回訪問しているが、東京のホールに比べ、すべてがデッカイ。

素晴らしいホールに、素晴らしいオーケストラ、そして音楽を愛する札幌市民。
いいなぁ。
足の具合が思わしくなく、日本のじめじめした気候に合わないと言うシュナイト爺。
北海道に住んで、温泉療養しつつ、横浜と仙台に出張し、そして札幌を根城にしたらどうかしら。

過去記事
「シュナイト&神奈川フィル ブラームス」
「シュナイト&神奈川フィル 田園」

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2009年3月19日 (木)

ワーグナー 「ラインの黄金」 新国立劇場公演

Rheingold_2009 新国立劇場公演、ワーグナーの舞台祭典劇「ニーベルングの指輪」4部作の序夜「ラインの黄金」を観劇、今宵は、最終日にあたる。通算これで5度目のリング体験。
ワーグナー狂もながらくやっているけど、この先何回リング上演に接することができるか。
年一作のペースで話題を呼んだ、キース・ウォーナーの「トーキョーリング」の初回が2001年だから、もう8年経つ。
「神々のたそがれ」からも4年。
ようやく実現した再演は、年を跨ぎふたつに分割されてしまった。くわえて、4年~8年の、この年月の経過は、新鮮でポップだったウォーナー演出にとって、やはり遅きに失したといわざるをえない。

欧米では、リングは再演ものになると、バイロイトでなくとも、シーズン内に4部作連続上演が珍しくない。歌手を長期留めおいたり、舞台装置を4種類常備しなくてはならなかったり、そしてなにより客席を埋めることができるかどうか?
難題は多いが、なんとか実現して欲しかったもの。
せめて1年後じゃなく、1シーズン内に収まらなかったのかしらね?
日々、いろんな演目が楽しめる欧米の一流劇場に比べ、月一演目の現状の新国。観るわれわれも含めて、まだまだ課題は多い。
あふれかえる東京のオーケストラコンサートを減らして、もっとオペラを!

前置きばかりで、ようやく本題。
8年前、フレッシュだったウォーナー演出。
今回、ウォーナーの名前は、初演スタッフの演出者として名前が出ているだけで、プログラムにはその写真も経歴も一切記されていない。
ということは、8年前の演出が記録に基づいて、そっくりそのまま上演されたということで、ウォーナーの原演出の忠実なコピーなわけだ(たぶん)。
ウォーナーは、トーキョーリングと少し被る時期に本国コヴェントガーデンでも全く違うリングを演出しているかるから、これほどの才人になると、手直しや異なる切り口も期待できたはず。前回観劇した身としては、そんな思いを持ったのも事実。
演出は進化し、成長するものだから。

なーんて、偉そうなことを言ってながら、8年前の舞台をろくに覚えてない。
覚えていたのは、文明堂のカステラのCMのようなクマさん(モンチッチ?)、フローの8ミリカメラ、ジグソーバズル、風船に神様軍団。
当時、このリングの舞台の詳細を書きしるしたはずなのに、どこに書いたか覚えていない。
あー、これ、アル中ハイマーなんだろか!
だから、前回との差異を書こうと思ったけどできません。チーン。

ホールは暗闇になり、指揮者はこっそり指揮台に。
原初の和音が、こうして始まる一大叙事詩、いつもワクワクしてしまう。
でも、このウォーナー・リングは、壮大な叙事詩というよりは、もっと軽くて情報満載のビデオアートのようなノリの作品なんだ。

Ki_20001863_1_2  舞台奥に光源があり、それが徐々にスクリーン映画に見入るウォータンとわかってくる。
やがて、上からラインの流れを想定したスクリーンが降りてくる。
背中に番号を付された斜めの座席がせりあがっていて、クマかおさるか、着ぐるみのラインの乙女が登場。アルベリヒは、派手な赤い衣装にゴリラのお面で現れる。
このグループの追いかけっこは、ラインの乙女がまずは白いミニワンピ、ついで、スクリーンが黄金に染まると、シンクロの選手になって黄金を讃える。
アルベリヒは、スクリーンに飛び込み、黄金もどきのジグソーのひとつを略奪。
 間奏の合間、その一部始終を、ウォータンのでかい目が見ているし、ジグソーを抱えるアルベリヒと、ウォータンが舞台奥で行き違う。
 舞台は、宇宙船のような、ななめに切り取られた空間。奥の窓にはWalhallaの文字が。神々の頭文字を記した段ボールがころがっていて、小金持ち風にガウンをはおったウォータンのもとへ、モード風のスーツを着たフリッカがイライラしながらやってくる。
Ki_20001863_2 この奥さんは、夫の愛を取り戻したくて必死の態。
髪金でパーティドレス姿のフリッカ、坊主頭でマフィアのような巨人兄弟。
ドンナーは、自分の段ボールから金槌を探しだし、片隅の段ボールから、火花を散らしてマジシャンのようなローゲ登場。ローゲは、ハンカチの中から花を出したりしちゃう。
フローは、これも段ボールから8ミリカメラを取り出して撮影開始。映りを気にするフリッカもおもしろい。
 かくして、地底に降り行くウォータンとローゲ。
真っ黄色で斜めにしつらえたニーベルハイムが登場。安いキャバレーのような「NIBEL HAIM」のラメ文字がまばゆく変幻する。
映画「ダーティー・ハリー」に出てくるような、ハデハデしい西海岸風の成金ギャングのようないでたちのアルベリヒが、鉱山職人のような弟ミーメを責め立ててる。
隠れ頭巾は、あまりにちゃちなお面。それを被ると、床の下に消えて透明人間に。
奥で手だけ動かすニーべルハイムの労働者たちは、精錬した黄金を見立てた黒いアタッシュケースを完成品として並べている。
Ki_20001863_12 ウォータンとローゲの前に、金髪の極めていけてるネーちゃんを追いたてながら、アルベリヒ登場。アルベリヒは、やたら自信満々でやたら下品。ネーちゃんとイタシテしまったり。
ローゲにおだてられて、蛇になると、舞台上から巨大で精巧な大蛇のお顔が。下手からは、その尻尾が・・・。おネーちゃんは、逃げちゃった。ざーんねん。
ついで化けたカエルは、もろにカエル。捕まえられて、ふんじばられて、先のアタッシュケースにいれられてしまった。
アルベリヒがいなくなってしまったニーベルハイム。ミーメがちょろちょろと出てきて、派手な兄のジャケットをはおり、偉そうにしている。

場面転換の途中、あのネーちゃんがミーメのもとにやってきて、二人は・・・・・。
 両手を紐で縛られ囚われのアルベリヒ。手下を呼び、アタッシュケースを運ばせるが、手下どもは、主人の哀れな姿を見てさげすみの笑を起こす(通常は、恐怖の叫びだが・・・)
指輪を渡すのを拒むアルベリヒに、ローゲはニーべルハイムから持ってきた小斧をウォータンにさりげなく渡し、ウォータンはアルベリヒの指を切断して指輪(ミニジグソーの断片)を奪い、指にはめる。アルベリヒのこの4部作の根底に影響をなす死の呪は、じっと動かないウォータンの回りをちょろちょろしながら赤い服着て呪う、まさにご祝儀のような歌で、軽いタッチ。その後、自らの股間に2度小斧を振りおろす。
もう子供ができないということか、快楽はやめたということか。
必然的に、ハーゲンは、例のネーちゃんとの子なのか、それとも弟ミーメの・・・・。
Ki_20001863_6  かくして神々がそろい、巨人たちは、巨大なケースにフライアを詰め込んで登場。
そのケースに、アタッシュの中の金色のチャラチャラを移しかえる。
フライアとファゾルトは、出来てしまったようで、離れがたい雰囲気。
ウォータンに警告を与えるエルダは、ジグソーの形で切り取られたドアから登場。
なんとも不気味ななりで、ウォータンはドアをこじ開けて追いかけようとする。
 指輪をあきらめたウォータンから、後ろ手に投げられたその指輪をゲットしたファフナー。兄ファゾルトと取り合いになるが、そこでローゲが、先の血ぬられた小斧をすかさずファフナーに渡し、ファフナーはいやというほど、兄に歯をたてまくる。
フライアが止めに入るがもう遅い。フライアは捨てられたナイフを手にとり、手もドレスも血だらけに・・・。このあとずっと彼女は打ちひしがれている。
 不安な空気を打ち払うべき、ドンナーが雷を起こすが、この音と閃光がすさまじい。
雷が去ると、宇宙船空間は下に沈み、真白くて清潔な空間に。
並んだ神々は白い神様装束。左右に番号のふられた扉があり、上からカラフルな風船が虹よろしく降ってくる。
そこへ文字通り、世界の神様たちがぞろぞろと招待状を持って出てくる。
これより、いよいよ入場だ。一人、ローゲはほくそ笑み、手のひらに、手品師のように炎をともし、舞台を右から左に、よれよれの着ぐるみ姿のラインの乙女たちがカートを引きながら横切る。そんなことは我関せずの神様たちは舞台奥へ・・・・。

Ki_20001863_3 舞台の隅々にいたるまで意味を持たせた、いや、逆に意味のない雑多な品々と人物たちの過剰な行動。
舞台から流れ出てきて、それこそタレ流し状態の溢れ出る情報。
8年を経て、2度目の舞台。途中、「次これ来くる」くらいに思いだいながら観ていたけれど、それらが全体にどう機能しているのか、していたのか、いまだにわからない。
冒頭の映画の場面や、フローのカメラは、4部作を完結する際に重要なキーだが、それだけだとすると、あまりに浅薄に思うし・・・・。
 物事の始まりとしてのプリミティブ感が先行する「ラインの黄金」。
そうではなかったウォーナーのは、傍観者としての観客を遠くに置いておいて、画像的な映像を見せつけてみた、そこには何でもあります的なおもちゃ箱的なものであった。
 続く「ワルキューレ」はもっとドラマ性が強く、あらゆる「愛」のデパートのような楽劇だから、もう少し親近感がわくはず。でも舞台はチャチですよ。

 ウォータン:ユッカ・ラシライネン  ローゲ:トーマス・ズンネガルド
 ドンナー:稲垣 俊也         フロー:永田 峰雄
 ファゾルト:長谷川 顯        ファフナー:妻屋秀和
 アルベリヒ:ユルゲン・リン      ミーメ:高橋 淳
  フライア:武蔵 蘭子          エルダ:エレナ・シュレーター
 ウォークリンデ:平井 香織      ウェルグンデ:池田 香織
 フロースヒルデ:大林 智子

    ダン・エッティンガー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                           (3.18 @新国立劇場)


外来・国内の混成部隊。
この中では、アルベリヒを歌ったリンがその声量と声の存在感と美しさにおいて圧倒的。
昨年、親日フィルの「ばらの騎士」でファーニナルを素敵に歌った記憶も新しく、この人のステージマナーもとても立派なところから、今後注目大のバリトンです。
今回、ウォータンのカヴァーとして名前も入っていたから、本当はこっちの方が・・・。
ローゲのズンネガルドには、その演技に狡猾さが欲しかったが、歌はいい。
オクタヴィアンのイメージを引きずっているツィトコーワのいじらしいフリッカも好きになれた。でも、ラシライネンはちょっと苦手で、前回のさまよい人やバイロイトのオランダ人では、その不安定に聞こえる音のとり方がどうも好きになれなかった。
今回はかなりマシだけど、さらに声の威力が欲しい。
もっとも、このサラリーマンの部長級のウォータンのイメージの演出には、ちょうどよいかもしれない。
エルダのシュレーターはバイロイトで活躍中のメゾだが、さすがにその一声で、段違いの声を聞かせ、ブラボーを呼んでいた。
その他の日本人歌手は、みなさんスバラしすぎ!!
ことに高橋さんのミーメと、巨人兄弟はその性格ぶりが実によかった。

最後に、エッティンガーの指揮。師匠バレンボイムの時に厚ぼったい音楽づくりとは、大きく異なり、スタイリッシュで繊細さを強調しつつ、しなやかなワーグナーだった。
2時間40分というゆったりめのテンポは、よくオーケストラをコントロールしていた。
この指揮は、今後の3作が楽しみとなるものだった。

本日、明朝出張を控えここまで。ありゃ、3時間しか寝れない。
考えをまとめて、またたぶん書きます。
「リング」第1章。
ワーグナーは偉大なり。

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2009年3月17日 (火)

昼の「にゃんにゃん」

1 「い、い、いったいなんざますsign02 きぃー」

「あ~ぁ~、気持ちエエ~な」

2_2 「ですから、いったい何ざぁますsign02

「眠みぃ~~~」

3 「ん~ん?」

「わ、わたくし、緊張して、動けないざますわよ。あ、ちびりそうdown

「どーでもいけど、そこ、上からかけるなよupwardright

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2009年3月15日 (日)

ベルク 「ヴォツェック」 ベーム指揮

Asakusa 月夜の晩に人は狂うのだろうか。
かつてより、西洋では、月と狂気は数々のドラマを生みだしてきた。
 子供の頃、恐怖のどん底に陥れられた映画が、「吸血狼男」だ。
淀川長春の日曜洋画劇場かなにかで放送されたもので、不幸な運命のもと産み落とされた子供が、やがて月夜の晩に狼男に変身して血をもとめ歩く。
最後は町の人々に追いかけ回され、逃げ場をなくし、育ての親に銀の玉で撃たれて死んでゆくという、恐ろしいが悲しい映画だった・・・・。

日本では、女性の象徴としてのかぐや姫であったり、四季を通じて歌われる風物であったりと、その感じ方も大違い。

Berg_wozzeck_bohm ベルクの「ヴォツェック」も月夜と狂気が描かれた、怪しくも悲しいドラマのオペラである。

詩人にして革命家かつ医学家のビューヒナー(1813~37)が残した原稿を、ウィーンのフランツォーフという文献家が復元した戯曲が原作。
 この主人公は、実際にいた人物で、精神異常をきたし、浮気した愛人を殺害し、絞首刑になったらしい。1822年のこと。

作者の生誕100年を機に上演された舞台を見て、オペラ化を思い立ったベルクは8年をかけて作曲し、1925年にベルリンでE・クライバーの指揮で初演された。
息子クライバーも、この作品を得意にしEMIにドレスデンと録音が残されているとかいないとか・・・・・。

2度目の記事だけれど、今回は長くなるけどあらすじを。

第1幕
①兵役中の理髪師あがりのヴォツェックは、大尉の髭をそっている。
軽薄な大尉は、ヴォツェックにいろいろと説教しのたまい、教会の祝福なしに子を作ったことを非難するが、ヴォツェックは貧乏人には金もなく、教会も道徳も役にたちませんや、とぶつくさ言うのみ。
②友人アンドレスと野原を歩くヴォツェック。訳のわからない不気味なこと言って、友人を気味悪くさせる。
③妻マリーの部屋。軍楽隊の行進が近づいてくる。鼓笛長が色目を使い、近所の女がマリーをあてこする。マリーは混乱しながらも子守唄を歌い、そこへヴォツェックが帰ってくるも、意味不明のことをいって出てゆく。
④医師の部屋。ヴォツェックは医師から金をもらいながら実験台になっている。実験動物とされたヴォツェックは、かってに咳をするなとか言われる。
⑤マリーの家。鼓笛長があらわれ、マリーはついに抱かれてしまう・・・。

第2幕
①マリーの部屋。鼓笛長にもらった耳飾りを眺めている。そこへヴォツェックが帰ってきて、拾ったとする耳飾りがなんで二つあるのかと問うが、実験アルバイト代を手渡し出てゆく。マリーは自責の念に取りつかれる。
②大尉と医師との会話。不気味な二人の対話に、ヴォツェックが通りかかる。ますます錯乱の度を深めている様子を冷酷に観察する医師。大尉は、マリーの不義をそれとなくさとし、ヴォツェックは走り去ってしまう。
③マリーの家。ヴォツェックがやってきて興奮して飛びかかる。「わたしに触れたら、ナイフで突き刺すわよ」と凄まれるが、この言葉がヴォツェックの脳裏にしっかり刻みこまれてしまう・・・・。
④酒場。にぎやかな酒場で、みんな酔い潰れている。マリーと鼓笛長がワルツを踊っている。これを隅から見て興奮を隠せないヴォツェック。
白痴がヴォツェックのそばにきて、「匂う、匂う、血が」と暗示的なことをいい、ヴォツェックは周囲が赤く見えると言って、憑かれた様子に・・・・。
⑤兵舎。兵隊たちが寝ているが、ヴォツェックは眠れない。そこへ酔った鼓笛長がやってきて、さかんにヴォツェックをけしかけるので、ヴォツェックは飛びかかるものの、あっけなく組み伏せられてしまう。
静まりかえった兵舎のベットにまんじりともせずに座り続けるヴォツェック。

第3幕
①マリーの部屋。ろうそくを灯し、聖書を読み贖罪のマリー。
②池のそばの林道。夜、ヴォツェックとマリーが歩いてくる。池の上には月。
赤い月を見て、血のついたナイフというヴォツェック。そしてマリーののど元を。。。
③一転、酒場へ。飲んだくれて、近所の女にちょっかいを出すヴォツェック。
女は、右手に血が付いているという。その肘にも。手の血を拭いたとするヴォツェックはしどろもどろに。店の皆が、騒ぎ出す。
④池。マリーの死体、その首の赤い傷を見て、また誰かに首飾りをもらったのか。
ナイフを探しだし、池に投げる。しかし、泳ぐ人や月を獲る人(?)に見つかりはしないかと池の中に入って行き手の血を洗おうとするが、しだいに溺れてしまう。
大尉と医師が、遠くで人の溺れていそうな音を聴き身震いする。
⑤マリーの家の前。木馬で遊ぶマリーの子供を含め、子供たちが戯れるなか、子供の一人がマリーが死んで発見されたことを言いにきて、みんな見に行ってしまう。

ひとり残されたマリーの子供は、少しためらったのち、やはり追いかけていく・・・・。

長く書いたのは、小間切れのパッチワークのような5つの場が、3つの幕にきれいにおさまっていて、その与えられた構成がまた3つの幕でそれぞれ違うことを明らかにしたかったから。

解説によれば、
1幕は、組曲(古典組曲、ラプソディ、行進曲・子守唄、パッサカリア、ロンド)
2幕は、交響曲(ソナタ形式、幻想曲とフーガ、ラルゴ、スケルツォ、ロンド)
3幕は、5つのインヴェンション

こんな緻密な構成になっていて、さらに大枠で見ると、
1幕は、各人物の相関関係を示す提示部
2幕は、疑惑が生まれ発展する展開部
3幕は、二つの死と残された子供の悲劇を予兆させる破局部

音楽は無調によるものだが、ベルクらしい甘味さと明晰さに溢れた聴きやすいもので、ライトモティーフもあるし、シュプレヒシュティンメ歌唱も取り入れられている、まさに新ウィーン楽派の音楽。
そして、各場に設けられたオーケストラによる前奏や後奏が極めてすばらしい。
マリーの祈りの場、殺害後の強奏ふたつ、ヴォツェック死のあとの宿命的かつ甘い長い間奏。これらがある3幕の緊迫感がすさまじい。
子供たちの残酷さと、残された子のこれから始まる悲劇。
今も厳しい世相に、身につまされるような、救いのないオペラである。
でも、幕切れの不思議に浄化された和音は、少し明るい未来を予見させる・・・・。

 ヴォツェック:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ マリー:イヴリン・リアー
 鼓笛長:ヘルムート・メルヒャルト アンドレス:フリッツ・ヴンダーリヒ
 大尉 :ゲルハルト・シュトルツェ 医師:カール・クリスティアン・コーン
 若い職人:クルト・ベーメ     若い職人:ローベルト・コフマン
 白痴 :マーティン・ヴァンテイン

   カール・ベーム指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団/合唱団
                             (1965年録音)

今となっては、ちょっとソフト・フォーカスのベルクだが、当時こんな演奏がオペラのレパートリーとして、普通に上演されていたのかと思うとスゴイものがある。
バイロイトやウィーン、ベルリンで大活躍だった壮年のベーム
ワーグナーやR・シュトラウスの延長としてのベルクを聴くことができる。
厳しい造形と全体を見据えた15曲の配列の美しさを描きだす手腕は、ベームのオペラ指揮者としての最良の姿ではないかと。
ホルンや金管の強奏はベームならではで、手に汗的な迫力とともに、歌を支える劇場的な棒さばきも感じる。
 ずっと後年の、アバド盤があらゆる点で最高だと思うが、このドイツオペラの歴史の一こまのようなベームの演奏も捨てがたい美しさがある。
 その思いは、F・ディースカウの考え抜かれた神経質ともいえるヴォツェックにもいえる。最初は、そんなにお利口さんだったら狂ったりしないのに・・、なんて思っていると、だんだんと青白いような狂気に取りつかれていき、殺害と溺死の場でピークを築く。
こうした歌唱は、逆に今では昔風に聞こえるかもしれないが、これはこれで私は完璧なものとして、後世まで残るFDの名唱だと思う。
同じ印象を、リアーの歌にも感じる。彼女、凄味では負けておりません。
それと、異常なまでにいやらしいシュトルツェの大尉は、ミーメ以上のすんごい歌唱。

いつも春が近づくと聴きたくなる「ヴォツェック」。
始めて観た二期会の舞台。
若杉さんが指揮をし、歌唱は当時日本語によるものだった。
前にも書いたが、葦が茂る不気味な池が赤く染まり、月が怪しく登る。
ヴォツェックは、その池にわけいって沈んでいった。
そのあと続いた、素晴らしい間奏。
家に帰るとき、その旋律がずっと耳について離れない。
秋の日だったけれど、どこかの家に植えられた金木犀が甘く香ったのを覚えている。
だから、春先の沈丁花の香りにも、私はヴォツェックなんだ。

Rsys_26556_4918094de2250 11月に若杉さんの指揮で上演される新国立劇場での公演。
バイエルンとの共同制作の舞台とともに、指揮が大いに楽しみ。

 過去記事

 「ドホナーニ&ウィーンフィルのヴォツェック」

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2009年3月14日 (土)

神奈川フィルハーモニー定期演奏会② シュナイト指揮

Schneidtishida 終演後、シュナイトさんを迎えて、軽く一杯でレセプション。
まさに好々爺。ドイツに行けば、どこにでもうろうろしてるような親父。
オペラに歌、そして心の大事さをお話されておりました。

石田さんの登場に、「こいつは、最高のヤツだよ」と全幅の信頼を寄せるシュナイトさん。

Schneidtishida_2 こんなお姿に、知らない人は、オーケストラのコンサートマスターだなんて信じないだろね。

Schneidtishida_3

ユーモアと毒舌たっぷりの話に大受け。

私の場合は、もっと早く、郷里のオーケストラとシュナイト&現田に開眼しとくべきでござった。

Schneidtishida_4
プレゼントのシルクに見いるマエストロ。
酒が飲みたくてしょうがない。
4人の話なんて全然聞いてない、ははは。

シュナイトさんのコンサート。
来週は札幌交響楽団と田園。
5月は、神奈川フィルとシューマン。
それと、ヨハネ受難曲にロ短調ミサが残されている。

Yajirobei_1 Yajirobei_2_2                                            Yajirobei_3_2

Yajirobei_4 関内の素晴らしき居酒屋に場所を移しての反省会。
お刺身、白子の天ぷら、マグロのスペアリブ、鴨スモーク、うまいよ。
出だしが押していたこともあり、気がつくと終電も近い。
こんなこともあろうかと、覚悟して万端の準備で挑んだワタクシ。
さぁ、次は琥珀色の液体に変更して、常盤町の素敵なバーに連れていっていただく。
Lion_heart_2 さらに気がついたら、びっくりするくらいの時間まで、飲んで、そして語りあかしてしもうた。
こんなことができるのも、神奈フィルのおかげ。
皆様、ほんとうにありがとうございました。

Siroh_churchi_1 翌日(本日)は、二日酔いの朦朧とした頭でちょっと散歩。
前夜、教えていただいた「横浜指路教会」を訪問。
運がよければオルガン練習が聴けると。
各地で教会を訪問するのが好きな私。そのうえオルガンが聴けるとっては。

Siroh_churchi_2

そして、弾いてました。
もう、ワタクシは恍惚・法悦の心境。
幸せなるかな、二日酔い。
前夜のまるでミサに参列したかのようなコンサートの名残が、この教会で完結された思いだった。

その後、レトロな洋食屋さんで食事をして、電車にのってうつらうつらと、会社まで。
それから、ちょっとした資料を届けに六本木まで。
そのあと赤坂で友人と会い、何故か東京タワーを経由して、歩いてまた会社まで。メールをチェックして、少し片付けものをして、夜に帰宅。
いやはや、すごい2日間にございました。
来週後半は、運良く、というか良すぎで北海道の仕事がころがりこみ、札幌へ行ってまいりますよ。そして当然・・・・・、しめしめ、ということで。

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神奈川フィルハーモニー定期演奏会① シュナイト指揮

Kanagawa_phl_200903 神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期公演を聴く。
そして、いつものように感激の涙をながした。
でも、いつもと違うのは、ちょっぴり寂しくもあり、悲しくもあったこと。
そう、ハンス=マルティン・シュナイト師の音楽監督として最後の演奏会だったのだから・・・
いまにも泣きだしそうな空模様もその別れを演出しているかのよう。

  ブラームス    悲劇的序曲
            「哀悼の歌」
            「運命の歌」
  ブルックナー   テ・デウム

                  S:平松 英子  Ms:加納 悦子
             T:小原 啓楼   Br:青山 貴

               ハンス=マルティン・シュナイト指揮
                神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                神奈川フィルハーモニー合唱団
                            (3.13 @みなとみらいホール)


ブラームスとブルックナー、同時代にありながら、派閥が対立し、対称的な二人。でも宗派は異にするものの、共に熱心なキリスト者であった。
そして、いつも指揮台で祈るような指揮をしているシュナイト師も同じ。
この晩のプログラムの根底には、追悼と祈り、そして感謝。
46年前、シュナイト師はこれと同じプログラムを本国ドイツで演奏したということが、終演後はのレセプションで話題になった。
1963年、折しも、ケネディ暗殺の年。
そして、氏がその指導に心血を注いだ神奈川フィルとの最後の定期演奏会に、この因縁のプログラムを持ってきた。
あまりに渋く、そして深い内容のプログラミング。私は1年前に発表された定期の演目の中でもっとも注目していたもののひとつ。
 一番聴いてみたかったのが「運命の歌」。
私の大好きな曲で、アバドもベルリンフィルとのフェアウェル・コンサートで取り上げた。
この曲については、数日前の弊ブログの記事を参照いただければと思う。
静と動、抒情と激情、不安と平安・・・、こうした相反する要素が20分あまりの曲に凝縮されていて、最後には不安を包みこむような大いなる平安が訪れる素晴らしい音楽。

 前半の3曲目におかれたこの「運命の歌」。
軽くチューニングを終え、シュナイト師の出を待つオーケストラと合唱。
おなじみのオーケストラのメンバーたち、いつもと雰囲気が違って感じた。
やや下をうつむいたり、目を閉じたり。気持ちをしっかり整え、まるでこれから始まる神聖な出来事を身をもって待ち受けるかのように私には感じられた。
私の思いが強すぎるのか、この日のコンサートのクライマックスはこの曲に置いていたのではないかと、想像したりもしている。
壮麗さや音響の効果からいえば、当然に「テ・デウム」なのだけれど、シュナイト師が聴かせたかった音楽はこれではないかしらと・・・・・。
 優しく暖かな序奏からして、羽毛のように柔らかく透明感に充ち溢れ、かつ滋味に富んでいる。もうここで、私の涙腺は決壊し、涙が溢れだしてしまった。
続いて登場する合唱も、その精度云々なんてどうでもよくなってしまう。
人間、ひとりひとりの声であり所作がそのまま音楽になってこちらに届いてくる。
運命の厳しさを歌う後半では、まるで「ドイツレクイエム」を思わせるような激しい場面となるが、ここでも余裕を失わず、心の叫びがごとく、オケも合唱も真摯に指揮者についてゆく。
そして合唱が止み、オーケストラだけのあまりにも素晴らしい後奏が、緩やかに始まる。
この曲で一番美しい場面だ。神奈川フィルのまろやかな美音がここで私を包みこんでしまう。もう感動が止まらない。ずっとずっとこの救いに満たされた音楽に浸っていたかった。
いつものように静止したまま動かない指揮棒にオーケストラ。
ここで、無常な拍手がぱらぱらと起きて、また止む。
きっと耐えられなかったのだろう。
私は、拍手がしばらくできなかった。
一息入れに、ロビーに向かいつつも、その響きが離れず、思わず涙ぐんでしまうくらい。
 外を見ると、雨が強く降っている。
素晴らしいブラームスだった。
 さかのぼって、19分もかけてじっくりと演奏された「悲劇的序曲」。
かなり強烈な出だしに驚きつつも、歌心あふれる中間部の主題がまずはヴァオリンで心をこめて演奏されるところで、ジーンと来て、のちに今度はビオラでその主題が出てくると、さらにまたじーん・・・・。
今宵のシュナイト師、ビオラに向かって盛んに指示を出してよく歌わせていたのが印象的。そして、この1曲目からして、オケの気合の入れ方は尋常ではなく、体がほんとよく動いている。
 2曲目の「哀悼の歌」は、デリケートでかつ清楚な演奏で、悲しみよりは優しい明るさが際立つ桂演。これもまたいい曲と実感。

 後半は4人の独唱とオルガンも加わってのブルックナーのテ・デウム
オルガンが勇壮に響きわたり、その上にまさにオルガンと同質性をもつオーケストラがのっている感じ。
どこをどう聴いてもブルックナー。これを聴いてしまうとブラームスがいかに洗練されているか。ブルックナーは無骨であり直載か。
オーケストラは同じフレーズや刻みを延々と続けるし、歌も同じ旋律を何度も繰り返したり。讃歌であると同時に神への希求に満ちた祈りを生真面目に続けるブルックナーに微笑みを禁じえない。
この曲のハイライトであり、当夜のこの演奏の白眉は、テノール独唱に絡み付くように、そして天国的に歌われるヴァイオリンソロであろう。
石田氏の繊細なヴァイオリンの美しさをこの時ほど思い知らされたことはない。
シュナイト師も全幅の信頼を寄せるこのソロ・コンサートマスターの実力は見た目とは裏腹に並みのものではない。
指揮者とヴァイオリン、二人目を見つめあって演奏する姿がとても絵になっていた。
それと、この曲で一番大事だし、一番難しいテノールソロ。
小原氏の明るく美しい声に驚き。この方舞台で、一度経験しているが、こんなきれいな声だったっけ?  シュナイト師にみっちり仕込まれたとのことだが、その厳しい指導が、まさに花開いた感じ。
シュナイト師の秘蔵っ子、平松さんの毎度ながら清らかな声。しっかりと4人のアンサンブルを支えた実力派加納さん。見た感じとは全然違う立派なバリトンの青山さん。
出番が少ないのがもったいないくらいのメンバーだった。
 合唱団も熱く、がんばりました。
高らかに開放感たっぷりに曲が閉じられたとき、あぁ、これで一区切り終わってしまうのかとの思いで胸がいっぱいになってしまった。
会場の方々もそうした思いを乗せて、万感の拍手。
花束を渡されたシュナイト師は、とても嬉しそうに拍手に応えていて、いつも通りにおどけてみせたり、ユーモアたっぷり。
当夜の4曲、こうしてつなげてみれば、ひとつの大交響曲であるかのよう。

これはこれで、この進化するオーケストラのひとつの区切り。
終わりはまた始まりであろう。
4月の金さん、またあらたな楽しみが増えたわけでございます。

第二部へ続く。

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2009年3月12日 (木)

プーランク 「グローリア」 ヤンソンス指揮

1 銀座のティファニーでございます。
お隣さんは、ブルガリだわよ。

ゴールドの模様が刻一刻と変化して怪しいんです。
このビルの前で、屋台を呼んで、おでんをつまみに、酒でも飲んでやりたい気分になります。

「おやじ、がんも・こんにゃく、ちくわぶ」と注文して、コップ酒を。
てやんでぃenter

その銀座の地価も、いまは大幅下落しているという。
でも、くさっても○○。世界の銀座。華やかなものであります。

Jansons_poulenc
さてさて、そんな中年おやじの酔狂は置いといて、今日はプーランク行くざぁます。
プーランク(1899~1963)は、好きでも嫌いでもなく、でもどんな人か作風がよくわからない。
いずれの曲も短めでエコノミーだし、古典風だし、こ洒落ているし、シンプルだし。
でもでも、いったいこの人はなんだろう?

初プーランクは、中学生のころ、ハープシコード協奏曲、ルージッチコヴァのレコードだった。
小股の切れ上がったような、小気味いいクラシカルな音楽に、おフランスの香りを嗅いだもんだった。
そんなイメージのみをずっと引きずり大人になり、そのまんま。

オペラを観て聴いてみたいけれど、私のアイドル、プティボンがでている「カルメル派修道女たちの対話」のDVDは入手困難状態。

こんな断片的なフランス6人組のプーランクとの、本気になれない付き合いのなかでは、今回の「グローリア」や「スターバト・マーテル」はとても近い存在。
小沢やデュトワのCDを何故か持っていたりする。
今回、ヤンソンスコンセルトヘボウの鮮やかな羽をあしらったライブシリーズをじっくり聴き、従前のイメージとは異にする、洒脱と敬虔な心持が織りなす鮮やかさに、大いに感じ入ってしまった次第。
この原稿を書き始めて2週間。その間、エルガーやブラームスの名演に心奪われてきたけれど、それらとは世界を異にする異次元空間に新鮮な気持ちを抑えきれない。
ラテン語の典礼文をそのまま使用しつつ、その音楽は羽毛のように軽やかで、クリスタルのように透明で、かつ真摯な祈りにも事欠かない。
と同時に時には明る過ぎて、こちらの気持ちをはぐらかしてしまう。
 こんな何でもござれ的なプーランクの宗教曲。
これまで、小沢やデュトワで聴いてきた。
それぞれに躍動感と軽妙さに富むステキな演奏だと思う。
ここで聴くヤンソンス盤は、かなり真剣に音楽の持つ祈りを見据えて真面目に演奏したものに感じる。
弾むリズムと、穏やかなリリシズムはヤンソンスならではであるけれど、洒脱さにはやや欠けているかも。
でも、コンセルトヘボウのベルベットトーンは、こうした曲だとフランドル風の重厚さとあたたかさを伴って、一種快感にも似た感興を引き出してくれる。
オルゴナソヴァのソプラノがまたふるい付きたくなるほど魅力的。

 カップリングのオネゲルは、このコンビにぴったりの曲で、シリアスぶりがかなり深い演奏となっている。

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2009年3月11日 (水)

ブラームス 「運命の歌」 アバド指揮

Utsunomiya_johan 宇都宮の「聖ヨハネ教会」。
同じ市内の松が峰教会と同じく、大谷石でできた教会。

1933年の建築で、そのまま。
日本の神社仏閣もそうだが、教会はバランスがとてもよく美しく、見るものを安心させる。
日本聖公会、英国国教会系の教会。

Abbado_brahms3 今週の金曜日は、またもや13日が巡ってきた。
そんなことはどうでもいいけれど、横浜では、シュナイト翁の神奈川フィルハーモニー音楽監督としての最後の演奏会が行われる。
その演奏会は、まさに祈りの音楽がしっかりとプログラミングされている。
あまりに渋い演目にたじろいではいけません。 

ブラームス/悲劇的序曲作品81
ブラームス/哀悼の歌作品82
ブラームス/運命の歌作品54
ブルックナー/テ・デウム

熱心なカトリック信者であられるシュナイト師が、その総決算として演奏するこの内容。
涙覚悟で行く所存でございます。

これらの中で、私がもっとも好きなのが、ブラームス「運命の歌」。
つい、運命の力と言ってしまいそうになるけれど、あちらのオペラは運命に翻弄される悲劇を強烈に描いたものだが、ブラームスの「運命の歌」は、もっと優しく抒情的で、その内容は神々の世界と人間の苦悩に満ちた世界との対比を歌いこんだもの。

ヘルダーリンの詩に基づくもので、その詩の内容は、前半では天上に暮らす方々のまばゆくも神聖な様子が歌われ、後半は、地上のわれわれの苦しい状況が悲嘆を伴って歌われる。
 こんな感じで。

   けれども、私たちには休息の場が与えられません。
   悩み苦しむ人々は消えていきます。落ちていきます。
   やみくもに、時から時へと、水が断崖から断崖へ落とされるように
   たえずあてどなく下の方へと

あちゃ~、まったくの悲劇的内容。
合唱はこれを歌って終わるのであります。

ところが、ブラームスのマジックはこの歌では終わらせない。
そのあとのオーケストラの後奏が、とてつもなく美しく、安らぎと癒しに満ちているのであります。これで、われわれ人間は救われるのであります。
今の厳しい世の中に暗澹としてばかりではいけません。
その先には平安がきっとある。
今日の田口さんご家族と、金賢姫さんとの面会の様子を見て思わず涙してしまった私。
苦しみや悲しみの後にはきっと・・・・・・。
そんなことを思いつつ、運命の歌を聴いていた。
アバドは、この曲が若い頃から好きで、始終演奏し、録音してきた。
ベルリンフィルのブラームス・チクルスの一環で録音されたこのCDは、しなやかでかつ甘さをも併せもった微笑みの名演なのだ。
その序奏部からもう目頭が熱くなってしまう。なんて歌に充ち溢れた演奏なのだろう。
E・ゼンフ合唱団の緻密な歌に加え、ベリリンフィルの音はまさにブラームスそのもの。

 ニュー・フィルハーモニアを指揮した旧盤、アバドのベルリンフィル音楽監督としての最後の演奏会のFMライブ。手元にある3種のどれもが愛おしい。

金曜日は、ハンカチ2枚は必要だ。

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2009年3月 9日 (月)

夜の「にゃんにゃん」

3 こちょこちょ・・・。
うっふ~ん。
おやめになって・・・。

4 んも~。
やめてってばぁ~
へへ、どうだぇ~、ん?

5 はぁ~~・・・・。
ふぅ~~・・・・。
参りました・・・。

クラシック音楽ブログを逸脱した悩ましい記事に面目次第もございません。
笑ってお許しくださいましな。

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2009年3月 8日 (日)

神奈川フィルハーモニー名曲コンサート シュナイト指揮

Kanagawa_phl_brahms

久しぶりのお日様に恵まれた土曜日の午後、ミューザ川崎へ。
今年も帰ってきてくれた、シュナイトさんを迎えて、神奈川フィルハーモニーの「珠玉の名旋律」と題された、名曲コンサート。

   ブラームス  ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲

            
 カザルス 「鳥の歌」~アンコール
    
         Vn:石田泰尚  Vc:山本裕康

             交響曲第1番

   ハンス=マルティン・シュナイト指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽

                               (3.7@ミューザ川崎)

     
珠玉の名旋律と呼ぶに相応しい歌心に充ち溢れたすばらしいブラームスだった。

当日券なしの満席の会場に、力強い第一音がまずは響きわたる。
時に威圧的に感じることもあるこの出だし。

シュナイト師は、ふっくらとしたどこか明るい鳴らし方で、威圧感はまったくない。

ついで、いきなり登場するチェロのカデンツァは、山本さん。
少し硬いかなと思ったけれど、ピチカートが決まり落ち着き、石田さんが繊細にそして鋭く登場して、二人の名コンビによる競演が始まった。
 見て聴いていて、本当に難しいソロだと痛感。朗々と歌うかと思えば、鋭い刻みが長く続いたり、甘い旋律が出てきたりと、曲想が刻々と変化してゆく。
対するオーケストラもシンフォニックにぶ厚く書かれて、晦渋さと柔和さが同居する素晴らしいものだ。
鳴らそうとすれば、よく第5交響曲と呼ばれるがごとく鳴らすこともできようが、シュナイト師は、オーケストラの一員で、その音も完全に同質化している二人のソロのスリムな音色をよく聴きわけ、オケを抑えつつもマイルドで明るい音楽づくり。
 
 
 

 涙がでるほどに感動したのは第2楽章。
ホルンの前奏に導かれてふたりのソロがユニゾンで憬れに満ちたような歌を歌う。
CDでは二人のソロだとばっかり思っていたが、オーケストラの弦楽器も同時に歌っていたんだ。このぴったりと合った音色と響き。思わず深呼吸を深々としてみたくなるような、大きな呼吸に満ちた瞬間。中間部での再現部では、オケは今度はピチカートで応えている。
ブラームスの持つ音楽のロマンティシズムを強く感じた曲と演奏にずっと浸っていたかった。
 一度聴いたら忘れられない旋律が繰り返される3楽章。ノリノリの二人のソロに、優しく包み込むようなシュナイト翁の指揮。もう感動が止められない。
いつも思う唐突な終わり方も、堂にいっていて極めて音楽的。
立って演奏する石田さんを始めて見たが、その大きなリアクションとは裏腹に出てくる音楽は美音でスリム、そして極めて音楽的。
山本さんは、その優しそうな心配り豊かな風貌と同じく、音色はマイルドで全体を配慮した知的なもの。

Myuza_2
            (ミューザのロビーに活けられた紅梅)

この二人に、ヴァイオリン2本、チェロ1本を加えて演奏された「鳥の歌」。

今こうして書きながら思い出すだけで、涙が出てきちゃう。

国連コンサートで、カザルスが弾いたコンサートを中学時代テレビで見た。
カザルスは、スピーチをした。「鳥たちが歌う、Peace Peace と・・・・」、そしてもう弾くのも覚束ない様子で、チェロに向かった・・・・。

アンコールにこんな悲しくも、そして、希望に満ちた曲をやるなんてずるいぞsign03

 さて後半は泣く子も黙る交響曲第1番。
最近ご無沙汰の苦手な曲だけど。

予想通り、ティンパニの連打を伴いゆったりめの開始。主部に入るとエンジン全開。
パワーよりは柔和さとふくよかさが際立つブラ1なのだ。
こういうブラ1ならいい。
終始ゆとりと微笑みを絶やさない大人のブラームス。
だから第2楽章が歌心が雫のように満ちあふれた桂演。コンマスの席に戻った石田さんのキラリと光るソロに、オケの各奏者たちもこれ以上はないくらいの美しい歌で応える。
ここでもずっと続いてほしいと願う私でありました。
シュナイト師と目を合わせ、うんうんと頷いてから始まったクラリネットの活躍する3楽章。とても伸びやかで気持ちがいい。
 
 

 そして、巨大な終楽章。
まさに名旋律たるその主題は、オケメンバー全員が一丸となって体を揺らしながら弾きまくる。
時おり妙な音が混じるが、もうそんなの気にならない。
急がずあわてず、じわじわとラストのコーダの瞬間を迎える。

 するとどーだろう。
通常加速して興奮状態に突入する演奏ばかりなのに、シュナイト師はテンポを上げずじっくりと突入しそのまま進行する。
このテンポによく神奈川フィルは前のめりにならずに、ついていったものだ。
 そしてコラールsign03
シュナイト師が最後のここに焦点を定めてじっくり築き上げてきたブラ1。
すべてを解放してしまうかのような心からの祈りの発露は極めてゆっくりとそして高らかに歌われた。

 こんなコラールの演奏聴いたことがないsign03

もう感動して朦朧としてしまってあとどのようにして終わったか覚えていないweep

拍手もしばらくできなかったのです。

こんなブラームスを聴かされて、明日からどうしたらいいのだろう。

このコンビはあと13日の定期演奏会と5月のシューマンを残すのみ。
是非とも、慈しむ気持ちで残りのコンサートに足を運びたい。

終わりもまた始まりだ。この祈りの1番で最後もよかったかもしれないです。

Gyoniku

コンサート終了後は、「神奈川フィルを応援し余韻を楽しみ飲んだくれる会」の皆様と楽しいひと時をすごしました。なんだかんだで5時間あまり。

 ちっとやそっとじゃ消えないブラームスの響きを残しつつ、ピンク色のナイスなヤツをつまみに、音楽談義は続くのでした。

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2009年3月 7日 (土)

東北・北関東紀行~シューベルト 「ロザムンデ」序曲 ハイティンク指揮

Haitink シューベルトの劇音楽「ロザムンデ」は、未完成交響曲の翌年に短期間で書かれた作品だが、その序曲はもっと以前「魔法の竪琴」のための序曲として作曲されたもの。
私はこの序曲が結構好きなのである。
屈託なく伸びやか。幸せなシューベルトの音楽には春も近いと思わせるものがある。

ハイティンク
は、手兵になりたての当時の名称アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、それこそ若さみなぎるシューベルトを聴かせてくれる。
やや陰りをおびた中に、シルキーな弦の音が聴いてとれる。やはりコンセルトヘボウ。
画像は、違う曲だけれど、私がハイティンクを好きになったきっかけとなったこのコンビの名演集レコード。

1 今週の東北・北関東シリーズを総括します。
言っときますが、一応仕事です。
日曜に新潟泊。

翌日は、磐越西線で会津若松まで。
こちらは、車中見渡す喜多方の街。
雪ありませぬ。

2 会津若松の駅。
むちゃくちゃ寒い。
けど、雪まったくありませぬ。
地元の方も、驚きの今冬。
こちらで、レンタカーを借りて、いわき市を目指す。

3 途中、会津磐梯山を眺める。
さすがに雪はあるけど、少なめ。

4 途中、「けんちんうどん」を食べる。
熱い熱い。
野菜ごろごろ。

5 いわき市で半日走りまわり、いわき駅より常磐線に乗り、苦痛の2時間余を過ごし仙台へ。

6 仙台には8時半に入り、超空腹のまま、久しぶりの料理居酒屋「侘び助」へ。
女将さんが暖かく迎えてくれる。
今日のお勧めは、めったに手に入らない北上川産の天然()うなぎの白焼き。
歯ごたえがあって、脂がのっていて、ワサビ醤油で食べる、またもや酒が進む。
「萩の鶴」しぼりたて・うすにごり原酒。くぅーーーっ。

7

ちょっと寂しい国分町

8 一杯飲ったあとは、ラーメン。
ここは味噌ラーメンがとても美味しい店。
味噌の種類もいろいろあって、この日は仙台味噌を選択。
うまいよ。

9 翌日は、仙台の北を走る。
お昼は、大衡町というところで、鴨南蛮を。
蕎麦は石臼挽きの手打ち。
あっさり、上品な味。

何度もいいます、仕事です。

10_2  夜は、雪の降りしきる宇都宮へ降り立つ。

11 宇都宮といえば、餃子の街。
有名店はいろいろあるが、この日は、「めんめん」
羽根つきのジューシー餃子。
たまらんばい。

12

大谷石で建造された松が峰教会。
ロマネスク様式の美しい姿。

13 宇都宮は、あとジャズの街、そしてカクテルの街と、いろんな顔を持ってる。

14 屋台横丁。
地元の方々でなかなかのにぎわい。
すっかり地元民に間違えられ、言葉も語尾が上がり成りきってしまうワタクシ。

15 翌日は、宇都宮を車で南下し、さらにそこから西へ。
足利へ向かう途中、佐野で昼食。
佐野ラーメンでありますよ。
見てくださいこのおいしそうな様子。
うまいよ。

16 足利から東武鉄道に乗って浅草
東京に帰ってきました。
雷門で記念撮影。

仁王さまも、雷さまも、ごくろーさん。

17 シャッターが降りて、人気もいない仲見世通り

あー、疲れました。

言っときますが、仕事です。(しつこい)

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2009年3月 5日 (木)

東京交響楽団新潟定期公演 大友直人指揮

Ryutopia4 久々にパソコンに向かい合う。
というか日曜の朝以来のお家。
表札替わってなくてよかった。
でもご飯はありません。
こうして、夜ご飯を用意してもらえないお父さんは、自分の居場所がパソコンの前だけになっていくんだろーな・・・・・・、とほほwobbly

そんな悲哀はともかく、音楽と出張をすっかり楽しんでしまってる訳だから、文句はいえません。
お家では、小さくなってます。

いつもお世話になりっぱなしのIさんのご案内で、東京交響楽団の新潟定期公演を核とする旅に出かけた。
おりから、クライアントさまから、東北・北関東のお仕事を頂戴し、大胆な活動を企画した次第にございます。

新潟の市民芸術文化会館「りゅうとぴあ」は、音楽専門ホールと劇場、能楽堂などがタマゴ型の建物にぎっしり詰まった、芸術の香り高い施設。
念願の「りゅうとぴあ」は1900席の中規模ながら、ご覧の通り、ベルリンのフィルハーモニザールに似ているし、札幌のキタラを一回り小さくしたような雰囲気でもあります。
ホールの屋上は周囲を一周することができ、信濃川もご覧のとおり。

Ryutopia3 日曜の晩、音楽を愛する市民の方々が、続々と集まってくる。
その皆さんの集中力の高さとマナーの良さ。我らがオーケストラ的な親しみと誇りを会場から感じ取ることができる。

Iさん御用達のクラシック専門CDショップにもお連れいただき、東響の日ということで割引の恩恵を頂戴し、フィンジとコルンゴルドのレアCDをお買い上げ。店主はフィンジ・マニアだそうだ。素晴らしすぎ
ここで、今宵のコンミス大谷さんと遭遇。
「今夜行きます」、「お待ちしてま~す」とみょうな挨拶を交わしました。
音楽がしっかりと街に人に息づいている新潟。

Ryutopia1 さて、コンサートは前日にも増して、素晴らしいものであった。
何よりも、ホールの響きが堪らなくいい。
明るく開放的で、かつ繊細。


曲目は前夜に同じく「オール・エルガー・プログラム」

威風堂々第2番から、その音の粒立ちの良さが際立つとともに、余韻をきれいに残しながらの残響の素晴らしさに、このホールが一挙に気にいってしまった。
その印象は、前夜に鮮やかな感動を味わったウィスペルウェイのチェロの第一声を聴いて、さらに強まった。この人の音色ゆえかもしれないが、芯があるとともに、まろやかで、第3楽章の気品に満ちた美しさには、前夜にもまして陶酔してしまった!
終楽章の合わせにくいエンディングは、オケとソロ、見事に噛み合い最高の瞬間だった。
大満足の雰囲気ありありのウィスペルウェイ氏、「素晴らしいホール!」と前置きして、バッハをアンコールに。
ああ、なんて美しくも深遠なチェロなんだろう。
満場の客席にオケもフル出場のホールに、一本のチェロが楚々としたバッハを奏で、その音色が隅々に満たされてゆくのをご想像下さい・・・・・・。

後半の二つのオーケストラ曲は、前日よりも音が練れてきていて、しなやかでありながら、パワーも全開。大友さん、シュトラウスばりの大序曲を思いきり鳴らすとともに、中間部の夢見るようなヴィオラソロの場面では、徹底的に磨きあげられた美音を引き出して、わたくしを陶然たる境地に誘ってくれた。
威風堂々第1番、オルガンの加わる最後では、ホールが揺れるような地響きが感じるくらいにひとつの楽器と化していた。
アンコールの「朝の挨拶」は、大谷さんもオケも心から楽しそうに、そして慈しむようなステキな演奏で、すっかり気分のよろしくなったIさんとわたくしは、夜の新潟「古町」に繰り出したのでございます。

1 本日記事第2部は、新潟の名物ご飯。
まずはこれ。お昼に食べました。
これ、新潟では「かつ丼」といいます。先頃、テレビの「県民ショー」で紹介され一躍気になる存在に。
福井、長野、会津のソースかつ丼とはまったく違う様相に驚き。

叩いて薄くした肉を、きめ細かいパン粉でカラリと揚げたのに、甘辛いソースを軽く絡めた「かつ」を熱々ご飯におもむろに重ね合わせた一品。
テレビでも出演者達は、何これウマイとばくばく食べていた。
わたくしも、それこそ目を丸くして一気に頬張ったのでございます。
あっさりさっぱり、でもしっかり肉なんですnote
飲んだあとのラーメンは、常道だけど、こりゃシメにもいけちゃう「かつ丼」なんだ。同じイメージを北海道の豚丼に感じますた。

Aoshima_ramen1 さてさて、コンサート後はそこそこ腹も減ったでありますから、ラーメンいくであります。
8時閉店だから、飲む前ラーメンなのであります。
青島ラーメンは、新潟の皆さんにおなじみのラーメン。
長岡生まれ、鶏ガラのあっさり醤油で生姜がたっぷり仕込まれていて、すんばらしくウマイ。
中太麺も実によろしい。
こうして、体がポッカポカになり、さあ居酒屋に出陣。
日曜ゆえ寂しかったけど、八海山、緑川、〆張鶴、影虎・・・・、Iさんと音楽談議に興じつつ、盃を重ねた新潟の晩にございました。

Dokaben 水島新司の出身地らしく、アーケードには漫画の主人公たちが佇む。

なんか、元気出るじゃありませんかgood

なんか別館食べ物ブログになってしまったけれど、無謀なる東北行脚の模様を次回は、ダイジェストでお伝えします。

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2009年3月 1日 (日)

東京交響楽団演奏会 大友直人プロデュース芸劇シリース

大友直人プロデュース東京芸術劇場シリーズ定期公演「オール・エルガー・プロ」を聴く。

 エルガー 行進曲「威風堂々」第2番
        チェロ協奏曲
            チェロ:ピーター・ウィスペルウェイ
        序曲「南国にて」
        行進曲「威風堂々」第1番

          大友直人指揮 東京交響楽団
                      (2.28@東京芸術劇場)


Tso20090228 今シーズの大友プロデュース公演は、いろいろかぶったりして初めて聴いた。
芸術劇場がニガテなこともあったかもしれない。
あの巨大なホールで英国音楽を聴くには、よっぽど席をえらばなくては、遠い傍観者になってしまう。
本日の席は2階のレフトで響きは悪くないものの、音を眺める感あり。
最初はそんなことを意識して聴いていたけれど、チェロ協奏曲から、そんなことはどーでもよくなってしまう。
プロフィールによれば、古楽器と現代楽器を最高水準で弾きわけるというオランダのウィスペルウェイのチェロが鮮やかでかつ美しい音色だった。
デュプレとマイスキーの情念に満ちた演奏のイメージがどうしても先行してしまうこの協奏曲。
ウィスペルウェイは指揮者やオケメンバーと始終アイコンタケトを保ちながら、オケと溶け合いつつ細心ののソリストぶりだった。
いつもうっとりして眠くなってしまう第3楽章が、この演奏の白眉で、夢心地の茫洋としたなかに、エルガーの抒情と歌心を深く感じ、涙ぐんでしまったのであります。
同様の感覚は、アンコールのバッハの無伴奏のサラバンドにも感じることができ、遠いステージにいるウィスペルウェイを見ずに、私はホールの天井を見上げつつ、深いバッハの音楽に心ここにあらず状態であったのだ・・・・。

そうでございます。
フィシュ&チップス」でござる。

たしかにフィッシュ・フライだが・・・。
ビネガー振って、食べればこれもありの一品でございました。

2月最後の土曜日は、英国フェア。
先の著作の方、そして京のカフェ店主さま、そのほか英国音楽好きの皆様と、まったく楽しい時間を過ごしました。

明日は、ワタクシ、新潟でも英国フェアでございましてよ。
きっと日本酒ゴンゴン飲んじまうんだろなup

休憩後の「南国にて」。今回不思議なプログラミングの中で、一番期待していた曲。
そして、一番感銘を受けた演奏。
シュトラウスばりに、オケがダイナミックに鳴るけれど、この曲の聴きどころは中間部のセレナーデ的な場面。まるで、イタリアの暖かな夜に月が浮かぶかのようなロマンティックな風情。ヴィオラソロがあまりに素適!
 コンサートのトリとして聴く大友さんの「威風堂々」は、実に音楽的で、王道をゆくまっとうな解釈。あわてず騒がず、着実な演奏で、キメはオルガン!
当たり前の名曲、感激しました。

アンコールは、サプライズともいうべき「愛の挨拶」。
大谷さんが、立ちあがってソロを夢中になるくらいの美音で聴かせてくれた。
大ホールの誰しもが、この当たり前の名曲をしみじみと味わったのであります。

まだ印象を書き切れてないけれど、明日も大友&TSOとともに新潟へ。
毎度お世話になってます、新潟のIさんのお薦めで、念願のリュートピアデビューを飾る訳です。オペラの同一プログラム連チャンはありますが、コンサートのそれは、生涯初めて。
楽しみ楽しみ。
 アフターコンサートの痛飲暴食(笑)も、極めて楽しみ。しょーもないです。
しっかり聴いて、飲んできます。
 そのあとは、巧みにお仕事をからめて、東北・北関東巡業をいたしますので、新潟レビューはしばしお時間を頂戴いたします。

Elgar_mizukosi 本日、ご一緒しましたエルガーといえば、この方。
水越健一さんの著作、第2弾。

「愛の音楽家 エドワード・エルガー」

本日、会場でも販売されておりました。

作品紹介、思い出のCDや演奏会など、エルガー好きなら思わず「ウンウン」と頷かざるを得ない素適な著作。

本屋さんでは買えません。
どうぞこちらで。→「愛の音楽 エドワード・エルガー

1 本日のアフター・コンサートのメニューのなかの一品。

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