プッチーニ 「トゥーランドット」 神奈川県民ホール
寒い土曜日の午後、横浜でプッチーニの「トゥーランドット」を観劇。
神奈川県民ホール・びわ湖ホール・二期会・日本オペラ連盟の共同制作。
クラシック音楽を取り巻く厳しい環境のなか、エリアを跨ぐ複数の団体による共同制作事業は、表面的な経費の分担という効果以上に、複数公演による上演の精度アップと演奏力のアップ、そして何よりもオペラファンの開拓につながるものとして、大いに評価したい。
昨年は、ホモキの見事な演出により「ばらの騎士」を観た。
ベルリンの聴衆が観たのと同じ上演がいながらにして楽しめたのだ。
あれから、もう一年経ってしまった。年々時間の経過が早く感じるようになってきた。
そしてそれはそのまま歳を重ねていることで、充足感よりは、焦りを感じてしまう・・・・、あらーわたし何を言ってんだろ。
こんな思いは、昨年の「ばらの騎士」にこそ相応しく、マルシャリンは過去を断ち切って今ある未来に駆け出していったものだったなぁ
こんな鮮やかな記憶に残る舞台を今年のプロジェクトでは味わえるだろうか・・・・。
結果は、オケと歌は最高。舞台はやや消化不良、といったところ。
トゥーランドット:横山 恵子 皇帝 :近藤 政伸
カラフ :水口 聡 リュー :木下 美穂子
ティムール:志村 文彦 ピン :晴 雅彦
パン :大野 光彦 ポン :大槻 孝志
役人 :与那城 敬
沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
二期会合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
赤い靴ジュニアコーラス
演出:粟國 淳
(3.28@神奈川県民ホール)
舞台は、演出家粟國氏も書いているとおり、時代設定不詳。
映画のひと場面のような、近未来の生産工場でスタートする。
巨大な機械に大きな歯車が回り、労働者たちは無理じいされているし、しかも動きがきわめて機械的。大気は汚染され濁っている。
機械的といえば、体制側の見張り役、役人たち。無機的で足が先に出て妙な歩き方。
最初は、へぇ~っと思ったけれど、これが出てくるたびに、興がそがれることになった。
でも幕間で、山下公園を散歩したけど、歩き方を真似しちゃったりする自分に自嘲・・・。
民衆は、まるで人民服のようなカーキ色のズボンの上下。
そしてその動きは集団的だがまったく生気なく、さっぱり気勢があがらない。
でもこの群衆が、物語の進行と展開とともに変貌していく。
最初は完全に意志をもてず体制のなすがまま。やがて、カラフの登場とともに、その姿に解放者を見てとりカラフが銅鑼に突進するのを後押しするかのよう。
トゥーランドットとカラフのクイズ合戦では一喜一憂し、姫様や役人にたしなめられてしまったり。
そしてクライマックスのカラフの名前探しには、冷酷で容赦のない顔のない群衆になってしまう。でもリュウの亡き骸を悲しみに包まれ運びさるのは、群衆の中から現れた数名だし、合唱は悲しみに打ちひしがれている・・・・。
とってつけたような最後のエンディングでは、当然に輝かしく人間的な表情や所作を取り戻していた群衆。
いやはや、いつの世もわれわれ群衆とは恐ろしくも力強いものなんだ。
そんなことを痛感させてくれた演出ではあった。
粟國氏の師匠筋は、ブロクハウス。この人は、昨年の新国のトゥーランドットを演出した。
私はこの新国演出がとても気にいっていて、プッチーニの絶筆部分を逆手にとり、見事、劇中劇として読み替えてしまった。そしてその演出でも巧みだったのは、集団=群衆の動かし方だった。
こうした圧政下にある民衆に、威丈高の支配階級たち。
お触れを出す役人は、ズボンは履いていたけどレイザーラモンHGのようなゲイ風のマッチョ軍団。そして件のロボットもどきの連中。
皇女付きの女官たちも冷たく偉そう。
クイズに出てきた頭でっかちの宇宙人のような賢人3人。こいつらは、質疑にたいする答えをスルスルと巻物で出してみせて、正解ですといわんばかりに舞台から去る。
思わず笑いそうになった。感情や意志のない生活の象徴なのだろうか。
やっかいなのは、ピン・パン・ポンの三人組。
イタリア演劇がかつての昔より培ってきたコメディアの世界。悲劇の中にも仮面を付けた喜劇役者がいて重要な狂言回しを担う。
プッチーニが晩年の作品に中国を舞台にしつつも登場させた仮面トリオ。
新国ブロクハウス演出でも、パントマイムの連中を三人組に絡ませていたが、粟國演出でも昆虫のようななりをした女性ダンサーたちが常にまとわりついている。
三人の色が、赤・紫・緑をどこかにあしらっていて、影のようなダンサーちゃんも同じ色を付けててちょろちょろしているんだ。
これ何気に鬱陶しかったが、三人が故郷を思いノスタルジーに浸るところでは、追い返されていたから、彼女らは仮面の役割をしていたのではと。
でも3幕ではほとんど出てこなかったから、不徹底なのか、それともピン・パン・ポンは仮面なしの本質が3幕だったのか・・・・。
そんな冷たい上流支配階級のなかで、よぼよぼ皇帝は、いい人でいい味出している。
だからよけいに、皇女トゥーランドットの冷酷な圧政ぶりが浮き彫りになるというもの。
1幕の舞台奥、半導体の基盤のようなモザイクがあるメタルチックな壁の窓が開き、まばゆい光の中に美しいトゥーランドットが現れ、死刑の執行を命じる。
白いまばゆい衣装にキラキラ光る宝飾。どこからどこまでも、われわれがイメージするトゥーランドットそのもの。
2幕の超絶アリアを歌う場面でも同じ衣装で、冷凛とかつ神々しくもとりつくしまのない雰囲気が完璧なまでに醸し出される。
3幕、リューいじめの場面では、紫の柄の衣装で登場。白から少し染まってきたのかしら。
カラフの口づけを受けてしまったトゥーランドット。並みいる群衆・役人・老皇帝の前に出てきたときは、オレンジ色の明るい服で登場。
身も心も春色に染まり、明るく新しい一歩を踏み出した。
カラフと手をとりつつ、全員の称賛と祝福のなか舞台奥が開けて白い雲が浮かぶ青空が現れた ここで初めて美しい空が開けた。大気汚染もない。
対する、ティムール国の3人は、砂漠を抜けてきたかのような民族衣装で、この方々だけが異質。まさに解放者たる異端者ぶりにうかがえた。
ブロクハウスが苦心した、リュー亡きあとの場面。
アルファーノ補筆の場面から、プッチーニの書いた最高傑作に対比し、霊感不足はあまりに否めない。モーツァルトのレクイエムにも匹敵するその落差。
粟國氏は、リューの死のあと紗幕をおろして、一旦舞台を暗くしてしまった。
これは極めて嬉しくも妥当な配慮ではないだろうか。
惜しむらくは、パラパラと拍手が起きてしまったこと。
それと、紗幕ごしに歌われるトゥーランドットとカラフのぼんやりとした場面。
なにもない背景の中に浮かび上がるその二人だけど、音楽の力が不足するのと、リューが死んで間もないのに、現金なカラフ王子。あまえはいったい・・・・、という気分になる。
粟國氏は、過去の栄光・権力志向がカラフにありとしているらしい。
いずれにしても、この最終場はどんなことしても落としどころが難しい場面だ。
最後の青空を見ても、私の気分はいまいち晴れない。
秀逸なアイデアだった、先の新国の幕切れも、同じように晴れなかった。
この作品、大傑作だけど、舞台は本当に難しい。
プッチーニが語ったとされる、幕切れは「トリスタンとイゾルデ」のように・・・、口づけによる愛の目覚めで、楽天的に解決するのもひと手。
でも、愛の苦しみと別れ、死による浄化もトリスタンの真髄。
こうした厳しいシーンには背を向けてしまった。
リューの死も自決というよりは、自ら飛び込み、役人軍団に殺られてしまった感じで、劇性が薄かったかも。
今の日本を代表する歌手の皆さんが悪かろうはずがない。
二人の女性、横山さんと木下さん。彼女たちがまず最高。
どちらかというと、ワーグナーとシュトラウスのタイトルロールをこれまでずっと聴いてきた横山さん。イタリアものは初めて。力強さは充分だけど、あたたかく女性的なふくよかさも持ち合わせたすばらしい声。ヘレナ、アリアドネ、ブリュンヒルデと聴いてきたけれど、このトゥーランドットが一番よかった。すこしスリムになって、女性的なトゥーランドットを見事に歌い演じていたものと思う。
それと拍手の一番多かった木下さん。人気歌手であります。
そしてその人気のとおり、涙さそう素摘なリュー。ほんとうは、新国の浜田さんのほうが、はかなげでよかったけれど、さすがの名唱。
ダブルの高橋さんがファンなだけにこちらも聴いてみたかった。
カラフの水口さん。バリトン出身なだけに、低域を豊かに響かせつつ高音をエィッと張り上げるドラマテックぶりは聴いていて嬉しい。でもつねに一皮かぶったような声に・・・。
この方、昨年「グレの歌」を聴いたけれど、ドイツもののほうがいいような気がする。
あと皇帝の近藤さんが明晰な歌声だったし、私が大注目のHG与那城さんもインパクトありすぎ。ピン・パン・ポンの三人、お馴染みの二期会トリオ、文句なしだけど、演出ゆえに中途半端な存在に感じ、そして終わってしまった。
ティムール爺さんの志村さんも、このところいろんなところで聴いているし、いい声だった。
でも少し若すぎか・・・。
日頃聴き慣れた神奈川フィルは、やはりプッチーニにあったスリムでキラめいた音を聞かせてくれる。私は何度もオケの音に耳を澄まし、そしてオペラへのこのオケの適性に感心することしきりであった。歌心をシュナイトさんや現田さんに徹底して仕込まれた賜物!!!
歌と劇の感どころを的確にとらえた沼尻さん。
昨年にも増してオケがドラマを語るように、ピットから素晴らしい響きを引き出していたのではないだろうか。
幕が降りたら、オケの皆さんはそそくさとピットをあとにする。
ということは、と思っていたら、舞台に全員勢ぞろい。
石田氏を除いて、今日は首席級も勢ぞろい。おなじみの面々が舞台上で、喜々としている姿は、こっちまでうれしくなってしまい大拍手を送ったものだ。
今日の涙一滴の場面は・・・・。
なんといっても、リューの「氷のような姫君の心も・・」。涙さそう音楽に、高潔で愛すべき自己犠牲の場面。そして死後のティムール爺さんの嘆きぶり。
それと、意外に、2幕の姫君の不感症女の大アリア。血が通ってました横山さん。
馴染みある苗字に、下のお名前。我が家にも字は違えど、鎮座しておりますです。
ははぁっー-~。毎度、いや永遠に頭があがりませぬ。
謎かけに、いや命令にそむこうがものなら、即、お酒召し上げのお仕置きが・・・・
山下公園から、大桟橋に停泊中の豪華客船「シルバー・ウィスパー」をパシャリと撮影。
ともかくデカイ、美しい、バブリシャス。
幕が引けて、大桟橋までいって観察。
お金持ちがデッキでシャンパンのんだり、マダムがすんげぇドレスきてこれ見よがしに電話をしていたり・・・。
それを見るわれわれと、あえて見られるお金持ち。
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コメント
こんにちは。
私は昨日は音楽マニアでない友人と一緒だったんですが、彼女は初めて見聴きしたトゥーランドットをすごく堪能してました。私はもしかしてヘンな演出かも?とちょっとヒヤヒヤしましたが、意外と違和感なく楽しかったみたいでした。幕切れごとに「すぐ終わっちゃうのね」って言ってましたが。神奈川フィルは去年ミューザで演奏したので慣れてたのか?素晴らしかったでした。
投稿: naoping | 2009年3月29日 (日) 11時45分
naopingさん、こんにちは。
オケピットを除いたりウロチョロしてましたから、上から見られてたかもしれませんねぇ。
あの舞台は、きっとオペラ初でも楽しめたでしょうね。
同じおもしろさでも、新国のラインは無理でも、このトゥーランドットならOK。
幕間休憩なしも、ラインの黄金の方が長い・・。
これってすさまじいことですわ。
神奈川フィル、素晴らしいでしょう。
音がきれいなんです!
投稿: yokochan | 2009年3月29日 (日) 12時54分
なるほど。師匠筋はあの「とんでも」演出のブロックハウスでしたか。
どおりで、プログラムの対談で変なことを言っているはずです。
粟國氏は対談で、「リューの死」以降の作曲について「まだ時間はあったはずですよね。」と言っています。
ブロックハウスもジ・アトレで「リューの死でオペラは終わった。だからプッチーニは作曲を続けられなかった」と、トンでもな発言をしています。
3幕に着手したのが1923年6月、その年の11月までにリューの死まで進んでいますが、同じ年の暮れには咽頭癌の症状は深刻な状態に進んでしまっています。
というわけで、純粋に健康上の理由だけだと思うけど。
何かそうでない新たな証拠でも最近見つかったのでしょうか?
とはいえ、ブロックハウスの「とんでも」演出よりは良かったと思います。だけど、詰めはいまいちかな。
最後はなんか取ってつけたような終わり方で、リューの自己犠牲は実を結んだのか?抑圧されていた市民は解放されたのか?
まぁ青空が広がったから良い方向に向かうと言うことなのか?
投稿: 通りすがりの者です | 2009年3月29日 (日) 15時12分
通りすがりさま、コメントどうも恐縮です。ありがとうございます。
なんのかんの書いてしまいましたが、結構面白く観劇できた舞台でございました。
かえすがえすも、美食家のプッチーニが、野禽の骨を喉に詰まらせてしまったことによる咽頭癌が、トゥーランドットの結末を虚しいものにしてしまいました。
そうした意味で、私はブロクハウスの大胆な試みは悪くないと思いますし、今回の粟國さんの演出もありと思いました。
それでも、終幕の描き方は、もう一歩だったかもしれません。
来年のボエーム、ホモキ演出が楽しみであります。
投稿: yokochan | 2009年3月29日 (日) 22時58分
はじめまして。
いろいろな演出があって面白いこともあるのでしょうねー。
時代とともに解釈も変わっていくのでしょう。
テゥーランドットという歌劇自体が変わったはなしですから
なんとも言えません。
音楽が何らかの主張、政治的、歴史的、精神的、そんな主張をする道具としては大事なものであるような気がしています。
もちろん純粋音楽としての楽しみもあるのは言うまでもありません。
今日もスマイル
投稿: kawazukiyoshi | 2009年3月30日 (月) 03時56分
こんばんは。
細かい部分に不満を持たれる向きもあるようですが、
オール・ジャパン・キャストのトゥーランドットを、この水準まで
引き上げた、沼尻君にブラーヴォです。
投稿: Pilgrim | 2009年3月30日 (月) 20時13分
こんにちは。
新国のトゥーランドット見たかったのです・・・
願い叶い先日TVで見ましたが面白い演出でしたね。
さてこの共同制作、続けてほしいものです。
膨大なエネルギーや金銭をかけて作られる舞台なのですから再演ナシ、予定もナシは大変つまらないものです。
昨年別のトゥーランドットを見ましたが絶世の美女という役柄はいずこ…
北京の町というもののベトナムの農民のようないでたちの民に呆然となりました。
沢山の演出、沢山の解釈に触れることは刺激的でいいかもしれないですね~♪
投稿: moli | 2009年3月31日 (火) 18時18分
kawazukiyoshi さま、コメントありがとうございます。
オペラの楽しみは、音楽とともに様々な演出。
でも音楽あってのもので、その音楽を前提としていろんなメッセージを込めることができるのですね。
偉大な作品は、いろいろな解釈を受け入れることができます。そしてもちろん、舞台に載らなくても、音楽だけをCDで聴いても感動は変わりませんよね。
「今日もスマイル」、いいですね。
どんな時でも、そう思っていきたいと思います。
どうもありがとうございました。感謝です。
投稿: yokochan | 2009年3月31日 (火) 21時26分
pilgrimさま、コメントありがとうございます。
そうです!
沼尻くんを忘れちゃいけませんです。
このプロダクションの要は彼だったのですね。
そして、わたし的には、神奈川フィルの美音が嬉しかったです!
投稿: yokochan | 2009年3月31日 (火) 21時36分
moliさま、コメントありがとうございます。
新国のトゥーランドットは、わたくしとても面白くて、昨年観劇のオペラ上位に印象付けられております。
今回も、楽しい舞台でした。
この作品、いろんな解釈の余地があって、演出家を奮い立たせるのでしょうね。
ベトナムの農民とはまた面白そうですね。
DVDも含めて、いろんな上演を観て、その作品の多面的な楽しみ方を味わっていきたいと思います。
この共同制作、来年はボエームですから、絶対に見逃せませんね!!
投稿: yokochan | 2009年3月31日 (火) 22時02分