ワーグナー 「ラインの黄金」 新国立劇場公演
新国立劇場公演、ワーグナーの舞台祭典劇「ニーベルングの指輪」4部作の序夜「ラインの黄金」を観劇、今宵は、最終日にあたる。通算これで5度目のリング体験。
ワーグナー狂もながらくやっているけど、この先何回リング上演に接することができるか。
年一作のペースで話題を呼んだ、キース・ウォーナーの「トーキョーリング」の初回が2001年だから、もう8年経つ。
「神々のたそがれ」からも4年。
ようやく実現した再演は、年を跨ぎふたつに分割されてしまった。くわえて、4年~8年の、この年月の経過は、新鮮でポップだったウォーナー演出にとって、やはり遅きに失したといわざるをえない。
欧米では、リングは再演ものになると、バイロイトでなくとも、シーズン内に4部作連続上演が珍しくない。歌手を長期留めおいたり、舞台装置を4種類常備しなくてはならなかったり、そしてなにより客席を埋めることができるかどうか?
難題は多いが、なんとか実現して欲しかったもの。
せめて1年後じゃなく、1シーズン内に収まらなかったのかしらね?
日々、いろんな演目が楽しめる欧米の一流劇場に比べ、月一演目の現状の新国。観るわれわれも含めて、まだまだ課題は多い。
あふれかえる東京のオーケストラコンサートを減らして、もっとオペラを!
前置きばかりで、ようやく本題。
8年前、フレッシュだったウォーナー演出。
今回、ウォーナーの名前は、初演スタッフの演出者として名前が出ているだけで、プログラムにはその写真も経歴も一切記されていない。
ということは、8年前の演出が記録に基づいて、そっくりそのまま上演されたということで、ウォーナーの原演出の忠実なコピーなわけだ(たぶん)。
ウォーナーは、トーキョーリングと少し被る時期に本国コヴェントガーデンでも全く違うリングを演出しているかるから、これほどの才人になると、手直しや異なる切り口も期待できたはず。前回観劇した身としては、そんな思いを持ったのも事実。
演出は進化し、成長するものだから。
なーんて、偉そうなことを言ってながら、8年前の舞台をろくに覚えてない。
覚えていたのは、文明堂のカステラのCMのようなクマさん(モンチッチ?)、フローの8ミリカメラ、ジグソーバズル、風船に神様軍団。
当時、このリングの舞台の詳細を書きしるしたはずなのに、どこに書いたか覚えていない。
あー、これ、アル中ハイマーなんだろか!
だから、前回との差異を書こうと思ったけどできません。チーン。
ホールは暗闇になり、指揮者はこっそり指揮台に。
原初の和音が、こうして始まる一大叙事詩、いつもワクワクしてしまう。
でも、このウォーナー・リングは、壮大な叙事詩というよりは、もっと軽くて情報満載のビデオアートのようなノリの作品なんだ。
舞台奥に光源があり、それが徐々にスクリーン映画に見入るウォータンとわかってくる。
やがて、上からラインの流れを想定したスクリーンが降りてくる。
背中に番号を付された斜めの座席がせりあがっていて、クマかおさるか、着ぐるみのラインの乙女が登場。アルベリヒは、派手な赤い衣装にゴリラのお面で現れる。
このグループの追いかけっこは、ラインの乙女がまずは白いミニワンピ、ついで、スクリーンが黄金に染まると、シンクロの選手になって黄金を讃える。
アルベリヒは、スクリーンに飛び込み、黄金もどきのジグソーのひとつを略奪。
間奏の合間、その一部始終を、ウォータンのでかい目が見ているし、ジグソーを抱えるアルベリヒと、ウォータンが舞台奥で行き違う。
舞台は、宇宙船のような、ななめに切り取られた空間。奥の窓にはWalhallaの文字が。神々の頭文字を記した段ボールがころがっていて、小金持ち風にガウンをはおったウォータンのもとへ、モード風のスーツを着たフリッカがイライラしながらやってくる。
この奥さんは、夫の愛を取り戻したくて必死の態。
髪金でパーティドレス姿のフリッカ、坊主頭でマフィアのような巨人兄弟。
ドンナーは、自分の段ボールから金槌を探しだし、片隅の段ボールから、火花を散らしてマジシャンのようなローゲ登場。ローゲは、ハンカチの中から花を出したりしちゃう。
フローは、これも段ボールから8ミリカメラを取り出して撮影開始。映りを気にするフリッカもおもしろい。
かくして、地底に降り行くウォータンとローゲ。
真っ黄色で斜めにしつらえたニーベルハイムが登場。安いキャバレーのような「NIBEL HAIM」のラメ文字がまばゆく変幻する。
映画「ダーティー・ハリー」に出てくるような、ハデハデしい西海岸風の成金ギャングのようないでたちのアルベリヒが、鉱山職人のような弟ミーメを責め立ててる。
隠れ頭巾は、あまりにちゃちなお面。それを被ると、床の下に消えて透明人間に。
奥で手だけ動かすニーべルハイムの労働者たちは、精錬した黄金を見立てた黒いアタッシュケースを完成品として並べている。
ウォータンとローゲの前に、金髪の極めていけてるネーちゃんを追いたてながら、アルベリヒ登場。アルベリヒは、やたら自信満々でやたら下品。ネーちゃんとイタシテしまったり。
ローゲにおだてられて、蛇になると、舞台上から巨大で精巧な大蛇のお顔が。下手からは、その尻尾が・・・。おネーちゃんは、逃げちゃった。ざーんねん。
ついで化けたカエルは、もろにカエル。捕まえられて、ふんじばられて、先のアタッシュケースにいれられてしまった。
アルベリヒがいなくなってしまったニーベルハイム。ミーメがちょろちょろと出てきて、派手な兄のジャケットをはおり、偉そうにしている。
場面転換の途中、あのネーちゃんがミーメのもとにやってきて、二人は・・・・・。
両手を紐で縛られ囚われのアルベリヒ。手下を呼び、アタッシュケースを運ばせるが、手下どもは、主人の哀れな姿を見てさげすみの笑を起こす(通常は、恐怖の叫びだが・・・)
指輪を渡すのを拒むアルベリヒに、ローゲはニーべルハイムから持ってきた小斧をウォータンにさりげなく渡し、ウォータンはアルベリヒの指を切断して指輪(ミニジグソーの断片)を奪い、指にはめる。アルベリヒのこの4部作の根底に影響をなす死の呪は、じっと動かないウォータンの回りをちょろちょろしながら赤い服着て呪う、まさにご祝儀のような歌で、軽いタッチ。その後、自らの股間に2度小斧を振りおろす。
もう子供ができないということか、快楽はやめたということか。
必然的に、ハーゲンは、例のネーちゃんとの子なのか、それとも弟ミーメの・・・・。
かくして神々がそろい、巨人たちは、巨大なケースにフライアを詰め込んで登場。
そのケースに、アタッシュの中の金色のチャラチャラを移しかえる。
フライアとファゾルトは、出来てしまったようで、離れがたい雰囲気。
ウォータンに警告を与えるエルダは、ジグソーの形で切り取られたドアから登場。
なんとも不気味ななりで、ウォータンはドアをこじ開けて追いかけようとする。
指輪をあきらめたウォータンから、後ろ手に投げられたその指輪をゲットしたファフナー。兄ファゾルトと取り合いになるが、そこでローゲが、先の血ぬられた小斧をすかさずファフナーに渡し、ファフナーはいやというほど、兄に歯をたてまくる。
フライアが止めに入るがもう遅い。フライアは捨てられたナイフを手にとり、手もドレスも血だらけに・・・。このあとずっと彼女は打ちひしがれている。
不安な空気を打ち払うべき、ドンナーが雷を起こすが、この音と閃光がすさまじい。
雷が去ると、宇宙船空間は下に沈み、真白くて清潔な空間に。
並んだ神々は白い神様装束。左右に番号のふられた扉があり、上からカラフルな風船が虹よろしく降ってくる。
そこへ文字通り、世界の神様たちがぞろぞろと招待状を持って出てくる。
これより、いよいよ入場だ。一人、ローゲはほくそ笑み、手のひらに、手品師のように炎をともし、舞台を右から左に、よれよれの着ぐるみ姿のラインの乙女たちがカートを引きながら横切る。そんなことは我関せずの神様たちは舞台奥へ・・・・。
舞台の隅々にいたるまで意味を持たせた、いや、逆に意味のない雑多な品々と人物たちの過剰な行動。
舞台から流れ出てきて、それこそタレ流し状態の溢れ出る情報。
8年を経て、2度目の舞台。途中、「次これ来くる」くらいに思いだいながら観ていたけれど、それらが全体にどう機能しているのか、していたのか、いまだにわからない。
冒頭の映画の場面や、フローのカメラは、4部作を完結する際に重要なキーだが、それだけだとすると、あまりに浅薄に思うし・・・・。
物事の始まりとしてのプリミティブ感が先行する「ラインの黄金」。
そうではなかったウォーナーのは、傍観者としての観客を遠くに置いておいて、画像的な映像を見せつけてみた、そこには何でもあります的なおもちゃ箱的なものであった。
続く「ワルキューレ」はもっとドラマ性が強く、あらゆる「愛」のデパートのような楽劇だから、もう少し親近感がわくはず。でも舞台はチャチですよ。
ウォータン:ユッカ・ラシライネン ローゲ:トーマス・ズンネガルド
ドンナー:稲垣 俊也 フロー:永田 峰雄
ファゾルト:長谷川 顯 ファフナー:妻屋秀和
アルベリヒ:ユルゲン・リン ミーメ:高橋 淳
フライア:武蔵 蘭子 エルダ:エレナ・シュレーター
ウォークリンデ:平井 香織 ウェルグンデ:池田 香織
フロースヒルデ:大林 智子
ダン・エッティンガー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
(3.18 @新国立劇場)
外来・国内の混成部隊。
この中では、アルベリヒを歌ったリンがその声量と声の存在感と美しさにおいて圧倒的。
昨年、親日フィルの「ばらの騎士」でファーニナルを素敵に歌った記憶も新しく、この人のステージマナーもとても立派なところから、今後注目大のバリトンです。
今回、ウォータンのカヴァーとして名前も入っていたから、本当はこっちの方が・・・。
ローゲのズンネガルドには、その演技に狡猾さが欲しかったが、歌はいい。
オクタヴィアンのイメージを引きずっているツィトコーワのいじらしいフリッカも好きになれた。でも、ラシライネンはちょっと苦手で、前回のさまよい人やバイロイトのオランダ人では、その不安定に聞こえる音のとり方がどうも好きになれなかった。
今回はかなりマシだけど、さらに声の威力が欲しい。
もっとも、このサラリーマンの部長級のウォータンのイメージの演出には、ちょうどよいかもしれない。
エルダのシュレーターはバイロイトで活躍中のメゾだが、さすがにその一声で、段違いの声を聞かせ、ブラボーを呼んでいた。
その他の日本人歌手は、みなさんスバラしすぎ!!
ことに高橋さんのミーメと、巨人兄弟はその性格ぶりが実によかった。
最後に、エッティンガーの指揮。師匠バレンボイムの時に厚ぼったい音楽づくりとは、大きく異なり、スタイリッシュで繊細さを強調しつつ、しなやかなワーグナーだった。
2時間40分というゆったりめのテンポは、よくオーケストラをコントロールしていた。
この指揮は、今後の3作が楽しみとなるものだった。
本日、明朝出張を控えここまで。ありゃ、3時間しか寝れない。
考えをまとめて、またたぶん書きます。
「リング」第1章。
ワーグナーは偉大なり。
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コメント
yokochanさま こんばんは
新国立の「ラインの黄金」のレポ、愉しく読ませていただきました。
演出が相当に奇抜なものだったんですね〜。
ヴァーグナーの音楽とは合っていたのですか?
どうも、そうとも思えないようですね〜。
ただ、色々な演出を生み出すものが、ヴァーグナーの音楽と歌にはあるのかもしれませんね〜。
こちらでは、想像するしかありません;;
ミ(`w´彡)
投稿: rudolf2006 | 2009年3月19日 (木) 19時41分
こんばんは。
なーんだ、もう終わる頃だから、今回は見に行っていないのかと思っていました。私は、初めてですが、ものすごく感動しました。
珍しく、日本人歌手ふくめ、ほとんど不満はないです。アルベリヒとエルダがとくに良かったとは思いますが。
クロアチアに旅行に行って、帰ってきた次に日がワルキューレです。ダイジョウブだろうか。
投稿: にけ | 2009年3月19日 (木) 20時32分
さすがに2時間40分は応えました。「マイスタージンガー」第3幕でも約2時間なのに。「ライン」は拷問です。冗談はともかく、ホント、アルベリヒのオペラだと思いました。そもそも「リング」の全体の鍵をこじ開けたのはアルベリヒなんだなぁ。リンの強力な声、凄すぎでした。それとエルダのシュレーターも圧巻。日本人も良かった-ただ、ラインの乙女たちは「恥ずかしがって」いたのか演技がいまひとつ。でも歌は良かったです。「ワルキューレ」楽しみです。
これだけのワーグナーが歌えるんだったら、あらかわバイロイト、いこうかしら・・・。
投稿: IANIS | 2009年3月19日 (木) 21時59分
こんばんは。yokochanさんも行かれたのですね。
去年見に行った通りすがりの人の話を小耳にはさんだのですが、いろんなところが微妙に変わっているらしいです。何が変わっているんだろう・・・。
なんか、私はワーグナーのオペラを見た感じがしなかったのですが不思議とイヤな気はしなかったです。ああいう奇抜な演出をよしとしないワグネリアンも中にはいると思うんですが・・・楽しめない人は損だと思うんですよ。東京都民としてトーキョー・リングは世界に誇れる名舞台だと信じています、私は。
投稿: naoping | 2009年3月19日 (木) 22時43分
rudolfさま、コメントありがとうございます。
2度目の観劇でしたが、前回の内容をほぼ忘れていて、きわめて楽しく観ることができまいした。
音楽とあっているか否かは、あっているような、いないような・・・・、というような印象です。
でも、相当と言葉を研究していますね。
こういう演出はぜひ映像で何度も見てみたいものです。
大阪で、新国の引越し公演をやればいいのに。。。。と思います。
投稿: yokochan | 2009年3月20日 (金) 16時42分
にけさん、こんにちは。
へへ、いってきました(笑)
そして、にけさんの記事も虎視眈々と拝見しておりました。
実は、1度目の失われた記憶をにけさんの、すんばらしい絵で呼戻したりもしてたんです。
恐れ入りました。
クロアチア帰りでワルキューレ。
ぜんぜん大丈夫ですよ。
おもしろすぎて、眠くなる暇なんてありませんから。
投稿: yokochan | 2009年3月20日 (金) 16時45分
IANISさん、こんにちは。
ホント、疲れますよね。
音楽と舞台にはまったく息つく間もなかったのですが、歳とると、同じ姿勢でずっと座っているのが、どーしよーもなく、私には拷問でした。
ご指摘のとおり、ウォータンがちょっと若い雰囲気でしたから、完全にアルベリヒが持っていってしまいましたね。
日本人のワーグナー、まったくすばらしく、私も感無量です。二期会の古い時代の声を知る身としてはなおさらです。
「あらかわ」、行きましょーよう!
投稿: yokochan | 2009年3月20日 (金) 16時50分
naopingさん、こんにちは。
やはりいらっしゃいましたね。
本文にも書きましたが、初演との差異を記事にしようと思ったのに、アルコール健忘症に冒され、当初のメモが見当たらず、です。
でも微妙に違うのですね。ますます、メモが気になりますう。
どっちかというと、保守的な私も、このウォーナー演出は大いにOKです。
読み替えではなく、以外にも音楽を大事にした演出ではないかと思ったりもしてますが。
そうですね、まさに都民が誇れるリングですね。
この際、全部DVD化してほしいですよね。
投稿: yokocahan | 2009年3月20日 (金) 16時56分
こんにちは
新演出のとき行けなくて、残念でしたが、これでトウキョウリングを全部鑑賞できました。休憩なしはちょっと疲れましたけど、楽しかったです。TBします。
投稿: edc | 2009年3月20日 (金) 20時04分
euridiceさま、コメントありがとうございます。
トウキョウリング完結、おめでとうございます。
飽きずに楽しく観劇しましたが、私も疲れました(笑)
投稿: yokochan | 2009年3月21日 (土) 23時55分
15日の公演に参りました。アルベリヒ、ミーメがたくさん拍手をもらっていました。初めてのリング観劇でしたが、とても楽しめました。
投稿: steph | 2009年3月22日 (日) 22時29分
setephさま、コメントどうもありがとうございます。
とても楽しく観劇できるリングでしたね。
保守的な日本の舞台で、これは難なく受け入れられた名舞台でした。映像化して、世界に発信して欲しいものです。
アルベリヒとミーメのいがみ合う兄弟。わたしも最高に良かったと思います。
まだ長丁場で、あと3作ありますが、是非楽しみましょう!
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2009年3月22日 (日) 23時28分
初演の時見て以来で今回見れませんでしたが、細かい説明で思い出しました。
ウォーナー演出って一見ポストモダンな演出ですけど、やってる事はすごくオーソドックスって言う気がしますね。
キッチュな演出という印象なのは、単純に衣装やセットが現代風なだけで奇を衒ってるわけじゃなく、凄く理にかなった演出だと思います。
ローゲが劇場支配人風だったり、ワルキューレが赤十字のナースだったり、なるほどと思う読み替えなんですね。
そもそも指環って四部作通してみるとおかしいところが一杯ある台本じゃないですか?
一番おかしいな?と思うがラインなんですよ。
○愛を断念した筈のアルベリヒが何で子供を作れるのか?
○ヴォータンに黄金を全部取り上げられたのに、どうやって女を篭絡したのか?
○世界を支配する指環を持ってるアルベリヒが、神々とはいえあんなに簡単にヴォータンに捕まるのはどう考えても変。
○一番おかしいのは、指環がヴォータンのモノになってるのになぜ元の持ち主ってだけでアルベリヒが呪いを掛ける事が出来るのか?って事ですね。
神話とかファンタジーって元々デタラメだったりご都合主義なものだから、ワーグナーはあれでもいいと思ったのかもしれませんけど作劇的に矛盾してるのは確かです。
でもウォーナーの演出が秀逸なのはそういう部分を非常に上手く辻褄あわせしてるんですよ。
そこが素晴らしいと思いました。
それと最後のヴァルハラへインドやら世界中の神々がやってくるところが好きですね。
八百万の神々の国の演出として目配りが効いてると思いました。
深読みするとカルトやら新興宗教
投稿: | 2009年3月23日 (月) 20時39分
<つづき>
深読みするとカルトやら新興宗教やらがごったにある現代社会への皮肉にも感じました。
ただあまりに何もかも具体化しすぎて情報量がハンパでなく多くなり、音楽が聞き取り辛いのが欠点かもしれません。
DVDにして何度も見たいので、是非映像化して欲しいですね。
以上長くなりすぎましたすみません・・・。
(途中で書き込みボタンを押してしまって2つに分かれてすみません)
投稿: | 2009年3月23日 (月) 20時46分
こんばんは。
僕も綺麗サッパリ忘れていて、前回の記憶は殆んどありません。
と云うか、あの時は演出の意図が、全く分からなかったのだと思います。
投稿: Pilgrim | 2009年3月23日 (月) 21時21分
読み人知らず様、素晴らしいコメントどうもありがとうございます!
ほんとうに同感、ウォーナーはト書きと音楽をしっかりと把握して、この演出を行っていると思います。
雑多な情報の奥に、彼が何を訴えようとしているか把握するには、私のような凡庸な頭では不可能ですが、せめてDVD化してもらって、日々気軽に楽しんでみたいリングに思います。
最後に、ウォータンがワルハラ入場を決意するとき、何故か「剣の動機」が鳴り響きますが、ローゲが懐からこのあと活躍する剣を取り出し、ウォータンに手渡しました。
ローゲの狂言回し的な存在としての重要度を印象づけるとともに、ワーグナーが思いつきかもしれない、または大いなる決意の場に用いたそのライトモティーフが完璧に意味をなしていた秀逸な場面でした。
それにしても、ラインゴールドは矛盾のしこたま溢れる楽劇ですねぇ(笑)
どうもありがとうございました。
投稿: yokochan | 2009年3月23日 (月) 23時08分
pilgrimさま、ご無沙汰しております。
コメントとTBありがとうございました。
私も、8年ひと昔、完全に忘れてました。
どうもいけません。
貴ブログを拝見し、なるほど、映画の切り口なんだ!と痛感し、pilgrimさまの読み込みの素晴らしさに感心しました。
なるほどです。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2009年3月23日 (月) 23時18分
yokochan様
ワーグナーのオペラの生観劇未だ果たして居りませんが、『ラインの黄金』は全1幕なので二時間半ほどは、全く休憩無い訳ですね。LPなら25~30分でホッと一息つけ、CDでもDisc-1再生終えましたら、コーヒー・ブレークと相成るんですから。でも眼を瞑る前に一度本物を舞台で拝みたい気持ちも、心の片隅に御座います。ショルティ盤(イギリスDecca:SET-382~84)のLPで、耳からだけでしたら馴染みましたから。でもこの作品、ピアノ伴奏で美味しい所取りで取り上げる等と言う事も、やり辛いでしょうし。難しい所ですよね。
投稿: 覆面吾郎 | 2022年8月31日 (水) 08時41分
ワーグナー狂の自分には、ラインの黄金なんて、ちょちょいのちょいで聴けます。
同じ長さでも、3幕を連続演奏するオランダ人の方が、わたしにはやや座り心地の悪い作品に感じます。
番号オペラの形式からまだ完全に脱していなかったことや、合唱の多用が、集中力不足となっていると、勝手に思ってます。
ラインの黄金は、4部作のいろんなキーポントが込められた作品なので、オモシロさが満載なのだと思います。
投稿: yokochan | 2022年9月 5日 (月) 08時37分