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2009年3月25日 (水)

ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レングラード」 バーンスタイン指揮

Goroukou 以前だけど、仕事で水戸を車で走っているときに見つけた「黄門さま」。
御老公、お風呂入っちゃってる。
なんで、お銀ちゃんじゃないんだ。

でも、お銀だったら、ここは公道に面してるから事故が絶えなくなっちまうし、じーさんでよかった。

なんのこっちゃ?

この黄門さんは、西村晃に似ている。
黄門さんも、その前の東野英治朗、後の佐野浅夫、石坂浩司、里見浩太郎と続いてる。長寿番組の代表ですな。お銀ちゃんは58歳だって!

Shostakovich_sym7_bernstein

しばらくぶりのショスタコーヴィチ(1906~1975)交響曲シリーズ
本日は大作第7番「レニングラード」。

水戸黄門じゃなけれど、闘いをテーマに重苦しさから、最後は歓喜の凱旋勝利に終わる、見え透いた偉大なるワンパターン的音楽。
でも、わかっちゃいるけどこれにはまってしまうのよね。すっかり乗せられてしまって、いろいろと起きるけど、最後はとてもいい気分。
それも、ショスタコーヴィチの音楽を楽しむひとつのあり方だと思う。
音楽の裏に秘められた謎めいた暗示や思いは横へ置いといて、素直にその素晴らしい音楽に耳を傾けるにかぎる。

独ソ戦勃発によるレニングラード包囲に触発され、かつ前作6番が芳しい評価を得られなかったこともあって、ショスタコーヴィチは、愛する生まれ故郷レニングラードのために大交響曲を作曲するにいたった。
戦争交響曲と呼ばれる所以。
当初自ら、各楽章に付けた表題が、Ⅰ(戦争)、Ⅱ(回想)、Ⅲ(祖国の大地)、Ⅳ(勝利)というものであったが、まさにそんな表題に相応しい大交響曲。
もっとも有名で、かつ一度聴いたら忘れられない第1楽章の中間部に現れる「戦争の主題」。まるで、ラヴェルのボレロのような単一主題のオスティナート風繰り返し。
太鼓の上に、いろいろな楽器で繰り返しつつ、そして徐々に力を増して全オーケストラのトゥッティになり、別動隊バンダも加わり、ものすごい興奮状態を巻き起こす。
だがしかし、そのピークに至って、この楽章の冒頭にハ長調で晴れやかに歌われる「人間の主題」が、今度は大いなるカタルシスのようにハ短調で猛烈に響く!
ここまでの巨大な展開を聴いて、心動かされない人はいないのでは。
醒めた耳で聴いてしまうと、かえってしらけてしまうものだが、私の場合、こうした音楽に、まだまだ大丈夫だ。
そのあと、妙に澄み切った心境のようになり、回想しつつこの長い楽章を終わるわけだが、その展開は5番にそっくり。
ちなみに、戦争の主題がヒトラーの愛した「メリーウィドー」のダニロの歌に似ているのは、承知の有名なお話。油断もスキもないショスタコなんだ。
 たのしき思い出をゆったりと思い起こすかのようで、悲哀に満ちた一筋縄ではいかない第2楽章は、これもまたショスタコーヴィチの別の顔。
 コラールのようで、祈りにも溢れた第3楽章は深い。ロシアの大地を思わせる。
そして中間部以降は、音に力を増し強烈なクライマックスを築くが、そのあとの抒情的なビオラの歌に導かれ、再度深い祈りの歌が始まる。
そしてそのままアタッカでもって、終楽章に引き継がれる。
低弦がうごめくなか、いずれ来る勝利を思わせる印象的な旋律が徐々に姿をあらわす。
いろんなイメージの旋律が錯綜するなか、じわじわと雰囲気が高まり、勝利のファンファーレが準備され組成されていく。
そしてついに、冒頭の人間の主題が強大に奏でられ、圧倒的なクライマックスを築いて、毎度おなじみのティンパニ数基による連打でもって大団円を迎える!

例の、ヴォルコフの証言では、ヒトラーによって完結されてしまったスターリンの暴虐をテーマにしていて、私の作品は墓碑であるとした。
真偽は毎度不明ながら、その内容に一理あることは認めつつも、7番の本来持つ、反戦・平和・勝利、という基本モティーフは変わりなくこの曲に流れているものだと思うがいかに。

連合国側でも大評判となったこの曲、米国初演を競い合って、それを勝ち取ったのはトスカニーニ。音源にもなってる。
最近では、各地で二つのオーケストラの合同演奏の形で取り上げているゲルギエフが、独自のメッセージ性をもっている。
さらに純音楽的な解釈で聴かせるのが、ハイティンクやヤンソンス。
 そこへゆくとバーンスタインは、まるでマーラーを指揮するかのように巨大な演奏をしていて、好悪が別れるかもしれない。
ニューヨーク盤は、部分的にしか聴いたことがないが、かなりストレートで直情的な演奏だった。DG時代、シカゴ響とライブ録音した今夜の演奏は、重々しい展開の中に、誰にも真似のできないような情熱を注ぎこんだもので、晩年レニーが希求してやまなかった平和への思いが圧倒的に迫ってくる。
テンポは、他盤と比べると、かなり遅く、弛緩したイメージも与えかねないが、私はマーラーほどの違和感を昨今感じなくなった。そしてレニー、かなり唸ってます。
当然、オーケストラホールのデッドな響きに聴く、シカゴの凄まじい破壊力にも降参。

 7番は、前述の演奏などや、重厚なロシアン演奏なども含め、多様な解釈を許容する面白い作品だと思うが、聴き過ぎ注意だimpact

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コメント

yokochan様今晩は。
私が高校時代に初めて聴いたレニングラードが、このレニーの演奏でした。当時はショスタコの交響曲のCD自体が今よりも少なかったです。CDが高かったですし。6600円の大枚をはたいて買ったCDです。最近は晩年のレニーの感情移入の激しさに辟易とさせられるようになってしまったので、ロストロポーヴィチ&ワシントン・ナショナル響やバルシャイ&ケルン放送響の演奏を好んで聴いています。

投稿: 越後のオックス | 2009年3月26日 (木) 00時50分

こんにちは。

初めて7番を聞いたのが、バーンスタイン/シカゴ響盤でした。(今もこれ1枚のみ所有)
いっぺんに音楽に引き込まれてしまいました。またシカゴ響のパワーにも脱帽です。

投稿: よんちゃん | 2009年3月26日 (木) 09時01分

越後のオックスさま、こんばんは。
コメントありがとうございます。
最近でこそ、ショスタコ交響曲全集なども何種類も出てますが、私の聴きはじめのころは、コンドラシンのみ。
ロジェヴェンについで、ハイティンクが録音中の頃でした。
そんな中で、バーンスタインは、ショスタコ演奏のパイオニアのひとりですが、ご指摘のとおり、なかなかに粘っこい演奏ではあります。でも書いたとおり、マーラーほどではありませんでしたし、シカゴを聴く楽しみも勝りました。
そんなレニングラードでした。

投稿: yokochan | 2009年3月26日 (木) 23時56分

よんちゃんさま、こんばんは。
そうです、ここに聴くシカゴはすごいものがあります。
バーンスタインとの共演、マーラーやベートーヴェン、ブラームスをやったらどうなったでしょうねぇ!!

投稿: yokochan | 2009年3月26日 (木) 23時57分

これは圧倒的名演だと思います。
両端楽章のド迫力はもちろんですが
中間2楽章の哀切さがたまりません。
確かにこの曲は「交響曲」としては「ユルい」です。
バーンスタインはむしろそれを逆手にとって壮大に盛り上げたのでは?
反戦主義者の彼ならばの共感溢れる演奏です。

投稿: 影の王子 | 2011年10月 2日 (日) 19時39分

影の王子さん、こちらのタコにもありがとうございます。
バーンスタインが同時代のショスタコやブリテンに共感したのは、まさに反戦というところでもあったのですね。
シカゴという強力なオケを得て、おっしゃるような壮大ぶり。ニューヨークの旧盤ではこうはいかなかったです。
貴重な録音となりました。

投稿: yokochan | 2011年10月 3日 (月) 22時33分

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