« 夜の「にゃんにゃん」 | トップページ | プーランク 「グローリア」 ヤンソンス指揮 »

2009年3月11日 (水)

ブラームス 「運命の歌」 アバド指揮

Utsunomiya_johan 宇都宮の「聖ヨハネ教会」。
同じ市内の松が峰教会と同じく、大谷石でできた教会。

1933年の建築で、そのまま。
日本の神社仏閣もそうだが、教会はバランスがとてもよく美しく、見るものを安心させる。
日本聖公会、英国国教会系の教会。

Abbado_brahms3 今週の金曜日は、またもや13日が巡ってきた。
そんなことはどうでもいいけれど、横浜では、シュナイト翁の神奈川フィルハーモニー音楽監督としての最後の演奏会が行われる。
その演奏会は、まさに祈りの音楽がしっかりとプログラミングされている。
あまりに渋い演目にたじろいではいけません。 

ブラームス/悲劇的序曲作品81
ブラームス/哀悼の歌作品82
ブラームス/運命の歌作品54
ブルックナー/テ・デウム

熱心なカトリック信者であられるシュナイト師が、その総決算として演奏するこの内容。
涙覚悟で行く所存でございます。

これらの中で、私がもっとも好きなのが、ブラームス「運命の歌」。
つい、運命の力と言ってしまいそうになるけれど、あちらのオペラは運命に翻弄される悲劇を強烈に描いたものだが、ブラームスの「運命の歌」は、もっと優しく抒情的で、その内容は神々の世界と人間の苦悩に満ちた世界との対比を歌いこんだもの。

ヘルダーリンの詩に基づくもので、その詩の内容は、前半では天上に暮らす方々のまばゆくも神聖な様子が歌われ、後半は、地上のわれわれの苦しい状況が悲嘆を伴って歌われる。
 こんな感じで。

   けれども、私たちには休息の場が与えられません。
   悩み苦しむ人々は消えていきます。落ちていきます。
   やみくもに、時から時へと、水が断崖から断崖へ落とされるように
   たえずあてどなく下の方へと

あちゃ~、まったくの悲劇的内容。
合唱はこれを歌って終わるのであります。

ところが、ブラームスのマジックはこの歌では終わらせない。
そのあとのオーケストラの後奏が、とてつもなく美しく、安らぎと癒しに満ちているのであります。これで、われわれ人間は救われるのであります。
今の厳しい世の中に暗澹としてばかりではいけません。
その先には平安がきっとある。
今日の田口さんご家族と、金賢姫さんとの面会の様子を見て思わず涙してしまった私。
苦しみや悲しみの後にはきっと・・・・・・。
そんなことを思いつつ、運命の歌を聴いていた。
アバドは、この曲が若い頃から好きで、始終演奏し、録音してきた。
ベルリンフィルのブラームス・チクルスの一環で録音されたこのCDは、しなやかでかつ甘さをも併せもった微笑みの名演なのだ。
その序奏部からもう目頭が熱くなってしまう。なんて歌に充ち溢れた演奏なのだろう。
E・ゼンフ合唱団の緻密な歌に加え、ベリリンフィルの音はまさにブラームスそのもの。

 ニュー・フィルハーモニアを指揮した旧盤、アバドのベルリンフィル音楽監督としての最後の演奏会のFMライブ。手元にある3種のどれもが愛おしい。

金曜日は、ハンカチ2枚は必要だ。

|

« 夜の「にゃんにゃん」 | トップページ | プーランク 「グローリア」 ヤンソンス指揮 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/151893/44316822

この記事へのトラックバック一覧です: ブラームス 「運命の歌」 アバド指揮:

« 夜の「にゃんにゃん」 | トップページ | プーランク 「グローリア」 ヤンソンス指揮 »