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2009年4月24日 (金)

ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 ヤンソンス指揮

Sentokun 「いらっしゃ~い

ぼく、『せんとくん』でぇ~す。

ゆるキャラとかいう僕の仲間たち。

でも、僕は気持わりぃ~、なんて言われちゃって人気がないんだ。

そんなこと言わないで会いにきてよ。」

と、申しております。
この「せんとくん」、最近オープンした東京日本橋の奈良県のアンテナショップ「奈良まほろば館」の入口におわしますよ。
このHPもそうだけど、なんだかやることがお堅いね。
融通の効かない役人仕事って感じ・・・。

それにしてもこの姿・・・・・。
お隣の県の「ひこにゃん」のカワユさと比べちゃうとねぇ・・・・。

Shostakovich_sym8_jansons

ショスタコーヴィチ交響曲シリーズ、今日は第8番ハ短調。
7番「レニングラード」とともに、戦時下の作品で、独ソ線も前作は、戦況厳しい攻囲された環境下だったのに比べ、この8番作曲時は、開戦2年を迎えソ連の攻勢に転じつつあった1943年のもの。

いつもたくさんの言葉を残していて、それらが常に謎を生んでいるショスタコーヴィチ。
この作品には、「多くの内的・ドラマテックな葛藤はあるが、人生は楽し、人生肯定」のものという文章が残されている。

でも、私にはこの作品は、全体に暗く重々しい雲に覆われているように思われて、やるせない気分になる。
気分よろしく聴きはじめても、終わってみると憂鬱な気分に満たされてしまう。

全5楽章、そのうちを、演奏時間で40%近くを第1楽章が占めるといういびつなバランス。
しかも、その1楽章は中間部に強烈なアレグロ部分を有するアダージョ楽章であって、その冒頭部分とともに第5交響曲を連想させる。
この楽章は、今や聴き古して表層的に思えてきてしまった第5の1楽章と異なり、聴くほどに深く激しく孤高な音楽として迫ってくるものがある。
同じように深みある音楽が第4楽章のラルゴ。
パッサカリア形式の人類への葬送行進曲のような、何とも言えず内面的な音楽で、前楽章の大音響から休みなく始まり、皮相的な終楽章にそのまま連結している。
 リズミカルな動きが妙に楽しく、そして虚しくもあっけないスケルツォの第2楽章。
こちらもリズミカルだが、もっと強烈かつ行進曲的で激しい第3楽章。
先のラルゴをはさんで、妙に楽天的かつ捉えどころのない終楽章は、途中驚くべき悲劇への逆戻りのカタルシス大音響が待ち受けているものの、すぐさま妙な明るさを取り戻し、最後のピチカートを伴った消えゆくようなエンディングに収斂していく。
この満たされない終わり方。
ここに明るいきたるべき未来を見るか、戦争や悲劇はまだ続く、と見るか・・・・。
私には、どちらかわからない。

ヤンソンスが7年間在任したピッツバーグ交響楽団と残した唯一の本格録音が、この第8交響曲。
2001年のライブ録音で、ヤンソンスならではの実演での気迫とノリの良さを味わうことができる。ここには、この曲に求めたい深刻さと兇暴さがやや希薄ではあるが、オケの抜群のうまさと機能性が嫌味なく表出されていて、それらが独特の明晰な明るさと気概を与えてくれるところがおもしろい。
演奏者や聴き手を乗せてしまうヤンソンスならではの手腕ではないかと。
 この曲は、ハイティンクとコンセルトヘボウの最高の名演があるが、ヤンソンスも、もう少ししたら、コンセルトヘボウかバイエルンでこのCDより段違いの、もっと深遠な演奏をしでかすのではないかと思っていたりする。
ヤンソンスは、この曲の終わりを前向きにとらえているように聴こえる。

一見ばらばらのようでいて、マーラーにもっとも近接したまとまりのよい優れた交響曲に思える。
世評高い初演者ムラヴィンスキー盤は、何故か未聴。
自家製CDRも含め、ハイティンク数盤(RCO、BPO、WPO、SKD、LSO、BSO)とプレヴィン盤を愛聴してます。
最後に、「せんとくん」と今日のショスタコとは格別の関連性のないことを申し添えておきます。

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コメント

 yokochan様今日は。
「せんとくん」とショスタコの間に何らかの関係が在ったら大変なことになるのではないかと(笑)。ヴォルコフの「証言」以上の大騒動になってしまいます。
 二十年来の親友に熱烈なタコファンにして初演者ムラ閣下の信奉者がおりますが、彼に言わせるとタコ交響曲の最高傑作はこの8番ではないかとのことです。バビ・ヤールも凄いけど似たような楽章の繰り返しになっているような気がしないでもないとのことです。いまだにレニングラードの大音響に熱狂している私のことを内心「あの単細胞が・・・」と思っていそうな気が・・・(笑)
 私は高校を卒業するころにショルティ&シカゴのライヴCDで初めて8番を聴きました。オビには「異色交響曲をパワフルに再現!」などと書いてありました。当時は8番のCDはまだ点数が少なかったのですね。珍しい存在だった。今、好きな演奏はやはりバルシャイでしょうか。ワルター的な優しさを演奏から感じます。しかも深いです。第1楽章は不味いアメリカ製のスパムの缶詰を齧りながらナチスの猛攻にじっと耐えている民衆の姿を見るような思いがします。

投稿: 越後のオックス | 2009年4月25日 (土) 13時34分

こんばんは。 

先日阿修羅展へ出かけて、阿修羅の君にボ~っとなったためか会場で売られていた「せんと君」グッズを購入してしまいました・・・・ 

これからはショスタコービッチと聞くと「せんと君」のご尊顔がちらつきそうです。 
ドラマティックな葛藤はあっても楽しそうなキャラです。

投稿: moli | 2009年4月26日 (日) 00時28分

越後のオックスさま、こんにちは。
せんとくんの奇妙なお姿とタコ音楽の奇矯ぶりは共通かと・・・(笑)
ムラのタコ8は世評高いですので、私も聴かなくてはなりませんね。
私のタコ聴きはじめの頃は、コンドラシンとハイティンク、プレヴィンしかなかったですね。
今や名曲としての座を得ましたが、実演は少ないですね。

投稿: yokochan | 2009年4月26日 (日) 12時48分

moliさま、こんにちは。
阿修羅展やってるんですね。
あちらの君は、凛々しさたっぷりですね。
それに引きかえ、こちらの君は、思わず力の抜けてしまう脱力キャラです。

これの着ぐるみもいて、絶対に会いたくないですよ(笑)
ショスタコに妙なイメージを植え付けてしまい、本当に申し訳ありませ~ん。。。。

投稿: yokochan | 2009年4月26日 (日) 13時03分

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