ワーグナー 「ワルキューレ」 新国立劇場公演①
新国立劇場の「ニーベルグの指輪」第一夜「ワルキューレ」を観劇。
通産5度目のリング体験の前半戦が終了。
「ラインの黄金」からほぼ3週間。
劇の進行では、ウォータンがエルダや人間に子供を産ませ、アルベリヒがハーゲンを作りだすという経過があるから、ほぼ20年以上は経過しているけれど、リングサイクルとしてはなかなかにうれしい間合い。
でも、「ジークフリート」までは1年待たねばならない。
まぁ、お腹の中の子供が成長して、かみさんを娶るくらいになるんだから、こっちは結構な時間経過があるわけなのだけれど。
それにしても何度観ても、「ワルキューレ」は、何度聴いても素晴らしい作品。
単独上演も多く、私は今回で11度目の体験。こんなに観ているオペラもないかも。
リング争奪戦は、ひとまず置いておいて、愛の相関を展開して見せて、ドラマとしての完結性もある。
愛の形のデパートと私はかってに呼んでいるこのワルキューレ。
男女の愛・・・でも兄妹の近親相姦が兼用、冷めきった夫婦愛、父娘の親子愛、お仕着せの夫婦愛(憎しみに)、生まれ来る孫への愛、生まれ来る甥との近親相姦愛、継母と娘との複雑愛、憎しみだけで生んだ子供への愛(アルベリヒ=ハーゲン)。
まさに、なんでもありの愛の形態・百貨店状態のワルキューレなのだ
そう、の仕掛けで気になっていたこと。
ワルキューレのウォータンのモノローグから、アルベリヒが指輪を盗んだ神々を憎み、憎悪により憎しみの子種を宿した・・・ということが明らかになる。
「神々の黄昏」で出てくるハーゲンなのである。
しかし、ウォーナー演出では、指輪を奪取されたアルベリヒは、指輪を持つ者に呪いをかけ、神々を憎むのであるが、そのあと去り際に、自分の股間に小刀を突き立てる。
これは、機能が失われたことを示すのであるが、何故にハーゲンが生まれたのであろうか?
「ラインの黄金」に出てきたイケてるねーちゃんが母親なのであろうが、彼女とイタシテいた頃は順調で、愛を捨てて欲だけで生きていた。その後にウォータンが現れ指輪を奪われ、憎悪が生まれたわけだから、矛盾がある。
と、いうことは、前回「ラインの黄金」の舞台転換の中で微妙に魅せられた、あの「ねーちゃん」と、「ミーメ」の関係が怪しくなり、ハーゲンはミーメの子ではないかとする演出ともとれる。
それであれば、「ジークフリート」を育てそそのかし、「ハーゲン」で二重に完結させようとしていたミーメがしたたかな存在となってくるではないか・・・・
うーむ、わからん。。。
以下は、これから舞台をご覧になる方はネタバレ注意でございます。
第1幕
最初から、赤い剣が舞台前面に刺さっている。指揮者登場後、一旦暗闇に。その間にウォータンが出てきたらしく、前奏曲がはじまると槍を手に立っていて先の剣を抜いて、槍を振りかざし、ワルキューレ開始時の設定を暗示している。
ちなみに、ウォータンの槍はの時の槍とまったく別もの。プラスチック樹脂製の真っ赤なやつ。
全幕を通じてウォータンは、この赤槍の扱いがぞんざいで、時にぶん投げたままほったらかし状態。
逃げるジークムントに追うナイディング族が舞台奥を横切る。
やがて、フンディンクの家が降りてくる。天井からはトネリコではなく、ウォータンの巨大な槍の矢印のような先端部分が飛び出ていて、そこに真っ赤なノートゥングがはめ込まれている。 初演時に滑稽に感じた通りの巨大なテーブルと椅子。隅には、ジークリンデとフンディンクの結婚写真。
ジークリンデはテーブルの上で寝ていて、何かびんから飲んでいる。
寂しくて、キッチンドランカーになっちゃったのだろうか?
皮ジャンを着たアウトロー的なジークムントが登場。二人かなり親密な動きだか、フンディンク登場で家庭内はいゃーな雰囲気に。
フンディンクのなりは、チロルの中流市民のようで、わたしには、同じリドゥルなものだから、ドレスデンのばらの騎士を思い起こしてしまった。
このフンディンク、やたらと暴力的でまさにジークリンデはDV被害者みたい。眠り薬入りの酒をかっくらって、別室にいくわけだが、初演時はドアの隙間からジークリンデにのしかかるのが見えたように記憶するけど、違ったかな?
今回はそれがなく、手をだらんとさせて寝てるお姿が見えるのみ。ここでもベッドは巨大。
卑小な人間界をもじっているのか?ジークリンデが閉じ込められている社会の閉塞感がよくでている。
フンディンクが寝入ったあとの二人の二重唱、私の大好きなジークムントの「冬の嵐は去り」がはじまると、周囲は明るいグリーンになり床からにょきにょきと緑の矢印が数本生えてくる。シェローの幻想的な場面ほどじゃないけど、まあ美しい雰囲気。
槍にはまっていた剣が抜刃の際には、おもむろに立ち上がってきて、ジークムントはまったく難無く剣を手にする。
舞台奥が開き、そこは眩しい白と緑の大地の世界。
寝ているフンディンクに一瞥をくれ、ふたりは外のまさに開かれた世界へ文字通り跳び降りて、歓喜のうちに幕。
第2幕
ワルハラの設定。
舞台奥には、宇宙ステーションの通路のようなものがあり、住人たる神々はそこから出入りする。
怒ったフリッカのシルエットが映し出されたりしてこの装置はよい。
ゲッツ・フリードリヒのトンネル・リングも思い起こすことができる。
左手には、ラインででてきた引越し荷物が積んであって、映写機もある。
ウォータンが出てきて、槍で床を突くと、その都度下に緑の街が広がってゆく。
そして、その登場がわかっていたから、冷静に見てたけど、ブリュンヒルデは子供の木馬にまたがってツィーっと登場。会場では失笑がおきる。
怒れるフリッカは、この演出では全然おっかなくない。小柄でかわいいツィトコーワだからのせいもあるけど、ウォータンのことが好きでならない、冷めないで欲しいとねがっているようないじらしいフリッカだった。亭主を負かせて、ガッツポーズを取る姿も妙にかわいい。
ウォータンの聴かせどころ、ブリュンヒルデにこれまでの来歴を語る場面では、映写機を使ってのプレゼン状態。途中、フィルムを替えたりする芸の細かさ。
二律背反する複雑な心中を歌い、世界の終末を語るとき、赤槍をフィルムに突っ込んで止めてしまう。
フィルムを引き出し、ごちゃごちゃのこんがらがりぶりを強調。神様のシナリオ通りにことは動かない!
そのフィルムを引きながら、ブリュンヒルデが袖に下がると、今度は、そのフィルムを伝いつつジークリンデとジークムントが登場。ここで休もうとするジークムント、フィルムを離してしまうジークリンデ。
ここからは神様に導かれたシナリオのない逃避行となるわけだ。
天井からは、3本の赤い矢印が。ひとつは、「ウェルズズング族」、ひとつは「フンディング一族」、あとひとつは、多分「天上界」とかいう意味なのか・・・が書いてあって、それらの下で微妙に行き来しつつ歌う二人。
この楽劇の中でも、もっとも感動的な場面のひとつ、「死の告知」の場面。
ジークムントは、床に横たわって、文字通り休んで寝てしまう。
そのまわりを、ジークリンデは、剣を携えながら、夢遊病者のようにゆっくりと歩いている。
トンネルのドアから、武装したブリュンヒルデ。
彼女らワルキューレは、白いフェンシングのウェアのようないでたち。
面まで付けてて、手にする盾は、真っ赤な赤十字のよう。
ブリュンヒルデの問いかけで目を覚まし、二人の問答は段々と盛り上がってくる。
ジークリンデは、やがて疲れて寝てしまい、その傍らで、愛する人を刺してまでも伴にしたいと劇唱するジークムント。でもヴォトリヒの歌が気勢があがらないのが残念。
歌ばかりか、この場面の描きかたがどうも単調で劇性がないように感じた。
というのも、ブリュンヒルデが洋々と去ると、ジークムントはそそくさと、最初のお眠り体勢に戻ってしまうのだ。告知は夢の中の出来事としたのであろう。
あ~、いい夢見た、爽快、ってな感じで起きあがって、ジークリンデを確認してから、さあ一丁闘ってくっかぁ~、的なノリなんだ。
もう少し、深刻さが欲しいぞ。
そして戦いの場面。ジークリンデが見守るなか、さっきから気になっていた、おそらくフンディングの家であろうと思われた、高さ30㎝くらいの小さな家がパコンと割れて、フンディングがぐぃーんと登場。まわりには、1幕にも現れたフンディングのスタッフーたち。
彼等は、スーツを着たギャングみたいな無機的な存在で、手に手にハンマーのような武器をもっている。
闘いが始まると、フリッカがチェックしにやってくる。そして、ブリュンヒルデが、頑張れとばかりに。最後にウォータンがドアを開けて出てきて、ジークムントの剣を掛声とともに砕く。
武器を失ったジークムントに、先のスタッフーが寄ってたかって襲いかかって、ぼこぼこにしてしまう。ひどいんだ。
倒れたあと、ブリュンヒルデは折れた赤剣を広い集め逃げるが、ウォータンはじっと見たまま。それより、ジークムントを少し確認しただけで、抱きかかえようともしない。
このあたりは演出によってさまざまだけど、ウォータンの胸に倒れ、父がヒシと抱きかかえる、そんな情に満ちたウエット演出が好きだな・・・・。
でも、ライライネンの「Geh~」は、よかった。かなり伸ばして感情こもってて、フンディングご一行様が、一斉にぶっ倒れたもんだ。
初演の時の印象は切れぎれだが、この場面が一番鮮明。
の神様軍団のレセプション会場が、ワルハラ野戦病院と化している。
もくもくと煙幕が立ちこめ、私の席まで到達。左右に8つの扉。救急信号が回転してる。
8人のワルキューレたちは、白い衣装の上に手術用のエプロンに手袋、エプロンには血が付いたりしてる。そして、手術用ベットに英雄たちを乗っけて走りまくっている。
英雄たちは、みずから立ち上がり、奥のワルハラと表示されたドアから出てゆく。
そこへ駈け込むブルンヒルデとジークリンデ。ジークリンデはしょんぼりとして、ベットに折れたノートゥングを乗せて出てくる。ここまで行くと、奇を衒い過ぎか・・・。
そして、涙が滲む名場面のひとつ。自暴自棄のジークリンデが懐妊の報を受け、生へと目覚め、ブリュンヒルデを祝福する場面。ここは音楽だけでも最高に素晴らしくウルウルしてしまうが、この舞台では、まずはブリュンヒルデは目にあまるほど感激しまくっていたし、当初庇うのを嫌い、ドアの窓から覗き見していた妹軍団たちも、武具を脱ぎ棄て、それぞれに感激に打ち震えている姿が面白かった。ヒシと抱き合う女二人。
将来生きていれば、嫁と姑の関係なところがなんとも・・・・。
怒り狂う親父ウォータンは、ブリュンヒルデが隠れたベッドを次々に暴いていく。
お仕置き内容を発表し、悲嘆にくれ騒ぐワルキューレたちに、ウォータンは赤槍を投げつけ、舞台前面に出てくる。
すると、遠近感ある真白な野戦病院は、舞台奥へどんどんと下がっていく。
新国自慢の奥行きと機能を活かした舞台に、見ごたえ充分。
でも私が気になってしょうがなかったのは、槍の行方。一緒に遠ざかっていってしまった・・・・。
そして、かわりに舞台には、巨大な木馬が下からせりあがってくる。
グラーネと書かれた木馬は、異様にリアルである。
ここから、父娘のこれまた感動的なやりとりと告別になるのだが、この二人、最初、手をやさしく握り合ったかと思うと、ウォータンは娘を責め、その手も強く握ったらしくて娘はとても痛がったりする。処々に父娘の愛情表現が微細にあって、目がはなせない。
でも、どうしてもいけないのは、あの最高潮に盛り上がる、ウォータンの告別の場面で、二人がついに別れを惜しんで抱き合うところ。
もう、私の涙は止まらない。
でも、この二重唱と告別でも、ずっと気になること。
あの赤い槍はどこへいった??
「その槍で組み敷いて刺してください・・・・」「この槍を恐れるものは・・・・」などと歌われるのに、ウォータンはずっと最後まで手ぶらなのである。
これは意図的なものであろうが、剣や槍は、ライトモティーフも重要だし、アイテム的にも外せないものだから、ここまであえて軽視してしまうのもどうかと思うけど・・・。
木馬とベッドを入れ替える関係からか、ウォータンがまどろみの動機の中、幕が降りて、白い扉から出てきて、悩みつつも赤い扉にたどり着き、そこでローゲを呼ぶと幕が再び開き、ブリュンヒルデがメタルチックな巨大ベッドに横たわっている。
傍らには、槍と兜、でかい目ざまし時計が置いてある。
舞台上部には、「この槍を恐れるものは、誰も炎を超えて近づくな」という、ウォータンの最後の絶唱のセリフが燃える文字で流されている。
その歌を槍なしで宣言したウォータンは、かたわらの映写機のある場所に座り、スィッチを入れると、ベッドも回りに火がともされる・・・・。
魔の炎の音楽が感動的に流れるなか、ワルキューレは終わりを告げる。
こんな終わり方だったし、幕もかなり最後まで動かなかったから、拍手は一切なし。
この楽劇で、最後の音までしっかり聴いて、おまけにその余韻まで味わえたのは初めての経験!
大好きな作品、そしてあまりの情報量の過多に、こちらも書いておきたいことばかり。
自分の鑑賞記録でもありますので、長文・駄文ご勘弁を。
②へ続く・・・・。
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