ディーリアス 「春はじめてのカッコウを聞いて」 ヒコックス指揮
今年は、蒲公英(たんぽぽ)が大繁殖。
黄色い花と、綿毛の白、そして緑の織りなす美しい光景。
綿毛の集団
これが風で一斉に飛んだら・・・・。
綿毛アップ。
キレイでしょ。
私の最愛の作曲家のひとり、フレデリック・ディーリアス(1862~1934)は英国生まれだから、同国の作曲家ではあるものの、両親はドイツ人なので、その血はドイツ人のもの。
英国・北欧・北米・ドイツ・フランスにと、かなりコスモポリタン的な活躍をした「ヨーロッパ人」なのだ。
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英国音楽好きになったきっかけもディーリアスなんです。
ディーリアス入門となった曲が、「春はじめてのカッコウを聴いて」。
この曲がおさめられたビーチャムの名盤を、内容も知らずに何度も何度も聴いたのが、もう35年も前のことになる。
だから、ディーリアスのこうした小品を聴くと、私は必ずノスタルジーに浸り、昔のことや、故郷の海や山、亡くなった父親、若かった淡い恋などに思いをはせることになる・・・・。
そこはかとない、たゆたうような形式のない感覚的な音楽。
ここでは、春は霞の向こうから茫洋とやってきて、何度もこだまするカッコウの声のエコー。どこかうら哀しく、春なのに大事な何かを冬に置いてきてしまった感じ。
イギリスの夏は北海道の夏のように爆発的に花が開花してやってくるイメージがあるけど、その春は冬からの境目が曖昧で、日本の眩しさと違ってもっと緩い雰囲気を思う。
ただこの曲は、大半を過ごしたパリ近郊のグレ・シュール・ロアンで書かれていて、姉妹編の「河のうえの夏の夜」がかの地での船遊びイメージしているから、この春の思いも、愛するグレの村の自然に耳を澄ましたものかもしれない。
そう、わたしは、バイロイトとともに、グレにも行ってみたいのであります。
河の上とともに、メンゲルベルクの指揮で初演されたというから面白い。
どんな演奏だったのだろうか。想像もつかない。
去年亡くなった、リチャード・ヒコックス指揮のノーザン・シンフォニア・オブ・イングランドの演奏は精緻で、かつ細やかな詩情に満ちた桂演。
1.「そり乗り(冬の夜)」 6.「ラ・カリンダ」
2.「フェニモアとゲルダ」間奏曲 7.「イルメリン」前奏曲
3.「春はじめてのカッコウを聞いて」 8.「ハッサン」間奏曲とセレナーデ
4.「河の上の夏の夜」 9.「夏の夜」
5.「夜明け前の歌」 10.「エアとダンス」
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コメント
こんばんは。「春はじめてのカッコウを聞いて」手持ちからバレンボイム、イギリス室管もありますが、やはり、マリナー、アカデミー室管といったバージンなイギリス・サウンドによるものかな。ヴォーン・ウィリアムズを始め、どうも、イギリス音楽はこういった傾向が多いようです。
「春はじめてのカッコウを聞いて」と「河の上の夏の夜」はセットで収録されているのか、春から夏にかけて聴きたい曲でもあるよね。
投稿: eyes_1975 | 2009年4月30日 (木) 21時09分
eyes_1975さん、こんばんは。
やはりイギリス音楽は、本国のオケに指揮者に限りますね。
ことにディーリアスに限っては、他国のオケによる録音は、おそらくオーマンディと尾高さんくらいではないでしょうか。尾高さんは素晴らしく英国的ですが、オーマンディのものは味気なく音が流れているだけに感じます。
四季の移り変わりを音楽に歌いこんだディーリアス、おっしゃるように今時が旬でございますね!
マリナー盤、私も愛聴盤ですよ。
投稿: yokochan | 2009年4月30日 (木) 23時32分
こんばんは、コメント&TBをどうもありがとうございました!
あたたかい田園の情景が浮かぶような素晴らしい作品、私はバルビローリのこの曲が入り口となって、ディーリアスを聞くようになりました。エルガーもそうですが、ドイツものにも、フランスものにもない新鮮で懐かしい魅力がありますよね。私も折に触れてどんどん聴いていきたいと思います(^^
投稿: stonez | 2009年5月 1日 (金) 00時47分
stonezさん、こんばんは。
>あたたかい田園の情景<
ほんとそうなんですね。ディーリアスの音楽は自然の情感を歌いこんだものばかりで、実に癒されます。
この懐かしさは、日本人の感性にぴったりだと思うのです。
どうもありがとうございました。
投稿: yokochan | 2009年5月 2日 (土) 01時34分