ショスタコーヴィチ 「ムツェンスク郡のマクベス夫人」 新国立劇場公演
新国立劇場公演、ショスタコーヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を観劇。
ハードな演目なのに、連休明けの平日にもかかわらずはぼ満席。
強烈なショスタコの音楽と演出はさほどリアルではなかったものの生々しい筋だてに、観衆は3時間、釘付けとなった。
私にとって、オーケストラによる間奏曲や舞踏曲以外、実は初めての「マクベス夫人」。
時間もなかったけれど、あえて予習せずに本番にいどんだ今宵。
日頃、聴き親しんだ交響曲と同じ響きをここに聞き取ることができた。
そこにセンチメンタルなロシアのロマンスや、荒涼殺伐とした大地の響きなど、ロシアオペラのお約束のコーナーもしっかり踏襲されているところがおもしろいし、こんなところから過激一方でなく大衆受けしたことが理解できる。
それと、ロシア大衆は、われわれ日本人大衆と違ってあけすけで、多分に感情的であり、言葉に苦慮するものの粗野である。
そんなイメージを根底に抱きつつも聴いたこのオペラ。
先にあげた交響曲でいうと、まさに私の大好物の第4番と前後する作曲時期で、音楽にも共通項が多く、クラリネットソロなど、まんま4番の曲だった。
その4番が、マーラーとの同質性を強く意識させるように、このオペラもマーラー的な多様性と複雑な心情吐露を併せ持っていて、万華鏡のような一様でない音楽に感じた。
悲劇も、恋愛も、深刻さも、笑いも、諧謔も、死も、生も・・・すべてが一緒くた。
4番の交響曲の記事はこちら。
カテリーナの不幸と犯罪にひた走る本劇のストーリーは、ほんの一面で、ドラマのストーリー以外に、ショスタコーヴィチの音楽はもっといろんなことを見据えながらメッセージを発信しているかのように思える。
でもこれも考えすぎなのか、以外や単純なのかもしれないし・・・・。
ヴォツェックとともに、血なまぐさいヴェリスモオペラのように思えるが、劇の内容はともかく、ベルクの音楽ともども、とても魅力を感じてやまない。
ショスタコーヴィチ 「ムツェンスクのマクベス夫人」
カテリーナ:ステファニー・フリーデ ボリス :ワレリー・アレクセイエフ
ジノーヴィ:内山 信吾 セルゲイ:ヴィクトール・ルトシェク
アクシーニャ:出来田三智子 ぼろ服の百姓:高橋 淳
御者 :大槻 孝志 司祭 :妻屋 秀和
警察署長:初鹿野 剛 ソニェートカ:森山 京子
ミハエル・シンケヴィチ指揮 東京交響楽団
新国立劇場合唱団
演出:リチャ-ド・ジョーンズ
(5.7 @新国立劇場)
演出は、イギリス出身の人らしくユーモアが随所に溢れる一方、過激さは後退しているものの演劇的な要素が高い。
舞台装置は同じくコヴェントガーデンでお馴染みのキース・ウォーナーをも思わせたり、人の動かし方などは、独創的なコンビュチュニーをも思わせるものがあった。
第1幕
舞台は、真ん中に仕切りをおき、客席から左右の部屋をうかがえる仕組みで、その四角い空間は、閉塞感充分。1950年代に据えた演出の時代設定。汚れた壁に、汚い厨房や冷蔵庫、映りそうもないテレビが並ぶなか、カテリーナは単調な何も起きない日々をうらやみ歎いている。いきなり、暗く悲しいモノローグが歌われ、彼女は壁のカレンダーのようなものをむしり取りながらゴミ箱へすてている。
そこへ現れるいやらしい舅。子供の出来ないことに小言を並べつつも、体を密着させたりして嫌な爺さんなのだ。爺さん、床からデカイ鼠の死骸を拾いあげてゴミ箱へ捨て、カテリーナに鼠殺しの薬をまくように指示する。
この薬の箱がなかなか目立つわけだ。
やがて別室に息子ジノーヴィが新しい使用人セルゲイと多数の使用人達が薄緑色の作業服で無機的な動きでぞろぞろ登場。
使用人たちは反抗的で、かつ表情がない。
事業地の事故で、ジノーヴィが長期留守をすることに・・・・。
そんなかたわら、下女アクシーニャを団体で襲ういかがわしい場面では、セルゲイがゴミ箱に入れこしになった鼠入りのポリ袋を見せて脅したり、被せたりして、ワルぶりを印象付ける。使用人達の何人かは、鼠や豚のかぶりものを付けて、アクシーニャの服を脱がしにかかる。
どこまでいっちゃうんだろ、と思って見てたら、カテリーナが怒って飛び込んできて、セルゲイと大喧嘩になる。女としての強い自己主張だ。
この鉄火場の女のような逞しさを見て、同じステファニー・フリーデが演じた「西部の娘」を思いだした。
やがて、舅が現れ皆は去り、カテリーナに寝るように促す。むしゃくしゃするカテリーナは一人残ったあと、テーブルをひっくり返し、その大音響とともに、間奏が始まり舞台は転換し、寝室と壁を隔てて広間となった。
何度も様子を見に来たり、ドアの下から覗き込んだりの爺さん。
カテリーナは、まるでヴォツェックのマリーの歌のような、冷涼とした美しいアリアを歌う。ベットに腰掛け、まったく孤独のカテリーナ。
服も脱いで寝ようとしたところへ、広間の横倒しになったタンスからセルゲイ登場。本を貸してとか言ってたくみに取り入り、寝室に入りこみ、抵抗を見せるカテリーナをついにものにしてしまう。
2階のバルコニーにバンダ数人登場し、激しい音楽となり、聞くものを興奮させる。有名な「ポルノフォニー」で、ははぁ、こんな場面で鳴るのかと納得。
舞台では、新国の紳士淑女の前て、セルゲイはズボンを下ろし、壁の片隅に追い込んで、ついで衣装ダンスの裏に回りこんでイタシテおり、タンスが移動して、最後は扉が開いちゃった。過激さよりは、滑稽さが先立ち、わたくし笑えましてよ。
第2幕(連続上演)
部屋割りはまた変転して、寝室が右、厨房が左。
右では不倫カップルがベットの中。左は寝付けない爺さんが悶々としていて、不能の息子ジノーウ゛ィを歎き、自分が若ければと、真っ赤なソファーを女性に見立てて相手にするという倒錯ぶり。これもまたユーモアあふれる演出とワルツを使ったショスタコーヴィチのユニークな音楽に魅せられっぱなし。
爺さんまたもや、ドアの下を覗き寝室の明かりを発見し、人の気配に姿を隠す。
満足しきったセルゲイが出てくると、ボリス爺さん、これをとっ捕まえたくさん出てきた他の使用人たちとともにセルゲイを鞭打ちの刑に。
これで息を切らせて死んじまうのではと思わせるくらいに、音楽に合わせて規則正しく延々と鞭打つ。
1幕での登場から、やたらと気になっていた高橋淳さん演じるボロ服の男が寝室のドアを開けカテリーナが飛び込んでくる。
嘆きとともにボリスへの憎悪をたぎらすカテリーナ。背中を血で染めたセルゲイは倉庫に閉じ込められ、その鍵を懐にしまう爺さん。
皆が去ったあと、カテリーナに強圧的になり、「腹減ったから、きのこ料理でもしろ」と命令。カテリーナはフライパンできのこをソテーしつつ、先ほどらい存在感のあったネズミ駆除薬をそこに振りかける。
出来たきのこを、うまいうまいと頬張るボリス爺。ほんと、うまそうに食器をカタカタ鳴らして食べるんだ。真近で見守るカテリーナ。やがて、ボリス爺は苦しみだし大声で人を呼び、司祭を呼べと命令。カテリーナは懐から鍵をせしめ倉庫へ向かう。やがて出てきた司祭は、いわゆる生臭坊主。
いい加減に告解を聴き、ネズミ薬でやられた、との言い分も聞き流す。
ついに死んでしまうボリスに対し偽りの嘆きをガッツポーズとともにするカテリーナ。
そして使用人たちも圧政から解放されたかのように同じ姿勢でお悔やみを歌う。
ともかく表層的な連中ばかり。
なかなかに深いラルゴによる間奏曲が入るが、幕は開いたまま、裏方作業員がぞろぞろ出てきて、足場を設営し、壁紙を花柄に替え、ベッドも豪華なダブルベット、天井にはギリシャ正教を思わせるような派手目の照明。ドレッサーに壁の絵に、最新式のテレビにと、次々に調度品を一新してゆき、古いものは、狭くなった倉庫に。
カテリーナが模様替え中に登場するが、髪は見事な髪金、豪奢なネグリジェに装飾品。
鮮やかな転身と、舞台転換を見せることによるカテリーナの虚飾に満ちた心情と閉塞感からの解放を見事なまでに見せつけてくれた。
セルゲイが帰ってきてテレビをつけると、プロレスが放映されていて、セルゲイはスナック菓子かなにかを頬張ってみている。
カテリーナが、セルゲイに迫るものの、彼はそっけない。気の毒なカテリーナ。
そして寝てばかりいるセルゲイ。
するとテレビがついて、画面には死んだボリス爺が出てきて恨み節を歌う。
おびえるカテリーナだが、セルゲイはまた寝てしまう。
やがて、玄関に物音が。そう、ジノーヴィーが帰ってきたのだ。
この不能息子、親父のようにドアの隙間からカテリーナを窺ったりして、これまた笑を誘う。セルゲイはおなじみの洋服タンスに隠れ、不倫の噂を聴きつけ帰ってきたというジノーヴィーの詰問を受けるカテリーナ。
セルゲイのズボンのベルトを見つけられ、彼の助けを呼び、二人がかりで、ベットの向こうでベルトで絞殺。
おまけにダメ押しとばかりに、セルゲイは斧を持ち出し振り下ろす。斧を持ってでてきたとき、客席からは失笑が・・・・。何もそこまで、という感であったろう。
当然、殺害者二人は血まみれ。1幕のゴミ袋に血まみれの何か(?)をいれ、死体はビニール袋にくるんで倉庫の古いタンスの中に収納。
やれやれと、血まみれのまま、寝室にもどるふたり。
何事もなかったかのように、スナック菓子を頬張るセルゲイに不安そうなカテリーナ。
第3幕
着飾った二人に、モールを飾りつけ、チープなパーティ会場を準備する下女アクシーニャ。今度は右手が先の倉庫である。
倉庫への扉を気にするカテリーナに、気づかれないように注意するセルゲイ。
怪しむアクニーニヤ。
二人出ていったあとに、高橋さんのボロ服男が、ウォッカ片手に出てくる。社会の窓は開いてるし、へろへろで、酒を讃美しつつ妙チクリンな歌を歌う。
ロシアオペラで、ちょっと足りないテノール役が、狂言回しとなる前例は多く、ショスタコーヴィチもあえて意識したかのように、この役を投入しているみたいだ。
その彼は、思い出したように倉庫の鍵を取り出し中へ。ゲェー、アクシーニャとともに臭ぇ~っと。
やがて死体を見つけ、二人して血に染まったポリ袋を手に警察へ。
そこへカラフルな服をまとった自由を謳歌する使用人たちがやってきて激しく踊り、間奏曲へ。この爆発的なショスタコーヴィチ独特の音楽は、幕を下ろしてバンダが幕前に登場してオケとともに大いに盛り上がった。
これまた人を興奮状態に陥れるショスタコマジックなり!!
警察署では、署長が結婚式に招待されなかった恨みつらみを歌いつつ、どこかで甘い汁は吸えないものか、事件はないかと、極めて不届きかつ悪徳の雰囲気を醸し出している。署員たちの動きも面白く、天井近くの映りの悪い(でもカラーなところが権力側のなさるところか)テレビを必死に写そうとしてる。そこにはカテリーナの結婚式の踊りの様子が映しだされる。警官の中にはお面をつけた妙なヤツもいる。
幽閉された妙なカエル博士が出てきて、体制への風刺とも読める場面もあるが、血染めのポリ袋をもった二人が訴えでてきて、これを待ってましたとばかりに署長はゴミ箱から花束を引っ掴んで現場へ急行!
現場では、結婚式が始まったばかり。適当な司祭のもと、檀上のふたり。
使用人(群衆たち)は、手に手にウォッカの瓶をもって、合唱の声部ごとにその酒を飲みほしてゆく。司祭や群衆が徐々に酔っ払いつつも、何度も何度も「空に輝く太陽よりも美しいお方は」と、カテリーナに対して歌うが、彼女は気もそぞろだし、ついにはボリス爺の亡霊が出てきてウロチョロし、かの倉庫に消えてしまう。
全員、酔い潰れ、二人はこのままではマズイので、ありったけの金を集めて逃げようということになり準備して戸口に向かうが、時すでに遅く警察が踏み込んでくる。
カテリーナは観念するが、セルゲイは逃げようとして、警察官たちにボコボコにされてしまう。
第4幕(連続して上演)
犯罪者としてシベリア送りの二人。
年老いた囚人(ボリス役のアレクセイエフの味のある名唱)の哀歌がなかなかに郷愁を誘う。シベリア鉄道ならぬ、トラック車のコンテナ2基がシャッターを開いていて、そこに男女別の囚人がのりこんでいる。
カテリーナは警官にわいろを渡し、セルゲイと合うが、変わらぬ愛を求める彼女に、セルゲイは、お前とあったばっかりに俺の人生はとんでもないことになってしまった。由緒ある商家の嫁なんてとんでもない・・・と罵り責任を押し付ける。
見ている側も、こんなヤツとんでもねぇ、と思う。
ショックの彼女は、悲しい歌を歌い眠りにつこうとする。
かたや、セルゲイの野朗は、淫媚な囚人ソニェートカを誘惑し、見返りに靴下を要求される。彼女のストッキングは確かに穴が空いているし、カテリーナはオペラ冒頭から身に着けていたブルーのストッキングを履いている。
セルゲイは足の具合が悪いのなんのとカテリーナの同情を引いてだましてブルーのストッキングを脱がしてまんまと手にいれ、その眼の前でソニェートカに小躍りして手渡す。
女囚人からも小馬鹿にされ、茫然のカテリーナ。軽薄な音楽とともにご褒美のお楽しみに姿を消すセルゲイ。
スポットライトがカテリーナだけにあたり、「このあたり森の深みに湖があって・・・・」と極めて深淵な歌を歌う。これには参った。
このオペラの主役たる彼女の孤独の悩み、そして転身、華やかな生活と愛、そしてそこからの急転落と、最後は信じた男の裏切り。
一筋の四角いスポットライトが、そのすべてを見事に照らしていた。
勝ち誇ったように戻ってきたソニェートカに、手にした菓子を投げつけられたり、カスを袋からかけられたりと、さんざん愚弄される。
河の奈落に突き落とし、その後自らも飛びこむとあるが、この演出ではソニェートカを捕まえて舞台全面に引っ張ってきて、その頭を押さえこみ、自分もろとも舞台下の奈落に沈んでいく、という場面が施された。
これを見て、ドンジョヴァンニの地獄落ちを思ってしまった。
どっちが、ドンジョヴァンニで、どっちが騎士長なんだろか?
舞台から消えた二人。
こりゃ無理だわ、と警官。
何事ももなかったかのようにコンテナに囚人を押し込め、囚人たちも静かに幽囚の感を歌いつつシャッターが閉まり、歌声は消えてゆく。
大きなクレッシェンドとともにオーケストラの音も終焉を迎えた・・・・・。
幕
ああ、ヘヴィーなる一夜であった。
外来3人の圧倒的な歌唱はまずは文句なし。
ことにカテリーナのフリーデのスピントの聴いた歌声は、女性的な優しさも備えつつ素晴らしいものがあった。西部の娘のミニー以上のすさまじい歌唱に大拍手。
彼女、赤ちゃんでもいるのかしら??お腹がぽっこりでしたが・・・・。
アレクセイエフ、ルトシェクともに、声の存在感と悪意の歌唱がまったく素晴らしく、劇場を震わせていたと思う。
内山さんの息子役も、変質的に変貌してしまう様が見事。
そして何よりもおなじみの高橋さんの性格テナーぶり。先ごろのミーメも大絶賛したが、今回の怪しげぶりの歌唱と演技もひと際目立つ存在だった!
日本人にとって難しいロシア語歌唱。皆さん完璧。
それと毎度ながら、新国合唱団の威力をまざまざと見せつけられました。
今回の演目では、顔のない残酷な群衆も、重要な存在であるが、実に頼もしいものだった。
若杉さんに変わってピットに入った、シンケヴィチの指揮が予想外に的確かつ特徴的でよかった。完璧に曲を手のうちにいれており、よくぞこんな指揮者が見つかったものだ。
時おり指揮棒を置いて手だけで表情豊かに指揮する姿は、そのヒラヒラぶりからして師匠のゲルギエフそっくりだった。
東京交響楽団のパワフルサウンドは、その完璧なアンサンブルとともに指揮者に鉄壁なまでに作用していて、ピットから出てくるショスタコサウンドは、私にとって驚きの連続だった。もう一方の楽団じゃなくてよかった・・・。
ということで、予習なしが功を奏し、素晴らしく新鮮な舞台体験とあいなりました。
ショスタコの交響曲同様、今後楽しめそうなオペラになりそう。
DVDやCD、第二稿の「カテリーナ・イズマイロヴァ」、第三稿映画版と、それぞれ楽しんでみたいものであります。
若杉さんは、来シーズン「ヴォツェック」あるし、それと合わせて是非とも指揮をしたかったのだろうな・・・・。
早く元気になって、ヴォツェックと影のない女を指揮して欲しいです!
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コメント
お晩です。
僕は日曜日に観ますが・・・。いけませんねぇ、幽霊の種明かしをしては。とはいいつつ、4/29の日、お先に最終場面の舞台をバックステージ見学イベントで観ておりますんで、お相子かな?ともかく、ショスタコ最高傑作を堪能してきます。
投稿: IANIS | 2009年5月 9日 (土) 01時00分
IANISさん、こんばんは。
しまった、日曜観劇の方にネタばれ注意の文言を入れ忘れました。
ともかく圧倒的な音楽の凄さ。
小技や仕掛けは豊富なものの、少し軽い感じのジョーンズ演出。でもこれもヨーロッパの中の英国を思わせるユーモアあふれる演出で、とてもよかったですよ。
記事はすっとばして見てください。
日曜の上演を大いに楽しんでくださいませ!
投稿: yokochan | 2009年5月 9日 (土) 01時14分
突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://sirube-note.com/police/
もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/police/link/register/
今後ともよろしくお願い致します。
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投稿: sirube | 2009年5月 9日 (土) 01時20分
今晩は。
私も間奏曲や舞踏曲ぐらいしか聴かずに苦手意識を持ってしまっているオペラです。実演でお聴きになってその素晴らしさにお気づきになるとは羨ましいかぎりです。連休明けの平日なのにほぼ満席と言うのは凄いですね。マクベス夫人は、前世紀のオペラの中ではモーゼとアロンと並んで最も苦手な作品なのです。ヴォツェックやルルは大好きなのですが。何時までも食わず嫌いではいかんなと思い、フェドセーエフが指揮した40分かかる組曲版のCDをhmvに先日注文しました。編曲者は作曲者のお弟子さんで、フェドセーエフはこの組曲を交響曲第16番と呼ぶほど愛着を抱いているそうです。この組曲が耳に馴染んだら、マリス君のDVDに挑戦したいと思っております。
投稿: 越後のオックス | 2009年5月 9日 (土) 01時56分
1日の初日に見てきました。良かったですねぇ。
詳しく書いてくださって、反芻することができました。ありがとうございます。
しかし、客の入りはガラガラでした。4回しか上演しないというのはもったいないけれど仕方ないかなぁ。。。
確かにロシアオペラの伝統の上に立った作品だと思うと同時に、2幕の最初は「バラの騎士」のパロディだし、殺した舅の死体から鍵を探るところは「トスカ」を想起させるなど、他国のオペラへのオマージュも盛り込まれていて、作曲者の視野の広さ(?)、音楽的教養の豊かさ(?)を感じました。
投稿: 亭主 | 2009年5月 9日 (土) 06時51分
yokochanさま お早うございます〜
ショスタコーヴィチのこのオペラ
いつか聴きたいと思っていますが、まだ聴いたことがありません。
東京はやはり良いですよね
不景気もなんのその、オペラ公演も多数ありますよね
こういったオペラが上演されることだけでも、羨ましい限りです。
読ませていただき、筋も良く分かりました。
羨ましいです〜。
ミ(`w´彡)
投稿: rudolf2006 | 2009年5月 9日 (土) 08時28分
sirbeさん、弊ブログとは世界が異なるようですので、申し訳ありません。
投稿: yokochan | 2009年5月 9日 (土) 14時09分
越後のオックスさま、こんにちは。
この上演に接し、ついにマクベス夫人というオペラが近い存在となりました。
モーゼとアロンも、ベルリンの舞台で体験でき、あと課題はルルの舞台です。
東京というところは恵まれてますが、お金が・・・・・。
フェドセーエフ・組曲盤があるのですね。
全曲では、ミュンフンは廃盤だし、改訂のロストロ盤も廃盤。やはりマリス君のDVDというところでしょうか。
投稿: yokochan | 2009年5月 9日 (土) 14時13分
亭主さま、こんにちは。
1日の上演にいかれたのですね。
連休前で、客足が落ちたのでしょうか。
自分の鑑賞記録ゆえ、大いに書いてしまい、長文になってしまいました。
ばらの騎士にトスカ、なるほどですね。
ショスタコのパロディの才能は目を見張りますね。
風刺の効いた演出も面白かったです。
血まみれのカテリーナは、マクベス夫人そのものでしたし。
投稿: yokochan | 2009年5月 9日 (土) 14時18分
rudolfさま、こんにちは。
行けばいくほど出費がかさむのに、連日魅惑の演奏会があって誘惑しきりの東京です。
いつもながら、もっと減らしてほしいし、各地に人間ごと配分すべきと思いますね。
大阪は万博以来あまり外来有名オペラも来ませんね。
トリスタンやワルキューレが上演されたのが信じられない思いです。
新国のプロダクションを、大阪でも定期的に上演できないものでしょうか?
ショスタコのこのオペラ、気にいりました。
投稿: yokochan | 2009年5月 9日 (土) 14時23分
yokochanさん
TBとコメント、ありがとうございます。
同じ日だったんですね^^+
ショスタコーヴィッチはオペラ以前にもけっこう好きでした。交響曲と弦楽四重奏曲などをよく聴いたものです。旋律もリズムもなじみやすいと思います。
この公演、なんとなく期待ゼロで出かけたのですけど、ほんとに良かったです。やはり行ってみるものですね。
私のほうからもTBしましたので、よろしくお願いします。
投稿: edc | 2009年5月 9日 (土) 15時05分
euridiceさん、こんばんは。
予習なしでいどんだ本番、私も非常によかったと感激しました。
過激さばかりが、意識の先に立ち、実際接してみると、ショスタコのおなじみの姿がうかがええました。
新国もこうした演目をどしどしやって、オペラファンの裾野を広げて欲しいものですね。
TBありがとうございました。
投稿: yokochan | 2009年5月10日 (日) 00時01分
本日行って参りました。骨太のドラマに充実の歌唱と演奏。長丁場まったくだれることなく客席を引きつけ続けたのは、作品の力と同時に、上演のクオリティの高さを証明するものに他なりませんね。贔屓のアレクセーエフの素晴らしい歌唱がたっぷり聴けてよかったです。
それにしても東響のパワフルなこと!それでいてピアニッシモがまた透明なこと!日本のオケがロシア・オペラでここまでやってくれるとは嬉しい驚きでした。マリインスキーで活躍中のシンケヴィチの手腕にくわえて、コンマスがロシア人のニキティンだったこともコミュニケーションの上でプラスに働いたのかもしれません。
投稿: 白夜 | 2009年5月11日 (月) 00時54分
昨日聴いてきました。
入念に予習していきました。音楽は素敵ですが、舞台はもう見たくありません。残虐なシーンは作り事でもきつく感じます、血の垂れる死体の入ったビニール袋などは。四幕のカテリーナのアリアが一番でした。それにつけるコンマスの音色が独特で、感銘を受けました。凝った細かい演出に気をとられ音楽を聴きそびれます。腹ぼってりはやり過ぎではないかと思います。客層は、少し独特なものを感じました。今回、多少不愉快なこともありました。タコだからではないと信じますが。
投稿: Mie | 2009年5月11日 (月) 20時20分
白夜さん、こんばんは。
私も正直3時間の長丁場、私も含めた観衆が耐えられるかとも思いましたが、全然問題なしでした。
まさに完璧な上演に、観衆もしっかり受け止めて反応しておりましたね。
われらが観客も、オペラ受容の幅がどんどん広がっているのを感じます。
アレクセーエフの数役は、とても聴きごたえがありましたし、そう、東響の立派すぎる演奏は、今後もう一方のプリンシパルオケの存在が色あせてしまいそうで怖いくらいでしたね。あの指揮者、オケでもう一度聴いてみたいです。
投稿: yokochan | 2009年5月11日 (月) 22時59分
Mieさま、こんばんは。
>客層は、少し独特なものを感じました。今回、多少不愉快なこともありました。タコだからではないと信じますが<
そうだったのですか!私の平日の回は、大人しい紳士淑女さまでした。近くの席のご婦人などは、「あらまぁ~、ふふふ」などと小さく笑ってましたし・・・。
なかなかに実演というものは難しいものですね。
気が弱い私は、赤いものがダメなんですが、今回はユーモラスに感じましたし、まさに手がけがれたマクベス夫人を想起して、それをショスタコよろしくパロディにしてしまった演出に感心したりもしました。
でもあのお腹ぽっこりはいかんですね。
ジークリンデはお腹の中のジークフリートのために生きる勇気を得たのに、カテリーナはけしからん男しか見えていなかったのが鮮明になってしまいました・・・。
しかし、ショスタコのこの音楽は素晴らしいものですね!
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2009年5月11日 (月) 23時07分
そうそう。ショスタコーヴィチと言えば東フィルという雰囲気が漂っている昨今なわけですが、ワタクシは当夜の東響の演奏を聴きながら、そうそう考えてみれば、上田仁時代にこのオケこそがショスタコーヴィチを日本に紹介したんだよなぁ、などと思っておりました。
投稿: 亭主 | 2009年5月13日 (水) 01時20分
今日は。
フェドセーエフ指揮のカテリーナ・イズマイヴァ組曲(「マクベス夫人」による5つの楽章)のCDを聴きました。凄い音楽ですね。質量ともに第4交響曲に切迫するほどの劇的で混沌としたショスタコ節全開の音楽に圧倒されました。もっと多くの人にこのオペラに親しんでもらうために管弦楽版を作って欲しいというイリーナ未亡人の要請で作曲者と親交のあった作曲家で編曲家のボスネルという人が90年代に編んだ組曲ですが、単なる抜粋ではなく5楽章の交響曲としても聴けますね。フェドセーエフが第16交響曲と呼んでいるのももっともです。第2、第4楽章は皮肉なスケルツォ楽章、第3楽章は葬送行進曲です。終楽章は、12分かかりますが、第4幕の最後の部分がほぼそのまま使われています。
あらためて全曲が聴きたくなりました。市立図書館にあるチョンさまの全曲CDを借りてこようと思っています。旧ソ連で作られた「カテリーナ」のLDもあったと思います。そして田舎者で貧乏人の私もいずれはyokochan様や常連の皆様のように実演が観たいものです。
投稿: 越後のオックス | 2009年5月13日 (水) 15時04分
亭主さま、こんばんは。コメントありがとうございます。
東フィルに加えて、新日もなかなかにショスタコしてますね。
上田仁の名前は懐かしいです。ショスタコの日本初演はほとんど上田さんですね!
投稿: yokochan | 2009年5月14日 (木) 23時16分
越後のオックスさま、こんばんは。
フェドセーエフ盤、到着しましたね。
このオペラの前奏や間奏をつなぐと、たしかにシンフォニックな作品が仕上がりそうですね。
16交響曲とはまた大いに触手のそそられる命名です。
チョンさんや、ロストロさんのCDを私も聴いてみたいですし、マリスDVDも観てみたいです。
しかし、当面購入を自粛しておりますので我慢の日々です。
コンサート通いも、あと少し残すところで、こちらも自粛しようと思ってますが、東京は誘惑が多すぎて心配です・・・・。
投稿: yokochan | 2009年5月14日 (木) 23時22分
こんにちは。
僕も「マクベス夫人」がエンターテインメントとして楽しめる事に、
今回初めて気付きました。
文句無しに楽しいオペラでした。
投稿: Pilgrim | 2009年5月17日 (日) 12時41分
Pilgrimさま、こんばんは。
正直キワモノ扱いをしていた自分でしたが、おっしゃるように、まさにエンターテインメントとして受容することのできた公演でした。
日本のオペラ上演もたいした局面になってまいりましたね。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2009年5月17日 (日) 21時36分
連投失礼いたします。ブログ主様は年末にゲルギエフ指揮の交響曲第10番とマクベス夫人と言う実に羨ましい演奏会に行かれるそうですが、件の演奏会で彼が指揮するのはボスネル編曲の組曲版でしょうか?マクベス夫人のDVDと言えばマリスのものが名盤として名高いですが、ジェイムズ・コンロン指揮のDVDも出るのだそうです。アルトハウスムジークからです。コンロンも才能のある指揮者でショスタコへの適性もありそうですので、マリスではなくコンロンのDVDを買うことになりそうです。両方買うほどのお金はありませんし、買っても見る時間も無さそうです。コンロンといえばツェムリンスキーのスペシャリストとして有名ですが、私は彼のツェムリンスキーを一枚ももっておりません。恥ずかしい~。ツェムリンスキーと同じ世紀末ウィーンの作曲家で私が好きなのはフランツ・シュミットです。メータが指揮した第4交響曲は最高です。ナクソスがシナイスキー&マルメ交響楽団を起用してシュミット交響曲全集を出すようです。シャンドスからヤルヴィ父が指揮したF・シュミット全集が出ていますが高いのですよね。ブリリアント化されるのを待っているクラヲタは私だけではなさそうです。
投稿: 越後のオックス | 2009年11月 9日 (月) 12時20分
越後のオックスさん、こんばんは。
ゲルギーさんがどんなバージョンでやるかは不明ですが、盛り沢山のコンサートで演奏者より、聴くこちらの方がもつかどうか心配です(笑)
コンロンのツェムリンスキーのオペラはちょっとづつ揃えてますが、それで満足してまだ聴いてません(笑)
シュミットは4番のみですが、メータとルイージです。わたしもヤルヴィ廉価コースに期待です。
投稿: yokochan | 2009年11月 9日 (月) 20時36分
連投失礼いたします。
マクベス夫人の組曲は色々なバージョンがありますね。
ジェイムズ・コンロンが編曲&指揮した組曲もあります。作曲者自信が編んだものもあったはずですし。
コンロン盤はカプリッチョから出ていたのが長い間廃盤に
なっていたのですが、ナクソスミュージックライブラリーのホムペに行ったら再発されていました。
誘惑に負けてアマゾンに注文してしまいました・・・
投稿: 越後のオックス | 2009年12月19日 (土) 05時38分
越後のオックスさん、こんにちは。
マクベス夫人の組曲は、ラニクルズの1枚のみですが、すごく気に入ってます。
カップリングが、ピーターグライムズとウェストサイド物語というナイスなものです。
コンロン盤ですか、よさようですね。
また刺激されてしまいましたねぇ。
こまったんもんです(笑)
投稿: yokochan | 2009年12月19日 (土) 15時37分
お早うございます。
ヤンソンス指揮のマクベス夫人のDVDが遂に昨日とどきました!演奏も演出も予想以上の出来栄えです。しかも日本語字幕つきです。あっという間に見終えてしまいました。舞台は現代に置き換えられています。演奏は、ロストロさんやチョンさんよりも上です。コンセルトへボウはやはり恐るべき実力はオケですね。強靭なヤンソンスの指揮にも驚かされました。
演出も凄いです。性的な表現の過激さはほとんどポルノのようです。未成年者に見せるのはまずいかもしれません(笑)
バッハのカンタータ全集は33枚聴きました。あと27枚です。
マクベス夫人と一緒にベルディのジョバンナ・ダルコと
ボリス・ゴドゥノフ、エドガールのDVD、フランツ・シュミット1番のCDもとどきました。
投稿: 越後のオックス | 2010年1月 6日 (水) 04時14分
越後のオックスさん、こんばんは。
ずいぶんと魅力的な音源を仕込まれましたね!
何だかうらやましいですよ。
ヤンソンスのマクベス夫人はまだ未視聴なんです。
ちょっと高めなもんで(笑)
しかし、そんなに過激なのですか!
青少年のいる我が家では、密かに夜中にでも楽しむほかなさそうですねぇ(涙)
投稿: yokochan | 2010年1月 6日 (水) 20時57分
お早うございます。
コンロン指揮のマクベス夫人を一昨日、観終えました。ボリス役は、マリス盤同様ヴァネーエフです。歌唱といい演技といい陰険そうな顔(失礼!)といい、彼はボリスの第一人者ではないかと思いました。彼はバルシャイのショスタコ13番でも素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。マリス盤と今回購入したコンロン盤を比べると、演奏は僅差でマリスのほうが上なのですが、クシェイの演出が奇を衒いすぎているので、演奏と演出の総合点では(あくまで私の好みですが)コンロンのほうが合っているでしょうか。クシェイの演出はやりすぎです。美人のカテリーナ役のソプラノを厚化粧でロック歌手のマドンナみたいにしてしまっているし、舞台に沢山のハイヒールが置いてあるのも私にはなぜか意味が分かりません。セルゲイがカテリーナに夜這いをかけるところや毒殺されたボリスが化けて出てくるシーンなどは暴力アクション映画かホラー映画のようです。コンロン盤は、夜這いのシーンも亡霊出現のシーンも比較的穏やかな演出です。穏健すぎてつまらないという批判もありますが…クシェイが敢えて現代に舞台を移し替えてしまったのに対し、コンロン盤の演出は帝政末期のロシアを比較的忠実に再現していると言えそうです。演奏は甲乙つけるのが難しかったです。マリスは硬軟兼ね備えた切れ味の鋭い指揮で、コンロンは堅実で隙のない手堅い指揮ですから。コンセルトヘボウの優秀さは日本でも知れ渡っていますが、フィレンツェ5月祭管弦楽団も辣腕家のメータに鍛えられただけに凡庸なオケではありません。目をつぶって演奏だけ聞くならマリスのほうが少し上、映像つきで観るならコンロンのほうがいいということになりそうです。ロストロさんやチョンさんの全曲CD、コンロンやフェドセーエフの組曲版など、さまざまなマクベス夫人を聴いてきましたが、コンロン全曲盤DVDの登場で満足のいく映像ソフトに巡り合えたという感じです。
投稿: 越後のオックス | 2012年11月26日 (月) 03時53分
越後のオックスさん、こんにちは。
マクベス夫人の鑑賞レポートありがとうございます。
わたしは、残念ながらDVDはまだこの作品では持っておりません。
新国の上演の思い出はまだ色あせておりませんが、コメント参考にさせていただき、いずれ購入したいと思います。
しかし、ヤンソンス・コンロンと悩ましいところですね。
あとリセウ劇場版も出てるようで、これまた魅力的です。
ショスタコの音楽のすごさを味わうのに、きっとどのオケも力量は高いと思われますが、やはりわたしはコンセルトヘボウでしょうか。
しかし、魅惑的なDVDが次々に出てきて、懐に厳しいこと極まりないです!
投稿: yokochan | 2012年11月26日 (月) 18時20分