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2009年6月

2009年6月30日 (火)

「ケロケロ」

お気づきの方もありましょうが、左側に、ケロケロ・スロットルを置いてみました。
スタートを押して、てきとーにストップを押してみてください。
たいへんなことになりますが、右上の閉じるでいなくなりますし、ケロケロランドに遊びにゆくもよしです。
遊んでやってケロsmile

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R・シュトラウス オーボエ協奏曲 クレメント&ケンペ

Ajisai_5 まだあります、紫陽花。

最近、紫の色を見かけなくなったのは気のせいか?

Strauss_concerto_kempeR・シュトラウス(1864~1949)のシリーズ。
今日は小気味いいオーボエ協奏曲を。

そして何気に、このところ管楽器の作品や協奏曲ばかり続いているのもお気づきでしょうか。

オーボエ協奏曲というと、バロック期の作曲家たちにバッハ、モーツァルト、R・シュトラウス、ヴォーン・ウィリアムズあたりが有名でありましょうか。

シュトラウス晩年の1945年の作品。
いつも引き合いに出すオペラでいうと、最後の「カプリッチョ」を1941年に完成させ、あとは管楽のためのソナチネや同時期に「メタモルフォーゼ」が作曲されている。
この協奏曲のあとの大作は、「最後の4つの歌」になるわけだ。

ガルミッシュにあったシュトラウスのもとに、元フィラデルフィア管のオーボエ奏者のランシーが米軍慰問団として訪れ、作曲を依頼した。
オーボエを外した木管楽器に弦楽というすっきりした編成による古典的な作風。
晩年のシュトラウス特有の軽やかで澄み切った境地に達した枯淡の音楽。

切れ目ない3つの楽章は、いずれもさらさらと流れるようなよどみのない旋律に満たされていて、地中海的な明晰さと、高原の爽やかな明るさに充ちた桂作。
それにしても、オーボエのソロはずっと、ずっと続いている。
フレーズひとつひとつが長い。
これがソリスト泣かせだ。
しかも、オケが小じんまりと精妙かつ軽いものだから、ソロが突出して目立つ仕組みになっていて、さすが老境の世界に遊んだ達人の筆によるものと感心してしまう。
そして、第2楽章などは、オペラの一節のよう。
そう、女声を好んだシュトラウスらしくソプラノの主役が最後の大団円で澄み切った心境のままに語るような場面だ。
「ダフネ」しかり「ダナエの愛」「カプリッチョ」のように・・・・。
この楽章はほんとに素敵。

今日のオーボエは、マンフレート・クレメント。ゲヴァントハウスから、西側へ転出し、ミュンヘンで長く活躍した名手は、いかにも南ドイツ風の明るくもコクのある味わい深い音色。
リヒターのカンタータなどのソロは、すっかり耳に残る名演ばかり。
ケンペドレスデンという、もう何もいうことのないビロードのようなシュトラウスサウンドをバックに、クレメントはいつまでも浸っていたくなるような同質性あふれる素晴らしい音色を歌いついでゆくから最高なのだ。

ホリガーやコッホもいいけれど、このクレメント盤には敵わない。
あと達者なシュレンベルガーも聴いてみたい。
シュトラウスのオーボエ協奏曲、いい曲ですnote

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2009年6月28日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 金 聖響指揮

Minatomirai 開港150年を迎えた横浜みなとみらい地区。

昨日27日は、こちらを抜けて「みなとみらいホール」へ。

神奈川フィルハーモニー 第254回定期演奏会横浜開港150周年記念と冠されたコンサートへ行ってきました。
それにしても暑い一日。
新音楽監督 金さんの二度目のコンサート、初回は当方・消化不良だったが、今回涼やかな新風が吹きぬけるかどうか。

 武智由香 オーケストラのためのEaux Lumieres Temps
         (横浜開港150周年記念委嘱作品)

 ハイドン  交響曲第100番 「軍隊」

 ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

 ドビュッシー 交響詩 「海」

    金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                    (6.27@みなとみらい)

Kanagawa_phll200906 土曜日と金さん効果で、今回もほぼ満席。
そこに響いた第1曲目第一音は静謐でミステリアスな音楽。
武智由香さんは、鎌倉出身の若い女流作曲家。
「オ・ルミエール・タン」は、「水 光 時間」を意味するそうで、すべての根源としての「海」、その情景を描いたという。
プレ・トークで金さんと対話をしていたが、とても真面目そうな彼女、まさに生真面目で優等生的な音楽は、とても聴きやすく、美しい場面も少なくなく、もう一度じっくりと聴いてみたいと思わせるものだった。トークのなかで、「通常は亡くなってしまった作曲家の音楽を聴いているけれど、今日は生きている作曲家を・・」とユーモアを交えての金さん。
 今を生きているがゆえに、聴くわれわれから、武満徹だ、リゲティだ、J・ウィリアムズだ・・と言われてしまうのも致し方ない。
鍵盤楽器・打楽器多数を配したフル編成で、目の醒めるような大音響を期待してしまったが、3部にわたる15分間、静的で、とてもキレイな音楽でした。

次のハイドンに焦点を合わせた対抗配置。
それでも、ピアノをどかしたり、打楽器の位置を変えたりと、団員が一旦退いて大規模な転換がなされ、ちょっと興ざめになったけれど、一転、ハイドンが始まると爽快な気分に一瞬にして満たされてしまった。
やっぱり、メロディがあるのってイイ。
 今回の「軍隊」交響曲は、前回のせせこましく感じられた「時計」より、はるかにこちらに近いところで鳴ってくれたように思う。
テンポは相変わらず早いけれど、極端なピリオド奏法も今回はやや控えめ、リズム感あふれる元気のよいハイドンは、梅雨のモヤモヤを吹き飛ばす、気持ちいい演奏。
そこに、何があるの? まぁ、そんなことは言ぃっこなし。
ナイスで楽しい、パパ・ハイドンの音楽でありました。

休憩後の2曲が、今回のお楽しみ。
私の大大好物が並ぶ、でも演奏者にはとてもハードな2曲。
私の人生、トリスタンをもう何百万回も聴いてきているから、どんな演奏でもそれなりに楽しんでしまうし、たいていは音楽の素晴らしさに免じて受け入れ可能なんだ。
そして今回はだいたい予想していた通りの演奏になり、妙に納得。
やっぱりな、と思いつつ、すいすいサラサラ系のひっかかりのないスマートなトリスタン。
情念渦巻く濃い目のワーグナーは、昨今は流行らなくなったけれど、タメや旋律の歌わせ方、半音階進行の楽器間の受け渡しの妙・・・、などなどいずれもまだまだ。
前奏曲が終わって、おのずと若い水夫の歌が聴こえてくるような演奏もあるが、今回はまったく感じず。(自分でこっそり口ずさんでおりました)
コンサートピースとしての「前奏曲と愛の死」、神奈川フィルの美音が楽しめたのが最大の報酬。
あと、次の「海」でも気になったこと。
対抗配置のままの演奏で、私の席は1階前方のやや右より。
右には第2ヴァイオリン、ビオラしかない。低音域は左手奥に封じ込められてしまっているので、ただでさえ弱い声部なのに私の席では音に芯がなくスカスカに聴こえてしまった。

その感覚はドビュッシーにも言えたけれど、こちらは色彩感あふれる音楽だから、かなりマシ。第1曲は、モヤモヤした感じでまとまりが悪かったけれど、2曲目からは音のキラキラ感がオケの持ち味も加わって増してきて、こちらでも情感不足と高速テンポは感じつつも、勢いで楽しめてしまう。
3曲目、ヴァイオリンの高音の美しい持続音(ヴァイオリンセクションの素晴らしさ)に乗って、オーボエから始まる木管の美しい主要主題。
この場面は、この最高の瞬間で、そこから一気に迎えてゆく、弾け飛ぶ波しぶきのようなエンディングまで、息もつかさない素晴らしさだった。

若さとやる気が、眩しい「海」も、これはいいものだ、と痛感し、金さんをこれから見守っていこうという、高揚した気分に満たされた。
そして、なんということでしょう、アンコールに、これまた私の大好きな、ドビュッシーの小組曲の「小舟にて」が演奏されました。
この素適な音楽は、私が大昔フルートをちょいとかじったときに、気にいって散々吹いた曲で、実演で聴くのは初めて。
洒落た雰囲気はなかったけれど、さわやかで気持ちのいい桂演ではなかったろうか。
「海」のあとに、これが必要だったかどうかは何ともいえないけれど、爽快なコンサートの締めくくりとしては実によかった。

という訳で、不安で終えた前回定期、伝説ともなろうシュナイト音楽堂をはさんで、今回定期は、このコンビがどちらへ向かうかまだ不詳ながらも、じっくり付き合って見極めていこうという思いに満たされた。

アフターコンサートは、新潟から新国に合わせていらした「Iさん」を交えて、毎度おなじみのメンバーに、途中から神奈フィルの「Mさん」もいらしていただいて、極めて楽しい「5時間呑み」でありました。
皆さんどうもお世話さまでしたbeer

Center_grill_1

コンサートの前、野毛の洋食屋さん「センターグリル」に出向いて、ナポリタンnote
懐かしくも美味なるお味に、ワタクシのお口もオレンジ色に。

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2009年6月27日 (土)

マーラー 交響曲第1番「巨人」 アバド指揮

Ajisai_3

これも「あじさい

実家の庭に咲いている。

墨田の花火」というそうな。
あじさいっぽくないけど、華麗な雰囲気は夏を迎えるのに悪くない。

 マイケル・ジャクソンが亡くなりましたな。
ジャクソン・ファイブの時から知っていたその少年は、80年代にダンスのパフォーマンス付きで大ブレイクした。社会人になった頃だったなぁ~。MTVでさんざん見たもんだ。

そして、もうひとり、アメリカの一時代を思わせる、ファラ・フォーセット(メジャース)も数日前亡くなっている。
そう、チャーリーズ・エンジェルの彼女。
大学時代、日曜の晩の放送がすごく楽しみだった。
アメリカの西海岸の心地よい軽やかなイメージがぴったりで、そのレイヤーズヘアは、誰もがマネした。楽しき大学時代・・・・。
アメリカのドラマも楽しいものばかりで、彼女の夫は一時、リー・メジャースで、サイボーグ人間のかっこよくも人情味あるドラマ「600万ドルの男」の主役だった。

懐かしいなぁ~。
どんどん歳とるなぁ~。
アメリカの一時代を築いたお二人、ご冥福をお祈りします。

そして、記事はうってかわって、メデタイお話にwine

Abbado_mahler1 この記事が書きあがるころには日付は変わってしまいますが、6月26日は、クラウディオ・アバドの76回目の誕生日。

「さまよえるクラヲタ人」をご覧になっていただいている皆様には、さんざん表明しておりますとおり、わたくしは、アバドの大ファンであります。
ワーグナー・アバド・イギリス音楽・オペラ、そして酒と食>な~んて、プロフィールに書いてありますよ。
それはずっと昔から変わらない、私の音楽の基本。
72年頃から、アバドを聴いて、もう37年。
アバド39歳の頃。わたしゃ中学生。
リングもディーリアスもしっかり聴いてましたよ。

以来、アバドは、ウィーンフィルの首席、スカラ座の音楽監督、ロンドン響の音楽監督、シカゴの首席客演、ウィーン国立歌劇場の音楽監督、ベルリンフィルの芸術監督、という具合に指揮者としてのポストの頂点に登りつめていったのはご承知のとおり。
 自分をあまり主張することなく自然体のアバドは、周りから請われるようにして頂点を極めた慎ましさがあって、逆にポストにしがみつくことなく、あっさり投げ出してしまう潔さもあって、私などはそのもったいない行動にヤキモキしてしまうことが多かった。
サラブレット的な血筋の良さからくる余裕ともとれるが、音楽をすることのみを至上とし、そこに喜びを見出すアバドならではの生き方だと思う。
逆に、アバドを物足りなく思う方からは、優等生としか映らないのだろう。

そんなアバドが好きなのだが、さらに拍車がかかったのは、生死の堺を見てしまった後の、研ぎ澄まされ神がかり的な高みに到達してしまったその凄まじさ。
これまた何度も書くが、東京での「トリスタン」上演と、ルツェルンとのマーラー。
これらは、人生で何度も巡り合うことのできない異常なまでに強烈な音楽体験だった。
ついでにいうと、スカラ座との「シモン」もすごかった!

あわせて、若い人への愛情の注ぎかた。アバドはいくつ若いオーケストラを育てたろうか。
ルツェルンの豪華メンバーもそうだが、一緒に共感しあいながら音楽を作っていく・・・、そんな共同作業の大いなる喜びに、いまだに喜々としているアバド。

今だに若々しい表情を失わない秘訣は、こうした音楽への愛情と、そののめり込み具合なのだろうな。
私も、よたよたしてないで、マエストロにあやかりたいものだ。

Abbado 今日は、超お得意のマーラーから、第1番を。
81年のシカゴとの一度目の録音は、ライブ感あって自在なベルリンフィル就任の後年の録音よりも、まとまりがあって、しなやかかつ、シャープでスリム。
ショルティの剛毅な指揮のもとにあったシカゴが、アバドが振ると強靭さはそのままに、繊細なまでの豊かな歌が溢れだしていたからおもしろい。
 シカゴの意中は、アバドだったというし、ニューヨークフィルからのお誘いにも乗る気だったから、ウィーンのオペラのポストがなかったらアバドはアメリカで長期活躍したかもしれない。
1番は、ロンドン響との来日公演が、火の玉のように熱い演奏だった。
その演奏がこれまでの最高。

そして、今年のルツェルンでは、この1番と4番をメインとしたふたつのプログラムが予定されている。
ルツェルンでのマーラー・チクルスも、今年が終われば、あと8番と9番。
8番は来年、スカラ座に復帰して演奏するので、先が見えてきたというもの。
交響曲も歌曲も、何度も何度も演奏するアバド。
ほんとは、ワーグナーとヴェルディもやって欲しいんだけれど。
それとバッハもね。

まぁ、永遠に元気そうだから、きっと演奏してくれる。

マエストロ・アバド、いつまでも元気で素晴らしい演奏を聴かせて下さいnote
ワタシモ、ガンバリマスpunch

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2009年6月26日 (金)

「パストラル」 エマ・ジョンソン 英国クラリネット作品集

Ajisai_1 いまや咲き誇る「あじさい」たち。

紫陽花」という漢字もほんと趣きがありますな。

よく言われるように日本は火山灰を含んだ地質で酸性だから青い花が多く、土壌改良をしてアルカリにすると赤系の色になるという。

そうでもないという説もあるが、梅雨の季節にしっかりと咲いてくれる紫陽花だから、日本の風土にしっかり根ざした説であってこそ、まさに趣きがあるというもの。
そぼ降る雨の日に、濡れたブルー系の「あじさい」を眺めつつ嘆息する、そんな情感がとてもいい。

Emma_johnson_pastoral 今日は、私の愛聴盤のひとつ、英国のクラリネット奏者、「エマ・ジョンソン」の英国作品集。

若いころ、そうまるで少女のような彼女が本格デビューしたのが84年。
あれからもう25年も経過し、彼女は大人の女性としてコクのあるクラリネットの音色を奏でるようになった。
DGやナクソスに最近の録音があるようだが、まだ聴く機会をもっていない。

このCDは、94年の録音で、つやつやとした音色に、しっとりとした木質感漂う、素敵なクラリネットで、英国音楽特有の憂いと抒情を難なく表出している1枚なのだ。

 アイアランド    「幻想ソナタ」
 RV・ウィリアムズ イギリス民謡による6つの練習曲
 バックス      クラリネット・ソナタ
 RV・ウィリアムズ 3つのヴォカリーズ
 ブリス        「パストラル」
 スタンフォード   クラリネット・ソナタ
 ブリス        2つの童謡

    クラリネット:エマ・ジョンソン
    ピアノ   :マルコム・マルティニュー
    ソプラノ  :ジュディス・ハワーズ

このCDの解説で、エマ自身が語っていること。
それは、これらの英国作曲家たちが、2つの世界大戦と切ってもきれない関係にあること、そして肉親や親しい人を亡くしたことに大きな痛手を受けたこと。
一番古い人が、スタンフォード(1852~1924)、次いでヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)、アイアランド(1879~1962)、ブリス(1891~1975)、バックス(1883~1953)。こんな生没年、ふたつの大戦がしっかりとその活躍期に収まっているのがわかる。
ひとり、スタンフォードは古く、エルガー以前、パリーと並ぶ英国作曲家でシンフォニストなのだが作風も含めドイツロマン派の流れを踏襲している。

アイアランドの幻想ソナタは、1943年の作品。
切れ目なく続く15分ほどの作品ながら4つのセクションに曲想は分かれている。
アイアランドは、好きな作曲家で、抒情派でメロディアスな作風にケルト風のミステリアスなムードも併せ持っている人。このクラリネットのソナタもまさにそんな雰囲気に満たされていて、静かな第1部から、ジワジワとクラリネットが亡郷にも似た歌を歌い込めてゆくさまがとても美しく、私を陶然とさせる。最後のノリのいいリズムは、彼の素敵なピアノ協奏曲を思わせる素晴らしいもの。

RVWの英国民謡の練習曲は、RVWが各地を巡って集めた民謡をまさにモティーフとした6つの作品。1927年の作品で、それこそ歌謡性にあふれた懐かしい民謡ならではの世界が6曲つぎつぎに歌われる。
クラリネットの持つ憂愁と親しみやすい音色が、いいようもなく郷愁を誘う。
そして、RVWは30年後、死の前年、これらの中から3曲を選んでヴォカリーズとして編みなおした。
ソプラノのヴォカリーズを伴う雰囲気豊かな作品となり、そう、交響曲第3番「田園」のいかにも英国の緑の丘を思わせるような、あまりにすてきなクラリネットを伴う声楽作品。

これまた、私のフェイバリット作曲家、アーノルド・バックスのソナタは、1934年の作品。二つの楽章からなりそれこそ、こちらも「幻想ソナタ」と言ってもいいくらいの即興性とほの暗い幻想味にあふれている。バックスも生粋のロンドンっ子でありながら、ケルトに魅せられた人だけにそのフェアリーなムードはなかなかのもの。

ブリスのパストラルは1916年、戦下のフランスで書かれた平和を希求するほのぼのしたムードの音楽。ブリスはロンドンっ子ながら、やはりケルテックなムードも持っていて、ミステリアスかつ現代的なムードを併せ持った、とても素晴らしい作曲家なんだけれど、当時はなかなか評価されず、映画音楽などで活躍せざるを得なかった人。
戦争にまつわる音楽としては、大曲の「朝の英雄たち」(モーニング・ヒーロー)などは感動の一作。「色彩交響曲」ばかりでないブリス!
の作品は21年のもので、フランス時代の子供たちのイメージがあるあらしい。

スタンフォードのソナタは、これはもう、ブラームス。
ブラームスが海を渡って英国へ行き、ロンドンも飛び越えて、内地へ向かい、英国を極めてしまったような音楽。スタンフォードの交響曲と同じくする雰囲気だけど、妙に寂しげで儚いムード。ウィスキーでも飲みながら聴きと、その苦味と甘さがぴったりと寄り添ってくる、そんな音楽なんだ。

Portraitgeo986pg2p9_2   エマ・ジョンソンのふくよかで、歌声のような、美しい詩情あふえるクラリネットに、だれも気持ちを解放されてしまうことだろう!
笑顔もかわいいエマでありました。

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2009年6月25日 (木)

モーツァルト ホルン協奏曲 ダム&マリナー

Botan 牡丹の花であります。
中華料理屋に行くと、そこに飾られた原色っぽい絵に必ず牡丹が描かれていたりする。
それもそのはず、ボタンは原産は中国でかつての国花だったそうな。

幼稚園では、ピンクのテッシュのような紙を使って花を作るけど、まさにこれね。
アップにして撮るとまるきりそれなんだな。

Mozart_hornkonzerte_damm 梅雨のムシムシはいやですなぁ。
でもそんなときでも、モーツァルトの音楽は気分爽快、すっきりさわやか。

中でもホルン協奏曲は、その4曲が長調で、うち3つが変ホ長調。
明るく素直で屈託なく、どこまでもフレンドリーな音楽だ。
陰りや寂しさなどは無縁で、聴く方も、のほほん力全開にして、ほわ~っと聴いていればいいと思う。

ウィーン時代の27~8歳の作品。
いずれも、ウィーンにいたホルンの名手ロイトゲープのために書かれたが、いたずら好き、というかロイトゲープが人が好くからかいやすかったのかもしれないが、モーツァルトは、そのスコアを青や赤で書いたりして惑わしたり、注釈に「ロバ、アホ、元気だせ・・」とか面白がって書いてあるという。

スカトロ言葉もたくさん口にしてたアマデウス小僧、憎めませんなぁ~catface

4曲のうち、第3番が一番有名で、クラリネットがオケに加えられたこともあって、音楽には優雅さも加わってひと際輝いて聴こえる。

こんなホルン協奏曲のイメージをたっぷり持っている演奏が、ペーター・ダムネヴィル・マリナーのもの。
ダムのホルンを聴いて、気持ちいい、と思わぬ人がいようか。その音色の素晴らしさはたとえようがなく、ドレスデン・シュターツカペレの音色を一人出しているような柔らかく温もり感のある音。色でたとえれば、ホルンの黄金色で、ちっとも眩しくなく、さりげない色合い。
そう、言葉につくせません。
私は、ダムのホルンというと、ドレスデンでのR・シュトラウスですな。
協奏曲もいいけど、「カプリッチョ」の月光の音楽でございますよ。
思っただけで、身体がとろけてきちゃう。

マリナーとアカデミーの清涼飲料水のようなバックも実によろしい。
マリナー好きの私には、邪気のない清潔なモーツァルトが一番だ。
マリナーはいったい何度この曲を録音しているだろうか?
英国には名ホルン奏者がたくさんいたからよけいですな。
あと、ダムには、ブロムシュテット&ドレスデンとの録音があって、そちらは未聴。

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2009年6月23日 (火)

暑いよ「にゃんにゃん」

1_2今日は暑かったですな。
30度あったし、おまけに湿度がたっぷりで。

都内某所、午後2時、暑い盛りの日向sun

この「にゃんにゃん」はいた。

2
目つぶってる。

3 「んーーーんーーん」
あと5分、いや10分。
頑張るにゃんspa

4

「うーーーん、んんん~ん」

5 「ふーーーむぅぅぅ~う」

手も伸びちゃってるし。

あんたね、そんな日差しの中で、暑くないのsign02

という訳で我慢大会中のような今日の「にゃんたん」でした。

とか、いいつつ、今宵、「白い春」最終回を涙も流しつつ、不思議な清涼感とともに見終えましたよ。
お父さんは悲しいweep

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2009年6月21日 (日)

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 カラヤン指揮

Block1 港で見つけた、こんな物体。
はて、何でしょうか?

Block2 そう、その形でおわかりのとおり、波消しブロック・テトラポッドなんです。
始めてみたその作成現場のリアルな光景に、わたくし、興奮しましてよ。
型枠にコンクリートを流しこんでつくる。出来たてブロック。
この型枠を作ってる会社もあるんだろうな。
いろいろあります。

Shostakovich_sym10_karajan ショスタコーヴィチ(1906~1075)交響曲シリーズ。
第9を超えた、いよいよ第10番である。
すでに当ブログでは、ラトル指揮で取り上げ済みの作品。
本国ソ連よりも、他国で評価され当初より大いに演奏された交響曲。
1945年の新古典主義的なシンフォニエッタっぽい第9から8年。
スターリン死去後、マレンコフ→フルシチョフ下における「雪解け」の時代の始まりを告げるかのような時期に先駆けて書かれた第10交響曲。
そんな歓迎ムードで迎えられたものの、論議を生んでしまうところがショスタコーヴィチ特有であり、ソ連の在り方。

その論議は、勝利や肯定的な人生を求めるべきところが、内容が暗すぎるとか、終楽章の存在がアンバランスに過ぎる(ひょうひょうとしすぎ?)とのことであったらしいが、いまやそんなことは何のことはない絵空事に聞こえる。
 ショスタコの音楽を普通に親しむようになった我々聴き手は、ブルックナーやマーラーを散々聴き尽くした耳でもって、クールなショスタコ音楽を平然と楽しんでいるんだ。
国外初演も、アメリカで争奪戦が繰り広げられたり、日本でも東響(上田仁)とN響が競ったとかのことが、かつての解説には盛んに書かれている。

問題作とかいわれながら、どこが問題だったんだというのが今の現在。
この曲を8番と並ぶ最高傑作と呼ぶ声もいまやあるくらい。

カラヤンの唯一のショスタコーヴィチ。
この曲しか振らなかったカラヤン。
その経緯はよくわかりません。詳しいかたにご教授いただきたい。
今回の66年DG録音、69年のモスクワライブ、72年のザルツブルク・ドレスデンライブ、81年DG録音の、つごう4種の演奏が残っているから、カラヤンのレパートリーのひとつであったといってよい。
5番には眼もくれず、10番のみにこだわったのは何故だろう。
深刻さと、最後の狂乱的な奔放な明るさの大放出。作者の名前を折り込んだ意味深長なライトモティーフを用いた緻密な構成。
このあたりがカラヤンお気に入りの理由だろうか?

66年旧盤しか聴いたことがない私だが、この頃、カラヤンはベートーヴェン全集やワルキューレを録音していた壮年の最充実期で、ここに漲る圧倒的な音量と音に密度の濃さ。
べらぼうにうまいベルリンフィルのカサにかかったかのような威力。
イエスキリスト教会でのこの当時の毎度おなじみの豊かな響きと芯のあるサウンドがまた、ベートーヴェンやブラームスを聴くかのような気分にさせてくれる。

さて、これでショスタコはいいのだろうか?という気分もしなくもないが、まぁいいか。
洗練され完成されつくした完璧な音楽表現なのだから。

Shostakovich_sym10_karajan2 このレコードの存在は、70年頃のカラヤンのレコードに添えられていたカタログで知った。5番すら知らなった当時の私。
ショスタコーヴィチって誰?
9番までしかあっちゃいけない交響曲なのに、10番っていったいなんだ??
昔はこんな感覚だったのですよ、若い衆sign02

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2009年6月19日 (金)

ヴィヴァルディ 「四季」 クレーメル&アバド

Shiba 雨上がりの公園で見かけた花。
なんて言う名前?
コスモスっぽいけど、そんな季節じゃないし。

いまやネットで、季節や色で、その花を検索できる。
それによれば、「ディモルフォセカ」か「オステオスペルマム」という感じだけど、いったいなんだろね、外国の名前そのものは??
花の品種も、かつては考えられないものがたくさん入ってきていて、昔からの日本の花にはそれ風の名前があるのに、それらはさっぱりピンときませんな。

Four_seasons_kremerabbado 今日は、「四季」。
イ・ムジチに始まった「四季」ブームは、猫も杓子も「四季」を録音するアナログ時代がピークだったように思う。

ミュンヒンガー、ファザーノ&ローマ合奏団、パイヤール、オーリアコンブ&トゥールーズ、マリナー&アカデミー、シモーネなどの室内合奏団はもとより、オーマンディ、バーンスタイン、ついにカラヤンあなたもか、アバド、小沢、ムーティ、シャイーなどのオーケストラ指揮者までがこぞって録音。
 そして名ヴァイオリン奏者たちも。スターン、シェリング、グリュミョー、クレーメル、ムターなどなど、たくさん。
そして、古楽優勢の時代となり、アナログ時代のトレンドは、デジタル化とともに、ピリオド奏法による演奏家たちが主流となっていった「四季」。
ビオンディ、カルミニョーラなど、わたくしは詳しくないのであとはわかりません。
昨今の指揮者たちはもう録音しなくなってしまった。

そんな文字通り、「四季」の録音の移り変わりに思いをめぐらせてみるのも楽しい。

今日は、有名ヴァイオリン奏者と有名指揮者とシンフォニー・オーケストラが組んだ、当時ユニークだった「四季」を。
ギドン・クレーメルクラウディオ・アバドロンドン交響楽団の1980年の録音。
アナログ最後期、この年の半ばからDGもデジタル化するが、最初は硬かったDGのデジタルなので、アナログ末期にこの録音がなされたのは救いかも。
 
当時は先鋭に感じられたこの演奏。
昨今のピリオド奏法による切れ味よい演奏に慣れてしまった耳には、さほど鋭さを感じなくなってしまった。我々聴く側の耳も日々変化しつつある証左。
でもそんなことを考えなければ、チェンバロを多様したアバド指揮するロンドン響の弾みのよさと、精妙なまでの繊細さ、立ちあがりのよさに、弱音部分の美しさ。そして歌。
 いつものアバドとロンドン響がここにある。
そう、あのストラヴィンスキーのようなクリアな響きなんだ。
 そこに載るクレーメルの自在さは、今の丸くなったクレーメルより練達感がある。
早いフレーズでも一音一音に芯があってしっかり聴き取れるし、技巧の限りを尽くしてもそこに必然があるから嫌味もないし。
 驚きは、「冬」の第2楽章ラルゴ。冬の炉辺の暖かなストーブのイメージじゃなく、凍てつく外の冷たい雨のような感じで、通常の倍のテンポ。
まぁ、やりすぎにも思うけれど、せめてこれくらいのユニークさがないとね。

クレーメルはその後、弾き振りで録音しているから、自身の考えをもっと徹底したかったのだろう。そちらは未聴。

たまにはアナログの「四季」もいいもんだ。

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2009年6月17日 (水)

ロッシーニ 「チェネレントラ」 新国立劇場公演

Cenerentola200906 新国立劇場公演、ロッシーニの「チェネレントラ」を観劇。
オペラはやっぱりイイ!
楽しかった、面白かった、ホロリときた、快感だった・・・、そんなあらゆる人間感情を呼び起こしてくれる。それがオペラの醍醐味。
新国立劇場の出し物も、このところ巧妙を極めている。トーキョーリングに、ショスタコ・マクベスときて、ロッシーニのブッフォときた。

今回上演も、一流歌手が揃ったこともあり、平日なのに、かなりの観客動員だった。

わたしは久々のイタリアもの、しかもベルカントものに、まるでおいしいイタリアンをいただくかのように、次々と興ぜられる、めくるめく料理の数々をワクワクしながら楽しんだものだrestaurant




チェネレントラ:ヴェッセリーナ・カサロヴァ ドン・ラミーロ:アントニーオ・シラグーザ
ダンディーニ:ロベルト・カンディア     ドン・マニフィコ:ブルーノ・デ・シモーネ
アリドーロ:ギュンター・クロイスベック    クロリンダ:幸田 浩子
ティースベ:清水 華澄

    ディヴィット・サイラス指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                     新国立劇場合唱団
    演出:ジャン・ピエール・ポネル   再演演出:グリシア・アサガロフ
                           (6.17@新国立劇場)


Ki_20002091_6 まずは、ご馳走を惜し気もなく振る舞ってくれた歌い手たちのことから。
これまでご覧になられた方々が大絶賛のシラグーザ、この人がまったくもって素晴らしい。ストレートで伸びやかな声は明るく不純物がまったく見当たらない天然もので、その抜群の技巧も嫌味なくナチュラルかつスポーティな快感を呼び起こすもの。
ロッシーニのためにあるような美声が劇場にサンサンと降り注いだのだsun
フレッシュなレモン果汁のようなスッキリ声。
2幕のアリアでは高音を次々と見事に決め、大喝采を浴び、後半をアンコールしてさらにハイCを大伸ばしして我々を大いに楽しませてくれた。

それと期待のカサロヴァ。大柄でスカート役が似合わない、なーんて言ったら怒られちゃうけど、そんな見た目のおっかなさは度外視して、その完璧極まる歌唱力と他を圧する声量にはただただ呆れ返るばかり。オクタヴィアンもいいけれど、ロッシーニもやはりいい。
Ki_20002091_12 ただカルメンなどドラマティックな役を歌うようになり、声が重たくなってきた気がする。
でも濃いめの赤葡萄酒の味わいのチェネレントラもいいものだ。
トリを決める最後の大シェーナは、ただでさえ大好きなアリアなのに、カサロヴァの実演で聴いてるものだから、胸が締め付けられるような感動と興奮につつまれドキドキしちゃったshine

日本のスター、幸田浩子さんがイジワル姉さんのクロリンダ役。このオペラ唯一のソプラノで、ちょこっとしたソロはあるものの勿体ないくらいの配役。
でもですよ、さすが彼女、いくつかの重唱の場面で、耳をくすぐる美声が際立って通って聴こえる。これもまた耳のご馳走。彼女は、甘いドルチェ。
もう一人のイジワル姉さん、清水さん。かつて観たワルキューレやマクロプロス、外套などで、舞台に懐深さを提供している彼女、今回は見せ場たっぷりで、その素敵な声がカサロヴァとかぶっちゃうと気の毒だったけど、しっかりと下から支える歌声は味があった。
そして彼女は、イタリア料理には欠かせないオリーブかな。
Ki_20002091_7 彼女たち、ポネルの演出では、いじわるよりは、ユーモラスで滑稽な存在として描かれていて、その楽しい演技は主役二人より光っていたかもしれない。
でも、妹灰かぶり姫にいいとこを持ってかれちゃうと、その存在が一転、陰りあるものに変貌していまう。そのあたりの機微もこの二人実に見事だったと思う。

あと低音男声3人組。これまた芸達者な3人。
ブッフォの典型ともいえるドン・マニーフィコ役のデ・シモーネは、そのオッサン風の風貌からしてピッタリの役柄で、おもしろおかしさが見るからににじみ出てるようだし、明るい歌声に言葉の洪水、そしてクレッシェンドするロッシーニ特有の歌唱。
板についた、というのはこういうことをいうのだろうか。
このおじさんは、ちょっとしたリゾットかな。ほんのちょっと皿に盛って、濃い味を楽しんで、でもまだメインのパスタを待つっていう感じ。でもとても存在感あるし憎めないのよね。

まったく同じことが、ダンディーニのカンディアにいえる。フィガロのような狂言回し的な素直な歌声と、憎めない存在。その動きに軽快さも欲しいが、誰しも微笑んでしまう、ナイスな従者役だった。彼は、アンティパスト(前菜)のようでいて、しっかり主菜にもなっていて、それをつまみながら何杯もワインが飲めちゃうイイ味出してるタイプ。

それとクロイスベックのアリドーロ。一人超越的な存在の役柄だが、この人唯一のゲルマン系。深々としたバスは、なかなかに素敵。彼は、チューリヒオペラの映像に数々出てるし、バイロイトでローエングリンのハインリヒを歌うことも決まっていて、ドイツ・バス界の期待の星なんだ。付け合わせのコントルノにはもったいない立派な声。

いやはや、これだけでお腹一杯。

Ki_20002091_5 でも本日の一方のおいしいメインデッシュは、故ポネルの残した名演出。
ポネルといえば、バイロイトのトリスタンの映像が脳裏に刻みこまれている私だが、それともうひとつが、「セビリアの理髪師」。スカラ座の来日公演のテレビ放送は、いまでも覚えている。
キレのある鮮やかな登場人物たちの動きに、合唱も含めた、音楽の一音一音、強弱への巧みな反応。クレシェンドに合わせ揺れ動く人物たちは、ロッシーニの音楽を理解し、表現し尽くしていた。
それとまったく同じことが、今宵のチェネレントラにも言えた。
踊るような軽やかさと、弾けるような身のこなし、合唱の時に集団、時に個、そんな観ていて面白い動きに、ロッシーニの音楽が際立つ。
主役ふたりは、細かいところは自在にふるまっていたように思うが、カサロヴァさまは、動作がコワすぎか(笑)

演出の按配の詳細は、アバドのDVDで。
舞台転換は、新国の奥行ある舞台装置を駆使できたこともあってお見事。

今回はここまでで、目一杯。舞台の詳細はここに記す能力を持ちませんです。

英国の指揮者サイラスは、オペラ練達の人。全体を巧みにまとめあげる才はたいしたもの。でも生真面目にすぎるかも。
日本のオケだからよけいにそう。
完璧な仕上がりだけど、昨今の機敏な演奏や、長く親しんだアバドの小股の切れ上がったような爽快さもない。
序曲から乗ってこなくて、そんな不満にとらわれたが、歌が入ってくると、サイラスの付けの巧みさがその不満を補ってあまりあるようになって気にならなくなった。
なかなか難しいものである。確かにオケは立派だったのだけど、弾けるような歌手たちの舞台には、もう少し違うオケピットがあっても・・・、と思った次第。

Opera_palace そして最後に、メインのパスタは、わたしも含めた観客。
舞台に歌に、敏感に反応し、ブラボーの嵐を連呼。
久々に長いカーテンコールに、スタンディング。
最後の最後まで、大いに楽しめましたnote

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2009年6月16日 (火)

ツートンカラーの「にゃんにゃん」

1 今日のにゃんこ。

港区高輪あたり、都会の中の住宅街に佇むヤツ。

2

ご覧のとおり、警戒の色濃く、近づくと逃げちゃいそうだから、ズームにて。画像悪し!

お手々かわいいね。

3 でもキミ、ちょっとそのお顔。
何だな、二色になってない?

よく見るとコワイよう。
「ツートンにゃんにゃん」でした。

5 拡大画像。
ためしに、手で隠して左右を見比べてくださいな。

別人、いや、別ねこですよ、にゃはははcat

とか言いつつ、わたくし、ドラマ「白い春」を見つつ、涙ちょちょぎらせておりますcrying

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2009年6月14日 (日)

ワーグナー 「妖精」 サヴァリッシュ指揮

Ochazuke_charhan 自家製昼飯アルヨ。

「冷飯+永谷園茶漬海苔+明太振掛+胡麻油」

こんな感じで炒めてみました。
玉子があればもっといいかも。

せんべいの歯ごたえに、明太のピリ辛感が、えもいわれずGOOD。

居酒屋の〆メニューに最適。

Die_feen_sawallisch ワーグナー(1813~1883)に心酔40年のワタクシも、「さまよえるオランダ人」より前のオペラ作品に関しては、正直弱いです。
聖地バイロイトが、オランダ人以降の7作品のみを上演し続けているからよけい。
そのバイロイトも、市民劇場などを使いつつも、学生上演で初期作を取り上げてはいたものの、一流どころを投じた本格上演はほぼゼロに等しい。

これだけ、ワグネリアンとかいう呼称も生まれ、狂信的な世界が築かれつつも、そのすべてを聴きにくい作曲家も珍しいのでは。

その「オランダ人」(1842)以前とは、「妖精」(1834)、「恋愛禁制」(1836)、「リエンツィ」(1840)の3作品。
「妖精」以前に、「婚礼」というオペラ作品を手掛けているが完成されず、21歳の「妖精」がワーグナーのオペラ第1作となった。
この「婚礼」は、断片のみ残っているが、音源はあるのだろうか?
手持ちのプラッソンやブーレーズにも収録されていない。

以前の記事よりそのまま記載  自作の台本で、<姉で女優のロザーリエへの思慕や彼女の助力から生まれた作品で、上演に奔走してくれた彼女の急死もあって、ワーグナーは意欲を失い、以来このオペラは初演されることがなく、ワーグナーの死後1888年にミュンヘンで上演されたのが初とのこと>

以来不遇の「妖精」は、バイロイトの青年音楽祭で上演されたりもして、その音源があるが、なんといってもワーグナー没後100年の1983年にサヴァリッシュが初期3作を含めたすべてのオペラを上演した時のライブ録音が唯一無二の貴重な録音である。
 そして日本では、昨年2008年に東京オペラプロデュースが本邦初演を行っていて、これは世界的にも画期的なことではなかったろうか。
幸いにして、その場に立会うことができ、この若書きオペラの良さと不遇をかこっている理由の双方を感じ取ることもできた。
その時の記事は、こちらで、簡単なあらすじも参照ください。

舞台や映像がなく、音源だけで聴く「妖精」は、しかも対訳がないと正直厳しいものがある。
1年前の舞台がまだ脳裏に残っているから、あぁ、あの場面ねとか思いつつ追体験的に聴くことができるけど、音楽に後の日のような求心力がないからよけいキツイ。
ウェーバーやベルカントオペラ、マイヤーベアなどを思わせつつ、でもですよ、しっかりワーグナーなんですよ、鳴っている音楽が。
切迫したオーケストラの鳴り方は、登場人物の心理に応じて聴き手に巧みに迫ってくるし、アリアの背景も単なる伴奏ではなく、かなり雄弁で時に時代がかった歌唱との齟齬が見られたりして、やはり天才の筆致を感じさせるところが面白い。
天才も才の落とし所をつかめず、なんでもテンコ盛りにしすぎ。

でも劇の内容は、どうみても上出来とはいえず、ややこしい。
「魔笛」と「影のない女」のエッセンスみたいなものと思えばいい。

妖精の王:クルト・モル        アーダ:リンダ・エスター・グレイ
アリンダル:ジョン・アレグザンダー ローラ:ジューン・アンダーソン
モラルト:ローラント・ヘルマン   ゲルノート:ヤン・ヘンドリック・ローテリンク
ドロッラ:シェリル・ステューダー   グンター:ノルベルト・オルト
ハラルト:カール・ヘルム       ボーテ:フリードリヒ・レンツ
グロマ :ローラント・ブラハト     ファルツァーナ:カーリ・レーファス
ツェミーナ:クリスツィーナ・ラーキ

    ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 バイエルン放送交響楽団/合唱団
                        (83年 ミュンヘン演奏会形式ライブ)

各登場人物たちには、それぞれ難しいアリアが割り振られていて、誰もが主役級の実力を必要とする。
なかでも、ヒロイン、アーダは優しさと激情を合わせもった難しい役柄で、ドラマティコでありつつコロラトゥーラ的な要素も必要となるが、グレイはなかなかによく歌っている。
でもちょっと一本調子かもしれない。それよりこんな難しい役柄を書いたワーグナーがいけない。
女声では、王子の妹ローラがお得な役柄だ。ジャンヌ・ダルクのように戦いを鼓舞する女性だが、その歌はとても女性的でいいアリアだ。アンダーソンはこれは素晴らしい。
自己犠牲的なアーダと戦いに身をやつすローラを足して2で割ると、今後のワーグナーの好きなヒロイン像が浮かびあがってくる気がする。

舞台で観た時も面白かった、パパゲーノとパパゲーナみたいなお笑いコンビが、王子の付き人とその許婚とのユーモラスな二重唱。いま聴いても面白いし、真面目ぶったワーグナーが精一杯滑稽な音楽を書いたって感じだ。
これを歌うのが、後にザックスなどを歌うこととなるローテリングと若きステューダーなのだから。ステューダーがアーダを歌えばよかったのに。
それと悩めるヒーロー役のJ・アレグザンダーは、なかなかによい。
舞台での羽山さんの眼の玉ひんむいたような超熱演を思い起こす難しい役柄。
狂人と化しあとになるほど、熱唱しなくてはならないが、アレグザンダーは、イエルサレムを思わせる声でもってとてもいい。メトで活躍した米国テナーで、メットが始めて来日したとき、アルフレートを歌っていたはずで、イメージとしてはイタリアものだったから、これは以外な出来栄え。そのアレグザンダーも90年には亡くなっているようだ。
もっとも有名なモルは、ここではチョイ役だけど、存在感ばっちり。

さて、この難解なオペラをカッチリとまとめあげているのは、さすがにサヴァリュシュ
鳴りっぱなしでなく、抑制も充分効かせ精妙な中に、オペラティックな雰囲気もしっかりと盛り込んでいる。バイエルン放送響の明るくバリっとした音色も素晴らしく、実にいいオケだと思わせてくれる。

以前の記事にも書いたけれど、この初期3作を日本で毎年連続上演して、初期作なら日本と世界に誇れるようにしたらどうだろうか。
東京オペラプロデュース+二期会+あらかわバイロイトの共作で。

さて、「妖精」に手を染めた「さまよえるクラヲタ人」、当然に次は・・・・。
半年くらいかけて全作品制覇に挑みます。

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2009年6月13日 (土)

ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」 A・ロメロ&プレヴィン

Humburg 自家製ハンバーグ。
目玉焼きを乗っけてみました。

私は料理が好きで、興が乗ると結構やってしまう。
職場には厨房があって、たまには昼ごはんも作ってしまう。
時には、お金を出し合って食材を買ってきて、わたくしが調理担当となる。
食べるしかできない人もいるが、こういう方は皿洗いも危ない。
だから、わたくしは八面六臂の活躍をすることになるのだが、好きだからしょうがない。
明日は何をつくろうかしら。
事務所を締めて音楽居酒屋でもやろうかしら。

Rodrigo_aranjuez ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を聴く。

私は、この有名な哀愁あふれる第2楽章を聴くと、マカロニ・ウェスタンのフランコ・ネロが出てくるような乾いた砂漠と風に揺れる枯れた樹木といった荒涼たるイメージを思い浮かべてしまう。

イタリア製ウエスタン映画は、おもにスペインなどで撮影されていたらしい。
ある意味もっともなことかもしれないなぁ。

スペインには、もちろん行ったことがないけど、ヨーロッパでありながらエキゾシズム溢れた雰囲気は、イスラムとの接点が強いことにもよろうか。
黒髪で黒い瞳、カルメンのような、おっかないくらいの破滅的なくらいの情熱を秘めたスペイン女性。男子はどうなんだろか?
でも、スペインは世界的な名歌手を排出している国。
A・クラウス、ベルガンサ、カバリエ、ドミンゴ、カレーラスなどなど、枚挙にいとまがない。
でも彼らに共通していることは、知的でスタイリッシュな歌。

スペインといっても広いからいろんな気質があるのだろうけれど、どうもよくわからない。

実演では一度も聴いたことがないこの曲。
オーケストラを相手にしてのギターだから、音量バランスが大変と想像。
でも録音ならば全然大丈夫。
陽気な1楽章とやや霊感不足の3楽章、件のむせかえるような2楽章とのギャップが大きいが、やはり全体に流れるスパニッシュムードには抗しがたい魅力がある。
ファリャの音楽もそうだけど、目をつぶると熱気ある昼と夜の冷気と甘い花の香りを感じることができる。

ギター親子・兄弟の一人、アンヘル・ロメロの素晴らしく粒たちのよい明晰な音色。
そしてビューテフル極まりないプレヴィンの指揮。
とても好きな1枚でございます。
 あぁ、パエリアが食べたい。作ろうか!

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2009年6月11日 (木)

J・シュトラウス 「美しく青きドナウ」 クライバー指揮

Jal 実際にあった携帯電話のお話を。
私は出歩くことが多いし、仕事先の方々もそう。
だから、携帯同士のやり取りが普通の毎日。

ある時、そうした取引先のオジサンから電話がかかってきた。
「はい、Yです。」と出ると、先方は「いま、電車の中ですからあとでお掛けします。」と答えました・・・・・。
はぁあ~?

仕事仲間に急ぎの電話をした。ほどなく出た彼は、「今、飛行機の中なので後で掛けなおします。」と答えました・・・・。 はぁあ~?あんたねぇ~!

飛行機に乗っていたときの話。
前に座ったお婆さん。到着後まだ移動中に、いきなり携帯が派手に鳴りだした。
普通のけたたましい着信音で。
婆さんは、「はい、もしもし」と普通に出ちゃう。あんれまぁー。
周りもびっくり、ステュワーデスさんも駆け寄り大騒ぎに。
「おやめ下さい」と言うも、婆さんは、「だって、あたしが掛けたんじゃないよ。掛かってきちゃったんだよう。」と押し問答。無理やりきったら、また掛かってきちゃった。
婆さん、「はい、もしもし」・・・、「やめてください」、「いや、掛かってきちゃたんだもの」の繰り返し。そうこうするうちに、ゲートに到着し、押し問答を気にしつつ乗客は飛行機をあとにしましたとさ。あのあと、お婆さん、どうしたかしら。

Kleiber_jstrauss

ひょんなことからスタートした、ワルツ・シリーズ
トリは、ワルツといえば、そう、J・シュトラウス
それもニューイヤーの定番、いや、ウィンナ・ワルツの定番、「美しく青きドナウ」。

もう何も言いません。
1866年にシュトラウスは、合唱曲として作曲したこの作品。当時、パッとせず、オーケストラ編曲をしてパリの万博で披露したら、爆発的にヒットしてしまった。
1866年といえば、日本では幕末で、薩長同盟の年。西洋の音楽界では、ワーグナーはリング執筆中、ブラームスは第1交響曲を10年後に控えていたし、チャイコフスキーは素敵な「冬の日の幻想」を書いていた。
マーラーさんは、グスタフ君6歳です。

そんな年に、シュトラウスは41歳。
作品番号が314だから、一族もろともで作曲家だったことを差し引いても、すごい作品数であります。

カルロス・クライバーは、1989年と1992年の2回、ニューイヤー・コンサートの指揮台に立っている。
毎年、NHK様のおかげでウィーンのゴージャスなコンサートをすぐさま視聴できる。
私も数十年、酒を飲みつつ、へろんへろんで楽しませてもらっているが、マゼール、カラヤン、アバド、メータ、クライバーあたりまでは本心から楽しんだもんだが、最近はすっかり観なくなった。毎年録画してライブラリーの肥しとなるばかりで、観ていないんだ。
例外はヤンソンスだけど、実はアーンンクールも小沢もムーティも、そして評判のプレートルも今年のバレンボイムも観てない。
いつの日か、毎日、年ごとのニューイヤーを楽しんでみたい。
そんな晴れ晴れとした日々が来るかどうかわからない厳しい世の中を生き抜けたとしての話であります・・・・。

話はそれたが、手持ちの数種類の「青きドナウ」を聴き比べてみて、まずボスコフスキーなどの定番とアバド、カルロスでは演奏時間に1分以上の差がある。
これは繰り返しを励行したアバドやカルロスとの違いは明らか。
しかし、繰り返しを差っ引いても、カルロスの表情付けの豊かさは格別で、主部のワルツの表情豊かな出だしには、思わず体を預けてしまいそうになる。
テンポをあげると、すぐさまリズムが反応し、その弾みはいいようがないほどで、指揮するカルロスの棒の動き、体の動きが目に見えるよう。

3年を経たふたつの「青きドナウ」が聴けるが、最初の年の方が旋律への思い入れが相当にあって、緩急がとても豊か。
次の回では、テンポの揺らしはあまりなくなり、そのかわりスケール感が増し、大局から細部を見ているような掴みの大きな演奏になっている。
どちらも、10分数秒の演奏時間で、これだけ異なる演奏なのだから、カルロスのライブの面白さがうかがえるというものだ。

私はといえば、最初の年のほうが好きかも。
それと、同じく2度登場のアバド。こちらはほぼ同じように演奏してるが、オケに任せきっていながらも歌いまくりの開放感がとても好きだ。

以上、ワルツ終わり。

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2009年6月10日 (水)

ベルク 管弦楽のための3つの小品 アバド指揮

Itami Itami_2 大阪の阪神高速を疾走。
伊丹空港の脇を通ると上にはモノレールが。

中国自動車道に入ると、空にはこんな飛行機雲が。

夕暮れの空を見ながら気持ちよく走る。次の日は雨、そんな夕雲。

Umeda 関東人の私が、大阪を車で走るときは、とても緊張するし、正直怖い。
都内や首都高は全然平気だけど、大阪や京都は、まるで外国に来たみたい。

かつて大阪出身の後輩に、「Yさん阪神高速で合流するときは、ぶつける気持ちではいらなあかんで」「東京みたいに、譲ってくれへんさかいにな!」・・・・。
はぁ、そうですか。
この言葉が、ずっと私にトラウマのようにのしかかっていて、たまにかの地で運転をせざるを得ない時に、重くのしかかってきて、緊張しまくりとなるんだ。
おまけにかつて、会社の大阪の先輩を乗せて運転したとき、「Yちゃんな、ここはややこしいんやで、合流して、一番向こうの車線までいち早くいかにゃぁならんのや。」
何車線もむちゃくちゃある一番あっち??しかも、みんなすげぇスピードで走ってるし、分岐はすぐ先に見えるじゃん!!
 あぁ、恐ろしい。でもなせばなる、大阪。目つぶって、突っ込んだら行けました。
あと、もうひとつ、市内の南西あたりの会社へ車でいかなくてはならない。
これまた先輩が「Yちゃん、ここらへん、ややこしいから気ぃつけてな。」
その一言でもう、わたくしガチガチでございましたよ。

大阪や京都以外の関西は全然平気なんですが、やはり人の口による先入観というものは覆せないものなんでしょうかねぇ。在阪のみなさん、すんません。

Berg_orchesterrtucke ワルツを聴いてますシリーズ。
後期ロマン派からベルクを。
ウィーンのワルツとはきってもきれない環境にあった新ウィーン楽派。
中でもベルクは円舞曲のスタイルをその作品に自然に取り入れている。

オペラでは「ヴォツェック」と「ルル」、オーケストラ作品では、「3つの小品」にワルツが挿入されている。
前者は、アイロニーのように悲しみさえ浮かべながら、後者では曖昧混沌とした中に、マ-ラー的な大音響とともに。

1915年の完成で、無調様式によっていて、師シェーンベルクの誕生日に捧げる予定が間に合わなかったらしい。
同時期に「ヴォツェック」を作曲していて、お互いの響きは重なり合っているように聴こえる。
「前奏曲」「輪舞」「行進曲」の3曲。

輪舞」がワルツなわけだが、この2曲目は2拍子の部分と、3拍子のワルツが交互に姿を変えつつ交錯する、いわばワルツが時おり明滅するようにあられる音楽で、一度や二度聴いたんじゃよくわからない。
甘味でありながら冷徹、微笑みと苦渋が同居するようなベルク特有の音楽は、前後の二つの曲も耳を刺激する無類に素晴らしい音楽。

ゆっくりとした打楽器のトレモロに管が絡んで始まる「前奏曲」はプリミティブな効果満点のカッコいい音楽。
行進曲」は騒然とした中にいろんな要素が包括されていて、中間部に明快に登場する行進曲には胸がすくような気分となる。
やがてものすごいクライマックスに到達し、死にたえそうな静かな雰囲気のなか、半音階ピチカートの鳴り響く中、木管が踊るようなスタッカートを切る。
そして、金管の強烈なファンファーレが鳴り響き、断末魔のような最後の一撃をもって曲を閉じる。

アバドはこの作品を非常に得意にしていて、70年にロンドン響と、92年にウィーンフィルと録音しているほか、演奏会でも始終取り上げていた。
今日はウィーン盤を聴いたわけだが、輪舞におけるワルツの鳴り方は、まさにウィーンの音楽そのものとして響く。
こうした無調の音楽に味わいを感じさせるのはウィーンフィルならではだし、アバドも学生時代から自分の体にしみついたウィーンの音楽言語を話しているかのように一体化している。そこに歌があって、明析さも併せ持つところがアバドならでは。
ブーレーズと並んで双璧かと思われるベルクだけれど、旧LSO盤のニュートラルで切れ味鋭い演奏も実に捨てがたいんだ。
M・プライスとの「アルテンベルク・リーダー」や「ルル」組曲も、同様にウィーン録音と甲乙付けがたい素敵なベルク。
久しぶりに聴いたアバドのベルク。
新ウィーン楽派をベルリン卒業後あまり演奏しなくなってしまったアバド。
ルツェルンでもう一度

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2009年6月 9日 (火)

R・シュトラウス 「インテルメッツォ」交響的間奏曲 メータ指揮

Cappiccino カフェで、カプチーノを飲む私。

こんなオヤジのわたくしに、ハートを作らなくていいのよ、店員さん。

Mehta_strauss 今回もワルツ。
ドイツ・オーストリアの世紀末がどんなワルツを奏でていたか。
まずは、得意なR・シュトラウス(1864~1949)から。
シュトラウスでワルツといえば、いうまでもなく「ばらの騎士」ということになるけれど、弊ブログでは散々っぱら取り上げてきたゆえに、オペラでかつウィーンがらみということで「インテルメッツォ」。

このオペラはシュトラウス15作中の8作目のオペラ。
詳細はこちらをどうぞ
まるで「家庭交響曲」のようなファミリーな痴話喧嘩のドラマで、作曲家の亭主にあらぬ嫉妬をいだく奥方、そして最後は温厚な夫が婦人を本気で叱り、子供もそれにからむ。
シュトラウスの私生活ではないかと思うくらい。
 この作曲家が、ウィーンに長期出稼ぎ仕事に向かい、留守の夫人にもいろんなことが起きるが、疑心暗鬼になってしまう。

全2幕に散りばめられた前奏曲や間奏曲を4つ集め、交響的な作品に仕立てたものが、本日のCD。
4つあるなかの、1曲目が前奏曲とワルツ。
かまびすしい夫人の言葉の攻撃のような陽気な前奏曲につなげられた、このワルツが実に洒落ていて優雅なもの。
ピアノのオブリガートではじまり、まるで町人貴族のような新古典的なムードを経て、舞踏会で踊れるようなワルツが次々に歌われる。
10分程度の第1曲目だが、粋でこじゃれた雰囲気はR・シュトラウスならでは。

シュトラウスのオペラは、一部を除いてまだまだ一般的に聴かれていないが、そのどれもが素晴らしい音楽に充ち溢れていて、含蓄とユーモア、そして女性的な優しさと天国的な美しさに充ちているんだ。
管弦楽曲を慣れ親しんだ聴き手であれば、絶対に楽しめる世界だと思います。

メータベルリン・フィルの演奏は少しゴージャスに過ぎるかもしれないが、唖然とするほどにうまい。
ウィーンフィルか、ミュンヘンのオペラのオケだったらという贅沢な思いも多少あり。

次もワルツで。

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2009年6月 7日 (日)

ブリテン 「放蕩息子」 ブリテン指揮

Rembrandt_son00 レンブラントの「放蕩息子の帰還」。

新約聖書ルカ伝15章にあるイエスの語る「放蕩息子」の物語。

放蕩息子と聞くと親の脛かじりの遊び人のどら息子。
そこまでのイメージで、その息子が悔い改めてご帰還というオチは、あまり知られてないかもしれない。

イエスの語る物語はこうだ。

「ある人に、ふたりの息子があった。弟は父に、財産分与を申し出、さっそくそれを金にかえて遠いところに出てゆき、放蕩のかぎりを尽くして何もかも浪費してしまった。
そこへ飢饉が起こり、弟は食べることにも困るようになった。
 そこである人のところに身を寄せ、その人は弟に豚を飼わせることとしたが、弟は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどに、誰も彼にくれなかった。
 ここで彼は、本心にかえり、『父のもとには雇い人がたくさんいて彼らは食べることにも困っていない。なのに自分はこうして餓えようとしている。父にも天に対しても罪を犯しました、帰って雇い人のひとりとしてもらおう』、と。
 そこで父のもとに帰ると、父は駆け寄ってきて抱きとめた。
息子は、父に罪を悔い、『息子と呼ばれる資格はありません』と語る。
父は僕たちに命じ、最上の着物、装飾品、履物を用意させ、牛一頭をふるまうようにした。真面目に働いていた兄が帰ってきて、『永年仕えてきて、私には、友人が来たときですら子ヤギ一匹もくれなかった、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこの弟のために何故?』というが、父は『息子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、わたしのものはすべてあなたのものだ。なのに、あなたのこの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなったのに、こうして見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』

ちょっと長くなったが、悔い改める人間に対する神の優しさと度量の大きさ、迷える子羊、まさにストレイシープをわれわれ人間に例えた物語。

The_prodigal_son_2 ブリテン(1913~1976)のオペラシリーズ。
17作品あるなかで、これで6作目。
まだ先は長い。
教会での演奏を念頭において書かれた教会寓話三部作。
カーリュー・リヴァー」(1964)、「燃える炉」(1966)、「放蕩息子」(1968)。

能に影響を受け、「隅田川」を素材にした「カーリュー・リヴァー」以外は、とっつきが悪く、なかなか特殊な内容だけに、ちょっと引いてしまう方も多いかもしれない。
登場人物がすべて、男声。女役も男性。
オーケストラではなく、ソロ楽器の組み合わせによる小編成のアンサンブル。
劇の冒頭と最後に聖歌が入り、それが近づいてきてはやがて遠ざかり、テノール(当然、ピアーズを想定)による舞台挨拶があって、劇中劇のようなドラマが始まる。
いずれも1時間前後のCD1枚分。

2年おきに書かれた3作には、こんな共通項があって、聴きようによってはどれもこれも、おんなじに聴こえる。
楽器は、3作とも異なるものの組み合わせ。
その音楽は、ブリテンが大いに影響を受けた東洋的なムード、とくにガムランの響きがただようエキゾチックなもので、特殊なリズムと妖しいムードに支配されている。
カーリュー・リヴァーはそれが神秘的に感じるのだが、だんだん後年のものになると、その音楽が禍々しく、難解になってくる。
カーリュー・リヴァー以外は、そう誰にもお勧めできるオペラじゃないけど、いずれもエンディングにはドラマの感動的なオチが音楽ともども用意されているので、そこまで聴けば、あぁよかったな、ということになる。

 誘惑者(修道院長):ピーター・ピアーズ 父親:ジョン・シャーリー・クヮーク
 長男  :ブライアン・ドレイク       次男:ロバート・ティアー

    合唱・アンサンブル:イギリス・オペラ・グループ
    音楽監督:ベンジャミン・ブリテン、ヴィオラ・タナード
                         (69.5 オックスフォード

聖歌に続き、アーメンが歌われると、それにかぶるように、誘惑者(修道院長が演じる)の偽りのアーメン。これより、ある家族の調和を見事壊してみせます、と口上を述べる。
ハープ、アルトフルート、ドラムなどにより、エキゾチックな前奏曲が始まる。
立派な父親は、アルトフルートの伴奏で、勤労の尊さと平和を語り、二人の兄弟を仕事に出す。誘惑者が現れ、弟につきまとい、心に潜む欲望を引き出そうと甘い言葉をかけ、ついに弟は、優しい父親に話をして、旅に出させてもらおうとする。この誘惑の場面では、トランペットが甲高い音色でまとわりつくのが効果的。
 この願いを聴いた父は、最初はドラムにビオラの音にのって諦めろと説得するが、ついに折れ、財産を分けあたえ(実際はそれを意味する衣)、旅に出す。
 元気に出立する次男。次男が歩くさまは、マラカスのシャカシャカとした音でイメージされ、そこに誘惑者が現れ、ふたりまったくかみ合わない二重唱を歌いつつ、テンポがだんだんと早まってゆく。このあたりの音楽描写はさすがにブリテンと思わせる。

 ついに二人は、街に到着する。
いやらしい誘惑者の声「enjoy yourself enjoy~」
酒や肉の快楽に陥る次男坊。人々は、お~お~ぉ~・・と悩ましく歌う。

でもそれが済むと金を払わなくてはならず、衣の一部を取られる。
「経験には対価が必要なことを学んだろう」と誘惑者。
 さて金がなくなったら、博打であるが、すぐに負け、「負けたら支払いをしろ」ということになり、「これでおまえは一文無し、役立たずだ」と誘惑者。
「you are my guide」とすがる次男、「さんざん楽しんだんだ、豊かさのあとは、乏しささ・・」と誘惑者。乞食が現れ、「その仲間にでもなって、豚でも飼育してその食い残しにでもありつけ!」と誘惑者は去る。
 誘惑者は、「ご覧のとおり、約束通りに家族を壊しました」と誇らしげ。


さて、次男坊は、「喜びの種を撒き、絶望を収穫した」と悔い改め、父親のもとに帰り、その僕たちとなって働こうとする。
またしてもマラカスのシャカシャカで、帰宅を急ぐ次男。
これを歓待する父親。ここからは聖書の物語と一緒。
「死んだ息子が再び生き返った、迷子が見つかった」
不平をいう長男も、父の右手であることを理解、感謝し、弟を迎える。
ここでの音楽は、オルガン(フィリップ・レッジャー)が和解の紐を引くかのような効果的な使われかたをする。
 また最初の前奏曲の音楽が再現され、やがて修道院長が、この物語の戒めを忘れなさるなと説いて歌い、再び聖歌が歌われて幕となる。

ブリテンは、誘惑の場面を加え、街での酒・女・賭事のリアルな場面も付けくわえ、より劇的な物語に仕立てた。
淡々とした、聖書の物語がドラマテックなものになった。さすがである。
そしてピアーズの幅広い芸とその歌い回しには、まったくもって驚き。
いまのところ、「燃える炉」も含めて、音源はこの自演のみ。
 やれやれ、自分だけは大丈夫、と思っちゃいけませぬな。
自戒せねば、音楽と酒に関しては、放蕩オヤジですからして(あとはありませぬよcoldsweats01)。

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「水木しげるロード」

左側のマイフォトに、「水木しげるロード」を載せました。
NHKでおーい日本、鳥取編をやっていたものですからね。
おいおい編集してまいります。
妖怪好きの方、どうぞ。

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2009年6月 6日 (土)

ブルックナー 交響曲第8番 ハイティンク指揮

Rikyuuan1_2 横浜の関内駅の「利休庵」にて。

蕎麦が見えないくらいにのった野菜やわかめ。
でも実はこれ、「にしん蕎麦」。関東風の濃い口の出汁に、ほろほろに煮た「にしん」、そして蕎麦をつるり。

Sym8_haitink ブルックナー(1824~1896)の交響曲シリーズも、大作第8番を前にして立ち止まってしまった。
おいそれと近づけぬ名峰を前に、思わず立ちすくんでしまうがごとき気分だった。

おまけに、すごいオペラや演奏会をかなり体験してしまったものだから、もうこれ以上勘弁、お腹一杯状態の私でもあった。

でももう大丈夫、耳が体が、そして時間がそれを受け入れてくれる時がきた。

演奏は、この曲最大、最高の演奏のひとつと信じている、ハイティンク指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウで。
またハイティンクかい?とお叱りを受けようとも、アバドとともに、ハイティンクをずっと聴いてきた私にとって、この8番の録音こそは、ハイティンクの演奏のマイルストーン的な存在であり、これを聴いた当時、「ハイティンクをずっと見守ってきてよかった!」、と心から思った、そんな1枚なんだ。

ハイティンクには、コンセルトヘボウ3種、ウィーン、ドレスデンと5種類の音源があるが、私はこの81年盤とウィーン盤しか知らない。
ウィーンフィル盤も実は素晴らしいが、ドレスデンも絶対聴いてみたいと思っている。
コンセルトヘボウに関しては、その幸せな結びつきが渾然一体となって味わえるこの盤がひとつあればいいと思っている。
 オケと指揮者、どちらも同じ顔をしていて、その個性とその結びつきが理想的な状態にあった。ハイティンクのイメージは、「ふくよか」、「くすんだ響き」、「重心の低さ」、「生真面目」、「楽器の響かせかたの美しさ」、「伴奏のうまさ」などなど・・・。
それらがそっくりコンセルトヘボウの個性と一致する。
そして、同郷のフィリップスの録音が、コンセルトヘボウのホールのよい響きを完璧にとらえた名録音ばかりで、まさにビロードのようになめらかな生地に柔らかく包まれるような音響。
ハイティンク=コンセルトヘボウ=フィリップス(ホール)
思い切って、この三位一体と言ってしまおうか!
ハイティンクは、この熟成された味わいを身につけ、他のオケやオペラでも円熟の人間味溢れる大演奏を自然と行うようになった。
そのハイティンクが、いまコンセルトヘボウを指揮しても、以前のようにはいかないところがおもしろい。オケとの溝が微妙にあるのは、よりコスモポリタン的な方向にオケが向かってしまったということだろうか。
コンセルトヘボウやドレスデンは、かつての味わいを残しつつマルチなオーケストラに変貌しつつある。これはこれで、いいことなのかもしれない・・・・・。

それにしても、立派すぎるくらいのこの演奏。
音がびっしり詰まっていて無駄なものはひとつとしてない。
蟻の這い出る隙もない、といってもいいかもしれない。
そしてどこまでも音楽的で、造りが大きく、なにもかも完璧にそこにある。

第1楽章のブルックナー開始は明快で、つづく低音域で現れる全曲を支配する第1主題もことさらに大仰にならない自然さ。
優しい第2主題ではヘボウの弦の素晴らしさが満喫できるし、やがて力を増し、難易度を上げてゆくさまが堂々としていて、あまりにも素晴らしい。
第2楽章スケルツォは思いのほか早めに進められる。「ドイツの野人」などという表現とは程遠い洗練されたスケルツォ。でもカラヤンの洗練とはまったく違うのはおわかりいただけるだろうか。
ハープの柔和な合いの手が入るトリオも、まさにヨーロッパ的な洗練。
 そして、この曲最高の聴きどころ、神がかりまでの音楽が第3楽章。浄化の世界。
これぞ、カトリック教徒であったブルックナーの信条告白ともとれる偉大なる祈りの音楽。
息の長い旋律をずっとずっと丹念に歌いつんでゆくこの名コンビ、もたれることなく立ち止まることなく、でもしっかりと弦は弓を弾き切って歌っているし、木管も緩やかに、金管は神々しく、それぞれこの楽章に全霊を込めて演奏しているのが目に浮かぶ。
シンバルが高鳴るクライマックス、この場面ではどんな演奏でも聴いていて、感動の渦に飲み込まれてしまうが、ハイティンクの節度ある演奏は淡々とそこに達し、自然な高まりの中で打楽器が鳴らされる。そして天国的なまでのコーダでのホルンと弦の美しさはどうだろう!
 さらに荘厳で長大な4楽章。ここでは浄化されたあとの輝かしい到達点。
冒頭のファンファーレは威圧的であまり好きでないが、ハイティンクはそれを見越したようにさりげなく自然体。
ほどなく現れるアルプスの野山の鳴く鳥を思わせるような管の歌声がとても好き。
その後のブルックナーの特有のリズムがまさる曲調も丹念極まりなく、以後の汲めども尽きず現れる素晴らしい場面もじっくりと腰を据えて演奏していて、聴いていて知らず知らずに最後のクライマックスを迎えることになる。
そこでは、実は輝かしさよりは、最初からじっくりと積み上げてきた感興のあくまで自然な発露ともいえるもので、そうした意味での壮大さは感激的なことこのうえない。

ジュリーニ、ヴァント(ケルン、北ドイツ2種、ベルリン)、ベーム、スウィトナー、ヨッフム、ケンペ、シューリヒトなどを他に好んで聴いております。
実演では、ヴァントとN響、そしてハイティンクとドレスデン。
後者はまったくもって素晴らしかった。
ドイツの森を感じさせるオケ、圧倒的なうるさくない大音響にしびれっぱなしだった。
拍手に応え無人の舞台に出てきたハイティンクは、スコアを高く掲げ、音楽を称える姿勢を生真面目に示していたものだ。

1887年の完成、例によって第二稿が編まれたのが1890年。その第二稿に基づいたハース版とノヴァーク版があり、このハイティンク盤はハース版によるもの。
1892年ハンス・リヒターの指揮によるウィーンフィルでの初演。

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2009年6月 5日 (金)

ショスタコーヴィチ 交響曲第9番 ゲルギエフ指揮

Dojyou1 Dojyou2 山陰のお土産に買ってきた「どじょう掬いまんじゅう」。
安来節にちなんだユーモラス饅頭。
おもろいでしょ。
中は白餡。
うちの息子は、こいつが気に入り、「どじょう掬い」なんて知らないから、「お父さん、あの泥棒みたいな饅頭うまいね」なんて言ってまして、父は、息子よいいネタありがとう、の気分でございました。

Shostakovich_sym9_gergiev しばらくぶりのショスタコーヴィチ(1906~1975)シリーズは、第9交響曲
偉大なベートーヴェンのそれにあやかって、そして第9より先になかなか到達できなかった、先達の故事もあって、誰しもがショスタコーヴィチの第9に大きな期待を寄せていたであろう。

そんな期待をあえなく、いやそっけないまでに裏切ってしまうのが、ショスタコーヴィチ。
こんな確信犯的な、でも実は何も考えていなかったりするかもしれないところが、面白いショスタコ。

新古典主義風で嬉遊曲的な明るい作品。
しかも短い。
作曲は、日本が最終的な本土攻撃を受け、ついに原爆を投下されてしまった1945年の8月に行われている。
そして、ソ連は、独ソ戦にも勝利し、すかさず参戦した日本戦にも勝利間近の戦勝ムードあふれる頃。
でも、それは外面的にせよ、スターリン体制の勝利でもあったのだ。
 日本の惨状をどこまで知っていたかは不明なれど、こんな複雑な状況において、壮大な第9を書かなかったショスタコーヴィチの強さと、良心を思いたい。
でも、毎度記すように、それが本当か、実は何も意味がないかは、毎度のことながらわからない、ショスタコさんなのである。

明るい1楽章、陰鬱な2楽章、爆発的な3楽章、深刻かつ大袈裟なファンファーレのある4楽章、そしてシニカルなファゴットソロが、そのままユーモラスに歌い5楽章に引き継がれ、最後はショスタコーヴィチらしく、無窮動的な流れに突入して軽々しく終える第9交響曲。

ゲルギエフは、こうした曲を振らせると実にうまい。
緩急の付け方が抜群だし、リズム感も豊かで、さりげなく熱狂の渦を作り上げてしまう。
本格的な作品よりも、肩の力を抜いた作品の方での、ゲルギーが私は好きだな。
 かつて岩城さんとN響が演奏したFM放送ライブを散々聴いていたが、あれは猛烈に面白い演奏だった。

Oni_manjyu1 Oni_manjyu2

冗談のようなお菓子をまた紹介。

こちらは、京都の福知山にある「大江山」にいる鬼にちなんだ巨大饅頭。その名は「鬼饅頭

鬼が腰かけたとかいう岩石をイメージしたらしい。
350mlの缶と比較してみてちょうだい。
薄皮の中身は、粒餡がぎっしり、みっしり。
そして重量もどっしり。
一口食べれば、もう眼がまわるくらい。
デカっsign03

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怪しい「にゃんにゃん」が・・・・。

Nyannyan_2 以前ご紹介した、怪しいラーメン店、「にゃんにゃん」。
本日、東金方面へ赴く途上、実食をしてやろうと思い、レポーター気分で向かった。

が、ななんと、閉店してるじゃんsign02

はかない「にゃんにゃん」、再起を祈るばかり。
というか、この場所はどうも鬼門みたい。

どうしても、ラーメンが食べたい気分押えがたく、空腹のまま東金へ。
ところが、ラーメンナビ(携帯サイト)で東金を調べたら、ななんと、ここにも「元祖神奈川ラーメン にゃんにゃん」があるでないの。
同じ派の店だろうか、と到着してみると、ななんと、焼けてしまってるぅ・・・・・。
なななんというここでしょう。漏電かなにかにかで全焼したとの情報にございます・・・・。
 呪われた「にゃんにゃん」・・・・、あぁ~typhoon

Shirai_syokudo4 しょうがないから、空腹のまま走り回り、銚子まで。
これまた、ラーメンナビで見つけた渋い中華。「しらい食堂」。
 ここのチャーシュー麺が絶品にございましたねぇ。
スープも淡白で。
ついでに、ここの評判の餃子もお持ち帰り。
やれやれ。

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2009年6月 4日 (木)

「黒田恭一さんを悼む」~ヴェルディ・スカラ座・アバド

今日の朝刊でお写真入りで黒田恭一さんの訃報が報じられた。
まだ71歳というではありませんか!
先だって日曜のFM放送を出張先の車で聴いたおり、まさかこの声、黒田さん??
とびっくりするくらいだった・・・・・。

まさかの早すぎるその死を悼んで今日は、氏の愛したオペラ、それもヴェルディを聴きましょう。

黒田さん、私などは「クロキョウ」さんと言ったほうが馴染みがある。
FMやAM、テレビを通じて、そのお声をお聴きの方々が非常に多いと思われる。
マイルドで優しいお声と品のある解説は、音楽のよいところを巧みにリスナーに嫌味なく伝えていて、「このような方がおっしゃるんなら、クラシックも聴いてみようか」などと思わせてくれる名調子でありました。
 私のような世代だと、そのお声というよりは、数々の著書やレコ芸・FMファンなどでの執筆を通じて親しみある存在だった。

レコ芸の月評のあとに、てい談コーナーがあって、黒田さんと林光さん、粟津則雄さんの3人が、その月のレコード数枚を取り上げて語り合うコーナーだった。
辛口で厳しいけどユーモア溢れていた粟津さんがボケ役、冷静沈着でツッコミ役的な林さん。そして黒田さんは、進行役でもあり、どちらにも相槌を欠かさず、それでいながらご自身の好きなアーティストやジャンルだと、熱くなって語ってしまう。
そんな人柄で、信頼感あふれる方だった・・・。
 そして氏の好きなジャンルは、オペラ。
ヴェルディにワーグナー、ベルカントを中心にまんべんなくお聴きだった。
クロキョウさんに、オペラにおいて、どれほど影響を受けたか。氏と高崎保男さんが、私のオペラの机上の師であります。
 そして、氏の好きなアーティストは、カラヤン、そしてアバドだった。
若いアバドが、評論家諸氏にボロクソ言われていた中で、クロキョウさんは常にアバドの美質を見抜き擁護していた。
ずっとアバドを応援してきた私にとって、これほど嬉しい音楽評論家はいらっしゃらなかっつた。

La_scala_verdi_abbado ほんとうに久々にレコード録音復帰した「スカラ座」のオケと合唱、そしてそれを縦横に指揮するフレッシュなアバドの指揮に、黒田さんが大興奮していた1枚を今日は聴きましょう。
3年前、すでに記事にした1枚だけれど、こうして久しぶりに聴くと、耳も心も洗われるような純正ヴェルディに、日頃の鬱憤や悩み事もすっきり晴れるかのようだ。
メトやベルリン、ウィーン、ましてや新国などの一流劇場のオケや合唱が束になってかかっても到底敵わない、ヴェルディの音楽が血肉と化したかのようなアバドとスカラ座のコンビ。
来年、アバドはマーラーの8番でもって、手兵とスカラの混成部隊を指揮して復帰するが、そこでヴェルディを振る日が来るのを切に願いたい。

「十字軍のロンバルディア人」~「おお主よ、ふるさとの家々を」
「ナブッコ」~「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」

あまりに素晴らしいアバドの演奏。これらが、ほんとうに心に響く今宵。

ヴェルディには気品と熱気が大事。
そんなことを思いながら、黒田恭一さんに哀悼を捧げます。

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2009年6月 3日 (水)

シベリウス 悲しいワルツ バルビローリ指揮

Fukuchiyama_castle3 何の因果か、仕事で京都の福知山へ。
それも土曜の晩に入り、翌朝早く出立。

Fukuchiyama_castle1 福知山城に寄り道。
この城は、丹波の国の主となった明智光秀ゆかりの城。
復元されたものだけど、小じんまりしていながら、とても凛々しく清々しい城でありました。

Fukuchiyama_castle4 こちらからの眺望。
雨雲が立ち込めている。渋い。

Siberius_barbirolli 何気にワルツシリーズ。
今日は北欧で、いわずと知れたシベリウスの「悲しいワルツ」。
疲れた時や、寝る前や日曜の晩などにちょこっと聴くのにシベリウスの小品はとてもよろしい。

この5分あまりの小曲は、短調の哀愁ただようワルツで、途中の盛り上がりもなかなか情熱的なものであり濃密な5分間に感じる。

劇の付随音楽だけど、この曲は、死に瀕した病人が死神と踊る場面らしく、このすてきな音楽からはそんな陰惨な場面は想像できない。
というか、むしろその場面をアイロニーと捉えると、この音楽の優美さも皮肉たっぷりに感じたりもしちゃう。

バルビローリの濃密な演奏は、こうした曲でこそ威力を発揮する。
手持ちのほかの演奏は5分を切ったりしてるのに、このバルビ盤は5分30秒。
一音一音にかける情熱がヒシヒシと感じるシベリウスなのだ。

北欧の清冽で怜悧な空気を感じさせるシベリウスの「悲しいワルツ」にございます。

Fukuchiyama_yakitori 福知山の夜、それは途方にくれるほど何もない夜だった・・・・・。
土曜なのに、私はいったいどうしたらいいのだろうと立ちつくし、やむなく駅前の食堂のような飲み屋に入った。

ご当地のものは何もない。
刺身やなまこ・・・、うーむ。
でも焼き鶏はおいしかった。
ネギが玉ねぎなんだな。

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2009年6月 2日 (火)

ハチャトゥリアン、カバレフスキー、ショスタコーヴィチのワルツ 

Hiroshima_okonomi_1 はーい、うまそうでしょsign03

本場、広島のお好み焼き。

先だって久しぶりに広島に行ってきた。
広島は、魚も肉も、粉ものもうまい。
でも麺類が関東人の私には、いまいち。
でも焼きゾバをふんだんに使ったお好み焼きは、たまらなくウマイ!
ウマすぎるよ。

飲んだあとの締めに、ラーメンなどではなく、お好み焼きが広島(?)
さんざん飲んだあとのこちら、仲間とふたつに分けてハーフに。

この日5軒目のこちらでも、ビールを飲む。

1軒目は、福山で瀬戸内の鯵などをつまんでビールと日本酒。
急ぎ、仲間の待つ広島に着いたのが8時。
店に着いたら、なんと、元広島カープの有名な方がいらっしゃるじゃないの。
私の生粋の広島仲間は、完璧なまでの広島人じゃけん、顔が広いんじゃ。
結局、その方と3人、3軒も飲み歩いてしもうたけんね。
プロ野球選手って、背が高いし、どう隠しても雰囲気が出てしまうので、夜の街でも「お~っ」とかいうことになっちゃう。
我が愛するベイスターズの話題にならぬように、むちゃくちゃ楽しく飲んじゃったけんね。

Khachaturian_kondrashin 今日も、またワルツ。
チャイコのあと、ロシアン系ワルツにて。

実は、この音源はすでに取り上げ済みだけれど、日頃よく聴いているので捨てがたい1枚なんだ。コンドラシンがアメリカの名人オケを振ったもの。

ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」は、聴けば誰しも好きになってしまう。組曲では、第1曲目にワルツが置かれている。
ある意味サロン系の音楽で、ソ連の抱えていた宿命たるややこしいイデオロギーとか、なんたらそったらとは次元を異にする世界に遊んでしまったような曲なんだ。
だから、とても聴きやすい。
でも、ここに音楽の深みや真実を見てとることができるかどうか?
ショスタコーヴィチのヴォルコフ証言以来、その真偽は怪しいまでも、ソ連傘下の芸術家たちのまとったヴェールを深読みする風潮があるかもしれない。
私には、それがいいとも悪いともいえないし、ショスタコ自身もそんな次元とは別に思うがままに作曲していたのではないかと思ったりもしている。
彼らに今や語る口はない。
だから、その音楽を無心に聴くのみ。
楽しくも絢爛なワルツばかりか、憂愁さそう夜奏曲、ゴージャスなマズルカ、くどいくらいに胸かきむしるような泣かせ節のロマンツェ、バカバカしいくらいに脳天気のギャロップ。
これら5曲の組曲はむちゃくちゃ楽しいぜぃ。

カバレフスキーの「道化師」は、さらに華やかに、でも緻密に書かれた音楽。
ここでは、ギャロップがあまりに有名。私のような世代だと運動会そのものですなぁ。
ほかは、私てきには、たいしたことなく過ぎてゆく音楽かも。

ショスタコーヴィチもワルツをたくみに取り込んだ作曲家。
それも、軽々しくポップで、肩すかしのように。
2つある「ジャズ組曲」のいずれにもワルツは入っているが、引用しまくりのあらゆる多面的な顔を秘めた面白い音楽。
こんな曲を真剣に演奏していいのか、聴いていいのか?
先のハチャトゥリアンとカバレフスキにも通じるかもしれない軽妙さと深刻さの同居ぶり。
先月、観劇した「ムツェンスク」でもパロディのようにワルツを使っていたショスタコ。
ほんとに、ややこしい人だ。
ヤンソンスフィアデルフィア管のゴージャスで手取り足とり的な演奏は素敵過ぎ。
おまけに、「タヒチアン・トロット」~二人でお茶を、まで神妙に演奏してるこのコンビでありました。
チャイコフスキー後のロシアンワルツは、憂愁と諧謔のおり交る、ほろ苦い円舞曲にございました。

Hiroshima_okonomi_2

広島のお好み焼きの制作現場。
卵をこんな風にするなんて・・・sign02

熟練の技を目の前でとくと観察しましてよ。
でも酔ってましてな、お好み焼きを食ったのは、カメラが唯一の証人なんだな、これが。

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2009年6月 1日 (月)

チャイコフスキー 3大バレエのワルツ プレヴィン指揮

Shigitatsutei1こぶりだけど、すっきりさわやかな、ショートケーキ。

甘いものも得意のワタクシ、コーヒーや紅茶にケーキもいいけれど、ウィスキーとケーキもよろしゅうござんす。

Shigitatsutei2 Shigitatsutei3jpg

こちらは、大磯の洋菓子店「鴫立亭」のケーキたち。(このリンク先のHPは音でます、注意)
クレープにモンブラン、どれも超美味。
でも、この店の昔からのお勧めは、バターサンドクッキー。
帯広のマルセイバターサンドみたいな一品。
30年以上前から食べてます。飲んでます(?)

Tchaikovsky_nutcracker_previn
今日も、ワルツまいります。
忙しくていつもの大曲が聴けないので、毎日円舞曲。毎日ユラユラして目がまわります。

今回は、ロシアに赴き、ワルツ大好きチャイコフスキーを。
シュトラウス一家を除いて、こんなにワルツの名曲を書いた人はいないのでは!
 バレエ音楽にワルツはつきものではあるけれど、チャイコフスキーほど旋律にあふれた名作を書いた人は、バレエ作曲家の中で髄一かも。

ロシアンワルツ(?)としては、カバレフスキーもハチャトリアンもかなわない。
でもショスタコーヴィチには魅力を禁じえない。

「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」
これら3大バレエには、それぞれ素敵なワルツがしっかりとある。
どれも、夢見心地の陶酔境へと誘われるような優美な音楽。
女子ならば確実に好むこれらの音楽を、今宵は、泡盛を飲みつつ、むくつけきオヤジが一人楽しむのであります。

オペラは好きでも、バレエはこの人生一度も観たことない。
いけませんね、これでは。
でもオペラ以上に、バレエは音源だけでも十分に楽しめるし、実際のライブではオケが超一流で、ピットが素晴らしいかったという話は聴いたことがない。
かつて、バレンボイム&シカゴやゲルギエフが日本でバレエを上演したが、やはり踊り手主体のバレエ業界。

CDで聴くなら、「くるみ割り」が一番短くて、クリスマスムードにも溢れているし、一幅のシンフォニーのようで好きだ。
次点はドラマテックな「白鳥の湖」で、「眠れる森」は意外と馴染みが薄い。
でもワルツになると、「白鳥→眠れる森→くるみ割り」ってな好みの順番になる。

幸せすぎるワルツよりも、憂愁と迫る悲劇への予感に満ちた美しさが好き。
でも今、「花のワルツ」が始まったら、やっぱりこれもいい。
ホルンとフルート、クラリネットの綾なす素敵な音色にきらびやかな弦が答える・・・。
オジサン、体が動いちまうよ。
思わず、からだが反応してしまうくらいに、人間の本能に訴えかけるようなチャイコフスキーのワルツ。3拍子の魅力を最大限に引き出した作曲家ではないだろうか!
「弦楽セレナード」も忘れちゃなりませんし、「エウゲニ・オネーギン」もね。

Tchaikovsky_nutcracker_previn_2 プレヴィンロンドン響時代の名録音から。
実にナイスな演奏でございます。

このコンビは、私にとってエヴァーグリーン的な存在。
70年~80年当時、評論家先生方に、ぼろくそに言われた。
ナンセンスとも思える当時の評価、今の時代、一番センスがよくて、誰をも気持ちよくさせてしまう最高のエンターテイナーではないかと確信できる。

Oiso 大磯海岸。
西湘バイパスを上に、車からキャンバスのように。

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