ブリテン 「放蕩息子」 ブリテン指揮
レンブラントの「放蕩息子の帰還」。
新約聖書ルカ伝15章にあるイエスの語る「放蕩息子」の物語。
放蕩息子と聞くと親の脛かじりの遊び人のどら息子。
そこまでのイメージで、その息子が悔い改めてご帰還というオチは、あまり知られてないかもしれない。
イエスの語る物語はこうだ。
「ある人に、ふたりの息子があった。弟は父に、財産分与を申し出、さっそくそれを金にかえて遠いところに出てゆき、放蕩のかぎりを尽くして何もかも浪費してしまった。
そこへ飢饉が起こり、弟は食べることにも困るようになった。
そこである人のところに身を寄せ、その人は弟に豚を飼わせることとしたが、弟は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどに、誰も彼にくれなかった。
ここで彼は、本心にかえり、『父のもとには雇い人がたくさんいて彼らは食べることにも困っていない。なのに自分はこうして餓えようとしている。父にも天に対しても罪を犯しました、帰って雇い人のひとりとしてもらおう』、と。
そこで父のもとに帰ると、父は駆け寄ってきて抱きとめた。
息子は、父に罪を悔い、『息子と呼ばれる資格はありません』と語る。
父は僕たちに命じ、最上の着物、装飾品、履物を用意させ、牛一頭をふるまうようにした。真面目に働いていた兄が帰ってきて、『永年仕えてきて、私には、友人が来たときですら子ヤギ一匹もくれなかった、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこの弟のために何故?』というが、父は『息子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、わたしのものはすべてあなたのものだ。なのに、あなたのこの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなったのに、こうして見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』
ちょっと長くなったが、悔い改める人間に対する神の優しさと度量の大きさ、迷える子羊、まさにストレイシープをわれわれ人間に例えた物語。
ブリテン(1913~1976)のオペラシリーズ。
17作品あるなかで、これで6作目。
まだ先は長い。
教会での演奏を念頭において書かれた教会寓話三部作。
「カーリュー・リヴァー」(1964)、「燃える炉」(1966)、「放蕩息子」(1968)。
能に影響を受け、「隅田川」を素材にした「カーリュー・リヴァー」以外は、とっつきが悪く、なかなか特殊な内容だけに、ちょっと引いてしまう方も多いかもしれない。
登場人物がすべて、男声。女役も男性。
オーケストラではなく、ソロ楽器の組み合わせによる小編成のアンサンブル。
劇の冒頭と最後に聖歌が入り、それが近づいてきてはやがて遠ざかり、テノール(当然、ピアーズを想定)による舞台挨拶があって、劇中劇のようなドラマが始まる。
いずれも1時間前後のCD1枚分。
2年おきに書かれた3作には、こんな共通項があって、聴きようによってはどれもこれも、おんなじに聴こえる。
楽器は、3作とも異なるものの組み合わせ。
その音楽は、ブリテンが大いに影響を受けた東洋的なムード、とくにガムランの響きがただようエキゾチックなもので、特殊なリズムと妖しいムードに支配されている。
カーリュー・リヴァーはそれが神秘的に感じるのだが、だんだん後年のものになると、その音楽が禍々しく、難解になってくる。
カーリュー・リヴァー以外は、そう誰にもお勧めできるオペラじゃないけど、いずれもエンディングにはドラマの感動的なオチが音楽ともども用意されているので、そこまで聴けば、あぁよかったな、ということになる。
誘惑者(修道院長):ピーター・ピアーズ 父親:ジョン・シャーリー・クヮーク
長男 :ブライアン・ドレイク 次男:ロバート・ティアー
合唱・アンサンブル:イギリス・オペラ・グループ
音楽監督:ベンジャミン・ブリテン、ヴィオラ・タナード
(69.5 オックスフォード)
聖歌に続き、アーメンが歌われると、それにかぶるように、誘惑者(修道院長が演じる)の偽りのアーメン。これより、ある家族の調和を見事壊してみせます、と口上を述べる。
ハープ、アルトフルート、ドラムなどにより、エキゾチックな前奏曲が始まる。
立派な父親は、アルトフルートの伴奏で、勤労の尊さと平和を語り、二人の兄弟を仕事に出す。誘惑者が現れ、弟につきまとい、心に潜む欲望を引き出そうと甘い言葉をかけ、ついに弟は、優しい父親に話をして、旅に出させてもらおうとする。この誘惑の場面では、トランペットが甲高い音色でまとわりつくのが効果的。
この願いを聴いた父は、最初はドラムにビオラの音にのって諦めろと説得するが、ついに折れ、財産を分けあたえ(実際はそれを意味する衣)、旅に出す。
元気に出立する次男。次男が歩くさまは、マラカスのシャカシャカとした音でイメージされ、そこに誘惑者が現れ、ふたりまったくかみ合わない二重唱を歌いつつ、テンポがだんだんと早まってゆく。このあたりの音楽描写はさすがにブリテンと思わせる。
ついに二人は、街に到着する。
いやらしい誘惑者の声「enjoy yourself enjoy~」
酒や肉の快楽に陥る次男坊。人々は、お~お~ぉ~・・と悩ましく歌う。
でもそれが済むと金を払わなくてはならず、衣の一部を取られる。
「経験には対価が必要なことを学んだろう」と誘惑者。
さて金がなくなったら、博打であるが、すぐに負け、「負けたら支払いをしろ」ということになり、「これでおまえは一文無し、役立たずだ」と誘惑者。
「you are my guide」とすがる次男、「さんざん楽しんだんだ、豊かさのあとは、乏しささ・・」と誘惑者。乞食が現れ、「その仲間にでもなって、豚でも飼育してその食い残しにでもありつけ!」と誘惑者は去る。
誘惑者は、「ご覧のとおり、約束通りに家族を壊しました」と誇らしげ。
さて、次男坊は、「喜びの種を撒き、絶望を収穫した」と悔い改め、父親のもとに帰り、その僕たちとなって働こうとする。
またしてもマラカスのシャカシャカで、帰宅を急ぐ次男。
これを歓待する父親。ここからは聖書の物語と一緒。
「死んだ息子が再び生き返った、迷子が見つかった」
不平をいう長男も、父の右手であることを理解、感謝し、弟を迎える。
ここでの音楽は、オルガン(フィリップ・レッジャー)が和解の紐を引くかのような効果的な使われかたをする。
また最初の前奏曲の音楽が再現され、やがて修道院長が、この物語の戒めを忘れなさるなと説いて歌い、再び聖歌が歌われて幕となる。
ブリテンは、誘惑の場面を加え、街での酒・女・賭事のリアルな場面も付けくわえ、より劇的な物語に仕立てた。
淡々とした、聖書の物語がドラマテックなものになった。さすがである。
そしてピアーズの幅広い芸とその歌い回しには、まったくもって驚き。
いまのところ、「燃える炉」も含めて、音源はこの自演のみ。
やれやれ、自分だけは大丈夫、と思っちゃいけませぬな。
自戒せねば、音楽と酒に関しては、放蕩オヤジですからして(あとはありませぬよ)。
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コメント
おお!ブリテンのオペラですね!
そこで質問です。
さまよえる様は
このオペラの対訳をどうやって
入手しましたか??
あと、他のオペラもそうなんですが
対訳っていつもどうやって
入手していますか??
いつも困っています。。。。
私の持っているレコードで
対訳がないばっかりに
十分楽しめないものが多すぎています。。。
だ!!!だれかあああああ!!!
た、、、
助けてくれええええ!!!!!
投稿: モナコ命 | 2009年6月 7日 (日) 21時51分
モナコ命さま、こんばんは。
こちらのCDは国内盤です。
ですから対訳は易々と手に入りました。
有名オペラは、レコード時代は国内盤ばかりでしたので、その解説書があり、それらはCD時代になってからは外盤ばかりです。
それ以外は、国内CDは高いからあまり買いません。
ネット上で対訳を拾える場合もありますが、とても稀なことです。
私の場合は、英語訳を読んで、当たらずとも遠からず的な理解のもと聴きます。いい加減なもんです。
まったく未知のオペラでもそうしてますし、そうした場合は何日も何度も聴いて耳になじませて、英語訳をネット翻訳を駆使しながらじっくり研究します。
手間暇かかりますが、そうして初聴のオペラをものにできたときの喜びは計り知れないものがありますね。
悩みは、CDの解説の文字が小さすぎて眼が見えないことです。
私は、こんな風にしてます。
投稿: yokochan | 2009年6月 7日 (日) 23時53分
ブリテンの音楽はあまり聴きませんね。
この解説から分かりましたが
よほど時間と根気がなければ聞けない気もします。
ふっふふ
今日もスマイル
投稿: kawazukiyoshi | 2009年6月 8日 (月) 23時36分
kawazukiyoshiさま、こんばんは。
ブリテン、聴き慣れれば、そんなに難しくないですよ。
ある特定のパターンとともに、それぞれの作品に共通した主張があります。それをつかめれば、自然と目が開きました。
まぁ、そこまでが>時間と根気<なのですけれど、それを超えることの喜びは、とても大きく、音楽を受容することの大いなる楽しみであります。
いつの日か、ぜひお聴きください、ブリテン。
投稿: yokochan | 2009年6月 8日 (月) 23時46分
おはようございます。
ブリテンといえば、なんといっても「戦争レクイエム」
よいなー^^-
ご多分に漏れず、最初に聴いたブリテン自身が
FDとかピアーズとかヴィシネフスカヤといった
エライ歌手の先生タチと一緒に演奏しているLP盤を
繰り返し聴いています。CDも買いましたが
LPに愛着が強く、手間のかかるLPを聴くことが
多いのです。
レコードもCDも最初に聴いて
「これはよい^^」と思うと
次にどんな演奏を聴いても、正しく評価というか
正しく聴くことができないというか、
最初の演奏に左右されてしまいますよね。。。
自分でも困ったもんだと思っています。
投稿: 蓄音器ファン | 2009年6月 9日 (火) 09時03分
蓄音器ファンさん、こんばんは(笑)
戦争レクイエムは、レコード時代はかの自作すら所有せず、もっぱらサヴァリッシュとN響のライブカセットをひたすら聴いてました。
CD時代になってからブリテン盤を聴きましたが、確かにスゴイです。
でも、おっしゃるように、最初の演奏、サヴァリッシュのカチっとした演奏も忘れがたいです。
ヴァラディ、シュライアー、FDの豪華キャストでした。
投稿: yokochan | 2009年6月 9日 (火) 21時22分
おはようございます。
ここ数日、目にする冊子や随筆で「放蕩息子」の話と出会います。
このレンブラントにも。
これは「聴いてみろ~」という神の御計らいか、それとも「改心せよ(?)」というお導きでしょうか???
このCD探してみたいです!
投稿: moli | 2009年6月11日 (木) 10時17分
moliさま、コメントどうもありがとうございます。
「放蕩息子」、そんなに身近なんですね。
レンブラントの光と影をうまく描いたこの作品、とても味がありますね。
そして、私には改心のお告げであっても、moliさま、迷える方への「聴け」とのお導きです。
是非聴いてみてください。
投稿: yokochan | 2009年6月11日 (木) 22時08分