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2009年6月21日 (日)

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 カラヤン指揮

Block1 港で見つけた、こんな物体。
はて、何でしょうか?

Block2 そう、その形でおわかりのとおり、波消しブロック・テトラポッドなんです。
始めてみたその作成現場のリアルな光景に、わたくし、興奮しましてよ。
型枠にコンクリートを流しこんでつくる。出来たてブロック。
この型枠を作ってる会社もあるんだろうな。
いろいろあります。

Shostakovich_sym10_karajan ショスタコーヴィチ(1906~1075)交響曲シリーズ。
第9を超えた、いよいよ第10番である。
すでに当ブログでは、ラトル指揮で取り上げ済みの作品。
本国ソ連よりも、他国で評価され当初より大いに演奏された交響曲。
1945年の新古典主義的なシンフォニエッタっぽい第9から8年。
スターリン死去後、マレンコフ→フルシチョフ下における「雪解け」の時代の始まりを告げるかのような時期に先駆けて書かれた第10交響曲。
そんな歓迎ムードで迎えられたものの、論議を生んでしまうところがショスタコーヴィチ特有であり、ソ連の在り方。

その論議は、勝利や肯定的な人生を求めるべきところが、内容が暗すぎるとか、終楽章の存在がアンバランスに過ぎる(ひょうひょうとしすぎ?)とのことであったらしいが、いまやそんなことは何のことはない絵空事に聞こえる。
 ショスタコの音楽を普通に親しむようになった我々聴き手は、ブルックナーやマーラーを散々聴き尽くした耳でもって、クールなショスタコ音楽を平然と楽しんでいるんだ。
国外初演も、アメリカで争奪戦が繰り広げられたり、日本でも東響(上田仁)とN響が競ったとかのことが、かつての解説には盛んに書かれている。

問題作とかいわれながら、どこが問題だったんだというのが今の現在。
この曲を8番と並ぶ最高傑作と呼ぶ声もいまやあるくらい。

カラヤンの唯一のショスタコーヴィチ。
この曲しか振らなかったカラヤン。
その経緯はよくわかりません。詳しいかたにご教授いただきたい。
今回の66年DG録音、69年のモスクワライブ、72年のザルツブルク・ドレスデンライブ、81年DG録音の、つごう4種の演奏が残っているから、カラヤンのレパートリーのひとつであったといってよい。
5番には眼もくれず、10番のみにこだわったのは何故だろう。
深刻さと、最後の狂乱的な奔放な明るさの大放出。作者の名前を折り込んだ意味深長なライトモティーフを用いた緻密な構成。
このあたりがカラヤンお気に入りの理由だろうか?

66年旧盤しか聴いたことがない私だが、この頃、カラヤンはベートーヴェン全集やワルキューレを録音していた壮年の最充実期で、ここに漲る圧倒的な音量と音に密度の濃さ。
べらぼうにうまいベルリンフィルのカサにかかったかのような威力。
イエスキリスト教会でのこの当時の毎度おなじみの豊かな響きと芯のあるサウンドがまた、ベートーヴェンやブラームスを聴くかのような気分にさせてくれる。

さて、これでショスタコはいいのだろうか?という気分もしなくもないが、まぁいいか。
洗練され完成されつくした完璧な音楽表現なのだから。

Shostakovich_sym10_karajan2 このレコードの存在は、70年頃のカラヤンのレコードに添えられていたカタログで知った。5番すら知らなった当時の私。
ショスタコーヴィチって誰?
9番までしかあっちゃいけない交響曲なのに、10番っていったいなんだ??
昔はこんな感覚だったのですよ、若い衆

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コメント

 こんにちは。
 ぼくも良くは知らないのですが、ヴァイオリニストのダヴィード・オイストラフがカラヤンに「十番に注意を払うべきだ。ショスタコーヴィチの最も美しい交響曲だと想う」様な事を語ったそうです。そしてカラヤン自身も、実際に曲を取り上げた後、この作品をとても高く評価している旨を話したとか。
 また、作曲家の吉松 隆 氏が、曲の構成の際立った特徴にフランツ・リストの《ファウスト交響曲》と関連づけて分析されたとの事。すると、第二楽章の激しさは「メフィスト」で、差し詰め「スターリン」を表している、って事でしょうか。そう考えると、作曲家の精神的葛藤の跡を見い出すことは難しくないかも知れませんが、私達はそんな想像もつかない程の恐怖を理解できないまま、のんきに聴く時間が与えられているとも言えるかも知れません。
 ショスタコーヴィチの交響曲第十番。ぼくも好きです。ぼくはカラヤンの新盤を持って聴いています。デジタル録音のくせにアナログっぽいですけど。お持ちの旧盤は欲しい一枚です。異様に高くピッチをとっていた時期の録音だそうで違和感がありそうですが、テンションも高そうなので関心があります。

 テトラの製作現場は、こちら静岡でもよく見かけますよ。型枠の外から槌みたいな物でトントン叩いたりしてますね。生コンの中に空気が入らないようにしているのでしょうか。

投稿: ウルスリ | 2009年6月21日 (日) 18時03分

こんばんは。私の手持ちは1981年に録音されたものです。その中の三浦淳史さんによるライナーを引用します。
ショスタコーヴィチに第10交響曲はスターリンの没後いち早く発表された有力な交響曲でもあり、ソ連学会では賛否両論に沸きかえったらしい。(中略)この騒ぎはアメリカにも報道され、第10交響曲の米初演争いが起こったが、ニューヨーク・フィルハーモニックが初演権を獲得し、1954年12月14日の定期演奏会で、ディミトリ・ミトロプーロスの指揮によって米初演が行われました。(中略)ニューヨーク初演は好評で、そのシーズン中に演奏されたベスト・オーケストラ作品に与えられる「ニューヨーク音楽批評家サークル賞」を受賞している。(中略)しかも、カラヤンのディスコグラフィーの中でショスタコーヴィチの交響曲は依然として第10交響曲1曲のみである。なぜなのか?1970年にベルリン・フィルハーモニーを率いてソヴィエト演奏旅行にのぼったカラヤンは、モスクワでショスタコーヴィチに会っており、その折の記念写真も残っている。(中略)カラヤンの人気は文字通りグローバルで、ソヴィエトといえども例外ではないことはわかるが、ショスタコーヴィチとカラヤンとのかかわりについては何の手がかりにもならない。第10交響曲がショスタコーヴィチの全交響曲のうちで最高傑作だからという説もあるが、これも説得力に乏しい感じがする。たしかに第10番は傑作だが、あくまでも‘One of the best‘であって‘Very best‘ときめつけてしまうのはどういうものだろう・・・。
やはり、私の解釈ですが、ショスタコーヴィチの14曲ある交響曲で一般的には「第5番」が知られています。やはり、カラヤンにはそちらの方を録って欲しかったとメディアは語っているそう。この「第10番」は第1楽章が「ワルツ」があったりとカラヤンお気に入りのチャイコフスキーを意識しているようだし、第2楽章は激しいビートに乗せている。やはり、弦楽器を主体とし、管楽器が華やかに奏でている。それがカラヤンにとって演奏しやすかったのでしょうか。
私がショスタコを聴き始めた頃は「第5番」やスケールの大きな「第7番<レニングラード>」そして、「第10番」あたりだったが、最近になってアシュケナージがデッカでコンプリートした「管弦楽曲」も含めた「全集」を中古店で購入した。彼のロイヤル・フィルによる「第10番」はカラヤンとは違い、重戦車のようです。また、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)フィルによる「レニングラード」は始まる前にショスタコ・ラジオ・インタビューが1分程収められてました。
話は戻りますが、この時期のカラヤンはニールセンの「交響曲第4番<不滅>」も録ってました。これもオンリー・ワン。こちらの方が「戦争交響曲」でしょうね。
昔と違い、現代は音楽に国境はない。

投稿: eyes_1975 | 2009年6月21日 (日) 20時41分

ウルスリさま、こんばんは。
コメント並びに疑問にお答えいただきありがとうございます。
オイストラフの推薦と進言があったのですね。
それと、ファウスト交響曲との類似も、たしかになるほどの感があります。
カラヤンが何度も取り上げるからには、作品に対しての共感が強かったのでしょうね。
いまわれわれは普通に聴くことのできるショスタコーヴィチでありますが、カラヤンはどんな気持ちで指揮していたのか、ショスタコーヴィチの悩みや思いをくんでいたのでしょうか?楽しい想像ですね。
この録音は、確かに明るく響きますので、ピッチが高いという世評も頷けます。後年のラトルのほうがずっと重く渋いです。

この画像、実は焼津港で撮ったのですよ!

投稿: yokochan | 2009年6月21日 (日) 21時59分

eyes_1975さん、こんばんは。
ご指摘の「不滅」と並び、カラヤンの七不思議のひとつのショスタコ10番。
アメリカ初演の争奪戦を横目で見ていたこともありうるでしょうね。一方のバーンスタインは、10番は演奏していないところがまた面白いところです。
10番のかっちりした構成とよく鳴るオーケストラ、カラヤンの好むところですね。

ソ連での演奏もCD化され、やたらに熱い演奏だそうですね。でも、私もカラヤンだったら5番や14番、そして4番なども聴いてみたかったです。

アシュケナージ盤は未聴ですが、重戦車ですか!
イメージとは違うんですね。
N響との演奏もいくつか入ってる全集、ちょっと気になってます。

投稿: yokochan | 2009年6月21日 (日) 22時40分

今晩は。神奈川フィルでシュトラスウスのドン・キホーテ、とても羨ましいです。作曲者と親交のあったクラウスがこの曲を録音していたことを不覚にも知りませんでした。私の初ドン・キホーテは小沢やアシュケナージですから。

さて、カラヤンのショスタコ10番ですが、高校時代に親友に81年版を聴かせて貰ったのを覚えています。それが私の10番初体験でした。今はムラ総統とバルシャイで聴いています。
レニーが10番を録音していないのは確かに不思議です。驚くべきことにそれを理由にレニーを金儲け最優先の商業主義者だと批判している人がおられます。1番や5番や9番のような人気の高い曲ばかり録音したショスタコの本質の分かってない商業主義者だと批判していました。ムラ閣下や早いうちに10番を録音していたカラヤンは商業主義者ではないのだそうです。私はこのご意見に反対です。人気があるとはいえないが玄人受けする6番や14番をバーンスタインは録音しているからです。もちろん言論は自由であるべきですからその方の言論の自由を封殺するつもりなどありませんが・・・
 今日はコンロン指揮のマクベス夫人組曲とフェドセーエフ指揮のマクベス夫人組曲(全く違う編曲ですが)とマリスの指揮したマクベス夫人のDVDを鑑賞したショスタコ・デーでした(笑)

投稿: 越後のオックス | 2010年9月 4日 (土) 22時22分

ドンキの生演奏は、実は初めてです。(たぶん、たしか・・・)
神奈川フィルが、どんなシュトラウスを奏でるか大いに楽しみです。

バーンスタインは、ショスタコを積極的に指揮してましたが、第10は、もしかしたらカラヤンを意識してのことかもしれませんね。
いずれにしても演奏家の音楽のこと以外を云々するよりは、その音楽そのものを虚心に聴くことでしょうね。
カラヤンもレニーも、極めて偉大な音楽ですからね。
まぁ気にせずにまいりましょう。

最近はショスタコに食傷ぎみで、ちょっと距離がありますので、辛いところです。
全曲シリーズの再開もまだ気が乗りません。。。。

投稿: yokochan | 2010年9月 5日 (日) 01時56分

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