ブルックナー 交響曲第9番 朝比奈隆&若杉 弘 指揮
夏のお蕎麦は、「つけとろ」がいい。
ワタクシは、このすりおろした山芋に、蕎麦汁を入れても、かき混ぜないで、分離したまんまのところへ、蕎麦を絡めてつぃーっとたぐるのが好き。
徐々に汁と山芋とろろが混ざってきておいしいんだ
こちらは、静岡で食べた蕎麦。
静岡といえば、丸子(まりこ)宿の「むぎとろ」が有名。
ここらの、ねばりの強い風味豊かな山芋を擦りこんだものに、味噌と出汁を加えた「とろろ汁」。これに麦飯がもう、やたらめったらウマいんだよう。
ブルックナー(1824~1896)の交響曲シリーズ、遅々としながらも最終の第9交響曲であります。
第8番の完成と同時に作曲が始められたのが1887年。
ブルックナー63歳。
しかし、同時にその8番の大幅な改訂、かつての1番(!)や3番の改訂などに取り組んだから、なかなか9番の作曲ははかどらなかったらしい。
ブルックナーが亡くなったのが、72歳。
9年の歳月をかけつつも、完成には至らなかったわけだが、この誰しもが先へ進めなかった第9を、こんなにまでも完了系の形で残し、その先の10番をまったく想像もさせもしないのが、ブルックナーの第9だと思う。
しかも、終楽章を欠いて、アダージョ楽章でこんな完結感をもっているなんて!
これは、まさに悟りの境地へ達した「彼岸の音楽」である。
音楽もそのひとつとして、あらゆる創造者がおのずと達してしまう高み。
すべてを極め尽くし、無駄も排し、すべては自己の音楽のみに奉仕してゆく境地。
この曲の第3楽章は、8番の延長ともとれるが、そういった神々しいすべてを極め尽くした音楽に感じるがゆえ、日頃からちょいちょい聴ける音楽ではないかもしれない。
音楽も破綻すれすれのギリギリ感を感じてしまうん。
マーラーの第9の終楽章とも、その旋律に類似性があるが、マーラーの音楽は「死」と隣り合わせ。死のあとには何もない即物的なもの、悲宗教的なものを思わせる。
ブルックナーは、「死」へ至る「生の浄化」に主眼があるように思える。
壮絶な第1楽章、かっこいいと思ってしまうのは不謹慎でありましょうか。
冒頭、弦のトレモロ開始とともに、ホルン群が奏でる勇壮な旋律、徐々にクレッシェンドしていって、最高のクライマックスが築かれる。ここでのティンパニのキメ打ちもいい。
それから、音楽は弱まり、わずかに休止したあと、弦によって歌うような素晴らしい第2主題が登場する。ここでの高貴な祈りに満ちた雰囲気は前段との対比もあってとても感動的。これらふたつの主題が絡み合いつつ、まるで歌いあげるようにして進行する長大な1楽章。
わたしの一番好きな場所は、最後の大詰めの場面で、ものすごいクライマックスのあと、ホルンが残り孤高の響きを聴かせる場面。
そしてカタルシス。その後のヒロイックなまでの音楽の運びにいつも涙が出そうになる。
その終結は無常なまでに崇高かつ非常・・・。
野人を思わせる激しいトゥッティが交錯するスケルツォ楽章。
初めてこの第9を聴いたときは、この楽章ばかりが耳に残ってしょうがなかった。
いまよく聴いてみたら、「はんにゃ」の「ずぐだんずんぶんぐん」にとても合うことを発見してしまった。こんなこと思って聴いてるって不謹慎でありましょうか。
終楽章に関しては、私は言葉を失う。この白鳥の歌ともいうべき音楽は黙してただひれ伏すように聴くのみ。
「愛する神に捧げるつもりで書いた」とされる第9交響曲。
この楽章は、神の前に額づく弱者たる人間が葛藤に苦しみつつも、やがて浄化されて平安を見出す姿を思う。
その浄化の場面で、第8交響曲の神々しい第3楽章と同じ旋律が回帰してくる。
さらに、第7交響曲のあの冒頭の旋律までもが姿をあらわす。
期せずして、自己の総決算を行ってしまったブルックナーに、この先の音楽は書けなかった。
私は、このあとに、テ・デウムなんて絶対聴きたくない。
そう思うのは、ファンとして不謹慎でありましょうか。
今回のこの記事、途中まで1か月前には書きあげていて、朝比奈盤や複数のヴァント盤、アバド盤、ワルター盤などを聴きつつあった。
だが、なかなかに筆が進まない。
音楽が重くのしかかりすぎた。
シリーズ最後を、朝比奈御大に敬意を表して、そのNHK交響楽団への客演ライブで締めくくろうとは、ずっと思っていたこと。
2000年5月のライブ、おやっさん92歳!
驚くべき精神力でもって貫かれた渾身の指揮ぶりは、優秀なN響を得て、双方熱くなった演奏となって結実した。この曲が初めてのブルックナー演奏だった朝比奈氏も彼岸を思い指揮していたのだろうか。
N響の圧倒的なパワーが響きの少ないNHKホールもあってか、このCDは非常にリアルな音の塊が聞かれる。実をいうと、それがやや不満で、もうちょっと響きに潤いが欲しいところだったりする。
こんな贅沢を思いつつも、やはり日本人がなしえた、西洋の神からは遠いが、八百万の神的崇高さを感じる・・・・。
そして先週惜しくも亡くなられた若杉弘さんのCDRを先週来何度も聴いている。
2007年の暮に東京フィルに客演したおりのライブ。
このときは、未完成とともに演奏され、別の日には、マーラーと新ウィーン楽派を取り上げるといった若杉さんらしいプログラムで、両方ともどうしても行きたかったけど、断念した心残りの演奏会。
これらはふたつとも、NHKが放送してくれて、私はとてもいい状態でCDRに残すことができた。
これがしかし、あまりにも素晴らしい演奏なのだ。
ちょっとしたキズはあるけれど、最初から最後まで気のこもった、すさまじいまでの力の入れようで、全編にわたって若杉さんの唸り声まで聞こえる。
若杉さんは、インテンポの人だと思い込んでいたけど、最初から結構テンポを揺らして思わず手を握るほどの緊張感や開放感を生んでいる。
それらが小手先でなく、真摯なまでに音楽に共感し、寄り添ってているような演奏ぶりなので、聴き手の胸にぐいんぐいんと迫ってくる。
東フィルってこんなにすごかったっけ、とも思わせるくらい。
この若杉さんの文字通りの白鳥の歌、ブルックナーを通して神を見たかのような壮絶な演奏である。サントリーホールの音響をよくとらえた録音も放送音源とは思えないほど。
是非、CD化を
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