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2009年7月30日 (木)

ブルックナー 交響曲第9番 朝比奈隆&若杉 弘 指揮

Dsc01245夏のお蕎麦は、「つけとろ」がいい。
ワタクシは、このすりおろした山芋に、蕎麦汁を入れても、かき混ぜないで、分離したまんまのところへ、蕎麦を絡めてつぃーっとたぐるのが好き。
徐々に汁と山芋とろろが混ざってきておいしいんだ

こちらは、静岡で食べた蕎麦。
静岡といえば、丸子(まりこ)宿の「むぎとろ」が有名。
ここらの、ねばりの強い風味豊かな山芋を擦りこんだものに、味噌と出汁を加えた「とろろ汁」。これに麦飯がもう、やたらめったらウマいんだよう。

Sym9_asahina ブルックナー(1824~1896)の交響曲シリーズ、遅々としながらも最終の第9交響曲であります。
第8番の完成と同時に作曲が始められたのが1887年。
ブルックナー63歳。
しかし、同時にその8番の大幅な改訂、かつての1番(!)や3番の改訂などに取り組んだから、なかなか9番の作曲ははかどらなかったらしい。

ブルックナーが亡くなったのが、72歳。
9年の歳月をかけつつも、完成には至らなかったわけだが、この誰しもが先へ進めなかった第9を、こんなにまでも完了系の形で残し、その先の10番をまったく想像もさせもしないのが、ブルックナーの第9だと思う。
しかも、終楽章を欠いて、アダージョ楽章でこんな完結感をもっているなんて!

これは、まさに悟りの境地へ達した「彼岸の音楽」である。
音楽もそのひとつとして、あらゆる創造者がおのずと達してしまう高み。
すべてを極め尽くし、無駄も排し、すべては自己の音楽のみに奉仕してゆく境地。
この曲の第3楽章は、8番の延長ともとれるが、そういった神々しいすべてを極め尽くした音楽に感じるがゆえ、日頃からちょいちょい聴ける音楽ではないかもしれない。
音楽も破綻すれすれのギリギリ感を感じてしまうん。

マーラーの第9の終楽章とも、その旋律に類似性があるが、マーラーの音楽は「死」と隣り合わせ。死のあとには何もない即物的なもの、悲宗教的なものを思わせる。
ブルックナーは、「死」へ至る「生の浄化」に主眼があるように思える。

壮絶な第1楽章、かっこいいと思ってしまうのは不謹慎でありましょうか。
冒頭、弦のトレモロ開始とともに、ホルン群が奏でる勇壮な旋律、徐々にクレッシェンドしていって、最高のクライマックスが築かれる。ここでのティンパニのキメ打ちもいい。
それから、音楽は弱まり、わずかに休止したあと、弦によって歌うような素晴らしい第2主題が登場する。ここでの高貴な祈りに満ちた雰囲気は前段との対比もあってとても感動的。これらふたつの主題が絡み合いつつ、まるで歌いあげるようにして進行する長大な1楽章。
わたしの一番好きな場所は、最後の大詰めの場面で、ものすごいクライマックスのあと、ホルンが残り孤高の響きを聴かせる場面。
そしてカタルシス。その後のヒロイックなまでの音楽の運びにいつも涙が出そうになる。
その終結は無常なまでに崇高かつ非常・・・。

野人を思わせる激しいトゥッティが交錯するスケルツォ楽章。
初めてこの第9を聴いたときは、この楽章ばかりが耳に残ってしょうがなかった。
いまよく聴いてみたら、「はんにゃ」の「ずぐだんずんぶんぐん」にとても合うことを発見してしまった。こんなこと思って聴いてるって不謹慎でありましょうか。

終楽章に関しては、私は言葉を失う。この白鳥の歌ともいうべき音楽は黙してただひれ伏すように聴くのみ。
「愛する神に捧げるつもりで書いた」とされる第9交響曲。
この楽章は、神の前に額づく弱者たる人間が葛藤に苦しみつつも、やがて浄化されて平安を見出す姿を思う。
その浄化の場面で、第8交響曲の神々しい第3楽章と同じ旋律が回帰してくる。
さらに、第7交響曲のあの冒頭の旋律までもが姿をあらわす。
期せずして、自己の総決算を行ってしまったブルックナーに、この先の音楽は書けなかった。
私は、このあとに、テ・デウムなんて絶対聴きたくない。
そう思うのは、ファンとして不謹慎でありましょうか。

今回のこの記事、途中まで1か月前には書きあげていて、朝比奈盤や複数のヴァント盤、アバド盤、ワルター盤などを聴きつつあった。
だが、なかなかに筆が進まない。
音楽が重くのしかかりすぎた。

シリーズ最後を、朝比奈御大に敬意を表して、そのNHK交響楽団への客演ライブで締めくくろうとは、ずっと思っていたこと。
2000年5月のライブ、おやっさん92歳!
驚くべき精神力でもって貫かれた渾身の指揮ぶりは、優秀なN響を得て、双方熱くなった演奏となって結実した。この曲が初めてのブルックナー演奏だった朝比奈氏も彼岸を思い指揮していたのだろうか。
N響の圧倒的なパワーが響きの少ないNHKホールもあってか、このCDは非常にリアルな音の塊が聞かれる。実をいうと、それがやや不満で、もうちょっと響きに潤いが欲しいところだったりする。
こんな贅沢を思いつつも、やはり日本人がなしえた、西洋の神からは遠いが、八百万の神的崇高さを感じる・・・・。

Wakasugi_a そして先週惜しくも亡くなられた若杉弘さんのCDRを先週来何度も聴いている。
2007年の暮に東京フィルに客演したおりのライブ。
このときは、未完成とともに演奏され、別の日には、マーラーと新ウィーン楽派を取り上げるといった若杉さんらしいプログラムで、両方ともどうしても行きたかったけど、断念した心残りの演奏会。
これらはふたつとも、NHKが放送してくれて、私はとてもいい状態でCDRに残すことができた。
 これがしかし、あまりにも素晴らしい演奏なのだ。
ちょっとしたキズはあるけれど、最初から最後まで気のこもった、すさまじいまでの力の入れようで、全編にわたって若杉さんの唸り声まで聞こえる。
若杉さんは、インテンポの人だと思い込んでいたけど、最初から結構テンポを揺らして思わず手を握るほどの緊張感や開放感を生んでいる。
それらが小手先でなく、真摯なまでに音楽に共感し、寄り添ってているような演奏ぶりなので、聴き手の胸にぐいんぐいんと迫ってくる。
東フィルってこんなにすごかったっけ、とも思わせるくらい。
この若杉さんの文字通りの白鳥の歌、ブルックナーを通して神を見たかのような壮絶な演奏である。サントリーホールの音響をよくとらえた録音も放送音源とは思えないほど。
是非、CD化を

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コメント

 不眠と抑うつと失恋を生涯の友としている越後のオックスです(笑)。この一週間ほどの間、ベームの指環に元気付けてもらいながら欝と闘っておりました。
 若杉先生が亡くなられましたね。シュトラウスのインテルメッツォの若杉指揮日本公演のライブDVDが追憶企画として出ないかなーと思っております。まだ映像化されていないオペラのはずですから。シェーンベルクのペレアスの日本初演も若杉先生ですが、これも聴いてみたいものです。
 ブルックナーの9番はカラヤンの60年代の録音を中学時代に初めて聴いて感銘を受けました。解説は黒田さんが書いていました。今まで一番多く聴いてきたブル9はインバル&フランクフルトです。補筆完成された第4楽章がついています。「あんなものはブルックナーの音楽ではない!」と毛嫌いする方もおられるようですが、私は補筆完成版第4楽章が結構好きです。マーラーの10番のクック版も結構好きですし。インバルは早めのアッサリ演奏ですね。
 最近好きなのはマルクス・ボッシュ指揮アーヘン響の演奏です。やはり補筆第4楽章つきです。第4楽章つきで70分を切っているという(!)超特急ブルックナーですが、最近すっかり病み付きになってしまいました。朝比奈先生やヴァント師の信奉者からは「これの何処がブルックナーなんだ!」と言われてしまいそうな変わった演奏ですが。私は速くてキビキビした演奏に惹かれる傾向が顕著なようです。ガーディナー信奉者ですし(笑)。
 

投稿: 越後のオックス | 2009年7月31日 (金) 03時57分

こんにちは。

ブルックナーの9番を聴くにはある種の覚悟が要りますね。テ・デウムも名曲ですが9番に続けて聴いたことはありません。あれはやっぱり独立した曲ではないでしょうか?

追伸、例のおばかさんの垂れ幕、誰かが言ったんでしょうか?撤去されてましたよ。

投稿: 天ぬき | 2009年7月31日 (金) 13時51分

越後のオックスさん、こんばんは。
若杉さんの音源や映像は是非とも残してほしいですね。

この曲の補筆完成版は、ろくに聴いてないのです。
インバルもろくに聴かずに手放してしまい、後悔しているところです。
マーラーのそれは、エルガーの3番とともに、もう完璧な完成された作品として大いに評価しておりますので、ブルックナーも確かめてみたいところではあります。

キビキビ系や最近のはつらつ系は、私もブルックナーの新しい流れとして感心してます。
古きばかりじゃいけませんね。
W・メストやP・ヤルヴィのブルックナーです。

投稿: yokochan | 2009年8月 1日 (土) 00時44分

天ぬきさま、こんばんは。
ブルックナー自身が代案として、テ・デウムを演奏するようにと指示したそうですが、私はあんまり合ってないと思います。
やはり、それぞれ独立・完成された作品です。

例の垂れ幕は、さすがに時流程度は読めたのでしょうかね。
いい時に貴重なネタとなりました(笑)

投稿: yokochan | 2009年8月 1日 (土) 00時50分

こんばんは。若杉さんが亡くなられた矢先、yokochanさんの親類が亡くなられて残念でなりませんね。
「第9番」は絶句というべきではないでしょうか。私が探して見たところ、カラヤン、ベルリン・フィル。メータ、ウィーン・フィルは同じ演奏家で「テ・デウム」を取り上げてます。ブルックナーの遺言通りに描かれた最終楽章から続けて聴いてみると、あまり似合わないのか、独立して演奏してよかったかも知れません。
この曲は基本的には原典版(レーヴェ版)だが、バーンスタイン、ウィーン・フィルに関してはノヴァーク版。差はないが、国際ブルックナー協会から不協和音があったことから名前がついただけという奇妙な話です。

投稿: eyes_1975 | 2009年8月 3日 (月) 22時46分

eyes_1975さん、こんばんは。そしてどうもありがとうございます。この夏は別れの季節となってしまいました。

この第九も別離の曲に思ったりしてましたが、まさか親しい人までが・・・、という心境です。
そして、第九とテ・デウムの双方同一コンビ演奏は、ご指摘の二つだけなのですね。
もっとありそうに思ってました。
やはり別々のものと思った方がいいですね。
 そして版の問題は、9曲それぞれに「いわく」がありますので、それをすべて把握するのはよっぽどのことです。
私は、とうの昔にあきらめてます(笑)

投稿: yokochan | 2009年8月 4日 (火) 00時13分

管理人様へ:
ブル9に関して既に他でコメントしましたが、個人的に思い入れの強い曲であるためここでも登板させていただきます。
情けないことに、私はいまだに終楽章(補筆完成版)を聴いたことがありません。補筆完成版を取り上げている指揮者の面々と私がブルックナーの交響曲演奏において好んでいる指揮者の面々とが不一致なのが主な理由です。一方で、アダージョの後に「テ・デウム」というのもなぜか気が進みません。旋律の類似度からすると、7番の後あるいは4楽章の代わりに「テ・デウム」の方がしっくりくるのではという気がします。一度試したいと考えています。
私が東京においてコンサート通いしていた1970年代前半~1980年代前半におけるアイドル?は、オーケストラ・コンサートにおいて朝比奈氏、オペラにおいて若杉氏でした。若杉氏については別の記事においてコメントするつもりです。朝比奈氏の指揮活動の地盤はもちろん関西でしたが、当時からブルックナーの交響曲を愛聴している私にとって、マエストロが単身あるいは大フィルと上京して指揮するブルックナーを聴くことは無上の楽しみでした。その後もマエストロの指揮するコンサートを聴く機会は数回ありましたけれど、プログラムにブルックナーの作品は含まれていませんでした。
マエストロ指揮のブル9のCDは3種所持していますが、管理人様が取り上げたものは未聴です。この時期のマエストロには老いの陰が隠せず聴くとかつてのイメージが崩れてしまうのでは、という勝手な思い込みが主たる理由です。3種の中では1995年の大フィルとの録音が最も気にいっています。
管理人様が取り上げた若杉氏の演奏は、タワー・レコードがCD化したのと同時期のものと推測しています。こちらも購入しましたが、若き日に朝比奈氏の演奏を刷り込まれてしまった私において、残念ながら愛聴盤にはなりえませんでした。若杉氏のブル9の録音はザール・ブリュッケンの方のCDも所有していますが、こちらについても同様です。
熱愛するブル9における私の愛聴盤(所有しているものから選択)は、
Aクラス:シューリヒト・VPO、ハイティンク・LSO
Bクラス:朝比奈・大フィル95年、ヴァント・BPO
Cクラス:ヴァント・MPO、ハイティンク・RCO(デジタル録音の方)
といったところです。あくまで主観によるランキングです。
Aクラスの2つについては、他の記事においてもコメントさせていただきました。以上、ブル9を熱愛するあまり散漫かつ長すぎるコメントになったことをご容赦ください。

投稿: ハーゲン | 2019年1月 9日 (水) 11時47分

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