ディーリアス 「夏の庭園で」 ワーズワース指揮
夏のイングリッシュガーデン。
英国庭園のいいところは、フランスや日本の整然とした均衡の美しさと違って、自然に任せてしまったかのようなさりげない美しさにあふれているところ。
見ようによっては、荒々しいくらいに放置されて見えるけど、その自然さがいい。
残暑に聴く音楽。
今日は、最愛の作曲家のひとり、フレデリック・ディーリアスの「夏の庭園で」を。
私は、ディーリアスのこの一幅の夏の抒情詩にような美しい作品が大好きで、もうこれで3度取り上げたことになる。
もちろん、いずれも夏であります。
何度も記すことだが、四季折々に、ディーリアスは感興あふれる桂品を残していて、それらは、四季に恵まれたわれわれ日本人の感性にもぴたりと寄り添ってくれるようなものばかり。
実際は、英国や、フランス、ドイツ(若い頃はアメリカでも)で作曲されたわけだから、日本の四季ともいささか異なり、冬が長く、春から夏への変化は劇的ともいえるほど、そして秋は短く冬との境目がわずか・・・・。ディーリアスの音楽からは、こんな風にあちらの四季を想像しているけれど。
「夏の庭園で」は、1906年に愛する妻イェルカのために書いた作品で、これはワーグナーが妻コジマに書いた「ジークフリート牧歌」にも通じる、愛に満ちた儚くも美しい音楽なのである。
かつても揚げたとおり、今回もスコアに寄せられた、ロセッティの詩歌をここに載せましょう。
「すべてわが花盛り。春と夏が歌っているあいだに、花盛りのすべてを汝に与えん」
とりどりの花咲く庭に、蜂の羽音。
蝶も飛び交い、緑の庭は幸せに満ちている。
その幸せをジワジワとかみしめ、そして夏を謳歌し、のびやかに讃歌を歌う・・・・・。
なんて美しく愛らしい音楽なのだろう。
昨晩の「牧神」と同じように、感覚的な音楽でもあり、私はまたもやホワ~ンとして、呆けたように聴き入ってしまうこととなった。
バレエの指揮者のように思われちゃってるバリー・ワーズワース指揮するロンドン交響楽団の演奏は、とても素敵なもの。
この人、オペラも振れるし、レパートリーも広いはずだから、B・トムソン、ハンドレーそしてヒコックス亡き後の英国音楽の貴重な担い手となっていって欲しいと切実に思う。
「夏の庭園で」 過去記事
「ハンドレー&ハルレ管」
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