マーラー 交響曲第4番 アバド指揮
きれいな花々。
関東が梅雨の真っ盛りの頃、娘のピアノ発表会で戴いた花束。
何年もやっていると、発表会なんて親も子も慣れちゃって、さて行きますかね、なんて気楽なものになる。
でも、普段自分の音楽ばっかり聴いている親は、娘が何を弾くかなんてことも知らなかったし、練習も聴いたこともなかった。
クラヲタのくせにヒドイのであります。
さて本番、やはり呑気なことはいってらんない。
ヒヤヒヤもので聴いていたけど、なかなかどうして、ひとりのピアニストを聴くようにこっちも真剣になってしまったし、彼女も音楽に没頭しているのがよくわかり、娘のピアノに感銘を受けてしまった。親ばかだけど、聴き方が違ってきたかも。
そして、きれいな花々を、1か月後には、親しい人に手向けることになろうとは思いもしなかった・・・・。
マーラーの交響曲第4番を視聴。
「大いなる喜びへの賛歌」なんて呼んだら古すぎるかしら?
いつからか、この名称は消えてしまった。
70年代半ばくらいにだろうか。
マーラーが付けたわけでもないからということだけど、私のような70年代男には、とても懐かしい雰囲気のする表題だった。
私のこの曲、初レコードは、アバドとウィーンフィルの1回目の録音のもの。
「復活」はシカゴを選択し、4番はウィーンフィルと録音したアバドの意図どおり、ウィーンフィルの美音がぎっしり詰まった名盤は、いまも私のフェイヴァリット。
加えて、フリッカことF・シュターデの甘やかな歌が花を添えている。
アナログ録音のよさが、ムジークフェラインザールの柔らかな響きを見事にとらえてもいた。
あのウィーンでの録音から、ベルリンフィルとの2度目の録音(これも素晴らしいけど、フレミングの歌がちょっと・・・)を経て30年。
2006年にふたたび、ウィーンにアバドのマーラーの4番が響き渡った。
こんどは、アバドが心血を注ぐ若い演奏家たちと。
ソプラノ:ユリアーネ・バンゼ
クラゥディオ・アバド指揮 グスタフ・マーラー・ユーゲントオーケトラ
(2006.4 ウィーンムジークフェライン)
この演奏会の半年後の10月、アバドとルツェルンがやってきた。
あの微笑みを絶やさない中にも鬼気迫る壮絶演奏を繰り広げたアバド。 このマーラーの4番では、終始、柔和な表情で若者たちを自在に引っ張ってゆく。
ルツェルンの凄腕メンバーたちとは、音楽仲間たちとの共同作業に加えて、アバドの求める音楽に思い切り共感してまるきりの一体化が見られる。
若いマーラーの名を冠したオケとの間では、いつもどおりの指揮ぶりに見えるアバドの指揮だけれど、オケの側からは指揮台に絶対的な存在があって、それを仰ぎみながら演奏しているからルツェルンの神がかり的な一体化とは異なる意味での指揮棒の元への一体化がここに見られるように思う。
実際、奏者たちはみんな楽譜がすっかり頭に入っているゆえ、ほとんど全員アバドを見ながら演奏している。
相当に弾きこんでいると思われるし、おじいさんのような世代のアバドへの尊敬の念にあふれた眼差しに音楽することの素晴らしさを感じ取ることができる。
こんなことを感じ取ることができるのは、DVDの強み。
そしてアバドはアバドで、いつもどおり夢中になりながら、音楽が好きでしょうがないといった顔つきで無心に指揮している。
その表情の若々しさは、孫のようなオケのメンバーとなんら変わらない。
76年のレコード録音よりテンポは若干速め。思い入れもなく、むしろ淡泊に感じるくらいにすっきりしたマーラーとなった。
オケにいい意味で色がなくクリアなだけに、この思いは強い。
1楽章、2楽章。スイスイと音楽は運ばれる。 美しい緩徐楽章の第3楽章もあまりに明晰で、透明感に満ちていて、最後にフォルティッシモに達する場面も思い入れなく、普通にクライマックスを迎える。この演奏の全体の流れからしてここでの過度の力の集中は無用に思われるから、これまた自然のなりゆき。
歌が入る終楽章になるとポルタメントが使われたりするし、歌も劇的な要素の一因となるのでかなりの色が出てくる。
それでも、フレミングだったら濃厚な表情に傾いてしまうところだったが、バンゼには歌いすぎがなく、リートのような渋い世界をさりげなく繰り広げて見せてくれているから、この演奏の方向にしっかりとおさまっているからいい。
地上には天上の音楽に比較できるものは何もない・・・、と歌いつつ、ハープや低弦だけを残し静かに消え去るとき、自分の出番を終えた楽員たちは、全員アバドの棒に食い入るように見入っている。
アバドは、棒を止めそのままに、左手は胸のあたりに持っていって音楽の余韻に浸っている。まるで、祈っているみたいに。
アバドのマーラーは、ますます自在の境地に向かっているようだ。
いい意味で軽やかに、透徹感がますます磨かれている。
今年のルツェルンでは、今度は音楽祭のオケとこの曲や1番を演奏する。
今度はどこまでの高みに達するのだろうか。
彼らは、9月に北京でルツェルン音楽祭IN北京を行うらしくて、日本からもチケットが買える。A席2万円は高いんだか安いんだか・・・・・。
ところで、鈴担当の女子、かわいいです。
このコンサート、前半はシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」。
こんなプログラミングもアバドらしい。
そして、この曲、われわれアバド・ファン待望の初録音であります。
こちらはまた近々UPします。
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コメント
こんばんは。実はアバドの「第4番」は持ってません。前から聴いてみたいと思っています。いつになったらかなうのか・・・。
第4楽章はソプラノ採用ですが、バーンスタイン、コンセルトヘボウはヘルムート・ヴィテックによるボーイ・ソプラノ。悪評のようですが、鈴の音色が決めての第1楽章はそり滑りをイメージしそうです。
通常のソプラノでカラヤン、ベルリン・フィルはエディット・マティス。ごく、当たり前といってもいい名コンビ。そんな中、メータ、イスラエル・フィルのバーバラ・ヘンドリックスはカラヤンと共に1979年に録音されたものですが、第1楽章の鈴の音色と流麗な弦がマッチしていて、こちらの方がベター。キングがロンドン・レーベルの頃で長年、廃盤のよう。デッカから再発売してくれないかしら。
コンセルトヘボウはマーラーをよく、取り上げているようですね。ハイティング、シャイーが挙げられます。そんな、“マラオタ”の私でした。
投稿: eyes_1975 | 2009年8月 6日 (木) 22時31分
もしかしたら、私とさまよえる様は
同じくらいの年代なのかも!とか思ってきました。
マーラー。よいですね。
最初は、ダマされて、ワルターの演奏だとか
バーンスタインがよい、とか、
ベルティーニでしょう、とか
いろいろ振り回されました。
4番はアバドがいいですね。
このごろ特に感じるのですが
コンサートに行っても、友人と話しても
良い演奏を深く聴くって、とても孤独な作業で
誰ともそのことを共有できないということを
思い始めています。必ずズレてしまうんです。
私の感動が深ければ深いほど
共有できず、ズレていて、
演奏について感想を出し合っていると、
こんだけ気の合う友人が同時に話し合っているのに
孤独になるんですよねー。。。
人生、そんなもんかもしれません^^;
一緒に聴いたり、私の好きなCDやレコードについて
話し合うことが不毛であるとさえ感じてきています。
もしかしたら、年と共に、
私がヘンクツになってきてるのかもしれません。。。
あはは^^。。。。
投稿: モナコ命 | 2009年8月 6日 (木) 23時54分
eyes_1975さま、こんばんは。
3度あるアバド盤、やはりウィーンとの一回目の録音が素晴らしいです。お聴きになれるといいですね。
そうそう、バーンスタインのDG盤はボーイソプラノだったですね。そういえば1度しか聴いてなかった(笑)
メータ&イスラエルは、私もいいと思ってます。
以前ここで取り上げてます。
http://wanderer.way-nifty.com/poet/2007/06/post_55d8.html
コンセルトヘボウはマーラーも指揮し、メンゲルベルク以来の伝統を持つマーラーオケですね。
マラヲタ2号のわたくし、今日もマーラーでした(笑)
投稿: yokochan | 2009年8月 7日 (金) 00時55分
モナコ命さま、こんばんは。
マーラーは食傷ぎみと思いつつも、いざ聴きだすとやめられません。ワーグナーとは違った魔力があるのかもしれません。
同じ世代・・、かもですね(笑)。キャリアは長いですよ。
音楽の楽しみ方は、人それぞれ、聴く作業は孤独なものです。その人の感性もそれぞれですから、音楽の感じ方もさまざまで当然ですね。
それを踏まえて、こんなへっぽこブログを続けてます(笑)
笑ってお楽しみいただければと思ってます。
投稿: yokochan | 2009年8月 7日 (金) 01時07分
宮城の家内の実家に帰省しており、出遅れました・・・。
私も「大いなる喜びへの賛歌」世代ですよ(笑)。
アバドのマーラーと聞いて飛びつかないわけには行きません。といいながら、ユーゲントとの演奏は聴いておりません・・・これは早急に聴かなくては。
ウィーン・フィルとの4番がやはり私もフェイヴァリットです。BPO盤も持っていますが、1楽章のチェロの主題、3楽章冒頭の柔らかい弦のppなど、ウィーン・フィルでなくしてはこの音は出ないだろうと思います。これだけでも聴く価値あり!ですよね。BPO盤はアバドもいろいろやりすぎた感がありますが、VPO盤はオケと指揮者が見事に調和した本当に美しい演奏です。
フレミングはここだけの話、一度も「いい!」と思ったことがないのです・・・シューベルトの歌曲集など、なぜそういう歌い方をするのか???と・・・。生で聴いたことがないので何ともいえませんが・・・。
バンゼはブーレーズ&クリーヴランドOで歌っていますよね。実は持っていないのですが(オイオイ)なぜか、裏青、VPOとの2003年ザルツブルグライヴは持っていたりします。ブーレーズもウィーン・フィルからいい音を引き出していますよ。こちらはMia Pechonという方がソロを歌われています。なかなかの美声でこちらもお薦めです。
といいながら、シャイー盤のボニーのソロがとても好きだったりします・・・
投稿: minamina | 2009年8月12日 (水) 21時58分
minaminaさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
お忙しい帰省だったご様子、お疲れさまでした。
そんな疲れた体に、マーラーの4番はうってつけですよ。
このDVD、鈴の女の子に惚れてしまいました(大笑)
アバド&ウィーン盤は私にとって絶対的な存在でして、そもそもアバドのマーラーは第1回目の方が好きなのです。
フレミングは、シュトラウスとかプッチーニにはいいのですが、ドイツ系はイマイチかもしれません。
素晴らしい局面も多々あるのですが、ネットリしすぎなのです。アバドが何故フレミングと共演するか謎です。
ブーレーズは、スッキリ系のいい歌手を見つけ出しますよね。やはり耳がいい人です。
アバドも耳は最高にいいのですが、どうもレコード会社の戦略に乗せられすぎてしまう感があります。
生来の人のよさなのでしょうか。
投稿: yokochan | 2009年8月13日 (木) 00時17分