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2009年9月

2009年9月30日 (水)

「ヨナス・カウフマン オペラアリア集」 アバド指揮

Motomachi_union 先日の連休中の横浜元町

恒例チャーミングセール真っ盛り。

ものすごい人出でしたよ。
八景島で、姪の出演したイベントがあり、夕方に元町、中華街と散策。

学生時代は、横浜が乗換駅だったので、横浜の街を始終歩きまわっていたのでとても懐かしい。
女子は、ハマトラだったもんね・・・。

Kaufmann

ドイツが久々に生んだテノールのスター、ヨナス・カウフマンの新しいCDを聴いた。

1968年ミュンヘン生まれだから、結構ベテラン。そう、90年代なかばからすでに活躍をしていて、ここ数年で世界のオペラハウスからひっぱりだこになっている。

私は、チューリヒの「ティトの慈悲」のDVDを持っているのみで、そちらはまだ未開封。
ゆえに今回、初カウフマンだったのである。



 1.ワーグナー:『ローエングリン』~遠い国により
 2.ワーグナー:『ローエングリン』~白鳥よ、!
 3.モーツァルト:『魔笛』~何と美しい絵姿
 4.モーツァルト:『魔笛』~この少年たちの賢い教えを
 5.シューベルト:『フィエラブラス』より
 6.シューベルト:『アルフォンソとエストレッラ』より
 7.ベートーヴェン:『フィデリオ』~神よ!ここは何という暗さだ
 8.ワーグナー:『ワルキューレ』~冬の嵐は去り
 9.ワーグナー:『パルジファル』~アンフォルタス!
10.ワーグナー:『パルジファル』~役立つのはただひとつの武器


       テノール:ヨナス・カウフマン
       弁者  :ミヒャエル・ヴォレ
       クンドリー:マルガレーテ・ヨスヴィク


   クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
                   パルマ劇場合唱団

                      (2008.12@パルマ)
      

そして、このCD、なんとアバドマーラー・チェンバー・オケと伴奏を付けているのだから驚き。
ゆえに即購入した訳でもある。
アバドは、孫のような若いオーケストラやソリストや歌手たちとの共演を好んで行っていて、いずれも真剣勝負の演奏ばかりで、進取の気性と若い人を育てる熱意にいつも心打たれる思いがする。
カウフマンの歌について書く前に、アバドとオーケストラを褒めちゃうけど、ここに聴くオケの響きの精妙さと雄弁さは特筆に値する。
音ひとつひとつに心が通っていて、いきいきと弾み、呼吸し、歌い手と一緒に慟哭し、喜悦する。すべてが深い表現に通じている。
あのルツェルンのスーパーオケでのアバドと一緒なのだ。
ここまでアバドは深化しているのかと、感嘆せざるをえない。
褒めすぎと思う向きは、どうぞ聴いてみてください。
シューベルトとフィデリオ、そしてパルシファルがとりわけ素晴らしい、鳥肌ものだ。
クンドリーも登場するパルシファルの同情と悔恨の歌、ワーグナーの書いた複雑なスコアが鮮やかに解き明かされる思いがする。音楽は、ウェーベルンやドビュッシーの領域へと踏み込むかのように精緻で美しい・・・。
「役立つのはただひとつの武器」が歌われたあとは、そのままカットなく長いエンディングとなるが、こちらがまたとびきり美しい。
透明感にあふれ、その響きは軽やかでさえあるが、気持のこもった祈りの音楽である。
こんな素晴らしいパルシファルの結末部分をこれまでに聴いたことがない。
非正規盤の全曲、ベルリンフィルとの抜粋盤、いずれをも凌駕していると思う。
マーラー・チェンバーとの全曲録音を切に望みたい。

そして、カウフマンですよ。
このテノールは容姿もgoodだが、声も実に素晴らしい。

もっと軽い声を予想していたのに、ローエングリンの第一声から太くて、豊かな声量にびっくりしてしまった。あのフォークトばりの優男ではなくて、J・トーマスやP・ホフマンのような力強い立派なバリトンがかった声だったのである。
かといって、ヘルデンともまだ言えないかもしれない。
重ったるいロブストな声とはまったく異なって、もっと器用で細やかな歌い回しにも長けていて、抒情的な役柄も歌えそう。
 タミーノやシューベルトには、そうしたキリリとしたカウフマンの姿が浮かび上がってくる。
フロレスタンは、アバドとも共演したばかりの役柄。いきなり嘆きの叫びを上げず、ピアニシモからのクレシェンドが珍しい聴きもの。ここでの絶望と希望を行き来する明暗の歌い分けがとても素晴らしいと思った。
そして、注目のワーグナーは、ローエングリンとパルシファルの親子二代とジークムントを歌っている。
現役世代で、これだけ声があって、ワーグナーらしい高貴さと陰りを持ち合わせているテノールは見当たらないのではないか。
久しく払底していた、本格ワーグナー・テノール路線に光が差し込むのを見る思いだ。
ジークムントはロマンテックなアリアしか歌われていないこともあって、ややムーディに流れすぎだが、ローエングリンとパルシファルは、耳が洗われる思いのする新鮮な歌で、アバドの鮮度高いオーケストラとともに最高の場面である。

カウフマン氏、ワーグナーのレパートリー拡張には慎重で、ジークフリート、トリスタン、タンホイザーについては長くかかる、とブックレットのインタビューにも答えている。
そう、長くじっくりと歌いこんでいって欲しい。
でもこっちも待ちきれないから、早くしてね(笑)
ちなみに、パルシファルでクンドリーとして付き合っているヨスヴィク(Joswig~読み方不明)は、カフウマンの奥方との由。

Friedrich2   ジャケットは、ロマン派の画家、フリードリヒのもの。

こんな細工を施したジャケットを使うなんて、はや大物であります。
ポリーニの弾いたシューベルト「さすらい人幻想曲」のジャケットでもありました。

カウフマンが、「ばらの騎士」のテノール歌手で出演している映像。
ティーレマンとミュンヘンフィル、フレミング、ハバラタが出演の話題のバラキシ。
イタリア歌手ということで、スパゲッティぱくついてます(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=mYg9IvjVmds

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2009年9月28日 (月)

ベートーヴェン 交響曲第4番 カラヤン指揮

Kamukura4 先日、大阪で食べた〆ラーメン。

わかっちゃいるけどやっちまう。

こちらは、神座(かむくら)でんねん。
野菜の甘味と中華出汁がえもいわれぬおいしさ

優しいお味にございました。

東京にも数店ありますよ。

Beethoven_sym48_karajan 昨日、久し振りにベートーヴェンの4番のピアノ協奏曲を聴いて、とても心が和んだ。

それじゃぁってことで、同じ4番交響曲を聴こう。
その優しい第2楽章が極めて好き。

ベートーヴェンの4番は、私には早くやってきた。
最初は、田園、ついで第9、その次が第4・第8、それから英雄に第5。
第7や第1・第2は、最後なのですよ。

なんでこうなったかわからない。

クラシック音楽の影響を受けた従兄のが4番を聴かせてくれて、惚れこんだのは確かで、当時、小学生でありました。
そしてベートーヴェンといえば、カラヤンでしたよ。
少年にとって、巨人・カラヤン・ベートーヴェンは当然の図式でありましたね。
長じて、それぞれにアンチが付いてしまうのも青春の証しでありましょうや!
 今は巨人以外は、普通でございますね。

ベートーヴェンの偶数番号は、ワルターやクリュイタンス、ベームやブロムシュテット、アバド、プレヴィンあたりが一般的には良いとされる。
でも私は、カラヤンもそこに加えたいと思う。
カラヤンの演奏、第9を除けば、奇数よりは偶数の方が好きなくらい。
ただし、60年代の全集しか知りませんのであしからず。

どこが好きかって、キレがいいからすっきりとしていてもたれない。
まるで、発泡酒みたいな表現だけど、カラヤンの指揮のスマートな優しさは、歌にあふれた4番あたりにおいて抜群の威力を発揮していると思う。
壮麗さよりは、小気味よさが目立つし、弦の透き通るような美しさは、人工的なものは感じない音楽的なもの。音楽の推進力も強い。

 あらためて、カラヤンって普通に立派な指揮者だったんだ、と妙に感心している。
今晩、久し振りにこの演奏を聴いて、そんな風に思ってる自分もこれまたありか。
そして、ベルリン・フィルは、この当時イエス・キリスト教会での録音ということも手伝って、独特の音色を持っている。特に管楽器の素晴らしい音色にあらためて感嘆した。

Beethoven_sym48_karajan_a_2 
豪華見開きジャケット。
詳細なベートーヴェンの生涯や解説は、子供の私にとって、漫画よりも楽しかった。
それにジャケットがいい匂いだった(笑)

ズシリと重い当時@2000円也

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2009年9月27日 (日)

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 グルダ&シュタイン

Kitty_2 金・土曜と静岡に出張してきた。

今回は気楽な一人出張で、チョロチョロと寄り道。

昼食は、インター近くの「焼津さかなセンター」へ。
キティちゃんもお迎え

Yaizu_don そして食べましたよ
まぐろの「3色鉄火丼」
赤身・びんとろ・ネギトロ。
おいしゅうございました。

Gulda_beethoven_34
さて、本題。
日曜日の昼下がり、ベートーヴェンピアノ協奏曲第4番ト長調を。

ベートーヴェンの5つの協奏曲の中では、この4番が一番好きかも。
最近は2番もいい。
昔は1番から入った。そして「皇帝」ばかりになった。立派すぎる「皇帝」の音楽は辛いものがあったりする。

でも優しく、微笑みをたたえたようなト長調の4番は、肩肘張らずに身近に聴けてよろしい。

そして演奏は、グルダシュタインウィーンフィルと録音したものが一番好き。
グルダの軽やかでありながら力強さも兼ね備えた抜群の表現力あるピアノを聴いていると、心がウキウキと飛翔するかのような気分になる。
ことに3楽章にそれを強く感じる。
 透明感に溢れた第1楽章。(そういえば、マーラーの4番もト長調)
深淵な世界を垣間見させてくれる第2楽章。
それぞれ、性格の異なった3つの楽章を鮮やかに鮮度高く弾きわけていて素晴らしい。
 シュタインとウィーンフィルのオケの美音を生かした美しさと、金管を強調したメリハリあふれる演奏もとてもいい。
ゾフィエンザールでのデッカ録音も、あのイメージ通り。

Gulda_beethoven
こちらが「皇帝」だけど、オリジナル国内盤LPジャケット。
3枚ともにこのグルダ姿のものだった。
この方が、グルダの演奏を彷彿とさせるかもしれないな。

懐かしい。
この演奏を初めて聴いたのが、このレコードが出た73年頃。
日曜朝、FM放送で。
外は台風かなにかで大雨。雨戸を閉め切って聴いた第2楽章に怖いくらいの深さを感じてしまった。
それがこの曲の「すりこみ」となっている。

グルダ以外では、バックハウスとポリーニ(アバド)が好きでございます。

それと、話は変わるけど、NHKさまの放送って、曲紹介をするとき、なんで作品番号までご丁寧に読むのかねぇ?
「ベートーヴェン作曲 ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58」
完璧だ!

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2009年9月26日 (土)

ワーグナー 「ローエングリン」 W・ネルソン指揮

Snapshot20090924112233 白馬の騎士現る

そう、ワーグナーの歌劇と題された最後の作品、「ローエングリン」。「3幕からなるロマンテッシュ・オーパー」と副題が付けられた、その名のとおり、主役の登場は夢見る乙女も涙ちょちょぎらすシーンであります。

Snapshot20090924112647 この白馬の騎士を夢見たのは、乙女ばかりでない。

ワーグナーを経済的に救ったパトロン、ルートヴィヒ2世も自らを白馬の騎士たらんと望み、その音楽を書いたワーグナーとの出会いも夢見ていた。
その名も白鳥城、ノイシュヴァンシュタイン。浮世離れしたルートヴィヒ2世が血税をそそいでしまった城内には、洞窟に水を湛え白鳥を浮かばせたローエングリンをイメージした一隅がある。
若い王様は、ワーグナーに心酔し、ワーグナーのパトロンとして、これまたバイエルン国が傾くくらいにワーグナーに投資をした。
バイロイトの丘に劇場ができたのもこの若王のおかげだし、なんといっても「ニーベルンクの指環」が生まれたのもそう。
ワーグナーファンとしては、ルートヴィヒ2世に感謝してもしたりないのであります。

ローエングリンの登場に自分の姿わ重ね合わせたのは、もうひとり。
そう、アドルフ・ヒトラーであります。
ワーグナー本人の思想のなかには、ドイツ一辺倒の国粋的なものも多分にあって、当初、音楽のみを愛したヒトラーも、支配者になるにつれて、ワーグナーを巧みに利用した。
いまだに引きずるワーグナー家の陰の部分であり、現在バイロイトを引き継いだカテリーナが過激なまでに自己批判的な演出を行うのもこうした背景があってのこと。
ご存知の通り、チャップリンが「独裁者」の中で、ヒトラーもどきのなりで、地球の形の風船を弄んだ場面での音楽は、「ローエングリン」であります!

ドレスデンで指揮者として安定的な職を得たワーグナーは、タンホイザーに次ぐローエングリンでも大成功をおさめる。
このとき、初演の指揮をしたのがリストで、のちに親子関係となるややこしい二人なのである。

Snapshot20090924113250 劇中のローエングリンは、聖杯王パルシファルの息子。
そして、ワーグナー作品の中で、キリスト教を背景にした題材は、ローエングリンとパルシファル、そしてタンホイザーの3作である。
1850年の「ローエングリン」、1882年の「パルシファル」、32年の歳月はあるものの、その素材はきっとずっと念頭から離れなかったであろう。
神がかった主人公と呪術を奉じる悪役たち。この正邪の対比も共通。
ともに第2幕の前半では、オルトルートとクリングゾルが悪の信条をぶちまける。
これほどの「邪」の表現は、あらゆるオペラの中でも見当たらないのではなかろうか。
そして、このオルトルートという役、ワーグナーの描いた悪役にかけては髄一の存在で、情けない夫を騙し自在に操る、怖~い女なんだ。
気の毒な旦那テルラムントは、勇者と言われた名家なのに、妻にそそのかされてローエングリンに負かされちゃうわ、国外追放になるわ、しまいに成敗されちゃうわで、とても気の毒な亭主なのだ。
 このオルトルート、ドイツの名門の出自と亭主を騙したわけだが、異教の神を奉じる女で、劇中、ウォータンやフライアの名前を叫ぶ。キリスト教社会にあっては、北欧の神々は異端で、彼女は魔女の扱いでもあったわけだ。
彼女は、キリスト教社会に反抗し、復讐を実践する。
 私は、ローエングリンを視聴する場合、オルトルートの描き方、演じ方、歌い方にいつも注目している。
主役ローエングリンは、夢の中の登場人物みたいだし、羨ましくもおいしい役柄で、そんなに難しくないのではないかと思う。
それと夢見るエルザも、お嬢様風な単純な役柄でもあるからこれまた難しくないのではと。
あと、指揮者。
カール・ベームはかつて、「ローエングリンの指揮は単純さ、最初から最後まで、4拍子で振ってりゃいいんだ」と言ったという。
スコアは見たことないけど、たしかに4つで振りきれる。
でも、先の正邪の描き分けと、割り切れる拍子ゆえに単調にならないように起伏を保つ術が指揮者に求められるので存外難しいのではと。

 ローエングリン:ペーター・ホフマン ハインリヒ:ジークフリート・フォーゲル
 エルザ:カラン・アームストロング  オルトルート:エリザベス・コネル
 テルラムント:レイフ・ロアール    伝令士:ベルント・ヴァイクル

  ウォルデマール・ネルソン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                       バイロイト祝祭合唱団
  演出:ゲッツ・フリードリヒ    合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ
                         (1982年バイロイト)

Lohengrin_nelsson 有名なこの映像。
絵に描いたようにカッコいいローエングリンを演じるP・ホフマン

音源だけで聴いても素晴らしい歌唱が、映像が伴うと、ローエングリンの理想像とまで思えてくる。鍛えあげた逞しさがにじみ出た容姿は、金ピカの騎士姿、真白の婚礼衣裳、真っ黒のお別れの騎士姿、そのどれもがあまりにサマになりすぎている。
おまけに、強くてはりをもったスピントした声は、オルトルートの闇の世界を打ち砕くに相応しい。



Snapshot20090924112953 対するコネルのおっかないオルトルートのすさまじいまでの悪女ぶり。
演じる姿もすごいが、そのドラマテックな声もすごい。
完全にエルザを食っちゃってる。
彼女は、ブリュンヒルデやエレクトラ、トゥーランドットも持ち役とするドラマテック・ソプラノなのだ。
youtubeで見つけた彼女のトゥーランドット。まわりのパンダ顔が気になりますが、コネルの歌唱は素晴らしすぎだ。

K・アームストロングは、演出のゲッツ・フリードリヒの奥さんな訳だが、その演技力ゆえにフリードリヒの舞台には欠かせないソプラノ。なんて言われかたばかり。
確かに、その歌唱は少し不安定でハラハラさせる場面もある。
でもそこは映像の利点があって、眼力、指先、歩き方、すべてが行き届いていて、G・フリードリヒの演出の狙いと思われる、「エルザの夢の顛末」がよく描き出されているように思われる。

ほかの男声陣は、強力極まりない布陣。

W・ネルソンの指揮はスマートで明快なものだが、無難にすぎるか。
3幕最後のエンディングの音、これだけ引っ張る演奏はほかに聴いたことがない。
多分に演出側からの要請か。
旧ソ連出身のネルソンは、演出家と衝突したデ・ワールトの次に、いきなりバイロイトに出て、その後マンハイムかどこかの劇場の指揮者になった。
オランダ人もDR・デイヴィスの後を継いで指揮したりして、ついていた人だが、あまり活躍を耳にすることもなく数年前に亡くなっている。
ハンブルク歌劇場の来日公演でも、「ローエングリン」を指揮しており、私はNHKホールで観劇しているが、あまり記憶がない。

Snapshot20090924113048 いつも物議をかもしだすG・フリードリヒの演出は、とてもまっとうで、ト書きに忠実なもので安心して見ていられる。
でも決して凡庸なものでなく、随所に独創的なアイデアも見られる。
前奏曲から、エルザが登場して夢の中にあっておろおろとしていたりしている。
彼女は終始、何かに憑かれたような動作をする。
オペラ全体を、エルザの夢として描き、ローエングリンが去ってしまった最後には、全員が倒れ伏してしまう・・・(王様と弟ブランバント公だけは別)
そして、ローエングリンはまさに別次元の超存在のようである。
3幕の新婚さんの寝具は、純白の羽毛で出来た白鳥をかたどったもの。
それが、禁断の問いを経て、ローエングリンの告白の場面では、薄汚れてバラバラになった羽毛が地面に散らばっている。王は、これはいったい?という仕草でそれを眺める。
光と影を巧みに使った舞台の印象も素敵なものに感じた。

3 1幕の登場と同じくして、3幕での告別の場面でも、丸い月のような光の中に浮かびあがるローエングリン。河のさざ波が押し寄せ、エルザは待ち受けるのでなく、ひれ伏すのみ。
救いのない悲しみの結末である。

後ろで、ほくそ笑むオルトルートが勝利を宣言する。

しかし、ローエングリンが白鳥から弟にその姿を戻し、ブラバント国の勝利を宣言するやオルトルートはぶっ倒れ、エルザもアレ~っとばかりに倒れ、連鎖的に群衆も皆、倒れてしまう。
夢の連鎖なのであろうか・・・。

G・フリードリヒ演出は、いまとなっては一時代前のものとも捉えることもできようが、ワーグナー家の独占にあった戦後バイロイトに革新的な演出をもたらした人物でもあり、また日本でもほとんどのワーグナー作品を演出してくれた好日家でもある。

今でも鮮烈に覚えている、トンネル・リングは、私の生涯忘れえぬ思い出のひとつ。

作品順に聴いてゆくと、「ローエングリンの音楽あたりから、見聞きする人を酔わせてしまうワーグナーの毒のようなものが滲みでるようになってきたと思う。
清澄な前奏曲(グラールの聖杯の動機)、夢中なエルザの夢物語、興奮をもたらすスリリングな騎士の登場、悪の世界の暗く妬ましい夫婦二人の二重唱、寺院へのエルザの入場の場の盛り上がり、3幕の前奏曲の爆発的な輝かしさ、甘味な愛の二重唱、最後を飾る騎士の神々しいヒロイックな口上。
こんな箇所が、それぞれ人を夢中にさせる。

このローエングリンのあと、ワーグナーは歌劇という呼称を捨ててしまうこととなる。
そして、「リング」の作曲に入る。

Lohengrin 手持ちの音源で作ってみたローエングリンに扮したテノール諸氏のお姿。
やっぱり、ホフマンが最高!
(ドミンゴは、知りませんね・・・)

あと、ルネ・コロの画像がないのが残念。
70年代、コロのローエングリン姿は、全ヨーロッパを虜にしてしまった。

Lohengrin_2 追加)
euridiceさんのご厚意によりまして、ローエングリン姿の大本命ふたり、コロとホフマンの画像を追加いたします。
ありがとうございます。
しっかし、かっこエエぞ。

テノールにとってこの役は気持ちいいんだろうなぁ。

「ローエングリン」の過去記事

  「アバド ウィーンフィル」
  「アルミンク 新日本フィル」

  「マタチッチ バイロイト」
  「スゥイトナー ベルリン」
  「ラインスドルフ ボストン響」
  「バイロイト2005」

  「ペーター・ホフマン ワーグナーを歌う」

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2009年9月25日 (金)

「にゃんにゃん」のうしろに、おんねん・・・・

4 ぎゃぁぁああ~

にゃんこの後ろに・・・。

ついに捉えた、にゃんにゃんの心霊写真

あんたカメラを見つめてる場合じゃないぜ。

3 どれ、大きくしてみようではないか。

おっ、こ、これはやはり、にゃんこに相違ない。
よほど悔しい思いをしたのであろうか・・・・。

1_2

にゃーんて、言っちゃって、外ネコでございました。

それにしても恨めしそうにしてますな。

2

そんな目で見ないでよ。
悲しい「にゃんにゃん」でした。

内側のにゃんこは、「ゴマ」君でございます。

親戚のお家にて。

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2009年9月24日 (木)

フェルッチョ・タリアヴィーニ 「イタリアン・ソングス」

Kirin_free一度やってみたかった。
ビールテイスト飲料を片手に運転。

キリンのこれが出て、やってみましたよ。
グビグビっ、ぷはぁ~。

うーむ、しっかし、虚しいのう

お巡りさん、検問して!

昔、コーラの空き缶にビール入れて運転を試みようとしたヤツがいて、皆ではがいじめにして止めさせた
ことがある。でもこれならOKさ
しかし、アルコールゼロなのに酔った気分になるような気もするから要注意だ

車といえば、若き会社員時代、会社の宴会で使った「かぶりもの」が営業車に物置代わりに積んであって、4人で営業に出たときにそれぞれかぶったのさ。
確か、「レーガン大統領」、「ゴリラ」、「ちょんまげ」とあと何かだったと記憶する。
ほんのわずかな距離だったが、道行く人の驚愕の顔が爆笑に変わるのが快感にございましたなあ。
ばかだねぇ~。

あと、すっぴんなのに驚かれたことも。
生涯唯一と思われるフランス視察旅行。
パリを発すること数100キロ、田舎道を走行中、前からフランスパンを抱えたジイさんが歩いてくる。そして車ですれ違う日本人4人。
初めて人類を見たかのような驚きの表情を浮かべたジイさん。ずっと振り返って立ち尽くしておりましたよ(笑)
初ジャポネだったのでしょうか?

わたくしは、車に乗ることが多いもんだから、長時間乗る時は、お気に入りのCDがそのお供になる。
そして、オペラや歌ものを選ぶわけ。
そうするとわかりますね、皆さん。歌っちゃうのでありますよ。指揮もしちゃうのでありますよ。
デカイ音で鳴らしながら、声を張り上げて歌う快感といったらもう。

トリスタンやワルキューレなんかひとりで何役も、あとプッチーニなんか最高。
ブリテンやR・シュトラウスを歌いながら運転してるヤツはいませんや。
あとは、テノールやバリトンのアリア集ですな。
ところが、信号待ちとかは気をつけないと、ちょー恥ずかしいことになるんです。
サビの部分とかは止めるに忍びないものだから、大口あけてるところを隣の車に見られちゃう。

Tagliavini_itarian_songs

そんなワタクシの大お気に入りが、こちら。
名テノール、フェルッチョ・タリアヴィーニ「イタリアン・ソングスですよ。

実は最近、お世話になっております「天ぬきさん」のご厚意で、ほかにも何枚か聴くことが出来て、充実の車カラオケ生活を営んでいるのでございます。

タリアヴィーニは、1913年にチーズの名産地レッジョ・エミーリアに生まれ、1995年に81歳で亡くなっているから、現役時代を知る人もなかなか少なくなってきている。
私がオペラや歌が好きになった頃には、もう引退してしまっていたし、オペラで歌っているのを唯一持っていたのも「カラスのルチア」が唯一。
ところが、カンツォーネばかりがFM放送で流され、それを録音して、これはかなり聴きこんだ。
ディ・ステファーノやデル・モナコらの朗々と、そしてドラマテックな歌ばかり聴いていた当時の私の耳には、タリアヴィーニの声は最初は頼りなく聴こえたものだが、何度も聴くうちに、男の優しさを甘く歌い上げる声が堪らなく魅了的に聴こえるようになったのだ。
録音によってはファルセットを多用したりしていて、現代の完璧極まりないフォルムの歌唱に慣れた耳には驚きかもしれないが、こんなにもイタリアの陽光に満ちた眩しい歌唱は今やどこを探してもないのではなかろうか。
 雰囲気で聴かせすぎるとのご批判も出るかもしれない。
でもタリアヴィーニの歌は、そのクリアーさにおいて、それこそ無比のものであり、その声が一声響いただけで、眩しいデッキに佇んでアドリア海を眺めているような気分になっちゃう。
このCDは、バックのオーケストラが管弦楽団という表記しかないが、これまたイタリアのムードに溢れた雰囲気豊かなもの。こんな連中のカラオケがあったら最高。


1.カタリ・カタリ(カルディッロ)   9.母さんどうしたのかしら(ガンバルデッラ) 
2.ヴリア(レンディーネ)       10.夜の声(E.デ・クルティス)
3.つねってキッス(デ・ルカ)     11..ピジリコの漁夫(タリアフェッリ)
4.帰れソレントへ(E.デ・クルティス)12..オー・ソレ・ミヨ(ディ・カプア)
5.五月の夜(チオッフィ)       13.ドリゴのセレナード(ドリゴ)
6.あなたのくちづけを(ディ・カプア)14..禁じられた音楽(ガスタルドン)
7.君を求めて(E.デ・クルティス)  15.朝の歌(レオンカヴァルロ)
8.君に告げよ(フォルヴァ)     16.理想の人(トスティ)

               テノール:フェルッチョ・タリアヴィーニ

有名な「カタリ」、哀愁に満ちた「ヴリア」、イタリアの甘やかな夕べのような「あなたにくちづけを」、切ない「君に告げよ」、ご存じ「オー・ソレ・ミヨ」、朝に聴きたい(聴かせたい)「朝の歌」。こんなところがお気に入りかな。

みなさま、車に乗って大口開けて運転してるのを見かけたら私だと思ってください。

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2009年9月23日 (水)

プッチーニ 「修道女アンジェリカ」 パタネ指揮

Higan_1彼岸花

以前にも書いたけど、「曼珠沙華」とも言うユリ科の花。

食べると毒性があって、ゆえに昔の人は、稲や墓を地中の動物から守るために、田圃の畦道やお墓の周りに植えたという。

たしかに、そうした場所には彼岸花がたくさん咲いているし、いかにも日本の秋の光景の一部として心象風景ともなっている。
こうしてたくさん咲いているのを見ると美しいけど、その一本を見ると少し不気味でもあります。

Angelica_patane プッチーニの最充実期に書かれたオペラ「三部作」は、全10作あるうちの9番目。
ダンテの神曲からヒントを得て、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の3つをオペラの基本素材にしようとして、その題材を探し求めた。

そのうち、「煉獄篇」にあたる「修道女アンジェリカ」をフォルツァーノが書き下ろしの台本を書きあげ、いつもは注文の極めて多いプッチーニはすぐに気に入って書き上げた。
「外套」「ジャンニ・スキッキ」が三部作をなす他の2作。

良家に生まれたアンジェリカが、不義の子を宿し、そして産み、修道院に入り慎ましい信仰生活を送るが、常に子供のことが忘れられない。
そこへ、伯母にあたる公爵夫人がやってきて妹への財産分与のサインを求め、ついでアンジェリカの子供が亡くなったことを告げる。
「母もなく・・・」という名アリアを歌い泣き崩れるアンジェリカ。
キリスト教界にあっては許されない自決を選び、聖母マリアに許しを乞う。
断末魔にあるアンジェリカに、神秘的な光に包まれマリアが彼女の子供を伴って現れ、子供を差し出す。そこににじり寄るアンジェリカは幸福に包まれつつ息を引き取る・・・・。

涙もろいわたくしは、こうして簡単あらすじを書いていても、もう涙ぐんできてしまう。
このプッチーニ好みの儚い運命の女性に、ルチア・ポップが録音を残してくれたことは、彼女のファン、そしてプッチーニ好きにとって感謝すべきことかもしれない。
 リリカルで繊細な歌声を伴いながら、強い意志をもった女性をも歌いださなくてはならない難しい役柄。きれいに歌うだけならやさしいことかもしれないが、我が子を思い、憎き公爵夫人に食い下がる強さを両立させるとなると、フレーニやドマス、リッチャレルリが素晴らしく、サザーランドやテバルディとなるとちょっと強すぎるかもしれない。
 そして、ルチア・ポップは聴きようによっては歌いすぎに感じるかもしれないが、その一途な姿がいつものあのチャーミングな声のポップによって歌われるのだから、ファンにとっては堪らない魅力なのだ。
嘆息ひとつとってもまさにポップ。
亡き坊やを思って歌う「母もなく」の名アリアなどもう、涙なくしては聴けません・・・
その後の最美の間奏曲、自決、神秘的なマリアの出現とプッチーニ最高の音楽が、歌心あふれるパタネの指揮によって素晴らしく演奏される。

 アンジェリカ:ルチア・ポップ   公爵夫人:マリヤナ・リポヴシェク
 修道院長:マルガ・シムル    修道女長:ダイアン・ジェニングス
 ジェアノヴィエッファ:マリア・ガブリエッラ・フェローニ

  ジュセッペ・パタネ 指揮 バイエルン放送管弦楽団/合唱団
                           (87年録音)

ヴェリスモ風の「外套」、宗教秘蹟の「アンジェリカ」、軽妙なブッフォの「ジャンニ・スキッキ」、プッチーニの天才が見事にはじけた3部作をまとめて聴くことによって得られる感動はまた格別だけど、それぞれ性格の違う3つを別々に聴いても完結性がしっかりあって充実の1時間が楽しめる。
ドラマテックなばかりでない静的なプッチーニも是非とも聴いていただきたい。

過去記事

 「外套 パッパーノ指揮」
 「修道女アンジェリカ パッパーノ指揮」
 「ジャンニ・スキッキ パッパーノ指揮」
 「三部作上演」

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2009年9月21日 (月)

ヴォーン・ウィリアムズ 「ロンドン交響曲」 ハイティンク指揮

Whisky 琥珀色の液体。

昨晩は、あまりに楽しかったものだから多量に摂取しすぎた。

そして、私は近頃もの忘れがひどい。
ウイスキーを飲むときは、必ずアイリッシュ系のものを飲むので、名前がスラスラと出てくるのに・・・・。
これ何を飲んだっけか?
ラフロイグ?タラモアデュー?
アルちゅハイマーの道を歩んでいるとしか思えない。
人の名前も次々に忘れちゃう。
その点、同じ名前の方がずらりと揃うと楽であります。
Rvw_london_haitink 第2回「クラヲタ会」の二次会のウイスキー。

でもなんとなく付いてる会の名称、昨晩は、ハイティンク友の会」と呼びたくなるくらいに、ハイティンク愛の大絶賛大会になってしまった。
皆さんハイティンクに一家言持つ方々ばかり。
こんな集まりも珍しい。
私も負けちゃいられない。アバドとともにもう35年以上付き合ってきたベルナルト卿である。
弊ブログのハイティンクのカテゴリーをクリックしてみて下され。
たくさんあります。そしてあるのは交響曲とオペラばかり。

全集魔とも言われるハイティンクは、いったい何人の作曲家の交響曲全集を録音してきたであろうか。

  ベートーヴェン      ロンドンフィル、コンセルトヘボウ、ロンドン響
                ヨーロッパ室内管やシカゴとのライブもギボンヌ!
  シューマン      コンセルトヘボウ
  ブラームス        コンセルトヘボウ、ボストン、ロンドン響
  ブルックナー      コンセルトヘボウ
  チャイコフスキー  コンセルトヘボウ
  マーラー       コンセルトヘボウ
  エルガー       フィルハーモニア
  V・ウィリアムズ     ロンドンフィル 
  ショスタコーヴィチ  ロンドンフィル・コンセルトヘボウ

シューベルト、メンデルスゾーンは未完。二度目を目指したブルックナーとマーラーは、 レコード会社が萎んでしまい未完。
ハイドン、モーツァルト、ドヴォルザーク、シベリウス、ラフマニノフ、ニールセンなども手がけて欲しかった。(若い頃の録音、ドヴォルザークの新世界を含む後半3曲が出るらしい!)

これら全集を残した作曲家たちの作品は、ハイティンクの主要レパートリーとして、今でもことあるごとに取り上げている。
それらを何度でもいいからライブ録音として残していって欲しいもの。
それだけハイティンクの今は充実の極みにあるのである。

やたらに前置きばかり。
では、心地よい二日酔いの昼に、霧にむせぶ物憂い英都を描いたヴォーン・ウィリアムズ(RVW)の「ロンドン・シンフォニー」を聴こう。
RVWの交響曲全曲シリーズの一環でもある。
この「ロンドン交響曲」は、9曲あるRVWの交響曲のうち第2番にあたる。
ロンドンという世界都市の一日を、この街の風物や、住む人を通して描いてみせた描写音楽でもある。しかし4つの楽章のがっちりした立派な構成の交響曲である。
RVWをはじめとする英国作曲家たちを語る上で、二つの世界大戦の影響は避けては通れない。
1872年~1958年と長生きしたRVWゆえに、二つの戦争が影を落とした交響曲がある。そのひとつが「ロンドン交響曲」で、第一次大戦開始直前に書かれていて、このあと従軍してフランスで活動もしているのである。

活気ある都会を描きつつも、終楽章では失業者であふれるロンドンの様子が陰鬱にも表現されていて重苦しい気分にさせる。
都会の顔はひとつじゃないと言わんばかりである。

第1楽章「テムズ河畔のロンドンの街の夜明け~市場や街の朝の雑踏」
第2楽章「大都会の郊外の静やかな夕暮れ」
第3楽章「夜想曲~夜の繁華街」
第4楽章「不安な大都会~失業者の行進」

暗い雰囲気の4楽章、途中、雑踏のにぎやかさもぶり返すが、最後はまた不安に覆われ、ウェストミンスター寺院の鐘が鳴りつつ静かに終わる・・・・。
聴きようによっては、いまの「東京」と同じ。
賑やかで華やかだけど、その陰には不安もいっぱい。
時間だけが流れるように通り過ぎてゆく。

この曲の素晴らしいのは、第2楽章の抒情あふれる美しさ。
人工的な街、東京にはマネのできないロンドンの夕暮れか。

ハイティンクロンドン・フィルハーモニックのしっかりとした、そして視線の穏やかな演奏は本当に素晴らしい。

 過去記事
「ボールトとロンドン・フィル」 唯一のロンドン訪問のことが書かれてます(笑)

Uokin_1
昨晩の模様。
見てよ、この船盛り

もう目がクラクラしてしもうた。(クラヲタ会だけに・・・)
Uokin_all

その後も出るは出るは。
ともかくウマいし、ボリュームもたっぷり。
golf130さま、すんばらしい店を紹介くださりありがとうございました。

 そして、飲むは飲むは・・・。
6人でビール8本、ワイン2本、焼酎数杯、日本酒1升

同好の士による集い。
音楽の持つ力を痛いほど感じましたよ。
それにしても良く飲む。音楽好きは呑んべなのか。呑んべが音楽好きになったのか。
ともかく、「飲んだら<チケットぴあ>は見るな。見るなら飲むな!」であります。(なんのこっちゃ?)
 ところで皆さん、昨晩負傷欠場のgolfさんが、早くも第3回の開催を高らかに宣言しておられます(笑)
そう、またやり(飲み)ましょうぞ。
皆さん、どうもお世話になりました。

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2009年9月19日 (土)

第13回「英国歌曲展」 辻 裕久 テノールリサイタル

Ginza_200909 今日、午前中は国会図書館で調べもの。
このところの新政権の騒ぎが嘘のような議事堂周辺。民主党本部ビルのあたりの物々しい警備が目立った。
午後は仕事を少し。

夕方は、銀座の王子ホールへ。

Tsuji_hirohisa_2009
第13回「英国歌曲展」を聴いてきました。

英国音楽を愛する者としては、毎回ずっと気になっていた辻さんとなかにしさんの、このシリーズ。
ようやく念願かなって聴くことが出来た。

英国歌曲のスペシャリストの辻 裕久さん。
今日、進行を務められた、ピアノのなかにしあかねさんによれば、japanese english singerと呼ばれ、本国でも評価が高いという。

英国ものや、日本歌曲のCDも出ていてレコ芸でも絶賛されている。
その声は、イギリス系のテノールに特有の繊細で優しさあふれた、リリカルかつ知的な雰囲気のもの。
英語を歌うという、言語のディクションも完璧で素晴らしく、聴く方も音楽の背景や歌詞の内容などを把握しておくことで、辻さんの歌唱の素晴らしさが増すというもの。
今宵は、おそらく日本初演の曲もあり、また一部を除いて初聴きばかりだったので、会場内のほの暗い席で、しかも細かい字なんぞ見えないものだから、対訳を曲の合間に読み込むのに難渋した。
 難しいことは承知で、お二人のHPで事前公開していただけるか、チケット購入時にコピーを配布するとかあればよいのかも。

 マイケル・ヘッド 歌曲集「月の光の向こうへ」(F・リドウィッジ詩)

 デニス・ブラウン 「4つの歌より」(デ・ラ・メア、コンスタブル詩)

 ジェラルド・フィンジ 歌曲集「いざ花冠を捧げよう」(シェイクスピア詩)

 ベンジャミン・ブリテン 歌曲集「冬の言葉」(T・ハーディ詩)

             民謡編曲集より「ある朝早く」
                       「ディーの陽気な粉挽き」
                       「あぁ、切ない切ない」          


          テノール:辻 裕久

          ピアノ  :なかにし あかね
                       (9.19@王子ホール)


今回のリサイタルは、20世紀初頭、戦争に赴き散った人、戦争にまつわり悲しみに沈んだ人、戦争を忌避した人。
こうした作曲家を特集したという。
ヘッド(1900~1976)、ブラウン(1888~1915)の二人は、名前すら今回初聴。
いずれも親しみやすく、抒情的でフィンジやアイアランドを思わせる聴きやすい作風。
夢想的なヘッドの第1曲目「アルカディアの船」、ロマンテックでかつエキゾティックなブラウンの「アラビア」が気に入った。

そして、フィンジ。やはりいい。歌だから当たり前だけど、そこになみなみと溢れた抒情きらめく歌があるのがいい。
快活な中にも、哀しみが感じとれるその音楽。
とりわけ第3曲の「シンベリン」に感じ入ってしまった。
フィンジの曲は、後半のブリテンとはまた違った意味で、ピアノが重要で、クリアな辻さんの声にぴったりと寄り添った、なかにしさんのピアノは、時おりハッとさせられることが多かった。
作曲も著作もなす彼女、解説を拝見していて、英国音楽への造詣なみなみならないものを感じた。これまで、なかにしさんの名前をあまり知らなかったことを恥じなくてはならないのだ。HPを拝見すると、辻さんもそうだが、おふたりともに、音楽一家でらっしゃる。

後半のブリテンは、お二人が並々ならぬ意欲を注ぐ「冬の旅」にも通じる歌曲集。
私は、R・ティアーのCDを持っているが、本日、辻さんの歌で聴いて、ティアーの歌は心理的な歌いこみが勝りすぎてちょっと厳しく聴こえてしまうようになった。
辻さんは、さりげなく、そしてブリテンの優しさにを巧まずして歌いあげたように聴かれた。
汽車を模倣する独特のピアノのリズムに乗って歌う「旅する少年」のブリテン特有のミステリアスな不可思議さ。
オペラのひと場面のように曲想が変転する「コワイヤマスターの葬式」。
劇的な「駅舎にて」は、これもオペラの一節のようなテノールの独白。ピアノがつかず離れずにまとわりつく。
そして、終曲「生命の芽生えの前と後」は、最後を飾る明快な旋律線が戻ってくる。
辻さんの心のこもった歌唱。なかにしさんの弾くピアノも感動的だ。
しかし、どこかふっきれない疑問を投げかけるのがブリテン。

アンコールは、親しみやすい民謡編曲集より3曲が歌われ、緊張に満ちた前曲との対比が鮮やかに示され、聴く側にも笑みが広がった。

前半・後半と音楽の志向を変えて楽しませてくれたおふたり。
来年の14回目は、何を歌ってくれるのかな。
とても楽しみ。

Cosmos_ginza
朗らかに、いい気分でホールを後に。

季節の風物をいつも飾っているミキモトの前には、コスモス畑が出現しておりましたよ。



 



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2009年9月18日 (金)

ワーグナー 管弦楽曲集 ヤンソンス指揮

Nagoya_sky 今日の夕方、名古屋高速の都心環状線にて。

きれいなもんだから、ハンドルを握りながらパシャリ。

いい感じに撮れました。

前にも書いたけど、ワタクシ、夕焼けフリークなんです。
そんな私、なんか寂しすぎるかしら?

Jansons
ヤンソンスの指揮するワーグナー
今年、2009年6月、ルツェルンでの最新ライブ録音。
ヤンソンスは、オスロフィル時代に、同オケともワーグナーを録音していて、そちらは1991年。
18年の歳月を経て、どんなワーグナーを聴かせてくれるか。
以前の演奏は、かつて取り上げ、ちょっとがっかりしたことがある。
何もひっかからない、スルっとした演奏だったから。

オスロ盤  「マイスタージンガー」「トリスタン」「黄昏~葬送行進曲」「リエンツィ」

今回は、手兵のひとつ、バイエルン放送響を指揮。

   「タンホイザー」~序曲とバッカナール
   「ローエングリン」 第1幕と第3幕の前奏曲
   「ワルキューレ」 ワルキューレの騎行
   「神々の黄昏」 ラインの旅と葬送行進曲

いい。前回と格段の違い。
何よりも、オケが労せずしてワーグナーの響きを出しているのを感じる。
ブラスの艶と輝き、分厚い低弦にどこまでもクリアーなヴァイオリン。
マイルドで暖かな温もりを感じさせる管。
シュターツオーパーのオケもそうだが、これらミュンヘンのオーケストラは本当に素晴らしい。
オケだけでも、ワーグナーにおいては成功が約束されたようなもんだが、ヤンソンスの気持ちの入った入念な指揮ぶりは、18年前のそれとは大違い。
タメも大きくなり、雄弁で構えは大きい。
活きの良さはヤンソンスならでは。
だが、ちょっと健康的にすぎないか?
というのが、これまであまたワーグナーを聴いてきた私の唯一の不満である。
序曲とバッカナールも別々に演奏されていて、オペラの一部としてよりは、オーケストラピースのような扱いだから、よけいにそう感じる。
これらの中では、清らかなローエングリンと活力に満ちたラインの旅が大いによかった。
 
ヤンソンスは明らかにオペラ指揮者の素質を有しているのだから、オーケストラ指揮をもう少し絞って劇場活動もしてもらいたいものだ。

この秋、例年恒例のヤンソンス公演。
今年は、バイエルンの番で、このワーグナー・プログラムも予定されている。
ところが、これまた何度も苦言を呈することになるが、大物ソリストとの抱き合わせで、チケットが超高い。しかもいまいちのプログラム。
これにはまったく腹が立つ。
と、いうことで毎年聴いてきたヤンソンスも今年はお休みであります。

Beer
秋がそこまで来ましたな。
連休を前にした金曜日。
名古屋からの上り新幹線は指定席がいっぱい。
私は、前日名古屋入りした時にチケットを購入したものだから、このように窓側でゆったりと秋味を堪能しましたよ。

みなさん、よい連休を

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2009年9月17日 (木)

「ヴェネツィアの競艇」 谷口 睦美

Flower_3jpg 娘のピアノ発表会の時に戴いた花より。

母の日には、カーネーション。
父の日には、ばら。・・・・らしい。
でも一度ももらったことないし。

ついでに調べたら、黄色いバラの花言葉は、「嫉妬」だそうな。

ふ~ん。

私のようなオジサンになると、嫉妬といえば、色めいた言葉じゃなくて、仕事の嫉妬だったりするから色気ないね。

Mutsumi_tanniguchi

さてと、今日は心地よいメゾ・ソプラノの歌声を聴きましょう。

谷口睦美さんは、二期会会員。
昨年のニ期会公演「ナクソス島のアリアドネ」で、作曲家を歌い、その時の印象がとてもよかった。

その彼女、その前のコンヴィチュニー演出の「ティトの慈悲」でも歌っておられ、その舞台を見逃したのは、演出の面白さもあってとても残念。

今年2月には、出光音楽賞を受賞され、先日「題名のない音楽会」にも登場。
さらに11月の二期会、R・シュトラウス「カプリッチョ」に、クレーロン役での出演が予定されている。

順風満帆の彼女、昨年11月のリサイタルのライブCDが出たことを知り、谷口さんのブログから「CD下さいな」と注文して、購入。
ほどなく、彼女のサイン入りCDがご本人さまから送られてきました

曲目はこちら。
Mutsumi_tanniguchi_2

メゾの定番がずらりと揃えられた曲目。
バロックに始まり、だんだんと劇的なオペラのアリアへと進行してゆく。

最初、谷口さん、少し緊張気味でハラハラするけれど、曲目の進行とともに、徐々に調子があがり、聴いていて会場の雰囲気が増してきて、CDで聴く私もその中の一人として大いに盛り上がってゆくのを強く感じる。

そう、リサイタルそのものをそっくりおさめたCDならではの臨場感は、オーケストラのライブよりも、こうした歌もののリサイタルの方が勝っていて、とてもよろしい。
こんなことを書くのも、谷口さんの歌がだんだんと熱を帯びてきて、最後の「ドン・カルロ」でピークに達するさまが、とても鮮やかに感じとれるからである。

彼女の声、ときに揺れも感じられるが、硬質でキリリとしていて、耳に一音一音がすこぶる明快に届くんだ。
カルメンを舞台でも歌っているようだが、ドラマテックな役柄には慎重に取り組んでいってほしい気持ちもある。
 だから、ここに歌われている曲の中では、伸びやかで気品あふれるヘンデルと、小粋なロッシーニ、それと私の大好きなシュトラウスのアリアドネの作曲家のモノローグ、クラリネットをしっかり伴ったティト、これらがとてもいいと思った。
そんなこと思いつつ、何度も聴いて彼女の声がすっかり耳に馴染んでしまった。
やはり舞台を見なくちゃ始らない。
「カルメン」は実は苦手なオペラなんだけど、今年の上演は、林さんと谷口さんのダブルだったのね。行けばよかった。

Ariadnenaxos_c107_2 11月の「カプリッチョ」がとても楽しみ。
そしていずれ、オクタヴィアンを歌って欲しい。
容姿からいってもバッチリだと思う。
美しい女性歌手だと、メロメロになっちゃうワタクシですが、その素晴らしい歌声で、これからオペラにコンサートに、ますます活躍が期待される谷口さんであります。

こちらは、幸田浩子さん演じるツェルビネッタと、作曲家役の谷口さんであります。

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2009年9月16日 (水)

「にゃんにゃん」に忍び寄る影!

Cat_1
え、えーッ

いったいなんざます

Cat_2 路上の「にゃんこ」ににじり寄る影ひとつ。

それは、わたしだ。

ふっふっふっ

写真を撮らせておくれ

Cat_3まぁ、いいけど、
早く済ませておくれでにゃいか。せっかくの日向ぼっこを邪魔しにゃいでよ
。」

と申しておりました。
おくつろぎのところ、誠に申し訳ありませんでした

このあと例によって、カメラの紐で遊んであげました。

そしたら、敵は爪を出しているもんだから、紐に見事に引っ掛かり、紐を引っ張ると、「にゃんこ」の手がついてくる。
この繰り返しで、まるで操りネコのような状態になってしもうた(笑)

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2009年9月15日 (火)

モーツァルト 交響曲第40番 ワルター指揮

Sky 私は、空を眺めるのが好きであります。
立ち止まって眺めてたりすると、面白いもので、他の人も何があるんだろうと同じことをしますな。

この写真は、高速疾走中にパシャリ。
もちろん、運転中はほんの一瞬眺めるだけで、こうして写真に捉えて後で見るわけ。

Mozart_walter 秋の空を眺めていたら、澄んだモーツァルトが聴きたくなった。

ワルター40番である。

この曲と演奏に何を語ろう。

何もないや。

ウィーンフィルとのライブも後年出ているが、私には永く親しんだコロンビア響とのスタジオ録音の方が懐かしく、身近に響く。

名手を集めたとはいえ、オケはウィーンフィルに、はるかに敵わないし、録音も低音が妙に強調されていてやや作り物めいているが、そんな不満も、聴き馴染んだ懐かしさの前には、ちゃんとおさまるところに収まって感じるところが嬉しい。
 いまや、前時代の響きとも言われるかもしれない

この交響曲が作曲されたのが、1788年。
ワルターの録音が、1959年。
そして今は、2009年。

この年月の経過。
作曲からこの録音までの171年は、録音から現在まで50年のクラシック音楽の演奏史を考えると実はそんなに長くないのではないかと思われるくらいに、モーツァルトがそのまま甦って微笑んでいるかのような清新な演奏に感じる。
昨今のせせこましい古楽(的)なモーツァルト演奏と比べると、なんとおおらかで、優しい表情に包まれていることか。
よく言われるように、ワルターの演奏に常にある「歌心」。
弊ブログをご覧いただくと私には、始終、歌へのこだわりがあることがおわかりいただけますでしょうか?
わたくしもこうして長じてみて、音楽に対する思いが変わってきて、常に「歌」を意識するようになった。
 ワルターの40番。なかでも、第2楽章のはかなくも、自然な美しさには参ってしまう。

ワルターで聴く、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトにワーグナー、ブラームス、ブルックナー、マーラー。
なんだかみんな確認してみたくなってきた。
いまに生きるワルター、久し振りに聴いて、耳の垢がすっかり洗い流されるようでございましたよ。

Yokohama_st

最後に野球のおはなし。
こちらは、いかにも寂しげなる、横浜スタジアム。
 今年も予定通り、順調に最下位を独走していて、頼もしい限りなのだ。
ワタクシは、川崎のオレンジ色の時代からのファンで、もう前世紀になってしまったが、優勝時には甲子園まで駆けつけて、その瞬間に狂喜乱舞した男でござる。

野球界でも年々格差の溝は深まるばかりで、その戦力の明らかな違いは、赤ん坊でもわかるというもの。
今年ほど、あのオレンジ色を苦々しく思う年はございません。
しかし、ベイには、あのオレンジから恭しくも頂戴した工藤がいる、仁志がいる。
この二人の職人魂は、へなちょこ球団にあって、至宝ともいえるものだったのに、仁志はともかく、工藤とも来期契約は結ばず、との発表がなされた。
クルクルなんとかという害人や、有望鶴岡を強奪され、変わりに得た工藤は、若手育成の要ともなるべき人材ではなかったのか!
 あぁ、もう何も言う言葉がない。
球団社長も辞めるらしいが、そんなことはあたりまえ。
田代代行も監督はおしまい。

あぁ、へっぽこ球団に明日はあるのか
 

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2009年9月13日 (日)

松村 禎三 「沈黙」 若杉 弘 指揮

Tateyama_2遠く、海に沈む夕日。

壮絶な光景に、私はあたりが暗闇が支配するまで、立ち尽くして見入ってしまった。

この海を渡って、日本人も漕ぎ出して行ったし、海外からも、未知の日本へやってきた人々もたくさんいる。
今でこそ簡単なこと。昔を思えば、さぞかし苦難に満ちたことであろう。
Matsumura_chinmoku 海を渡って、禁教の国に布教にやってきた宣教師たち。
異国好きの信長は布教を許し、諸武将のなかにも熱心なキリシタン信者も生まれた。
しかし、秀吉は自分の意にならない武将を頑迷なキリスト信仰によるものという思いにさいなまられ、禁教のおふれを出す。
こうして過酷なキリシタン弾圧が行われた。
目の届く関西・中部は、歴史ある仏教の土壌がしっかり根付いている。
関東は外洋から遠い。
だから、九州、ことに長崎に多くの宣教師が上陸し、弱者としての農民や漁民がキリスト教に救いを見出し、キリシタンとして忍び暮らした。
しかし、奉行をはじめとする当局は、宣教師・キリシタンたちに容赦がなかった・・・・・。

遠藤周作の名著「沈黙」は、そうした時代を背景とした、宣教師の物語である。
私は、この小説を高校生の時に読んで衝撃を受けた。
大学、社会人と、時おり読み直しては、その衝撃の深さを増していった。
神の存在・不存在と、真のキリスト者の姿、個々の人間存在の弱さ、裏切りと後悔・・・・、こんなあまりにも深い問題が淡々とした物語の中に、読む人ひとりひとりの心に訴えかけてくる。

その小説をオペラ化したのが、松村禎三(1929~2007)。
1993年初演のこのオペラは、氏が10年の歳月をかけて夫人とともに台本作成から作り上げた深刻極まりない名作。
解説によれば、遠藤周作さんも、この作品を嫁に出したようなものだから、存分にあなた自身の「沈黙」にして欲しいと語ったという。
また松村氏は、キリスト者でない自分が、この題材をオペラにすることへの畏れ、そして作るにあたって国内外のミサに参列したり、殉教の地を訪れたり、キリシタンの方々にも会ったりもしたそうだ。

こんな背景もあり、松村禎三のオペラ「沈黙」は題材こそ小説「沈黙」であるが、作品として
は別物の「沈黙」であるかもしれない。

全2幕16場の2時間に、小説のすべてがおさまるはずもないが、筋立てはほぼ同じ。
活字と違い、耳で味わうこの「沈黙」。
宣教師たちは標準日本語、信徒たちは長崎方言。
言葉は明晰でわかりやすく、だからよけいにリアリティに富んでいる。
歌もあり、歌うような語りもあり、語りそのものある。
日本語による新ウィーン楽派のシュプレヒティンメのような感じ。
奉行のいやらしいまでの残虐さ、主人公ロドリゴの血を吐くような心情の吐露、転び人フェレイラの悩み・・・・。いずれも迫真的なまでにそうした歌唱を伴って描かれている。
チェンバロも加わったオーケストラは、大編成で、清らかな和音から、大迫力の弾圧や罵りの不協和音、宣教師の独白における無調のしらべ、等々ドラマテックなもの。
歌もオケもとても聴きやすく、2時間にわたってこの音楽に釘付けとなり、心揺さぶられること必定である。

 第1幕
エピローグ的な場面。
キチジローの両親と妹が炎のなか磔とされていて、キチジローはもだえ苦しむ。
マカオの教会。
若い宣教師ロドリゴが弾圧吹き荒れる日本への渡航をしようとしており、それをとどめる神父ヴァリニャーノ。恩師フェレイラの音信も途絶えている。
渡航の案内人にマカオにいる唯一の日本人キチジローが案内人に選ばれる。
長崎のトモギ村。
密航に成功したロドリゴと喜ぶ村人たち。ミサが行われキチジローは英雄扱い。
ところが、村人3人とキチジローが役人に捕えられ、踏み絵を試される。
3人はかたくなに拒むが、キチジローは言われるがままにマリア様は淫売と叫び、聖像に唾するのであった・・・。
3人は満ちゆく海で磔刑に処せられる。その中のひとりモキチの許嫁オハルは狂乱したように神に祈る。「神さまはおんなさとやろうか?」、神の存在への疑問を歌う。
しかし、モキチは「ハライソに参ろう・・・」と歌い、こと切れる。
逃げ行くロドリゴ。何もできずに悩み苦しむ。そこへ、キチジローがあらわれ、転んだことへの許しを必死に乞う。しかし、彼の裏切りによりロドリゴはその場で役人に捕らわれる。

 第2幕
牢内にいるロドリゴ。日本の風土にはキリスト教はなじまないと、長崎奉行は厳しく諭す。
そして通詞は、フェレイラがすでに転びバテレンとなり、名前も変えていると語る。
すでに捕えられた村人たちが登場。なぜパードレがここに・・。死にゆくオハルに秘蹟を与えるロドリゴ。オハルは、愛するモキチと神の幻影を見て昇天する。
海辺で、ロドリゴの前で村人たちを蓑巻きにして海に放り込むと奉行がロドリゴを脅す。
村人の転びでなく、卑劣にもロドリゴの転びを求める奉行井上。
進んで殉教を選択する村人たち。そして死に行く村人たちは神を見たが、ロドリゴには見えない。
牢に師フェレイラがやってくる。
この国は沼地のようにすぐに根が腐ってしまう。神も大日如来も同じになっている。
日本人には神の存在を考える力がないと語り、ロドリゴは出ていけ、と追い出してしまう。
処刑の決まったロドリゴは長崎の街を引き回される。石を投げつけられ愚弄される。
しかし、キチジローの許しを乞う声も聞こえる・・・。
処刑を前に、覚え苦しむロドリゴ。
そこに聴こえるうめき声。ロドリゴは肥え太った門番たちの鼾であろうと、自分の聖なる夜が汚されるとしてやめろと叫ぶ。
そこに先のフェレイラが登場。
これは、鼾ではない。耳の後ろに穴をあけられ穴に宙づりにされた信徒たちの苦しみの声なのだと語る。
自分もかつて、これを聴き、彼らのために転んだ。自分だけが苦しんでいるのではない。
教会の汚点となるのが怖いのか。彼らはお前のために苦しんでいるのだ・・・」と。

 翌朝、「今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ」というフェレイラの言葉についに折れ、ロドリゴはイエスの踏み絵を前にする。
「イエスよ、これがあなたのお顔なのか。ずいぶん疲れ果ててしまった・・。あなたのお顔の二つの眼をいま、私の足でふさごうとしている・・・・。
あなたはとうとう何も語りかけてくれなかった。あなたのために血がこんなに流されているのに。あなたも十字架の上で血を流している。あなたにできるのはそれだけは。
人間がこの世に地獄をつくりだし、滅ぼしあうその時にさえ、あなたはなにもしようとしないのか。主よあなたは本当におられるのか!」
イエスへの愛と失望を激情的に歌う上げ、ついに踏み絵に足をかける。
そしてその足のあまりの痛みにイエスの絵を抱きかかえるようにして、倒れ伏してしまう。

 
その後は浄化されたような清らかな音楽が流れるなか、このオペラは幕を閉じる。


そこに、神はあらわれたのあろうか・・・・・。

      ロドリゴ:田代 誠        フェレイラ:直野 資
     ヴァリニヤーノ:大島 幾雄   キチジロー:宮原 昭吾
     モキチ:小林 一男        オハル:釜洞 祐子
     おまつ:秋山 雪見        少年 :青山智恵子
     じさま:桑原 英明         老人 :有川 文雄
     キョウキチ:土師 雅人      井上筑後守:池田 直樹
     通詞 :水野 建司        役人 :峰 茂樹
     牢番 :志村 文彦        刑吏 :藤沢 敬
     修道士:高松 洋二

       若杉 弘 指揮 新星日本交響楽団
                  二期会合唱団/東京混声合唱団
                  ひばり児童合唱団
                  演出:鈴木 敬介
                     (93.11.4・6 日生劇場)

原作では、ロドリゴが踏み絵に挑むときに、その絵のイエスが「お前のその足の痛みを私が一番よく知っている。その痛みを分かち合うために、私はこの世に生まれ十字架を背負ったのだから・・・・。」と語りかける。
 その後も、キチジローを通してイエスの声がロドリゴに語りかける。
沈黙の意を悟ったロドリゴは、最後のキリシタン司祭として自覚する。

オペラの舞台では、踏み絵のイエスが語る場面は描きにくく、ロドリゴの独白と、その後の清らかな音楽でもって、事が達成されたことを現わしている。
CDの音源だけでは、この感動的な場面がちょっともの足りなく、実際の舞台ではさぞや、と思わせる。涙もろい私はきっと泣きぬれてしまうであろう。
裏切りと、それを悔い悩むキチジローの姿は、そっくりユダの姿でもあり、われわれの心にも棲む人間の弱さでもある。

キリスト者として、神を見たであろう遠藤周作。
一日本人として、神に迫ろうとした松村禎三。
「神の愛」というテーマでは遠藤作品の方に分が多分にある。
松村作品は、演出や強靭な指揮者の助けを必要とするかもしれない。
しかし、音楽で神の存在や、その姿に近づくことが出来た稀なる作品であろう。
最初に聴いたときは、小説と同じように強い衝撃を受けた。
そのあと何度か聴くたびに、オハルの嘆きのアリアに感動し、ロドリゴの独白に共鳴し、最後の浄化の音楽に涙ぐむようになった。
そう、普通にオペラとして受け入れることができるようになった。

ロドリゴの田代さんと、奉行の池田さんが迫真の歌唱。
釜洞さんのオハルも泣かせる。
若杉さんの劇場空間での表現力とその統率力はここでも抜群の威力を発揮している。

スコセッシ監督の手で映画化がされるようだが、なかなか実現しないようである。
その映画化の内容は、われわれ日本人には、ちょっと辛いものになりそうな気が・・・。
島国で、自国だけの力でのほほんと生きてきた日本ゆえの悲劇でもある。
そのあたりの理解を持って描いてくれないと、クジラやイルカのようなことになってしまいそう。

     

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2009年9月12日 (土)

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 現田茂夫指揮

Tanemaru 9月27日までとなった開港博Y150。
仕事に、演奏会に、飲みに、何度も行ってるけど、開港博には一度も行ってない。

来場者は当初500万人を目指したものの、その7割に満たない現状という。
そして市長も降り、なんだか竜頭蛇尾って感じ。
たねまる」クンも寂しそう。

  でもですよ、神奈川フィルハーモニーの観客は増えてます。
実際、定期会員の名簿を見ると増えてる。
あ、今までいなかった私と同じ名字も増えてるし。

昨晩の定期演奏会もラフマニノフの人気曲が取り上げられることもあり、なかなかの入り。

 チャイコフスキー    幻想序曲「ロメオとジュリエット」

 ラフマニノフ       ピアノ協奏曲第2番
               練習曲集「音の絵」op39-5(アンコール)
               
             Pf:アンナ・ヴィニツカヤ

 ショスタコーヴィチ   交響曲第1番

 ハチャトゥリアン    「仮面舞踏会」~ノクターン(アンコール)

       現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                  コンサートマスター:石田 泰尚
                            (9.11 @みなとみらい)

Img_3

現田さんのプログラミングの妙。
ロシア音楽ばかりが年代順にきれいに並んだ。
こうして聴き終えてみると、ロシア系音楽には芳醇な歌が満ちていること。
それは甘味であり、切なくやるせないものでもある。
それは厳しい自然のもとにある風土のなせる技でもあり、変遷する政治の厳しさからくる苦しみからくるものあるであろう。
 でも、そんな思いとは遠いところで、美しい歌を聴かせてくれたのがこの夜の現田&神奈フィルのコンビ。
私は思う。
音楽がキレイでどこが悪い、とね。

チャイコフスキーは、最初は探り合いのように慎重な出足しだったが、両家の争いを現す激しい部分からエンジンがかかり、石田氏も腰を浮かしての演奏ぶりで、みんな乗ってきた。愛の場面の連綿たる主題の美しいことと言ったら!
迫力あるオーケストレーションの素晴らしさと、メロディメーカーとしてのチャイコフスキー。
その魅力がしっかり味わえた20分間。

エリザベート王妃国際音楽コンクールで1位となったこともある、ロシアの若いピアニスト、ヴィニツカヤを迎えてのラフマニノフ
彼女のピアノ、よくも悪くも若い。はじける若さで、もうバリバリと弾きまくる。
すごい技巧だし、その冴えた腕前は完璧で、どこにも破たんが見当たらないし、その心配もまったくなし。最初から最後まで、そんな感じだし、アンコールの凄まじい練習曲でもそう。でも、それ以上のことがないし、起きなかった。
感情をどこかに置き忘れてきてしまったようなピアノで、そう指揮者でいうと、私にはよくわからないムラっけの多いゲルギエフのように感じてしまった。
 もちろん、これだけ弾けちゃうのだから、若いだけに今後がとても楽しみ。
でもですよ、オーケストラが素晴らしくてあまりあるものがあった。
ラフマニノフ・ザ・ビューテフル
2楽章の甘味きまわりない旋律に身も心もとろけてしまいそう。
終楽章のエンディングの怒涛のような素晴らしくも勇壮な盛り上がりにこちらもドキドキ。
若い彼女もこういう場面では、はじけ飛んでるし、オケと一体化してまったく素晴らしいものであった。
蛇足ながら、この曲、シンバルが始終活躍している。
ラフマニノフは、パーカッションを多用した作曲家だが、こうして見ているとシンバル氏いろんなことをやってるし、それぞれに音色があるものだからびっくり。

ショスタコーヴィチ19歳の出世作、交響曲第1番。
ワルターも好んで指揮した古典的な枠組みを持つ曲だが、マーラーやストラヴィンスキーの影響も聴くことができる。
後年の作品のようなスケール感や、ナゾぶりはないが、スッキリとまとまった、よく聴けば味のある交響曲だ。
現田さんは、ユーモラスとシリアスが交錯する独特のショスタコの音楽をしっかりとらえて、とてもわかりやすく演奏してくれたように思う。
とらえどころのない第1楽章は、若いトランペットの出だしに、木管の活躍にと、神奈川フィルの奏者の皆さんの腕がさえて聴こえる場面が続出。
へんてこな曲想の第2楽章も面白く聴けれた。
だが、最高に美しい場面は第3楽章。オーボエの哀愁に満ちたソロとチェロのソロの半音階風のささやき。鈴木さんに山本さん、素晴らしすぎだ。終始響く、トランペットの主題も印象的で、曇りなく澄んだ音色は立派なもの。
静かに休みなく始まる4楽章。
うねるように盛り上がり、ティンパニが先の楽章の主題を強烈に連打して全休止。
ライブで聴くと、音割れの心配もないから、実に爽快。
そのあと、ジワジワと盛り上がって、急転直下ドッカンと終わる。
 痛快極まりない鮮やかな演奏に、タコ好きも大満足。
美音のオケと歌心ある指揮者だからこそできるこの鮮明なショスタコーヴィチ。
ロシア系のうねるような重心の低い演奏や、ヨーロッパ風の洗練された演奏とも違う独自のキレイ系ショスタコなんて思ったのは私だけだろうか。
ほかの番号がどのように聴こえるだろうか?
4番、6番、8番、15番なんてところを聴いてみたい。

アンコールの静かでロマンテックな夜想曲は、ショスタコで興奮した耳に、実に優しく、ロマンテックに響いたものだ。
石田氏のソロについては、な~んにも言うことがありませんね。この人のためにあるような曲だし。

握手を交わす、現田さんと石田コンマス。信頼のまなざしで応えあっておりました。
指揮棒を置いてしまったシュナイトさんのバッハを先週聴き、ここに現田&神奈川フィルのロシアン・ワールドも聴くことが出来たこの幸せ。
でも幸せは長く続かないもので、次へとまたこちらの耳もシフトしていかざるを得ない。
これもまた音楽の楽しみか

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2009年9月10日 (木)

ヴェルディ レクイエム リヒター指揮

Hakodate_catheric_1 今年の春先に訪れた函館の元町教会群の中のひとつ。
カトリック元町教会。

夕闇せまる美しい教会。

カトリック、プロテスタント、ロシア正教、英国国教、ギリシア正教・・・、神はひとつでも、多々あるキリスト教派。
その協会建築もそれぞれ違うが、いずれも高さと空間へのこだわり、そして対称の美しさを感じさせる。
でも、人々の祈る心は世界のどの宗教も一緒。

そして、祈りの念を音楽に乗せて必死に訴え続けた指揮者シュナイトさんが、その指揮棒をこの日本で置いたのが先週のこと。

歌劇場で仕事をしていたシュナイトさんを、再び教会・宗教音楽に近い場所に呼び寄せたのが、皮肉にも、カール・リヒターの突然の死。
ミュンヘン・バッハの指揮者を引き継いだのがシュナイト

Verdi_requiem_richter_2 カール・リヒターが54歳の若さで亡くなったのが1981年。
早いもので、もう28年も経つ。
そのリヒターの極めて珍しいレパートリー、ヴェルディのレクイエム。
発売後、即購入したものの、何故かずっと眺めるだけで、封も切ることがなかった。
別に大きな理由はないけれど、なんとなくイメージが作りにくかったのと、毎夏に聴くならわしを自分に課していたので、それまでと思いオクラ入りにしていた。

シュナイト師の「ロ短調ミサ」を聴き、若杉さんをおくり、そう、ついにこの「リヒターのヴェルレク」を聴くときがやってきた。

解説によれば、これは放送音源でなく、マニアだった合唱団の一員が録音したものという。
1969年、ミュンヘンのコングレスザールでの演奏会ライブである。
れっきとしたステレオ録音で、音も鮮明ではあるが、強音で音割れするのが苦しい。
でも、個人録音としては相当なもので、他にもまだ隠れたる音源をお持ちではないかと、期待したくなる。

    S:イングリット・ビョーナー   Ms:ヘルタ・テッパー
    T:ヴァルデマール・クメント   Bs:ゴットロープ・フリック

   カール・リヒター指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
                  ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
                   ミュンヘン・バッハ合唱団
                        (69.2.28 ミュンヘン)

渋いヴェルディのレクイエム。
この一言に尽きる。
ワーグナー歌手をソリストにしたから、さぞや重厚でドイツ風に傾いているかと思いきや・・・・。

オペラ作曲家が書いた歌にあふれたレクイエムではなくて、たとえば、バッハのように神を見据えた純粋ともいえる宗教音楽としてのレクイエムの演奏。

冒頭からかなり克明な歌わせ方で、じっくりと歩む。

ディエスイレは、最初、もっさりと感じるものの、低音の強烈さは、迫真的。

メゾのあと2度目におとづれる怒りの日も、意外とあっさり聴こえる。

クメントは音程に揺れがあってやや苦しいが、インジェミスコは素晴らしい。
イタリア系が歌うとオペラアリアのように歌いまくってしまうが、
ドイツ系のテノールって感じが濃厚で、その少しバリトンかかった声が新鮮。
私はジークムントを思い起こしてしまった。

名ハーゲンのフリックはどうだろう。
このふくよかで美しい歌声は、あのハーゲンの姿からは遠い。
まるで慈悲深き神父のようではないか。

しかし、そのバスのコンタティスのあとの怒りの日は、激しく咆哮している。

その後のラクリモーサ。
テッパーのあまりに深い声は、あのマタイを思い起こしてしまうもの。
続くフリックのバス、そして4人のバランスのよい重唱。
オーケストラの沈痛な響き、金管・テンパニの強調、まるで葬送行進曲のような重々しさ。
私は、こんなに悲痛なラクリモーサを聴いたことがない。
アバドのような優しさに溢れた演奏に馴染んできたゆえに、正直辛いものがあった。

サンクトゥスは輝かしさよりは、感謝の一途さの爆発に聴こえるし、そのあとのアニュスデイは休みを置かず、すぐにソリストが歌い始める。これまた深い演奏。

美しいルクス・エテルナで、アカペラで歌われる4人の独唱。それをフリックの深みあるバスがしっかりと下支えをしている。オーケストラは、しばしヴェルディを聴いていることを忘れてしまうほどに、入念で克明。
私は、ワーグナーがもし宗教曲を書いたらこうなる、という思いに囚われてしまったが、どうであろうか。
4人とも、声が外に向かわず、極めて内省的。
いつもは天国的な響きに包まれるのに、こんなルクス・エテルナは聴いたことがない。

最後の怒りの日。何とここでは、これまで3度登場する怒りの日ともまた違う。
重々しい。
それがおさまったあとの、レクイエムの極端にデリケートで密やかな響きと歌いぶり。
大味な印象のあったビョーナーの繊細さに驚く。
強烈なリベラ・メがやってきて、曲は深い祈りに満たされながら終わる。

なんと、壮絶なヴェルディのレクイエムであろうか。
聞き手ひとりひとりに、まるで十字架を背負わせてしまうかのような重い1枚。
そう何度も聴けるものではない。
でも私は、いろいろ確認したくて5回も聴いてしまった。
こうしてリヒターは、その命を燃やしてしまい、早世してしまったのだろうか。

初めてヴェルディのレクイエムを聴く方には、決してお勧めできないが、これまでいくつか聴かれてきた方に聴いていただきたい。
これみよがしの壮大さや華麗さとはかけ離れた壮絶なレクイエムであった。

※これを機に、多々あるレクイエムをいろいろと取り上げようと思っている。

過去のヴェルディのレクイエムの記事

「アバド指揮ミラノ・スカラ座」
「バーンスタイン指揮ロンドン交響楽団」
「ジュリーニ指揮フィルハーモニア」

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2009年9月 7日 (月)

武満 徹 弦楽のためのレクイエム 若杉 弘指揮

Wakasugi20090907 「若杉 弘さん、お別れの会」

去る、7月21日、74歳でご逝去された、若杉弘さんのお別れの会に行ってまいりました。

本日、9月7日15時より、新国立劇場中劇場にて。

会場は1200名の方々で埋め尽くされ、故人をしめやかに偲びました。


私のような一般人もたくさんいたけれど、大半はどこかで見かけたようなことのある音楽関係の方々ばかり。
新国の芸術監督代行に就任する尾高さんご夫妻のお姿も。

司会は、私のような世代には懐かしい、NHKの後藤美代子さん。
世話人のお二人、新国運営財団理事長の遠山さんと、畑中良輔さんのご挨拶から始まった。
中でも、畑中さんは、若杉さんの歌の先生で、指揮者への道も示された師でもあり友人でもあったといいます。ピノキオに似てるからピノさんと、親しく呼ばれた畑中さんのお話、淡々としていながら、とても心あたたまるものでした。

お別れの言葉は、文化庁長官 玉井日出夫氏、日本芸術院長 三浦朱門氏、演出家で友人の栗山昌良氏。

喪主挨拶に立たれた若杉羊奈子さん。
伝統あるドレスデンでの経験がとても大きかったこと、「軍人たち」を上演できるのは新国でしかない、そのことに執念を燃やしたこと、そしてそれが実現すれば欧米のオペラハウスに肩を並べられると語っておられたこと、などをお話されました。

昨年5月の「軍人」の上演にその命を縮めるくらいに、精魂傾けたといいます。
私は、このオペラは観ることができなかったが、翌月、若杉さんの最後の指揮となった「ペレアスとメリザンド」に接することができました。
ゆるやかに変化する美しいドビュッシーの音楽が、オーケストラピットから立ち昇るのを今でも、この耳で、そしてその指揮姿をこの目で覚えております。

演劇に、音楽に情熱を傾け、最後まで劇場の人であった若杉さん。
そのお別れの会も、そのときと同じ劇場で行われたのでした。

最後に、新国立劇場のこけら落とし上演「ローエングリン」の第1幕への前奏曲の映像が、氏の写真などを交えながら上映されました。
私は、その清らかな響きに、涙が流れそうになりました。

フォーレのレクイエムの「イン・パラディスム」が流れるなか、出席者により献花が行われ、散会となりました。
奥様との話で、お別れのときには、この曲もいいよね、と話されていた若杉さんだそうです。

若杉さんに、たくさんオペラを教えてもらった、一聴衆として、音楽を愛するものとして、このお別れ会に出席してとてもよかったと思います。

Takemitsu_wakasugi 武満 徹の「弦楽のためのレクイエム」は、もう日本の現代音楽の中では古典的な作品。
1957年の作曲だから、もう50余年が経つ。

作者は、レクイエムをメディテーションとしてもよかったと述べているとおり、亡き人を瞑想しつつ思う、というような風情がある。
 でも不安な響きもあるし、人間存在の危うさも感じる。
さらに、作者の言葉。
「はじまりも終わりもさだかでない。人間とこの世界をつらぬいている音の河の流れの或る部分を、偶然に取り出したもの・・・・」
若杉さんが、東京都交響楽団を指揮した1991年の録音。
とても美しく、悠久の時間の波にのまれてしまうような気分になる・・・・。

若杉さん、天国のオペラハウス(新天国劇場)で、指揮されることでしょう。

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2009年9月 6日 (日)

ブリテン 「真夏の夜の夢」 名古屋二期会公演

Nagoya_geijyutsujpg1
名古屋です。暑かったです。
愛知芸術劇場にて、名古屋二期会公演、ブリテン「真夏の夜の夢」を観劇。

このブリテンのオペラは、シェイクスピアの原作が親しみやすいこともあって、国内での上演機会も多い。かつて、若杉さん指揮の上演を逃したのはとても残念で、ただいまブリテンのオペラにはまっていることもあって、名古屋に出向いた次第。
お仕事がうまく絡めることができず、日帰りとなったが、皮肉なもので、後で仕事がはいり、今週また名古屋に出向くことが決まっております。

Nagoya_geijyutsu 客席は8割の入りでしょうか。どこの席でも見やすいこの劇場、私は1階席にて観劇。
客層は東京の劇場と違い、若い人が少ない。(自分もすでにそうでないケド)
上品なご婦人方多数。
そして、皆さんとても静かで大人しく、マナーもよろしい。
多くの方にとって未知の音楽であるブリテンのこの作品、反応はいまひとつともいえたが、その分、私は舞台と素晴らしい音楽に集中することができて嬉しかった。
しかしですよ、大苦言をひとつ。1幕では、私の前は数席きれいに空いていたのに、2幕には子供連れの方が陣取った。
二人のお子さんは、おそらく幼稚園児と未就学児。
最初はおとなしくしていたし、ロバに変身したボトムで間がもったが、次第に落ち着きなくなりコソコソし始めた。当方の、気も散ること半端じゃない!
いったいどのような方々なのでありましょうか?
楽しい児童向けオペラと思われたのでしょうか?
お金持ち風だったので、情操教育なんざましょうか?スポンサー筋の方なのでしょうか?
劇場側も親同伴とはいえ、これを許してよいのでしょうか?
不思議なことに、ありがたくも、3幕ではこの親子、きれいにいなくなっちゃった!
ゆえに、余計に不可思議、そして腹の立つ仕儀でありました。

これをのぞけば、本日の公演はまことに楽しく、そして立派で、この作品への理解が一段と高まったといえる。
このオペラの内容については、ブリテンオペラ全作品挑戦中のこちらの記事をご覧下さい。



     ブリテン 歌劇「真夏の夜の夢」

          ベロン:谷田 育代            タイタニア:森本 ふみ子
            パック:岡田 真千代            スィーシアス:石川 保
            ヒポリタ:鶴岡 圭子             ライサンダー:与儀 巧
            デメトリアス:塚本 伸彦        ハーミア:奥野 靖子
            ヘレナ:加川 文子               ボトム:水谷 和樹
            クインス:時 宗務        フルート:松岡 重親
            スナッグ:堀内 紀長             スナウト:山本 治樹
            スターヴリング:吉田 裕貴     蜘蛛の巣:林 弘子
            豆の花:杉山 梨恵               辛子の種:真野 一枝
            蛾:北野 実果

               
   阪 哲朗 指揮   名古屋二期会オペラ管弦楽団
                  師勝少年少女合唱団
     総監督:中田 直宏  演出:中村 敬一 
                   
                    (2009.9.6 @愛知県芸術劇場大ホール)

Britten_mid_summer 時代設定をブリテンが活躍していた頃に設定。
だから、50年前くらいであろうか、妖精軍団はともかく、人間たちは、割と身近ななりで登場。しかもいずれも、自転車をこいで、キッキーといわせながら(笑)
これは、なかなかに秀逸なアイデア。
同様に、すばしこいパックは、尖った耳をして、リュックを背負い、ローラー・シューズを履いてスィーっと滑りながら舞台を駆け巡る。これもナイスで、パック役の岡田さんは小柄でかわいらしく、バレエ出身だけあって、動きも軽やか、転回も決めてくれた。
 妖精の親玉夫妻は、この世ならぬ豪奢なドレスで、黒と濃いピンク。
オベロン役はメゾソプラノ代用で、お二人とも同じような体型と背丈だったので、双子みたいだったのが何とも・・。
妖精たちは、大人女声と児童合唱。黒い衣装に、それぞれ色の違う道化師の襟のようなものを付け、黒い傘を持っている。その傘を開いたり閉じたりするから、ちょっと落ち着かない。人間には見えないということを象徴したのだろうか。
だいぶ以前に、「ワルキューレ」のセミステージ上演で、戦乙女たちが、傘を振りかざし、同じように開閉を繰り返していた舞台を見たことがあるが、その時もどうもいい気分がしなかった。私は、先端恐怖症じゃぁありませぬが、ほんとにダメな人だっているのだから、大量の傘はどうかと思いますよ。

アテネ郊外の森を舞台に、妖精たちの世界、若い恋人貴族たち、市民たる職人たち。
最後は宮殿に場所を移し、大公夫妻。
こんな具合に、住む世界の異なる人物軍団が出たり入ったり。
しかも、それぞれ重なることなく出入りするし、だぶっても、人間には妖精たちは見えない。
だからまともに舞台をしっかり作って場面転換してたら大変なことになるし、見ていて落ちつかないことこのうえなくなる。
 ゆえに、今回の舞台装置は、全3幕を通じて、真中に天蓋の付いた廻り舞台が据えてあって、これがベットになったり、森の中の緑の絨毯になったり、劇中劇の舞台になったりと大活躍。
そのまわりは、ほの暗いからこの天蓋ステージだけが浮き上がって見える。
その三方に引かれたカーテンから登場人物が出入りする場面も多いが、回転する間に隠れていて、こそこそ舞台袖に下がるのが見えるのはやや興ざめ。
でもこの装置はシンプルで、観る方も舞台に集中できるので、とてもいいと思った。
 それと楽しかったのが、3幕の職人たちの劇中劇。
CDだと、この場面がわかりにくいし、何だかとってつけたように感じる部分だが、こうして舞台に接すると、1幕の森での愉快な職人たちの練習や、ロバになったボトムが帰還した皆の喜び、そのあたりのつながりがよく理解できたし、なんたって、訳のわからない皮肉たっぷりのその劇が滑稽で笑えたし、男6人がドタドタとベルガマスク舞踏をするさまも愉快だった。このあたりのブリテンの音楽の冴えは最高!
シェイクスピアの描いた高度なコメディとブリテンの巧みな音楽の妙なる融合。

12時をまわり、人間たちが眠りに去ったあと、(3組の夫婦はそれぞれ、3方のベットに)
妖精軍団が出てきて大団円を迎えるが、天井からは、無数のきれいな電球が下がってきて、極めて美しい光景となった。
 そして、パックが最後登場して、軽快に口上を述べ、急転直下、ブリテンらしい洒落たエンディングの音楽となるわけだ。
ここでオーケストラがバッチリと決まったとは言い難いのがやや残念。

ブリテンの音楽が精緻に作られているゆえに、もう少しオーケストラには精度を求めたいところではあったが、この音楽をすっかり手の内に入れた様子の阪氏の的確な指揮ぶりは見ていて頼もしいものであったし、舞台を引っ張る力量も感じとれた。
氏は、ドイツのレーゲンスブルク歌劇場の音楽監督に、この後就任するという。
日本人指揮者が、こうして欧米のオペラハウスで活躍するのは若杉さん亡きあとの、オペラ界において、とても心強いことであります。

カウンター・テナーがおいそれと使えない日本の舞台の宿命か、女声のオベロンであったし、パックも女性。
名古屋の歌手のみなさん、私にはなじみの名前はなかったが、それぞれ実力充分で、芸達者。
その見事な歌唱や、アンサンブルに演技、かなりの練習も積まれたことであろう。
とてもよかった。
中でも気に入ったのは、オベロンの谷田さん、ライサンダーの与儀さん(客演)、ヘレナの加川さん、フルートの松岡さん(客演)。

秋暑の名古屋。
夢かうつつか、幻想味あふれるブリテンの音楽を堪能し、その舞台を大いに楽しみました。

Nagoyameshi-01Nagoyameshi-02


帰りに名駅近くの居酒屋にて一杯。
タコぶつと、土手煮だがね。
こちらも堪能、新幹線で夢のなか。

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「クラヲタ会」 お知らせ にゃんにゃん

Ningyocho_cat店番は退屈だにゃあ。」
と申しております。
人形町で見かけた、店番ちょび髭にゃんこですよ。

そこで、お知らせ。

第2回、「クラヲタの会」が開催決定

4ブログ共催の会です。
我こそは、ヲタなり、と自覚される方も、そうでない方も、またお酒を飲める方も、飲まない方も、是非ご参加いただき、華麗に音楽談義を咲かせましょう。

golf130のクラシックお笑い原理主義
minamina日記
のんべのクラシック日記 (アルファベット・アイウエオ順)

①日時
   9月20日(日曜日) 18:00~ @新橋

   「魚金」(新橋に数店舗ある内の某店舗。魚の旨い店です、リンクは本店)

②ご参加表明は以下にてお願いします。

・この記事にハンドルネームとオフ会に参加する旨のコメントをお書き込み下さい。

・次にお手数ですが、以下のアドレスに、『オフ会参加』のタイトルで同内容のメールをお送り下さい。

※なお、当日のメニュー予約の参考にする為、参加表明のメールを頂戴する際は、お酒を「かなり飲む」、「普通に飲む」、「少しだけ」、「飲めない」という情報も記載頂けると助かります。
ちなみにワタクシは、「かなり飲む」です。あしからず。

  ZUM02164@nifty.ne.jp

予約の関係で、15日(月曜日)を締切目途としておりますので、皆様、是非ともご検討くださいませ。

こんな企画ができるのも、ブログの効能であり、音楽を通じた同好のよしみにございます、是非

   

   

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2009年9月 5日 (土)

バッハ ロ短調ミサ曲 シュナイト・バッハ合唱団/管弦楽団演奏会

Opera_city オペラシティ・コンサートホールにて。

シュナイト・バッハ合唱団の最終コンサート。
指揮はもちろん、ハンス・マルティン・シュナイト師。
曲は、バッハの「ロ短調ミサ曲」。

そして、シュナイトさんのこれが引退コンサートとなる。
チケットは完全ソールドアウト。

Schuneidt_bach 今年、5月の予定が延期され、今日を迎えた演奏会。
その5月といえば、シュナイトさんを2度聴くことができた。
1回目は、コーロヌーヴォへの客演で、「ヨハネ受難曲」。この時はとても元気で、シュナイトさんらしい、心に染み入るバッハを聴くことができた。
そして2回目は、退任した神奈川フィルとの最後の共演、シューマンだった。
体の不調が伝えられるなか、人生でめったに出会うことのできない壮絶なものだった。
そのとき、もしかしたらもうシュナイトさんには、もう日本で会えないかもしれないと感じた。

でも、そんな心配をよそに、現れたシュナイトさんは、とても元気そうで、バッハの大曲の長丁場、終始力のこもった指揮ぶりであった。

長いけれど、引用します。プログラムによると、「音楽活動から引退する時は、バッハに心からの感謝を捧げて、ロ短調ミサ曲を演奏したいと思っている。その時がいつになるかわからない。もし自分の名前を冠した世界で唯一つのシュナイトバッハ合唱団で演奏することが出来たら、それは神が私の心を知って準備して下さったことと思いたい。」と、シュナイト師はいつの日か伸べられたという。
 私が日本でのシュナイトさんを聴きはじめて、まだ日は浅いのだけれど、そんな師の述べられた最後の演奏活動のその日に立ち会うことが出来たということは、私にとっても、それこそ感謝すべきことに思われ、ミサ曲の間中祈るようにして聴き入ったのです。

プロテスタントのバッハが残したミサ曲の最大傑作、「ロ短調ミサ」は、多くの方がそうであるように、私も、カール・リヒターの録音を通じて親しんできた。
それは、かの「リヒターのマタイ」と同じくして、峻厳で妥協を許さない孤独の中に神と真剣に向き合ったかのような演奏で、この曲のイメージをそんな風にしっかりと植えつけてしまうものだった。
あと気にいった演奏は、ヘリヴェッヘの爽快で優しい視線をもった古楽演奏。
そして今や、速いテンポを貫き軽快に演奏するスタイルが主流となった。
それらはそれで、清新だし垢をすっかりそぎ落としてピュアな音色でとてもよい。
でも、そぎ落とされてしまったものの中には、われわれが何十年もずっと親しんできた大事ななにか、そう、「歌」心があるはずなのだ。
 その「歌」を思い起こさせてくれたのは、アバドがベルリンフィル時代に演奏したロ短調で、古楽の奏法を取り入れながらも、美しい歌うバッハだった。(FM放送)

前置きばかりになったけど、シュナイト師のバッハには、師の演奏のたびごとに書いていることだが、祈りと歌がある。
遅いテンポを取りながらも、そこにある歌心がその遅さを極端なものと感じさせず、抑えに抑えたピアニシモでも優しい歌があふれている。
この日のバッハでも、そうした「シュナイト節」が随所に聴かれた。
 そして、歌にある言葉への思い。
ミサ曲だからラテン語の典礼文であるが、その一語一語を自ら歌いつつ、噛みしめるように指揮をしている。
そして、お顔の表情もいつに増してとても豊かだった。
厳しいばかりでなく、にこやかに微笑みながら指揮をされている。
そんな場面では、合唱の方々も同じようににこやかに歓喜の表情で歌っている。
演奏者が指揮者のもとに、完全に一体になってるのが痛いほどによくわかったし、結果として全員でバッハの音楽に奉仕している。
われわれ、聴衆も頭を垂れるようにして、この素晴らしい音楽に聴き入るのみ。

      
      S:平松 英子   Ms:寺谷 千枝子
      T:畑 儀文    Br:戸山 俊樹

   ハンス=マルティン・シュナイト シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団

                           (9.4 @オペラ・シティ)

オーケストラの傷はいくつもあったが、そんなことはもうどうでもよくなった。
極めて贅沢な欲を言わせていただければ、これが神奈川フィルであったなら、と。

印象に残った素晴らしい場面。

 1.ともかくこれまで聴いたことがない、超遅のキリエ・エレイソン。

 2.グロリアの中の素晴らしい独唱曲
   ①ソプラノとメゾの素敵な賛美、平松さんと寺谷さんのシュナイト秘蔵っ子の、
     素晴らしいコンビ。溶け合う声が見事に決まる。
   ②フルートを伴ったソプラノとテノールの二重唱(フルート難しすぎ)
   ③オーボエダモーレのオブリガートソロ付きの伸びやかなメゾの歌
   ④ホルン・ダカッチャ付きのバスの技巧的な歌。戸山さんの美しいバリトン。
    (ホルンがこれまた難しい)

 3.ニケア信経の中の合唱の気分の移り変わり
   ①イエスがマリアから生まれる~神秘的な合唱でオケが同じフレーズを繰り返す
                       背景のオケの美しさといったらなかった。
   ②イエスの架刑~淡々としたオーケストラ、悼むような合唱が静かに終わる。
   ③復活、昇天~前曲とうってかわって、爆発的な喜びに満たされる。
             みんな笑顔。
   ④洗礼への信仰告白~フーガのように合唱がオルガンを中心とした通奏低音の
                  上で歌う。ここでも最後は、極めてボリュームを落とし、
                  密やかな胸の内を歌うかのようなアカペラ風になり、
   ⑤来るべく世を待ち望む~次いでまた、歓喜大爆発となる。
                    喜ばしい金管にティンパニ!

 4.その喜びの感情のまま、聖なる方を称えるサンクトゥス。
   合唱の連続で、このあたりになると疲労も出ようが、シュナイト・バッハ合唱団の
   素晴らしい歌声は輝きを増してきた。

 
 5.サンクトゥス、ホザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイ
   ①いと高きところにホザンナ!~2回繰り返される明るい合唱
                       オケと合唱のバランスを見ながらの指揮
                       指揮棒2本?
                     一本は、繰り返しのホザンナ用に譜面にはさんで。
   ②ベメディクトゥス~バッハ特有の神への思いが、甘味なまでに感じられる名品。
               フルートと通奏低音、テノールソロの素晴らしい世界。

               畑さんのソロは素晴らしすぎて言葉もない!
   ③アニュス・デイ~このミサ曲のなかで、もっとも美しい曲に思う。
              メゾソプラノの痛切の極みといってもいい歌は、聴いていて涙が
              滲んでしょうがなかった。シュナイト師の秘蔵っ子のひとり、寺谷
              さんの深くも、けど情に流されない名唱が胸に沁みる・・・。
   ④ドナ・ノーヴィス・パーチェム~「私たちに平和を与えてください」
               シュナイト師のエンディング・マジックがここで大展開。
               遅い、そしてどこまでもクリアな響き。
              指揮棒を置き、祈るような仕草でバッハの音楽を慈しむように指
               揮するその後ろ姿を、私はしっかりと脳裏に焼き付けようと、そ
               れこそ両手を組み祈るような思いで聴いた。

   
   曲を閉じて、全員ともに、微動だにしない。
   シュナイト師は祈りの姿勢のまま。
   ずっと静寂のまま。
   こんな瞬間を、これまで何度経験できただろう。

   この緊張感にあふれた「間」を、もうシュナイト師でもう味わうことができないのかと
   思ったら、急に切なくなってきた。
       

こうして、15分の休憩をはさんで、演奏時間は2時間30分。
時計はもう、10時!
手持ちのリヒター盤は、2時間1分。
少しも弛緩を感じさせない、充実の極みの150分間。
シュナイト師は楽員たちを大いにねぎらい、合唱団の中に入っていって握手をくみかわしている。
最後だからって、おセンチになったりしない。
明るいお別れは、とても気持ちのよいもので、南ドイツ人らしいシュナイト師ならではでなかろうか。

聴衆の熱い拍手を制し、一言。
おなじみの通訳、大矢さんが舞台袖から慌てて走り出してくる。
「この曲の最後にあるパーチェム、平和、という言葉が一番重要。世界は争いが絶えないけど、日本人の仏教の心が平和を一番実現するのではないか・・・・」というようなことをお話された。篤信家らしいシュナイトさんでした。

シュナイトさんのこれまでの日本での活躍に感謝するとともに、ドイツでいつまでも元気にお過ごしくださるように切に祈ります。
1930年生まれだから、まだまだ若い!

それと切に希望したいこと。
氏の音源の復活。
古い音楽雑誌を見ていたら、監督を務めていたヴッパータール歌劇場で、「ニーベルングの指環」を指揮してるじゃないの。1984年のこと。
そんなシュナイトさんの埋もれた音源も発掘して欲しいものであります。

さて、長大なコンサートのあとは、神奈川フィルでいつもお世話になっているメンバー数人と、居酒屋へGO。
入店の注文が即ラストオーダーという厳しい状況にありながら、しっかり飲みました。
素晴らしい演奏のあとは、ビールも体に沁みます。
お疲れさまでした。

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2009年9月 3日 (木)

ヴェルディ オペラ序曲集 シノーポリ指揮

Jiro2「いまさらジロー 好きだよと 言わないでよねー」

ふっふっふ~。

ラーメン二郎であります。

侵攻予告から早や1日。
果敢にも、朝二郎に挑んだワタクシ。
褒めてやってください。
事務所のベランダから顔を出して開店の様子を探り、行列がまだ5人くらい。
時刻は、9時45分、侵攻開始だ。

ほどなく順番が来て、ドキドキで食券を買い、着席。
おー、みんな大人しく、儀式に参列するかのように、悔い、じゃなくて、食い、そして待つ。
目の前では、親爺さんが一見いいかげんなくらいの感じで、どかどかトッピングをしてる。
そして、出来上がるタイミングで、「にんにくは・・・?」と聞かれる。
すると、みなさん、マシマシとか何とか呪文のような言葉を唱え、自分のラーメンにありつく。わたしは、聖杯の儀式に参列した愚者パルシファルのように、「あ、はい、野菜」しか言えなんだ。
Jiro3
ちなみに食券は、肉入りですわ。
そして出てきたブツのアップがこれ
肉なんて、ちょうどはじっこがあたって、子供のゲンコツくらいあるデカサ!
昨日、宇宙めしを食って、地球人としての自分を確認したワタクシ。
ともかく食い、そしてウーロン茶で喉を潤おし、そして食う。
ひぃ~、うまいけど、多いよう。全然減らないよう。最後はチクショーとばかりに腹に押し込んだのでございます。これで、信者の皆さんに一歩近づいたかしらん。
と、ぐたぐたで店を出ると、名前を呼ぶ方がいらっしゃる。
満腹中枢がマヒしてて、一瞬、誰かしら、と思ったら、なんとまぁ、blogでお世話になっている、minaminaさんじゃ、あーりませんか。
二郎上級者のminaminaさん、今日は会社がお休みで、二郎にいらっしゃったとのこと。
びっくりしたぁ。今月のヲタ会での再会をお約束して別れました。
Jiro4
満腹で、事務所に帰り、「二郎」をパシャリ。
この列にminaminaさん、いらっしゃいまっせ(笑)

ともかく、一日腹いっぱい。
なにも食えん。
参りました。
もうしません・・・、じゃ男がすたるぜ。
またチャレンジしたる。
ふっふっふっふ。

Sinopoli_verdi このところ、イタリアンです。
今日は、ヴェルディの序曲集を聴く。

私にとって、オペラの2大巨頭は、ワーグナーとヴェルディ。
5人あげるならば、そこに、モーツァルト、R・シュトラウス、プッチーニです。
そこにあと、ブリテンも入れたい昨今。

でも、先の二人は、もう中学生くらいからずっと聴いてきたので、私のオペラの原点。

ヴェルディも長い作曲歴を持ち、その作風がいろいろ変化して行ったけれど、イメージとしては血湧き、肉踊るリズムと歌があふれ、そこに祖国愛という強烈な思いが乗っかっているように思う。
後期のものになると、シェイクスピアに題材を求めたりして、人間の心理、本質をも見据えた深みのある作品が生まれることになり、音楽もライトモティーフを扱ったりで、ワーグナーとまさにタメを張るような神のような存在になったヴェルディである。

でもなんといっても、ヴェルディの魅力は歌。
オーケストラだけによる序曲集だけを聴いてると、少し欲求不満になるけれど、本編を味わったうえで、主要な旋律が詰まったその序曲を聴くとまた、格別な楽しみ方ができる。
ワーグナーの序曲・前奏曲は、独立したピースとしても存在しうるが、これらヴェルディの序曲・前奏曲たちは、あくまでオペラあっての存在として聴かれるものかもしれない。
まったくオペラ本編のツマみたいな存在の前奏もあるし。

そんな中で、「ナブッコ」、「シチリア島の夕べの祈り」、「運命の力」の3序曲は、劇的だし、とてもよく書かれていて、アンコールピースとしても盛り上がるし、晴れやかな気分になる作品だ。
「運命の力」は、ムーティが75年にベームとともに日本にやってきた時に、アンコールで演奏した。NHKホールが震撼するほどに鮮やかで、かっこいい演奏だった。

亡き、シノーポリはフィルハーモニアとではなく、ウィーンフィルを使って序曲集を録音した。柔らかな音色が、まさにウィーンフィルのもので、「アイーダ」「トラヴィアータ」の前奏曲などは、ウィーンの弦の美しさが際立っている。
一方、たたみかける迫力と、強弱のメリハリ、際立つアッチェランド、大きく気持ちよく歌うさまなどは、まさにシノーポリらしいところ。
83年の録音で、比較的初期の頃にあたるもの。この頃は極端に激情に走る演奏や分析的にすぎる録音もあるが、ウィーンフィルの音色やオペラハウスのオケとしての個性が有効に作用して、とても雰囲気が豊かな演奏になっていると思う。
以上のほか、「アッティラ」「ルイザ・ミラー」(クラリネットソロ素晴らしい)、「仮面舞踏会」などが収録されている。
ほかでは、カラヤンはシンフォニックにすぎるがべら棒にうまい。
アバドとロンドン響、ベルリンフィルのふたつの録音が私にとっては最高。
あと、シャイーとナショナル・フィルのイキのいい演奏も。

それにしても、54歳での死は早すぎた。

「アバド&ロンドン響」の過去記事

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2009年9月 2日 (水)

ロッシーニ オペラ序曲集 エヴェリーノ・ピド

Jiro 「いまさら、ジロー、罪だよジロー、あたしにとって、昔は昔・・・・♪」

なはははぁ。

この行列はですな、好きな方ならすぐわかる、ジロリアンなる言葉も生まれた「ラーメン二」であります。

私の事務所からちょっと望遠にして見えます(笑)
ここに事務所を構えてもう数年経つけれど、二郎さんには、一度も行ったことがありません。
いつもこの行列だし、作法がありそうでわかんないし、歳とってきたのでキツそうだし・・・。
う~む、しかし、行ってみたいぞ。
ということで、ただ今侵攻計画中でございます。
いつかこちらでご報告が出来たらと存じます(笑)

 

Uchumeshi 二郎はまだお預けだけど、今日は「宇宙めし」を食すのだ。

>宇宙で不足しがちなカルシウムとビタミンDを配合。
パリふにゃ感覚の無重力食感グミ<

おまけに、ロシアのロケットに乗って旅した宇宙乳酸菌入りのすぐれた宇宙食なのだ

にゃはははぁ。

これ、サンクス(サークルK)限定で売ってますよ。
これ食べると、思わずこう言います。「ワレワレハ、チキュウジンデアル

Rossini_pido インパクトある食べ物ネタふたつで、力尽きそうだけど、今晩は軽~く、ロッシーニ行ってみよう。
昨晩の楽しかったイタリア・オペラの世界の延長でもあります。

ロッシーニ(1792~1868)にはいったい何曲のオペラがあるのだろう。
軽いものからシリアスなセリアまで、ほんとに短期間にたくさん書いた人だ。
私がクラシックを聴き始めたことは、ロッシーニといえば、序曲集か「セビリアの理髪師」くらい。
小学校で「ウィリアムテル」序曲は定番だけど、そのオペラでさえ全曲が録音されたのは70年代半ば。LP5枚の超大作に誰しも驚いたもんだ。
それと、序曲集といえば、カラヤン、トスカニーニ、セラフィンぐらいで、いま聴けば、オケがジャカスカ鳴る威勢のいい演奏だ。
そこに新風を吹き込んだのがゼッダを始めとするクリティカルエディションの登場。
それを演奏面で実行したのが、クラウディオ・アバドである。
余分三兄弟はすっかり取り払われ、まるで風呂あがりのようなすっきり・くっきりの明快なロッシーニ演奏が以来主流となった。
歌手たちの歌唱力の進歩、舞台演出の存在感の確立もロッシーニのブームに拍車をかけ、いまや世界中でいろんなロッシーニのオペラが聴かれるようになった。
私も乗り遅れないように、これからもロッシーニを聴こう。

 「セビリアの理髪師」「絹のはしご」「アルジェのイタリア女」
 「ブルスキーノ氏」
 「イタリアのトルコ人」「チェネレントラ」
 「婚約手形」「試金石」


    エヴェリーノ・ピド 指揮 ロイヤル・イルハーモニー管弦楽団

今晩のCDは、消費税込で315円!
例の「ロイヤル・フィルハーモニー・コレクション」の中の1枚。
これが、バカにしちゃいけません。
まったく素晴らしい演奏なんだから。
とにもかくにも、指揮者のエヴェリーノ・ピドの力量ゆえ。
ピドは、一昨年のナタリー・デセイの来日に同行し、東フィルを指揮したが、その時の鮮やかな指揮ぶりは伴奏以上のものだったし、その名前も覚えやすかったので、このCDを発見して即100円玉を数えた。
ピドについては、こちらLINDEN日記にも書かれてます。

アバドのスカラ時代、オーケストラでファゴットを吹いていたという経歴の持ち主。
まさにアバド直伝のロッシーニを鮮やかに聴かせてくれる。
ダイナミック・レンジの幅やクレッシェンドの鮮やかさはアバドには敵わないが、ピドは小気味よく、緩急の付け方が自在で、はじけるリズム感も抜群。
オペラの序曲という存在が相応しい舞台を感じさせる演奏。
ロンドンのオーケストラは、こうした音楽や指揮者への適性は抜群。
録音もいい。

どこかで、ころがっていたら是非拾って欲しいCDであります。

ちなみにこのロイヤルシリーズ、私の手持ちのお勧めは、「ハンドレーの惑星、ワーグナー、ラフマニノフ2番」、「シモノフの1812年、白鳥の湖、春祭」あたり。
まだまだめっけもんがあると思いますよ。

「アバドのロッシーニ序曲集」過去記事

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2009年9月 1日 (火)

日伊声楽コンコルソ入賞者披露記念 イタリア・オペラ 名曲アリア・コンサート

Suntry 今日から9月。忙しかった仕事も昨日の台風とともに納期に納め、さあ、秋の音楽シーズンの始まり、とばかりにコンサートをチェックしてたら見つけたのがこちら

7月の神奈フィル以来のコンサート。ミューザを3回棒に振ってしまっているから、ともかくコンサートに飢えておりました(笑)

ネットて買ったら得チケで4000円が3000円に。
でも席はホールに行かないとわからない。
ロシアンルーレット状態だったけど、サントリーホールだし、2階LCのまずまずの席に満足。

  ロッシーニ  「セビリアの理髪師」序曲
           「チェネレントラ」~「苦しみと涙に生まれ」
             Ms:富岡 明子
  ドニゼッティ 「ランメルモールのルチア」~狂乱の場
              S:金原 聡子
          「ドン・パスクアーレ」序曲
              〃       ~「あわれなエルンスト」
  チレア    「アルルの女」~「ありふれた話」
              T:山本 耕平

  ドニゼッティ 「愛の妙薬」前奏曲
             〃   ~二重唱「素晴らしい妙薬」
                  ~「人知れぬ涙」
                  ~「あなたを自由にしてさしげたのよ」
  プッチーニ  交響的奇想曲
          「ラ・ボエーム」~「ムゼッタのワルツ」
                     「冷たき手を」
              S:森 麻季
              T:望月 哲也

    アンコール
  ヴェルディ  「ラ・トラヴィアータ」~「乾杯の歌」
              全員

       現田 茂夫 指揮 読売日本交響楽団
                         (9・1 @サントリーホール)
  

 

どうです、この素晴らしいプログラミング。
ロッシーニ→ドニゼッティ→チレア→ドニゼッティ→プッチーニ
今年45回目を数える歴史ある日伊コンソルソ。
かつての受賞者には、松本美和子、出口正子、山路芳久、市原多朗、木下美穂子などなどそうそうたる名前が揃っている。
117名のエントリーから勝ち抜いた上位3名が前半に、後半は第一線で活躍中の人気歌手が登場。

こうしたフレッシュなメンバーの歌が聴けるという楽しみもさることながら、私の期待のひとつは現田さんの指揮。歌もの、合わせもの、何よりオペラがいい現田さん。
私の期待は、プッチーニの素敵なオーケストラ作品「交響的奇想曲」。
シャイーやムーティ、シモーネの指揮で大好きになったこの曲がキラキラ系に最高の適性を示す現田さんの指揮で聴けるなんて!
そしてその演奏は、めちゃくちゃキレイだった。
音の厚い読響からこんなにシルキィでしなやかな音を引き出すなんて!
いつまでも浸っていたい演奏であり、音楽でありました。

ボエームやエドガーの旋律が出てくるこの桂曲、たくさんの人に聴いていただきたい。

おいおい、お前は何を聴きにいっているのだ、とお叱りを受けそうConcorso45 だが、本編のアリア大会もとても充実しておりました。

 いきなり、超絶技巧のチェネレントラを易々と歌ったのは富岡さん。
強烈なカサロヴァの声がまだ耳に残っていて最初はあちらを思い出したけど、中間部あたりから富岡さんのアーティキュレーションの完璧な歌にすっかり飲み込まれてしまった。
ロッシーニを得意にしているという彼女、声量も豊かで伸びやかな声は素晴らしいものだった。

次の金原さんのルチアは、繊細かつデリケートな高音を存分に楽しませてくれた。
はかないガラス細工のようで、凛凛とホールに響く声は、思わず息をこらして聴いてしまうもの。フルートソロが指揮者の前に陣取って、ソプラノと素晴らしい重奏を聴かせている。まさにグラスハーモニカを思わせる歌声。
中声部がもう少し聞こえて欲しかったけど、抒情的で素敵なルチアでありました。

さて1位のテノール、山本さん。小柄でありながら、美しくも張りつめた声が輝きをもってホールに響くさまは、テノールを聴く喜びと快感を味わせてくれた。
美声なばかりでなく、声に陰影もあるところがよい。悲劇的なロールが似合いそうだ。

後半は定評ある森麻季さんに、望月さんのコンビの愛の妙薬。
もう何もいうことはありませんね。
ただただ、お二人の軽妙かつスマートで透明感ある歌声に聴きほれるばかり。
麻季さんのムゼッタ、真赤なドレスに衣装替えして、チャーミングで健康的な色気を感じさせる歌だった。来年のトリノオペラの来日公演でも歌うそうだから楽しみ。
それと望月さんのロドルフォ。たぶん声質からして、プッチーニの柄じゃないと思ったけれど、そのあたり現田さんの指揮とともに、すっきりと早めのテンポで歌曲のように仕上げていたのが印象的。

アンコールは予想通り、「乾杯の歌」。
皆さん持ち味がよくわかる。
麻季さんかなり張り切ってノリノリで、現田さんに、「次替わって・・」のしぐさで笑いを誘ってました。
最後に今日の音響。P席やその左右周辺は聴衆を入れず、空席のまま。
だからこんなに声もオケも、よく響くサントリーホールは初めてだった。

めっぽう楽しいコンサートでございました。
皆さんの今後の活躍を期待してます


さてさて、9月以降、年内のワタクシのコンサート・オペラの予定をご披露しちゃいましょう。ご一緒の方、声かけてくださいまし。
今年は自粛しようなんて思いながら少し多すぎか。

9月  イタリア・オペラ名曲コンサート
     シュナイト・バッハ・合唱団「ロ短調ミサ」
     名古屋二期会 ブリテン「真夏の夜の夢」
     神奈川フィル定期 ショスタコーヴィチ
     辻 裕久 英国歌曲

10月 新国 「メリーウィドー」
     びわ湖 ベルク「ルル」
     新国 「オテロ」
     神奈川フィル エルガー&RVW
     プレヴィン&N響 「カプリッチョ」「家庭交響曲」
     プレヴィン&N響 ショスタコーヴィチ
     P・プティボン オペラアリア

11月 P・プティボン リサイタル
     マーラー 「千人の交響曲」 現田・藤沢市民
     尾高&札響 エルガー
     ニ期会 「カプリッチョ」
     新国 「ヴォツェック」

12月 ゲルギエフ&キーロフ ショスタコーヴィチ(マクベス・10番!)
          東響 ヤナーチェク「ブロウチェク氏の月旅行」
     新国 「トスカ」
          神奈川フィル「第9」

   

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