武満 徹 弦楽のためのレクイエム 若杉 弘指揮
「若杉 弘さん、お別れの会」
去る、7月21日、74歳でご逝去された、若杉弘さんのお別れの会に行ってまいりました。
本日、9月7日15時より、新国立劇場中劇場にて。
会場は1200名の方々で埋め尽くされ、故人をしめやかに偲びました。
私のような一般人もたくさんいたけれど、大半はどこかで見かけたようなことのある音楽関係の方々ばかり。
新国の芸術監督代行に就任する尾高さんご夫妻のお姿も。
司会は、私のような世代には懐かしい、NHKの後藤美代子さん。
世話人のお二人、新国運営財団理事長の遠山さんと、畑中良輔さんのご挨拶から始まった。
中でも、畑中さんは、若杉さんの歌の先生で、指揮者への道も示された師でもあり友人でもあったといいます。ピノキオに似てるからピノさんと、親しく呼ばれた畑中さんのお話、淡々としていながら、とても心あたたまるものでした。
お別れの言葉は、文化庁長官 玉井日出夫氏、日本芸術院長 三浦朱門氏、演出家で友人の栗山昌良氏。
喪主挨拶に立たれた若杉羊奈子さん。
伝統あるドレスデンでの経験がとても大きかったこと、「軍人たち」を上演できるのは新国でしかない、そのことに執念を燃やしたこと、そしてそれが実現すれば欧米のオペラハウスに肩を並べられると語っておられたこと、などをお話されました。
昨年5月の「軍人」の上演にその命を縮めるくらいに、精魂傾けたといいます。
私は、このオペラは観ることができなかったが、翌月、若杉さんの最後の指揮となった「ペレアスとメリザンド」に接することができました。
ゆるやかに変化する美しいドビュッシーの音楽が、オーケストラピットから立ち昇るのを今でも、この耳で、そしてその指揮姿をこの目で覚えております。
演劇に、音楽に情熱を傾け、最後まで劇場の人であった若杉さん。
そのお別れの会も、そのときと同じ劇場で行われたのでした。
最後に、新国立劇場のこけら落とし上演「ローエングリン」の第1幕への前奏曲の映像が、氏の写真などを交えながら上映されました。
私は、その清らかな響きに、涙が流れそうになりました。
フォーレのレクイエムの「イン・パラディスム」が流れるなか、出席者により献花が行われ、散会となりました。
奥様との話で、お別れのときには、この曲もいいよね、と話されていた若杉さんだそうです。
若杉さんに、たくさんオペラを教えてもらった、一聴衆として、音楽を愛するものとして、このお別れ会に出席してとてもよかったと思います。
武満 徹の「弦楽のためのレクイエム」は、もう日本の現代音楽の中では古典的な作品。
1957年の作曲だから、もう50余年が経つ。
作者は、レクイエムをメディテーションとしてもよかったと述べているとおり、亡き人を瞑想しつつ思う、というような風情がある。
でも不安な響きもあるし、人間存在の危うさも感じる。
さらに、作者の言葉。
「はじまりも終わりもさだかでない。人間とこの世界をつらぬいている音の河の流れの或る部分を、偶然に取り出したもの・・・・」
若杉さんが、東京都交響楽団を指揮した1991年の録音。
とても美しく、悠久の時間の波にのまれてしまうような気分になる・・・・。
若杉さん、天国のオペラハウス(新天国劇場)で、指揮されることでしょう。
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コメント
こんばんは。
今日は松村の前奏曲を聴かせていただきました。寂しいです。
投稿: Mie | 2009年9月 8日 (火) 22時52分
Mieさま、こんばんは。
若杉さんを偲んで暑いのに、たくさんの方が集まりました。
まだまだ、いろいろ聴かせていただきかった・・・。
松村禎三の前奏曲、若杉さんのCDで出てますね。
次は購入しようと思います。
そして、以前ご紹介いただいた「沈黙」を買いました。
心揺さぶられるオペラでした。
近々、こちらで取り上げる予定です。
投稿: yokochan | 2009年9月10日 (木) 22時48分
yokochanさん
此処にコメントをするのが、好いのか? 解らずまま失礼します。
若杉さんが亡くなられて、10年の歳月が経ちました。
本来、命日の21日にと思っていましたが、日が過ぎてしまいました。
御別れの会は友人が行ってくれていて、その後も多磨霊園の若杉家の墓に行って下さっています。
私は、墓参さえも未だ出来ていませんし、きちんと御別れを言えていません。
亡き羊奈子夫人から、「弘は、小さい紅い薔薇が好きだった」と伺っていたので、
何れは小さい紅い薔薇を持って献花に...行ったら、墓の前で泣くでしょうね...
投稿: さすらう人魚 | 2019年7月27日 (土) 06時18分
さすらう人魚さん、コメントどうもありがとうございます。
もう10年が経ちますか・・・
わたくしも、あのときのショックは大きかったです。
思わず、面識もなかったのに、お別れ会に馳せましたこと、この記事を読み直して、再び哀しい想いにとらわれてます。
日本のオペラにとってなくてはならない若杉さんでしたし、あの時代に、必然的にあらわれたオペラの達人だったと、今さらながらに思います。
「小さい赤い薔薇」、若杉さんらしいですね。
ご命日を失念してしまってましたが、さすらう人魚さまのコメントで、亡き若杉さんを思い起こすことができました。
そして、ワーグナー、シュトラウス、ヴェルディなど、幾多の舞台をなつかしく思い出してもおります。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2019年7月30日 (火) 08時45分