第13回「英国歌曲展」 辻 裕久 テノールリサイタル
今日、午前中は国会図書館で調べもの。
このところの新政権の騒ぎが嘘のような議事堂周辺。民主党本部ビルのあたりの物々しい警備が目立った。
午後は仕事を少し。
夕方は、銀座の王子ホールへ。
英国音楽を愛する者としては、毎回ずっと気になっていた辻さんとなかにしさんの、このシリーズ。
ようやく念願かなって聴くことが出来た。
英国歌曲のスペシャリストの辻 裕久さん。
今日、進行を務められた、ピアノのなかにしあかねさんによれば、japanese english singerと呼ばれ、本国でも評価が高いという。
英国ものや、日本歌曲のCDも出ていてレコ芸でも絶賛されている。
その声は、イギリス系のテノールに特有の繊細で優しさあふれた、リリカルかつ知的な雰囲気のもの。
英語を歌うという、言語のディクションも完璧で素晴らしく、聴く方も音楽の背景や歌詞の内容などを把握しておくことで、辻さんの歌唱の素晴らしさが増すというもの。
今宵は、おそらく日本初演の曲もあり、また一部を除いて初聴きばかりだったので、会場内のほの暗い席で、しかも細かい字なんぞ見えないものだから、対訳を曲の合間に読み込むのに難渋した。
難しいことは承知で、お二人のHPで事前公開していただけるか、チケット購入時にコピーを配布するとかあればよいのかも。
マイケル・ヘッド 歌曲集「月の光の向こうへ」(F・リドウィッジ詩)
デニス・ブラウン 「4つの歌より」(デ・ラ・メア、コンスタブル詩)
ジェラルド・フィンジ 歌曲集「いざ花冠を捧げよう」(シェイクスピア詩)
ベンジャミン・ブリテン 歌曲集「冬の言葉」(T・ハーディ詩)
民謡編曲集より「ある朝早く」
「ディーの陽気な粉挽き」
「あぁ、切ない切ない」
テノール:辻 裕久
ピアノ :なかにし あかね
(9.19@王子ホール)
今回のリサイタルは、20世紀初頭、戦争に赴き散った人、戦争にまつわり悲しみに沈んだ人、戦争を忌避した人。
こうした作曲家を特集したという。
ヘッド(1900~1976)、ブラウン(1888~1915)の二人は、名前すら今回初聴。
いずれも親しみやすく、抒情的でフィンジやアイアランドを思わせる聴きやすい作風。
夢想的なヘッドの第1曲目「アルカディアの船」、ロマンテックでかつエキゾティックなブラウンの「アラビア」が気に入った。
そして、フィンジ。やはりいい。歌だから当たり前だけど、そこになみなみと溢れた抒情きらめく歌があるのがいい。
快活な中にも、哀しみが感じとれるその音楽。
とりわけ第3曲の「シンベリン」に感じ入ってしまった。
フィンジの曲は、後半のブリテンとはまた違った意味で、ピアノが重要で、クリアな辻さんの声にぴったりと寄り添った、なかにしさんのピアノは、時おりハッとさせられることが多かった。
作曲も著作もなす彼女、解説を拝見していて、英国音楽への造詣なみなみならないものを感じた。これまで、なかにしさんの名前をあまり知らなかったことを恥じなくてはならないのだ。HPを拝見すると、辻さんもそうだが、おふたりともに、音楽一家でらっしゃる。
後半のブリテンは、お二人が並々ならぬ意欲を注ぐ「冬の旅」にも通じる歌曲集。
私は、R・ティアーのCDを持っているが、本日、辻さんの歌で聴いて、ティアーの歌は心理的な歌いこみが勝りすぎてちょっと厳しく聴こえてしまうようになった。
辻さんは、さりげなく、そしてブリテンの優しさにを巧まずして歌いあげたように聴かれた。
汽車を模倣する独特のピアノのリズムに乗って歌う「旅する少年」のブリテン特有のミステリアスな不可思議さ。
オペラのひと場面のように曲想が変転する「コワイヤマスターの葬式」。
劇的な「駅舎にて」は、これもオペラの一節のようなテノールの独白。ピアノがつかず離れずにまとわりつく。
そして、終曲「生命の芽生えの前と後」は、最後を飾る明快な旋律線が戻ってくる。
辻さんの心のこもった歌唱。なかにしさんの弾くピアノも感動的だ。
しかし、どこかふっきれない疑問を投げかけるのがブリテン。
アンコールは、親しみやすい民謡編曲集より3曲が歌われ、緊張に満ちた前曲との対比が鮮やかに示され、聴く側にも笑みが広がった。
前半・後半と音楽の志向を変えて楽しませてくれたおふたり。
来年の14回目は、何を歌ってくれるのかな。
とても楽しみ。
朗らかに、いい気分でホールを後に。
季節の風物をいつも飾っているミキモトの前には、コスモス畑が出現しておりましたよ。
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