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2009年10月21日 (水)

ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 ハイティンク指揮

Jiro_20091021 ドッカーン
明日は人間ドックだというのに、これですよ

「いま、あんまり並んでないからさぁ、○○さ~ん、行きましょうよう」と仕事仲間の悪魔のお誘いが・・・・・。

「あたしゃ、7年ぶりの人間ドックなのよ。明日、二郎したでしょ、と指摘されたらどうしよう・・・・」

気が付いたら行列に並んでおった。

これで小。
本日は、盛りがすごかった。
慶応高校生がたくさんいたからかしらね。
苦ぢ~ぃい・・・・。
明日の検査にそなえて、酒も2週間飲まなかった。

でも、二郎食っちゃったから、やけくそだ、音楽も凶暴なヤツ行こうーか

Shostakovich_sym11_haitink_2 ショスタコーヴィチの交響曲シリーズは、10番でずっと止まっておりました。
6月の21日でございますよ。
4か月も放置してしまった。
別に嫌いになった訳じゃないのよ。
夏になったし、ちょっと暑苦しかっただけ。

というわけで、交響曲第11番「1905年」を。

雪解けの直前作10番から4年。
スターリンの死により、その恐怖政治がフルシチョフにより暴かれ、これまでの正が邪となってゆく。
どこぞの政権交代なんぞより、はるかにドラマテックな出来事であったろう。
ショスタコーヴィチも、これまでの体制を脱却した音楽の非スターリン化の声を上げざるをえなくなるわけだが、いつものようにどこに本音があるかわからない。

それでも、新体制が望むような記念碑的な交響曲を書くこととなり、その題材を40年前のツァーリズムによる民衆の大量殺りくの悲劇と、その後の革命に求めることとなった。
結果、10月革命は、次の12番の交響曲に持ち越され、11番では、革命の契機となった1月の「血の日曜日事件」を中心にすえ、その凄惨な様子と死者への哀悼、そして来るべき勝利への輝かしい歩みが、まるで一幅の長大な交響詩となって描かれることとなった。

   第1楽章「王宮広場」
   第2楽章「1月9日」
   第3楽章「永遠の追憶」
   第4楽章「警鐘」

これらは連続していて、緩・急・緩・急が交互に訪れる。
聴いていて、その大音響と息詰まるような大迫力を感じるのは、第2楽章の殺戮の模様だ。
若い牧師に率いられて、時の皇帝ニコラス2世に請願書を持って宮殿にデモ行進をした。
その数は、14万人というからものすごい。
この市民・労働者にむけて、軍は一斉射撃を行い3000人を虐殺。
ロシア革命の契機となった。

この音楽をなんとたとえよう。「春の祭典」も「中国の不思議役人」も真っ青のド迫力。
ド迫力サウンドは、2楽章前半の請願の行進の熱烈、終楽章の民衆の怒りをあらわすオケの大咆哮にも充分聴かれる。
静かな部分も多い作品だから、音量を上げて聴いたりすると、とんでもないことになる。
スピーカーは破け、アンプはお釈迦に、近隣から苦情が、はては家族離散の悲劇が待っている。まさに、血の日曜日となることは必須ゆえ、心して聴かねばならない11番なのだ。
 こんな激しい部分ばかりでなく、1楽章冒頭の悲劇を予見させるかのようなヒンヤリ・クールな朝の雰囲気や、3楽章のまさにレクイエムのような沈痛な葬送行進曲など、ショスタコーヴィチらしさがたっぷり味わえる。

全曲に使われたのは、当時歌われた革命歌で、民衆に親しまれていたものという。
これはまさにお得意のパロディーだし、衛兵のトランペットはまさにマーラーの旋律そのものも聴かれる。
そして、自作の権力や民衆をあらわすライトモティーフもとても有効に使われていて、大音響に惑わされないで聴くほどに、発見や味わいのある緻密な構成ともなっている。

ソ連、ロシア系の演奏家が演奏すると、没頭感がありすぎてプロパガンダ的になってしまいそうだけど、80年代以降、ハイティンクに代表されるような欧米系の演奏は、スコアをしっかり見つめショスタコーヴィチの音楽のみにスポットをあてた演奏が主体となってきたと思う。
この曲を初めて聴いたのは、ハイティンクのこのCD。
やたらに立派で、マーラーやブルックナーを手がけるかのような誠実な姿勢を音楽に対して貫いた演奏。いつものコンセルトヘボウの音だし、録音もホールの響きもきわめて素晴らしい。
この演奏以外も、いくつか聴いたがどうもしっくりこない。

私のショスタコーヴィチ・シリーズは、ハイティンクだらけになってしまった。
フェイヴァリット指揮者、ハイティンクのショスタコは、20年前順次国内発売されたとき、1枚1枚楽しみながら揃えていった。
思えば、ハイティンクのCDで、ショスタコに開眼したのだった。
当時、マーラーを聴きつくし、ポスト・マーラーはショスタコだろうという思いだったし、故若杉さんもそう話しておられた。
インバルも手掛ける前、ソ連系以外がショスタコの非有名曲を録音するなんて、とても珍しいことだったし、ハイティンクとコンセルトヘボウがフィリップス以外のレーベルに登場するなんてことも驚きだった。
またまた昔話で恐縮でありますが、ショスタコーヴィチの西側演奏のパイオニアは、わがハイティンクなのであります。

ショスタコ・シリーズ次は、もうひとつの革命だぁ

その前に、これまた愛しのプレヴィンの5番を聴きに行きます。
それも「革命」と呼ばれている名曲だった。

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コメント

 今晩は。長い間停滞していたショスタコシリーズ、遂に11番登場ですね。私はビシュコフ&ベルリンフィルのCDで初めて聴いたのですが、キツイ感じがして良く分かりませんでした。例のバルシャイ指揮の全集で聴いてやっとその面白さや良さが理解できるようになりました。確かに第2楽章はド迫力に満ちていますね。司馬先生の「坂の上の雲」に血の日曜日の虐殺のシーンが出てきますが、この曲を流しながら読んだら鬼気迫るような体験をすることが出来ました。第4楽章もすごいです。革命歌が引用された冒頭からしてもうゾクゾクします。
 持病の抑うつ症が最近少しずつ良くなってきました。本当に生きていてよかったと思えるようになってきました。両親にも主治医にもyokochan様にも常連の皆さんにも本当に感謝しております。有難うございました。

投稿: 越後のオックス | 2009年10月22日 (木) 01時45分

 ショスタコーヴィチが、どうしてこの事件を取り上げ、(特に発砲シーンを)これだけ具象的に音で描いた理由が、ちょっと判りませんが、聴いているとヒリヒリしてくるのは確かです。どの作曲家でも素晴らしい作品は、機微を感じるものです。芸術作品ですから、楽しんで聴くべきだとは思いますが。
 ショスタコーヴィチが書いた音楽は、(多作中の、ほんの一部だけしか聴いていませんが)好きです。小細工が皆無で線の太い、用意周到に設計された演奏の録音は、まことに魅力を感じます。
 ショスタコーヴィチ・シリーズ。また楽しみにしています。

投稿: ウルスリ | 2009年10月22日 (木) 20時58分

越後のオックスさん、おはようございます。
コメント遅くなりました。
司馬作品は私もかなり読んでますが、「坂の上の雲」はまだ未読なのです。
実家には、亡父が残した多量のハードカバーがあり、その中に初版本でありますので、いずれ挑戦しようと思ってます。
ですが、コメント拝読して、そこだけツマミ読みしたくなってしまいました!

体調が良くなられているとの由、ほんとうに何よりです。音楽や文学は、人生に彩どりを与えてくれるなくてはならないものです。
それを、こうして皆さんで交流しながら味わうのは、私にとっても大いなる喜びなのです。
私こそ、いつも読んでいただき、こうしてコメントも頂戴して感謝しております。
私も、日々悩みは尽きませんが、音楽に力を得て前向きにいきたいと思ってます!

投稿: yokochan | 2009年10月23日 (金) 09時14分

ウルスリさん、おはようございます。
たしかに、ショスタコーヴィチは、次の12番の革命が核心なのに、この悲劇を徹底的に描いたのでしょうね。
リアルすぎて背景を知ると痛ましく思います。
しかし、おっしゃる通り、完璧なる芸術作品です。
あの事象をここまでの作品に仕上げてしまうショスタコに恐ろしいものを感じてしまいます。
 私は交響曲主体にしか聴いておりません。
未開の弦楽四重奏の山がありますので、そちらも切り開く楽しみが今後ございます!
とりあえず、次は12番いきます(笑)

投稿: yokochan | 2009年10月23日 (金) 10時28分

うわぁ、こりゃまた、濃いめのスープの茶褐色と、キャベツの緑が映えた美しい二郎ですね!って、作りは相変わらずめちゃくちゃワイルドだけど(笑)。そんなことよりyokochanさんの血液検査の結果が心配です・・・(?)。

私、実はこの曲でショスタコの交響曲の世界に引き込まれたのです。5番も8番も10番もしっくりこず(今では10番などどっぷりですが)、父ヤルヴィの鮮烈な演奏で開眼。とどめはクリュイタンスのTestament盤。ショスタコの中でも描写的にすぎるとか映画音楽みたいだと酷評が目立つようですが、私にとってショスタコはこの曲を抜きに語ることはできません。

と言いつつ、ハイティンク盤をもっていない私(汗)

意外にも?アシュケちゃんがいい演奏ですよ。これはオケが旧レニングラード・フィルと言うことが大きな要因ですが。このオケはショスタコーヴィチの音が体にしみこんでいますよ。また生で聴きたいなぁ。

投稿: minamina | 2009年10月23日 (金) 22時45分

minaminaさん、こんばんは。
11番は、不思議な存在だと思ってますが、ハイティンクに戻って聞いてみると、これが全然普通の交響曲に聴こえるのです。
ヤルヴィも評判いいですね。
そして、アシュケちゃんですかぁ!
アシュケのショスタコ=アシュタコはいい、という方が、当ブログにいらっしゃる方々の声でも聴かれます。
アシュタコを見直すこととします(廉価盤になったら・・・涙)

二郎パワーは、血圧を上げてしまいました!!!
3度も測られてしましました。
最近少し高めだったのは事実なのですが・・・。
血液検査の結果が出次第、ご報告いたします(笑)
しかし、「濃い目」なんて言うんじゃなかった・・・。

投稿: yokochan | 2009年10月24日 (土) 00時24分

こんばんは。ショスタコの「第11番」は聴いたのが比較的最近。アシュケナージのデッカ・コンプリート「全集」のサンクトペテルブルク・フィルからです。冒頭の薄暗い雰囲気からシャープな金管の迫力へ移る。あのショスタコ特有が物語っている。
過去にアシュケナージがハイティンクとラフマニノフのコンチェルトをコンセルトヘボウで録ったことがありました。だからという訳ではないが、コンセルトヘボウで録ったラフマニノフの「交響曲全集」を持ってます。理由は「交響曲」を一通り聴きたかったからです。(単純・・・)これまでピアニストのイメージで指揮者アシュケナージに抵抗があったが、いざ、ハイティンクのオケを聴いてみると「第2番」は完全全曲版でプレヴィンのEMI盤に引けを取らない。「全集」は輸入盤を入れてもピアニストでラフマニノフ作品を出しているアシュケナージにかなわない。まだ、ショップに置いてあります。
ショスタコに戻りますが、N響やロイヤル・フィルも含まれた「全集」この類はあまり好まなかったが、中古店で購入して、ロシアの大地を揺るがすサウンドを聴かせてくれるアシュケナージを再認識しました。

投稿: eyes_1975 | 2009年10月24日 (土) 21時03分

eyes_1975さん、こんばんは。
minaminaさんもおっしゃってましたが、アシュケナージのショスタコはよさげですね。
私も、彼のラフマニノフを聴きましたが、オケの魅力もあって、とても深みがあってよい演奏に思いました。
 どうも、ピアニストが背伸びして大柄な演奏をしてる、という印象が刻み込まれていて、気の毒なアシュケナージですが、しっかり聴かなくてはならないようです。

思えば、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オセアニアと、世界のオーケストラを指揮してるのはアュケナージぐらいじゃないでしょうか?
最新のものはお値段が高いレーベルなのが困り物です(笑)

投稿: yokochan | 2009年10月24日 (土) 23時13分

ショスタコーヴィチに魅せられるのに30年を要したこの私に8番を骨の髄にまでしびれさせてくれたのが、ハイティンクです。毎日これしか聴かない状態が二か月続きました。明らかに不当な評価を日本で受けてきたハイティンクこそ、ドイツ・オーストリア系もラテン系も見事にやってのける真のマルチ音楽家であると思います。その作品への的確なアプローチを力強く表出していく音楽にたまらない快感を得ます。8番の後、10番、13番と続き、今、11番を初めて聴いているところで、同時にWebを探しているとこのサイトに出会ったというわけです。その内容に感動しました。嬉しさのあまり、コメントしました。これからもよろしくお願いします。

投稿: maruno | 2012年8月17日 (金) 22時31分

marunoさん、こんばんは、そしてコメントどうもありがとうございます。
ハイティンクの芸風に、同様に感銘を受けられてらっしゃる方がいて、とてもうれしいです。
数十年、ハイティンクを聴いてきて、いまも昔も変わらないその真摯な音楽造りにいつも感動しております。
このまっすぐな芸風は、いまの時代、大巨匠と簡単には片付けられない存在になりつつあります。

ハイティンクのショスタコは、かつてのロシア系のものと異なる欧州風のものですが、いまやロシアも等しく世界化しており、どんな演奏にも増して、純音楽的で間違いのない解釈を施していると確信します。

こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: yokochan | 2012年8月18日 (土) 00時28分

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