ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ジョルダン指揮
自宅から見た昨日の夕焼け。
これから空気もますます澄んで冷たくなり、きれいな夕焼けが見られるようになる。
藍色と淡い赤が美しい。
本ブログ2度目のワーグナー全曲制覇。
今回は、ほとんど上演も録音もない初期の3作も含めてのこと。
音楽を聴きはじめてこのかた、そしてワーグナーに魅せられてこのかた、何度同じことを繰り返してきたことだろう。
人生半ばをゆうに過ぎ、不安な日々も続くこともあって、この先、長大なワーグナーの世界を何度味わえるのだろうかと思うと、いま観て聴いてる瞬間がとても愛おしくなる。
それは、今聴く音楽すべてに言えることだけど、ワーグナーだけは特別。
そんなことを思ったのも、切なく美しい「トリスタン」の映像を観たからかもしれない。
2005年のシーズンに、スイス、ジュネーヴ大劇場で上演された「トリスタンとイソルデ」。
演出はフランスの映画監督兼舞台監督、俳優のオリヴィエ・ピー、指揮はこのあと亡くなってしまった、アルミン・ジョルダンというプロダクションのDVD。
DVDの印象に移る前に、今回のシリーズでは、作品のなりたちを。
「ローエングリン」でワーグナーは、歌劇・ロマンティシュオーパーという呼称に別れを告げ、楽劇・ムジークドラマという自ら考え出したスタイルに踏み出すこととなった。
歌手があって、歌があって、音楽がある。
それが歌劇であり、場合によっては曲の進行によって番号が振られていて個別に音楽も調性も分断されている。
楽劇は、歌手も歌も音楽(オーケストラ)も劇もすべて一体化して、音楽は途切れることなく延々と進行してゆく。
聴衆は、いやでも音楽とドラマが一体化した舞台に集中せざるをえなくなり、それらを統括する指揮者や演出家の立場が重要になることは必然である。
加えて、曲が途切れることなく音楽が雄弁になった分、音楽が超大化した。
ドレスデンで安住かと思われたワーグナーは、革命活動に身を投じ逮捕を逃れリストの助けを借りたりして逃亡し、チューリヒに亡命した。留守中に「ローエングリン」がリスト指揮により初演されたわけだが、スイスでは「ニーベルンクの指環」の構想が実を結びつつあり、台本作成に勤しみ完成させ、「ラインの黄金」「ヴァルキューレ」「ジークフリート」2幕まで作曲も完成させた。
通常のハウスでは上演できないことも重々分かってきてたし、ショーペンハウエル哲学を知って意志と表象という世界に影響を受けつつあったワーグナー。
「リング」の作曲をいったん取りやめ、「トリスタン」構想に打ち込むこととなる。
ヴェーゼンドンク夫妻に知り合い、チューリヒに住まわせてもらったものの、妻ミンナに怒られ、ヴェネツィア、ルツェルンと転々として、トリスタンを完成させる。
ローエングリン初演後9年を経た1859年のことだが、贅沢なワーグナーは借財ばかりで金もなく、そのあくどい性格もたたって、なかなか初演してもらう劇場がない。
そこであらわれた救世主が、かのルートヴィヒ2世で、そのおかげをもって、「トリスタン」は1865年にミュンヘンでビューローの指揮で初演されることとなった。
このビューローの妻が、リストの娘コジマで、コジマに生まれた娘にイゾルデの名前をつけたものの、この子の父はワーグナーであったというからムチャクチャなオヤジなのだ。
ワーグナーの作品のなかでも、この「トリスタン」ほど人を引き付けてやまないオペラはない。
その半音階進行の大胆な和声や不協和音的な効果、ライトモティーフの充実した使用とどこまでもやまない無限旋律。
後年の作曲家たちに絶大な影響を与えたのは、この「トリスタン」と「パルシファル」であろうか。
現在のわれわれ聴き手も、「トリスタン」の呪縛に、いまもはまっているのである。
歌手やオケの能力の格段の向上や、舞台機構の進化などにより、いまや「トリスタン」や「リング」はどこでも普通に上演されるようになってきたわけで、至難といわれた日本人だけでの上演も行われるようになり、ますます身近な存在となってきた感がある。
DVDの数もやたらと多く、オペラのなかでも相当な数になってきているはずだ。
いよいよ「トリスタン」の番となって、何を聴こうかと悩んだけれど、NHKBSで、藤村美穂子さんのリサイタルが放送されているのを観てあっさり決定したのが、彼女がブランゲーネで登場しているDVDだった。
トリスタン:クリフトン・フォービス イゾルデ:ジャンネ・ミシェル・シャルボネ
クルヴェナール:アルベルト・ドーメン ブランゲーネ:藤村 美穂子
マルケ王:アルフレート・ライター メロート:フィリップ・ドゥミニ
水夫・牧童:デイヴィッド・ソーデュ 舵取 :ニコラス・カレ
アルミン・ジョルダン指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
ジュネーヴ大劇場合唱団
(2005.2 @ジュネーヴ大劇場)
メタリックブラックのモノトーンが基調の舞台。
静的・動的、いずれも歌手の動きは特徴的で、まるで映画俳優のような細かな動作や表情を要求されていて、歌手たちはこれに見事にこたえている。
印象的な場面はたくさんあったけれど、面白かったところだけをいくつか、あとは是非ご覧になって下さい。
1幕
怒りまくるイゾルデは赤毛のちりちり、ブランゲーネも赤毛で、二人は妹と姉のような関係に見える。投げ捨てた白いドレスをブランゲーネが拾い上げて、なだめながらドレスをまさぐると、横になったイゾルデは恍惚の表情を浮かべて身もだえる。
この演出は、恋人ふたりの動きがエロイが、2幕のマルケ乱入以降それも消えてしまう。
タントリスの歌では、壁に白ペンキで、タントリスとトリスタンの文字を丁寧に書いてくれるし、頭がい骨の髑髏をスーツケースから取り出したりする。
2杯目の杯を飲もうとしていると、船は港に到着し、白百合の束を抱えたマフィアの親分みたいなマルケが待ち受けている。
2幕
黒の寝室で待ち受けるイゾルデ。白いネオン管にコートを掛け暗くするのが逢引の合図。
ベットに横たわって、興奮しながらトリスタンを待つ。
やってきたトリスタンはイゾルデの服を脱がせにかかり、下に着ていたのは、先の白いドレス。
部屋を黒の寝室(夜)から、真白でなにもない部屋(昼)に、そして二重唱では暗闇に光る丸い泉のようなものを見入りながら歌う。
やがてまた部屋を移動。ここは窓の外では炎がオレンジ色に燃え盛っている。
さらに部屋を移動すると、朽ち果てた寝室。ここで二人は死にたい、死にたいと歌う。
(百合の花も枯れ果ててるし)またまた部屋移動は、白い窓が閉鎖された部屋。
さらにまた最初の黒い寝室で、マルケ王御一行様が到着となる。
部屋がせり上がり、上下にスペースができた。
マルケは金持ち風の毛皮のコートで、まさに大ボス。メロートや他の面々は、黒いスーツに黒いシャツとタイ。狩り出し用にシェパード2匹がお供です。
トリスタンは、メロートが懐から出したナイフを自ら押さえ、自分の胸に突き立てる。
このときの舞台上の人物たちが、みな表情が異なっているところが秀逸である。
3幕
あたり一面は水。
そこにベットがあり、血に染まったトリスタンが横たわり、寝具も枕も血だらけ。
少年が地球儀をもって出てくる。トリスタンの自らの幻影なのであろう。
この少年は、何度も水の中からあらわれ、剣、コーンウォールの城、船などを次々に運んでくる。
そして、深い水の中から、白いドレスの女性も何度も現われては消える。
トリスタンの母であろう。死んだ父まで、ぬぉーっと出てくる。
ともかく舞台はすべて水びたし。
血にまみれて死と恋人に焦がれるトリスタンは、迫真的であり不気味でもある。
舞台奥から、水に反射して美しく光る照明を背にイゾルデが到着。
スリリングで、実に美しい場面である。
トリスタンは手を差し伸べるが届かずに、倒れこと切れる。
マルケ軍団がやってきて、トリスタンの亡骸の前に恍惚となるイゾルデをしり目に、奥では激しい乱闘が繰り広げられる。組のものはみな強い。
好人物クルヴェナールはひっそり死に、その間、カメラはマルケの顔を大写しにしたまま。
このあたりからカメラワークに欲求不満が募ってくる。
暗がりの中、ステージが上にせり上がり、大きなスポットが舞台上を照らすが、画面がイゾルデの顔の大写しになったり、モノクローム画像大写しになったり、指揮者の腕から先になったりと、超忙しい。
いったい舞台がどうなっているかわからん。
せっかく、これまで美しい舞台だとおもっていたのに、最後がどうも興ざめなのだ。
映像で見る場合も、ピーは監督として腕を振るったのであろう。
正直、よけいなことと思わざるをえない。
せっかくの詩的なきれいな舞台だったのに。
カメラワークが音楽から乖離して、ぶち壊してしまう典型かと思う。
メトのトリスタンもそうだった。
舞台に映像を多く取り入れたパリのトリスタンも逆の意味で、音楽がお留守になってしまったことがあった。
なかなか難しいものである。
ピーの言わんとしたところは、若い二人の恋人を狭い空間に押し込めて、周りの人物や事象とは別次元の存在にしてしまったところにあるのかも。
唯一、ブランゲーネだけは、その両方に足がかりをもっているような存在。
そして水は、トリスタンの母なる存在か・・・。それとも単なる美しい効果だけの・・・。
歌手は、いま欧米で活躍する一流どころをそろえていて聴きごたえがとてもある。
なんといっても、藤村さんのブランゲーネが素晴らしすぎる。
大声の歌手たちに混じって、繊細さと鋭敏さを兼ね備え、しかも暖かい声は立派に自己主張している。アメリカ人たちよりも、ドイツ語の発声は美しい。
大型アメリカ人の恋人たちは、見た目がデカイが、歌はなかなかに機敏なもので、絶叫とならないシャルボネのイゾルデがなかなかいい。
先輩のポラスキに、お顔も似ていて、ちょっと怖い系だが、イゾルデやエレクトラの第一人者となりつつある。
フォービスは、見た目、ケビン・コスナーを大きくしたような感じで、悲劇的なヒーローの雰囲気を醸し出しているうえ、バリトンがかった暗めの声もよい。
この点ではワーグナー歌手の及第点だが、高域に輝きがあまりに不足で、歌の表情もやや空虚に響く思いがした。でも近頃では出色のトリスタンでもあるのも事実で、期待。
アバドのトリスタンでも歌ったドーメンのクルヴェナールは、こちらも暗めの声質ながら貫禄ありすぎでよい。
マルケ王のライターは、ホッターやヴァルナイに学んだドイツの期待のバスでその深みと若々しい表情はなかなかのもだった。
最後に、故ジョルダン指揮するスイス・ロマンドが描きだした美しいオーケストラのパレットを特筆にしておきたい。
スイス・ロマンドは、ジュネーブ大劇場のピットに入っているからオペラはお手の物。
かつてシュタインが指揮者のとき、FMで数々のオペラが放送され、トリスタンも録音したものだ。フランス語圏にあるゆえ、フランス系のオケとの認識も強いが、ワーグナーの響きを巧まずして出しているし、一方で、2幕の二重唱のブランゲーネの警告の場面。
ここでの精緻な美しさには、ドビュッシーの響きを聴きとることができた。
ジョルダンの的確で明るい響きを求める指揮によるところも大きいと思う。
ちなみに、パトリシア・プティボンが歌う「ルル」もジュネーヴで、演出もピーさんですよ。
以上、長~い記事となってしまったのも、大好きなワーグナーに、一番好きな「トリスタン」ゆえ。
記事数もこれで、14本目。
音源・映像19、エアチェック・録画30以上・・・・。
聴けば聴くほど、ほかの演奏も気になってくる。
バカだねぇ。
・トリスタン過去記事
大植バイロイト2005
アバドとベルリン・フィル
バーンスタインとバイエルン放送響
P・シュナイダー、バイロイト2006
カラヤン、バイロイト1952
カラヤンとベルリン・フィル
ラニクルズとBBC響
バレンボイムとベルリン国立歌劇場公演
レヴァインとメトロポリタン ライブビューイング
パッパーノとコヴェントガーデン
ビシュコフとパリ・オペラ座公演
飯守泰次郎と東京シティフィル
ベームとバイロイト1966
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コメント
お互い「トリスタン」病ですね。僕もこのDVD持ってます。昨晩(10/11)のMETの舞台オン・エアよりはよっぽど面白いと思いますが。CDでは結構素晴らしい演奏に出会えるけれど、映像となると、なかなかはまりません。目下のお気に入りはバレンボイム=スカラ座のですが、これもルネ・パーペが出ていないし・・・。
難しいもんです。
投稿: IANIS | 2009年10月12日 (月) 23時23分
このDVDの記事がありますので、TBします。勝手なことを書いてますが・・
投稿: edc | 2009年10月12日 (月) 23時38分
IANISさん、こんばんは。
バレンボイム3つめの映像はネットで見ただけでして、欲しい一品です。
次から次に、まったく困ったもんです。
映像というメディアがこんなに手近になったことが恨めしく思います。
持ってないと気がすまないのですな、これが・・・
この病に効く媚薬が欲しいところですわ。
投稿: yokochan | 2009年10月13日 (火) 20時05分
euridiceさま、こんばんは。TBありがとうございます。
わたしも、もっと書けばよかった(笑)
やはり、あの1幕のお顔は凄まじいものがありました! 髪が目に入ってるのか、異様なまつげなのか、気になってしょうがありませんでした。
あとは鬱陶しいカメラアングルも、一夜明けて、腹がたってきました(笑)
映像って難しいものですね。
投稿: yokochan | 2009年10月13日 (火) 20時11分
ジョルダンはいい指揮者でしたね。ホルスト・シュタインの後を次いでスイス・ロマンドをさらにレベル・アップさせた力量はもっと評価されてもいいと思います。仏FNACに入れたマーラーの「第3番」を聴いてこの指揮者の物凄さを再認識しました。ところで「トリスタン」が大好物のyokochanさんに朗報ありです。詳細はまたご連絡ということで…(笑)
投稿: EINSATZ | 2009年10月14日 (水) 02時02分
EINSATZさん、こんばんは。ジョルダンは見た目老けてましたが、まだ70半ばでの死は、少し早かったです。
ジョルダンのマーラーは未聴です。3番ならイメージピッタリですね。
ジョルダンのワーグナーは軽いですが、透明で結構好きなのです。
そして、え? 何ですかぁ? トリスタンとあれば、気になりますねえ、眠れませんよ(笑)
投稿: yokochan | 2009年10月14日 (水) 21時06分
今晩は。過去記事に書き込み失礼いたします。
私の場合、トリスタンはベーム以外は考えられないです。故人の指揮者で最も尊敬しているのはレニーとカルロスですし、この二人がトリスタンを録音していることももちろん知っています。どちらもトリスタン演奏史上に残る名盤だと思います。カルロスのは私が中学時代に初めて買ったトリスタンですし。でもトリスタンはベームが別格的存在ですね。ベームのトリスタンは66年のバイロイト盤のもちろん好きですが、73年にフランスのオランジュ音楽祭に出演したときのライブ映像がいちばん好きです。イゾルデはバイロイト盤と同じニルソンですが、トリスタンはヴィッカースです。DVDが出ていますが、音質と画質が荒いのが玉に瑕でしょうか。でもそううした欠点など見ているうちにどうでもよくなってくる偉大な演奏にして映像だと思います。ベーム以外のトリスタンなんか見たくも聴きたくもねーやと思っていましたが、ユーチューブで問題のジョルダン盤の一部を視聴してその演奏と映像の素晴らしさに魅了されました。日本語字幕が付いていないのが語学音痴の私には少し痛いですが、購入することになるかもしれません。ブログ主様が高く評価しておられる映像作品ですし。
先日指揮者バレンボイムを少し、いやかなり見直しました。新しいDVDプレーヤーと液晶テレビを購入して、バレンボイムのヴォツェックを見返したのですが、あれ、なかなかいい演奏じゃないのと思ったのです。今まで私がこの演奏&映像にあまり感銘を受けなかったのは貧弱な再生機で見ていたせいもあるのかもしれません。それと私の鑑賞力の無さ。バレンボイムのトリスタンもバイロイト盤なら購入してもいいかなと思うようになりました。演出が面白いですし。でもヴォツェックの映像作品のベストはやはりアバドですよね。一日千秋の思いでDVD化を待ちわびています。
余談ですが、シュトラウスのインテルメッツォの映像作品はグスタフ・クーンがロンドンフィルを指揮したDVDがあるのですね。でもなんで歌唱が英語なのでしょうね?
投稿: 越後のオックス | 2009年12月15日 (火) 17時56分
越後のオックスさん、こんばんは。
私も基本はベームです。
初オペラレコードだし、一生の宝もの的なトリスタンですね。
このジュネーヴ・トリスタン。
美しいのですが、カメラワークが終盤ひどくてイライラが募りますよ。困ったものなのです。
新システムですか、うらやましい~
わたしなぞ、小部屋で小さなテレビにかじりつくようにして見てるウサギ小屋の主であります。
アバドのヴォツェックは、私も激しく同感でして、手持ちのテレビ放送のビデオが貧弱で泣けてきます・・・。
グライドボーンはときおり、英語でやったりしますね。
ロットが素晴らしいらしいので、気になる1枚ですが、英語がどうも・・・ですね・
投稿: yokochan | 2009年12月15日 (火) 22時41分
今晩は。過去記事に書き込み失礼いたします。
ジョルダン指揮のトリスタンを昨年の12月24日にアマゾンに注文し、たった今パソコンを立ち上げたら、出荷作業完了のメールが来ていました。演奏といい演出といい、どんなトリスタンなのか楽しみです。明日には届くと思います。私にはトリスタンの理想のCDはあるのですが、理想のDVDはありません。ベームのDVDは音が悪すぎますし、バレンボイムはしんねりむっつりしすぎているようなきがします。バレンはフルヴェン信奉者ですが、だからといって今時ここまで重厚長大にワーグナーのオペラをやる必要があるのとどうしても思ってしまいます。嫌いではないのですが…ジョルダンには期待できます。
投稿: 越後のオックス | 2013年1月 9日 (水) 19時25分
今日は。11日にこのDVDがやっと我が家に届きました。二回観ました。私にとって今までトリスタンの理想のDVDは無かったのですが、このジョルダン盤はなかなかいいセンいっていると思いました。演奏はバレンボイムよりずっと私の好みに合ったモダンなものですし、現代か近未来を意識したピーの演出も悪くありません。
ただ、日本語字幕をつけてほしかったですね。英語とドイツ語の字幕が付いていますので登場人物が何を言っているか大体は分かるのですが、語学音痴の私には日本語字幕が欲しかったです。
投稿: 越後のオックス | 2013年1月13日 (日) 11時25分
越後のオックスさん、こんにちは。
ジュネーヴのトリスタン、ご覧になりましたか。
わたしは、演奏は文句なしでしたが、演出はまずまず、幻滅はカメラの鬱陶しい動きの激しさでした。
映像による作品は難しいものですね。
字幕も前にも書きましたが、中国語はあるのに、日本語がないという多くの海外盤に憤りを感じます。
投稿: yokochan | 2013年1月14日 (月) 11時37分