ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 バレンボイム指揮
2度目のワーグナー・シリーズは、ようやく「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にたどりついた。
このところずっと付き合ったベルクの無調の世界から、一転してハ長の明るい調和の世界へ。
耳に心地よく、急に晴れ間が広がったような気がする。
ルートヴィヒ2世が救世主として登場し、これはある意味白鳥の騎士だったわけであるけれど、借金から解放され、トリスタンも無事上演されたのが1865年。
コジマとの愛も育みながら、ついでにビューローの奥さんだったのに、子供までこしらえてしまうイケナイ作曲家であった。
ミュンヘンでは、国王の偏愛とワーグナーの強引ぶりが問題となり、ジュネーヴ、そしてルツェルン近郊に移ったワーグナーは、そこで「マイスタージンガー」を完成させることとなる。
よく知られるように、半音階進行と不協和音すれすれの「トリスタン」の反動として、そしてそれと表裏一体の作品としての「マイスタージンガー」。
こうして、リングの合間に連続して書かれていて、「トリスタン」の世界は、この「マイスタージンガー」にも現われていて、まさに姉妹作といってもいいかもしれない。
騎士ヴァルターと市民の娘は、一目会って恋に陥り、身分を越えて騎士が、しかも聖堂で声を掛けるなんて掟破りであろうし、周囲が見えなくなって駆け落ちさえしようとする。
この熱烈な愛情は、トリスタンとイゾルデの関係にも他ならないし、ハンス・ザックスもマルケ王的な存在である。
事実、3幕では、ザックスは自身をマルケ王に例えていて、トリスタンの旋律やマルケの主題にのって歌うのだから。
明らかに、トリスタンと異なる点は、トリスタンが二人の愛とその死の浄化に焦点が絞られているのに対し、マイスタージンガーはヴァルターとエヴァは全体の一部にすぎず、この楽劇の主役は、ニュルンベルクという街であり、市井の民たち、そして芸術(マイスターたち)なのである。
あの嫌味なベックメッサーでさえ、マイスターの一人であるが、これもよく言われるように、ワーグナーの天敵だった論評家ハンスリックのカリカチュアであって、本来、立派な市役所の書記官という要職にあった知識人であるべきベックメッサーが、滑稽で最後は惨めな役になってしまっているところが常識的には矛盾しているところであるが、これもまた憎っきハンスリックへの感情のなせる技であろうか。
ベックメッサーの扱いは、かつてはト書き通りに喜劇的ないじられ役だったが、ここ数年は、マイスターの一員としての人物として格が上がっており、このウォルフガンク演出でも生真面目なバリトン、アンドレアス・シュミットが好演しており、最後にはザックスにいざなわれて登場して、一緒にマイスターの象徴である幟旗を仰いでいる。
ヘルマン・プライがベックメッサーに挑戦したとき以来、こうした風潮となったのだろうか。
以前観た、バイエルン国立歌劇場の来演(メータ指揮)のラングホフ演出では、敗れたベックメッサーは最後ネオ・ナチ風の連中と手を組んでしまう雰囲気を漂わせていた、いやぁ~な雰囲気のものだった。ドイツの芸術を讃えるザックスはテレビ演説で、ひとり浮いてしまう存在だったし。
本場ミュンヘンでこれですから・・・・。
ドイツといえば、いまバイロイトで行われているワーグナーの曾孫カテリーナの演出は、もっと尖鋭的(らしい)。
ひい爺さんも出てくるし、要は、悪いことで塗り込められた過去をさらしだし、強い自己批判を織り込んだもの。
日本人は、やたらとタブー視してしまう自らの歴史の汚点を、ドイツ人は平気でさらけ出す「みそぎ」の民族性を持ち合わせているのだろうか・・・。
この作品の上演に、ニュルンベルクの町並みは必須と考えている私は古いのだろう。
かつてヴィーラントが、街を一切登場させず、「ニュルンベルクのないマイスタージンガー」と揶揄され、バイロイトにおいては、抽象性よりはもっと具象性のあったウォルフガンク演出が好まれた。
戦後、4度あるウォルフガンク演出は、そのいずれもがちゃんとニュルンベルクの街が描かれていて、美しい背景を持っている。
68年(ベーム)、74年(ヴァルヴィーゾ)、81年(エルダー→シュタイン)、97年(バレンボイム)の4回、いずれもがCDや映像になっていることからも好評がうかがえる。
ついでに、カテリーナのDVDもバイロイトのHPから購入できるし、オーパス・アルテからも発売されるはず。
今回取り上げたバレンボイム指揮による舞台は、いうまでもなく、とてもオーソドックス。
だから安心して観ていられるが、逆にそこには何も起こらないのも事実。
メッセージ発信力と情報過多の多い舞台を見慣れるてくると、不甲斐なく思えるという贅沢な悩みもあるが、片時も画面から目を離せないそうしたものに比べ、よそ見をしても、何かを摘みながらでも大丈夫。
でも、よく見ると背景にいる登場人物たちが、いろんな表情をつけたり動きをしたりしていて、それを観察する面白さもあったりする。
ダーヴィットがマグダレーネと目くばせしたり、親方たちが困った顔をして視線を交わしあったり、ベックメッサーは詩の暗記に余念がなくて合唱には口パクだったりと・・・。
どこまでが演出の細かな指示か不明だけれど、最近の歌手たちは演技力も相当にすごいから、アドリブの可能性もある。
この舞台で美しいのは、2幕の家々の瓦屋根が見える町並みと、舞台に据えられた「ニワトコの花の樹」。そして3幕の豊かな緑である。2000年を迎える当時、地球の環境問題も騒がれだした時分だし、ここでザックスが、環境の危機を歌うのも時流にかなったことであったろう。
そして、いま最後のザックスの「親方たちを蔑んではならぬ」の感動的なモノローグを聴き、そしてその歌詞を読むとき、デフレの閉塞感と殺伐とした環境におかれた、われわれ音楽ファンの気分をも読み込むことができるようだ。
かつでは、ヒトラーがいいように解釈し、使った場面である。
「親方たちを蔑んではなりません。彼らの芸術を尊敬しなさい。・・・・
これほどの賞をもたらす芸術が、どうして価値なきものであろうか・・
この芸術は、艱難の年月の苦しみに耐え、
ドイツ的に、また真実に生き続けてきた。
現代においては、このひっ迫した情勢のようにうまくはいかなったが
ご覧のように高き誉れを維持してきたのです・・・・・・
気をつけなさい!
いろいろのわざわいが、私たちを脅かす。
ドイツ国民も国も崩壊し、外国の力に屈するとき
諸侯はいずれも民意を解せず、外国のつまらぬがらくたを植え付ける。
真にドイツ的なものが、マイスターたちの名誉の中に生きなければ
誰もそれを知らなくなってしまう。
マイスターたちを尊敬してください。
気高き精神を確保できるのです。
あなた方がマイスターたちの働きに愛を捧げれば
神聖ローマ帝国は、靄のなかに消え去り、
聖なるドイツの芸術が
われらの手に残るでしょう。」
ザックス:ローベルト・ホル ポーグナー:マティアス・ヘレ
フォーゲルゲザンク:ベルンハルト・シュナイダー
ナハティガル:ローマン・トレケル
ベックメッサー:アンドレス・シュミット
コートナー:ハンス・ヨアヒム・ケテルセン
ツォルン:トルステン・ケルル アイスリンガー:ペーター・マウス
モーザー:フルムート・パンプフ オルテル:シャンドール・ショーヨム・ナジ
シュヴァルツ:アルフレット・ライター フォルツ:ユルキ・コルホネン
ヴァルター:ペーター・ザイフェルト ダーヴィット:エンドリック・ヴォトリヒ
エヴァ:エミリー・マギー マグダレーネ:ブリギッタ・スヴェンデン
夜警:クワンテュル・ユン
ダニエル・バレンボイム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ
演出:ウォルフガンク・ワーグナー
(1999.6 @バイロイト)
オランダ人以降のワーグナーの全曲録音を成し遂げたバレンボイムのマイスタージンガーは、バイロイトでの録音である。祝祭が始まるまえの録画と録音であるが、バレンボイムのワーグナーの中でも、上位に入る好演に思う。
テンポが前のめりになってしまう箇所もあるが、オーケストラを完璧に掌握し、自在な歌い回しで、時おり、ハッとなるようなフレーズの歌わせ方をする。
そうでない普通の場面も多々あって、その落差が大きいのもバレンボイムらしいところ。
マイスタージンガーでは難しい、バイロイトの音響を見事にとらえた録音も美しい。
ホルのザックスは個性や存在感はやや薄いが、細やかな歌い口と人格者然とした風貌がとても好ましい。
対するシュミットのベックメッサーも、先にあげたとおり、インテリ風でユニーク。
ヘレを代表に、いま旬に活躍中の歌手たちがそろったマイスター軍団も見ごたえあり。
声において、ひときわ輝いているのが、ザイフェルトのヴァルターである。
混じり気のないピュアな声は一直線にどこまでも伸びている感じで、ルネ・コロと並ぶ最高のヴァルターであろう。実演で聴いたときも素晴らしいものだった。
スタミナも十分で、最後の懸賞の歌も疲れ知らず。
そりゃそうだ、あの立派(デカイ)な体格だもの。そしてお顔と髭は、マリオである。
評判の彼のトリスタンが聴いてみたいものだ。
大柄なエヴァちゃんのマギーもいい。彼女は、新国の「影のない女」に出演予定。
それと、いつも新国でがっかりさせてくれるヴォリヒのダービット、ちゃんとしてる以上にイキイキとなりきってますし、小柄だけど立派な声のスヴェンデンといいコンビだ。
いま大活躍の、ユンがチョイ役で出てます。すげぇ立派な夜警です。
手元にある14種類の「マイスタージンガー」たち。
そのどれもが思い入れがあり、捨てがたいものばかり。
実演では、ベルリン(スゥイトナー)、バイエルン(サヴァリッシュ)、バイエルン(メータ)、新国(アントン・レック)の4度。
お金のかかるこの楽劇、日本で当面は上演機会がないでしょうな。
さて、次回はいよいよリング。
CDで行きます。
マイスタージンガーの過去記事
バンベルガー指揮 フランクフルトオペラ抜粋盤
ベーム指揮 バイロイト68年盤
ハイティンク指揮 コヴェントガーデン97年盤
クリュイタンス指揮 バイロイト57年盤
ヴァルヴィーソ指揮 バイロイト74年盤
ベルント・ヴァイクル
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コメント
二度目のチクルス、ご苦労様です。
i-Podの中には、バレちゃんよりサヴァリッシュを入れてます。DVDだと、バレちゃんよりジミちゃんのメトロポリタンがやっぱ圧倒的大所帯でオットー・シェンクの、それこそ何も起きない、けれど安心してみていられるほうがいいですねぇ。ただ、物凄く遅くて、それこそギネス級。メスト=チューリッヒのバッサバッサと切って捨てるような指揮も味気ないし。まぁ、演出の過激さを怖いもの見たさでティーレマン、買おうかなぁ。
投稿: IANIS | 2009年11月29日 (日) 23時31分
IANISさん、毎度、こんばんは。
サヴァリッシュもええですな。
サヴァリッシュのミュンヘンライブが、正規に出ればいいのですが。FDにプライにコロ、シュライヤー、ポップという豪華版です。
メットは確かに大所帯ですね。
そして大男ばかりで、みんなハンバーガーでも食ってそうな雰囲気、しかも西部劇チックなワーグナーで面白い!
チューリヒは暗めの雰囲気ですが、指揮は機敏すぎ。
ティーレマンも私も欲しいひと組です。
あと、安心組ではシュタインでしょうか。
投稿: yokochan | 2009年11月30日 (月) 00時04分
こんにちは!
>耳に心地よく、急に晴れ間が広がったような気がする。
ほんとにそうですね。
1988年バイロイト音楽祭、演出:ウォルフガンク・ワーグナーも仲間に入れてください。
FMの録音、全曲ユーチューブに置きました。
是非どうぞ・・日本語字幕と
私の自己満足写真付きです・・
旧記事をTBしますので、よろしくお願いします。
投稿: edc | 2009年12月 1日 (火) 10時58分
euridiceさん、こんばんは。
TBありがとうございます。
ペーター・ホフマンの歌うヴァルター。
貴重ですよね。
私も、自作のエアチェックテープのCDRを持ってますが、素敵な写真付きのyoutube、こちらの方が臨場感あるし、音がいいです!
URL登録しましたので、折にふれ楽しませていただきますね。
シュタインの映像は、この年に撮ってほしかったです。
投稿: yokochan | 2009年12月 2日 (水) 02時14分
yokochanさん
>音がいいです!
そうですか。よかったです。
そうそう、ネコもたまに顔を出します。
>シュタインの映像は、この年に撮ってほしかったです。
なんですけどね・・
この年の指揮はシュタインじゃないんですね・・
周囲もホフマン本人も何も急ぐことはないと思っていたでしょうね・・どちらかと言えば一生健康に恵まれる人のほうが多いんですから・・
投稿: edc | 2009年12月 2日 (水) 10時47分
euridiceさん、こんばんは。
おや、抜粋で端折りましたから、ねこを逃してしまいました。見つけてみましょう。
そうそう、あの年は、若いショーンヴァント君でしたっけ。
ホフマンには、もっともっと永く燃えて欲しかったです。
タンホイザーやジークフリートも夢じゃなかったのに。
投稿: yokochan | 2009年12月 2日 (水) 21時23分