R・シュトラウス 「カプリッチョ」 月光の音楽~モノローグ
横浜の元町。
通りには、こんなキレイなイルミネーションが施されておりました。
初冬の暮れようとする空の色は、本当に美しい。
厳しい世の中だけれど、我が人生の夕暮れもかくありたい。
土曜日に観劇した、R・シュトラウスの「カプリッチョ」。
観劇記事を仕上げているときも、聴きながら。
眠りについたときも、頭の中で、その素晴らしい音楽が鳴りやまなかった。
今日は、このオペラの一番の聴きどころを、手持ちの音源で聴いてみたい。
キリ・テ・カナワの全曲盤は、シルマーとウィーン・フィルという願ってもない組み合わせ。
キリのクリーミーボイスは、たまらなく魅力で、R・シュトラウスの甘味な音楽に絶大な効果を発揮するものの、ドイツ語の響きがややムーディにすぎる。
釜洞さんの方が、言葉が明瞭。
でも、さすがに気品漂うステキな令嬢マドレーヌで、耳にも心地よい。
シルマーは来年、東京でパルシファルとアラベラを振りますね。
デッカのキリのあとのディーヴァは、ルネ・フレミング。
こちらもバックは、贅沢にもウィーン・フィル。
でも指揮がエッシェンバッハとあって、月光の音楽から、かなりゆったりめ。
そして味付けが濃い目。
それは、フレミングが歌い始めるとさらに濃厚に感じられるが、でもさすがに歌いくちがうまい。
違和感はすぐに薄れ、その巧みな歌と、背景のくまどり豊かなオーケストラに聴き入ることとなる。
録音も実によろしい。
そして、今が旬の北欧のソプラノ、ニナ・シュテンメ。
イゾルデとマルシャリンを歌わせたら、いま一番かもしれない。
余剰な感情移入はなく、音楽のみを何不足なく、完璧に歌いだしてみせた感がある。
力ある声を、抑制しているから余裕も感じられるし、パッパーノの指揮と合わせて、すっきりとした現代的なシュトラウス。
ここに儚さや、ほろ苦さが加われば万全。
いずれまた彼女のマドレーヌは聴くことができるかもしれない。
往年の歌手となってしまった、シュヴァルツコップのマドレーヌ嬢はいかがだろうか。
久しぶりに聴いてみて、その感情表現の巧みさに耳を奪われた。
カラヤンの歌手版のようなキメ細やかな歌いぶり。
シュテンメと比べると、我々の耳も変化しているから、時代の経過を大きく感じさせる。
でも、雰囲気豊かなモノラル録音が雑念を抜きにして、初演されてたった15年後の録音ということを感じさせて感慨深い。
サヴァリッシュの若い指揮に、初演時出演者ホッターのラ・ローシュが味わい深い。ホルンは、デニス・ブレインでありましょうか。
何度も、弊ブログに登場させているこのジャケット。
楽器と羽が絡み合う。
そう音楽と羽ペン=詩、ということでありましょう。
秀逸なジャケットです。
ヤノヴィッツの声の美しさは、後輩のキリを上回るかもしれない。
明晰でクリアー、ほのかな甘みも感じさせる。そして、そのデリケートな表現では、絶妙のマドレーヌであろう。
造形の美を感じさせる点では、ヤノヴィッツが一番かもしれない。
それは彼女の歌う「4つの最後の歌」とも重ね合わせることができる。
ベームとバイエルンに何も言うことはない、完璧。
ヤノヴィッツのあとは、トモワ・シントウが活躍した。
シントウがザルツブルクで歌ったシュタインとの全曲盤は、放送録音の自家製CDRで我慢している。
シントウの声も美しい。でもヤノヴィッツよりもっと声に芯があって強い。
意志をもった真面目な女性を感じるがゆえに、どちらも選べない心の葛藤を歌いだすことに成功していると思う。これも素敵な令嬢マドレーヌさんだ。
クライバーの愛した名マルシャリン、フェリシティ・ロットも、この役を得意としていて、先だってのプレヴィン&N響定期を聴いたばかり。
録画した映像を改めて視聴してみたが、その立ち居振る舞いからして気品あふれるそのお姿。デイムという呼称が、まさに相応しく、「ごめんあそばせ」の雰囲気。
声も凛とした、一本まっすぐな凛々しさがあって、どこにも不明瞭なところがなく、安定感抜群。さりげない中にも表現力を強く秘めているのがわかる。
彼女が、プレートルと共演した全曲盤をオーダー中。
そして最後は、ルチア・ポップであります。
この誰をも魅了してしまう、明るく暖かな歌声は、モーツァルトやシュトラウスの数々の役を、われわれの理想的な姿として、その耳に残してくれている。
彼女の早い死は痛恨事であり、シュトラウス好きにとって、彼女のマルシャリン、アラベラ、令嬢マドレーヌの全曲録音が残されなかったことも、悔やまれてならないことなのだ。
同じことが、ここで指揮をしているシュタインにもいえて、オペラ全曲録音に恵まれなかった。
ポップの令嬢マドレーヌの理想的な歌に、彼女の死により永遠に失われてしまったものを多く感じてしまい、涙が出てしまう。
ここにこそ、まさにひとりの名歌手の人生の美しい夕映えを見出す思いだ。
先だっての、ローウェルスの演出について、あれこれと考え、想像をめぐらせている。
これもまた、オペラ観劇の楽しみなわけだけれど、観るわれわれに、こうして悩みを植え付けるのも彼のまた演出の狙いだったのだろうか。
詩人の書いたソネットに、「たとえ私が50万年生き続けても、素晴らしき人、おまえをおいて他には私を支配するものはない・・・」とあり、作曲家のつけたその曲を、このモノローグの中で歌う。
通常は、つい数時間前のことを思い起こして歌う場面なのだが、今回の演出では、はるか昔に過ぎ去ったこととして、埃を払いながら悔恨に満ちながら歌うというシチュエーションだった。
あの時の、令嬢マドレーヌの嗚咽の涙は、ユダヤ人として排除されてしまった音楽家と詩人へのものでもあり、そして、数十年も待ち続けている自分に対する涙であったのであろうか・・・・。「詩と音楽で細やかに織りなれた愛・・・・、そこにもう織り込まれている自分」
そして、シュトラウスとナチスとの関連についても、思いをめぐらせる今回の演出である。
この関係については微妙なところで、ずっとドイツにとどまり作曲や指揮活動を続けるには、当局との関係を保たないとできないこと、事実、帝国音楽院総裁の職にも一時あった。そして、イスラエルが長く、シュトラウスの音楽をワーグナーと合わせて禁止していたたことも、ついでに、日本帝国皇紀2600年の祝典音楽を我が国に寄せたことも、ちょっと親ナチス的なマイナスイメージともなっていようか。
でも実際は、表面ではそうしながらも、あくまで自己の芸術を第一に優先し、ショスタコーヴィチほどではないが、当局におもねるようでいて、決してそうではなかったのが事実。
「無口な女」の初演ポスターから、台本作家のユダヤ人ツヴァイクの名前が削除されたことに怒り、作り直させた。当局からもヒトラーら幹部の初演臨席取り消しで応じるという悶着もあった。
その後、当局批判の手紙が押収され、シュトラウスは総裁職を辞することとなった。
こんな風に、シュトラウスは音楽家としての気概を持ち続けた、強い意志の持ち主だったのだ。
演出の中では、劇場支配人ラ・ローシュが、実はナチス党員であったが、その立場をかなぐり捨てて、ユダヤの作曲家と詩人を逃がす場面があった。
シュトラウスの姿と重ね合わせることもできる。
こんな風に思いはとどまるところを知らない。
さて、本題の令嬢マドレーヌさん。
私は誰がお気に入り? 誰を選ぶ(笑)
そう、これは簡単。ルチア・ポップさまにございます。
あ、でも美しいヤノヴィッツもいい。それとキリも甘やかいいし、ロットの気品も捨てがたいし、シュヴァルツコップには過去を回顧する悲しみが、シントウも、ステンメも、フレミングも・・・、あらら、どうしよう。
過去記事一覧
「フレミング&シルマー」
「シュヴァルツコップ&サヴァリッシュ」
「R・ポップ&シュタインの最後のモノローグ」
「F・ロット&プレヴィンの最後のモノローグ」
「ヤノヴィッツ&ベーム」
「2009年 二期会公演」
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コメント
やっとロット=プレヴィン=N響の演奏会を観ました。余りに美しい音楽に完全脱力状態。身震いさえしました。あの演奏会を、聴きに行かれた方が羨ましいです。
ロットの「カプリッチョ」もCDで出ていますが、未だ買う気になれないのはシュトラウス愛好者としては駄目だしですね。
ちなみに他のキャストはアレン、フェアミリオン、ゲンツ、フォン・カンネン、プレートル指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
です。 もっとyokochanさんはとうにご存知でしょうが。
投稿: IANIS | 2009年11月23日 (月) 14時41分
前書き込みの後、一念発起、頼んじまいました。あんまりにもフェリシティ姉さまが素敵だったもので(年増趣味とお思いでしょうが・・・)。
ついでに「インテルメッツォ」のDVDも買おうかなぁ(LDは持ってるんですが)。
投稿: IANIS | 2009年11月23日 (月) 17時31分
こんばんは。続けてコメントいたします。ポップのCD以外は私も聴いています。私の中では、最近まではヤノヴィッツが一番でしたが、最近はキリ・テ・カナワがいいかしら、とも。シュテンメは女傑的、シントウは意志の強い感じ、フレミングは溶けちゃいそう、という感じです。ポップ、ロットのCDを聴かねばなりませんね。懐寒いですが、シュトラウス好き、カプリッチョ好きとなれば買わねば並んですね。頑張ります。
投稿: Shushi | 2009年11月23日 (月) 21時32分
IANISさん、まいどこんばんは。
私も昨晩、映像は初めて見ました。
なにぶん巨大なホールでしたので、デイム・ロットのお顔や表情はよくわかりませんでしが、その雰囲気と、凛々しい声はよくとおってましたね。
わたしの方は、予定では今週にCD到着予定です(笑)
プレートルはどうなのでしょうね。
いやはや、オペラ道は金がかかりますなぁ・・・・。
投稿: yokochan | 2009年11月23日 (月) 22時08分
Shushiさん、こちらにもありがとうございます。
書きたりない、聴き足りないで、また記事を起こしてしまいました。
いろいろ聴ける、伯爵令嬢のモノローグ。
月光の音楽とともに、素晴らしい音楽ですね。
ロットのCDを注文中のわたし、ホント、厳しいですが、好きなものは気が治まりませんね(笑)
投稿: yokochan | 2009年11月23日 (月) 23時03分
こんばんは。
いつも勉強させていただいています。
三日間の旅帰ってきました。ヴォツェック、感激しました。タイトルロールの歌い込み深く素晴らしいと思いました。マリーもまずまず。水のぴちゃぴちゃ音が気になりました。ヘンヒェンの音楽もリングと違って締まっているように思いました。カプリッチョ、部分的には辛い物がありましたが、佐々木の最期のモノローグは声・表現とも繊細で素敵でした。今日の藤原は、大変辛い一日でした。最前列真ん中一つ右でしたが、一曲目終わった後、最前列ど真ん中の方が、入ってこられ当方に、ここは連れの席だからどけと言われてしまいました。大変裕福そうな中年の女性でした。泥棒呼ばわりされたようで、不愉快な一日終わってしまいました。休憩時間に主催者に、途中入場は止めていただきたいと抗議はしておきました。結局、ご本人の左どなりに70から80歳のご高齢のいつものごいっとうのかたが占拠したのが、当方へ勘違いで言われたようですが、悲しいです。
投稿: Mie | 2009年11月23日 (月) 23時04分
Mieさま、こんばんは。
楽旅、お疲れ様でした。
「ヴォツェック」、よかったですか!
舞台の水のびちゃびちゃは、とても興味があります。
最終日が楽しみです。
しかし、私の頭には、シュトラウスの素晴らしすぎる音楽がいまだ占拠しております(笑)
佐々木さんの令嬢も聴いてみたかったであります。
そして、藤原歌劇団のガラコンサート、それは嫌な思いをされましたね。
開演前とかであれば、まだいいのですが、開演中の出来事とあればなおさらです!
往々にして、良席の方々はタカビーさんが多いようです。
本当に音楽が好きで、それを良い席で楽しもうとするMieさんや、たまに奮発する私などとは人種が違うようです。
最前列の、お馴染みの御一党さまがたは、毎日コンサートを聴いて、耳や感性が麻痺しないものでしょうか。
家ではCDなど聴かないのでしょうかねぇ(笑)
ともあれ、我がことのように、腹がたつ話ですし、せっかくのトリのコンサートが、つまらないオチがついてしまい、お気の毒です。
投稿: yokochan | 2009年11月24日 (火) 00時10分
これからシルマー指揮WPhキリ・テ・カナワのカプリッチョは、手に入れる予定です。ポップも素敵ですね。こんなに美しい音楽があったとは。ヤノヴィッツの最後の4つの歌やメタモルフォーゼンに聴き入ったり、今年は自分にとってのR.シュトラウスイヤーと化しております。いいお年を。
投稿: Kasshini | 2016年12月28日 (水) 19時32分
Kasshiniさん、ごぶさたしておりました。
そして、年もかわります。
月光の音楽から、最後のモノローグまで。
ほんと、美しさの極みですね。
わたくしも、この年末、いろんなマドレーヌで、何度も聴いて嘆息してました。
来年もよろしくお願いいたします。
投稿: yokochan | 2016年12月31日 (土) 23時56分