R・シュトラウス 「カプリッチョ」 二期会公演
昭和の香り漂う「日生劇場」。
かつてのオペラの殿堂。
右手は帝国ホテル。
定評ある二期会のドイツもの。
ワーグナーとR・シュトラウスの上演は、これまでは若杉さんに委ねられてきたが、これからは、ワーグナーは飯守先生、シュトラウスは沼尻さんということになるのだろうか。
その飯守先生の手兵がピットに入った日生劇場。
シュトラウスの晩年の澄み切った境地にある軽やかで透明感あふれる音楽を、沼尻さんは、うす味だけど、繊細にそして抑えた中にも美しく聴かせてくれた。
複雑極まりない円熟の極致にあったシュトラウスの巧みな筆致。うまく解き明かせてくれたのでは!
響きは少ないけれど、舞台の声がよく通る中規模の日生劇場は正解だった。
演出は昨年のワルキューレと同じローウェルス。
あの1作しか観たことはないけれど、わかりやすく、泣かせるツボを心得た人だが、ちょっと説明的にすぎて、過ぎたるは云々の感を抱いていた。
そして、今回もそうした印象は随所に抱きながらも、しっかりと、そしてまんまと、その術中にはまってしまうこととなった。
R・シュトラウス 「カプリッチョ」
伯爵令嬢マドレーヌ:釜洞 祐子 伯爵 :成田 博之
作曲家フラマン:児玉 和弘 詩人オリヴィエ:友清 崇
劇場支配人ラ・ロッシュ:山下 浩司 女優クレロン:谷口 睦美
イタリア歌手:高橋 知子 イタリア歌手:村上 公太
執事長:小田川 哲也 ムッシュ・トーブ:森田 有生
8人の従僕たち:菅野 敬、園山 正孝、西岡 慎介、宮本 栄一郎
井上 雅人、倉本 晋児、塩入 功司、千葉 裕一
エトワール、振付:伊藤 範子
沼尻 竜典 指揮 東京シティフィルハーモニック管弦楽団
演出:ジョエル・ローウェルス
これからこの舞台をご覧になる方は、以降は読まない方がお楽しみが増すものと思われます。
美しい弦楽6重奏の前奏曲が奏でられるなか、幕が開き、そこは乱雑に散らかった邸宅の一室。
詩人と音楽家、すなわちオリヴイエとフロマンが部屋のあちこちをいじくりまわして、何やら感慨にふけっている。
うち捨てられた婦人の肖像画を見つけたときは泣きそうになってしまう。
よく見ると、彼らの胸には、ユダヤ人の証たる星のバッジがつけられている。
原作は18世紀パリ近郊だか、ナチス占領下の1942年という作曲時期に舞台設定をおいているわけ。
そこへ、人の気配がして、二人は逃げる。
入れ違いにナチスの軍服をまとった男たちが入ってきて、倒れたテーブルを直したり、横たわったシャンデリアを吊したりと、部屋の復元作業を行った。
そのあと舞台が暗くなり、登場人物たちがそれぞれ配置ついて、通常の始まりとなった。
あのきれいな6重奏曲の間中、こんな動きがあったわけだから、音楽はバックグラウンドミュージックになっちゃった。
でも、これがプロローグ的な場面となって、ローウェルスの作り出した演出意図が理解できるわけでもあった。
こんな感じの舞台の様子。
劇場の1階入り口にあるスケール模型の舞台セットです。
この窓の外の田園風景の移り変わりが、極めて美しかった。
前奏曲ではもちろん闇だったけれど、本篇が始まると、外は美しい緑と黄色の秋模様(と思った)。
それが時間の経過とともに、だんだんと昼の眩しさとなり、そして夕焼けのオレンジから赤へと変わってゆく。
月光の音楽の前、みながそれぞれの目的のために去ってゆく場面では薄光で、そのあと闇が訪れた。
そしてシュトラウスが書いた最大絶美の音楽、「月の光の音楽」では、閉ざされてしまった窓の外が徐々に開き、外はブルーに覆われた。
そのあとの、令嬢マドレーヌのモノローグの場面でも印象深い背景のカラーが展開されたが、それは最後に。
各登場人物のキャラクター設定も面白い。
一番目を引いたのは、私が一押しのメゾ、谷口さんの演じたクレロン、存在感たっぷり。
スラっとした長身を生かしたタカラジェンヌ風の押し出しで、パンツ姿。
別キャストの加納さんは、写真で見るとスカート姿。
でも、谷口さんのお姿は、女優クレロンにぴったり。
お酒、とりわけ、ウィスキーに目がないご様子で、ジャックダニエルを生で、皆の目を盗んで何杯も飲んでらっしゃる。
酒飲みだからわかる、あの飲み方。ワインでもシャンパンでもなんでもいい。
給仕から何杯もおかわり。
ボトルを持ち歩くこともありよ!
そんなキャラクターを据えたローウェルスの意図はいかに。
厳しい時代に、酒に逃避し内面は苦しんだ芸術家。彼女も最後は・・・・。
伯爵兄妹は、館の主然とした皮肉もたっぷりの余裕ある存在。
パリの社交界にあって、利権・権力構造の上に自然にある方々。
若い芸術家ふたりは、精力的で、ジャケットにネクタイ、スカーフも巻いた当世風の若者。
それぞれの芸術領域にそれこそ、命をかけている熱中タイプ。
詩人の書いたソネットは、小ぶりのノートに。
作曲家の作った曲は、A4サイズのノートに。
それぞれ、その思いと熱意が詰まっていて、このオペラに重要な素材ふたつの肩代わりをしている。
冒頭のプロローグ的場面でも、片隅からこの分かち難いふたつのセットをふたりの若者は探し出していとおしんでいた・・・・。
芸術家より一世代以上うえの、劇場支配人ラ・ローシュは、現実的でありながらも、新しきことに価値を見出しがちな諸氏の反発をかってしまう旧来の人物。
この人のいい人物を、山下さんは、極めて明瞭に歌いだしていて、このオペラの聴きどころのひとつ、初演者ホッターの名唱も残る大モノローグを敢然と歌ったものだ!
この支配人が、みなから軽んじられ嘲笑を浴びる場面。
執事連中もクスクス笑いはまだよいとしても、前の場で出てきたバレエ少女たちが、前面に出てきて滑稽なバレエを踊った。
これは、ちょっと無駄なことではないかと・・。ただでさえ、シュトラウスの錯綜した音楽に言葉(セリフ)の洪水の中にあって、目まであちこち動かさなくてはならないし、過剰な演出に思われた。
このローウェルス氏、バレエ・ダンスの挿入がお好きと見えてワルキューレでも、ローゲをわざわざ登場させて興をそぐことをしていた。
ただでさえ美しい「月の光の音楽」は、先に舞踏の場面で登場した監督のスカウトしたバレエダンサーが、踊る場面となった。
単体でも聴き涙するあの名品。
できれば、そっとブルーの光の中に、音楽だけを聴かせてほしかった・・・・・。
それと少女の登場も、お父さんの心をくすぐり、彼女らの無垢の演技は父親たる私の涙腺を刺激するが、頻繁にすぎる。
彼女たち、ご褒美にチョコレートケーキを食べてました。
ご丁寧に、行き渡ってないグループに、配る少女もいるくらいに、細かな演出。
このケーキを切り分けたのが老執事。
オペラの最初から登場して、牛歩のように隅から掃除をしていて、舞台から落ちそうになると、伯爵が向きを変えてあげる。
椅子に座って居眠りをしちゃうし、窓ふきもして綿密そのももの。
ケーキを食べ終わった少女たちに、やさしくいざなわれて退出しておりましたよ。
こんな感じの、細かな動きが舞台のあちこちにあって、それも左右で行われるし、方や歌っている登場人物たちもいて、それらが皆ドイツ語を垂れ流すものだから一応字幕も確認しなくてはならない。
この忙しさ、おわかりいただけるでしょうか!
私が過剰といったのは、こうしたことで、昨今のオペラ演出は手が込んできてて、こんな舞台は当たりまえ。
一度や二度じゃ味わいつくせないものもあり。
トーキョー・リングはその最たるものかも。
ちょっと散漫になってしまったが、豊富で細かなアイデアはいたるところにあって枚挙にいとまがない。
でもそれらは、この演出の添え物にすぎないかも。
冒頭の場面は、最後にいたって、重きをなしてくる。
令嬢のオペラを作曲家と詩人で協力して作るようにとのアイデアに、伯爵の今日の反目した鶏と卵のお話をそのまま題材にしたら、というナイスな提案を受けて、一同の気持ちがひとつになる。
そしてクレロンが、パリへ戻ることに。
そこで踏み込んできたのが、ナチスの親衛隊。
彼らは、ダビデの星を付けた、先の老執事を引っ立てている。
ラ・ローシュは、隊長風の男が持ってきた令状を見て投げ捨て、その親玉に早変わりして鉤十字の腕章の付いた上着を着る。
若い芸術家には、冒頭のダビデの星付きの上着をあてがわれる。
クレロンもそうであろう。かれらが、引き渡されるのだ。
令嬢マドレーヌは狂わんばかりに止めようとするが、兄に押さえられる。
原作では、ごきげんよう、がんばってねぇ~、的な軽い別れなのに、ここでは今生の別れが繰り広げられたのだ。
引ったて役を自ら買ってでたラ・ローシュは、フロマンの胸ポケットに書類をねじ込む。
隙を見て、ふたりは部屋を脱出する。
ラ・ローシュは、腕章をかなぐり捨て舞台を去る。その後は押してしるべしであろう。
こうして誰もいなくなった舞台を、ゲシュタポたちが原作の執事たちのこっけいな歌を歌いながら、舞台を冒頭の混沌状態に戻してゆく。
なるほどですな。
最初から気になっていた、プロンクターの箱。
これが実は、十字架のついた棺桶の形をしていて、ここから地下の住人、プロンクター氏が出てくる。
これには、ゲシュタポたちもどうしていいかわからず、そこそこ敬意を払いつつ、退場。
このあとが、先に書いたとおり、美しすぎる「月光の音楽」となり、バレエが始まる。
実は兵士が一人残っていて、このバレエを見ているが、実は彼は、館の舞踏でペアを組んだ相方だったのだ。
久方ぶりの対面に、仲良く踊るが、音楽が終わりに近づくと、別れを惜しみつつも左右に消えてゆく。
戦時に別れ別れとなった恋人たちを象徴しているのだろうか。
さあ、このあとが、シュトラウスの神がかり的にまで達した、軽やかで枯淡の境地の音楽。
令嬢マドレーヌの長大なモノローグが始まる。
そしてあらわれた令嬢は、予想もしなかった老齢の域に達した婦人だった。
杖をつきつつ、懐かしむように、かつて芸術を論じた部屋を眺める姿に、音楽の素晴らしさもあって、私は涙をとどめることができなかった。
そうきたか
傍らから、詩人と音楽家の残したソネットと楽譜を拾い、慈しむように、埃を払いながら、今だに続く心の葛藤を歌う。
かつて詩人が言葉をつけ、作曲家が音楽を付けた歌を歌う彼女。
この歌がこんなに、悲しく心に響くなんて。
この廃墟を見て、さっきまで明るく楽しかった舞台と、そこにいた仲間たちが、急に懐かしくなってしまった。客席の私にも、もう遠い過去に感じられた・・・・。
決めあぐね、悩む姿は、若い二人が姿を消したあの日から続いているのだろうか。
残酷な時の経過に、ついに彼女は、嗚咽にむせび泣いてしまうのだ。
ここで、舞台背景が動きだし、窓の背景が閉じられてゆく。
袖には、例の地下の住人プロンクター氏が、これを見守っている。
装置は片隅に追いやられ、舞台は半分が、まさに劇場の素のままの空間となった。
マドレーヌは、静かに舞台奥へと歩を進めてゆき、背景の色は、ブルーからベージュがかった色となり、彼女の姿だけがシルエットのようになっていった。
最後は、プロンクター氏が、令嬢の置いて行ったソネットと楽譜を拾い上げ去ってゆく・・・・。
こんなに悲しいカプリッチョの結末は、予想だにしていなかった。
でも所詮は劇の中での出来事・・・、最後はそう物語っていたのだろうか。
会場で配られたローウェルス氏のメッセージには、「ナチス政権頂点のもとで作曲したR・シュトラウスの作業は困難を極めたであろうが、ここに人間的メッセージが隠されていたのではないか・・・、熟練のシュトラウスが、私たちに人生の遺産を残そうとしたのではなかったか・・・」とある。
ホフマンスタール以来の、理想の共同作業の相棒となるはずだった、ツヴァイクがこのオペラの素材を選びつつも、台本を完成することなく、ナチスを逃れ亡命し、やがて自決してしまうという出来事は、「わかちがたい関係である言葉と音楽」の片腕を失ったに値する。
でも、自身とK・クラウスの素敵な台本は、その損失を補ってあまりあるものだった。
ナチスを非難して、役職を解任されてしまうシュトラウスの心の中には、まさに音楽と詩しかなかったのであろう。
生真面目で、ごく常識人だったシュトラウスである。
あまり深読みもしなくても、その素晴らしい音楽が、すべてを語っているように思われるが、いかに。
歌手のみなさんのことは、褒めても賞讃しても、しすぎることはないだろう。
ドイツ語乱れ飛ぶ、こんな難しい作品を、完璧に歌い演じるのだから。
中でも釜洞さんのマドレーヌは、ドイツ語のディクションも万全で、CDで聴くキリ・テ・カナワよりも言語明瞭。そして明晰で暖かな歌唱だった。
JADEで活躍中の成田さんの兄もまろやかなバリトンで、よかった。
ファンの谷口さんも、素晴らしくコクのある歌声で、お姿ばからりかお声もよかった。
詩人と音楽家の、友清さんと児玉さん、これから活躍しそうな若手で、舞台映えもいい。
そして山下さんの舞台監督は先にあげたとおり、ブラボーも浴びてました。
コミカルなイタリア歌手ふたり、高橋さんに村上さん、ドイツ語の中にあって異質のイタリア歌唱は、シュトラウスお得意の差配であるが、明るくも異質性を歌い出しておりました。
バレエのお姉様、伊藤さんの軽やかでお美しいことといったら、なかったですね。
日本人オペラはついつい褒めちゃいます。
実際素晴らしかったのだからなおさらに
こうした上演は、是非映像にしてもらって、何度も確認してみたいものだ。
この美しい舞台は、映像にしても鑑賞にたえうるし、世界に発信してもいいくらい。
二期会もそうだけど、藤原、新国、その他日本のオペラ上演は、NHKが必ず映像化すべきだと思うし、互いの団体が相互協力してより充実した舞台のレパートリー化を目指してもらいたいし、東京ばかりでなく、主要な都市での上演も心がけてほしいものだ。
(舞台写真は、CLASSIC NEWS、二期会blogから拝借いたしました)
「カプリッチョ」 過去記事
「フレミング&シルマー」
「シュヴァルツコップ&サヴァリッシュ」
「R・ポップ&シュタインの最後のモノローグ」
「F・ロット&プレヴィンの最後のモノローグ」
「ヤノヴィッツ&ベーム」
なお、来年の二期会、「オテロ」と「ボエーム」のあとは、プラッソンのファウストの劫罰、グシュルバウアーの魔笛などがパンフレットに予告されております。
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コメント
プラッソンもグシュルバウアーも最近は噂を聞かなくなってましたけど、お二人ともご健在だったのですね。
プラッソンさんはyokochan様最愛の指揮者アバドと確か同年生まれですから、まだまだ活躍して欲しいですよね。お二人とも確かレニーの弟子ですよね。プラッソンのファウストの業罰は舞台形式の上演になるのでしょうか?それとも演奏会形式?ベルリオーズは演奏会用オペラと呼んでいたそうですが、カンブルラン指揮のDVDでは、舞台形式で上演してますよね。私はショルティ&シカゴの豪快な演奏が好きです。インバルも悪くないですが、オケが少しパワー不足かもしれません。デンオンの音って私あまり好きではありませんし。インバルのマーラーなんか凄く薄っぺらな音だと思います。インバルの実演はフランクフルトを指揮したワーグナーとマーラーの5番を聴いたことがありますが、実演ではインバルはあんな音は出さないと思いますよ。
投稿: 越後のオックス | 2009年11月22日 (日) 03時30分
越後のオックスさん、こんにちは。
二期会ですから、当然にプラッソンは劇場公演です。
あの曲は、こけおどし的要素より、抒情性が高い曲と思います。私は小沢盤のみですが、Kナガノもよかったと思います。
インバルのマーラーは、デンオンの初期盤だとしっかりした音がしますよ。
実演では実は聞いたことがないのですが、いろんな方のお話では爆演もかなりあるやに伺いました。
投稿: yokochan | 2009年11月22日 (日) 13時35分
「カプリッチョ」、ご覧になられた感想、ありがとうございました。シュトラウス好きとなれば観にいくべきだったのですが、子供の入試(推薦)もからみ、忙殺されておりました。ただ、以前意見を言わせてもらったとおり、日生劇場でのオペラ上演、アコースティックな面からの不安もあってパスすることにしたのも事実です。天井低くて残響が少なそう。シュトラウス・オペラの美味な響きは、それなりに残響がいい劇場で観たいのです。来年5月の「影なし女」、来シーズンの新国立劇場のオープニングが「アラベラ」ですから、引き続きシュトラウスが続きます。慶賀の至りです。
26日、上京して「ヴォツェック」を観ますがその折は宜しくお願いします。
投稿: IANIS | 2009年11月22日 (日) 20時46分
IANISさん、まいどです。
新国もいい上演目白押しですから、お忙しいとはいえ、なかなか上京も大変であります。
ヴォツエックは、大いに楽しみましょう(楽しむというような内容ではないですが・・・)
日生劇場は、前列で見聞きする限り、その響きに問題は感じられませんでした。
去年の、ヤナーチェクは2階の後列でしたので厳しかったのですが。
いつも拝見している方のブログの話では、あの「ばらの騎士」を2011年にやるとのニールントのHPからの情報とありました。
毎期シュトラウスを楽しめそうですが、民主党の事業仕訳け攻撃が心配の種であります(怒)
投稿: yokochan | 2009年11月22日 (日) 21時42分
谷口さんのクレロンは登場の瞬間からまさに「女優」そのものでびっくり、大変な存在感でした。ラ・ローシュもよかった。
演出は細かいところまでこだわりまくりでしたね。舞台に近い席だとなかなか全貌がつかめない。情報量が多すぎて、いろいろ見逃してしまっているような気がしますが、それなりに説得力もあって心を打つラストシーンとなっていたのは何より。
オーケストラはもうちょっと詩的な雰囲気があって欲しかった。響きがドライなホールなので仕方ないところですが。
投稿: 白夜 | 2009年11月23日 (月) 00時22分
おはようございます。
昨日、別キャストを見ました。
やっぱり谷口さんはかっこよかったのですね(いいなあ。加納さんは・・・)。それと、お席が舞台に近そうで羨ましいです。私はケチってB席でかなり見にくいところだったのでそんなに細部まで見えませんでした。演出はまたもややりすぎ踊りすぎの感ありましたけど、最大の目的である望月さんの歌が楽しめたのでよかったです。次はヴォツェック・・・(はあ)。
投稿: naoping | 2009年11月23日 (月) 07時51分
白夜さん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
谷口さんのブログを拝見しておりますが、最初のうちは、想像と異なる役どころに戸惑っておられたようです。
でもさすがはプロです。見事に役に入り込んでおられ、彼女が目立つことしきりでございましたし、歌も素晴らしかった!
微に入り、細に入りの感の演出でしたね。
もう一度確認したい部分が、たくさんあって、その演出意図も考えれば、いろんな可能性が秘められていて、創造する楽しみもあります。
確かに、オーケストラには、ホールの特性はありましたが、求めたいものもありました。
あれが神奈川フィルだったら、というのは贔屓のしずぎでございましょうか(笑)
投稿: yokochan | 2009年11月23日 (月) 10時17分
naopingさん、おはようございます。
別キャストも、最高のシュトラウス歌手、佐々木さんが聴きたかったのですが、私も二つ観るという訳にはいきませんしね。
こちらを選んだのは、ずばり谷口さんです。
いやはや、ものすごい存在感でございましたよ。
飲みすぎで、目が据わってましたし(笑)
声も圧倒的。
いろいろ書いちゃったけど、今になっていろいろと思い起こすと感慨深い演出だと思いました。
私も、今週はヴォツェック、はぁ・・・・。
投稿: yokochan | 2009年11月23日 (月) 10時32分
こんばんは。
私も本日行って参りました、「カプリッチョ」。演出の読み替えには驚きました。記事を拝読しましたが、深い読みをされていて、勉強になりました。クレロンのその後まではちょっと読み切れませんでした。個人的にはとても良い演出だったと思います。おっしゃるとおり、こうしたパフォーマンスをもっと発信した方が良いですよね。
投稿: Shushi | 2009年11月23日 (月) 21時23分
Shushiさん、こんばんは。
本日ですと、私と同じキャストでしたね。
最終日でしたので、きっと充実した上演になったことでしょうね。
この演出は、観終わっても、まだいろんな解釈の可能性がありそうで、今日もまだ、いろいろと考えておりました(笑)
罪な演出でございます・・・。
関西二期会や名古屋二期会とも、共作にして、各地で上演すればいいと思うのですが、いろいろ難しいこともあるのでしょう・・・。
投稿: yokochan | 2009年11月23日 (月) 22時58分
おはようございます、「オペラの夜」です。
「ヴァルキューレ」は全く感心しませんでしたが、
今回は歌手に演枝を付ける手腕の確かさが観て取れ、
悪くなかったです。
ただ、本人は自信を持っているのでしょうが、
美術は自分でやらずに、他人に任せた方が良いのでは?
と思います。あの人の出す舞台セットはありきたりで、
僕としては観ていて、驚きがないんですよ。
投稿: Pilgrim | 2009年12月20日 (日) 07時22分
Pilgrimさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
ちょうど昨日、カプリッチョの最終場が聴きたくなり、自分の記事も確認しながら聴いたところでありました。
今回のローウェルス演出は、あとから思ってもなかなかのものではないかと感じております。
美術も自作ですか。
あれだけ細かい演出を編み出し、その上、美術までとは、ちょっと欲張りですね。
次回ももしかしら成長がうかがえる演出が観劇できるかもしれません。その次回がいつかは不明ですが(笑)
投稿: yokochan | 2009年12月20日 (日) 23時51分