ベルク 「ヴォツェック」 新国立劇場
昨日、うれしかったこと。
午前中、結構仕事が捗ったし、目途もたった。
午後からは初台でオペラ観劇。
同じ日だった、IANISさんと、アフターオペラを有楽町の居酒屋ですごす。
帰りの山手線で、チョコ電こと、山手線100周年電車に乗れてしまったこと。
あっ、そういえば、オペラは
ベルクの「ヴォツェック」
考えたくないのです。
というか、慣れ親しんだ作品でもあり、いつもならスイスイblogが起こせるのに、今回という今回は、筆が進まない。
一日置いて、書いてます。
ただでさえ、救いのないこのオペラなのに、今回の演出は、救いのないどころか、絶望と悲惨、そして言葉を失うほどの無情なまでのリアリティ。
幕が下りても、拍手すらできなかったし、いつもとは違う涙を流した。
その涙は、しょっぱかったし、歳とると肌に滲みるなぁ、なんて思ったりしてた自分。
数日前の「カプリッチョ」がとんでもなく懐かしい。
今回は、最終日の観劇だったので、皆様のblog記事を意識して拝見せずに、劇場に向かった。
バイエルン国立歌劇場との共同制作で、演出はクリーゲンブルク。
バイエルンのHPで、ダイジェスト映像を見てしまっていたが、そこで印象付けられたのは、水とそこに投げ捨てられるナイフ、そしてみょうちくりんな連中・・・。
ヴォツェック:トーマス・ヨハネス・マイヤー
鼓手長:エンドリック・ヴォトリッヒ アンドレス:高野 二郎
大尉:フォルカー・フォーゲル 医者:妻屋 秀和
第一の徒弟職人:大澤 建 第二の徒弟職人:星野 淳
マリー:ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン
マルグレート:山下 牧子
ハルトムート・ヘンヒェン指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
NHK東京児童合唱団
合唱指揮:三澤 洋史
演出:アンドレアス・クリーゲンブルク
(2009.11.26@新国立劇場)
以前の記事から、このオペラのあらすじを抜き出し、今回の演出を対比してみたいと思う。
第1幕
①兵役中の理髪師あがりのヴォツェックは、大尉の髭をそっている。
四角い箱のような主舞台が浮き上がっていて、大尉とヴォツックがやりとりする傍らに、ヴォツェックの息子が壁を背に座って、ぬいぐるみで遊んでいて、大人のやり取りを聴いている風。大尉は、ヴォッツェックに対して暴力的である。
息子は、髭剃りのセットを取り上げてしまう。
それにしても、この大尉の肉襦袢をつけた肥えた醜さは気色悪い。
ヴォツェックと子供、そしてマリーは見た目は普通の人物。
②友人アンドレスと野原を歩くヴォツェック。
アンドレスは、髪が異常に後退していて、しかも背むし状態で、二本の杖をついて歩く。箱舞台の下のステージは、一面水に覆われていて、黒服の男が数人ゆらゆらと立っていて、ときおり、別の男が通りかかると黒服男は倒れてしまう?
威勢いいくらいに、水のぱしゃぱしゃ音が聞かれる・・・・。これは全幕に!
水に当たった光が、さまざまに色を変え全幕を通じ、舞台に反映しているし、時に人の影もゆらゆらと写しだして、これも効果満点である。
赤い炎のような幻影に悩むヴォツェックだが、背後の四角い箱には、赤く照らされたマリーが立っている。
③妻マリーの部屋。軍楽隊の行進が近づいてくる。鼓笛長が色目を使い、近所の女がマリーをあてこする。マリーは混乱しながらも子守唄を歌い、そこへヴォツェックが帰ってくる。
マリーは箱の上に、鼓笛長は、黒服男が背負ったステージに乗っかって登場。
近所の女マルグリートも、先のアンドレスと同様の気味悪さ。マリーの子守歌に、子供はあまり喜んではいない。
ヴォツェックは早めに登場し傍観していて、やがてマリーと手をつなぎ、そこに息子も加わり、ヴォツェックは抱っこする。こんな家庭的な光景をあえて出すのがこの演出。
息子は、壁にPAPAと書く微笑ましさ。ちょっとウルウル来てしまうじゃないか。
④医師の部屋。ヴォツェックは医師から金をもらいながら実験台になっている。
実験台につながれたヴォツェック、傍らには息子。
台の左右には、本物のマウスがちょろちょろ動いている。
医師がまた珍妙で歩き方もヘン。小便をバケツに抜き取られていて、それを医師は舐めて実験結果を確かめている。その赤いホースを息子は拾い、ぬいぐるみをぐるぐる巻きにしてしまった?
ヴォツェックは、こんな姿を息子に見られたくないそぶりだ。
⑤マリーの家。鼓笛長があらわれ、マリーはついに抱かれてしまう・・・。
この情事は、水上ステージで行われる。リアリティは薄く、奥には例の黒服集団がいる。そこに現れる男が、金のようなものを撒くと、激しい水しぶきをあげて取り合いをする・・・。
どうやら、仕事も金もないみじめな集団らしい。
こうしたシーンは何回か演じられて、鬱陶しい。
思えば、ヴォツェックもその中の一人ではあるのだ。
第2幕
①マリーの部屋。鼓笛長にもらった耳飾りを眺めている。そこへヴォツェックが帰ってきて、拾ったとする耳飾りがなんで二つあるのかと問うが、実験アルバイト代を手渡し出てゆく。マリーは自責の念に取りつかれる。
ここはこのままだった印象。
②大尉と医師との会話。
大尉は、マリーの不義をそれとなくさとし、ヴォツェックは走り去ってしまう。
左右から現れる二人。医師は破れ傘をさしている。
四角いステージの下には、例の男たちが、首から「ARBEIT」(仕事くれ)と書かれた札をぶら下げている。
いかにも体が悪そうなぶよぶよの大尉を医師はからかうようにするが、あらわれたヴォツェックが二人の嘲笑の標的となる。
③マリーの家。ヴォツェックがやってきて興奮して飛びかかる。「わたしに触れたら、ナイフで突き刺すわよ」と凄まれるが、この言葉がヴォツェックの脳裏にしっかり刻みこまれてしまう・・・・。
間奏曲でのチェロ独奏は、例の連中がエアチェロ演奏を片隅でしている。
夫婦のぎすぎすしたやり取りは、四角い箱に幕が下りてその前でやりとりされる。
ヴォツェックはあまり興奮せず、マリーの方が興奮し、ナイフの言葉を口走り去る。
壁には、息子が書いた「GELD」(金くれ)の文字が・・・。
④酒場。にぎやかな酒場で、みんな酔い潰れている。マリーと鼓笛長がワルツを踊っている。これを隅から見て興奮を隠せないヴォツェック。
白痴がヴォツェックのそばにきて、「匂う、匂う、血が」と暗示的なことをいい、ヴォツェックは周囲が赤く見えると言って、憑かれた様子に・・・・。
男たちが背負ったミニステージに乗った軍楽隊。
酒場の連中は、みんな薄毛・せむし・焦げ茶服で異様。
チューバに弱音器をつけてやる職人1号(?)が妙に可愛い(笑)
ウィンナワルツに乗って、不倫の二人も踊るが、気持ち悪い連中もうねうねと踊る。
ヴォツェックは、ぬいぐるみの男女を持っていて、それで男女の営みをもじったりしているが、やがて女のぬいぐるみだけを持ち、いつのまにか手は血まみれに・・・・。
⑤兵舎。兵隊たちが寝ているが、ヴォツェックは眠れない。そこへ酔った鼓笛長がやってきて、さかんにヴォツェックをけしかけるので、ヴォツェックは飛びかかるものの、あっけなく組み伏せられてしまう。
静まりかえった兵舎のベットにまんじりともせずに座り続けるヴォツェック。
兵士たちは、マットレスを背中にしょっいながらあの猫背で登場。
集団で、後ろ向きになると、マットの壁ができたりして面白い効果を生んでいる。
そのマットを全員が水のステージにばらばらに重ね置いて、ヴォツェックお仕置きの場ができあがり。そんなに残酷にやられなかったのが救いだが、最後は兵士みんなにやられてしまい、アンドレスだけが止めようとする。
第3幕
①マリーの部屋。ろうそくを灯し、聖書を読み贖罪のマリー。
私の一番好きな場面。音楽も最高に美しく悲しい。あの哀切感ただようホルン・・・。
水が滴り流れ落ちる音が際立って聞こえる。
だが、マリーは祈り、子供に近づこうとするが、彼は逃げてしまい、むしろ嫌悪している風だ。
壁に沿って、線を描きながら回っていて、ついには、「売女」と書いてしまう。
そして、ぬいぐるみを壁にナイフで打ち付ける。。。。
なんとむごたらしい家庭の光景だろうか!
②池のそばの林道。夜、ヴォツェックとマリーが歩いてくる。池の上には月。
赤い月を見て、血のついたナイフというヴォツェック。そしてマリーののど元を。。。
水のステージを二人手をつないであるいていて、例の黒服もうろうろしている。
奥の方には息子の姿もぼんやり見えるが、殺害の場面では消えていた。
月も葦の茂る池もなにもない。
マリーは人形もろとも刺されると、後ろで男たちが用意した担架のようなものに倒れ、運び去られてしまう。
ヴォツェックは、ナイフを水しぶきとともに投げ出す。
③一転、酒場へ。飲んだくれて、近所の女にちょっかいを出すヴォツェック。
女は、右手に血が付いているという。その肘にも。手の血を拭いたとするヴォツェックはしどろもどろに。店の皆が、騒ぎ出す。
前の場の超緊張したフォルテッシモを受けて、急転直下ボロピアノが鳴り出す、ベルクの天才的な音楽なのだが、そのピアノは、水の上を男二人に引っ張られて、ピアニストごとおもむろに登場。この緩さには逆に拍子ぬけ。
④池。マリーの死体、その首の赤い傷を見て、また誰かに首飾りをもらったのか。
ナイフを探しだし、池に投げる。しかし、泳ぐ人や月を獲る人(?)に見つかりはしないかと池の中に入って行き手の血を洗おうとするが、しだいに溺れてしまう。
大尉と医師が、遠くで人の溺れていそうな音を聴き身震いする。
ヴォツェック一人、水のステージの前面でモノローグ。
後ろには黒服。彼らはヴォツェックが捨てても捨ててもナイフを次々に手渡す。
殺害の証拠や、犯罪からは手が切れないということであろうか。
ヴォツェックは、入水せず、用意されたマットレスに悲しく背をむけて横たわってこと切れる・・・・。
大尉と医師の去ったあと、息子が懐中電灯を手に現れ、客席に向けて照らす。
そして、父の亡骸を見下ろし、その上に腰かける・・・・・。
⑤マリーの家の前。木馬で遊ぶマリーの子供を含め、子供たちが戯れるなか、子供の一人がマリーが死んで発見されたことを言いにきて、みんな見に行ってしまう。
ひとり残されたマリーの子供は、少しためらったのち、やはり追いかけていく・・・・。
ここで、このオペラ、最大に泣かせる間奏曲が奏される。
私はここが先のマリーの祈りの場面とともに、最高に好きな場所で、体が痺れるほどの感銘と陶酔感を覚える。
ヘンヒェンは指揮棒を置き、満身の力を込めて指揮。オケも含めて、最大のフォルテを聴かせてくれた。
黒服を着た子供たちが、箱ステージの下にあつまり、両手に何か白いものを持ち水で捏ねている。
四角い箱の中には、少年がひとりぬいぐるみを手に立つ。
子供たちは、ふりかえり、なんと、ヴォツェックの息子にむかって、白い紙団子のようなものを次々に投げつけるではないか・・・。
こりゃひどい、イジメだよ。
そいつらが去ったあと、木馬なんて乗ってやしない少年は、HOPP、HOPPと歌いながらも、その手にはナイフが握られている・・・・幕。
あぁ、こうして思い出しながら書いていて、さらに暗澹としてくる。
ベルクのヴェリスモオペラでもある「ヴォツェック」だけど、こんなに徹底的に悲惨さ一色に塗り込めなくてもいいじゃないか。
どこにも、どこをとっても救いがない。
2時にスタートして、全幕通し上演で、幕が下りたのじゃ3時40分くらい。
マーラーの第3交響曲と同じくらいの長さだけど、その中身の異常なまでの濃さは、マーラーと違って、心を解放させてはくれず、むしろ、どうしようもない不安感とやるせなさに支配されることとなった。
劇場を出て、そこが夜でなくてよかった。
昼から夕方にかけての明るさが、まだそこにはあったから。
この作品にある重要なキーワード=ヴォツェックが口にし、自らその呪縛に取りつかれてしまう言葉。「血、ナイフ、月、夕日、赤、金、貧乏・・・」
これらは、そぎおとされたものもあるし、舞台は暗く色が意識的にもなかった。
家族3人の極貧物語。
それは、極貧がおちいる家庭崩壊ともいうべき悲惨さ。
金をもらうために権力に屈し体も精神も病んでしまう父親。
貧乏に不満を持ち、認知されない子供は懐かず、その反動で愛人関係を築く母親。
それをすべて見て知ってしまった子供。母殺しの父が好きだった息子は、まわりから揶揄され、そして・・・・・。何もこんなにリアルに書かなくていいのにわたし。
決して物語とも思えない世界を見せつけられてしまった。
この演出を私は評価不能であります。
某仕訳人たちに、こうしたオペラを見せつけてやりたいものだし、この素晴らしい音楽を耳の穴かっぽじってよく聴いてもらいたい。
タイトルロールのマイヤーは、性格バリトンじゃなくて、普通の美声のイケメン・バリトンで、われわれが抱く病んだイメージはまったくなかったのも演出意図であろう。
マリーのシュタイネンは声がやや詰まりぎみだったが、美人だし演技派で見栄えよし。
一番はまっていたのは、妻屋さんの医師で、歌もうまいが変質的な役柄に完璧になりきって見事。マルグリートの山下さんも、あんな変な頭をさせられていながら立派な歌唱。
大尉のフォーゲルは普通に歌う分にはいいが、ファルセットや咳込んだりするアクロバット歌唱の部分はイマイチ。
ヴォトリヒの鼓笛長、いつもながら聞こえません。バイロイトの放送ではちゃんとしてるのに。
ヘンヒェンの指揮については手慣れた以上に、緊張感漂う見事なもので、この人はオペラの人なのだなと実感。
それにしても、亡き若杉さんの指揮で、これを聴きたかった。
でも、この演出だと若杉さんの繊細緻密な演奏とミスマッチか・・・。
前にも記したことで恐縮だが、若杉さんの指揮する二期会「ヴォツェック」を85年に観劇した。当時は日本語上演であった。
葦の茂る池に、日が沈んで、あたりが赤く染まってゆく中、ヴォツェックが池の奥に沈んでゆき見えなくなった。誰もいない中に静かに奏される、あの美しい間奏曲。
体が震えるほどの感動と甘味な感情を味わった舞台に、若杉さんの素晴らしい指揮であった。
こんな場面は、昨今の演出では味わえなくなってしまったのだろうか。
ドイツの劇場の演出は洒落じゃないけど、過激。今回上演はまだマシな方かも。
最近では、スペインのリセウもそう。
ドイツ、スペインときて、かつての枢軸国イタリアはさほどでもなく、イギリス、フランスもそう。アメリカは保守的。
日本は、どちらかといえば保守的で、ようやくオペラが根強いてきたような段階。
でも以外と、受動的な我々日本人だから、過激演出もすんなり受け入れてしまうのも事実。
新国の予算削減とでもなれば、内外の劇場との共同作業も増えるであろう。
メットは高そうだから、ドイツ系の演出の流入が増えるかもしれない。
大いに、刺激を与えて欲しいものだ。
ナイフを握った少年に、虚ろなエンディングの長調の音楽。
さながらオペラそのものの、レクイエムのように響いた。
私は悲しいよ。
「バイエルン国立歌劇場」のヴォツェック映像
「ヴォツェック」過去記事
「ドホナーニ&ウィーンフィル、ヴェヒター」
「ベーム&ベルリン・ドイツ・オペラ、フィッシャー・ディースカウ」
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コメント
お付き合いいただきましてありがとうございました。
帰りの新幹線車中、酔いが回っているはずなのに、頭が変に冴え、それでいて淀んでいました。感想を原稿用紙で6枚くらいになっていたのですが、今日読み返してみたら、暗澹たる形容詞の連続でした。「ヴォツェック」に比べればツィンマーマンの「軍人たち」やショスタコの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」のほうがまだ何かしらの演劇的な解決があります。
ほんと、絶望的な上演でした。
投稿: IANIS | 2009年11月28日 (土) 00時58分
IANISさん、昨日はどうもお世話になりました。
ようやく記事を仕立てましたが、舞台の様子をなぞっただけで、当方の気分はあまり表現できなかったように思います。
今日は、CDで2度確認しながら聞きました。
音楽は誠に素晴らしいのですがね。
まさに、「絶望的」と呼べる舞台。
何度も見たくありません。
投稿: yokochan | 2009年11月28日 (土) 01時16分
yokochanさまの記事アップをお待ちしていました。
実は僕はヴォツェックに触れるのは若杉さんの公演以来実に24年振りということで、
予習のためにyokochanさんの過去記事をプリントアウトさせて頂き、
このオペラの魅力的なポイントを押さえておきました。
でも、期待していた感動するはずの場面は、感動よりも
リアリティとか人間のおぞましいほどのしたたかさのようなものが浮き彫りにされた気がしました。
そんな現実的な人間の強さに逆に心を動かされもしましたが、
あの「水」と「黒子」が何を語ろうとしていたのかがわからず…
yokochanさんの記事でその意味の一端が見えた気がしました。
投稿: pockn | 2009年11月28日 (土) 15時47分
pocknさん、こんばんは。
最終日に行ってまいりました。
pocknさんをはじめ、多くの方が素晴らしい記事をたくさん書かれておりますので、いまさら多くを語るのもなんだと思いましたが、自分の鑑賞記録ですので、やたらと書いてしまい恥ずかしい限りです。
85年の二期会はご一緒だったのですね。
私もあの公演には、大いに感銘をうけ、あの夕日は刷り込み状態ですし、そこで鳴った音楽も忘れえないものとなりました。
あの頃の日本のオペラ上演と、昨今を比べると、まさに隔世の感がありますね。
一方で、今回のような強烈な舞台を見ちゃうと、昔が懐かしく思い起こされるのも事実です(笑)
古い人間なのでしょうか。
あの水も黒子も、実は私もよくわかりません(笑)
これから封印していた皆様の記事を拝見してみようと思います。
オペラは、観終わって、あれこれと考えるのも楽しいものですよね。
でも、今回は空しすぎます。。。。
投稿: yokochan | 2009年11月29日 (日) 00時22分
毎度どうもです。
うわあ、私の感想とほぼ同じですね(読ませていただきながら「そうそう!それなのよ!」って言ってました)。ただ、私は忘れないうちにすぐ感想書きましたけど。
私は観てから一週間も経ってしまったんで、演出の細かいところの半分くらい頭の中から消えてました。人間って(命を守るため?)いやなことはすぐ忘れるようにできてるっていうし・・・でもその「いやなこと」がこの世で一番好きなオペラ観賞で起こってしまってるっていうのがもうびっくりです。アレで心から楽しめた人、本当に羨ましいです。
投稿: naoping | 2009年11月29日 (日) 08時13分
naopingさん、毎度こんにちは。
そうなんです、私も拝見して、ほぼ我が意を得たりです。
ご注意いただいたとおり、ネット記事を一切読まずに最終日にいどみ、記事を起こしました。
カプリッチョとヴォツェックを1週間内に体験し、私の方は、そのどちらの場面を鮮明に覚えております。
ヘンヒェンの熱演に、今回、新国って音がいいなぁ、と痛感しました。
辛かったですが、それなりに楽しんだつもりです。
1階席でしたが、周りのお金持ち風のおじさま、おばさま方はずっと安らかにお休みになっておりました(笑)
naopingさんの気持ち、よくわかりますよ。
最愛のオペラに嫌な思いでが結びついてしまうのって。
投稿: yokochan | 2009年11月29日 (日) 17時27分
こんばんは。
正直私はこのオペラを聴いたことがないのですが、本文に一通り目を通し、ネットでも調べているうち、血生臭いとでもいうか凄惨とでもいうか・・・うーん、何というか、凄く生々しい感じの作品に聞こえてきました。
もしこれが夜、それも平日の夜に上演されたのならば、終演後しばらくして「京王線とJR中央線で人身事故発生」なんてことにもなりかねないような───いや、決してこんな状況を期待しているわけではないのですが、それだけ深刻な内容のように思えたのです。
何だかこの作品を聴くのがちょっと怖くなりました・・・スミマセン。
P.S.
全然話が変わりますが、山手線100周年記念電車(チョコ電)に乗られたそうですね。ラッキーですよ。
『チョコレート色の山手線!? - 命名100周年の復刻塗装車両が登場、JR東日本』《『マイコミジャーナル』より》
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/09/08/002/
既にご存じのことならば私の認識不足で申し訳ないのですが、12月4日までの期間限定(予定)で、山手線電車の中の1編成だけが昭和30年代に走っていたとされる旧型国電をイメージした「ぶどう色2号」(ちまたでは「チョコレート色」ともいわれますが…)にペインティング(というかラッピング)されて運行する、となっています。
尤もその期間中に私自身上京する機会がないのがちょっと悔しいところですが・・・
投稿: 南八尾電車区 | 2009年12月 1日 (火) 02時21分
南八尾電車区さん、こんばんは。
ヴォツェックに関して、凄惨なばかりに印象が植え付けられてしまったかもしれませんね。
オペラって、刺したり刺されたりして、死が横溢しておりますが、ヴォツェックも本来それらの中の単なるひとつであったと認識しておりました。
ところが、今回の演出では、現代社会の闇の部分をいやというほどに浮き彫りにしてしまったのです。
わたしの記事をさっぱり忘れて、虚心にベルクの音楽をお聴きになられることをお勧めいたします(笑)
茶色い山手線に遭遇したのは、これで2回目。
毎日乗ってますが、こんなものですのでレアでしょうね。
ご案内ありがとうございます。
来歴がよくわかります。
これで終わってしまうのがもったいないですね。
次の記事に、写真を載せてみました(笑)
投稿: yokochan | 2009年12月 2日 (水) 02時01分
こんにちは、「オペラの夜」です。
yokochanさんの感想とは異なり、
僕はあの上演からカタルシスを感じました。
辛い演出ではありますけどね…。
投稿: Pilgrim | 2009年12月29日 (火) 11時24分
Pilgrimさん、こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。
いやぁ、思い出してしまいました。
あのビシャビシャの舞台。
辛い演出も、きっと何度か接すればそこに何か感じ、思うことができるようになると思います。
再演はだいぶ先でしょうが・・・。
投稿: yokochan | 2009年12月30日 (水) 00時02分