バッハ 「クリスマス・オラトリオ」 フレーミヒ指揮
東京フォーラムで行われていた、スタラスブールの「マルシュ・ド・ノエル」。
本場のクリスマス・マルシェとしては、フランス国外初開催だそうな。
けど、ちょっとイマイチ。
規模がセコすぎるし、価格設定が高すぎだし、フード類はすぐに売り切れ・・・・。
ストラスブールといえば、アルザス地方。
シャルル・ミュンシュが生まれた場所だし、ストラスブール・フィルハーモニーなんかも有名。
ロンバールやグシュルバウアーが指揮してました。
ライン川の対岸はすぐにドイツ。
そこには、若杉さんが総監督を務めたライン・ドイツ・オペラがある。
フランスとドイツの最も近い関係。 バッハの「クリスマス・オラトリオ」。
人類の名作とも呼ぶべきふたつの受難曲や、ロ短調ミサと並ぶ4大宗教曲であるけれど、このオラトリオは深刻な他の大作と異なり、イエス誕生の前後の喜ばしい輝きに満ちた幸福な大作であります。
大作オラトリオとはいえ、実際は6つのカンタータの集積であり、全部一気に聴く必然性もないのである。
①降誕節第1祝日 24日
②降誕節第2祝日 25日
③降誕節第3祝日 26日
④新年 1日
⑤新年最初の祝日 (2日)
⑥主顕節 6日
主顕節というのは、イエスが初めて公に姿を現わされた日のことで、東方からの3博士が星に導かれて生後12日目のイエスを訪ねた日をいう。
1734年、バッハ壮年期に完成し、その年のクリスマスに暦どおりに1曲ずつ演奏し、翌新年にもまたがって演奏されている。
バッハの常として、この作品はそれまでの自作のカンタータなどからの転用で出来上がっているが、旋律は同じでも、当然に歌詞が違うから、その雰囲気に合わせて歌手や楽器の取り合わせなども全く変えていて、それらがまた元の作品と全然違う雰囲気に仕上がっているものだから、バッハの感性の豊かさに驚いてしまう。
バッハのカンタータは総じて、パロディとよく云われるが、それは自作のいい意味での使い回し、兼、最良のあるべき姿を求めての作曲家自身の信仰と音楽の融合の証し。
なんといってもこの「オラトリオ」の第1曲を飾る爆発的ともいえる歓喜の合唱。
これすらも、カンタータ214番からの引用だが、調性が違っているし、当然のことながら歌詞もまったく違う。
こんな風に分析するとするならば、この6つのカンタータの集積だけでも、カンタータの全貌を理解しつつ聴かねばならいからたいへんなこと。
私はこれから、ワーグナーの作品に対するのと同じように、バッハのカンタータ群に接していこうとと思っている。
大それたことだけど、すべてのカンタータ、それにまつわってバッハのあらゆる作品が大胆かつ微細なまでに、とりこまれている様子がだんだんとわかるにつれ、そのすべてを聴いてみたくなっている今日この頃。
このクリスマス・カンタータにおいても、超有名な、マタイのコラール(それすらも古くからのドイツ古謡の引用であるが)が出てきたりするだけで、極めて親しみが増す。
クリスマス音楽のお決まりとしての「田園曲」=「パストラーレ」は、第2夜のカンタータの冒頭におかれたシンフォニアである。
この曲だけでも単独で聴かれる、まさにパストラルな心優しい癒しの音楽である。
単独の演奏では、あまりにも意外な演奏だけれども、フィードラーとボストン・ポップスが好きだったりするくらいで、独立性のある名品であります。
それと、この曲集で印象的な場面は、ソロと合唱、ないしはエコーとしての合唱のやりとりの面白さと遠近感の巧みさ。
その場面においては、私のこの曲のすりこみ演奏であるリヒター盤の、ヤノヴィッツの歌が完璧に耳にあって、他のソプラノではどうしようもなくなっている。
リヒターの刷り込み演奏は、ひとえに第1曲が収められた、アルヒーフのリヒター・サンプラーというレコードゆえでして、そこには、マタイや独語メサイア、ハイドン、トッカータとフーガ、イタリア協奏曲など、マルチ演奏家としてのリヒターが浮き彫りにされた1枚であった。
当然に、布張りのカートンに収められた、「リヒターのクリスマス・オラトリオ」のレコードは、実家のレコード棚に鎮座する一品であります。
CD時代に、リヒターを買い直し、同時に古楽器による演奏も聴いたものの、リヒターが一番。
そして2番手が、こちら、フレーミヒの指揮よるドレスデンの趣き溢れる古雅なる演奏。
レコード発売された頃に、「朝のバロック」で6回に分けて放送され、皆川さんの名解説で、大いに触発されながら聴いた演奏。
そのCDを、最近ようやく手にすることができた。
1974年の録音。
まだ東ドイツが厳然と存在していたなかで、ドレスデン・ベルリン・ライプチヒといった音楽主要都市では、今もしっかりと残る名録音が残されていった。
そのうちのひとつが、この「クリスマス・オラトリオ」で、当時東ドイツの宗教曲系合唱指揮者の神様的存在であった、マルティン・フレーミヒが指揮をしている。
シュターツカペレの陰にかくれがちだった、ドレスデン・フィルハーモニー。
合唱は歴史あるドレスデン十字架合唱団。
さらに独唱も、オジェーを除いては、東ドイツ系の純正ドレスデンの皆々。
第一音から、派手やかよりは、しっとりした内面的な喜びを感じさせる渋い演奏。
福音史家のシュライヤー。指揮者によっては、ノリすぎて鼻につきすぎる芸達者のテノールが、本来の律儀で規律正しいテノールに徹していて清々しい。
アダムのアクのある声も、ワーグナーを日々聴く私には、これまた、聖十字架合唱団出身の真っ直ぐなバッハ歌いとしてのアダムに聴こえる。
同じ東ドイツ組の、ブルマイスター。この素敵なメゾも、わたしにはフリッカやブランゲーネといったワーグナー歌手の印象も強いが、このオラトリオにふんだんに用意されている、メゾ領域の素敵なアリアの数々をピュアに、そして情感豊かに歌っていて、ほんとに感動してしまった。
ヤノヴィッツの声の残るソプラノのパートは、オジェーで、彼女のみがアメリカ系。
ブルマイスターとオジェーは、物故してしまったが、バッハやモーツァルトを歌うオジェーの、これまたピュアな歌声は、エヴァーグリーン的な歌唱に通じている。
古楽やピリオド奏法に慣れてしまった耳には、かえって新鮮に聴こえるアナログ感あふれるもの。
ドイツで日常行われていそうな演奏と思っていかもしれない。
ろうそくを一本一本灯していって、降誕の日を迎える。
そんなジワジワと胸に染みいるような素朴な喜びが、ここには満ちているように感じる。
日本の商業主義に染められてしまった絵空事のクリスマスでない、真実の喜び。
いい演奏であります。
どうぞ、よいクリスマスをお迎えください こちらは、一昨年ですが、札幌の大通公園のクリスマス・マーケット。
かなり本格的であります。
ヨーロッパの雰囲気でまくりぃ
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コメント
クリスマス・イヴだというのに、二郎とか食べてるから、少しは「らしい」ものを聴こうとさっきからかけていたのが、ヘレヴェッヘの「クリスマス・オラトリオ」でございました。
「胡桃割り人形」などのファンタジーなものも、もちろん大好きなのですが、今日ぐらいはファンタジーに逃げ込まず、敬虔で真摯な気持ちでこのオラトリオを聴くのも、許してもらえるかなぁと思っておる次第です、クリスティアンでもなく、心身共に穢れきった私ですが(?)。
バッハゆかりの地、ドレスデンのオケで聴くオラトリオ、さぞかしすばらしい演奏でしょう。聴いてみたくなりました。
イルミネーションなどは美しいと共感できる私ですが、クリスマスに便乗した利益至上のフェティシズムには抵抗し、あくなき二郎フェティシズムに走る私です・・・(?)。
投稿: minamina | 2009年12月24日 (木) 23時28分
minaminaさん、おはようございます。
それぞれのイブ、私は冷めた晩ご飯を自分で温めなおし、前夜の残り物も食べてました。
家族はテレビを観覧中で笑っておりました(涙)
ワーグナーばっかり聴いていた(いる)ので、バッハがまったくもって、清浄作用のように耳に響きましたね。
この古雅なドレスデンのバッハを推薦いたします!
25日がクリスマスなのに、一夜明けると何事もなかったかのようになってしまう街や人々。
正月には、よろずの神様に手を合わせちゃう。
日本人って、なんでもありなのでしょうな。
ますます、二郎道を邁進してください(笑)
投稿: yokochan | 2009年12月25日 (金) 10時10分