ワーグナー 「ワルキューレ」 ハイティンク指揮
東京タワーをその下からパシャリ。
週末バージョンのイルミネーション。
足元にはツリーやミニタワーなどがきらきらしてる。
街中、こんなキラキラ。
でもLED照明だから消費電力は従来品と違って安く済んでるはず(?)
きれいですな。
そして、年末は日本の場合、バイロイトの季節。
夏は大本山のバイロイト音楽祭。昔は、現地情報なんて数か月後に雑誌で見て知り、年末に放送で確認するというパターンだった。
それが今や、夏にリアルタイムで音楽や場合によっては映像も確認できるようになって、年末は年末で高音質で録音するという、年2回バイロイトを楽しめるようになった。
いつかは、本場に
夢であります。
「ニーベルングの指環」第1夜は、「ワルキューレ」。
舞台祭典劇と題した4部作は、最初の「ラインの黄金」が序夜なので、こちらは第1夜となるわけ。
ワーグナーは、荒唐無稽とも思われた超大作のリングを想定せずとも、以前より、自作のオペラの上演は既存の劇場では出来ないと考えていた。
夢想家でもあった尊大なワーグナーは、指揮者としてドイツやパリの劇場で活躍しつつも、その旧弊な慣習や特権階級じみた聴衆に対して辟易たる思いを抱いていたらしい。
やがて、リングを発想した頃から、自作専用の劇場は必須のものとして確信するにいたった。
最初は、ルートヴィヒ2世のお膝元、ミュンヘンでの建築が計画されたが、以前書いたとおり、ミュンヘンを所払いになってしまい、この地での劇場企画は流れてしまった。
やがて、バイロイトに今でも存在する美しい辺境伯劇場のあることを知り、そこを訪れ、サイズ的にあまりに無理があって断念はしたものの、バイロイトが大いに気に入り、ここで劇場を建設する望みをいだきつつ、1872年にかの地にコジマと幼子ジークフリートとともに移り住んだ。
この年には、「トリスタン」と「マイスタージンガー」で中断していた「ジークフリート」は完成(1869年)しており、「神々の黄昏」を作曲中だった。
劇場建設の野望の実現はまた次回。
1854年、「ラインの黄金」のあと、すぐさま書かれた「ワルキューレ」は1856年に完成するが、この間、ショーペンハウエルの思想を知ったり、マティルデ・ヴェーゼンドンク夫人と怪しくなったりして、「トリスタン」も書き初めている。
「ワルキューレ」も「トリスタン」も、恋愛の大辞典みたいな楽劇だから、まことにワーグナーという人は人妻好きで、世間から疎まれる愛を実践していた達人なのである。
指輪の組成と略奪戦を描いた「ラインの黄金」から、20~30年経過した世の中が「ワルキューレ」。
ウォータンは、エルダを追いかけていってワルキューレたちを孕ませ、さらに人間界に降り立ちウェルズング族を作り上げ、ジークムントとジークリンデの兄妹を生みだしている。
これは、自分で手を出せない「指環」の奪還(捕ったものなのに)を託すための英雄待望論からしてやったこと。
かたやライバル、アルベリヒは、愛を断念してを手に入れたのに、憎しみの念をもってハーゲンを生みだしていて、神々への復讐を計画中だが、ここワルキューレでは登場しない。
一方、指環をワルハラ建設費の形(カタ)にとった巨人族ファフナーは、竜に変身し、後生大事に眠りながらお宝を呑気に守っている。
こんな指環をめぐる野望を背景にしながらも、楽劇「ワルキューレ」は、争奪戦はひとまずお休みで、とことん「愛」を追及したドラマとなっている。
許されない愛の練達の人、ワーグナーが編み出した「さまざまな恋愛のデパート」劇なのだ。
以前にも書いたことだけど、よくもまぁ、というくらいにムチャクチャ。
子供がリングに興味を持ってしまったら、どう説明しようかと激しく悩んだときもある。
兄妹の恋愛、無理強いされた結婚、そこから人妻の妹を奪う兄、醒めきった夫婦関係、嫉妬し夫の野望を見抜く強い妻、異母姉弟妹(?)の同情、生まれ来る甥への愛情の萌芽、父娘愛・・・・、ざっと挙げただけで、こんなにある。
こんなインモラルな劇だけど、ドラマとして完結しているし、大いに人々を感動させるから単独での上演も多く、私はワルキューレだけで11回も観劇している。
心打ち、胸しびれる感動的な場面を列挙しよう。
1幕)ジークフリートが蜜酒を飲む場面のチェロの美しいソロ。
ジークフリートが武器を求めるところ、冬の嵐も去りの名アリアから最後までのロマンテックな二重唱。
2幕)ウォータンとフリッカの身につまされる夫婦の会話。
そのあとのウォータンの沈鬱な長大なモノローグ。
ジークムントとジークリンデの悲しみの逃避行と、死の告知、そしてブリュンヒルデの決意の感動的な盛り上がり。
ジークムントの死、父ウォータンの胸に抱かれて死ぬ演出ギボンヌ!
3幕)自暴自棄のジークリンデに、お腹の子供(ジークフリート)の存在を告げ、生に目覚め、感謝の念を歌う場面。
父と娘の反省会。やがて父の心裂かれる告別となる場面。
あらゆるワーグナー作品の中でも、私にはもっとも泣けるところ。
娘を持つ父として、これはいけない。泣かせないで欲しい。
二期会ローウェルズ演出では、回顧して少女時代のブリュンヒルデが飛び出してきて、父親の胸に飛び込んだんだもの、涙ぼろぼろチョチョぎれまくりにございましたよ
「Wer meines Speeres Spitze furchtet, durchschreite das Feuer nie!」
(わが槍の穂先を恐れるものは、この炎を超ゆることなかれ!)
そのあと、大抵の演出では、ウォータンは後ろ髪引かれつつ、振り返りながら舞台を去るわけだ・・・・・。
さて、ここで人物紹介をば。
ジークムント:リングきっての、いやワーグナー作品きっての悲劇のヒーロー。
自ら、自分のいくところ、常に悲しみがついてまわる、と言明するなどの自覚があったが、妹を花嫁にすることで、一瞬、春を迎える。
しかし、父親に見捨てられてしまう、どこまでも悲劇の主人公。
ジークリンデ:兄で花婿のジークムントと同じく、悲劇一色。
母の自覚とともに、生き抜く強い女性となった。
こんな両親のもとに生まれたジークフリートがなぜ、あんなに脳天気なのか不思議でならない。(ミーメの育て方がよかったのか??)
フンディング:粗暴な小市民だけど、いいバス歌手に歌われると存在感ある役。
タルヴェラ、モル、リッダーブッシュ、クラス、サルミネンなどなど。
新国のマッキンタイアなんていう贅沢な布陣もありだ!
ウォータン:偉そうにしてるけど、カミサンにはからきし弱い。
日頃の不養生を掴まれている弱みがあり。
ついでに娘にも弱いときた。(うむ、書いてたら自分のことだった)
フリッカ:「ラインの黄金」での従順そうな妻が、怖い女に成長。
「女はみんなこうしたもの」でアリマス。
ブリュンヒルデ:元気印で登場しつつも、ジークムントを知ることで、自立的な考えに至る。
この急激な成長ぶりは驚きで、ずっと眠り続けて起きた暁にはさらに一人の女となっていた七変化ぶり。
ワルキューレたち:その多大勢的な軍団だけど、ワルトラウテのみ有名になる。
この8人の名前を諳んじている人がいたら、ワタクシ尊敬します。
あと、歌を聴いて、これは誰と当てたら、もうそれは神であります。
ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」
ジークムント:レイナー・ゴールドベルク
ジークリンデ:チェリル・ステューダー
ウォータン:ジェイムス・モリス
ブリュンヒルデ:エヴァ・マルトン
フリッカ:ワルトラウト・マイアー
フンディンク:マッティ・サルミネン
ゲルヒルデ:アニタ・ゾルディ
ヘルムヴィーゲ:ルース・ファルコン
ワルトラウテ:ウテ・プリエフ
シュヴェルトライテ:ウルスラ・クンツ
オルトリンデ:シルヴィア・ヘルマン
ジークルーネ:マルゲリータ・ヒンターマイアー
グリムゲルデ:キャロリン・ワトキンソン
ロスワイセ:マルゲリータ・リロヴァ
ベルナルト・ハイティンク指揮 バイエルン放送交響楽団
(1988.2,3@ミュンヘン・ヘラクレスザール)
ハイティンクのリングの中でも、このワルキューレは出色の出来栄えの演奏だと思う。
カラヤンのリングが抒情的で室内楽的な緻密さがあると評価されていたが、このハイティンクは、それをも上回る細やかな神経が張り巡らされた美しい演奏で、劇的な要素にも欠けてはいないが、ふくよかでマイルドな中間色の響きは実に心地がよいものだ。
オーケストラは、登場人物の心情に合わせて、時に沈滞し、心湧き、熱くなる。
こうして磨きあげられた音色は、バイエルン放送響という高性能だが常に有機的な響きを失わないオーケストラがあってこそ引き出せたものだと思う。
こうした背景を得て、歌手たちは素晴らしい実力を出し切っていて、ステューダーとモリス、マイアーの3人の情感あふれる歌には惚れぼれとしてしまう。
2幕でのウォータンの「Geh!」は、ソットヴォーチェで囁かれるように歌われ、これがゾッとする効果を生んでいた。モリスの滑らかだが、神というよりは、人間味豊かなウォータンは、レヴァイン盤よりは、ハイティンク盤のほうが似合っているように思う。
最後の告別の感動的な歌唱は、ハイティンクのなみなみと溢れるばかりのオーケストラの美音と相まって、言葉を失うような感銘を受ける。
なにかと言われやすい、ゴールドベルクとマルトンも、わたしはとても立派な歌唱だと思っている。
ベームやショルティの劇的かつ、熱血ぶりはここにはないが、ハイティンクの個性がしっかりにじみ出た味わい深い「ワルキューレ」が、わたしは大好きである。
「ワルキューレ」の過去記事
「新国立劇場公演 エッティンガー指揮①」
「新国立劇場公演 エッティンガー指揮②」
「二期会公演 飯守泰次郎指揮①」
「二期会公演 飯守泰次郎指揮②」
「テオ・アダムのウォータンの告別」
「ブーレーズ&バイロイト」
「メータ&バイエルン国立」
「ノリントン指揮 第1幕」
「カラヤン&ベルリンフィル」
「エッシェンバッハ&メトロポリタン公演」
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コメント
こんにちは。
昨日、ヤングのワルキューレを聞いていました。今週2回目。ヤングのオペラは、なぜかしっくりきます。違和感を感じさせません。ナエフとポラスキが素敵でした。この録音は自然で、つぎはぎ感が有りませんが、マイクがかなり遠いようです。また、録音レベルが他のディスクよりゲインが10dB位低いようです。今日、クナの58年盤を聞いています。ヴァルナイは圧倒的です。発売になったばかりの昨年のティーレマン盤が気になります。迷い中。
投稿: Mie | 2009年12月19日 (土) 17時18分
Mieさん、こんばんは。
ヤングのリングは、私も大いに気になってるところです。
彼女はオペラ劇場の呼吸ができる素晴らしい指揮者ですよね。ナエフとポラスキ、ともに実演で聴きましたがその時も唖然とするほどすごかったです。
録音レベルは残念ですね。
ティーレマン・リングは、自家製CDRに収めてありますが、やはり本物には敵いません・・・。
ヤングのリングともども、いずれ映像が出そうなので、ここは我慢のしどころと思ってますが、どうでしょう?
投稿: yokochan | 2009年12月19日 (土) 21時25分
この「ワルキューレ」、私の好きな歌手ばかりが集まっていて、発売されてすぐ買うかと思いきや、あまり世間の評判がよろしくなかったので先延ばしになっていたものでした。去年、4部作まとめてボックスになったのを期に聴くことができましたが、世間の評価というのはあまり当てにならないものだと思い知らされた録音です。
やはり私ご贔屓のステューダーが瑞々しいです。モリスのヴォータン、マイヤーのフリッカ、マルトンのブリュンヒルデとここまでそろえて悪かろうはずがない。ハイティンクの誠実で緻密な指揮は相変わらずだし。
難癖をつけるならばゴールドベルクがなんとなく不安定で、声質も私の好みから少しはずれます。彼は台詞が覚えられないらしい・・・(とショルティが自伝で語って、かなりけちょんけちょんだった)。
いずれにせよ、こういう録音を残してくれたハイティンクその他歌手の皆様に感謝です。
それにしても、バイロイト、行ってみたいなぁ・・・。
投稿: minamina | 2009年12月20日 (日) 20時42分
minaminaさん、こんばんは。
ハイティンクのリングは、1作1作、揃えながら味わいました。シンフォニックだ、なんだと言われますが、私には完璧にワーグナーしてる素晴らしいリングでした。
歌手の豪華さとこだわりは、EMIならではですね。
ゴールドベルクは確かに弱いですが、わたしはそんなに嫌いじゃありません。
あの人、極度の上がり屋で、本番に弱いのです。
ショルティ閣下のバイロイトデビュー時にジークフリート役を予定されていながら、ビビって声が出なくなってしまいユンクと交代したのです。
閣下は、さぞかし面白くなかったでしょう。
こんなコケタ逸話のたくさんあるゴールドベルクが憎めないわたくしです(笑)
マイスタージンガーのヴァルターで実演を聴いたときは、全然普通で、立派なもんでした。
コロやホフマン、イエルサレムに次ぐヘルデンが求められていた頃でしたから、期待されすぎの気の毒な人でもありました・・・。
バイロイト、宝くじあてて、いきましょうよ!
投稿: yokochan | 2009年12月21日 (月) 00時19分
今晩は。昨日の深夜、京都から帰ってきました。二泊三日の男の一人旅です。二条城の近くにあるホテルに泊まりました。金沢から南は雪がありませんでした。羨ましい限りでした。
14日(月曜)にハイティンクのリングがHMVからとどきました。まだワルキューレまでしか聴いていませんが、素晴らしいリングですね。音質はEMiにしてはいいですし、キャストは豪華ですし、ハイティンクの地味だけど味わいのある指揮も最高です。ハイティンクとバイエルン放送響はタンホイザーも録音していますが、それは10年近く前から愛聴しています。
ステューダーのジークリンデが特に良かったです。可憐な感じがして・・・「最高のジークリンデはだれか?」なんてテーマでワグネリアンが議論をしたら口から泡を飛ばす大論争になりそうですが、私はステューダーのジークリンデが心底好きになりました。
投稿: 越後のオックス | 2011年2月19日 (土) 18時58分
越後のオックスさん、こんにちは。
冬の京都はいいですね。楽しまれましたね!
ハイティンクのリングは、最初は何もしてないように感じますが、オケが優秀だし、歌手も豪華で、聴くほどに味わいが出ます。
コヴェントガーデンでのリング音源でも出てくればよいですね。可能性はありと思います。
ステューダーのジークリンデが残されたことは、ファンには嬉しいことでした。
カラヤン盤のヤノヴィッツにも通じる抒情的な歌ですね。
最高のジークムントは、容易に答えられますが、ジークリンデは難しいですね・・・・・。
投稿: yokochan | 2011年2月20日 (日) 10時35分