東京交響楽団 名曲全集第53回 飯森範親指揮
川崎駅の改札周辺の混雑ぶりはすごい。
首都圏のターミナル駅はみんなそうだけど、その雑踏を抜けないと、ミューザ川崎にはたどり着かない。
リスト ピアノ協奏曲第1番
ショパン(リスト編曲)
17の歌曲~「わたしの愛しき人」
ピアノ:ベンジャミン・グローヴナー
マーラー 交響曲第10番
(デリック・クック補筆完成版 第3稿 第2版)
飯森範親 指揮 東京交響楽団
(2010.1.30@ミューザ川崎) ミューザをフランチャイズとするオーケストラ、東京交響楽団の名曲全集。
今日の演目は、そんな有名通俗曲を思いおこさせるシリーズタイトルとは程遠い、マーラーの10番がメインにどっかりとすえられた重量級プログラム。
ほぼ満席のホールは、めったに生演奏に接することのできない10番を食い入るように聴いている方々と、最初から終楽章のドラムの一撃までのあいだ安らかに昇天されていらっしゃる方々との対比が面白かった。
どちらも、演奏会では初めて聴く曲目。
18歳の英国のピアニスト、グローヴナー君の弾くリスト。
有名なようで、そうでもない曲。アルゲリッチとベルマンしか持ってないけど、それらを直近で聴いたのはいつのことだろう?
全く聴かない曲のひとつ。久しぶりに聴いてみて、威勢のいい音楽というよりは、リリシズムにあふれたきれいな作品との印象。
グローヴナー君は、バリバリ弾くよりは、そうした場面での繊細な表現がよかったのでは。
アンコールの文字通りショパンとリストを足して2で割ったような曲も美しいものでありました。
リストって、ワーグナーの義父なんだなぁ~
ってことは、バイロイトのワーグナー家の人々にもその血が流れているんだなぁ~ なんて、ぼぉ~と考えながら聴いているうちに終わってしまった前半でありました。
マーラーは、そんなぼんやり聴きは許されない。
1楽章はすっかり手の内に入ってるけど、それ以降はそんなに聴いてない。
CDもハーディングとシャイー自家製カセットテープ起こし盤しかありません。
だから、思い切り必死に聴いて、そして涙したのです。
いったいぜんたい、なんたる曲なのでありましょうか
最初と最後で25分ずつのアダージョ楽章。
間にある3つの楽章は、スケルツォ→ブルガトリオ→スケルツォ。
短かめの煉獄(ブルガトリオ)をはさんで、完全なシンメトリーの構成だが、間の3つは奇矯な音楽に聴こえるけれど、両端楽章は生への決別があまりに美しく語られる悲しみと諦めの浄化なのだ・・・。
最初のアダージョで、最近いろんなことがあったからウルウルきちゃって、中間の3つは少し気楽に楽しんで、最後のアダージョでは、悲しい気持ちを後押しされて、無常感漂うフルートソロでは、涙が溢れ出てしまった。
愛するアルマに未練たらたらのグスタフ。
一方で、改宗したクリスチャンとして、異例なまでにキリスト教の神にしがみつこうともしている。見えてきた自身の死をも重ね合わせ、孤高の様相も呈しつつ、グロテスクな中間部なども持つ・・・・。
やはり、これは多面的な要素のごった煮になった、まさにマーラーの音楽そのものであり、完成された完璧な音楽であることを、昨日の実演では目の当たりにすることができた。
いろんな版があって、ある意味では進行形の作品であることも魅力的。
エルガーの3番も、完全なる作品と私は認知しているけれど、そちらはペイン版しか考えにくいのに比して、マーラー10番は、いろんな可能性がある。
この曲の初心者であるワタクシには、いまのところクック版しか手が回りませんけれどね。
そんなワタクシには、昨日の飯森範親さんの指揮は、率直で明快、とてもわかりやすかった。
振りすぎの勇足もあったりしたけれど、音楽に没頭する熱意のあらわれ。
オーケストラも、こういう曲だとこなれるまで大変だと思うけれど、東響らしいパワフルな音と繊細さがとてもよく出ていたと思う。
フルート、トランペット、弦楽各奏者のトップさん、ホルンも含めて皆さんのソロとてもよかった。
大地の歌のパロディも随処に発見。同曲と第9と、この10番の3作品は、マーラー晩年の生への告別彼岸の3部作といえそう。
マーラーがこれらを書いたのと、同じ歳を迎えているワタクシ。
こんな、のほほんと、脳天気でいいものだろうか。
人生は厳しく、私を取り巻く環境も日に日に悪化してゆくばかり・・・。
だからこそ、音楽に救いを求めちゃうわけだけれど、この10番の終楽章には堪えた。
泣けた。
むなしかった。
なんという素晴らしい音楽だろうか。
こうして、わたしの、のほほん人生は、今日も続くのでありました。
アフターコンサートは、いつもお世話になっておりますお仲間と、ホール隣のラゾーナの居酒屋さんで、盃を傾けました。
ここで10番のスコアを初めて拝見させていただきましたよ
一番下の段に、マーラーが残したスケッチが対比して書かれていて、全体は上から下までびっしりの音符。指揮者はこれを頭にいれて振ってるんだ
素人のわたしは、それで酔いがまわって、へろへろになってしまいました。
みなさん、お世話になりました。
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コメント
yokochan様、こんばんは。
東京交響楽団、名曲全集だなんてシリーズ名からは一番かけ離れたモノをやってくれましたね。
まぁ、名曲ではあろうと思うのでまったく間違ってはないですけど、やはりイメージとしてはベートーヴェンとかチャイコフスキーなんかがメインのプログラムが浮かんでしまいますね。
マーラーの10番、自分もあまり聴いていない曲です。
プルガトリオと、終楽章の入りは気に入って、学生の頃にやたらと聴いた記憶があります。
いま、あらためて聴きながらコメント書いていますが、第1楽章、なんて美しさでしょう。
単にキレイなだけの曲なら幾らでもありますが、そういった概念を遥かに超えたものがあるような…。
それにしても、職場の近くでそんなコンサートがあったなんて…。
休んででも行けばよかったです
投稿: ライト | 2010年1月31日 (日) 22時21分
ライトさん、こんばんは。
職場はミューザのお近くなのですか。
それはまたうらやましい環境。
最近は、音楽の街「川崎」ですからね。
川崎球場のオレンジ色の「大洋ホエールズ」を知る身にとっては、びっくりの転身ぶりです(笑)
昨夜のコンサートは、演奏云々よりも、音楽の素晴らしさの方に耳がいってしまいました。
よい演奏だからこそだし、本来の音楽の聴き方って演奏の良しあしもさることながら、作品そのものを聴く喜びにあるのですね。
10番が、私の愛好曲になりそうです。
そんな思いを味わえた素敵なコンサートでした。
投稿: yokochan | 2010年1月31日 (日) 23時01分
こんばんは。都響は大曲から小品まで色々やっているそうですね。フルネのフランス物は非常に定評ありましたし。
マラヲタの私「マラ10」ハーディングは持ってます。クック版録音の先駆けになったオーマンディ、フィラデルフィア管はきれいな音色。
そして、リストのコンチェルトです。アルゲリッチ、アバドは持ってます。手元にあるので凄まじいのはシフラ、シフラJr.パリ管。廃盤からになりますが、ブレンデル、ハイティンク。ロンドン・フィルも勢いのあるサウンドです。リストのコンチェルトは割と持ってますよ。リストは「交響詩」創始者でもあるし、オーケストラの魔術師ですね。ハイティンク、ロンドン・フィルによる「交響詩全集」もありますから。
週末になると疲れが出てきます。今度はオペラファンさんがK氏に狙われたようです。この書き方で見当がつきます。
http://blog.goo.ne.jp/0612-0523/e/8a1cd6ce5a03227506d96f864da0ae1f
特徴は私のブログで書いたトピックスでリンクした項目と比較すればだいたいお分かりかと思います。やばいことになってきましたね。
投稿: eyes_1975 | 2010年1月31日 (日) 23時10分
eyes_1975さん、こんばんは。
マーラーをさんざん聴いたつもりになって、これまた勝手に卒業したつもりになってましたが、10番が遅れてやってきた感があります。
ライブで聴いて大感激。帰宅後ハーディング盤を3回も聴いてしまいました。
ほんといい曲だと思います。
リストは、マーラーと比べちゃうと、ちょっとインパクトが弱い感じですが、私の唯一無二の演奏は、同じくアルゲリッチとアバドの青春譜のような凄沿演ですね。
ハイティンクの交響詩も持ってますが、いまだに全部聴けてません(笑)
K氏がまた登場ですか。
よっぽど寂しいか暇なのですね。
オペラファンさんのところにもですか。
徹底的に削除、そして無視ですね!
投稿: yokochan | 2010年2月 1日 (月) 00時07分
お早うございます。
私は、サイモン・ラトル&ボーンマスしかCDをもっておりません。第五楽章の前半がホラー映画よりも怖いので、滅多に聴きません(笑)。後半は好きですが。
ブリリアントのバルシャイ盤が聴いてみたいですね。
編曲も演奏も面白そうなので。
レニーが十番を補筆完成させていたらどうなっていたでしょうね?
アンリ・トロワイヤのドストエフスキー伝を読了して、今は同じ作者のバルザック伝を読んでいます。
ツヴァイクのバルザック伝に出てくるバルザックとはかなり違いますね(笑)。
投稿: 越後のオックス | 2010年2月 1日 (月) 04時33分
どうも先日は本当にありがとうございました。
本当に聴いておいてよかったです。
最後はもう涙、涙でした。
マーラーさん、優しすぎます。
私は最期、あのようにこの世から別れを告げることができるかな。
この年になるといろいろな別れを経験しますが、そんなことも、あんなことも、いろいろ走馬灯のように頭を巡る切なくて優しいひとときでありました。
このコンサートの情報を頂き本当にありがとうございます。
投稿: yurikamome122 | 2010年2月 1日 (月) 12時30分
越後のオックスさん、こんばんは。
ラトルのボーンマス盤は評価が高いですね。
ベルリン盤は評判が割れているようですが。
わたしは、どちらも聴いてませんのでわかりませんが、ラトルはバーミンガム時代の方が才気みなぎっていて好きでしたね。
いずれにしても、この10番のよさに、今頃開眼してしまったさまよえるクラヲタ人であります。
レニーがみずから補筆していたらと、想像するのも楽しいものがありますね。
文学は貴殿の足元にも及びません、ドストエフスキー伝読破おめでとうございます。ツヴァイクにバルザック伝があるのですね。
すごい読者熱に敬服いたします!
投稿: yokochan | 2010年2月 1日 (月) 19時02分
yurikamomeさん、こんばんは。こちらこそ、お付き合いいただきありがとうございました。
わたしの方は、ようやく10番がやってきた、とい感じでして、食わず嫌いだったものが、こんなにおいしく、美しいものだったのかと感嘆しました。
そしてこの曲を愛する皆さんのお話を聴いて、ますます刺激されてます。
別れや死を徐々に身近に感じるようになって、きっと自分はジタバタと未練たっぷりにあがくのだろうと思ってます。
ともかく、美しいマーラーの音楽ですね。
10番の演奏会があれば、また探して聴きたいと思ってます。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2010年2月 1日 (月) 19時13分
毎度お騒がせしました。何やら、別宅へのお帰りもトラブルがあったそうで・・・。
しかし、いくつかの瑕があったとはいえ(2つのスケルツォの混乱)、素晴らしい演奏でした。あらためて10番の音楽の凄さが身に浸みました。第1楽章のアダージョの迷いと諧謔、そして最後の審判を思わせる不協和音。プルガトリオの現世の地獄を軽やかな音楽で表現するマーラーの凄み。そして消防士の葬列に打ち鳴らされた大砲を模したといわれるバスドラの強打に続いて歌われるフルート・ソロの旋律が再び最終部に回想されて、深みへと聴き手を誘う素晴らしさは、この世のものとは思われない美しさでした。
さらに10番のファンが増えるといいですね。
投稿: IANIS | 2010年2月 1日 (月) 21時25分
IANISさん、今回もどうもお世話になりました。
そしてお疲れさまでした。
範親クンの演奏は、私は結構よかったと思ってます。
真摯な指揮ぶりと、TSOの充実ぶり。
もう何回か経て聴いたらさらに素晴らしいものとなったでしょうね・
おかげさまで、この曲に遅ればせながら開眼です。
思えば、マーラーシリーズもこれで完結しました(笑)
貴兄ご指摘の箇所、今後、10番を聴くときの所作とさせていただきます。
最近、涙もろいのですが、またやられちまいました。
しっかり10番ファンです。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2010年2月 1日 (月) 21時48分