シュレーカー 「烙印を押された人々」 デ・ワールト指揮
東京フォーラム。
青いツリーが、ちょこっと見えちゃうところが、昨年画像でばればれだけれども、この位置から見た光景が好きだ。
こんなに長いランドイルミネーションは、そう近未来チックな感じもして。
人通りも多いから、誰も入らないように、じっくりとチャンスを窺うオッサンでありました。
一時、退廃音楽という言葉が流行ってデッカからもシリーズが出たりした。
1930年になってナチス政権が、主としてユダヤ人芸術家に対して貼ったレッテルで、その音楽に対してこれを禁じたものである。
メンデルスゾーンやマーラーも含まれ、そのためカラヤンが長く取り上げなかったことは、いろいろ取り沙汰されもしたのだ。
過去の作曲家はまだしも、当時活躍していた音楽家はまったくもって気の毒で、スイスやアメリカへ逃れた作曲家もいることはご承知のとおり。
なかには、倒れ、病んでしまい、亡くなってしまった人もいる。
フランツ・シュレーカー(1873~1934)がその人。
キリスト教徒のユダヤ人を両親に、父が優秀で宮廷写真家の称号を得ていて、生まれたときはモナコにいた。
ツェムリンスキーの師フックスに学び、ウィーンとドイツワイマールて活躍し、9つのオペラ、オーケストラ曲、声楽作品などを残すも、いまやちょっとマイナーな存在になってしまった。
ナチスに目をつけられる1920年代後半までは、その作品がさかんに上演された人気作曲家であった。
シュレーカーが見直されるようになったのは、79年にギーレンが取り上げたときから。
さらにアルブレヒトがさかんに演奏そして録音し、アバド時代のウィーンでも世紀末特集で取り上げられ、リバイバルなったシュレーカー。
日本では、いうまでもなく若杉さんが、そのあとは大野さんが、何度か演奏していたので、これがさすがと思わせる。
でも、また沈みこんでしまった感があるのが宿命的でもあり、寂しいものだ。
その音楽は、表現主義的で、ワーグナーに流れを発する濃厚な後期ロマン派風。
シュトラウス、マーラー、ツェムリンスキー、初期新ウィーン楽派などと相通じるもので、この手の系統が異常に好きなわたくしのウルトラヒットゾーンなわけであります
オペラの中での一番の代表作が、「烙印を押された人々」。
最初は、ツェムリンスキーから自作のオペラの台本にと、醜い男の悲劇のような具体的リクエストをもって作成の以来があった。
だがやがて、シュレーカーは、オスカー・ワイルドの戯曲などを参考に、台本を作成するうちに自分でオペラにしてみようと思うようになり、ツェムリンスキーに断りを入れてこのオペラの音楽も作るようになった。
ツェムリンスキーも魅力ある素材を捨て切れず、似たようなモティーフでもって音楽を作ったのが面白い。
1915年に完成し、18年にフランクフルトで上演されセンセーションを巻き起こしたオペラであります。
この作品の音源は、本日のワールト、アルブレヒト、ツァグロセク、ナガノ(DVD)の4種があるが、ナガノ以外はいずれも廃盤。
今回は、英語訳を必死に見ながらの鑑賞はこの1カ月。
未知作品を手のうちに入れる作戦の常として、何度も繰り返し聴くという意味で音楽に親しむこと半年。
この作品も、すっかりなじんで夢にまで出てくるようになり、こうしてようやく記事にできました。手間暇かけてものにしたオペラは愛着あるんです。
RVW「毒入りキッス」、コルンゴルト「カトリーン」に続き、最近では3作目。
素晴らしい音楽に痺れるような快感を覚えてしまう。
これって危険なことだろうか(笑)
以下は、このオペラのあらすじを音楽も含めて書いてしまいますが、毎度ながら長くなりますので、嫌な方はスルーしてくださいまし。
ところは、ルネサンス期、イタリアのジェノヴァ。
第1幕 貴族アルヴィアーノ・サルヴァーノの館
「しかめっ面、せむしの私に、どうしてこれほどの感情、欲望があるんだろう・・・」と一人悩むアルヴィアーノ。
そのまわりでは、仲間の貴族たちが、面白おかしく、おれたちは街の娘や夫人たちをつまらない恋人や、技巧に不慣れな夫たちから解放してやってると言っている。
アルヴィアーノは、かつて金で娼婦を買ったとき、その時の自分への嫌悪感を思っていて、いまでも嫌な思い出と次元の違うことを話す・・・。
そこへ、公証人到着の知らせに、貴族連中は、何事かと色めき立つので、アルヴィアーノは、「楽園島」~それは人工噴水、庭園、芸術のステージ、自然の配合からなるパラダイス~をジェノヴァ市へ寄贈することにしたと語る。
貴族たちは、「え? おいおい、わかってるんだろうな、それは裏切りだぜーー」「事が露見したらどうすんだ!」、とせっかくの私財をなげうった施設を惜しむとともに、必死に食い止めようとして、なんとか手を打たなくてはならないと語り合う。
そこへ、貴族タマーレが遅れてやってきて、美しい女性を見て惚れてしまったとひとり大騒ぎする。
市長と娘、元老院議員がやってくる。
市長はアルヴィアーノに、娘があなたにお願いがある、まったく奔放で困ったヤツだ、そりゃそうと今回の寄贈は素晴らしいと長口舌。
その話の中で、最近女性がさらわれ行方不明となっている事態も語られる。
島の譲渡を受けるには、アドルノ公爵の了解も必要、こちらは自分が責任もって対処しますと市長は請け負う。
タマーレが見染めたのは、実はその市長の娘、カルロッタ。
彼は、そこで、これ幸いと言い寄るが、彼女は、「私の好きなのは酬いを求めて苦しみ、犠牲となる男性、あんたが死んだらそうなるかもね」、と厳しくも不可解な態度。
ますます彼女に夢中になるエロいイタリア男、タマーレであった。
貴族の雇った刺客ピエトロとアルヴィアーノの家政婦マルトゥッチはいい仲で、スパイとなることが予見される。
彼は冒頭に出てきた悪い貴族メナルドと間違えられ、ある女性に追いかけられていると語る・・・・
アルヴィアーノとカルロッタが二人になり、彼女は、「いろいろ絵を描いているけれど、一番描きたいのは「魂」と歌う。」この場面の彼女の危ういほどの情熱の歌は素晴らしい。
だから、あなたを描きたい、と語るが、アルヴィアーノは自分が醜いというコンプレックスがあるものだから、ばかにされていると思いこみ、「なら道化に描いて欲しい」と嘲笑する。
カルロッタは、「ある朝、あなたが私のアトリエの前を通り過ぎそこに朝日が昇るのを見た。その時の巨大な姿を私は絵にしたけれど、顔がないの、太陽に向かって進むアルヴィアーノを描きたい」と熱烈に語り、ついにアルヴィアーノも絵のモデルになることを同意する。。。
第2幕 アドルノ公爵家の広間
アドルノ侯爵の館から市長と元老議員が怒りながら出てくる。
島の譲渡に関して貴族仲間への配慮もあり、慎重な姿勢を崩さなかったことへの憤りである。
そのアドルノに貴族タマーレがやってきて、またもやある女性への熱愛を語り、友人ゆえに公爵は協力を約束。
でも相手が市民の市長の娘とわかると貴族の立場ゆえの自戒を伝える。
それでも、「あの女をものにしたい」と語るので、アドルノは引いてしまう。
「どうせわかりゃしないし、昨晩も一人、こっちに知らないうちに娘がかどわかされたのだ」と。
「え??、おまえ、まさか一連の事件に」、とアドルノ。
「そうとなりゃ、仕方あるめぇ、じつはあの島の地下洞窟に愛の宴の巣窟があるんですよ。アルヴィアーノが、解放してしまったらすべてがバレちまうのですわ。だから、市への譲渡を阻止していただきてぃんですよ~。」
「アルヴィアーノ7は関与してるのか」との問いに、「ヤツは加わってません。今や後悔してるかもしれませんぜ。」アドルノは怒り、「おまえは愛を覚えたから悪い奴らとは違うと思うし、一度は助けるといってしまったのだ、でも暴力はイカンぞ」、と不愉快ながらクギを刺す。
カルロッタのアトリエ。
アルヴィアーノがモデルとなっている。
彼女は、「かつて心臓を病んだ友人がいて、彼女は風景や人物も描くが、人の手を描き、あるとき干からびた枯れ枝のような死んだ手を描いた。その手は死に怯え飢えていたようだったし、赤い筋のようなものも見えたのだ」、と語る。
アルヴィアーノに、「視線をのがれてはいけない、こっちを見て、自信をもって」と言い、情熱的な音楽(前奏曲に同じ)になる。
「そうそう、その調子」。
でも、すっかり思いが高ぶり、彼女に詰め寄ろうとするアルヴィアーノ。
それを制し、絵の仕上げにふらふらになりながらのカルロッタ。
彼女は危ない雰囲気で倒れそう。
やがて出来上がり、倒れこむカルロッタが傍らの画架に手をすがると、その布のあいだから、やせ細った手が見える。
すべてを察知したアルヴィアーノ。
ぎこちない抱擁。かわいそうな優しい人を大事に守る決意を歌う・・・・。
第3幕 楽園島にて
市民たちが解放された楽園島にやってくる。
そこでは、怪しいしいニンフやパンたちのマイムが行われていて、市民たちも、これじゃなんだかななぁ、の意見。
行方不明となった女性に関し、ご主人に危害が及ぶかもしれないと警告しようと家政婦が出てくるが、悪漢ピエトロに捕えられてしまう。
奴はいまや、完全にアドルノの手下なのだ。
むしょうに、いなくなってしまったカルロッタを心配するアルヴィアーノが市長とともに出てくる。
市長は、今宵アドルノのある告発があるのを知っていて警告するが、アルヴィアーノは「娘さんは最高の女性、自分の罪は自覚している」と語り、市長は混乱する。
そのあとそこには、アドルノとカルロッタ。
「絵が出来上がってから、自分の中で何かがしぼんでしまった、アルヴィアーノはもう私にすべて最高のものを与え、これ以上は期待できない」とぶちまける。
「同情というヴェールが包んでいたのに、それを破り捨ててしまうと、かつてアルヴィアーノが自嘲して語った「花々の中にある醜い毒虫・・・」という言葉を思い出すのよ。」。と語る。
それを聴き、アドルノは、「アルヴィアーノはもう情欲の僕となっている劣等肝」と語るが、彼女はがぜん、それを否定し、アルヴィアーノの高貴さと気品を称え怒りすべてを否定する。
揺れ動く女心は難しいのだ。
でも夏の蒸し暑さに火照り、灼熱に浮かれたようになってしまう・・・。
狂おしく花嫁のカルロッタを探しまくるアルヴィアーノ。
祭りの催しに熱狂する市民、そこで夢遊するカルロッタを見つけだした、マスクをかぶったタマーレ。
彼は狂おしく迫り、あらがうカルロッタだが、しかし負けてしまい抱かれてしまう。
民衆は、この島譲渡の善行に、アルヴィアーノ万歳、あんたは祝祭の王だ、とはやし立てる。
でもかれは、自分はそんな立派なものではないと言いつつ、それどころでなく、カルロッタが不明となり、「彼女を探し出せば私財をすべてやる」と混乱の極み。市長やその女中連中も必死に探している。
そこへ8人の屈強の覆面男が、司法警察の隊長とともに登場。
アドルノの起訴をもとにやってきたのだ。
アドルノは民衆に向かい、「おまえらはたぶらかされている。この男はお前らの嫁や娘をさらい、たらしこんだヤツだ」と告発する。
しかし、民衆は逆に、いまある快楽をねたんで奪う盗人と逆ぎれし証拠を示せとさわぐ。
そこで出ました、刺客が悪漢貴族のために誘拐した女性が、アルヴィアーノ邸にいたの証言で、スパイの仕業が見事に。
これで、はめられたとわかったアルヴィアーノ。
民衆をともない地下室へと降りてゆくアルヴィアーノ。
そこには乱痴気騒ぎが中断され茫然自失の女たちと、すでに捕えられた貴族たち。
その中には、タマーレもいるし、倒れたカルロッタもいる。
アルヴィアーノは、彼に、「彼女がおまえを愛したということであれば、最初から自分は何も所有しなかったということで、元のみじめな日々に戻るだけ」、と語る。
タマーレは不敵にも、「これは宿命、おまえは自分が一時強者だと思ったろ、でも違うんだ、喜びにしり込みしたのさ、なぜ、彼女を奪わなかったのだ?」と強く攻める。
アルヴィアーノは、「自分は人生の深淵を見てきた人間だからだ。」
対するタマーレ、「そんなことぁ知らねぇ。強烈な抱擁のうちに至福の死を彼女は求めてきたんだ。彼女は自由になり、死を与えられたのだ。」
アルヴィアーノは、「きさま、彼女の心臓の病、そのことを知ってやがったのか、このくそやろう!!」
タマーノは、まるでばかにしたかのように、道化のヴァイオリン弾きの女を奪うために、そのヴァイオリンでたたき殺したと歌う。
ついにアルヴィアーノは、タマーノを刺殺し、その断末魔の叫びに正気に戻ったカルロッタ。
彼女に、「大丈夫、自分ならここに」、というものの、「近寄らないで、妖怪、失せて、あの赤い糸が・・・」、「いとしい人よ」とタマーラに・・・・。
ここで茫然とするアルヴィアーノ。
「私はヴァイオリンが欲しい、それと赤く鮮やかな、隅に鈴の付いた帽子も。
どこへ行った? あれ、ここに死体が・・・」
「皆さん死体がありますよ・・・・」
怖れ、道を開ける人々の間をぬって舞台奥へ消えゆく、正気を失ったアルヴィアーノ・・・・・
静寂から、やがて虚無的なまでのフォルテに盛り上がって後ろ髪引かれるようにして音楽は終わる。
幕
ここで重要なターニングポイントは、死の手はカルロッタが描いたもので、彼女こそが心臓の持病を病み、熱愛が出来ないと思い込んでいた。
アルヴィアーノは、それを瞬時に理解し、同情し愛した。
そして、女はみんなこうしたもの。さらなる愛を求め、カルロッタはタマーラに気を許してしまい、熱愛のすえ倒れてしまう・・・。そんな彼女の体を知っていたタマーラを許せなかったアルヴィアーノだったのだ!!!!
このややこしいドラマを理解し、解析するのに2カ月かかった。
烙印とはなにか、誰がそれを押されているのか?
聴くからに、その被烙印者は混濁の度合いを強めたが、こんな具合か。
まず、主要人物の3人。
アルヴィアーノ)自分が醜男であり、コンプレックスのかたまり。
表面上の美や形式を求め、人工島パラダイスを企画。
でもそれも彼を癒すことはなく、結局、一人の女性を愛することで解決することに。
それが不幸を招く。
カルロッタ)その弱い体ゆえに、愛に求めるものが消極的に。
奔放さの裏がえし。その気持ちを絵画の中にもとめ、醜いアルヴィアーノもその中で
昇華されてしまい、純粋な彼との間で悲劇を生むこととなる。
タマーノ)単純極まりない快楽男。
でも、女性に対してはやたらと鼻がきき、カルロッタの弱みをも完全に掌握。
スカルピア的、かつ勝者のバリトン、ほかにいたっけ?
民衆)子供たくさん、ひごろ不平不満ばかり、金もなし、喜びもなしの衆が、アルヴィアーノによって無償の楽園を与えられた。最初はその官能にとまどいつつも、それを偽政者に奪われるのではと思いだすと猛然と反発。どこにもある勝手な衆。
貴族)ここでは悪逆。誘拐・監禁とやりたい放題。しかも、友を売ってしまい、お縄にもなる。
アドルノ)自分の立場に最後まで固執。本オペラ一番の悪党かも。
シュレーカー 歌劇「烙印を押された人々」
アドルノ:チャールズ・ファン・ターセル
タマーレ:ジークムント・コーウェン
市長:ヴォート・ウースターカンプ
カルロッタ:マリリン・シュミーゲ
アルヴィアーノ:ウィリアム・コックラン その他多数
エド・デ・ワールト指揮 オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団/合唱団
(1990.2~3@アムステルダム・コンセルトヘボウ)
ここで、熱狂的なアルヴィアーノを歌うのは、コックラン。
クレンペラーの未完ワルキューレのジークムントであり、英国ヘルデンで、ちょっと病的なまでの夢中な歌唱が魅力的。
シュミーゲの無垢だが、ゼンタを思わせる一途感もいいし、ほかの地味歌手もやたらと熱いのです、このCDは!!。
彼らを司る、デ・ワールトの指揮は普通に素晴らしい。
先鋭さはまったくなく、時代の位置づけとしての後期ロマン派作品を丹念に扱っている。
このところずっと聴いてるこのオペラ。
その前奏曲だけでも、日に何十回も聴いてるんだ。
私こそ、退廃の烙印をレッテルされた人間かもしれない。
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