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2010年2月21日 (日)

ワーグナー 「ジークフリート」 新国立劇場公演②

面白さ満載の「トーキョー・リング」
「ジークフリート」の舞台をここに書いてしまいます。
長文あしからず。

いろんな工夫や仕掛けが随処に施されているけれど、それらが決して思いつきや、効果を狙っただけの見せ物ではない。
しっかりと音楽と劇を読み取り、ワーグナーが書いた微細なまでのライトモティーフも汲み取っているし、人物たちの複雑な心理状態にも踏み込んでいるのがわかる。
人間ドラマのワルキューレでは、こちらの思い入れも強すぎて、不快な場面もあったけれど、人物たちが単純で、欲のままに動き回るジークフリートは、ウォーナーのポップ感覚が面白いように決まりまくったのを強く感じた。
何よりも、音楽を邪魔しない、音楽を理解した演出であることがよいのだ。

第1幕

前奏曲と同時にまず、さすらい人(ウォータン)が左から顔を出し、舞台前面にある金床の上に工具箱を置く。
Ki_20002662_1 そのあと右からアルベリヒが車椅子状態(で自らの股間を傷つけたため)で出てきて、金床のうえに今度は薬瓶を置く。
やがてせり上がってきたのは、切り取られた家の断面、「ラインの黄金」のニーベルハイムの構成によく似てる。
上下には、「HILE MIME」のラメ文字が、しかし裏向きに書かれている。
2階はクマさんのぬいぐるみが転がる子供部屋、1階は床が斜めで、厨房、電子レンジ、冷蔵庫、テーブル、作業台、クローゼットなどところせましと並ぶ。
物が豊富なアメリカンスタイルの生活を送っているのがわかる。
ミーメは出来そこないの剣の数々をゴミ箱から出してみせる。にょろにょろだったり、ラケットだったりで・・・。そしてテーブルの下から、恐竜のぬいぐるみまで出しちゃう。

 ジークフリートは、熊を追ってくるのでなく、自らが熊の着ぐるみで現れ、頭や足を脱いでミーメに向かって投げつける。下は、スーパーマンのTシャツにジーンズのオーバーオール、スニーカーの兄ちゃんスタイル。
 ミーメが冷蔵庫から出したりした、肉や飲み物をちゃぶ台を一蹴するかのように投げ出す乱暴者。肉なら自分で焼くと電子レンジでチンして、もも肉を食い付くがイライラしてすぐに投げちゃう。家庭内暴力進行中なのだ。
びくびくするミーメは、甲斐甲斐しく働く。黄色に赤いフリルの付いたエプロンを付けて、ジークフリートが脱ぎ散らかした熊の服にアイロンをかけてる(笑)

「乳飲み子のお前を養って・・・云々」と何度も繰り返すが、そのたびに何か手仕事をしてるし。
 折れた剣ノートゥンクは、前作の通り赤い。布に包まれていて、その布はジークリンデの着ていた服で、お腹のあたりが赤く染まっている。
これを抱きしめるミーメは気持ち悪い。

いきなり登場のさすらい人への質問は、アメリカTVのクイズショー。
キンキラのジャケットをクローゼットから出して、さすらい人を真ん中のイスに座らせ、テレビ画面に顔を映し出してクイズ開始。手には質問をいくつも書いたカード。
答え合わせに、分厚い本をめくって調べもする。
さすらい人は、答えのたびに懐から黄金や金の林檎を出したりする芸の細かさ。
 今度は、逆クイズの時間。
ミーメは、ガウンを着てクイズに備えるが、イスに縛りつけられてしまう。
その不安な表情が、テレビに大写しになり、さすらい人から折れた剣を押しつけられる

ミーメのその首を怖れを知らぬものに預け、森へ行く地図を残して、戦争の恐怖を映し出したビデオをセットして出てゆく。
 原作では近づく光に怯えるミーメ。とってつけたように不自然なこの場面を、ウォーナー演出では恐怖ビデオを映し出すことでうまく処理していたように思う。

元気に帰ってきた乱暴者は、帰るなり、いそいそとサンドイッチを作りだす。
パン・レタス・チーズ・ハム・レタス・パンといった具合に、ほんとリアルそのもに作っていき、さぁ頬張るとおもったら食べないで、ほったらかしてしまうのが何とも・・・・。
ミーメは、今度はまた違う上着にお着替え。さきのガウンをやたら丁寧に畳んでいて、とても満足そう。
Ki_20002662_2 剣を自ら鍛えなおすジークフリート。剣を包丁で刻んで、それをミキサーにいれて、冷蔵庫から白と緑の液体を入れてシェイク。それを今度はレンジに入れてチン。
さらにそれを大きな型枠に入れて加熱。ふいごをミーメに変わって吹くと勢いが違う。
ジークフリートの目を盗んで、ソーセージをロ-スターで焼いてるミーメは憎めない。
型枠から緑のかたまりを出し、ロースターで焼き、出来上がり。
こんな気楽な鍛冶の歌。最後は小さなトンカチでカンコンうあって剣が仕上がる。
 傍らでは、ミーメは一抹模様のアメリカンダイナーのシェフのようなジャケットにコック帽。
ジークフリートを眠らせるための飲み物作りは、鍛冶の音楽に合わせてシェイクだ。
そのあとは、この日最後の衣装替え。旅行ジャケットに帽子、鞄で、森へ行く準備完了。
ジークフリートの剣の一振りで、作業台は煙を吹き、舞台前面にあった金床は倒れる。
最後は、養い親と息子は抱き合って幕。


第2幕

Ki_20002662_3 Ki_20002662_4 ディズニーの漫画に出てくるような、幹がオバケの顔にデフォルメされた大きな木が一本。枝からは数体、人のようなものがくくられてぶら下がっている。
その前に右からアメリカン・モーテルがせり出してきて、ふた部屋の片隅にはアルベリヒがベットの上に眠っている。
右上からネオンで輝く「Neidhohle」と書いた矢印が出てくる。
隣室にやってきたさすらい人とアルベリヒは隣部屋同士で口論を始める。
やたら興奮して松葉杖でうろつくアルベリヒに対し、達観したかに見えるさすらい人は、余裕ある旅人に見える。
外の恐竜ファフナーに呼びかけようという段になって、二人同時に窓のブラインドを開けるとそこには、恐竜の目が左右に光っている仕掛けだ。
「なるようにしかならない・・・」と言って出てゆくさすらい人。赤い槍を残していってしまうかと思ったら、また戻ってきて槍を持ちなおして「各自自分なりのやり方とうものがあるものだ」と言い残す。この言葉を印象付ける再登場とみたがいかに。

ミーメに連れられやってくるジークフリート。角笛(おもちゃのラッパ)を矢印のような木に下げ、鞄も片隅に置き準備するミーメはここでも甲斐甲斐しい動き。
ミーメを追い出し一人になったジークフリートのまわりに着ぐるみの動物たちが現れる。
ますは鹿が一匹。それは頭を外すと男性で赤い剣をもっていて、背中をみせて寂しげ(ジークムント)。
やがて、ウサギも現れ、男性で赤い槍所持(ウォータン)。
真ん中に女鹿。彼女はまさにジークリンデでありましょう。ジークフリートの、女性に憧れる歌に即した動きをする。

さらに、リスはチップとデールだ。頭を取ると白いツルツル頭。兄弟喧嘩を始めるこれは、巨人の兄弟ですな。
ジークフリートをとりまく人物たちと、彼の孤独をあらわしたものか。
Ki_20002662_5  動物が去ると、人間大のデッカイ青い鳥。足は黄色くてアヒルみたい。
鞄からおもちゃの笛を数々出し、芦笛とかいいながら吹くが、鳥は嫌がる。
角笛ことおもちゃのラッパを楽しげに吹き、鳥が引いてしまうのが笑える。
 やがて不穏な雰囲気になり、大きな樹の中の目が赤く光りだし、ぶら下がったものが落ちてきてゾンビと化してうごめいている。
Ki_20002662_6 ジークフリートはこれらと戦い、木を真っ二つに折ると断末魔のファフナーが出てくる。
ここでミーメの調合した飲み物を飲ませてしまうジークフリート。
苦しそうな様子のファフナー、最後には驚いたことに、ジークフリートに接吻しちゃう。
原作では、剣を引きぬいたときに浴びた血をなめるんだけど、ここではチュウされちゃったんだ(笑)
 頭を外した大青鳥の中からは青い頭のかわゆい女性。
鳥の声がわかるようになったジークフリートが、獲物を探しにゆくと、モーテルがせり出してきて、今度はミーメとアルベリヒの骨肉の兄弟喧嘩が始まる。
お互いの部屋を行ったり来たり。電話で罵り合ったりと早口言葉みたいなシーンなのに、こんな細かくて激しい動き。歌手は大変だけど、難なく歌う二人に感心。

ジグソーパズルのでっかいリングを付けたジークフリートが、出てきて、ミーメはすり寄り、べらべら喋りまくる。
建物の上には、鳥ちゃんがほんとに飛んできて、宙返りをしたり逆さまになったり、部屋の様子を窺っている。
鳥の声とともに本音も聴き分けることができるようになったジークフリート。ミーメの腹黒い企みは、みんなわかっちゃう。ミーメはその都度隣室に行き、壁のテレビに顔が大写しになって、そこで、その魂胆をみんな喋ってしまうんだ。笑える。
 そしてついにジークフリートの一撃に会い、残虐にもドアに血糊を付けてずるずると倒れてしまう。鳥の変わりに上に現れた兄がせせら笑うが、リンの声はド迫力。

Ki_20002662_7 女性に恋焦がれるジークフリートに、ブリュンヒルデの存在を知らせ道案内をする大青鳥は、舞台奥で鳥の衣装を脱ぎ捨て、消防服を手に元気よく去り、ジークフリートも鞄片手に後を追う。


第3幕

Ki_20002662_8 終幕や、ワルキューレで現れた奥にすぼまったパースペクティブな白いスペース。真ん中には、巨大なジグソーの一片がゆるゆると回っていてそこに横たわっているのは人間ICのような妙な格好をさせられたエルダ。
周辺はフィルムの残骸の山で階段を3人のノルンたちが昇り降りしている。
立ち入り禁止を破ってウォータンが入り、回転を止めエルダを無理やり起こす。
ノルンの動きも止まってしまうがエルダが喋ると動く仕組みだ。
エルダに知恵を借りるどころか、いい争い一方的に怒るウォータンの無謀ぶりは、フィルムを引っ張りだして、その手でぶっちぎることで、自らの終焉を物語っている。
これと同じことが、ワルキューレの2幕で、アルベリヒの息子誕生と挑戦に怖れ、神々の終わりを歌ったシーンにありはしなかったろうか。
でフローが撮影していたビデオや、ウォータンが見ていた映写機を忘れてはならない、神々の黄昏の大団円にも活きてくるのであります。
 このステージが、またもやワルキューレのように、舞台奥へと消えてゆく様は、本当に見ごたえあって、他の劇場では上演不能でありましょうか。

代わりに巨大な金床が現れ、小鳥ちゃんも奥にひょっこり姿を見せるが、さすらい人を認めていなくなってしまう。
孫を待ち受けるウォータンと、お腹ぽっこりの無邪気なジークフリートの会話も面白い。
顔をのぞきこんだり、帽子をとって自分でかぶったりと、爺さんと孫って感じだ。

Ki_20002662_10 やがて、槍でもって剣を取れと戦いを促すかのようなウォータンであるが、難なく槍は真っ二つ。このとき、二人はヒシと抱き合うのであった。
ジークムントの最後のように、でも今度はジークフリートに想いを託したウォータンが抱かれるように見えたのだ。

そのあと微動だにせず、前を見つめるウォータン。
舞台前面に壁が降りてきて、ウォータンは見えなくなりつつ、壁には、「この槍を怖れるものは近づいてはならない!」の文字が燃え盛りつつ流れている。
次に出てくる言葉が、「各自、それぞれの流儀があるものだ・・・」。
ジークフリートと聡明なブリュンヒルデに託した想いは、神々の黄昏でどうなるのであろうか。。。
左右に緑と赤の扉。緑から鳥ちゃんが出てきて、舞台を横切り赤のドアを開けて入ってゆく。
そのあと、ジークフリートがやってきて、ここで山の頂きに着いた長いモノローグが歌われるわけだが、ブリュンヒルデの山はまったく見せず、前舞台でパントマイムのように処理。
女とわかってるのに、「こ、これは男じゃない!」と驚いてみせる矛盾だらけのシーンだけに、この味気ないくらいのやり方はよかったかも。

Ki_20002662_12 やがて、壁が開き、大きな家の形の空間があらわれ、お馴染みの巨大な鉄パイプの斜めベットに、目覚まし時計、武具、小さく縮んちゃった木馬などが周囲に置かれ、ブリュンヒルデが眠っている。
窓の外は本物の火が燃え盛っている。

ブリュンヒルデ、眠ったときは、もう少し黒かかっていた髪が、まっ白い銀色になってる。
起こされたブリュンヒルデとジークフリートの二重唱は、さほど変わったところなく進行。
心理状態に合わせて時おり暗くなったり、背景が赤くなったりするが、空は晴れて雲も浮いて美しいものであった。
Ki_20002662_13 ここは、二人の絶唱に素直に耳を傾け、背筋が伸びるほどの感銘を味わった。
しかし、最後にこの家の背景がいつのまにか変化しているのに気がついたでありましょうか。
 先のエルダが眠る、運命をつかさどる部屋が窓の外に見え、ノルンが上下していたのだ。
幸せに酔いしれる二人の背景では、もう次の運命にむけてフィルムはスタートしていたのである。。。。


アルベリヒは結局、ミーメを遠隔操作し、ウォータンはジークフリートに剣を復元させ、ファフナーを倒し、ブリュンヒルデの山へと向かうように仕向ける。
ここではそんな思惑の背景が窺える演出だったけど、かわいそうなのはミーメだ。
家庭内暴力の吐け口にあい、子育ての報酬に無残にも殺されてしまう。
しかし、ウォーナー演出では、で、自ら不能となったアルベリヒの女と怪しい雰囲気になる場面が描かれていて、不能者からいくら憎しみの子といえども生まれ得ないので、ハーゲンはミーメの子供ではないかと想定される新説が残されている。
アルベリヒとともに、ミーメの思惑も神々の黄昏には引き継がれているのかもしれない、そんな演出。私の深読みでしょうか?
 いずれにしても、いろんな想像や思考が生まれる宝庫ともいってよい「トーキョー・リング」の魅力は尽きず、一度や二度では味わいつくせない。
再度の通し上演を企画して欲しい。
 それとできれば、普通の演出(メトの映像)を見てから、この舞台に接して欲しいもの。
奇抜さが単なる面白さで終わってしまうから。

それにしても、素晴らしい舞台に歌と演奏。
ブラボー飛び交い、歌手たちも満足の表情しきり。
目は怖いけど、テオリンさん、明るくてナイスな人柄とみました。
彼女のイゾルデの録音確認してみなくては。
鳥の足で出てきた安井陽子さん、3幕でも歌なし出番ありで、カーテンコールをもらった。歩き方カワユス(笑)

新国オリジナルの「トーキョー・リング」、国の威信をかけて、映像化して世界に発信して欲しい

 「ジークフリート」の過去記事

「ヤノフスキ&ドレスデン」

「ブーレーズ&バイロイト」
「ケンペ&バイロイト」

「カラヤン&ベルリンフィル」

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コメント

トーキョー・リング、面白そうですね。
と言っても、リング初心者には解りにくすぎるかもしれませんけど…。

自分は、やっとワルキューレの第1幕、第3幕を聴いた程度ですので、ジークフリートはあらすじ程度しかわかりません(@_@)

さて、この演出(トーキョー・リング)のジークフリートはだいぶ前にNHKの「芸術劇場」かなにかで見た記憶が…。にょろにょろの剣とか、ジークフリートの恰好とか、覚えています。
が、他の演出との勘違いかもしれません…

どちらにしろ、もうそれを録画したビデオテープ(HDDかもしれません)が手元に残っていないので確認できませんが。

投稿: ライト | 2010年2月21日 (日) 22時11分

ライトさん、こんばんは。
長すぎの記事で申し訳ありません。
リングは長くて、味わいも深いものですから書いたらキリがないのです(笑)

まさにテレビで放映されたアレですよ。
N響がピットに入ったこともあって、NHK放送となりました。
にょろにょろを覚えていらっしゃるだけでもたいしたものです。私は完璧に忘れてましたから。
ドラマとしても面白く、音楽も素晴らしい傑作に思います。

投稿: yokochan | 2010年2月22日 (月) 00時14分

長文ではありましたが、演奏編と舞台演出編に分割されていて読みやすい!さすがyokochanさんですね。Pomeraでただ今僕も感想を打ち込んでますが、第2幕途中で演出編で原稿用紙で10枚目まで入りました。yokochanさんの二部構成、打ち込み、大変でしたね。お疲れ様であります。前の上演を知っているし、たくさんのワーグナー体験が生む含蓄でありますよ。いつも勉強になります。
歌手、演出に対する感想、ほとんど一緒です。テオリンの最後のC音の声、物凄い、凄すぎです!フランツ、芸達者のシュミット、パワーとエネルギーには感心したし、ラジライネンの演技の上手さ、リンの壮絶な声、安井ちゃんの可愛ゆさ、妻屋さんの外人チームに負けない声のよさ、シュレーダーの深い歌唱・・・。どれもが納得、充実の歌と演技でありました。
そして、演出と舞台装置のアイデアの豊富さと「パフォーマンス」として統一した強い意志(しかし決して強靭ではなく、ユルくて柔らかな)のウォーナー演出の素晴らしさ。「黄昏」が楽しみです。

投稿: IANIS | 2010年2月22日 (月) 02時14分

こんにちは、yokochan さん。  早速、「トーキョーリング_ジークフリート編」拝読させていただきました。  なるほど~、噂にたがわずなかなか観応えのありそうな舞台ですね~(笑)  う~ん、こういうお話を伺うと、KiKi の田舎暮らし熱に若干歯止めがかかりそうな気分になってきちゃうんですよね~。

それにしても、このリング。  yokochan さんも仰っているようにあんまり初心者向きじゃないかもしれませんねぇ。  このエントリーから感じられる全体の雰囲気(演出のみならず)はやっぱりそこそこワーグナー作品に、そしてリングに馴染んだ人向きなのかなぁ・・・・と思いました。  だからこその理想的なオーディエンスの皆さんだったのではないかしら?  

それにしてもホント、yokochan さんといい、romani さんといい、この舞台を観にいらしたとは羨ましい限りです。  KiKi もお邪魔して是非薩摩産の焼酎をご一緒したかったですぅ~(*^.^*)

あまりにも悔しい(?)ので、KiKi も今日は例のラッカムの絵本片手に「行けなかったけれどいいもん、自宅で勝手にリング_ジークフリート編」を負け惜しみの如く楽しんでいるところです(笑)

  

投稿: KiKi | 2010年2月22日 (月) 19時58分

IANISさん、こんばんは。
土曜日は、観劇お疲れさまでした。
私は飲んでしまいましたが、IANISさんは車中、とても充実したお気持ちでのご帰宅であったことと思います。

ワーグナーを、永くダラダラ聴いてきただけでの長文で恐縮です。

まったくもっておっしゃるとおり、でこぼこのない見事な出来栄えで、ひとつの完璧に出来上がったプロダクションになったものと確信します。
リングはこうしてコツコツと仕上がっていくのですね。
手間がかかりますが、新国はその存在ゆえに、このプロダクションを維持、そして育てて欲しいと強く望みます!

新国でしか味わえないのも、それはそれでいいのかもしれませんね!
残る黄昏、大いに楽しみましょう。

投稿: yokochan | 2010年2月22日 (月) 22時24分

kikiさん、こんばんは。
予定どおり行ってまいりました。
2度目の観劇でしたが、悲しいくらいに覚えてませんでした(笑)
だからこそ、楽しいオペラ観劇なんですね。
あら、こんなこと言うとまた田舎暮らしを刺激してしまうでしょうか・・・。

ワーグナーを観劇するには、ある程度予習が必要だと思います。
せっかくのめったにやらない演目を存分に楽しむためですね。
でも実は、初めての人でも楽しめちゃうのが、トーキョーリングだったりしまして、わたしのようなワーグナーヲタクや初ワーグナーの人も普通に観れちゃうところが、ポップで軽いところだったりします。
 かつての抽象的な演出では、音楽を心得ておかないと、耐えきれないものだったと思いますが、いまや劇として楽しめ、さまざまな情報を受け取ることが出来るのが「リング」であり、ワーグナーだと思います。
 時代の変遷ですねぇ。

ラッカムの絵、拝見しました。
トーキョーリングに目が慣れてしまったワタクシには、なぜだかとても懐かしく新鮮!

そうそう、まだ、4月に黄昏ありますよ~
あの焼酎はromaniさんお薦めの1本で、とてもおいしっかたですよ~。
と何気にkikiさんを刺激してみるワタクシでございます(笑)

投稿: yokochan | 2010年2月22日 (月) 22時44分

いつも楽しく劇評拝見しております。私は音楽ファンというよりは演劇ファンで、音楽はさっぱりなので、こちらのサイトを拝見することでオペラの音楽的な部分を補うことができ、いつも感謝しております。

管理人様だけではなく、皆さまに質問させていただきたく、コメントさせていただきます。
1幕と2幕の間の休憩の際、何気なく舞台を眺めやると、ホームレス姿のラインの娘たちが舞台を横切っていました!さすが、ウォーナー演出と感激しました。
「これは次の休憩にも何かあるぞ」と待ち構えていたのですが、トイレから帰ってくると不覚にも舞台前面の赤い金床がなくなっていました。どのようになくなったのでしょうか?どなたかご覧になっていた方はいらっしゃいませんでしたか?

投稿: Schiff | 2010年2月25日 (木) 14時32分

Schiffさん、こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。
いつもご覧いただきありがとうございます。

今回は、こんな長文となってしまい、自分でもやり過ぎかと思いましたが、あんな面白い舞台を記憶にとどめるため、筆が進んでしまいました。

幕間にそんな仕掛けがあったのですか!
いつものことながら、酒飲んだり散策したりで時間つぶしにふけってしまうのです。
まるで、コンヴュチュニー演出のような具合です。
ホームレス、ラインの乙女はとてもわかります。
黄昏でも買い物カートを引いて出てきたような記憶がいま蘇りました。
金床は、3幕で巨大なオブジェで登場しましたね。
どうやって、消えたのでしょうねぇ??

ご覧になった方のコメントお待ちしたいと思います。

どうもありがとうございました。

投稿: yokochan | 2010年2月25日 (木) 22時06分

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