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2010年3月

2010年3月30日 (火)

ワーグナー 「神々の黄昏」 新国立劇場公演①

Shinkoku1
ワーグナー「ニーベルングの指環」第3夜、神々の黄昏」を観劇。
これで5度目のリング体験の最終夜。
そして、2004年のプリミエから2度目。
ジークフリートと同じく、6年前のこと、あんまり詳細に覚えていない。
断片的に思い出すけど、全体がつながらない。
 でも、最後のブリュンヒルデの自己犠牲から最終救済ステージはよく覚えてる。

長大なリングをいかに完結させるか、演出家がよりをかけて完結感をどう持ってくるかの場面でありますゆえ、ウォーナー演出に限らず、実演や映像でも、それぞれのリングの特徴を端的にあらわすシーンをつぶさに記憶にとどめているのであります。

序夜「ラインの黄金」と再びつながるかのような大河ドラマに相応しい幕切れは、今宵もしっかり用意されていて、それは、フローが撮影して始まった映画の上映会であった。
その観客は、若い連中で、次の世界を担う若者たちだった。
彼らは、われわれ、こちら側の観客を見つめ、問いかける。


噂によると、今回の上演が4部作最後との話もあり。
銚子にある劇場倉庫のキャパや、その保管・輸送コストによるものらしい。
また、キース・ウォーナーとの契約もあるのかもしれない。
たしかに、4部作を通じて、同一の場面設定が少ない演出だったし、上下に規模のデカイ装置ばっかりだ。
ウォーナーももしかしたら、もう新しい次元に達しているからかもしれない。

小泉政権発足の年に始まったトーキョーリングは、これで終焉を迎えてしまうのか
単独上演可能の「ワルキューレ」ぐらいは残るかもしれないが、世界に発信できたこのリングが終わってしまうとすれば極めて残念。
キャパの問題はあるけど、急速に音楽受容国となりつつある隣国との供用や、共同上演なども今後できないのであろうか。

 ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン    
 ジークフリート:クリスティアン・フランツ

 ハーゲン:ダニエル・スメギ        アルベリヒ:島村 武生
 グンター:アレクサンダー・マルコ=ブルメスター 
 グートルーネ:横山 恵子

 ヴァルトラウテ:カティア・リッティング ウォークリンデ:平井 香織
 ウェルグンデ:池田 香織        フロースヒルデ:大林 智子
 第1のノルン:竹本 節子        第2のノルン:清水 香澄
 第3のノルン:緑川 まり

     ダン・エッティンガー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

           初演演出:キース・ウォーナー
     企画:若杉 弘
     芸術監督代行:尾高 忠明
     舞台監督:大仁田 雅彦

                   (2010.3.30@新国立劇場)

Gotterdammerung2010
 もしかしたらラストの気持ちも抱きつつ、一シーン、一音たりとも逃すまいと、目も耳も凝らしつつ集中した5時間。休憩を入れると2時から8時半まで
一寸たりとも集中力が途切れず、ましてや眠くもならない。
舞台が常に動き、その変転が説得力あって抜群に面白い。
初リング、初ワーグナーの方でも、私のようなワーグナー・ヲタクにも、等しく平等に楽しめるキース・ウォーナーのトーキョー・リングなのである。
満席の平日の新国。
幕が降りたら、満場の大拍手。
音楽の余韻も、会場全体で楽しめたヒヤヒヤしなかった希有のワーグナー上演でございました。

まずは、出演者たちの歌いぶりを書きます。


Ki_20002730_7_3 そうです、そうなんですよ!!
皆さま絶賛のとおり、このプロダクションは、イレーネ・テオリンの完璧極まりないブリュンヒリデに尽きてしまうのであります。
イレーネさまが、あんまり素晴らしく、聴衆の歓声を一身に集めてしまうものだから、これまた素晴らしいジークフリートのフランツが、カーテンコールでは、ちょっとふてくされて(あっさり元気なく)見えてしまった・・・・。
そのくらいに圧倒的な声を持つテオリン。
トゥーランドット姫では、バカでかい声ばかりに耳がいってしまっていたが、このプロダクションに聴いたブリュンヒルデの歌唱では、確かに声は圧倒的なるも、ブリュンヒルデの成長と心の濃淡を見事なまでに歌い込んでいたのでありました。
ワルキューレからの成長ぶりもほんとうは観聴きしたかったのだけれど、この黄昏におけるブリュンヒルデは、愛憎半ばするジークフリート「一途」の一人の女でありつつも、最後は神々をも圧倒してしまうであろう気品と抑制された感情の歌い込みを見せていたのだ。
ジークフリートとの二重唱の高揚感、ヴァルトラウテへ語る夫への熱い想い、ヴォータンへの呪詛、裏切られたジークフリートへ迫る迫真の歌と絶望が憎しみ変わるさま。ここで舞台前面で片膝付いて歌うイレーネ様の姿はまったくもってすさまじい愛憎ぶりでございました・・・。それから、自己犠牲の凛々しさと近寄りがたい神々しさ。ここでのピアニシモからフォルティシモまで声の広大な幅
大味でないイレーネの歌をしっかり確認できた。
こんなにクオリティの高いワーグナー歌唱が、バイロイトと同じように、日本で、家から1時間くらいのところで聴けるなんて、望外の幸せなのであります。
彼女が、いまのように大ブレイクする前に押さえた新国のキャスティング部隊の目利きと若杉体制に、いまさらながら感謝しなくては。
年末のイゾルデは、すごいことになりそう!!

Ki_20002730_12
対するフランツのジークフリートにも、最大限の賛辞を残さなくてはなりません!
6年前の前回プロダクションと比べても声は衰えはなく、変わらぬスタミナ配分をもって全体を歌い通す力。
ぶっといロブストな声でないけれど、親しみあふれる明るめの声質のヘルデンは、とってもクリアーで重ったるく感じない。その風貌も、何度も見てると愛着がわいてきて、その愛着が自然児ジークフリートと同質化してしまうのだ。
だから、ハーゲンの槍に倒れ、辞世を歌い、葬送行進曲のなか、背中を血に染めながら、舞台奥に立つブリュンヒルデ(?)に瀕死で向かう姿に、憐れを催してしまい涙するのであった。実際、このシーンで、私はそのシーンと音楽の崇高さに涙ぼろぼろ。あやうく嗚咽しそうになった・・・。

スメギのハーゲンは、大きな拍手をもらってたけど、わたしはちょっとその声が好きになれなった。
喉に詰まったような声は、そのボリュームは申し分ないけど、ちょっと気になった。
前回名をあげた長谷川さんのほうがインテリ感といやらし感がうまいこと出てた。

ブルメスターは、バイロイト常連。
こんな旬の歌手を聴けちゃうんだからうれしい新国。
そして、やや軽めの声ながら、グンターに必要な頼りないヒロイックさを声で見事に歌い込んでいたと思う。こちらは、前回のR・トレケル(鬘あり)の神経質ぶりもよかったが、ブルメスターのアンフォルタスのようなグンターも実によかった。

前回の比較で、トータル・ビジュアル的には負けてしまったけど、歌では互角かそれ以上の横山恵子さん。彼女のグートルーネは、主張するグートルーネでありました。
ちなみに前回は、蔵野蘭子さまでした!
立派にブリュンヒルデ級の声をもつ彼女のグートルーネは、ウォーナーの求めた機敏さと今風さがほどよかった。

ブリュンヒルデ級といえば、ノルンのひとりが緑川まり様。見事なお声。
わたしの好きな清水香澄さんも、最初見分けがつかない3人だったけど、歌でわかったし、竹本さんもいいメゾしてた。
 それと影が薄くなりがちな、ヴァルトラウテのリッティングは、とても美しい方で、その声も深くてドラマテックなメゾだったけど、なにぶん相手がテオリンだったので歩が悪い。
怒られてほうほうの体で逃げちゃった。
 日本を代表するアルベリヒ・クリングゾルの島村さんの病人アルベリヒぶりもよい。
年を経てしまった、芸達者なラインの乙女たち。
見た目の肉襦袢と年寄り化粧が気の毒だったけど、声のコンビネーションも練られており、他に代え難いトリオとなっていたのが素晴らしい。
 
長大なリング上演を短期にやるとなると、指揮者・歌手たちが、ひとつのファミリーとなって一体感をにじませるようになるわけだが、黄昏も最終会となると、まさにオケも歌手も見事なまでの完成度を見せることになった。
素晴らしい歌手たちを束ね、時には助けられつつも、エッテインガー君は4部作のそれぞれ回を追うごとに音楽理解を深め、説得力も増すようになってきたと思う。
ブーもかなり出たというが、いったい何に対してブーをしたかったのだろう。
 たしかに表面的にはテンポが遅く、時に弛緩して感じもした。今回も2幕の最後は、私が親しんだテンポ感とは異質だった。
でも、この緻密かつ雄弁なウォーナー演出によりそうような機敏さと濃厚さも持ち合わせていたように思う。
それが師匠のバレンボイムのように腰の重さと空虚さにつながっていないところがいい。
まだ若いから、どう変転するか不明なれど、若いなりの初リングを、意欲溢れる東京フィルとともに築き上げてくれたのであります。
 後半疲れたのか、いつもの東京フィルっぽく、ちょこちょことやらかしていたけど、この黄昏は、大絶賛してもいいかもしれない。
前回はN響にいいとこもってかれたし、同様に二期会リングでも、都響がピットに入ってしまったから、東京フィルとしては初「神々の黄昏」なのだ。
しかも、新日フィル、シティフィルなどにも先を越されているから、このリングの通しは、エッテインガーとともに、なみなみならぬ意欲でもっていどんだ東京フィルなのであろう。
 素晴らしいオーケストラでありました。

以上が演奏編。

長くなる舞台詳細記載は、次回に。
忘れないうちに、自分のために書きしるしておきたいのですから、毎度のように長文覚悟ください。

 

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2010年3月29日 (月)

気持ちが切り替わらない

Yokohama_nyanko
寒い一日でございました。春なのに。
プッチーニ「ラ・ボエーム」がずっと耳に残り、雪降る光景と可哀そうなミミの姿がずっと目蓋に残るこの二日間。
本日、月曜もゴージャスすぎるカラヤンのボエームや、カルロス・クライバーの眩いボエームを聴いております。

でも、明日はワーグナーしなくちゃならんのだ

なんということでしょう。正直やめて欲しいこのスケジュール。
自業自得とはこのことでありましょうか・・・・・。

好きなワーグナー地獄が、口を空けて待っているのに。

わたしのフェイヴァリット・オペラ三大作曲家、ワーグナー・シュトラウス・プッチーニ。

パヴァロッテイの心の澱がすべて流されてしまうようなロドルフォの歌。
そして、万年ミミのフレーニの暖かな歌唱。
そして、クライバーに感情をかきむしられてしまう・・・。
そして、ホモキの人ごとじゃないくらいに、現実を見据えたシャープな演出。
これらに心奪われてます。

でも明日には、どっぷりとトーキョー・リングにはまっている自分が見える。
噂では最後と言われるトーキョー・リング。
明日からしばらく、ワーグナーのあっちの世界に行ってまいります。

横浜でみつけた「にゃんこ」も、「ったく、しょーがねぇなぁ」と申しております。

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2010年3月28日 (日)

プッチーニ 「ラ・ボエーム」 神奈川県民ホール

Yokohama_1a
オペラ前に、関内駅からスタジアムを通って、今年こそは最下位脱出をと、お祈りして、山下公園方面にぶらぶらと歩む。
毎年、早咲きの桜を撮影。
こちらは、横浜海岸教会。
日本で一番古いプロテスタント教会と。
本日お世話になりましたyurikamomeさんご夫妻から、教えていただきました。

La_boheme_yokohama
神奈川県民ホールとびわ湖ホール、ともにウォーターフロントの素敵な環境にあるホールの共同製作、二期会供催する春の恒例上演。
今年はプッチーニの「ラ・ボエーム」。

14時開演。
開演少しまえに、客席につくと、今回の演出家ホモキならではの、額縁ステージがすえられている。
そして、真黒い背景、何もない空白の舞台に上からしんしんと、雪が降りそそいでいるのであった。
ほぽ時間どおりチューニングのあと、いきなり指揮者沼尻さんがすでにいて、第1幕の元気な音楽が始まった!
指揮者は知らぬあいだに、指揮台のたもとにひそんでいたのだった!

この間髪いれぬ出だし、ザワザワ感を残しつつの、劇の進行。
われわれ観衆は、最初はそれぞれに違和感と温度差を持ちつつも、リアリティーあふれる舞台に共感抱き、同化してしまうのであった!
各幕が30分たらず。ドラマと音楽が凝縮されたプッチーニの見事なまでの作品。
その4つの幕を、幕間なく連続で上演した演出家の非情なまのでの意図。
 クリスマスイブから始まる1年間の若者たちのドラマを、一気に観せてしまう。
そのためには、名アリアの数々は、決して聴かせどころではなく、大向こうをうならせるような歌いぶりも必要がなかった。
なのに、アリアのあとには、常套的に拍手が。幕の終わりにもパラパラと拍手。
それを制止するかのような沼尻さん。
拍手をするなとのアナウンスを事前にするのもちょっとどうかと思うけど、今回の演出においては、それぐらいに徹底してもよかったのかもしれない。
 驚きの幕切れでは、静かなレクイエムのような終わりかたに、幕が下りても静かなままだった・・・・・。

ちょっと衝撃で、後味がやや複雑。
ホモキ演出は、「西部の娘」「ばらの騎士」に続いて3作目だけど、共通項は、若者の視点。
人物たちはみんな現代のどこにでもいるカジュアルな連中で、衣装もそのまま。
ショッピングカートや段ボール、ボトル入れ、ドラム缶など、チープな小道具。

ボエームも、まさにそんな舞台でありました。
そして、アパートの屋根裏部屋なんてのもなし、カフェもなし、酒場もなし・・・。
な~んにもない。
あるのは巨大なクリスマスツリー。

   ミミ:浜田 理恵       ロドルフォ:志田 雄啓
   ムゼッタ:中嶋 彰子    マルチェッロ:宮本 益光
   ショナール:井原 秀人   コッリーネ:片桐 直樹
   アルチンドロ:晴 雅彦   パルピニョール:大野 光彦
   ブノア:鹿野 由之

     沼尻 竜典指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                びわ湖ホール声楽アンサンブル
                二期会合唱団
               神奈川県立弥栄高等学校合唱団
     演出:アンドレアス・ホモキ
                       (2010.3.27 @神奈川県民ホール


第1幕
Boheme_3
ロドルフォとマルチェッロ、そしてたくさんの思い思いのなりをした人々。

マルチェッロは、黒い壁面に、前衛芸術よろしく、黄色と赤のペンキをバケツでぶちまける。ロドルフォの書いた原稿は、ドラム缶の中で、実際に100円ライターで着火されて燃えてしまう。
作品が売れたショナールは、ショッピングカートにワインや肉、パンなどを満載にて登場。
そう4人のボヘミアンたちは、貧乏だけど清廉で衣装も若い芸術家風。
やがて、巨大なツリーが運ばれてきて真ん中に横たえられる。
ミミは、楚々としたお嬢さん風で可愛いけど、咳き込んでイナバウアーなみに卒倒し倒れてしまうのでビックリ。

Boheme4
ドラム缶の横で、ボトルケースに腰を掛けて歌われるアリア。
二人が仲良く去ったあと、誰もいない舞台に上から雪が舞い落ちてきた。
この光景に素晴らしく美しい後奏を聴きながら、私は早くも涙がこぼれた・・・。


第2幕
人々がにぎやかに登場し、ツリーに梯子をかけ飾り付け。
ツリー好きの私を唸らせる見事なもの。グラスファイバーのイルミネーションも極めてきれい。
子供たちに追いかけられるパルピニュールはサンタクロースで、可哀そうにもズボンをはぎ取られてしまう。悪いガキどもなんだ。
ミミは赤い帽子をかぶっていて、ここでも可愛い雰囲気を出している。
アルチンドロに買い物の荷物をたくさん持たせてお色気ムンムンのムゼッタが登場。
そのお姿は、ミニスカートに黒タイツですよ、うっふん
彼女がワルツを歌うと、人物たちは全員スーローモーション。
ゆったりの動きの中に、マルチェッロの揺れる感情が浮き彫りに。
そしてついに我慢ならなくなって、衆目の中で抱き合い倒れ込む濃厚なふたり。
んもぅ~。
やがて軍楽隊の行進が始まり、お勘定を先の紳士にと言い残し、ボヘミアンたち退場。
ツリーも倒される。
代わりに現れた人々は、舞台前面にプレゼントをもって勢ぞろいし、むちゃくちゃな勢いで、その包みを引きちぎりあたりをゴミだらけにしてしまう。
勘定書を見せられたアルチンドロは、椅子にくずれ落ちて、口をあんぐり・・・。
元気なエンディングの和音とともに
、全員こんどはストップモーション。
あの紳士はあんぐりのまま数分間。

第3幕
静止軍団は、しばらくそのまま。寒々しいこの幕の開始とともに、ゆったりと退場・・・。
ミミは変わりない衣装で、でも咳き込んで登場し、人のよいマルチェッロは同情しまくる。
そして出てきたロドルフォは、ジャンパーに7:3カットの頭。ちょっと冴えなすぎじゃねぇ。
でもプッチーニの涙さそう音楽。
「春になったら別れましょう。寒い冬がもっと続けばいいのに」、と舞台の左右に別れて歌う二人。真ん中では、マルチェッロとムゼッタが、賑やかな喧嘩。
ほんとうによく書けている音楽、そして見事なステージビューであります。
全員がバラバラとなり、舞台はまたしても無人。
そこにまた雪が降ってきた。。。。


第4幕
テーブルが給仕たちによって次々に運びこまれてきて、その上はまっ白いクロス。
ロドルフォもマルチェッロも、洒落た上下を着ていて、これまでのチープ・ファッションと違う。このテーブルに不遜にも乗っかってしまう失礼な二人。金を持った成功者。
ウェイトレス二人が、ドキドキしながら二人に近づき、本にサインしてもらってる。
やたらと色目を使うロドルフォ。お前、それでいいのか上着を脱いだら、シャツがだらしない(これも演出なり!)


Boheme_1
後から来た二人の仲間もグレードアップしている。
そして、ゴージャスな料理にシャンパン。
ロドルフォは、ウェイトレスを押し倒して抱きついてるし、やがて始まる乱痴気騒ぎ。
ショナールは、顔にパイを浴びてまっ白。ロドルフォにはマルチェッロが、頭の上からオレンジのジュースみたいな液体を浴びせかけてべっしゃり・・・・。
もう無茶苦茶でござりまするがな

そこへムゼッタが駆け込んできて、ミミを連れてくる。
急転直下の悲劇的ムードへの変換は、実に見事。
ミミは憐れにも落ちぶれた様子。まるで家政婦のよう。
地味なグレーのカーディガンに、靴下。髪は、思い切りショートに刈られているんだ。
この気の毒な姿に、そして、かつての仲間たちの名前を一人一人呼ぶミミに、もう私は涙ポロポロ。
ベットなんてない。テーブルが1基倒れていて、そこに背を預け悲しそうに歌うミミ。
赤い帽子は、ロドルフォの書いたであろう本の中に納められてしまった・・・・。

ムゼッタは、上着を彼女にかけてあげる。上着を脱ぐと下はノースリーブ、そう春を売る女性なのではないだろうか・・・・。
ムゼッタはポケットから、指環を取り出して、マルチェッロに売りにゆくように頼み、自分も出てゆく。
ショナールは、お盆を持って人々の間を回って、お金をカンパしてもらい、コッリーネは外套を脱ぎ虚しく歌うが、(こんな場面でも常套的拍手が起きるとは・・・)その外套は、近くの男とお金でその場で交換。

ロドルフォもショナールも、顔が情けなくてマヌケなおバカさん。
やがてマフを買ってきたムゼッタに、ポケットから金を取り出すロドルフォ。

息を静かに引き取り、人々はざわざわと、そして残念そうにする。
ツリーを下げようとする給仕たちを留めるマルチェッロ。
その死に気がついたロドルフォは、ミミに駆け寄るどころか、少し離れたところで、棒立ちのまま、ミミの名を叫んで立ち去ってしまう。
ショナールも、コッリーネも、そして人々も、最後はためらいつつもマルチェッロも、み~んな舞台から去ってしまうんだ。
 可哀そうなミミの傍らに残ったのは、ムゼッタただ一人・・・・・・。


この常識を覆す幕切れ。
でも、私はここでも、当然のように涙ちょちょぎらせていたのであります。
憐れなるミミ・・・、そして相哀れむかのようなムゼッタの姿に。

ボヘミアンたちは、金を得て、その清廉の心もどこかへ置いてきてしまった。
ミミとムゼッタは、働きづくめだけど、人を思いやる優しい心はしっかり残している。
人々は、みんな身なりがよく虚しいくらいの傍観者だけど、同情はするし、お金も出す。
いま、わたしたちの身の回りに起きていることばかりじゃないですか。
 なんだか、考えさせるボエームでありました。

このユニークなボエームで、演出家の要求する細やかな演技に完璧に応え、そして歌も最高に素晴らしかったのが、浜田さん中嶋さんの女声ふたり。
そう、ボヘミアンたちじゃなくって、彼女たちが主役のオペラに感じたくらい。
浜田さんのイタリア語のディクションの見事さと、どんな音域でも鮮やかにホールに響き渡る声量、そして感情のこもった歌。もう完璧でした。
メリザンド、リューと聴いてきて、今回のミミです。次は蝶々さんが観たいもの。
 それと中嶋さんの個性豊かな歌と演技にも大満足。
男性陣は、とくに宮本さんが急場の登場で堂に入っておりました。
でも女声に比べるとちょっとね・・。

最初こそ、音が固く鳴りが悪かった神奈川フィルだけど、徐々にピットの中から音が鮮やかに立ち上るようになってきた。
沼尻さんの指揮、的確で安心感溢れるもので、オペラ指揮者としての風格もただようようになってきた。
プッチーニらしい甘味でゴージャスな響きは、昨年のトゥーランドットの方がよく出ていたように思う。もちろん作品の質にもよるけれど、演出のこともあり意識して抑えていたのかもしれないし、神奈川フィルの音色の変化もあるのかもしれない。

これからのオペラ制作に欠かせない共同制作。
来年は、「アイーダ」です。そして秋のびわ湖は「トリスタン」。

Wataru1
アフター・オペラは、yurikomomeさんご夫妻のお誘いで、Scweizer_Music先生とご一緒に、あさかバンドのママさんのお誕生会に、押しかけてしまいました。
おめでとうございます。
とっても楽しく、そして幸せなご家族と、そのお仲間が、とっても眩しく感じました。

次は是非、そのライブに参上いたしたいと存じます。
 そして、お店がまた、わがベイスターズ選手もやってくる所縁の場所でございました
どうもお世話になりました。
Wataru2
ザ・ムラタだ

Yokohama_2_2
yurikamomeさんとリンクして、定点観測「さまよえるクラヲタ人」版。

それにしても、最近とみに涙もろい。
だから水分補給が常に必要なのですな

「ラ・ボエーム 過去記事」

「カルロス・クライバーのボエーム」
「カラヤンのボエーム」

「レオンカヴァッロのラ・ボエーム」

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2010年3月26日 (金)

スーク 「人生の実り」 K・ペトレンコ指揮

Tokyo_tower_201003

東京タワーの麓、増上寺から。
菜の花と東京タワー。
いいショットです。
今年ほど、一進一退の春は珍しいのでは。
冬が懐かしく、春にはもっとゆるゆると来て欲しい感じもする今日このごろ。
でも、寒けりゃ、寒いと文句ばっかり言うのにね。

Suk_the_ripening

対して、真冬のジャケット。
こりゃ寒そうですな。
こちらは、冬の夕べの物語」という交響詩が入ってるから、そのイメージでもって作られたジャケット。
その曲も素敵なのだけど、今日はメインの大曲「人生の実り」という6部からなる作品。
これらを作曲したのは、チェコのヨセフ・スーク
ドヴォルザークの娘婿にして、ヴァイオリンの同名のスークのお爺さん。
1874~1935年。その活躍時代からして、もろに世紀末。
 そう、わたくしの大好きな年代ゾーニングでして、その音楽はチェコの民族楽派の味わいを残しつつも、完全なる世紀末濃厚ロマンティシズム超満載なのであります。

初期作は、完全にドヴォルザークなところが微笑ましく、ここのCDに収められた作品9の交響詩は100%祖父の音楽といってもいいくらい。
人懐こい表情と豊富なメロディライン。
ホント、まじドヴォルザークなんです。分厚いオーケストラが、祖父と違う領域かも。

しかし、作品34「人生の実り」こそは、先に記したとおりの後期ロマン派どっぷり。
作品9が1895年。作品34が1912から17年にかけて。
この間の変貌ぶりたるや、まるで別人の感あり。
交響曲「アスラエル」あたりを境に、そうなったようで、これからいろいろ聴いて確認してみたいと思っていて、いままであまり気にしてなかったスークという作曲家がいきなり視野に入ってきたのだ。
愛する妻オチルカ(ドヴォルザークの娘)との幸福感や、一方で、義父の死(1905年)による義務感からの解放なども多分に影響しつつ、音楽的には、マーラー、R・シュトラウス、ツェムリンスキー、シェーンベルク、ドビュッシーなどの存在もその視野にはあったスーク。
 偉大な義父を持つ悩みも感じさせる複雑なその音楽。
変貌後の、この私の大好き系音楽は、実は英国のバックスのシャープでフェアリーな音楽を思い起こしてしまった。
前期のものと比較して、正直メロディラインがなく、豊穣な響きの中に旋律が埋没してしまった感があり、あまりに大オーケストラによる印象派的な複雑系の音楽になっていて、一度や二度では、特徴を捉え難いものがある。
10回以上聴いたいまもその印象はぬぐいきれない。

でも、好きだなぁ、甘味さはないけど、この雰囲気。

「人生の実り」は、スーク版「英雄の生涯」で、6部からなりたち、「この世への認識~青年期~愛をこめて~運命~決意による解決~辞世」こんなサブタイトルがついてます。

おぼろげな出だしから、春のような活発な雰囲気、濃厚な恋愛模様、決然としたリズムにのったかっこいい人生闘争、その果ての諦念を感じさせる枯淡の音楽と静かな安らかなエンディング。
第2「ヘルデン・レーベン」であります!

最近活躍の指揮者ペトレンコは、ふたりおりまして、ひとりはワシリー・ペトレンコでリヴァプールの指揮者。
そして、もうひとりが、今日聴いたキリル・ペトレンコであります。
キリルは、今年38歳のシベリア生まれ。早くからオーストリアに移住した音楽一家で、同地にて指揮者となり、以来、劇場たたき上げ的なカペルマイスターとして地道な活動を経て、フォルクスオーパーの指揮者、そして今はベルリン・コーミッシュオーパーの監督の地位にまでなった才人でもあり、努力の人なのだ。
 なんったって、バイロイトの次期「リング」の指揮者と目されている有望株であります!!

オペラの手兵を指揮したこのCDは、ともかくイキがよろしい。
聴きなれぬこの曲に対し、多大なる熱意をもって指揮して、オーケストラがライブとはいえ、本格レコーディングに燃えまくっているのがよくわかる。
一音たりとも気の抜けた音がなく、集中力もやたらと高く感じる。
 ベルリンフィルのライブ映像で、少しだけその指揮姿も観れますので確認してみてください。聴くものを惹きつける魅力溢れる、なかなかのツワモノ指揮者でございますよ。
注目の指揮者キリル・ペトレンコです。
彼のスーク・シリーズ、私も継続します。

追)
ウォルフガング亡きあとのバイロイト。
父の了解済みであろうが、娘二人の指揮者選び。
ちょっと若手有望株にかたよりすぎではなかろうか?
今年は、バーミンガムの主席で、ヤンソンスの愛弟子ネルソンス(30歳)がデビューして「ローエングリン」を指揮する。
いじくりの天才ノイエンフェルスの演出、カウフマン!のタイトルロール、ダッシュ(かわゆい)のエルザ、そして新国ファンにはおなじみのガッロのテルラムントに、ヘルリツィウスのオルトルート。
ワーグナーの音楽そっちのけで、話題性を求め過ぎではなかろうか。
 ヘンゲルブロック(現51歳)が2011年、ペトレンコ(現38歳)が2012年。
おもしろいけど、不安。

いまはティーレマンという重しがあって、ベテラン・シュナイダーが目を光らせているけれど、音楽面での軽量化は今後否めない。

ま、これも時代の流れ。
今後変貌し、先端を走るバイロイトとなるのでありましょうか!

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2010年3月24日 (水)

ウォルフガング・ワーグナーを偲んで

Wwagner_2

バイロイト音楽祭の前総裁、ウォルフガング・ワーグナーさんが亡くなりました。
享年90歳。
戦後のワーグナー上演史に欠かすことのできない巨星が、また一人世を去ってしまった。
時代は否応なく進み、年月も流れる。
そうした中に、私のクラシック音楽受容と愛好とともに慣れ親しんできた存在がどんどん失われてゆく。
世代的に順に訪れることだから、とどめようがないのだけれど、常に寂しいという思い以上の感情を抱かざるを得ない。
70年代からワーグナーを聴きだし、バイロイトの放送もずっと楽しみ、ウォルフガングの任期と治政をずっと見つめてきたからなおさら。

Kna クナと兄弟ふたり。

大リャヒャルトの孫として、兄ヴィーラントとともに、戦後クローズされていたバイロイトの緑の丘の劇場を復活させたのが1951年。
天才ともいわれた兄ヴィーラントの影に隠れつつも、兄と併行して演出を手掛けたけれど、やはり兄の独創性と革新性には適わなかった。
ヴィーラント演出が、戦後の新バイロイトを代表するスタイルとなり、それは極限までの抽象性であった。
 能を思わせるような動きの少ない、暗い照明による舞台で、音楽への集中力をいやがうえでも高める効果をもたらせたと言われる。

それも、いまや昔。現代の具象的・物語的・説明的な演出と180度異にするもの。
 でも、ヴィーラントがあまり評価を得られなかった作品、「マイスタージンガー」については、ウォルフガングの普通の演出の方が好まれ、高く評価された。
市民が、街が主役の楽劇だから、抽象性がそぐわなかったからに相違ない。
DVDで観るこのできるウォルフガングのふたつの演出において、そこにあるのは安心感であり、ドイツの街そのもので、マイスタージンガーの穏健なる定番。
 その父の得意とした「マイスタージンガー」を、若い娘のカテリーナが毎年激しいブーを集める読替え演出で賛否両論呼んでいるのも、思えば何かの符合でありましょうか。

1966年に、兄ヴィーラントが急逝し、バイロイトの舵取りは、ウォルフガング一人に任された。
ここから、弟ウォルフガングの政治力と劇場運営の才が発揮されることとなった。
やはり、大リヒャルトの孫であった
兄の演出は、ホッターやレーマンがしばらく引き継ぎ、70年代にはウォルフガング一人。
 そこで、ウォルフガングはスタート時に例外はあったものの、戦後守られてきたワーグナー一族による演出という範を脱し、外部演出家を招聘した。
まずは、無難にエヴァーディングだったが、G・フリードリヒの登場は物議をかもしだし、ついには、記念すべきバイロイト100年にフランス人、P・シュローを起用したのだった。
この年は、散々な演奏と猛烈なブーを雑誌や新聞で読み知っていたから、高校生だった私はドキドキしながら年末のFM放送を聴いたものだ。
実際、あんなブーイングは、いまでもないくらいの凄まじさだった・・・。
黄昏でグンターが、ジークフリートを刺し貫いたハーゲンに「ハーゲン何をしたのだ」とすごむ場面があるが、この演出は、「シェロー何をしたのだ」と揶揄された。

 ブーレーズの指揮とともに、こうなることを予見しつつ起用したウォルフングのしたたかさと先見性こそ、いまは称えられるべきでありましょう。
実験劇場としてのバイロイトの基盤を、再築した偉大なる功績でありますから。

日本にも馴染み深いウォルフガングさん。
バイロイトの引っ越し公演や新国の演出は観れなかったが、日本での本格上演にいつも心を配ってくれた親日家でもありました。
 偉大なる祖父への思いは、娘エヴァとカテリーナとにしっかり受け継がれてゆくことでありましょう。

今日は、ウォルフガングの演出した2度目のバイロイト・リングから、「神々の黄昏」第3幕を聴いて、故人を偲んでおります。
シュタインも亡き人ながら、ウォルフガングと関係深い指揮者でありました。
有望指揮者・歌手の起用も、ヴィーラントとウォルフガングの功績で、ウォルフガングは、シュタイン、カルロス、バレンボイム、シュナイダー、DR・デイヴィス、ネルソン、エルダー、レヴァイン、シノーポリ、フィッシャー、ティーレマンなど枚挙にいとまなく、今後もネルソンス、ヘンゲルブロック、ペトレンコとその意思は受け継がれておりますし、歌手はあげたらきりがないです。
Rhein1 Rhein2

こちらはラインの黄金
1971年から75年まで、シェロー演出の前のプロダクションで、指揮はすべて、ホルスト・シュタインが受け持った。

Wailure1 Walkure2

「ワルキューレ」
舞台は、4部作すべて、丸いお椀のようなステージが据えられていたようだ。

Sieg1 Sieg2

「ジークフリート」
そのお椀が、いろんな切り方で姿を変えて、いろんな場面を作り出してゆく。
そこに、多彩な照明効果が加えられるが、想像だが動きは少なく、装置は抽象、動きは具象、といった折衷型ではなかったのでは。

Gotter1 Gotter3

「神々の黄昏」
雑誌で読んだ最終の大団円の描き方。
常に容を変えてた、お椀のような方円が、自己犠牲の場面、救済の動機が鳴るなか、最初のフラットな円に戻っていって均整を取り戻し、まっ白な光に包まれたのだそうだ。

想像するだに、素晴らしい幕の閉じ方。

リングの最後は、大河ドラマの最終回よろしく、感動的な結末を期待したいもの。

ウォルフガングの演出もきっと素晴らしいエンディングであったのであろう。

私が体験した、二期会、G・フリードリヒ、K・ウォーナー、いずれの「黄昏」の最終場面も、今もって感動とともに思い起こすことができます。

ウォルフガングとヴィーラントの「リング」、タイムマシンがあれば戻って体験してみたいものです。

  ブリュンヒルデ:グィネス・ジョーンズ ジークフリート:ジーン・コックス
  ハーゲン:カール・リッダーブッシュ  グンター:フランツ・マツーラ
  グートルーネ:エヴァ・ランドヴァ

      ホルスト・シュタイン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                (1975.8.2 @バイロイト)~自家製FM CDR


バイロイトにとって、そしてワーグナー家にとって、さらに極東にいるワーグナー好きの私にとっても、ひとつの時代の終焉を告げる、そんなウォルフガングの死であります。
ウォルフガング・ワーグナーさんの、ご冥福をお祈りいたします。

Got4


     

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2010年3月23日 (火)

なんだかいわくありげな、「にゃんにゃん」

1

暖かくなってきて、外にゃんこの姿もよく見かけるようになりました今日この頃。
ちょっと以前ですが、春らしい「にゃんにゃん」を。
白ねこ、砂のうえ、縁台の下。
いかにも、いわくありそうな、にゃんこ先生でございます。

2

「あれは、寒くなる前、秋のことだったかしら・・・・」

「あのいけずなミケの二郎は、祭りの晩、あたしに言ったっけ・・・・」

3a

「そうにゃの、苦労はさせにゃい、って」

「でも、それっきりにゃん

「あんた、二郎見にゃかった、港のほうでさぁ

クラヲタ人「はい、港区には、二郎っていう店がありあやすぜ、あねご

3

しゃきーーーん

「だったら、あぁた、わたしを、その二郎へ連れておゆきでにゃいかい

クラヲタ人「へい、かしかまりやした。ですが、姉さん、あすこへ参りますとメタボには毒でごぜぇやすし、女子にはちぃ~とばかり毒でござんすが・・・

「にゃにぃーーー、あたいはさ、メタボじゃにゃいよ。二郎の子がここにいるんだようーー

クラヲタ人「は、ははぁ~ーーー、おみそれいたしやしたぁ

というわけで、二郎に行ってまいります。

ただし、ダイエット中につき、行ったことにしてアネゴにゃんこをごまかします。
別館「さまよえる神奈川県人」にて、記事をアップします。

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2010年3月22日 (月)

モーツァルト 「フィガロの結婚」 マリナー指揮

Brothers_3

これ、なんだかわかりますか?
四角いキューブなお菓子。

Brothers_5

なんと、シュークリームであります。
西宮にある、おどろ菓子「パティスリーブラザーズ」が作ってまして、梅田の阪神百貨店で並んで購入。
いろんな種類があるけど、すぐに売り切れてしまうらしく、夕刻あるものだけを手にいれ、ホテルの冷蔵庫に保管。朝一の新幹線だったので、家人をおどろ菓子て、食べさせることができましたぞ。
断面やなにかは、別館にてそのうちに。
 ここはユニーク菓子が多くて、鮮やかなカラーバームクーヘンもたくさんあって、そちらの天然カラーも美味でした。
大阪らしいですなぁ~。

Mozart_figaro_marriner

モーツァルト「フィガロの結婚」を休日に聴く。
いやというほどの名曲。名旋律の宝庫。傲慢にも聴き飽きたなんて思ってた。
当ブログに初登場。本当に久しぶりに全曲聴いた。

そして、心洗われ、晴れ渡り爽快な思いに包まれた。
モーツァルトとはそういうもの。
マリナーの作りだす音楽もそう。
ルチア・ポップの歌声も。

 アルマヴィーヴァ伯爵:ルッジェーロ・ライモンディ 伯爵夫人:ルチア・ポップ
 フィガロ:ホセ・ヴァン・ダム     スザンナ:バーバラ・ヘンドリックス
 ケルビーノ:アグネス・ヴァルツァ   ドン・バジリオ:アルド・ヴァルディン
 マルチェリーナ:フェリシティ・パーマー バルトロ:ロバート・ロイド
 ドン・クルツィオ:ニール・ジェンキンス アントニオ:ドナルド・マクスウェル
 バルバリーナ:キャスリン・ホープ  

  サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー管弦楽団
                     アンブロジアン・オペラ・シンガーズ
                    cemb:ジョン・コンステイブル
                          (1985.8@ロンドン)

フィガロの物語の前段にあたる「セビリアの理髪師」でもって初オペラ録音をしたマリナーは、ふたつめのオペラ録音に当然のように、得意とするモーツァルトの続編オペラを取り上げた。

 劇作者ボーマルシェは、なかなかに破天荒な人生を送ったらしい。
セビリアでは2枚目伯爵が狂言回し的なフィガロとともに、ヒロインを色爺さんから助け出す喜劇だったが、フィガロでは、夫人がありながら伯爵は権力をかさに色仕掛けでもって、かねての仲間で今は従僕のフィガロの恋人を奪おうとする、イケない偉い人になってしまっている。
 セビリアもモーツァルトがオペラ化したらどんなだったろう、と思わなくはないけれど、あれはやはり、典型的なブッフォとして痛快なロッシーニの音楽にこそ相応しい。
モーツァルトが選んだのは、貴族社会を揶揄したような、いわば革命的な内容のフィガロであったのだ。
いかにもモーツァルトらしく、ダ・ポンテの台本もここにこそ生きてくる。
ちなみに、ロッシーニのセビリアは1816年。フィガロは、1786年であります。

次々にあふれだす、名旋律の数々、それらを紡ぐ粋なレシタティーヴォ。
素直に楽しく、鼻歌まじりに聴くこともできちゃうけど、そこはモーツァルトの天才。
個性豊かな人物たちが一見単純なようでいて、それぞれに複雑な立場でもって、いろんな思いや感情を抱いてイキイキと存在している。
モーツァルトのオペラの常ではるが、フィガロは当時革新的な内容だっただけに、モーツァルトの筆が冴えているように思える。

そんな人物たちのなかで、私が今回注目したのは、バルバリーナであります。
え、何故かって、わたしのアイドル的歌手パトリシア・プティボンの2回の来日で、どちらの公演でも、そのはかなげなカヴァティーナを歌っていたし、CDにもおさめられている。
普段埋没しがちなこのカヴァティーナ「失くしてしまったの・・」は、4幕の冒頭、伯爵夫人とスザンナの手紙を留めたピンを探して歌うもの。
 バルバリーナは、庭師アントニオの娘でケルビーノの恋人。好きものの伯爵をも手玉にとるような、おきゃんな娘だけれど、プティボンは、失くしたピンを大切な恋人のようにも思わせる深い感情表現でもって歌ってくれたのだった。 
そのカヴァティーナのあとに歌ったのが、スザンナの「はやくおいで美しい歓びよ」だったもんだから、一環したちょっとしたドラマとなっていて見事なものになっていたんですよ。
 こちらのCDでは、英国歌手のキャスリン・ホープ。ごく普通にきれいに歌ってます。

 このように聴き馴染んだオペラも、ちょっと視点を変えて聴いたり観たりするのも楽しいもの。
そして、どこをとっても、しっかりモーツァルトしてるところが、モーツァルトの素晴らしいところの所以なり。

さわやかマリナーのオペラは、モーツァルトでは、このフィガロや魔笛に最高の適正を見出すことができる。端正で、でしゃばらずに素直にモーツァルトの音楽のみを聴かせることで、このオペラの愉悦に富んだ人間ドラマが語りつくされているように感じる。

そしてポップの伯爵夫人。
名スザンナから伯爵夫人へとステップアップしたポップの歌は、過ぎ去った幸せの日々を思い、貴族の立場の悲しみも思う深い歌いこみを見せていて、あまりにも素敵だ。
そう、彼女がゾフィーから元帥夫人に役柄を一段上げたように。
ここにポップの伯爵夫人が録音され残されたことに感謝しなくては。

ヘンドリックスの頭のよさそうな機敏なスザンナも、彼女ならではの心くすぐる歌声ではあるが、私にはちょっと歌い過ぎかとも思われるが贅沢なものいいか。。
ダムのお馴染みのフィガロもうまいものだが、真面目すぎで、天衣無為的な兄さんてきな雰囲気が欲しいところか。これまた贅沢なはなし。
ライモンディの威力ある伯爵は小憎らしくてユニーク存在になっていて面白いし、バルツのケルビーノも定評あるところ。
 
80年代、最高の歌手を揃えたフィリップスの名録音のひとつでありました。
手持ちフィガロは、好きな指揮者ばかりが揃っていて、このマリナーに、アバド3種、ハイティンク、ベームといったところ。

休日の午後、外は晴れ、空は薄めのブルー。
フィガロで気持ちよく過ごせました

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2010年3月21日 (日)

R=コルサコフ 「シェヘラザード」 オーマンディ指揮

Shiba_nanohana

都内、某所、菜の花満開

春がやってきた。

朝出るときは、軽めのコートが欲しいけど、帰りはいらなかったり。
上着も生地によっては暑く感じたりと、われわれは敏感に過ごしているわけであります。

そんなこと言ってるとすぐに、GWがきて、梅雨になって夏休みになって、秋のお彼岸、連休、そしてクリスマスに年末、正月、短い2月に移動の季節・・・・、あぁ、1年ってすぐに過ぎてゆく。
こんな、年とともに、あわただしい1年。
味わうには、ひとりより二人であります。

ご本人も発表されてますとおり、ブログ仲間の「守口フィラデルフィア管弦楽団研究会」のリベラ33さんが結婚されました。
大阪にあったクラシック音楽バーで出会ったお二人。
そして、私もリベラさんとは、そのバーで知り合い、ブログも通じて交流を深めました。
そこでお知り合いになった音楽好きの方も数多く、もっと言うと、ブログを通じて同好の士の輪が広がり始終、コンサートやお酒を通じてご厚誼を通じること多々。
 音楽の力は偉大なり、です。

お二人とも、お幸せに、音楽がともにありますことを

Ormandy_scheherzade1

オーマンディフィラデルフィア管弦楽団といえば、わたしは、これ。
R=コルサコフ「シェヘラザード。あとは、「ローマ三部作」、シベリウスとショスタコ。
(シェヘラザードorシェエラザード、どっちなんだろ?)

ゴージャスなフィラデルフィア・サウンドと言われ、たしかにそうした側面もあるけれど、私はこのコンビは、意外と渋くて正攻法の演奏に徹することが多いと思っている。
CBS盤は未聴なれど、RCAへの録音ではとくにそう感じる。

多彩なオーケストレーションのデパートのような「シェヘラザード」だから、豪華絢爛、面白く聴かせようとすればいくらでもできるのに、オーマンディは音楽に語らせているかのように、じっくりとした構えでもって、まさに大人(たいじん)の演奏なのである。

威圧的にならない冒頭シャリアール王の旋律に続く、名手ノーマン・キャロルの弾くシェヘラザードの美しい歌も極めて音楽的で、浮ついたところがない。
終楽章の船の難破騒ぎは、もっとキレよく、ガンガン押して欲しいと思われるけれど、そうはならないところがこの演奏。
味があります。
だから、第3楽章の王子と王女の楚々とした美しさが際立って感じる。
ここでのフィラ管の柔らかな弦の音色は素晴らしい。
この楽章だけなら、シェヘラザードは、オーマンディが一番!

眩くキラキラ系シェヘラザードが聴きたいといきは、ロストロポーヴィチとデュトワ。
 普段は意外と正攻法の演奏である、コンドラシン、ハイティンク、プレヴィン、小澤(BSO)、アシュケナージ、ヤンソンスなどを手持ちに、オーマンディと並んで聴いております。
この曲、時おりハマっちゃうんだよね。

そうそう、このオーマンディ盤のジャケット。初出レコードのものと、このエキゾティックなおねぇさん画像が反転していて真逆なんですよ。

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2010年3月20日 (土)

マルシュナー 「吸血鬼」 ノイホルト指揮

Foreign_graveyard2

これ、わたくしが撮りました。
昨秋の、横浜外人墓地。
何十年ぶりに訪れたけど、夜になってしまった。
そこで、カメラを柵に押し付けるようにして固定して夜景モードでパシャリ。
どーですか。なかなか雰囲気あるでしょ。
ところがですよ、右の上の方になんか写ってる・・・・・・・・・・・・・・・・

Foreign_graveyard3

さらにもう1枚。
ここには何もなさそう・・・。

こんな写真を出したのは、そう、吸血鬼「ヴァンパイア」という名のオペラがあるからです。
ヨーロッパには古くから吸血鬼伝説があって、死者の蘇り+不死という概念は、キリスト教社会の反動ともなりえたから、その伝説は、西欧よりは東欧のスラブ諸国においてこそ根強く、ルーマニアがその典型。
ドラキュラ伯爵が生まれたのもルーマニア。

そして、オペラを書いたのは、ドイツの作曲家ハインリヒ・アウグスト・マルシュナー(1795~1861)。
その生年を見ると、シューベルトより2歳上、国民オペラのウェーバーの9歳下、楽劇のワーグナーの18歳上。
こんな立ち位置のマルシュナー。実に23ものオペラを作曲しているから驚き。
一番有名なのが「ハンス・ハイリング」というオペラで、これはDVDも出ていて面白そう。
そして、その特異性ゆえに、「吸血鬼」がずっと気になっていた。

Marschner_vampyr

原作は、長いことバイロンの作と思われていた「吸血鬼」という小説で、実は英国のジョン・ポリドーリという人の作ということが分かっている。
1828年にライプチヒで初演されていて、ワーグナーはこの時点でまだ15歳だし、最初のオペラ「妖精」を書いたのが1834年。
なぜ、ワーグナーを引きあいに出したかとうと、マルシュナーのオペラは、ワーグナーの音楽とその題材選びに影響を与えているからであります。

そのあたりに入る前に、まずはどんな筋だてなのか、配役と気になるその粗筋を書いてみます。
オペラ辞典と対訳を参考にて、若干脚色してます。

  マルシュナー 歌劇「吸血鬼」

 ルートフェン卿:ジークムント・ニムスゲルン 
 ハンフリー・ダーフェナウト卿:マルティン・エーゲル 
 マルヴィーナ(上記卿の娘):キャロル・ファーレイ
 オーブリー(マルヴィーナの恋人):ヨーゼフ・プロチュカ
 バークレイ卿:ウォルフガンク・レンツ
 ヤンテ(上記卿の娘):ガリーナ・ピサレンコ
 ジョージ・ディブデン:オサルヴィオ・ディ・クレディーコ
 エミー(ジョージの婚約者):アナスタシア・トマシュコヴァ・シェピス
 その他

ギュンター・ノイホルト指揮ローマ・イタリア放送交響楽団/合唱団
                      (1980.1.25 @ローマ・ライブ)


第1幕

①とある街はずれの森ルートフェン卿

 魔女・妖怪、魑魅魍魎が月光のもと歌い踊り、悪魔の親玉を呼んでいる。
親玉は、死者から甦って吸血鬼となっている卿に、地上にとどまる条件として、明日夜中までに3人の処女を生贄にしろと命じる。
 ルートフェンは興奮して「何たる喜び!」とアリアを一発。
そこへ、かねてナンパしたヤンテ嬢が親の元を逃げ出して駆け込んできて、二人は近くの洞窟に隠れる。
そこへ娘を探してバークレー卿がやってくるが、洞窟から悲鳴が・・・・。
娘はもう死んでおり、そばにいたルートフェンを引きづりだし、怒りのあまり刺し殺し、立ち去る。
そこへ今度は、ルートフェンの友人オーブリーが通りかかり、瀕死の友人から月光のあたる岩場へ連れていってくれと頼まれる。
その光をあびて甦るルートフェン。「おぬしは、もしや吸血鬼なり!」と驚愕のオーブリーだが、翌日深夜までの口止めを誓わされてしまうのだ。

②ダーフェナウト卿の館。朝。

 18歳の誕生日を迎える娘マルヴィーナ、その恋人はオーブリーでなのだ。
「輝かしい春の太陽・・・」と胸を膨らませ明るく歌い、オーブリーと二重唱となる。
そこへ、親父ダーフェナウト卿が入ってきて、マスーデン子爵との結婚を決めたからな、と二人にとってあまりに心外の一言。
「絶対イヤ、心に決めた人がいるの!」「それは私です、お嬢さんを幸せにしますから」と必死になるが、親父は聞く耳もたない。
 そこへ、その子爵がやってくるが、この男がなんと、ルートフェンであったのであります。
マルヴィーナは恐怖の悪寒を感じ、オーブリーは、「あんたは、ルートフェンじゃないのか?」と問うが、「それは私の兄弟だが、行方知れず。知っているのか?」とおとぼけ。
しかし、オーブリーは子爵がルートフェンであると確信するものの、「昨夜の誓いを忘れるな!」とすごまれてしまう。
婚礼は今宵と父に約束させ、悪の喜びに震えるルートフェンなのであった・・・・。

第2幕

①マスーデン城の近くの村

 村人たちは、エミーとジョージの婚礼を祝って歌っている。
でもエミーは浮かない顔で、ジョージがなかなかやってこないことをぼやく。
そこへ、ヤンテが昨夜、吸血鬼に殺されたというニュースが飛び込んできて、エミーは不気味な吸血鬼の言い伝えのバラードを夢中になって歌う。
 そこへ、城から子爵が下りてきて、式に立ち会うことを口実にエミーにいいより今宵のダンスの約束を取り付けてしまう。

オーブリーが、ルートフェンとともに現れ、「もう一緒にいて犯罪に加担したくないのであの誓いは破る」と宣言するが、ルートフェンは、「お前は、良い夫になり父となり幸福な一生を送るだろう。ふっふっふ、しかし、誓いを破りし者として呪われているから、その死は訪れず俺と同じ吸血鬼となってさまよう運命にあるのだ!」「俺も生まれながらの吸血鬼じゃないのだよ」
オーブリーは、恋人の死か吸血鬼になるかの運命の択一に悩む。

ルートフェンは、まんまとエミーを連れ出してきて東屋へ消えてゆく。
ジョージは探しまくり、やがて銃声とともに、ルートフェンを撃ったものの、エミーはもうこと切れていた・・・・。月光を浴びて生き帰り、ジョージは恐怖のあまり逃げる。

②ダーフェナウト卿の館。夜。

婚礼の準備が整い、絶望の淵にある二人。
ルートフェンがやってきて、祝言が始まる。
二人は、父に少しでも延ばして欲しいと懇願するが聞きいれてもらえない。
早くとせかす、ルートフェン。婚礼の合唱も始まる。。。。緊迫した場面。
「こいつは、実は・・・」とオーブリー。「おい、誓いがあるぞ!」とルートフェン。
そのとき、真夜中の鐘が鳴り、次の一日が始まったことを知らせる!
誓いの期限が切れたのだ。
「こ、この男は吸血だぁ!」と叫び、同時に稲妻が走り、ルートフェンは炎に包まれ消えてしまう・・・・。
 ダーフェナウトは、娘に詫び二人の結婚を許し、皆の喜びで幕。

妙に明るい幕切れなのでありました。

台本の精度の高さは、のちのワーグナーの足元にも及ばないが、その時代にあって、このようなドラマを選択し、充分に劇的な音楽を書いたマルシュナーである。
その音楽は、ウェーバーとロルツィング、初期ワーグナーの中間くらいで、ドイツ・ロマンティック・オペラの系譜にしっかり刻まれるべきもの。

そして、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」の原型をここに認めることができる。
事実、ワーグナーは、このマルシュナーのオペラから大いに影響を受けている。
呪われた主役はともに暗いバス・バリトンによって歌われるし、呪われた自分を物語るところなどは、オランダ人の「期限は切れた」そっくり。
女を得ないと救われない、という点も同じシテュエーション。
 それから、エミーはゼンタに例えられる。
夢うつつの吸血鬼伝説を歌うバラードは、そう、ゼンタのそれそのものだし、その前の村人たちののどかな合唱も、糸車の合唱に同じ。
 ダーフェナウトは呑気な父さんダーラントだし、青年オーブリーはエリック。

ワーグナーを解き明かすうえでも、このオペラや「ハンス・ハイリング」は是非おさえておきたい作品であります。
 それと、女性の敵、悪逆漢が最後に果てるのは、ドン・ジョヴァンニにも似てますね。

このCDは、ローマにおけるライブで、上質なステレオ録音。
対訳が独語に伊語しかないのが困りもの。

歌手たちはドイツの名手ばかりで、よくみたらこのキャストで、「オランダ人」が組めますな。
特に、ワーグナー・バリトン、ニムスゲルンにぴったりのこの役。
キャラクター作りがうまいもんです。
炎につつまれ消滅するときの叫びはなかなかのもんです。
指揮は、激安リングで名を挙げた指揮者ノイホルト
明るいローマのオケから、雰囲気豊かな響きを引っ張り出してます。

東京オペラプロデュースが5年前に上演しておりますのは、さすがのオペラ団。
そして、このオペラはDVDで観てみたいもの。
クリストファー・リーのような不気味なルートフェンに、えろっぽいネェちゃんたちの被害者で、B級恐怖映画仕立てでもってね。

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2010年3月19日 (金)

フランク 交響曲 コンドラシン指揮

Seikouudoku

「晴耕雨読」・・・・、人生かくありたいもの。
でもそんな日が自分にやってくるとは思われない。
悲しすぎるよ、いまのニッポン。
晴耕雨耕曇耕雪耕雷耕・・・・・。

こんな口当たりまろやかな芋焼酎は、ちぃ~と、飲んだことない。
でもしっかり芋してるんだ。
だいぶ前に鹿児島に行った時、担いで帰ってきたもの。
後生大事に保管してあったけど、家計逼迫して、ついに開封。
しばしの幸せに浸ることができましたねぇ。
明日も耕日ですな。

Kondoraschin_brso_franck

バイエルン放送交響楽団60周年ボックスから、歴代指揮者順に聴く。
今回は、その死で未就任に終わった旧ソ連の名指揮者キリル・コンドラシン
1982年に主席指揮者就任予定だったが、81年に心臓発作で急逝してしまった。
この人の死も痛恨でありました。
モスクワ・フィルの指揮者として爆演系のイメージをもっていたけれど、マーラーやブラームスを得意にし、70年代中ごろから西側のオーケストラにも客演を盛んに行うようになり、そのイメージが変わっていったものだ。

 そしてついに亡命し、コンセルトヘボウとのあの奇跡のような名演「シェエラザード」でもって、ニュー・コンドラシンを世界に印象づけた。
ロシア系とのレッテルがいかに間違った印象を与えていたか。
知的なアプローチとオーケストラドライブの巧みさ、オケの持ち味を生かしたヨーロピアンサウンド。

ハイティンク離れをしつつあったコンセルトヘボウが主席客演指揮者の称号を与え、さらにバイエルン放送響が指名をし、ウィーンフィルも接近。各地のオケでもひっぱりだこ。
80年にはN響にも客演して、私はテレビ・FMにくぎ付け。
その時の曲目は、ブラ4、チャイコ1、プロコ5、ラフ3(中村紘子)、リャードフなどで、いずれもクールな名演だった。

そのコンドラシンが、バイエルン放送響と何回共演したかは不明なれど、初共演が80年で、即、主席指揮者決定だったわけで、どんなに相性がよかったか。
そして、急人気で取り合いになる前に確保したかったオーケストラ側の実情もあるかもしれない。
音源としては、ショスタコーヴィチの13番がやたら凄い演奏として残されているほか、本日のフランク交響曲もフィリップスから一時発売されていたはず。
当時、そのレコードを欲しかったけど、未入手。

そして、このボックスのハイライトともいうべき1枚を、いまこうして聴いてみて、驚くほどの素晴らしい演奏に目からウロコ状態なのだ。
 予想に反して、渋いフランドル調の木目感ただよう渋い演奏で、フランクの交響曲好きにはたまらない内容になっている。
アゴーギグのかけ方が絶妙で、ここはこうして欲しいというところで、ちゃんとそれが決まったりして、聴き手の波長ともばっちり。
オーケストラの明るく、柔らかな響きも、まさにフランクに相応しい。
でもオルガン的な重層的な分厚い響きはなく、どこまでもクリアーなところが、コンドラシンの指揮の知的なところ。
ロシア指揮者と南ドイツのオーケストラという、おおよそフランクとは結びつかないコンビによる、破格の名演だと思うのだ。

堂々たる1楽章からしてその見事な佇まいに目を見張ることになる。
何度も姿を変えて現れる循環主題それぞれにとても味わいがあって、リズムの刻みも見事。暗さとは無縁ながら、悲劇性も漂わすことに成功してる。
終結部のタメ、テンパニの一撃も極めてかっこいいい。
 明晰で正確極まりないピチカートに乗って歌われるコールアングレの歌は、思いのほかスッキリと流れるように歌われる、そんな第2楽章の始まりなのだが、中間部へ向かってだんだんとホットになってゆき、その緩やかな熱に聴いていて徐々に巻き込まれてゆくことになる。終わりの方では、テンポを落として、かなり歌い込むのが印象的。
 終楽章は、浮ついたところなく、かなり渋い。
でも音の出し入れが絶妙にうまく、テンポの揺らしも感興にのっていて自然で、ついつい引き込まれちゃう。最後は深い感動に包まれるのだ。


というわけで、ようやく巡り合えたコンドラシンのフランク交響曲。
私の21種類目となる同曲CDのなかで、もちろん相当上位です。
録音も音楽的で極上の素晴らしさ。
コンセルトヘボウとの放送ライブもあるみたい。

67歳で亡くなったコンドラシン。もう少し存命だったら、このコンビでマーラーやショスタコーヴィチ、ベートーヴェンなんかも聴けたのに。残念。

 

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2010年3月18日 (木)

ハウェルズ スターバト・マーテル ロジェストヴェンスキー指揮

Tsuruoka_church_maria
雪降りしきるマリア像。
山形県鶴岡市のカトリック教会。
奥は幼稚園ですよ。可愛い園児たちが、あのオジサン雪降ってるのに写真なんか撮ってる、って感じで見てましたよ。

「岸壁の母」の二葉百合子さんが引退を発表しましたね。
昭和47年、札幌オリンピックの年に大ヒット。私は中学生。
よく覚えてます。
あの頃はさっぱりわからなかった母親の気持ち、そして親の子を思う気持ちが、いまになっていやというほどわかるようになりました。
私の老母とほぼ同じ歳の二葉さん、元気なうちに幕を引きたいと語ってましたね。

マリア様の悲しみは、世の母親の悲しみとおんなじ。
いくつになっても母親は神様のように思える。

Howells_stabat_mater_rozhdestvensky
英国音楽を愛する「さまよえるクラヲタ人」。
その中にあって好きな作曲家のひとり、ハーバート・ハウェルズ(1892~1983)。
長命であり、つい最近まで存命した作曲家だが、英国抒情派とわたしは勝手に名付けているけど、ナイーブで旋律的、そして深淵なる宗教観に根差した音楽を書いた人。

以前の記事にも何度も書いているけど、40台にして9歳の最愛の息子を亡くしてしまう。
その直後に書かれた「楽園讃歌~Hymnus Paradisは、涙なくしては聴けない名曲で、私の最大級のフェイヴァリット曲なのだ。

そしてこの「スター
バト・マーテル」。
1959年頃から構想され、1965年に完成・初演された大作は、ハウェルズ最後の宗教的な合唱作品である。
英国音楽が好きになり、ハウェルズも好きになって、この10年くらい、ずっと聴いてきた曲。
息子の死からもう四半世紀が経っていたが、いまだにその思いを残存し、その悲しみを「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」という音楽スタイルに託した。
初演は、D・ウィルコックスの指揮。独唱はR・ティアーだった。

そう、テノール独唱と合唱、オーケストラによるユニークな編成。
7部からなる50分の大曲は、終始、深刻で悲しみと哀切に満ちていて、テノール独唱は常に痛切に歌いこんでくる。
全編にわたり短調が支配し、こんな悲しい音楽はないだろうと思われるが、そこは抒情派ハウェルズ、悲しいけれど、優しい。
悲しみの色調なのに、いつの間にか癒しの暖かな手にゆだねられ、心に一陣の風が吹いてゆくのを感じる。

息子イエスを失ったマリアの悲しみと、癒しの対象としての優しいマリア。
ハウェルズの音楽の本質的なものを、この音楽のスタイルに見出し、そして決して声高に叫ぶことのない楚々とした音楽に同化してゆく自分を感じる。

       T:ニール・アーチャー

    ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮
    
      ロンドン交響楽団/合唱団
                 (1994.4 @ロンドン)

以外なロジェストヴェンスキーのレパートリー。
BBC響の音楽監督時代、あらゆる英国音楽を指揮したロジェヴェンさん。
ディーリアスまで録音している。
ハウェルズではあと、ミサ・サブリネンシスも録音していて、われわれが従来もっているロジェヴェンさんの解放的なイメージとはまったく異なる、神妙で静謐な音楽造りを見せている。
ロンドン響と合唱団が自分たちの音楽として、指揮者の集中力に奉仕していて、この演奏は極めて密度が濃い。
アーチャーのテノールも、英国テノールの典型にして、知情意のバランスがよく適度なクール感がよい。

多くの方にお勧めできる曲ではありませんが、英国合唱音楽をお好きな方、フィンジ系の英国音楽をお好きな方などにはお薦め。

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2010年3月17日 (水)

「スタートライン~新しい風」 馬場俊英

Sakasu
明るく美しい階段。
行く先を、きれいに、一歩一歩照らしてくれる。
 でもこんな階段ばかりじゃありませんね。
ともかく、歩きます。昇ります。疲れたら休みます。そしてまた歩きましょう。

赤坂サカスのイルミ階段。

Baba_toshihide_start_line
今日はクラシック以外のお歌を。
それも泣かせてくれちゃう1曲を。
3月という節目と、お別れの季節に。

馬場俊英「スタートライン」という曲。
泣かせ歌として有名だから、皆さんもうご存じかもしれません。
シンプルな曲調で誰でも口ずさめそうなメロディー。
そこに付けられた歌詞が、誰しもをうなずかせ、勇気づけてくれる。

 青春と呼べた 時代は過ぎたのに
 今でも心の奥に 風が吹き抜ける
 優しい人にばかり 悲しみが降り掛かる
 報われないことが ここには多すぎる

 だから そうだよ
 くじけそうな時こそ 遠くを見るんだよ
 チャンスは何度でも 君のそばに


私のようなオジサンに、びんびんと響いてくる。
今ある厳しい現実に途方に暮れ、受け入れざるを得ないけど、いつも心には若い頃の前向きだった明るい思い出があったりする。
 もう、たまりませんね。

売れなくて散々に苦労した馬場さんの心も歌い込まれている名曲であります。

この曲は、2年ほど前、出張先のホテルのテレビで見て聴いた。
主の自殺で残された遺族が悲しみの中から立ち上がってゆくドキュメンタリーで、この曲がその気持ちを後押ししていた。
出ていた人々は、この曲を実際聴いてもう涙、涙・・・・。
ベットで寝ながら見ていた私も、枕を涙で濡らしてしまった。

まだ聴いたことないそこのあなた。
泣いてください。

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2010年3月15日 (月)

デュリュフレ レクイエム A・デイヴィス指揮 

Tsuruoka_church_1
雪の舞う教会。
山形県の鶴岡カトリック教会
去年の冬の画像、今頃出します。
1903年(明治36年)築の歴史あるロマネスク建築の美しい教会。
私は、行った先々に教会があると訪問します。
幼稚園が併設されていて、子供たちのにぎやかな声も聞こえることが多いのが教会。
こちらもそうでありました。
でも一たび堂内に足を踏み入れると、そこは静謐な空間で、いやでもありうべし存在と、そして裸の自分と向き合うことになるのです。
Tsuruoka_church_2
堂内はこのように極めて美しいものでありました。
有名な黒のマリア像や、まるで外国を思わせる本格ステンドグラスなども拝見しました。
そちらはまたご案内できるかと思います。

キリスト教やその教会を思うとき、入信者ではありませぬが、常に音楽がともにそこにあります。
音楽を深めるとともに、西洋の宗教も体に入ってくるような思いも強くなってきました。
Tsuruoka_church_5
先週末は本当に忙しかった。
週末に大阪に所用があり、飛行機も宿もすべて手配していた旅立ちの前夜遅く、敬愛した叔父の訃報。
急なことで、予定も不明のまま飛行機に飛び乗り、とりあえず大阪に向かったものの、思いのほかの日程が組まれ、大阪から意図半ばで急遽帰京。

叔父一家は、キリスト者でして、日曜は教会が礼拝にはいるため利用できません。
忙しいお別れになってしまいました。

亡父が可愛がった叔父、その父の思いを、叔父は息子の私に何かにつけて返してくれました。
音楽好きの私にN響の第9のチケットを毎年送ってくれて、おかげさまで、スゥイトナーやシュタインの第9を何度か聴くことができたし、私が社会人になったときにスーツを見立ててくれたり、食事をご馳走してくれたり・・・・。
思い出はつきないのであります。
教会でのお別れ会では、馴染みの音楽がオルガンで数々演奏されてまして、ことに「主よ人の望みよ喜びよ」には、落涙を禁じえませなんだ・・・・・・。

人を愛する気持ちはどんな宗教でも、無宗教でも一緒であります。
誰にでも優しく、相手の気持ちで生きていきたいと思ったりしてます。
厳しい世なのか、人のことは構ってられない時代だけど、気持ちの中には絶対持っていなくては。


Foure_durufle_requiem
叔父はプロテスタントだったけれど、今日はカトリックの音楽ですが、お許し願おうかと思います。
私の大好きなレクイエムのひとつが、モーリス・デュリュフレ(1902~1986)の作品。
フランスの20世紀の作曲家でだけど、その作風は保守的で、常に教会とともにあってオルガニストであった人。
合唱曲や器楽曲、オルガン曲など、地味な分野での作品の中にあって、「レクイエム」が一番有名になっている。
以前の記事をご参照いただけれだ幸いです。

フォーレのレクイエムをお好きならば、このデリュフレ作品も是非にもお聴きにならなくてはなりません。
癒し系レクイエムとして、フランスでは、カンプラ、フォーレ、ロパルドなどと並ぶ名品でございます。
この人のミサ曲なども、とても美しく聴けます。

私が死んだら音楽葬で、この曲もかけてもらいたいくらい。
その時の音楽はきっとワーグナーも入っちゃうから、きっと参列者は長すぎで帰れなくなっちゃうでしょうよ(笑)。
ぼちぼち選曲しておこうかと思う今日この頃であります。

サー・アンドリュー・デイヴィスの若き日の録音。
77年。先にこちらが録音され、次いでフォーレも録音された。
レコードでは2枚に別れて別に発売されたけど、CDでは1枚に収まってしまった。
どちらも、アンドリューの真摯でかつ熱い思いが、癒しを超えた熱烈な祈りの境地を描きだしていて素晴らしい。
キリとニムスゲルンの歌がまたオペラに傾く寸前の思い入れの濃さを伝えてくれる。
キリは、デッカ専属前。無垢な声。
ニムスゲルンは、ワーグナー歌手として大成するまえ。明るい美声。

カップリングのフォーレで、ルチア・ポップの歌う「ピエ・イエズス」に落涙を隠せなかったこともご報告しておきましょう。

  S:キリ・テ・カナワ  Br:ジークムント・ニムスゲルン

  サー・アンドリュー・デイヴィス指揮フィルハーモニア管弦楽団
                       アンブロジアン・シンガーズ
                          (1977.1@オール・セインツ教会)

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2010年3月12日 (金)

ワーグナー 管弦楽曲集 シュタイン指揮

Keio
慶応大学東館の入口アーケード。
日付も変わって、酔った勢いで撮影。
東京タワーも同時に消灯で、真っ暗に。
日中は、ここは往来で人通りも多いので写真なんて撮ってらんない。
慶応といえば、その学生オーケストラも早稲田、東大と並んで有名。
その名前は、慶応義塾ワグネル・ソサエティー・オーケストラ。
直近のコンサートは先月、サントリーホールで「パルシファル、伊福部、マーラー5番」なんていう超濃厚プログラム。
指揮は、飯守先生ですよ。
行きたかったけど、チケットはソールドアウト。

Stein_wagner
そして、ワーグナー再び。
指揮は、われらがホルスト・シュタイン
シュタインが2008年に亡くなったとき、私はとても寂しかった。
先ごろのスウィトナーの時も同じ寂しさを味わった。
日本を愛してくれた名匠たちを、テレビやホールで親しく接してきたからに他ならず、さらに現役を退き、思い出の中にあった指揮者たちだったからゆえのことだ。
現役時代の活躍に接してきた自分の若さ。
年を経つつあるそんな自分を思ったりしての寂しさもあったわけだ。

あとはサヴァリッシュだけになってしまった。考えたくないです。

シュタインほど、ワーグナーと直結して思い起こす指揮者っていないと思う。
地味ながらもバイロイトの音楽監督のような立場にあって、ウォルフガンク・ワーグナーの信任も厚く、69年から86年までの長きに渡って指揮し続けた。
タンホイザー、トリスタン、マイスタージンガー、リング、パルシファルがシュタインのバイロイト記録。
ヨーロッパのあちこちの劇場でも、ワーグナーを中心に指揮していた、まさに職人オペラ指揮者だったシュタイン。
全曲盤録音が映像作品しかないのが残念。
わたくし毎度自慢の秘蔵音源で、全作品そろってます。
オランダ人(N響)、タンホイザー・ローエングリン・トリスタン(ジュネーヴ)、マイスタージンガー・リング・パルシファル(バイロイト)

シュタインのワーグナーは、その手堅さが魅力で、一見地味だけど、その音と響きのどこをとってもワーグナーそのもので、悠久のクナや剛毅なショルティ、美しいカラヤン、スタイリッシュなサヴァリッシュなどとは異なり、どちらかというと明晰なるベームの演奏に近いと思う。
そのテンポ感は若干早めで、もたれることなく流れがよいが、音は分厚く、金管も思い切り鳴らすことが多い。歌手が入る場合でも、しっかりと歌を響かせ、オーケストラに乗せてしまうところがすごい腕前なのだ。
 ワーグナー指揮者というと不器用なイメージがあるが、シュタインはことのほか器用な人で、レパートリーも広大。
N響での演目で実証済みだし、若い頃の録音の復刻も望まれる。
チャイコの5番、白鳥の湖、グリーグ、ヴェルディなどなど、聴いてみたいですねぇ。

このウィーンフィルとの録音は、73年。
グルダとのベートーヴェンやブルックナーの録音の一環で、ウィーンフィルとのコンビも劇場で日頃付き合っている仲だけに、息もあって堂々たるワーグナーになっている。
ウィンナ・ホルンの響きが魅力的なオランダ人、精妙なローエングリン、明るいハ長のマイスタージンガー、少し健康的だけど、歌いまわしや盛り上げが実に巧みなトリスタン
素晴らしいワーグナー演奏であります。
欲をいえば、もう一度このコンビで、同じ曲目を後に録音して欲しかった。
少しばかり大人しいので。
ショルティの時のウィーンより音は柔らかく、劇場の広がりを感じさせます。

シュタインのワーグナーは、N響とバンベルク響とのものも残されております。
N響で最後に指揮したパルシファルの第3幕。
私が接した最後のシュタイン。
テンポがすごく遅くて、クナよりも長く感じたけれど、その響きは明快。
まさに神がかっていた。
疲れて見えたシュタイン、その目には涙も浮かんでいました。

Stein_2
シュタインとは「石」のこと。
そう、固そうですね。
N響に初めて来た73年。テレビで拝見して、お、おっーって感じ。
でもその時のワーグナーやシュトラウスは絶品でしたよ。
以来毎年のようにそのお姿を拝むことになるのでした。
私の奥さんは音楽はまったくですがね、シュタインが出てくると、「このデコッパチは誰?」と何度も聞いてきました。
親しみあふれる、そんなシュタインさんでした。

一句 「抜け毛減り 喜んだのに ない証し」
 
失礼しました。


以上、予約投稿の記事ですが、ちょっとおふざけがすぎました・・・。

親類に不幸が起きまして、少しだけお休みします。
コメントはご遠慮なくお願いいたしますが、折り返しが少し間が開きますことお許しください。
昨年から、我が親族は不幸続きです。そんな年代になってきたのでしょうか。

 

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2010年3月11日 (木)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ショルティ指揮

Rainbow_brdg
晴れた日のレインボーブリッジ
お台場方面から都心に向かうの図であります。
夜のライトアップは、高速から見るときれいなんだけど、走行中はブレブレで撮影不能。

Wagner_ring_solti
今週のシリーズ企画、今宵はいよいよ佳境にさしかかってきました(何がじゃ?)。
そこで、ショルティ閣下にご登場いただきましょう。
軍曹閣下の号令一下、どんなつわものオーケストラでも、ひれ伏してしまう。
切れ味鋭く、一刀のもとに断つかのごとくエッジの効いたその音楽は、大音響を伴う曲ほどに、その威力を増したものだ。
 雄大なスケール感を持ち合わせていたから、閣下のオペラは独仏伊なんでも素晴らしかった。

そして、オランダ人以降のすべてのワーグナー作品を録音したのもショルテイ様だ!
中でも燦然と輝くのは、「ニーベルクングの指環」の史上初のステレオ・スタジオ録音。
レコード録音芸術上の一大偉業でありましょう。
しかし、まさかのカイルベルトのリングが、それより以前にライブながら録音されていようとは、閣下は知っていたのでしょうか?
知ってたら、怒髪天を抜く勢いで怒ったかもしれませぬねぇ~

カクカクとしたあの指揮ぶりから、そのダイナミックな音楽が想像できるけれど、その鬼軍曹も歳とともに、丸くなり、モーツァルトやシューベルト、ドビュッシーなんかも繊細に優しく聴かせるようになった。
人間、歳とると誰しもまぁるくなるもんです。
 ショルティ閣下の場合、円熟期は柔軟さとともに、剛毅さも兼ね備えていたから、まさに鬼に金棒。

82年に音響のいいゾフィエンザールで録音された「リング」のオーケストラ・ハイライトは、まさにそんな円熟ショルティが味わえる。
「森のささやき」なんて、ウィーンフィルのさざめく上質の弦と、チャーミングな木管が心憎いほどに楽しめる素敵な演奏なんだ。
翌年にバイロイトデビューを控え、練習も兼ねての久しぶりの「リング」録音は、本格化したデジタル=CD時代に名録音の残さんとする、デッカの意気込みも感じさせる。
レイバーンやJ・ロックの録音スタッフの名前もクレジットされている。

「ワルキューレの騎行~ヴァルハラへの入城~ウォータンの告別・魔の炎の音楽~森のささやき~ジークフリートの葬送行進曲~ブリュンヒルデの自己犠牲」

告別が長く入っていて、ウォータンの歌は金管によって代用されていて、私なんぞにはこれはカラオケとして利用できます。
それと、ラインの旅が入ってなくて、最後の自己犠牲があるのも完結感あってよろしい。
そして、58年録音の「ラインの黄金」全曲で驚愕だったドンナーのハンマーの一撃。
ここでも入城コーナーの前にしっかりカツーンと一発収録されてまして、実際の雷鳴までものすごい音で入ってますぜ。

レコード時代、ショルティのリングのダイジェスト盤がベストセラーになっていて、それは当然に歌入りだったわけだけれど、そのタイトルが「ニュー・ワーグナー・デラックス」だったところが可笑しい。
閣下のバイロイトは、最初の1年で終了。
音響に苦労したとか、歌手がこけた(ゴールドベルク)とか、散々だったが、あの時の録音は、私も音は悪いながらもカセットテープ起こしのCDRで持っている。
それがまぁ、もの凄いハイスピードなんざんす。
あの劇場の響きと悪戦苦闘している閣下の興奮ぶりが伝わってくる演奏なんですよ。
その次の年に急場を救ったのが、ペーター・シュナイダー。
そろそろ出そうな(?)シュタインと同じように、バイロイトを知り尽くしていて、職人芸以上のお手並みでもって素晴らしいリングを作りあげた。
両方とも、いずれレビューしたいと思います。

Solti
円熟期のショルティ。
若い頃と色が違うだけで全然かわんない。
閣下! ヘルメットがお似合いですぜ。
いや失礼しました。

一句 「あなたもと 言われてみれば そうだった」

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2010年3月10日 (水)

ドビュッシー 交響詩「海」 ハイティンク指揮

Iwaki_2
冬の海。
いわき市小名浜の太平洋側。
うす曇りの中にも、淡い日差しがキラキラ。
ちょっと渋めの、春を待つ海辺でした。

Debussy_haitink
そして、海の写真のあとは、当然のようにしてこの曲。
ドビュッシー交響詩「海」。
私のいくつもある、フェイヴァリット曲の中でも、オペラや英国ものを除いては、最高度に好きな音楽。
危険なCDショップめぐりの時には、欠かせないコーナー・チェックの曲。
16枚の音源。
地中海の海、ブルターニュの海、ドーバーの海、アドリア海、西海岸の海、ロシアの・・・・・、たくさん聴いてきたけど、今日の海は、北海。
そう、オランダの海であります。
北海というと厳しいイメージがあるし、オランダは低地(ネーデルランド)だから、冷たい海が迫っている感じもいだく。またいつも曇ってるとも聞いた。

そんなまだ見ぬ「オランダの海」を思い浮かべながら、ハイティンクコンセルトヘボウのドビュッシーを聴くのも一興。
江戸の昔より、日本と馴染み深い国オランダのオーケストラには、日本人奏者もたくさんいらっしゃって、コンセルトヘボウも例外でない。
一年置きの来日も、とても親しみ深い存在になりつつあることの証。

素晴らしいホールによって育まれたオーケストラでもあって、同時にオランダが世界に誇ったフィリップス社の音楽部門レーベルの名録音も、そのイメージをわれわれにしっかりと植え付けた訳であります。
しかし、音楽部門の切り離しや合弁により、そのレーベルロゴも消えてしまったのが、やたらと寂しい・・・・。

ハイティンクは、ドビュッシーとラヴェルを若い頃から得意にしていて、「ペレアス」は音源も映像もあるくらい。
そのドイツものにイメージする腰の重さは一切なく、いつものふっくらとした柔らかな響きはそのままに、オーケストラの人肌の温もり感ある音を、織物のように何層にも重ね合わせたかのように味わいある音楽を築きあげている。
フランドルの海は、厳しさよりは、春を待つ柔らかな光に満ちていたのだった。
 しかし、最後のアチェランドによるたたみこみは、スリルある結末を見せてくれます。

77年のこのコンビの最後の来日を、FM東京が放送してくれて、マーラーの4番とブラームスの3番の名演と、それ以上に素晴らしかった「海」の演奏をよく覚えている。
ライブならではの熱い演奏だった。

Haitink_johum
ヨッフムの補佐体制下、68年の来日時のハイティンク。
若いです。
とあるシリーズ続行中。
ハイティンク、あなたもやっぱり・・・・・。

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2010年3月 9日 (火)

シベリウス 交響曲第2番 オーマンディ指揮

Shizukuishi
今日は冷たい雨が降って寒かったですな。
雪の降ったところも多いようで。
春までもう少し、行きつ戻りつ。

こちらは、数年前の雫石(岩手)の御所湖というところ。
人工湖ではありますが、その静謐な神秘ぶりに、こんな風景を見ると北欧系や英国系の音楽が相応しく感じられる。

Sibelius_sym2_ormandy
 というわけで、シベリウス交響曲第2番
今日は、シベリウスのこの曲を狙って聴きたかった訳ではなく、オーマンディを取り上げたかったから。
そして、あんまり多くはない、私のオーマンディの手持ちから天候を鑑み選びだしたのがこの曲だったわけ。
 え? なんで、オーマンディかって?
それは、今週の特集なのです。
もう始まってます(ふっふっふっ)。
おわかり方、いらっしゃいますか?

さて、オーマンディのシベリウスは作曲者お墨付きの極めつけ。
フィラデルフィアの面々を引き連れて、シベリウスに会いにいったというエピソードもあるくらい。
同時代の作曲家の作品を積極的に広め録音も重ねたオーマンディ。
ラフマニノフ、バルトーク、ショスタコーヴィチなどもそう。

どんな曲でも作品本来の持ち味を、的確に描きだす職人ぶり。
フィラデルフィア・サウンドなんて呼ばれるけれど、CBS時代のキンキンした響きの録音ゆえのイメージがある意味そうさせた感もあると思う。
このコンビの実演を聴いたことがないからわからないけれど、このシベリウスに聴かれる響きは、思いほか渋いところに落ち着いていて、かつしなやかでもある。

終始ゆったりとした流れを保ちつつ、時おりシベリウスらしい旋律をサラっと浮かびあがらせてみせたりして泣かせる。
練達の指揮ぶりであるけれど、オケの音色ともども、浮ついたところがなく、最後の盛り上げ方も自然であり、さわやかな感銘を与えてくれちゃう。
歳取って好きになってきた、2楽章のほの暗い情熱も、じっくりと聴かせてくれる。

定評に違わない、素晴らしいシベリウスであります。

Ormandy

オーマンディの若い頃って、どんな頭してたんでしょうね?

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2010年3月 8日 (月)

ブルックナー 交響曲第8番 クーベリック指揮

Todaiji 以前訪れた、奈良、東大寺。
でかいんです。
この中に、あの大仏さまがいらっしゃる。
もうビル並み。
でもデカイのに均整がとれていて、静謐感もあるところが日本の美でありましょうかね。

Bruckner_sym8_kubelik バイエルン放送交響楽団60周年記念CD
その2枚目は、2代目主席指揮者の、ラファエル・クーベリックの指揮で、ブルックナー交響曲第8番が、1枚のCDにきれいに収められている。
その演奏時間、78分。1977年5月の状態のいいライブ録音。
遅すぎず早すぎないタイム。でも聴いていると、立ち止まることなく、早めに音楽は進行する。音色が明るいからよけいにそう感じる。
でも、ここぞというときのタメの入れ方、旋律の思い入れを込めた歌わせ方は相当に聴かせるし、いやでも感動的な第3楽章のクライマックスではわずかにルバートをかけ、壮麗な伽藍を築いている。
随処にこうした立派なか所が頻出するが、よどみなく流れのよいブルックナーで、往年の大演奏や、ヴァントの息詰まるような緊張感あふれる演奏よりは、人間味があってよいと思った。
 もちろん、げんきんなもので、ヴァントを聴きばすごい、カラヤンを聴けば素晴らしいという私なのであるけれど、要はその時聴いてる音楽が、自分にとって瞬間よければ、それはそれでよいのでありますな。

そんなことをグタグタ考えるまでもなく、初めて聴いたクーベリックのブル8は、とかく構えがちなこの大曲を、南ドイツ風の明るい響きの中に解放してしまい、感興にあふれながらも、実は緻密な構成でがっちり固めてしまった演奏と聴いた。
 しかし、うかうか気持ちのよい流れで聴いてると、最後にヤケドするよ。
ぐわぁーーっと、猛然とアッチェランドがかかり、まるでオペラの最後のように興奮の坩堝と化してしまうのでありました。
おっと、これはネタバレかしらん。あしからず。

クーベリックの思い出は、私のようなオールドタイマーには、1975年の来日。
当時は、手兵バイエルンをはじめ、シカゴ、ニューヨークでも活躍し、メトの監督にも一時なっていた時期なんだ。
でもマネージメント的な仕事を一切きらい、要職から手を引いてしまい、慣れ親しんだバイエルンの指揮者のみを継続した頑固もの。
75年は、NHKがテレビもラジオもすべて放送してくれたから、その指揮ぶりや頭の具合(?)をつぶさに観察することができたし、その音源はすべて自家製CDRにして後生大事に持っている。
「我が祖国」「マーラー第9」「フィルトナー、プラハ+ベト7」「タンホイザー、ヒンデミット、ドヴォ8」。この4演目。
あの素晴らしいベト7は、レアな同コンビの録音にも勝るものだし、タンホイザーも素晴らしかった。
でも、「我が祖国」には泣けた。ない髪を振り乱して指揮をする熱きクーベリック。
ライブで燃える指揮者だったのだな、これが。
最初、文化会館の指揮台に立ち、上から指揮台に当たるスポットライトを眩しそうに見上げ、神経質そうにしていた。
なんて気難しい人なんだろうか。
当時、ようやく来日したニコリとしない大物に、そんなイメージがまずあった。
でも、音楽は真摯でそれにひたすら奉仕する熱い男のそれであった。
 有名な話だが、日比谷公会堂で予定されていたマーラーの第9を、ホールを見聞するなり、ここではこの曲は演奏できないとして、文化会館のベト7と演目交代をした。
たしかな判断であるし、そこには音楽への厳しさと良心が窺える。
一方で、当時の日本の主催者側のお粗末さも露呈している、といえよう(あんた誰?)。

ボヘミア出身のクーベリック。
ブルックナーよりは、マーラーかなぁ・・・。
ブル8の記事だったのに、また昔話になっちゃった。


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2010年3月 7日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 聖響音楽堂シリーズⅠ 

Momijizaka1
今日の神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、あちらのランドマークタワーの麓じゃなくて、同じ桜木町駅から、反対側の坂。

神奈川県立音楽堂
このホールは数々の名演奏を刻んできた由緒ある存在。
わたくしは、30年前、宮沢明子さんのコンサートでもって、このホール初デビューを飾った。

その歴史あるホールへ向かう途中、うしろを振り向きパシャリ。
雨もさほど冷たく感じなくなってきた。
春も近いですな。

Kanagawa_phil_ongakudo1
昨日は、雨なのにホールがたくさん埋まった神奈川フィルハーモニーの演奏会。
4回の聖響音楽堂シリーズは、シューベルトとメンデルスゾーンを集中的に取り上げるもの。
昨年までの、シュナイト音楽堂シリーズでは、定期と組み合わせて、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスの数々の名演が鳴り響いたのが何故か懐かしい。

 メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲

            交響曲第1番

 シューベルト    交響曲第8番「ザ・グレイト」

     金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                  (2010.3.6@神奈川県立音楽堂)


対抗配置、ノンヴィブラート奏法の毎度のパターンは、聴くこちら側もすっかり慣れてしまい新鮮味は薄れた。
 今回は、客演オーボエの方が素晴らしく、そのうえ神奈フィル主席のお二人がそろったフルートも美しい。クラリネットもファゴットも含めて木管セクションが際立ってよかった。
シューベルトの2楽章の後半部分など、ただでさえきれいな歌にあふれたヶ所が、素直に美しいと思って聴けたのだ。
印象に残ったのはここだけ。
弦のノンヴィブラートはまだ不徹底ながら、金さんの注力ぶりがうかがえるし、乾いた金管,
ティンパニのむき出し音へもこだわり充分。
しかし、木管は手つかずに普通。
だからよかった(?)

真夏の夜の夢では、動物の鳴き声はドライで苦しそうな悲鳴に聴こえちゃうし、素敵な1番であるメンデルスゾーンの交響曲は完全に古典の位置づけで馥郁たるロマンの香りはなし。
そしてシューベルトから歌を取ってしまったグレイトは、行進曲みたいに聴こえた50分。
石田コンマスも弓の毛をブチブチと切りながら、オケのみんなも大熱演。
ブラボーも飛びかってました。
 作家の玉木さんも近くにいらっしゃった。
私の前の方がやたらと身を乗り出し、双眼鏡も覗くし、少し前では見事な頭(人のことは言えないけど)の紳士が、演奏中もやたらと隣のご夫人にささやく、そんな環境に落ち付かなかったのも事実。

辛口の聴き方になってしまい、ファンの方には申し訳ありませんが、私にはこうした潤いの乏しい演奏は好きになれません。
ピリオド奏法は、CDで先だって聴いたヘンゲルブロックのシューベルトや、ミンコフスキのハイドンなど、先鋭でありながらも、鮮度高く、豊かな音楽を聴かてくれるので、積極的に聴いている私です。
彼らは有能なオペラ指揮者でもあり、特にヘンゲルブロックは北ドイツ放送響の指揮者にもなるし、バイロイトにも登場予定の人。

金さん、焦らず欲張らず、ゆっくりやって下さい。

Ichinokura1
5時過ぎに終わったコンサートのあとは、毎度定例の「神奈川フィルを勝手に応援する会」の大反省会。
野毛入口の真向かいにある名居酒屋「一ノ蔵」にて。
お酒はもちろん一ノ蔵ばかり。
いろんな意味で話は尽きない4時間30分
当居酒屋の名を冠した「一ノ蔵合唱団」の素晴らしい歌声も聴かせていただいちゃうというオマケ付きで、お酒も一杯いただいちゃった。
グラス片手に気持ちよさそうに歌う姿に聴きほれちゃいました。
呑む気オヤジさん、ありがとうございました

皆さん、今回もお世話になりました。

ただいま、schweizer_music先生のご厚意に預かりまして、かの迷指揮者ハンス=ユルゲン・ワルターとハンブルク放送交響楽団の演奏を聴いております。
「真夏の夜の夢」やってます。
モコモコとした響きのユルユルの雰囲気の演奏でありますが、ここにはしっかり歌がありますよ(笑)
コロンビアのダイアモンド1000シリーズを聴いてドキドキしてた頃。
柔らかな耳を持ってた自分が懐かしい~

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おまけ画像。
楽しき居酒屋ライフなり

 

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2010年3月 5日 (金)

The BEATLES

5
これを見て、どこどこのハンバーグ、しかもメニュー名まで当てられたら、あなたは都心以外に住んでる方かも。
ハンバーグのファミリーレストラン、「びっくりドンキー」。
チーズパケット・デッシュ。デッシュとはご飯、サラダがワンプレートに乗った品で、ドンキーの一番人気。そして、私が食べたチーズパケットは、中にしめじとチーズが包まれていて、切るととろけたチーズがトロリと出てくるんです。
安くてウマイ。
私の家の周辺には郊外なものですんでたくさんありまして、週末は行列しております。
The_beatles_white_album
ハンバーグとは関係なく、今日は久しぶりにビートルズ
イギリス音楽のジャンルに入れちまいます。
1960~1970年の10年間に活動した、わがクラシック畑でいえば、モーツァルトのような存在。
ロック・ポップスに、クラシックのオーケストラ、弦楽四重奏、チェンバロ、ホルンなど、はたまたインドのシタールをも導入した革新性もある。

短い期間に偉大なヒット作品を放ち続け、世界中を魅惑し、あらゆるミュージシャンに影響を与え、むなしくも解散してしまった。
メンバーそれぞれの個性が際立っていたことも他のバンドにはないことで、よけいにその反動はあったのかもしれない。
67年頃から、メンバーそれぞれが独自の活動を始め、ヨーコ・オノも登場して、4人の絆がほころび始めた68年に、いわばメンバーのソロの集積のような形でもって作りあげられたのがこの白いジャケットの「The BEATLES」。

通称「ホワイト・アルバム」。

中学生の頃にビートルズにはまり、ほとんどのレコードを集めたけれど、このホワイト・アルバムだけは買わなかった。
2枚組で、ちょっととっつきの悪い内容に思われたし、有名曲は、録音したりして済ましていたから。
そう、この2枚組は、当時かなりコンテンポラリーで、哲学的・瞑想的な内容であったりもするんだ。
ジョージを中心として、インド的なるものにはまっていて、4人でインドに長期滞在したりもして、その間に書きあげた曲もいくつかここには録音されている。
全部で30曲。
若い頃、聴きにくいと思った曲も、いまこの30曲を順に聴いてみて、緩急緩急がとてもよく付けられていて、実に考え抜かれた配列で、全体の流れで一気に聴ける。
 個々の曲も、4人の個性がそれぞれに味わえる。
親しみやすいメロディ、時にシャウトする抜群の歌唱力のポール。
電子音楽の域にまで踏み込み、ミニマムの世界にも近づきつつあり、孤高の境地とドラッギーなジョンのロック魂。
優しいほほ笑みと神秘的な不思議領域を体現しつつあった繊細なジョージ。
どこまでも人がよさそう、少し面白くなさそうなリンゴは、ドラムのテクニックで聴かせる。

DISC1
 1.Back in the U.S.S.R.          2.Dea Prudence
 3.Glass Onion                 4.Ob-La-Di、Ob-La-Da
 5.Wild Honey Pie      
 6.The Continuing Story of Bungalow Bill
 7.While My Guitar Gently Weeps  8.Happiness is a Warm Gun 
  9.Martha my dear                    10.I’m so tired
11.Black Bird                           12.Biggies            
13.Rocky Raccoon                    14.Don't pass mi by
15.Why dont we do it in the road  16.I will
17.Jullia

DISC2
 1.Birthday                            2.Yer Blues
 3.Mother natuers Sun            
 4.Everybody's Got Something to Hide Except me and Monckey
 5.Sexy Sadie             6.Helter Skelter
 7.Long Long Long                 8.RevolutionⅠ
 9.Honey Pie                10.Savoy Truffle
11.Cry Baby Cry                   12.Revolution9
13.Good Night


The_beatles_white_album2 
これらの中で、なんといっても一番好きなのは、ディスク1の7曲目、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリ・ウィープス」。文字通り、泣きギターはジョージの朋友E・クラプトン
そして優しすぎるよ、ジョージ・ハリソン
「世界を眺めていると、回っていることに気がついた、僕のギターは秘かにむせび泣く。
 失敗を重ねながら、いろんなことを学ぶんだ、僕のギターは秘かにむせび泣く・・・」


けだるい、もう疲れちゃったの「アイム・ソー・タイアード」のジョンの歌。
「ひどく疲れちゃった もう一睡もしてないよ 心が粉々に壊れそう 起き上って飲み物でも作ろうか いや やっぱりやめとこ・・・・」

イギリスの庭の景色と鳥の声が聞こえてきそうな、ポールのすてきな「ブラックバード」。
可愛い歌と詩の背景には、政治的な気配も匂わせている・・・。

ディスク1より、難解な2にあって、最後に心安らぐ「グッド・ナイト」
ジョンが息子ジュリアンのために書いた子守唄をリンゴが優しく、そしてちょっと眠そうに歌う。心安らぐ名品で、この大作は終わる。

いやぁ、お腹一杯。

ビートルズ過去記事

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
「アビー・ロード」

「ヘルプ」
「ラバー・ソウル」

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2010年3月 4日 (木)

ファリャ バレエ音楽「三角帽子」 マリナー指揮

Pl これは、いったい・・・。
知る人知る物体である。

宗教法人パーフェクトリバティー教団の本拠地、大阪は富田林にある。
パーフェクトリバティーは、そうPL学園のPL。

「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」というのが正式なお名前とのこと。

15年ほど前に、大阪狭山市に仕事で始終通ったときに、遠くに見えるこの物体を知った。
関係者がまわりにおらず、これが何か不明のまま数十年が過ぎ、正体を知ったのは、ほんの数年前。
近づくのも恐ろしくドキドキしながら車を寄せていって写真をパシャリ。
警備の人がいて、「ゴらぁーッツ!」と怒鳴られるのかと思ったら、何のことはなかった(笑)
しかし、すごいね、180mもあるんだと。中にも入れるんだと。
周辺には教団本部の立派な建物に、病院、ゴルフ場までありましたね。
大阪っぽいといえばいえる・・・・。

Falla_el_sombrero_de_tres_picos ありえへん、マリナー・シリーズ。

久々だけど、いつの間にかこんなシリーズになりつつある。

マリナー好きということは、かつて告白しましたが、マリナーに定着している室内アカデミーのイメージを払拭するようなレパートリーをどんどん聴いてしまおうというシリーズにございます。

マリナーのカテゴリーをクリックいただくと、これまでの記事が出ますので、ご覧ください。
ワーグナー、シュトラウス、ブルックナー、ブラームス、チャイコフスキーなどを聴いてます。

そして今宵は、スパニッシュに、ファリャ「三角帽子」を。
(どうでもいいけど、「さんかくぼうし」を変換するとなんで「参画防止」になるんじゃ!)

ファリャ(1876~1946)は、その活動期からするとかなり保守的な作風だと思うが、なんといってもスペインムードの横溢した、その民族色豊かなサウンドが魅力。
自身はスペイン愛を生涯貫いたが、アルゼンチン客演中に倒れかの地で亡くなっている。
 このバレエもこの時代の名の知れた舞踊音楽と同じように、ディアギレフの息のかかった背景をもとに生まれ、アンセルメによってロンドン初演されていて、解説によれば、驚くべきことに、装置と衣装担当はピカソだったそうな!

「三角帽子」は、17世紀頃、アンダルシア地方で権力者たちがかぶった制帽で、権力の象徴ともとれる。
 水車小屋の粉屋の夫婦は、夫は気立てはいいがちょっとブ男。妻は才色兼備の美人。
でも二人とても仲が良い。
これに嫉妬した市長は、妻の尻に敷かれっぱなし。
ちょっかいを出そうと、粉屋の亭主を逮捕させてしまい、夜にその女房のところに忍んでくるが、気転の聴く女房にさんざんな目にあい川に落とされてしまい、逃げ帰った亭主に市長の制服を取られてしまう。
やむなく亭主の服を身につけたら、追いかけてきた警官に捕まってしまい大恥をかく~ 
という、馬鹿げたストーリー。
 憎めないファルスタッフのようでございますな。

独特のリズムに、エキゾシズム、土臭さとともに熱狂も、そのスコアから読み取ることができる。それと、物憂いアルトの歌唱を入れるところも雰囲気は抜群だ。
また、いろんな引用も随所に聴かれ、ファリャのユーモアも抜群。
有名なところでは、亭主が逮捕される前触れのように、運命交響曲が鳴り響く(笑)
最後の大団円の祭りの踊りは、変拍子の乱れ飛ぶザ・ラテンとも呼ぶべきエネルギーあふれる音楽。
気分爽快になりますぞ。

こんな民族色あふれる音楽を、マリナーアカデミー管弦楽団は、どう描いているか。
冒頭のティンパニの連打は強烈で、そのあとのトランペットのファンファーレもカッコよく、「マリナー、キターッ」って感じになる。
でも、それは最初だけ。
あとの展開は、私たちが知ってる、爽やかマリナーの面目躍如たる気分よろしい流れとなって、安心して身を任せることができる。
モヤモヤしたり、なおざりなところが一切なく、どこもかしこも真剣な音楽造り。
これを面白くないという方も多いかもしれない。
でもワタクシは、こんなマリナーが好きなのであります。
アカデミーの見通しのよい透明感あるサウンドは、ロンドンのオーケストラの共通のもので、熱くはならないが、品がよろしく、そう何度でも聴ける飽きのこない音色であり、演奏なのだ。
マリナーは現在、スペインでの活躍も目立つが、元来南欧が好きらしい。
高カロリーで疲れた耳に心地よいマリナーのファリャでありました。

       メゾ・ソプラノ:アン・マレイ
   
   サー・ネヴィル・マリナー 指揮 アカデミー管弦楽団
                         (1993.@ロンドン)

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2010年3月 3日 (水)

メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」 ハイティンク指揮

Sendai
仙台に行ってきた。
前日に急きょ決めた出張。
仙台は、2日、前日からの雪が残り、冬が戻ってきたみたいに寒い。
だからこそ、酒がうまい。
クラヲタ会の発起人左党さんに急ながらお付き合いいただき、一杯&ラーメンしちゃいましたよ。
Mendelssohn2_chailly
メンデルゾーンの桂品、序曲「フィンガルの洞窟」をば。
旅行好きの裕福なメンデルスゾーンが描いた描写音楽。
スコットランド交響曲とともに生まれた同地訪問の産物。
でも、原題をよくみると、「Die Hebriden」(The Hebides)となっております。
スコットランド地方の「ヘブリディース諸島」そのものが、この序曲の題名なのであります。
「ヘブリディース諸島」よりは、「フィンガルの洞窟」とした方が、異国感ただよい、郷愁もそそる感あり、日本人的にはイメージしやすい名タイトルではないかと。

10分ちょっとの音楽だけれども、短調のもの悲しくも憂愁溢れる音楽は、メロディメーカーのメンデルスゾーンの面目躍如たるもの。
波のさざめきが、時に大きく打ち寄せたりする雰囲気がとてもよく出ている。
短調だけど、さわやかな基調がとても気持ちがよいもんだ。

ハイティンクロンドン・フィルハーモニックは理想的な演奏。
2番のみ録音しなかった当コンビのメンデルスゾーン全集は、アバドのそれと並んで私の大事なメンデルスゾーンであります。
どちらもロンドンのオーケストラなところが面白い。(あとサヴァリッシュも)

1
仙台の立町(繁華街国分町のそば)の隠れ家的居酒屋「侘び助」。
もう何年か通っているけど、ともかく料理がおいしくて、素材の目利きも抜群。
鬼平犯科帳に出てくる料理を再現したりで、呑み助の心をくすぐるんだ。
お酒も東北地区の銘酒ばかり。女将が選んだ旬の酒も限定であるからたまらん。
昨夜も左党さんと音楽話をしながらしこたま飲んでしまった。
Kazan
そして、お約束(?)のラーメン
え?
これ何??
それは、沸騰しまくる爆発的な食い物であった。
その正体は、別館「さまよえる神奈川県人」にて・・・・・・・。

左党さん、どうもありがとうございました。
次はどちらで(笑)

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2010年3月 2日 (火)

「宮廷の愛」 ディヴィッド・マンロウ

Rouge
ブルゴーニュワインでございます。
かなり前に贅沢しちまった時の画像。
バルーンのようなグラスに注ぐと、芳香が立ち上る。
ボルドーのように重厚にならず、さわやかさを残しながらも濃厚さをも味わえた。
ワインには、相当に凝った時期がありまして、もうかれこれ20年以上前。
ワインの場合は、食するものが、どうしても洋風、そして赤が好きだったから、肉やソース系になりがち。
お金も底なしにかかるのもさることながら、体のことを考えたら恐ろしくなった。
 そこで、ワインから泣く泣く身を引き、日本酒になった。
あれれ? 
変わんないじゃん。
だって、今みたいにおいしい焼酎なんかなかったんだもん。
 いまや、量は減ったけれど、あらゆるアルコール類(とあれば何でも)をたしなむオヤジになりました。
夢は、娘や息子と居酒屋で盃をくみかわすこと。 です。

Munrow_3
いまや、ディヴィッド・マンロウのことをご存じの方は少ないかもしれない。
すでに、亡き人だからである。
1942年にバーンガムで生まれ、1976年、33歳の若さで自殺してしまった。
彼こそは、天才と呼ぶに相応しい才気煥発の古楽演奏家だった。
リコーダー奏者にして、中世ルネサンス音楽の研究家・指揮者。

その発端は音楽学者サーストン・ダートとの出会い。
ダートは、ネヴィル・マリナーの斬新なヴィヴァルディやバッハ演奏の元になった人。
もともとファゴット奏者だったマンロウは、ダートから古楽器を紹介してもらい、その魅力にとりつかれた。
やがて、ホグウッドらとともに、ロンドン古楽コンソートを立ち上げたが、ここからは、現在活躍する古楽演奏者たちが綺羅星のごとく巣立っている。

BBCのメディアにもうまくのって大活躍し、EMI、アルヒーフに数々の名録音を残し、まさに当時の中世ルネサンス音楽ブームの中心的存在だったのだ。

ワーグナーやオペラ、英国音楽をフェイヴァリットとする私が、中世ルネサンス音楽に目覚めたのは、すでにマンロウ亡きあと。
EMIが、彼のすべての録音を@1800円の廉価盤としてシリーズ化してから。
そのレコードすべてを購入し、同時にハルモニア・ムンディの@1500円のシリーズから、PCAの演奏ばかりを集中して購入。
皆川達夫先生の本も読み漁り、ともかく聴きまくった。
そして、かならず、葡萄酒を飲みながら

CD化されても廃盤久しいそのシリーズの未開封盤を某店で発掘して、即聴き。

ルネサンス音楽の栄華とも呼ぶべきブルゴーニュの地。
フィリップ善良公のもと、その宮廷にまつわる音楽、それは世俗音楽であるが、それらを集めたシリーズ第3作。
作者不詳の舞曲を交えながら、デュファイバンショワなどの名歌曲が13曲。
楽器は今の耳で聴けばやや現代風であるけれど、ハリと活気にみちあふれていて、まったく見知らぬ、楽譜も確としれぬ曲が、生き生きと鮮やかに蘇る。

 こういうのを聴いてしまうと、時代考証がいまとなってはどうのこうの、と言ってもまったく意味がない。
音楽する喜びと、確信をもって当時の現代に広めようとする心意気。
中世の人々の、純朴で素直、清らかな思いが、600年もたった今、真っ直ぐに伝わってくる思いがする。
いまの演奏は、もっと先鋭だし、そしてもっと泥臭いかもしれないが、純粋音楽としてしっかりと演奏されているところが、マンロウの真骨超だった。

宮廷の愛」とは、当時の貴族の世界でのこと。
市井の人々とは違う、取り澄ました、オブラートに包まれたような愛の社会だったのだろう。でもそこはおんなじ人間。
マンロウの生気あふれる音楽は、そのあたりの機微にあふれた感情の豊かさを味あわせてくれるもの。

マンロウが、まだ存命ならば67歳。
きっと古楽ジャンルの最先端を走り、多ジャンルとのクロスオーバーもこなし、押しも押されぬ存在となっていたことでありましょう。
マンロウの音源は、また折にふれてとりあげてみたい。

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