ウォルフガング・ワーグナーを偲んで
バイロイト音楽祭の前総裁、ウォルフガング・ワーグナーさんが亡くなりました。
享年90歳。
戦後のワーグナー上演史に欠かすことのできない巨星が、また一人世を去ってしまった。
時代は否応なく進み、年月も流れる。
そうした中に、私のクラシック音楽受容と愛好とともに慣れ親しんできた存在がどんどん失われてゆく。
世代的に順に訪れることだから、とどめようがないのだけれど、常に寂しいという思い以上の感情を抱かざるを得ない。
70年代からワーグナーを聴きだし、バイロイトの放送もずっと楽しみ、ウォルフガングの任期と治政をずっと見つめてきたからなおさら。 クナと兄弟ふたり。
大リャヒャルトの孫として、兄ヴィーラントとともに、戦後クローズされていたバイロイトの緑の丘の劇場を復活させたのが1951年。
天才ともいわれた兄ヴィーラントの影に隠れつつも、兄と併行して演出を手掛けたけれど、やはり兄の独創性と革新性には適わなかった。
ヴィーラント演出が、戦後の新バイロイトを代表するスタイルとなり、それは極限までの抽象性であった。
能を思わせるような動きの少ない、暗い照明による舞台で、音楽への集中力をいやがうえでも高める効果をもたらせたと言われる。
それも、いまや昔。現代の具象的・物語的・説明的な演出と180度異にするもの。
でも、ヴィーラントがあまり評価を得られなかった作品、「マイスタージンガー」については、ウォルフガングの普通の演出の方が好まれ、高く評価された。
市民が、街が主役の楽劇だから、抽象性がそぐわなかったからに相違ない。
DVDで観るこのできるウォルフガングのふたつの演出において、そこにあるのは安心感であり、ドイツの街そのもので、マイスタージンガーの穏健なる定番。
その父の得意とした「マイスタージンガー」を、若い娘のカテリーナが毎年激しいブーを集める読替え演出で賛否両論呼んでいるのも、思えば何かの符合でありましょうか。
1966年に、兄ヴィーラントが急逝し、バイロイトの舵取りは、ウォルフガング一人に任された。
ここから、弟ウォルフガングの政治力と劇場運営の才が発揮されることとなった。
やはり、大リヒャルトの孫であった!
兄の演出は、ホッターやレーマンがしばらく引き継ぎ、70年代にはウォルフガング一人。
そこで、ウォルフガングはスタート時に例外はあったものの、戦後守られてきたワーグナー一族による演出という範を脱し、外部演出家を招聘した。
まずは、無難にエヴァーディングだったが、G・フリードリヒの登場は物議をかもしだし、ついには、記念すべきバイロイト100年にフランス人、P・シュローを起用したのだった。
この年は、散々な演奏と猛烈なブーを雑誌や新聞で読み知っていたから、高校生だった私はドキドキしながら年末のFM放送を聴いたものだ。
実際、あんなブーイングは、いまでもないくらいの凄まじさだった・・・。
黄昏でグンターが、ジークフリートを刺し貫いたハーゲンに「ハーゲン何をしたのだ!」とすごむ場面があるが、この演出は、「シェロー何をしたのだ!」と揶揄された。
ブーレーズの指揮とともに、こうなることを予見しつつ起用したウォルフングのしたたかさと先見性こそ、いまは称えられるべきでありましょう。
実験劇場としてのバイロイトの基盤を、再築した偉大なる功績でありますから。
日本にも馴染み深いウォルフガングさん。
バイロイトの引っ越し公演や新国の演出は観れなかったが、日本での本格上演にいつも心を配ってくれた親日家でもありました。
偉大なる祖父への思いは、娘エヴァとカテリーナとにしっかり受け継がれてゆくことでありましょう。
今日は、ウォルフガングの演出した2度目のバイロイト・リングから、「神々の黄昏」第3幕を聴いて、故人を偲んでおります。
シュタインも亡き人ながら、ウォルフガングと関係深い指揮者でありました。
有望指揮者・歌手の起用も、ヴィーラントとウォルフガングの功績で、ウォルフガングは、シュタイン、カルロス、バレンボイム、シュナイダー、DR・デイヴィス、ネルソン、エルダー、レヴァイン、シノーポリ、フィッシャー、ティーレマンなど枚挙にいとまなく、今後もネルソンス、ヘンゲルブロック、ペトレンコとその意思は受け継がれておりますし、歌手はあげたらきりがないです。
こちらは「ラインの黄金」
1971年から75年まで、シェロー演出の前のプロダクションで、指揮はすべて、ホルスト・シュタインが受け持った。
「ワルキューレ」
舞台は、4部作すべて、丸いお椀のようなステージが据えられていたようだ。
「ジークフリート」
そのお椀が、いろんな切り方で姿を変えて、いろんな場面を作り出してゆく。
そこに、多彩な照明効果が加えられるが、想像だが動きは少なく、装置は抽象、動きは具象、といった折衷型ではなかったのでは。
「神々の黄昏」
雑誌で読んだ最終の大団円の描き方。
常に容を変えてた、お椀のような方円が、自己犠牲の場面、救済の動機が鳴るなか、最初のフラットな円に戻っていって均整を取り戻し、まっ白な光に包まれたのだそうだ。
想像するだに、素晴らしい幕の閉じ方。
リングの最後は、大河ドラマの最終回よろしく、感動的な結末を期待したいもの。
ウォルフガングの演出もきっと素晴らしいエンディングであったのであろう。
私が体験した、二期会、G・フリードリヒ、K・ウォーナー、いずれの「黄昏」の最終場面も、今もって感動とともに思い起こすことができます。
ウォルフガングとヴィーラントの「リング」、タイムマシンがあれば戻って体験してみたいものです。
ブリュンヒルデ:グィネス・ジョーンズ ジークフリート:ジーン・コックス
ハーゲン:カール・リッダーブッシュ グンター:フランツ・マツーラ
グートルーネ:エヴァ・ランドヴァ
ホルスト・シュタイン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
(1975.8.2 @バイロイト)~自家製FM CDR
バイロイトにとって、そしてワーグナー家にとって、さらに極東にいるワーグナー好きの私にとっても、ひとつの時代の終焉を告げる、そんなウォルフガングの死であります。
ウォルフガング・ワーグナーさんの、ご冥福をお祈りいたします。
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コメント
はじめまして、キュブ零と申します。21日に新国立劇場で『神々の黄昏』を観劇しました。ウォルフガングさんのご冥福をお祈りいたします。
投稿: キュブ零 | 2010年3月25日 (木) 11時21分
yokochan さん、こんばんは。
なんという悲しいニュースでしょう!! 正直、このエントリーを拝見してから暫くぼ~っとしてしまって、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。 こうやって悲しいお知らせを自分なりに消化しなければいけない機会がどんどん増えていくのかと思うと、ホント切ないです。
投稿: KiKi | 2010年3月25日 (木) 20時11分
こんばんは。ヴォルフガングの死は朝刊の社会面の死亡記事で知りました。ヴィーランドの死が早すぎるためもあるのでしょうか。ヴォルフガングの功績がこうしてバイロイト音楽祭が今日まで夏の恒例行事となっている。
2年前にシュタインが亡くなられ、ワーグナーゆかりのある方々が次々と亡くなられていく。
悲しい時代の流れとなりますね。
投稿: eyes_1975 | 2010年3月25日 (木) 21時21分
こんばんは。
新聞取ってないので、知りませんでした。びっくりしました。
むかーし昔、日生劇場のロビーで遭遇した時は(まあ・・・見ただけですが)、当時あまり西洋人を間近でみたことなかったので「ドイツ人やっぱりでっかいな~(横に)」という感想でした。あれが最初で最後になってしまいました。バイロイトでお会いしたかったです(無理・・・)。
合掌。
投稿: naoping | 2010年3月25日 (木) 21時53分
キュブ零さん、はじめまして、コメントありがとうございます。
いつかは来ると思っていたウォルフガングさんの死。
気持ち的には大きな損失です。
そんななかで、新国で「神々の黄昏」が行われていることは、これもなにかの符合かもしれません。
噂では、ラスト上演とも言われてます。
私も、慈しむような思いで、次週、観劇してまいります。
投稿: yokochan | 2010年3月25日 (木) 23時30分
KIKIさん、こんばんは。
ほんと、悲しい知らせですね(涙)
ワーグナー家の正統最後の男児かもしれません。
よくも悪くも、あの血を引き継いでいたのですから。
これから気丈な娘さんたちの世代、どうなるでしょうか。
あきらかに、私のなかでは、時代が終わって、また始まってます。
でも歳ですから、そうすぐに切り替わりません。
つらいですね。
氏の残された舞台映像がこれからもスタンダードたらんことを望みたいです。
投稿: yokochan | 2010年3月25日 (木) 23時35分
eyes_1975さん、こんばんは。
ウォルフガングさんは、もうお歳でしたので、いずれはとの思いがありましたが、見事、後続の憂いを失くして去っていかれましたね。
その点のマネージメント能力は、まったくもって脱帽ですし、ワーグナーの血を引く劇場人でありました!
兄のあと、見事にバイロイトを聖地として守り抜いたウォルフガングさんの功績は、ほんとうに大きいと思いますね。
悲しいけど、後継ぎの皆さんたちの、あらたな一歩に目が離せませんね。
投稿: yokochan | 2010年3月25日 (木) 23時40分
naopingさん、こんばんは。
高齢だし、後継ぎもしっかり身内で固め、憂いがなくなったウォルフガングさんだから、いつでも・・・、という感はありましたが、実際に亡くなってしまうと、これはまた喪失感があります。
氏をナマでご覧になったのですかぁ。
わたしは、多分見てないです。
記憶がむちゃくちゃ曖昧なもので、遭遇してる可能性もあるのですが覚えてないんです・・・
ドイツ人はデカイですよね。
デカさの記憶でピカいちは、イエルサレムです。巨人でした。
わたしが、いつか夢のバイロイトに行くまで、元気でいて欲しかったウォルフガングさんです。
夢で終わりそうな昨今、「あらかわ」で我慢、いや荒川すらいけないかも・・・・。
氏のご冥福をお祈りしましょう。
投稿: yokochan | 2010年3月25日 (木) 23時47分
こんばんは。ご無沙汰です・・・
バイロイトの顔、といってもよさそうな存在たり得たヴォルフガング・ヴァーグナー・・・私のお気に入りの作品の一つである楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』がバイロイト音楽祭で上演される際の演出を通じて彼の存在を知るところとなり、そして馴染むところとなりました。
ただ、とても恥ずかしいことに、このヴォルフガングが演出を手がける以前にバイロイトに於ける『マイスタージンガー』の演出を手がけていたヴィーラントについて、その名前の読み方から、ヴォルフガング死去のニュースに接するまで私は”ヴォルフガングの姉”とばかり思っていました(冷汗)
それにしてもヴォルフガングの兄貴分であるヴィーラント、彼ら2人の母親であるヴィニフレートより先にこの世を去っていたとは・・・勿論今度のヴォルフガングの逝去も惜しい限りですが、もしヴィーラントが現代に於いて存命だったならば、今頃バイロイト音楽祭は違った方向に進化していたんだろうな、などと残念に思ってしまうところが正直あります。
何はともあれ、ヴォルフガング・ヴァーグナーに対し、心から哀悼の意を表します。
投稿: 南八尾電車区 | 2010年3月26日 (金) 22時13分
南八尾電車区さん、こんばんは。
こめんとありがとうございます。
ワーグナーの孫兄弟は、それぞれ個性が際立ち、お互いが補いあう立場だったのですね。
兄は演出、弟はマネジメント。
兄の死により、弟は外部招へいを余議なくされ、それを見事にやってのけ、かつワーグナー家の有効性も維持しました。
すごい才覚だと思います。
ヴィーラントという名前は、もしかしらた女性を思わせるかもしれませんね。
演出は、いまや感性、それも若い感性の世界ですが、ヴィーラント存命でありましたら、バイロイトとそれ以上に、演出界そのものを異なる方向へリードする存在たりえたかもしれませんね。
投稿: yokochan | 2010年3月26日 (金) 23時46分
ヴォルフガングの長男ゴットフリートは、「ヴァーグナー家の黄昏」を出し、ヴァーグナー家とナチスとの関係を明らかにしたこともあって、ヴァーグナー家とは絶縁状態にあります。私は、この本を読み、ヴァーグナー家には今日もナチスとの関係を隠すような面があったことがわかり、また、ドイツ全体にも及んでいることにも気づかされました。
今日でも、ヴァーグナー家とナチスとの関係に関することはタブーになっているようです。今後、ヴァーグナー家がどのように変わるか、注目したいものですね。
投稿: 畑山千恵子 | 2010年4月 3日 (土) 13時27分
畑山千恵子さま、こんにちは。コメントありがとうございます。
ゴットフリートの本は一度読んでみたいと思ってました。
ワーグナー家のタブーに触れるものは、皆、家を出ていってしまわざるをえないようです。
また、ヴィーラント系とウォルフガンク系でもいろいろありそうです。
強烈な個性と濃厚な血の流れる家系だけに、曾孫たちが何をやらかすか、ほんと目が離せないですね。
まずは、カテリーナが面白い存在です。
投稿: yokochan | 2010年4月 4日 (日) 08時51分