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2010年3月15日 (月)

デュリュフレ レクイエム A・デイヴィス指揮 

Tsuruoka_church_1
雪の舞う教会。
山形県の鶴岡カトリック教会
去年の冬の画像、今頃出します。
1903年(明治36年)築の歴史あるロマネスク建築の美しい教会。
私は、行った先々に教会があると訪問します。
幼稚園が併設されていて、子供たちのにぎやかな声も聞こえることが多いのが教会。
こちらもそうでありました。
でも一たび堂内に足を踏み入れると、そこは静謐な空間で、いやでもありうべし存在と、そして裸の自分と向き合うことになるのです。
Tsuruoka_church_2
堂内はこのように極めて美しいものでありました。
有名な黒のマリア像や、まるで外国を思わせる本格ステンドグラスなども拝見しました。
そちらはまたご案内できるかと思います。

キリスト教やその教会を思うとき、入信者ではありませぬが、常に音楽がともにそこにあります。
音楽を深めるとともに、西洋の宗教も体に入ってくるような思いも強くなってきました。
Tsuruoka_church_5
先週末は本当に忙しかった。
週末に大阪に所用があり、飛行機も宿もすべて手配していた旅立ちの前夜遅く、敬愛した叔父の訃報。
急なことで、予定も不明のまま飛行機に飛び乗り、とりあえず大阪に向かったものの、思いのほかの日程が組まれ、大阪から意図半ばで急遽帰京。

叔父一家は、キリスト者でして、日曜は教会が礼拝にはいるため利用できません。
忙しいお別れになってしまいました。

亡父が可愛がった叔父、その父の思いを、叔父は息子の私に何かにつけて返してくれました。
音楽好きの私にN響の第9のチケットを毎年送ってくれて、おかげさまで、スゥイトナーやシュタインの第9を何度か聴くことができたし、私が社会人になったときにスーツを見立ててくれたり、食事をご馳走してくれたり・・・・。
思い出はつきないのであります。
教会でのお別れ会では、馴染みの音楽がオルガンで数々演奏されてまして、ことに「主よ人の望みよ喜びよ」には、落涙を禁じえませなんだ・・・・・・。

人を愛する気持ちはどんな宗教でも、無宗教でも一緒であります。
誰にでも優しく、相手の気持ちで生きていきたいと思ったりしてます。
厳しい世なのか、人のことは構ってられない時代だけど、気持ちの中には絶対持っていなくては。


Foure_durufle_requiem
叔父はプロテスタントだったけれど、今日はカトリックの音楽ですが、お許し願おうかと思います。
私の大好きなレクイエムのひとつが、モーリス・デュリュフレ(1902~1986)の作品。
フランスの20世紀の作曲家でだけど、その作風は保守的で、常に教会とともにあってオルガニストであった人。
合唱曲や器楽曲、オルガン曲など、地味な分野での作品の中にあって、「レクイエム」が一番有名になっている。
以前の記事をご参照いただけれだ幸いです。

フォーレのレクイエムをお好きならば、このデリュフレ作品も是非にもお聴きにならなくてはなりません。
癒し系レクイエムとして、フランスでは、カンプラ、フォーレ、ロパルドなどと並ぶ名品でございます。
この人のミサ曲なども、とても美しく聴けます。

私が死んだら音楽葬で、この曲もかけてもらいたいくらい。
その時の音楽はきっとワーグナーも入っちゃうから、きっと参列者は長すぎで帰れなくなっちゃうでしょうよ(笑)。
ぼちぼち選曲しておこうかと思う今日この頃であります。

サー・アンドリュー・デイヴィスの若き日の録音。
77年。先にこちらが録音され、次いでフォーレも録音された。
レコードでは2枚に別れて別に発売されたけど、CDでは1枚に収まってしまった。
どちらも、アンドリューの真摯でかつ熱い思いが、癒しを超えた熱烈な祈りの境地を描きだしていて素晴らしい。
キリとニムスゲルンの歌がまたオペラに傾く寸前の思い入れの濃さを伝えてくれる。
キリは、デッカ専属前。無垢な声。
ニムスゲルンは、ワーグナー歌手として大成するまえ。明るい美声。

カップリングのフォーレで、ルチア・ポップの歌う「ピエ・イエズス」に落涙を隠せなかったこともご報告しておきましょう。

  S:キリ・テ・カナワ  Br:ジークムント・ニムスゲルン

  サー・アンドリュー・デイヴィス指揮フィルハーモニア管弦楽団
                       アンブロジアン・シンガーズ
                          (1977.1@オール・セインツ教会)

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コメント

叔父上のご逝去、慎んでご冥福お祈り申し上げます。
人を送るということは今生きている私たちの生き方を問い直す機会を与えてくれるものと考えております。遺されたものは万有ありがたく感じ、感謝して生きることを思うことこそ故人に対する何よりの手向けであると信じます。
デュリフレのレクイエムについてはこの際、言及を避けさせていただきます。

投稿: IANIS | 2010年3月15日 (月) 23時34分

IANISさん、暖かくも含蓄溢れるお言葉。
心に触れます。
死という無が残す人への力を、こうした機会ほど感じるものはありません。
故人も亡くなる前に、神に喜ばれる聖なるいけにえとしてささげなさい、との言葉のもとに澄み切った日々を送ったと聴きました。
その意思をしっかり体現しなくては、と今日こそ思ってます。
年代ゆえに、こうした別れがまだしばらく続きそうです。

投稿: yokochan | 2010年3月15日 (月) 23時48分

叔父上さまが暫しの休息の後、主の光の中でご自身の復活の日を穏やかにお待ちになりますように。 

「わすれられないおくりもの」という絵本がありました。 
亡くなった方(登場するのは動物ばかりですが)を忍んでいるうちに、心に残してくれた大切な思い出=贈り物に気がつき、感謝すると共に皆でそれらを分け共有しあい助け合っておくお話です。 
どうぞ叔父上様からの贈り物を大切になさってくださいませ。 

 

娘がまだお腹にいるとき、山形へ旅行しこちらの教会へ伺いました。 
御聖堂でありながらもお寺様のご本堂を思わせるようで(パイプイスは置いておらずとても広く感じました)深呼吸したくなるような時間を持って記憶があります。 
旅先では曜日に係わらず、きちんと教会へ行く「なんちゃって信者」でした…

投稿: | 2010年3月15日 (月) 23時57分

親族や親友を亡くしたとき、心に強く思うのは、ありきたりですけれど、亡くなった方の分、精一杯生きなければ・・・ということなのですが、現実はこのとおり、日々の生活に押し流されて堕落三昧の毎日です・・・。

そんな私でも教会に入ったときの、俗世と切り離され、神の国を感じることのできる一種独特のあの雰囲気が心地よく感じるのであります。その雰囲気とともに音楽が発展してきたというのもむべなるかなと思う次第です。

こういうシーンに接しまして、思いますことは、気の利いたことを言って励まそうとか、元気づけようとすればするほど、逆になにか白々しく、よそよそしくなってしまいはせぬかということ。本来は私のようなものからのコメントも憚られることかと思いますが、叔父上の謹んでご冥福をお祈り申し上げる次第です。

投稿: minamina | 2010年3月16日 (火) 23時15分

mさま、こんばんは。
暖かいコメントありがとうございました。
処々あり、そして酒会もあり、おかえしが遅くなりました。

病魔につかれたのちも、何度も命をみなぎらせていた叔父と聞きました。
亡父にそっくりだったもので、涙を止めることができませんでした。
おっしゃるとおりに、感謝すべき贈り物をしっかり受け止めて生きていきたいと思います。
いまある私の環境も厳しいことこのうえないですが、mさまのコメントもしっかり頂戴し、恥じることなく生きていきたいと思ってます。

こちらの教会、いらっしゃったことがあるんですね。
ご覧のとおり、わたしひとり。
パイプ椅子はありましたが、外は雪、深淵なる気持ちにつつまれました。素晴らしい教会でした。
わたくしも、なんちゃって、ですけどね・・・・。

投稿: yokochan | 2010年3月17日 (水) 02時25分

minaminaさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
まさに、堕落三昧。
いま帰り、このありさまです。なんのことはありません。
叔父を送ったその近くで沈没してしまい、まさに話になりせぬ。

ですが、音楽の力は誉むべきかな。
どんなシチュエーションでも、クラヲタ人として選ぶ曲、聴くべき曲がありまして、それに癒される日々が続くんです。
音楽とずっとともにあって、そして聞いてきて、ほんとうにありがたかったと思うのも、こうした親しい人の死の場面でもあります。
故人の思いも音楽に変換される思いがするんです。

音楽を知らない人は不幸だな、と思ったりする自分って不謹慎でしょうか?
 ご配慮、いたみいります。ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2010年3月17日 (水) 02時32分

こんばんは。
旅立たれた叔父上様が、音楽好きのyokochanさんにとって一番の理解者だったのですね。
デュリュフレのレクイエムを選ばれたあたりに、yokochanさんの思いが伝わってきました。
もう涙なしには聴けないピュアな音楽ですよね。
私も大好きです。
私の愛聴盤はチョン・ミョン・フンのディスクですが、アンドリューの演奏も是非聴いてみたいと思います。

投稿: romani | 2010年3月20日 (土) 23時40分

romaniさん、こんにちは。
もう一人の伯父とともに、私の音楽好きを後押ししてくれた叔父でした。
そちらの大伯父も、ちょっと心配なのですが、私も年代的にそんな年波になってきてます故、さびしいです。

romaniさんも、デュリュフレ、お好きなのですね。
自演盤とコルボ盤も愛聴してますが、逆にミュンフン盤もよさそうですね。
ほんとうに美しい音楽に癒されます。

投稿: yokochan | 2010年3月21日 (日) 11時03分

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