ワーグナー 「神々の黄昏」 新国立劇場公演③
第3幕
ジークフリートのホルンでスタート。
舞台はの冒頭をきっと上から見た俯瞰で、斜めの舞台に水辺が池のように描かれていて、ラインの乙女たちは、これもの最終で出てきたような、老い疲れ果てた浮浪者然としていて、薄汚れたコートにしわっぽいお顔。
でも楽しそうに池(河)に飛び込んだりするんだ。コートを脱ぐと、三段腹と太足を強調した肉襦袢。気の毒な役柄に変貌してしまった。
するするっと、ショッピングカートが現れ、そこにはジークフリートの持ち物と思い出の品々が満載。
ジークフリートとのやり取りは、さほど変わったことはなし。
先のカートから、キャンプ用の椅子、テーブル、そのた数々の品を舞台に並べるのはラインの乙女たちのお仕事。
この演出は、登場人物たちが、ト書きにない場面で出たり演じたりで、やたらと忙しいのであります。
つぐ場面では、上から仕切りがゆらんゆらんと降りてきて、それは緑の地図であった。
ギービヒラント~キービヒ国の地図で、その中には、ブリュンヒルデの岩屋・ミーメの家・ナイトヘーレ(竜ファフナーの森)・フンディングの館などがポイントされている。
思えば、リングの数々の場面であり、それはなんのことはない、人間ギービヒ家の所領の中にすべてあったのである。
これをデカイ所領と見るか、セコイ物語とみるか・・・・。
ウォーナー氏は後者を強調し、欲望と破壊の人間の作りだした世界に神々も妖怪も巨人もすべて収めてしまった感があり・・・・・。
やがて、ジークフリートのもとにハーゲン、グンター、数人のギービヒ家の男が集まってくる。
みんなオレンジのライフジャケット着用。
ここでジークフリートの冒険談が披露されるわけだが、その歌の内容に応じて、男達が先にラインの乙女たちが並べたジークフリートの思い出グッズをいちいち掲げるわけ。
ワーグナーのライトモティーフの説明的にすぎるパロディか。
そんな中で赤い槍が、真ん中に慎重に立てかけられている。
このあたりから、死のモノローグにかけてのフランツの歌唱は経験に裏付けられた味わい深いもので、本当に素晴らしく感激した。
グンターは槍の位置に立ち待ち構える。
ブリュンヒルデを思い出し恍惚となると、映像で火の中をウォータンの鴉が2羽舞い上がるのが映しだされる。でかいカラスだ。
ハーゲンに槍を手渡し、ハーゲンはジークフリートを背中からズブリ。
自分で凶器を渡しておきながら「ハーゲン何をするのだ?」はないだろうな。
まさかほんとに殺っちゃうなんて僕、思わなかったんだもん、と、のほほんグンター。
ジークフリートを一人残しみんな去ると、地図はなくなり、お馴染みのパースペクティブな舞台となる。
少し開いた奥には、ワルキューレの騎馬兜をかぶり黒いドレスのブリュンヒルデ。
ジークフリートは葬送行進曲に合わせて、奥に立つブリュンヒルデににじり寄ってゆくが、その背中は真っ赤に血がにじんでいて、なおさらに哀れをもよおす。
わたしは、この場面と崇高なる音楽に涙がボロボロとこぼれ落ちたものだ。
そしてついには、力尽きて倒れてしまう。
涙とともに、葬送行進曲が終わりそうになったとき、そう、ワタクシは完全に思い出したのだ。
違う! あれはブリュンヒルデじゃないと。
そう、兜を脱ぐと金髪。ドレスを脱ぐとピンクのミニ。
グートルーネでありました。
これをどう読むか?
最後まで偽りの結婚から逃れられなかったし、グートルーネがしたたかに騙し続けたのか。
わたしは、やはり早変わりすることでグートルーネの場面にスムースに繋がるし、ブリュンヒルデに、しいては、英雄死んでヴァルハラに向かうの図式と思いたい。
でも、ウォーナーはきっと前者なんだろな?
前作から英雄性を真っ向から否定しているジークフリートだもんな。
グートルーネは、さらにピンクの服も脱ぐとと黒い下着のような服に。
帰ってきたハーゲンに、夫の安否を問うがハーゲンはグートルーネをまさぐるような手つきで抱き寄せるイヤラシぶり。
しまいには、脱ぎ捨てられたピンクの服を取ってクンクンしてる(笑)
これ、前に誰かしてませんでしたっけ?
ジークフリートの亡きがらは、ストレッチャーに白いシーツを掛けられたまま登場。
ギービヒ家の文字が上に掲げられている。
その前で繰り広げられるグンター殺害は、注射器で首もとプスリ、即死だ。
ハーゲンが指環を取ろうとして、通常は否定して手を高々と挙げるのだが、ここでは何もなく見受けられた。
でも音楽は、思わず背筋が伸びるような剣の動機が流れるのだが・・・。
ここでしずしずと登場のブリュンヒルデは、まさに千両役者の登場に相応しい。
すべてを知り、この場を掌握した彼女の神々しさは、テオリンの姿にこそ相応しい。
この女がいけないと責めるグートルーネが、真実を知りしょんぼりしていまうと、ブリュンヒルデは、彼女をいたわるようにその肩を抱くのだ。
このシーンは、プリミエの時も印象的であった。普段はこんな光景は見られないから、ウォーナーがグートルーネに与えた役柄をよく物語っていると思う。
そのあと意気消沈し、兄も失くしたグートルーネが、舞台奥に裸足でとぼとぼ消えてゆく。
これまた、憐れをもよおす場面でありました。
中央に、小屋のミニ版のような炭焼き小屋風のものが出てきて、にょきにょき槍を男たちがふたつに折りながらくべてゆく。
最後の一本を制して自ら取ったブリュンヒルデは、ここから自己犠牲の長大な歌を歌い込んでゆく。
ラインの乙女たちはブリュンヒルデと示し合わせ、慕うかのように登場する。
彼女は、こんな指環なんてあったからいけないとばかりに、デカジグソー指環を投げ出してしまう。
指環の扱いが、ともかくぞんざいなのが、この演出のキモ。
手を伸ばせば欲しかった指環がそこにあるのに、何もしないハーゲンもおかしい。
炭焼き小屋に薪をくべ大量の火が発生するかと期待するスペクタルな場面では、煙突から煙がちょろちょろと出てくるのみだ(笑)
ここまで壮大さ、神々しさを否定するのもウォーナーならでは。
ハーゲンが半分にしてしまったグラーネを持ちつつ、その小屋に、ストレッチャーごと入れ込むブリュンヒルデは、まさにそこに一緒に入り込んで自己犠牲を完結させる。
先のほったらかし指環を文字通り拾ったハーゲンは、年老いたラインの乙女たちに囲まれ、地下(水の底)に沈んでゆく・・・。
ここで、すべてが崩壊し、ギービヒの文字も崩れ折れる・・・・人間社会の崩壊!
そこには、白い生き物のようなな何かがうごめくのだ。
ここからまた組成されてゆくの意であろうか・・・・。
やがてスクリーンが下りてきて、うれしそうに泳ぐ乙女たちが映像であらわされるが、その姿は今度はピチピチと若々しい。
映像は、ごちゃごちゃしつつも、ワンピース欠けたジグソーパズルのものになり、同時に乙女がひとりワンピースを掲げながら出てくる。
彼女は、それを映像の方へ投げ捨てると、見事ジグソーは完結・完成。
スクリーンが上へあがり、舞台はまっ黒いステージに。
こんな目まぐるしい舞台ながら、音楽は救済の動機が美しく響きつつ、観る方と聴く方で、わたくしは極めて忙しい。
はらはらどきどき。一瞬たりとも見逃してなるものか!
そのステージには、映写機が据えられていて、それは観客に向かって映写されているようだ。
そこには、若者のペアが複数出てきて、みんなこちら=スクリーンを見つめ返しているのだ・・・。
こうして、「トーキョーリング」は幕を静かに降したのである。
続く・・・・。
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