マーラー 交響曲第3番 ハイティンク指揮
春が戻ってきました。
それは若々しくも楽しげ。
でも、冬や冷たい雨もきっと隣合わせの今年の春。
このまま初夏になってしまうのだろうか。
手前は夏ミカン。
奥は、リンゴの白い花。
一番奥にタンポポの野原。
眩しい季節が満載。
行進曲のようにどんどんやってくる季節の移り変わり。
金曜日に聖響&神奈川フィルのマーラーの第3交響曲を聴き、大いに溜飲をさげたわたくし。
いらいずっとマーラーの3番が耳に残っていて、あわよくば「あらかわバイロイト」の「ワルキューレ」にも行ってやろうと思っていたけれど、懐中も厳しいし、何よりも素晴らしかったマーラーの響きを心の片隅から追いやることができず、日曜に鞭打つように「トリスタン」全曲を2度も聴いた。
「トリスタン」や「リング」「パルシファル」は、マーラー以上に愛着ある音楽で、ティーレマンとウィーン、そしてアメリカの歌唱陣による歌は、素晴らしい日曜日を提供してくれた。
でも、金曜の晩のマーラーもやはり忘れ難く、またしても3番を日曜の晩から聴いている次第なのでございます。
しかも、N響アワーでは、「トリスタン」と「ばらキシ」という、私の最大最高のフェイヴァリット・ミュージックが放送されていたじゃありませぬか。
竜馬を見て、ニュース後、「新参者」を見だしてCM中に3CHにしたら、たらこクチビルが「トリスタン」を指揮してましたがなぁ・・・。
ワーグナー、R・シュトラウス、マーラー。
このワタクシの最高にして最大のファイヴァリット作曲家たち。
これに、プッチーニに英国系、コルンゴルド、世紀末系、アバド・ハイティンク・プレヴィン・マリナーが加われば、ワタクシのクラヲタ人生はこれ極まり尽くせるのでございます。
そんな稀なる週末でしたよ。
さて、金聖響さんを大いに見なおすことになったマーラーは、やはり昨今最強の人気作曲家でもあるんですねぇ。
私がクラシックを聴きだしたころは、ブルックナーとマーラーなんて名前も知らない。
こんなの聴くヤツは評論家くらいだし、録音もほとんどなし。
明けても暮れても、モーツァルト・ベートーヴェン・ドヴォルザーク・チャイコフスキーばかりだったんだ。
その後に来たのが私の場合、ワーグナーとヴェルディだったわけだけど、カラヤンのブルックナー、小澤「復活」と朝比奈「千人」も同時にやってきた。
さっぱりわからぬままに、音楽だけをラジオから名曲辞典片手にむさぼるように聴いたものだ。
そんな受容歴がある古臭い聴き手のわたし。
マーラーは70年代後半から、新時代のマーラー演奏として、ワルターやクレンペラー、ショルティ、バーンスタインらと一線を分かつ、思い入れの少ない、楽譜を大切にした清新な演奏が登場し、以来戦国時代状況となった。
いうまでもなく、アバド、メータ、小澤、レヴァインらの鋭利でいながら心優しい演奏たち。
彼らは、すでに古典派やロマン派をさんざん演奏していたけれど、彼らの前には、カラヤンやベームが立ちはだかり、その評価はなかなか得にくく、マーラーの前には偉大なバーンスタインがいた。
その彼らが、マーラーや後期ロマン派という新ジャンルで大いなる評価を、師バーンスタインとは違った客観性を帯びたやりかたで勝ち得たのが、いまやエポック・メーキングなことである。
かくして、マーラーは指揮者のいまやある意味登竜門でもあり、試金石にもなる作曲家なのかもしれない。
同時にブルックナーがきて、遡ってワーグナーやベルリオーズ、シューベルト、そしてベートーヴェンに戻ってゆくのも今やありかもしれない。
そこに常にモーツァルトがあると、さらなる強みだ。
聖響さんの清々しいマーラーを聴き、彼が若い頃からマーラーに取り組んでいたことも知り、わたしを納得させてくれないジャンルにおいても、今後新展開を期待しつつの週末なのでございました。
マーラー 交響曲第3番
Ms:モーリーン・フォレスター
ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ放送女声合唱団
聖ウィリブロード教会少年合唱団
(1966年5月アムステルダム)
前段がどこまでも続きましたが、今日は、地道な努力がのちに、大いなる大輪を咲かせることになった、ベルナルト・ハイティンクのマーラーの交響曲第3番の一番最初の録音を聴きます。
ハイティンクのマーラーは、先に記した新時代のマーラー演奏の系譜には載せてもらえず、常にマイナーな存在であり、誰よりも早くマーラー全集をこさえたのに、ほかの指揮者ほどには光を浴びなかった。
そう、ハイティンクのマーラーは、同時にコンセルトヘボウのマーラーでもあり、営々と築きあげられたマーラー演奏の伝統の方に脚光が浴びてしまっていたからなのだ。
その後のハイティンクのマーラーが、いくつかの再録音とベルリンフィル、そしてシカゴと進行中の演奏などを通じて、あまりに音楽的、そしてハイティンクの人間存在を語るような滋味を増し、優秀なオーケストラを得てどこまでも高みに達しゆくのを聴くにつれ、一徹の人間のなしゆく究極の「さま」を見せつけられている。
この出来事が、いまも今後も、進行中であることが驚きである。
1966年の、ハイティンクのマーラー全集でも、ごく初期の録音。
ハイティンク37歳。
コンセルトヘボウの指揮者になって5年目。
若い指揮者の果敢な指揮をしっかりと受け止める、しっとりした色調のオーケストラ。
元気一杯のハイティンクは、若さがはじけていて、それでいながら、全体の見通しと構成感もよく、やるべきことはちゃんと押さえている。
当時ばかだちょんだ言われたことが、ますます不当に思えてくるのだ。
勢いで飛ばしてしまうところは、コンセルトヘボウのオケの味わいや優秀録音のホールトーンで、巧みにカヴァーされているし。
緑一杯の健康的なマーラー。
涙うるうるの終楽章では、朝露に濡れる草原に足を降ろしたような感動が味わえるんだ。
このハイティンクの若い演奏を聴いて、聖響さんのこと、神奈川フィルのこと、ワーグナーのことなどを思い起こしております。
Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ
66年RCO 32'09 10'19 16'50 8'45 4'05 22'05
83年RCO 32'38 9'06 15'20 9'12 3'55 23'05
90年BPO 34'50 10'05 17'54 9'44 4'18 26'00
06年CSO .35'10 9'52 18'13 9'13 4'18 24'39
ハイティンクの当曲の録音タイム。
83年のクリスマスマチネのブックレットより記載。
こちらは、69年頃の来日記念のチラシ。
ブルックナーとマーラーばっかりですよ。
当時はこれでは人気が出ません。
「シカゴとの最新ライブの記事」
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コメント
東響との「復活」を聴いている僕としては、金さんと神奈フィルのマーラー、いくべきかどうか迷っていたのですが、結局断念してしまいました。そのつながりで、マラ3、しかもハイティンクの一等初期の録音が飛び出すなんてさすがです。ハイティンクの演奏、80年代まで遡って聴くようになりましたが、70年代以前はまだまだ。その彼のマーラーまで辿りつくまでにはもうしばらくかかりそうです。
投稿: IANIS | 2010年4月27日 (火) 01時09分
IANISさん、毎度こんばんは。
金さんマーラーは、なかなかでして、不平不満の近時、見なおしてしまいました。
ハイティンクもあの頃から、しっかりハイティンクしてたんです。
この録音と、クリスマスマチネとシカゴが手持ちですが、いいずれも特徴ある名演です。
この頃のコンセルトヘボウは魅力的でもありました。
投稿: yokochan | 2010年4月27日 (火) 01時15分
こんばんは。金さんの項目でメータ、アバドに熱中しすぎ、書き忘れてましたが、バーンスタイン、ニューヨーク・フィルハーモニック(再録)情けない~。これ、バーンスタインのドイツ・グラモフォン録音による唯一の手持ち「全集」です。(勿論、歌曲も併録されてます)メゾ・ソプラノのルートヴィヒがアルトで歌ってますね。彼女の終息期なのでしょうか。やはり、マラヲタであります。
今、ハイティンクの音源はベルリン・フィル再録が出回っている。初録であるコンセルトヘボウはどうなっているのか、気がかりです。
投稿: eyes_1975 | 2010年4月27日 (火) 20時13分
eyes_1975さん、こんばんは。
そう、バーンスタインのマーラーも強力ですよね。
自分のところに思い切り引きつけた、まさに自己の思いの吐露みたいです。
youtubeで、ウィーンフィルとの映像が全曲見れますが、これもまた説得力あります。
ハイティンクのマーラーは、どれも微妙に異なり、なかなか油断できない演奏です。ライブ感が強いですね。
機会がありましたらどうぞ!
投稿: yokochan | 2010年4月27日 (火) 21時43分
出ましたねぇ、木偶の坊ハイティンクの演奏が。
この頃、というかコンセルトヘボウ管弦楽団でのレコード・デビューだったドヴォルザークなんて全く無視されたこの指揮者、あのコンセルトヘボウ管弦楽団の慧眼には本当に敬意を表します。
何もできない無能無個性の指揮者、コンセルトヘボウ管弦楽団の伝統をぶち壊す能無しといわれた彼ですが、このマーラー全集もそれからブルックナー全集も結構若々しい感情剥き出しの激しい演奏をしているのですがね。
コンセルトヘボウ管弦楽団もベイヌム時代の引き締まった筋肉質のたくましい響きもまだ健在で、後年80年代の芳醇で薫りたつような響きではないですが、これがまたこの頃の彼の表現にはピッタリかと。
でも金曜日だったんですよね、あの名演は。まだあの感激を引きずっておる私です。
どうも封印の曲の一つになってしまったかも。
今まで私はメータ/LAPかハイティンク/ACO、アバド/VPOだったのですが、すいません、あれからどれを聴いても物足りません。
これで今週末、どうですかね。
ある人が「坂の上の糞」にならないようにと申しておりました。
仮にそうでも、その後の焼肉は絶品をお約束します。
投稿: yurikamome122 | 2010年4月28日 (水) 12時33分
yurikamomeさん、こんばんは。
なはは、「坂の上の○○」ですかぁ(笑)
げに恐ろしげな譬えでございます。
今回も嬉しいほうに裏切られることを内心期待しているのですが、ダメでしょうか。
でも、コンサートはアフターの方便ということで割り切りましょう。
それにしても金曜のマーラーには、わたしもやられてしまいました。
たしかに封印かもですねぇ。
今回は、大切なアバド&ウィーンはあえて聴かずに思い出として残しておきたく、アバド&ベルリン盤とハイティンク&ACO新旧を聴きましたが、最初のうちは全然だめでした。
ですがどれも最後にやられてしまいました。
音楽が素晴らしすぎるんです。
そして、神奈フィルのあの演奏を思いだすと涙が出そうになります。
やってくれましたね!!
投稿: yokochan | 2010年4月28日 (水) 22時36分