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2010年5月

2010年5月31日 (月)

看板にゃんにゃん ①

Nyan
お店の中が気になるにゃん。

ここは、横浜の大桟橋の付け根にある、お洒落なカフェのひとつ。
このミケはいつもいる。

Nyan2
いくら呼んでも、置物のように動かない。

完全に店の一部と化した「ねこ」。
ねこ好きからすると、この背中の丸みを帯びたカーブがたまらないのよね~。

Yokohama_bay
先日のマーラーの「復活」が、まだ耳元にこだまする。

聖響&神奈川フィルは、国内でも固有のユニークなマーラー像を、ここ横浜で築きあげるかもしれない。

明日は、新国で、「影のない女」の最終公演。
今シーズン、もっとも楽しみにしていた新演出。
マーラーの余韻は、今日まで。
明日は、最愛のR・シュトラウスのオペラに身も心も奪われていることでありましょう。

好きな音楽を、自由に選択し、聴きにいける。
首都圏は、思えばすごいところで、うかうかしてると音楽破産をしてしまう。
恐ろしい街であります。
 わたしは、前もって購入した演奏会のみに極力とどめ、向う見ずな衝動買いは控えてましてよ(シカゴ以来)。
そして、節約術もかなり上達しましたよ。

Yokohama_nyanko
ふぁ~、ねみぃなぁ~

おっさんよぅ、そんなことは、知ったことないわ~

と、お気楽な看板にゃんこでした。

以前にも投入済みのこの画像。
まだいくつかありますので、いずれまた

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2010年5月30日 (日)

神奈川フィルハーモニー創立40周年記念演奏会 金聖響指揮

Yokohama1
新緑の日本大通り。
おいおい、ベイスターズ頑張ってよ。
強いんだか、弱いんだかわかんないよ。
Yokohama3
今にも泣きそうな空のもと、今日はいつもの「みなとみらい」を対岸から望む。
日本で、新国が出来るまえの、オペラのメッカは文化会館に、NHKホール(?)、県民ホールでありました。

その県民ホールで、神奈川フィルハーモニー創立40周年記念演奏会
1970年、万博の年の創立。
世界的にも珍しいプロオケの複数乱立する東京圏のオーケストラの中にあって、神奈川という地元のみならず他県にも特化しつつ、首都圏のオーケストラとしてユニークな存在として独自性を築きつつある神奈川フィル。

Yokohama5
Kanaphill_1
40年前は、わたくしは小学生。
早くもクラシックファンでして、万博来日ラッシュバブルでスゴイ演奏家が来日しまくり、テレビや雑誌に夢中だったなぁ。

 そんな時代がスタートの神奈川フィル。
40周年おめでとうございます!
そして、今後の発展も心より期待したい、郷里のオーケストラであります。

Kanagawaphll_mahler2
 聖響マーラー、キターッ

  
  マーラー  交響曲第2番「復活」

     S:澤畑 恵美  MS:竹本 節子

    金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
              神奈川フィル合唱団
              合唱音楽監督:近藤 政伸
              コンサートマスター:石田 泰尚
                 (2010.5.29@神奈川県民ホール)

金聖響と神奈川フィルにしかできない、素晴らしいマーラーだった
ずっと感動しっぱなし。
終楽章、クロプシュトックの讃歌が合唱で静かに歌われだすと、涙がにじんできた。ついで、澤畑さんのクリーンなソプラノがそこに加わると、私は堪えてきたダムが決壊したかのように、涙があふれだした。
竹本さんの豊かなメゾも加わって、徐々に盛り上がりを見せ、いやがうえにも感動が高まってゆく。
ここで没頭のあまり興奮にのめり込まないのが聖響マーラーで、クリアーさを保ちつつも、音楽の力だけで、最高のクライマックスを築き上げたのだ
わたしはもう、もう、くちびるワナワナ状態で、涙ボロボロ。恥ずかしいくらい。
 大きなホールは、ものすごいブラボーに包まれたのであります

先週あのゲルとかいう「へっぽこ指揮者」に惑わされたのがウソみたいな1週間後。
古典・ロマン派周辺音楽では、わたしには受け入れがたい金さん。

そんなものをすべて、忘れさせてくれちゃうマーラーの演奏の素晴らしさ。
ホールの違いも手伝って、より自然児的だった先月の「3番」の方がよかったけれど、今回の「2番」もホントよかった。

音像が遠くに感じられホールに戸惑ったのは、みなとみらいに慣れすぎてしまった贅沢か。でも、それも1楽章の最初の方だけ。
暗く破滅的な部分と、優しく美しい場面が交錯する奇矯な第1楽章をこんなにも見通しよく、すっきり聴かせてくれるなんて!
1楽章からして、本日のマーラーの成功を確信できた。
マーラー指揮者の試金石のような、第1楽章の中間部。
休止のあと、低弦がうごめくように、這い上がるようにして刻んでくる場面。
ここの間とピアニシモの加減が絶妙で、しかも一音一音が克明に聴きとれる。
山本さんと三宅さん、その後ろにも主席級が贅沢にも並んだチェロセクションの威力は最強。

2楽章も、そのチェロの素晴らしさが随処に聴きとれる場面が満載。
ビオラも存在感たっぷりだったし、そう、この日、対抗配置の良さを実感できたのが、第2ヴァイオリンの重要性。柳瀬さんと小宮さんの存在感が光るし、第1ヴァイオリンからシフトされた奏者の方々がますます機能して、石田イズムも行き渡っている。
マーラーはビオラや第2ヴァイオリンにも重要な役割を与えているのが、実によくわかり、それがしっかり見てとれたのである。

完全に歌曲の世界だった3楽章は心弾むようで、聴いていて指が、やがて体が動きだしてしまう。トランペットで歌われる中間部ののどかな夜想曲に酔いしれる。
そして、突如現れる、やがてくる悲劇の予感のファンファーレ。
こうしたジェットコースターみたいな、なんでもありのマーラーの世界を、聖響さんは、素直に、自然体で描いてくれた。

幽玄さよりは、優しい眼差しを感じた美しい「原光」の第4楽章

そして長大な終楽章は、先に書いたとおり、頂点にむけ、私たちの新しいマーラーの誕生に向けてどんどんと高まっていった。
「復活」を初めて聴いてもう30年以上。その時からもっとも好きな、カッチョイイ場所。
アフターコンサートでも、その話題で盛り上がった。
弦の勇壮な刻みのうえにトランペットが行進曲風に復活主題を奏でる。
ここでの聖響さんの指揮。自分ならあんな風にして指揮してみたかったと思わず感じ、共感できる素晴らしさ。痛快かつ、解放的なマーラーの響きに陶酔してしまう。

豪華木管陣の活躍に、スコア通りの大盤振る舞いの金管、ムチの音が目立ちすぎたけど、毎度見事な打楽器のみなさん、真摯な合唱・・・、もうみんな誉めちゃう。
そしてカナメは、やはり石田コンマス。
聖響さんも、感謝のしるしを示されてました

いつもけなしてしまうのに、手のひら返しと言われてもしょうがない。
聖響&神奈川フィルのマーラーは、素晴らしいんだもん。

何がいいかって。
まず、自然体で全体の見通しもよく、内声部まですっきり聴こえる。
ガンガン鳴る激しいマーラーとは縁遠く、とても繊細デリケート。
オーケストラの美音も堪能できるし、指揮者の素直な感性が、そのままマーラーの音になって出てくる。
 これって、ワルターやバーンスタインではチンプンカンプンだった私が、マーラーに開眼したアバドやメータ、レヴァインたちの若いマーラーを思い起こさせるんだ。
聴いていて、あの若き頃を思い出してしまった。

ノスタルジーに浸ってばかりもいられない。
復活の思想よろしく、気持ちを甦えらせて、日々頑張んなきゃ
 と、いう前向きな思いにさせてくれた素晴らしいマーラーでした。

Kanaphill_2
松沢知事と金さんのツーショット。
終演後のレセプション。
Kanaphill_3
神奈川フィルの顔のお二人のツーショット。
ポーカーフェイスで面白いこと、ポロっというお二人。
ナイスな方々でございます。
Kanaphill_4
そして、こんな目の前で聴いちゃった。
ヘンデルの「パッサカリア」の唖然とするくらいに鮮やかでしなやかな演奏に、あやうくマーラーも霞んでしまうところだった。
この二人の音色こそ、神奈川フィルそのものですね
Kanaphill_5
ここに、山本さん、石田さん、金さん写ってます。
おまけに、林市長までいらっしゃった。
 いまちょうど、テレビつけたら玉木さんが喋ってる。
私の席の近くにいらっしゃいましたし、俳優さもちらほら。

こんなゴージャスな雰囲気だけど、鳴った音楽は、真摯なるマーラーでありました。

Yokohama6
レセプションでビールと、保土ヶ谷「じゃがいも焼酎」=「ほどじゃが」を飲んでいい気分。
酔いが醒めないうちに、ホール裏手の蕎麦屋さんで、「勝手に神奈川フィルを応援する会」の定例会を。
日本酒利き酒。これを何度もおかわりしてしまう私たち。
だって、気分いいんだもん。
前回は、こんちくしょう、二度と来るな、だったけれども(笑)
Yokohama13
 そこで思いついたこと。
聖響さんのレパートリーは、ケント・ナガノを参考にしたらどうだろうかと。
後期ロマン派・新ウィーン楽派、近代ものあたりをどしどしと。
それこそ、勝手に言ってます、わたしたち。

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2010年5月28日 (金)

シューマン 交響曲第2番 エッシェンバッハ指揮

Dote1
名古屋の「どて」をどんぶりご飯にかけたのであります!

いわゆる「どてめし」という品。
もつ煮込みを甘辛い八丁味噌でしたような「どて」。
これをご飯にかけて「どてめし」
Dotemeshi
オリエンタル食品から出てるこのレトルト食品。
こうしてメシにしても、ツマミにしてもウマいすぐれものだがね。

そして、今日は、皆さんが意外と敬遠されるエッシェンバッハの指揮を聴く。
こちらも濃いけど、私にはウマいんです。
結構好きなんです、エッシェンバッハ。

Escenbach_schuman
エッシェンバッハシューマンであります。
4番と並んで、エッシェンバッハの全集では好きな演奏が、交響曲第2番
バンベルク響と録音した全集は未聴ながら、北ドイツ放送響との2度目の録音は98~99年にかけての録音。
ちょうど、ヴァントのあとをうけて、当オーケストラの指揮者であった頃。
そのあと、パリ管(2000~08)、フィラデルフィア(2003~08)という欧米メジャーを制覇することになるエッシェンバッハの上り坂の時期のもの。
 両メジャーをどのような理由で退任したか詳細不明なれど、今シーズンからワシントンのナショナル響の指揮者に転出するという。
 この流れをみて、私は、スラトキンとロストロポーヴィチ、アシュケナージを思った次第。

厳しいトレーナー的存在として、音楽業界での政治力のかけひきの中心として、マイノリティとして・・・・・・。
スラトキンは有力な音楽一家の出自、ほかは、器楽奏者として大成した存在。
いろんな要素が絡み合って、今回のような人事になったのだろうか。
パリ管の方が長かったのも、他民族・自由国家アメリカという国の案外な難しさの裏付け。
最後めぐってくるのは、アメリカの大統領のお膝元オケ。

う~む。
本人は、ヨーロッパを向いているはずなんだけれど。
そう、エッシェンバッハ=マーラー
同じものを感じて、私にはずっと捨てがたい存在なんだ。
あのエキセントリックな風貌も、私には親しみを感じるし。
だって、好きでなったワケじゃないのよ、わたしたち(笑)

そんなエッシェンバッハのシューマンの2番は、晩年のバーンスタインのように自分の側に引きつけすぎてしまい巨大な音楽にしてしまったのとは違う意味で、かなりエッシェンバッハ流の腰の据わったねばっこい解釈になっている。
 速いところは速く、遅いところは遅く、これもバーンスタイン風だけれど、内声部が思いのほか軽く、主部もいざとなるときれいに歌いまくるので、耳にもたれることがないのがエッシェンバッハ。
北ドイツ放送響の緻密で精緻なアンサンブルと、適度な重厚感がエッシェンバッハの指揮にぴったり寄り添っている。
 終楽章のくどさやティンパニの連打も、思いのほかのインテンポでもって、爽快かつ力感にあふれながら演奏され、見事なエンディングをみせるシューマン2番なのであります。

エッシェンバッハは、実演や映像・音源でかなり聴いてきた人だけど、曲によって本当に複雑な様相を見せる指揮者だと思う。
シューマンやマーラーは、彼の素顔が出る音楽ではないだろうか。
フィラデルフィアと来日したおりの、マーラーの第9を聴いたのだけれど、くまなく曲の隅々に光をあて、じっくりとマーラーに向き合った緊迫のマーラーだった。
スゴすぎて、楽章の合間に、ホール全体が聴衆の息を抜くため息に満たされたぐらい。
 それと、メトでやってきてワーグナー指揮者の片鱗をみせてくれたワルキューレの舞台も忘れられない。
 ギャラは高そうだけど、N響あたりと親密になって欲しいと思うエッシェンバッハであります。
Echenbach_2
アリの頃。
右から左、1:9に、ぐぃーんと、もってってます。
涙が滲みます。

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2010年5月27日 (木)

ブリテン チェロ交響曲 ウォールフィッシュ

Mikasa
道央自動車道走行中の岩見沢SAにて。
岩見沢はかつて、ばんえい競馬が行われていた街。
隣接の三笠は、化石が多く出て、恐竜やアンモナイトの街。
なかなかのオブジェたちです。

Britten_cell_sym
ブリテン(1913~1976)シリーズ。
そろそろ、オペラも登場させなくてはと思いつつ、金聖響さんが就任する、ベルギーのフランダース響との初録音が、もうリリースされるとの報を受け、その初録音たる、チェロ交響を取り上げてみることに。

正式なタイトルは、「Symphony for Cello and Orchestra」。
1963年、ブリテン50歳の充実期の作曲で、その頃の作品はというと、「カンタータ・ミゼリコルディウム」(これいい曲です)、歌曲のいくつかと、そして「カーリュー・リヴァー」。
かなり渋い音楽ばかりを創出していた時分で、東洋のエキソシズムなどにも感化し、ミステリアスな雰囲気と独特のリズム感などにも特徴を見出すことができる時期。
正直、この曲は難解でありますし、確たるメロディーの噴出もない。
でも、ブリテン特有のクールさと熱っぽさが、混濁した響きの中から立ち昇ってくるのを聴くと、五感を刺激されるような大いなる感銘を覚えることになるんです。
ブリテンの音楽をオペラ中心に何度も聴いてくると、そうしたことが必ず体感できるようになります。
 クールでかっこいい音楽、それがブリテン。

一般に聴かれる、ブリテンといえば、有名な作品に限られてくるけれけど、それらはちなみに、シンプル・シンフォニー(1933年20歳!)、青少年の音楽入門(1946年)、ピーターグライムズ(1945年)、戦争レクイエム(1961年)とういった創作年になっている。
そう、初期のものほど有名で、ブリテンは歳とともに、難解に、とっつき難くなっていくイメージがあるのが浮き彫りになってしまう。
 わたしは、好きな英国音楽のひとつとしてとらえているし、何よりも、オペラの数々に最高の劇作家としてのブリテンを見出しているので、その周辺音楽も難なく受け入れることが出来たのです。

チェロソナタ、チェロ組曲などと並ぶロストロポーヴィチのために書かれた作品としては、最後の作品。
協奏曲としてもピアノやヴァイオリンのものがいずれも1930年代のものなので、最後。
4つの楽章からなり、チェロとオーケストラが完全に拮抗した立ち位置にあり、シンフォニックであるとともに、チェロのすさまじいまでの名技性も、巧みなオーケストレーションとともに味わえる。

ラプソデックな第1楽章からブリテン節炸裂。
 スケルツォとしての2楽章は、短いけど、とらえどころが難しくチェロの目まぐるしい動きの背景で、オーケストラが明滅し、これ演奏者には大変じゃないかしら。
 アダージョ楽章。この時期のトレンドか、東洋風な神秘的アトモスフェアが忍びよってくる。こんなヶ所に痺れてしまうのがブリテン好きの所以。
そして、休みなく続く終楽章では、トランペットのソロが素敵すぎる。
ここは、パッアカリアになっていて、ちょっと古風な面持ちながらも、クール&ホットなブリテンの面目躍如たる音楽が満載。

イギリスのラファエル・ウォールフィシュのブリリアントなチェロは、ロストロさんほどに思い入れが少なく、気品と情熱のバランスがよい。
そのウォールフィッシュの音楽一家の家族が在籍したイギリス室内管弦楽団と、ブリテンのアシスタントだった、ステュワート・ベッドフォードの指揮。
理想的な純英国産ブリテン演奏であります。

余白には、「ヴェニスに死す」のベッドフォード版組曲が入ってます。
これまた、わたくしにはシビレルようなかっちょいい音楽なのでありました。

このブリテンに果敢にチャレンジした聖響さん。いいじゃないですか!
名手ウィスペルウェイあっての演奏かもしれませぬが、聴く前から大いに評価したいですよ。
聖響ファンの方も、ブリテンの素晴らしさを聴きとってください。
そうだ、神奈川フィルで、山本さんのチェロで是非とも取りあげてもらいたい。
でも、オケ運営サイドは渋すぎるから逡巡してしまうだろうなぁ。。。

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2010年5月26日 (水)

ローテンベルガーを偲んで

1
木々が茂る実家の庭から見た夕映え。
手前の紅葉は春紅葉。

人生の夕映えもかく美しくありたいもの。

きっと、そんな最期を送ったであろう心に残る名歌手がまたひとり去りました。

Rothenberger_1
アンネリーゼ・ローテンベルガーさんが、5月24日スイス・ミュンスターリンゲンで亡くなりました。
享年83歳。
まだまだ元気でいて欲しかった。
私のような世代の聴き手には、憧れの歌手のひとりだった。
生粋のドイツ生まれで、その美しい語感でもって歌われたモーツァルトやR・シュトラウス、レハールなどに魅惑された。
中学・高校の頃だから、きっと大人の雰囲気を持つローテンベルガーに憧憬を抱いたのであろう。
長じてからも彼女をいろいろ聴いたけれど、大人の女性、プラス可愛い女性というイメージも強く持つようになり、彼女のR・シュトラウスがとりわけ素晴らしく思えるようになった。

以前にも取り上げた、こちらのCDを今日も聴きます。
なんたって、ここの収録された「ばらの騎士」と「アラベラ」が素晴らしいのだから。
ゾフィーとズデンカを歌い演じては、最高だった彼女。
やがて、マルシャリンやオクタヴィアン、アラベラも声がドラマテックになり歌うようになった。スーヴレットから始まって声に幅が出る。
彼女の後輩、ルチア・ポップと同じであります。

ビジュアル的にも美人で、演技力も迫真的かつ嫌味がなかったから、舞台でも特徴的な役柄をも演じるようになった。
ヴォツェックのマリーやルルも手掛けたというから興味深々。

その麗しいお姿と、チャーミングで凛々しい声、抜群の歌唱力に表現力。
こんな素敵な三拍子そろったソプラノは、もう出てこないのではないかしら。

ドイツで彼女が進行役をつとめたオペラバラエティ番組が人気を呼んでいたといいいます。
それらの映像が、今後掘り起こされるのを期待します。



R・シュトラウスの「帰郷」。
「4つの最後の歌」や歌曲集を、プレヴィンと70年代に録音していて、こちらはCD化もされていない。
是非にも聴いてみたい音源です。EMIには困ったもの。



なんと、デル・モナコさまとの共演
異質なふたりだけど、その存在感たるやもう、なにも言えません。



ねこの歌を歌う可愛いローテンベルガーさま。



最後に、極めつけR・シュトラウスの「アラベラ」。
ズデンカでなく、姉アラベラを歌ってます。
しかも相手役マンドリーカは、ヘルマン・プライ
もうもうもう・・・・、これを発見したときは感涙にむせったのです。
 なんと美しい姿に、美しい歌。
そして、美しい音楽なのでしょう。

私が音楽を聴き始め、オペラに親しみだした頃に聴き親しんだ名歌手たちが、次々に世を去っていきます。
自分は変わらぬ気持ちでいても、まわりには若い人ばかり。
どんどん年月は経っていきます。
悲しい現実だけど、彼ら・彼女たち歌声を、しっかり心にとめて、いまをしっかり生きなくては。

アンネリーゼ・ローテンベルガーさんのご冥福をお祈りいたします。

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2010年5月25日 (火)

なんとなく不気味な「にゃんにゃん」

1
とある駐車場にいたにゃんこ。
呼んだら向かってきたけど、
なんだか、狙いをつけられていて、怖いわ~。
2
で、そばまできたと思ったら、伸びしてやんの。
指先の肉球まで、しっかり気持ちよく広がってますなぁ。
めんこいめんこい~
3
で、人を無視して通り過ぎようとする子にゃんこ。

5
で、こちらに背を向けて座り込んでしまった。
対応に苦慮する、さまよえるワタクシ

しかし痩せてるし、シャンプーしてあげたい可哀そうなにゃんこ。

6
が、そのとき、こやつは、おもむろに地面に転がりだしたのだ

7
あらよっ、とゴロンゴロンと転がるにゃんにゃん

はは~ん、かゆいのね

8
ちょっと手も足もでない、野良にゃんでした。
餌はもらっているようだけど、からだ洗いないさいよ

9
さいなら、にゃんにゃん

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2010年5月23日 (日)

アルファーノ 「復活」 ボンコンパーニ指揮

Matarukushukenebichi

先日の、北海道で走行中見つけた川。
マタルクシュケネブチ川」でございますよ。
なんという名前でございましょう。
 道内を走るとこんな名前がいくつも出てきて、ついつい気をそらしてしまい危ないことこのうえない。

Pippu

「比布」とかいて、「ぴっぷ」ですよ。
ちなみに、ここは「和寒」を走行中。
「わっさむ」ですよ。
「わっ、さむっ~」

北海道や北東北には、こうして難しい地名や呼称がたくさんあって、ネタは豊富。
悲しい歴史もあろうかと思い申し訳なく思いますが、いまは平和だからしてお許しを。

一番好きなのは、釧路の「大楽毛」ですな。
「おたのしけ」ですよ。なんだか、ワタクシにとっては、とっても嬉しい地名。
そして「増毛」は、「ましけ」なんですから。
増毛には、国稀酒造という醸造蔵があって、力強いお酒でとてもうまいんです。

「倶知安(くっちゃん)」で「発足(はったり)」きかせて、「長内枝内(おさるしない)」。
「音更(おとふけ)」は、今日も「音調津(おしらべつ)」に満ちてまして「音威子府(おといねっぷ)」っ!
 ちょっと、お遊びが過ぎましたな。

Alfano_risurrezione

フランコ・アルファーノ(1875~1954)をご存じでありましょうか。
イタリアの作曲家で、そう、プッチーニの死によって未完に終わった「トゥーランドット」を補筆完成させた人です。
 あのとって付けたようなハッピーエンドは、リューの悲しい死が消し飛んでしまうようで、どうも好きになれないけれど、それを書いた人というイメージが強すぎて、イマイチ作曲家というレッテルを貼ってしまっていた。
10曲以上のオペラや、交響曲などのほか、いろんなジャンルに作品を残し、長命だったので、数々の要職にもついた立派な人物のようである。
 以前、モンテメツィのところでも書いたけれど、ヴェルディ以降のイタリアオペラの作曲たちに非常に興味があって、いろいろ聴き進めているところ。
 この人を見のがす手はない。

オペラでは、最近、「シラノ・ド・ベルジュラック」が流行りで、ドミンゴやアラーニャまで録音してるけど、音源・映像ともに楽しんでますので、次の機会に取り上げます。
で、今日は、トルストイの長編「復活」をオペラにしたものを取り上げましょう。

原作は長大だけど、全4幕2時間のオペラとしては、ちょうどいいサイズ。
そして肝心の音楽は、とても聴きやすく、激情にも抒情にも欠けておらず、歌や声を楽しむのにも過不足のないスグレものオペラであります。
 プッチーニとジョルダーノの中間くらいといった感じでありましょうか。
随処に散りばめられた、ヒロイン・カチューシャと相手方テノール・ディミトリの、それぞれ劇的かつ甘味なるアリアの数々には、オペラ好きなら痺れてしまうこと受けあいである。
最後の浄化に満ちたエンディングも感動的。

  アルファーノ 歌劇「復活」

 カチューシャ・ミハイローヴァ:マグダ・オリヴェロ
 ディミトリ・イヴァノヴィッチ:ジュセッペ・ジスモント
 シンプソン:アントニオ・ボイア    
 マトレーナ:アンナ・ディ・スタジオ
 ソフィア:フェルナンダ・カドーニ   
 アンナ:ヌッチ・コント
 ほか多数

    エリオ・ボンコンパーニ指揮 管弦楽団・合唱団
            (1971.10.22@トリノ)


第1幕 田舎にあるソフィアの邸宅

 復活祭前夜。当家で育てられたカチューシャは、若主人ディミトリの帰りを待ちわびる。
やがて久々に帰ってきたディミトリは、カチューシャの姿をみとめて、「子供の時から好きだったんだよぅ~」と抱きつき、カチューシャも拒みながらも好きなものだから、二人は熱い二重唱を歌いつつ抱擁する・・・・・。


第2幕 鉄道駅そして雪

 あの晩の翌日、ディミトリは出征してしまい、カチューシャは子供を身ごもり、ソフィアから追い出されてしまっている。
 今日、デミィトリが戦場で傷を負って帰ってくるとのことで、子供のことを話そうと駅で待つことにしたのだ。
汽車は着くもその姿はなく、絶望のうちに「慈悲深き神よ・・」と素晴らしいアリアを歌う。
 そこへ、若い女を連れたディミトリを発見、追いかけるものの、汽車は空しくも発車。
駅員に阻止され、雪の線路に泣きぬれ崩れるカチューシャでありました・・・。


第3幕 ペテルブルクの女囚牢

 カチューシャは、客に毒をもったとして20年のシベリア送りを言い渡されているのだ。
本当は無実だった彼女、ほかの女囚から同情されている。
そこへ、以前の女主人から煙草と金の差し入れ。煙草は皆に配り、金は酒に換えた。
そう、酒が楽しみとなった彼女。自由にしてやると、いいよる監長を断ってやったよ、と空しく歌う・・・。 
 そこへなんと、ディミトリが面会にやってくるが、カチューシャは知らない人、という。
シベリア送りと聞き助けにきたというが彼女はつれなく、ディミトリはやつれ果てた彼女に驚き悔恨。
あの線路での晩をここぞとばかりに激しく歌い、子供は死んだと言う。
「すまない、責任とって結婚する・・・」とこれまた熱きアリアを歌うデミトリ。これ素晴らしい。
突然笑いだすカチューシャ。お金くれたし、あんたにゃ責任はないのさ・・・・。ここでのカチューシャの激し方も激しいっす。
面会も終わり、悄然のディミトリ。
カチューシャは彼が置いていった子供時代の写真を見ながら眠りに落ちてゆく・・・。


第4幕 シベリア抑留地

 この地でカチューシャを愛するようになったシモンソン。
ここまで追ってきたディミトリは、シモンソンに彼女とやり直したいと話すが、二人のどちらを選ぶかは、彼女に決めさせようという。
 ディミトリは、カチューシャに本心を聞くが、彼女は、あなたを心から愛しているけれど、いまの自分にはシモンソンの方が相応しいの、として新たに復活した女として、彼のもとを去ってゆく。
 折から、復活祭の合唱が聴こえてくる・・・・。


以上、オペラ辞典を参照。
原作は実は読破したことありません。
ディミトリが主役となっているようで、対するアルファーノのオペラでは、捨てられ自棄となった女性が人生をしっかり歩んで行こうとする物語になっております。
 この方が、オペラとして描きやすいし、聴かせどころもたくさん作りやすい。
事実、カチューシャのアリアは、素晴らしいものがいくつも。

Olivero

そのヒロインを歌うのが、マグダ・オリヴェロ
最後にして最高のヴェリスモ歌いと言われた彼女、まだ存命でして、この3月に100歳
デル・モナコと共演の「フェドーラ」が手持ちで、いちばん音がいい彼女の音源だと思う。
そして、このカチューシャを歌う彼女の素晴らしい声に身も引き締まる思いだ。
強い声でありながら、女性の弱さ優しさを巧みに歌い出すオリヴェロ。
 youtubeに去年、99歳にして歌うお姿の映像がありましたぞ。
もう涙もの。その歌手魂に涙がにじむ思いでした。
シミオナートと同じ歳だったのです。
こちらで、その経歴と映像をご覧くださいまし。

ジスモントの情熱的なテノールも悪くないし、気持ちいいのと、最後にナイスなアリアがあるバリトン恋敵役のボイアもなかなかのもの。

残念なことに、71年の録音ながら、見事にモノラル。
アルファーノの書いたよく鳴るオケの響きがやや薄っぺらに聴こえるけれど、舞台上の歌手の声も含めて鑑賞にはまったく支障なし。
指揮のボンコンパーニという人は、グルベローヴァの指揮をよくしている人みたい。

このCDの余白に、オリヴェロが得意とした、ザンドナイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一部がデル・モナコとの共演で収録されていて、そちらもスゴイ声です。
このオペラ、今年、横浜で上演されるので、観に行かなくちゃ。

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2010年5月22日 (土)

神奈川フィルハーモニー定期演奏会 ゲルゴフ指揮

Minatomirai1
桜木町駅前の新しい複合施設Colette・Maleからパシャリ。

今回は、写真集になりそうな予感がして、たくさん写真を撮ってあります。

Minatomirai2
ランドマークと月を見上げてパシャリ。

さて、そろそろホールに行きますかね。

Kanagawaphill201005
神奈川フィルハーモニーの5月定期演奏会。

   池辺 晋一郎 「照葉樹林」~弦楽オーケストラのための~

   ショパン    ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調
            
            ノクターン第20番 嬰ハ短調

             Pf:仲道 郁代

   ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」

     ロッセン・ゲルゴフ指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                     (2010.5.21@みなとみらいホール)

しかし、なんでいまさら「田園」なんだろ。
正直いって、私のようなヲタからすると、こうした定番名曲に足を運ぶことはあり得ない。
しかも、この曲にはシュナイト翁の超名演の思い出が染み付いていて、札幌にまで聴きにいったくらいなんだもの。
次月のブラームスもしかり・・・。
 じゃぁ、聴きに行くなと言われればその通りなんだけど、定期会員でもあり、神奈川フィルを見守らなくては気がすまないし、なんたって、予想外の名演に出会っちゃうことも万が一にもあるかもしれないから・・・。ファンのサガですな。

でもそんな期待は、冒頭の池辺作品を指揮する若者の姿を見た瞬間に、あっという間に萎んでしもうた。
音が整理されずに四方八方いろんなことをしようとするから、不安に満ちた「のしたバルトーク」のような曲に聴こえてしまった。

ゲルゴフ君、29歳、若すぎ。
見た目は、ロベルト・アラーニャ似でそこそこイケメン。
Gergov Alagna_2
左ゲルゴフ・右アラーニャ。

しかし、ぐるぐる扇風機状態の大振り君。
ショパンもオケの音でか過ぎ。
ソロの仲道さんをほっといて、指揮に専念。
仲道さん、一生懸命に指揮みてるけど、ゲル君は無視、というか余裕ないのか。

目をつぶって聴けばいいのだけれど、曲が曲だから、ショパンも田園も寝てしまう危険性あり。
あぁ困った。
ということで、指揮者はあまり見ずに、ショパンは仲道さん、田園はオケの奏者の皆さんを観察して過ごすことにしましたよ。

そんなわけで、1番よりは退屈しない2番の協奏曲。
好きな2楽章は、美しいタッチが楽しめ、アンコールのノクターンもキレイなものでした。
しかし、指揮者の毒気に煽られ気の毒なような仲道さんでありました。
そう思ったのは私だけでしょうか。

いろいろこねくりまわされてしまった「田園」。
アゴーギグの多用で、聴いていて目がまわり、気分が悪くなってしまう。
いったい兄ちゃん、何ざます
もうこのあたりで勘弁してやろう。
若い人にしかできない、素直か、はたまた斬新な演奏を聴かせて欲しかった。

この指揮にしっかりついていった神奈川フィルこそ、今宵の主役。
オケの美しい音色は楽しめましたよ。

Minatomirai3
というわけで、いつもの場所で、いつもの懲りないメンバーで、いつもの不平不満の反省会。
気の毒にも、ゲルギエフまで非難の対象となり、「ゲルはあかん」ということにあいなりました。
若いんだから、頑張ってくださいよゲルゴフ君。

Minatomirai4
ついでにもう1枚。
内容が薄めな本日の記事は、ヨコハマ写真を多めに。

来週は、聖響さんの「復活」。

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2010年5月20日 (木)

スカルラッティ ピアノ・ソナタ ケフェレック

Tsutsuji_2010
今日の関東は、雨がしっかりと降りましたね。
密度の濃い雨は久しぶりで、潔くて気持ちよかった。

で、こちらは、日曜のツツジ。
段階的に満開になっていて、敷地の南はもう枯れているし、私の棟近くの北側は満開。
 ミツバチの姿をとらえましたぞ。
静止状態で、羽の高速回転が写らないという画像に妙に感心したんですよ。

Scarlatti_queffelec 
スカルラッティのソナタをあっさりと聴く今宵。
私に珍しい選曲。
昨日、フリッカこと、フレデリカ・フォン・シュターデの歌声を聴き、オヤジ心に残る青春の思い出に火が付いてしまった。

60年代のアルゲリッチにはときめかかったけど、70年代は、同じラテン系のピアニストたちに心奪われることが多かったお父さんです。
Queffelec_scarlatti_2
その代表が、フランスのアンヌ・ケフェレックさま。
あと、カトリーヌ・コラール、クリスティナ・オルティスなども好んだワタクシ。
ピアニストも、ビジュアル系に魅かれた中高校~大学時代なんです。

その彼女たちも、私よりひと世代うえのおばあちゃん世代。
亡くなった方もいらっしゃるけど、いまでも日本で絶大な人気を誇るアンヌ・ケフェレックは毎年元気に来日してくれる新日家。
そう、フォルジュルネのためにやってくるのだけれど、わたしは、あの祭りめいたコンサートはどうもダメなので、毎回気になりつつも敬遠してきた。
(来年の後期ロマン派は、なんとか、と思いますが、ブラームスからR・シュトラウス、という絞り込みにどうも腑が落ちないのですな。新ウィーン楽派は入らないし、ツェムリンスキーや退廃系も・・・。マーラーはちゃんと全曲やるのかしら・・)

Queffelec_scarlatti
 そのケフェレック、私には、スコダやブレンデルの弟子としての出発点のイメージが強く、モーツァルトやシューベルト、バッハ、リスト弾きのピアニストとして、その美しいお姿が印象付けられた。
 その後に、ラヴェルやショパン、今日のスカルラッティなどを聴くことになったのだけれど、やはりそれらが、ちょっとラテン入った音楽作品がとてもすばらしかった。

スカルラッティの550もある簡潔なソナタを、私のような聴き手が改まって聴くことはないのだけれど、ケフェレックゆえに聴いちゃう。
唯一、ホロヴィッツのものを聴いたのだけれど、ちょっとお遊びの域に達しすぎてる。

ケフェレックの、この1枚のCDに収録された13曲は、緩と急を交互に取り混ぜた選曲で、
スピーディな展開に息も切らせずに聴かせてしまう演奏になっている。
でも、私ごときには、そう感じても、昨今の鋭利かつ先鋭な演奏、ましてチェンバロ演奏からしたら、緩めに感じるかも。
最近の彼女のCDでは、深みが増し、緊張感がヒシと満ちた演奏に感じるのだけれど、これらは、いずれも若きケフェレック。
聴いた私も若かったし、彼女の写真を見て憧れてたりしたいい時代。

多作家のドミニコ・スカルラッティさん。
反論はあおりでしょうが、曲の区別もつかぬ私のような門外漢にはですが、ケフェレックの清楚で気品に満ちたイメージと重ね合わせてのみ聴くこことのできる、ある意味恵まれた作曲家さんです
スカルラッティのファンの方、研究家も方、ピアニストの方、すいませ~ん。

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2010年5月19日 (水)

My Funny Valentine~フォン・シュターデ

Tops1
切り口がきたなくてアレですが、こちらはトップスのチョコレートケーキでございます。
わたくし、若い頃からこれが大好きでしてね、甘すぎず軽めのチョコに、クルミの歯ごたえなどが、えも言われぬハーモニーなんざますね。
これで、ウィスキー飲んでしまうんですよ。
こまったオジサンですねぇ。
いまは、子供たちと一緒になってハイエナのように最後の一切れにむらがって奪い合うイジキタナイお父さんなんですよ。へへっ。

Tops2
BOXを激写。
これ、アメリカンですな。
ここのカレーも美味しいんです。

Stade_my_funny_valentine
アメリカンドリームの代名詞のように言われたメゾのフレデリカ・フォン・シュターデ

デビュー当時は、ティファニーで働いているところを見出されたとか言われ、シンデレラ・ストーリーと騒がれたけれど、実はそうではなかったらしい。
名前が示すとおり、ドイツ系の彼女。そう、愛称はフリッカなんだ。
生まれる前に父を亡くし、母に育てられ、音楽を学び、そしてフランス留学。
そこではベビーシッターをしながらの勉学で、帰国後もバイトをしながら音楽を勉強。
その努力と美声が認められ、歌手としてデビューし、やがてメトの舞台にも端役で立つようになり、ヨーロッパの檜舞台に彗星のようにして登場したわけ。
それが73年頃。

当時の初レコードが確かモーツァルトとロッシーニのアリア集で、フィリップスの専属となった当初で、指揮はこれまた、さわやかだったデ・ワールトだった。
この瑞々しい録音はいま手に入るのだろうか。
 次に聴いたのが、アバドのマーラー第4番でして、それがまぁ、天国的なまでの美しさで、アバドの伸びやかな指揮と、ウィーンフィルの美音に相まって、うっとりするくらいの名唱だった。
この曲で一番すきな演奏

カラヤンとショルティに盛んに起用され、もう指揮者やレーベルで奪い合い状態だった70年代。ペレアスの録音がアバドでなくてカラヤンに取られてしまったのが残念至極。

「琥珀色のラブリーヴォイス」とはよくいったもので、蠱惑的なまでに魅力的な中音域、そしてすっきりと意外なまでに伸びる高音域がふるいつきたくなるようなカワユサ。
 でも、お人形さんのような耳に心地よいだけの歌ではありません。
知的なアプローチで役柄を掘り下げる彼女、オクタヴィアンやチェネレントラ、ケルビーノ、メリザンドでは、同役最高の歌手といってもいい

そのフリッカの本領は、彼女がずっと歌い続けてきたミュージカルナンバーにもある。
天気のいい日に取りあげようと思ってる「サウンド・オブ・ミュージック」や「ショー・ボート」などはその典型で、今日のロジャース作のナンバーを集めた1枚も、フリッカは生き生きと、明るく、水を得たように弾んだ歌唱を聴かせてくれちゃう。

全部で17曲。
馴染みない曲たちも、フリッカのラブリーな歌声で次々に聴いてゆくと、おのずとグラスを持つ手のピッチがあがる。
そう、この手の曲は飲みすぎちゃうんです。
そして、聴き馴染んだフリッカの声ですからしてよけいですね。
「マイ・ファニー・バレンタイン」では、しっとりと窓辺に佇む恋する乙女を歌ってますよ。
なんて心くすぐる声なんでしょう。
今夜は、グラス片手に通しで2度。この曲においては5回も聴いてしまった。

Frederica_ny
そんな魅惑的な彼女も、昨秋から全米を回ってフェアウェルコンサートを行ってる。
そう、いよいよ彼女も引退なんですね。
若いとばかり思ってたけれど、1945年生まれのフリッカ。
私のような世代の男性リスナーの青春時代を飾ったフレデリカ・フォン・シュターデ。
例えは違うけれど、クラシック界のオリビア・ニュートン・ジョン。
そう、さわやかで健康的、そして誰しも幸せな気持ちにしてしまう歌い手です。
一昨年、日本に来たのだけれど、聴けなかったのが残念。

わが青春、またもや遠きになりにけり・・・・・。

今夜は、このあと、アバドとのジルヴェスターコンサートでの「ばらの騎士」を聴くとします。

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2010年5月18日 (火)

ヨゼフ・シュトラウス 「天体の音楽」 ボスコフスキー指揮

Moon_venus
下弦の月と宵の明星
日曜の晩に撮影。
買い物帰り、駐車場から見上げたら、西の空でこんなことに

今年一番の接近だそうな。
バカチョンデジカメでもこんな風に撮れちゃいましたよ。
Moon_venus2
我が家のベランダから。
仲良しの月と金星。
ずっと地球を見てきたんですね。

Strauss_gala1
今宵は、夜空の星を見上げて思うステキな音楽を。

ワルツ王・ヨハン・シュトラウスの弟、ヨゼフ・シュトラウス(1827~70)のワルツ「天体の音楽」。
明るく楽しいウィンナ・ワルツの諸作品の中にあって、思い切りロマンテックな音楽。
地味なヨゼフ作品だけど、大ヨハンに比べて抒情的でちょっと世紀末風。
でも根底には、華麗なウィーンの雰囲気をしっかり持っていて、当時の社交界の爛熟ぶりを感じさせる音楽。

この「天体の音楽」は、医師の舞踏会に依嘱されたもので、その舞踏会の音楽テーマが天体や宇宙だったらしい。
ともかくその出だしから幻想的でシルクのような美しさ。
うっとりしてしまう。
やがて来るワルツ部分は、まさに旋律の宝庫でありまして、次々に馴染み深いメロディが湧き出してくる。
 いまの私たちは、天体や宇宙のなんたるかを大体において知ってしまったけれど、150年の昔、ヨゼフ・シュトラウスが思った夜空を飾る星々は、規則をもった美しい調和の世界と輝きに満ちた美しさだったのであろう。
なんだか、何でも明白になりつつなる今からすると、うらやましくもあり、のどかなことにございますねぇ。

ボスコフスキーの精妙かつ現代的なすっきり演奏で。
同じウィーンフィルでも、カルロス・クライバーのニューイヤーライブになると、はじけ方が違う。
でも少しレトロなボスコフスキーもいいんです。
 あと、小編成版のウィーン・リンク・アンサンブルのものも気持ちいい演奏なんですわ。

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2010年5月16日 (日)

ライプチヒ弦楽四重奏団 演奏会

Musashino_hall
きれいな、いやちょっと豪華すぎのシャンデリア照明。
これは、昨晩行った武蔵野市民文化会館のロビー。
でもコンサートの内容は、このような華美なものとは縁遠い渋さとロマンの溢れる充実の極みでございました。
そして、小ホールは、正面にパイプオルガンが据えられ、親密な雰囲気のとても会場でありましたね。
 
Leipziger_st
それは、シューマンの3曲ある弦楽四重奏曲の連続演奏会。
ゲヴァントハウスのトップ奏者たちからなるライプチヒ弦楽四重奏団の演奏。

いつもお世話になってます、シューマン愛のはるりんさんがチケットを手配くださり、聴いてきましたよ。ほんと、ありがとうございました。
なんたって、チケットが@1500円。
しかも、はるりんさんが、武蔵野文化事業団の会員さんなので、さらに1割引き。
こんな破格値で、世界の一流奏者の演奏が聴けるなんて素晴らしすぎ。
都心郊外の自治体だからできること。
市民は文化度が高く、行政も的確な芸術支援を行って、とてもいい効果を生んでいると、羨ましくも感じた次第。
さらに、今回はドイツ文化センターの強力な支援もあったそうです。

シューマンの四重奏曲は、まったく未聴の分野。
1番のみ、出かける前にネットで聴くことができたけれど、捉えどころがないままに、不安のうちに三鷹駅まで。
はるりんさん、golfさん、初めてお会いするdokuohさんと、4人並んでの鑑賞とあいなりました。
音楽好きで満員の会場。おっ、最前列にはいつでもどこでも拝見するあの方の姿も・・・。

シューマン31歳の1842年の室内楽の年に短期間に書かれた3曲。
前年の交響曲の年にもあるように、古典の形式や先達を意識したこれらの作品。
初めて聴いて、ベートーヴェンの厳格さやメンデルスゾーンの伸びやかさも感じることができ、後に聴き進むにつれて、シューマンらしいロマンの芳香と複雑なる内面をも感じるようになる。
ひとりの作曲家が短期に書いた作品群を連続聴きすることの意義は、極めて大きく、初ものなのに、私は集中力を切らさず、大いに楽しみ、聴き惚れたのでございました。

 シューマン 弦楽四重奏曲第1番 イ短調
        弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調
        弦楽四重奏曲第3番 イ長調

      ライプチヒ弦楽四重奏団
           (2010.5.15@武蔵野市民文化会館小ホール)


1番:イ短調の憂愁と激情の交差するドラマテックな曲。
幽玄な出だし、2楽章のスケルツォの面白さ(ちょっと壊れかけてる・・・)、3楽章のロマン。

2番:牧歌的なおおらかさ。メンデルスゾーンみたい。
変奏曲形式の2楽章にうっとり。1番や2番の交響曲の終楽章と同じようなフレーズを感じさせる最終楽章。

3番:全体に漂う幻想味。この曲が一番、われわれが思うシューマンらしさあり。
自由なスタイルで、1楽章から自在さただよう。
2楽章は、こちらも変奏スタイル?、曲想やテンポも揺れ動き、とても印象的だ。
3楽章の緩徐部分。明滅するかのようなロマンがあふれる素晴らしい楽章。
終楽章は、とりとめなさが魅力。これもまたシューマンらしい。

こんな印象を帰りの電車のなかでまとめてみたシューマンの四重奏曲。

まさにゲヴァントハウスの面々で初演されて、ずっと演奏されてきたその伝統をしっかり受け継いだ本物の方々による演奏。
完璧極まりない名演奏。
美しくブレンドした音色に、インティメートな同胞意識の漂う統一感が溢れる。
みんなライプチヒ出身か、同じ学校。
 でも、古きよき伝統に乗っかってるんじゃなく、いまの潮流にのり、スマートで機能性も鋭さも充分兼ね備えた四重奏団に感じましたね。
4人のなかでは、ビオラがとても美しく存在感がしっかりありました。

いやぁ、よかった。
シューマンの四重奏曲たちが、こんなにステキないい曲だったなんて。
オペラや重厚長大、世紀末系・英国系が主体のわたくし。
室内楽や器楽の森は、まだまだ大きくそして広いです。

Watami_5
アフターコンサートは、三鷹駅近くの居酒屋で、そう、クラヲタ分科会を開催。
いいコンサートのあとは、いま聴いた音楽のこと、みんさんの好きな音楽のこと、そしてこの夜は、日が日だったですからね、シューマンのことなどで楽しく歓談。
ゼブラーマンフェアと、九州フェアをやってましたよ。
それで、左下はトルコライスの石焼き。ドライカレーにナポリタンにチキンカツ。

みなさん、おつかれさまでした。

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2010年5月15日 (土)

「エルガー 弦楽セレナード ヒコックス指揮」&「旭川紀行」

Elgerparry
今日もエルガーの弦楽のための作品、「セレナード」を。
1892年、35歳の作品20は、晩成型のエルガーとして比較的初期の作品に属し、愛する妻アリスに捧げられた、それこそ愛らしくも美しい音楽。
3つの楽章で、15分足らずながら、エルガーの気品と優しさがたっぷり詰まった名作。
「序奏とアレグロ」とともに、素敵なエルガーの弦楽作品だが、こちらの方がセレナードの名前のとおり、よりメロディアスで抒情的。
春の訪れや息吹き、そしてメランコリーも感じます。
ヒコックスの愛情に満ちた演奏で。

1
旭川でも桜がゆっくりと開き始めましたよ。
エゾヤマザクラは、見慣れた本州の桜と違って、赤色が濃く、遠目には桃の花みたい。
花と同時に、葉も開くのが北国の花らしいですね。

2
二日酔いのまま、午前で仕事を済ませ、午後からはお休みしちゃってフリーなわたし。
そう、車もあることだし、前から食べてみたかった「富良野カレー」に挑戦と、車を走らせる。
三笠の「桂沢湖」。このあたりは化石がたくさんでたところらしい。
SAには、アンモナイトバーガーなんてものが売ってたし。
寒そうですな。
3
さらに芦別川沿いに走ると、滝があったから寄ってみた。
「三段の滝」。
すごい水量で、近くによると恐怖すら覚える。水しぶきも浴びちまうし。
このあたりで、なんとなく気分がすぐれなくなってきた・・・。
二日酔いも手伝って、車酔いか
4
もう、ムリ~~
あっけなく、カレーは断念。
この体調じゃ食べれませぬ

で、富良野をただ通過するんじゃつまんないから、夏の観光スポット、「富田ファーム」の前を走る二日酔い号。
見てこれ。夏はパープルに染まるラベンダー畑ですよ。
5
車はそして、丘の町、美瑛に。
「セブンスターの木」ですよ。
ようやく青空が広がってきて、私の胃腸も活性化の兆しが。
でも寒いんだこれがまた。
6
遠く「大雪」を望むの図。

7
パッチワークの丘も、いまはまだこんな感じ。
種や苗が植えられ、着々と準備中でしたぞ。
夏には、一度しか着たことない当地。
人っ子一人いなくて、気分よろしい。
こんな広大な敷地、いったい誰がどうやって作業してるんでしょね。
9
気分爽快になった車中から1枚。
いいなぁ、北海道

10
旭川の街を通りすぎて、ちょっと足を伸ばして「塩狩峠」に。
ここに来るのは2度目。
以前はまさに仕事で走りながらのちょい寄り。
今回は、近くの「三浦綾子記念館」とともに、是非ゆっくり来たかった。
旭川ゆかりの三浦綾子さんは、私の好きな小説家で、なかでも「塩狩峠」はもっとも感銘深く読んだ作品。
実話でありまして、雪の中、電車の連結部分が切れてしまい、暴走した客車を止めるために、自らが身を呈して飛びこんで大惨事を防いだクリスチャンの鉄道士の物語。
 静寂の中に鳥の声のみが聴こえる。
わたくし、しばし、佇んでおりました。
たくさん写真を撮りましたので、近くマイフォトにまとめたいと思います。

11
旭川駅に車を返却して、街を散策。
ふと、街のレコード屋さんがあったのでふらっと入ってみた。
 え、えぇ~。クラシック一杯売ってるよ。
しかも、新品のアウトレットと称して半額に中古も。
たぶん売れないものの処分だろうけど、私にはお宝ばっかり。
荷物があるから自重し、2枚のみ。
どこでも手に入らなった「プティボンのプーランク」と「ミンコフスキとドランシュのラモー」。
どちらも半額、しめて3000円ちょっと しめしめ、ふふっ。
12
日も暮れると、私の胃腸も完全復活を果たし、体感零度に近い寒風の中に嬉々として踏み出す、さまよい人でありました。
目指すは、北の名居酒屋として名高い「独酌 三四郎」。
以前から来てみたかった。
そして、うわさに違わぬ素晴らしい店でして、これは私のような人間には聖地であった。
年季の入った店内。木の肌触りもいいカウンターに一人腰かけて、目の前には振り子時計がボーンボーンと時を知らせる。
酒を知り尽くした気配り豊かな女将さんは、私のような遠来の一見さんでも、気の置けない会話でもってさりげなく相手してくれる。
13
こんなすごいの頼んじゃった。
お刺身盛りは、これで1500円ですよ。
ほんとは、女将のお勧め6品セットってのがよかったみたいだけど、このあといろいろ食べました。そのいずれも手抜きのない、うまいツマミばっかり。
刺身の鮮度も抜群。
 お通しの「酢大豆」がやたらと美味しくって、お土産に買いました
燗も、完璧でして最初はぬる燗で出してくれて、次からはもう少し熱くと、呑んべいをくすぐる技でございましたよ。
 これまで行った居酒屋さんのなかで、こちらは間違いなくトップクラスの、我が家のようなお店でありました

14
そして、またやっちまったい
旭川といえば、こちらも。
旭川ラーメンの代名詞の店は夜早く終わっちゃうから、最近評判のよさそうなこちら、「春夏冬」~、そう「あきない」ですな。
自家製四川味噌をつかったラーメンで、コクがあって適度に辛くもあり、うまいです。
スープに底の方に、ピーナッツが入ってます。
紅生姜にストレート麺は、博多ラーメンみたい。

17
朝早く、ホテルの大浴場につかって、朝食ビュッフェもしっかりいただく。
出来たばかりのこちらのホテル、安いうえに天然温泉に目の前で焼いた魚や旭川のジンギスカンなども食べれちゃう。
腹ごなしに、市内を歩き回る。
ようやくうららかな陽気に。
公園では、地元のテレビが桜の花の中継を準備中。

 さて、フライト前にラーメンでも。
16
旭川ラーメンの歴史を刻んだ老舗「蜂屋」へ。
動物系と魚介系のダブルスープは、えもいわれぬ深い旨味が溢れていた。
シンプルな具もよろしく、厚めに刻まれたネギとの相性もとてもいい。
濃厚すぎず、人によっては物足りないと思うかもしれなしが、オジサンの私にはちょうどいい。
おいしゅうございました。

18
最後は、石狩川にてお別れ。
写真多すぎ、あいすいません。
こんどは、家族を連れて行きたい北海道

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2010年5月14日 (金)

「エルガー 序奏とアレグロ ハイティンク指揮」&「札幌紀行」

Elgar_haitink_lpo
エルガー「序奏とアレグロ」。
新緑の季節に相応しい音楽でもあり、ちょっと寂しげな大自然に身を置き聴くにも相応しい音楽。
弦楽カルテットと弦楽オーケストラのための・・・・、という副題が付いております。
珍しい編成だが、馴染みやすい旋律と熱い雰囲気にも満ちた桂作であります。
14分くらいの曲なので、寝る前とかにちょこっと聴くのに最適。
交響曲やエニグマの余白によく入っているけれど、自己主張が少なめだから意外と目立たないし、誰の演奏を持っていたかも忘れがち。
 今日は、ハイティンクロンドンフィルの84年のライブで。
少しばかり重厚だけど、ノーブルで生真面目、そして優しさにあふれた演奏。

1
札幌旭川に行ってきました。
久しぶりの北海道出張。
寒かった。そして出立の日から、JRの人身事故で、早めに出たのに予定の便に間に合わず・・・・。こういう場合、車だとだめらしいけれど、公共交通機関だし、出発時間前に電話しとけば、後の便に無償で振り替えてくれるのがわかりました。
大通り公園は、桜はちらほら・・・、でもご覧のような冬のような光景。
2
初日は、久しぶりに訪問した客先との面談を終え、皆で炉端焼きの老舗へ。
北海道きたら、やっぱビールはこれっしょ。
3
さらに、いくつか行って(?)、締めはこれっしょ。
この夜は、塩ラーメン。
すすきのの端っこにある「鴇(とき)の家」。塩が美味しい店。
濃厚でありながら、あっさり感も。コシのある縮れ麺がよし。
4
翌日の昼は、中央場外市場。
二条市場が観光地化してしまったのに比べ、こちらは、隣接の中央市場と直結していて、鮮度のいい商品が多いし、お店もみんな良心的。
同行のお客さんが、馴染みで、それこそ店の裏に案内されて、大試食会。
若毛ガニですぞ
あまぁ~いの。
5
カニのさばき方まで指南いただき、こうして作ってもらった一品。
若カニは、みそ少なめですがね、なんのなんの、ジューシーなお味ざましたわよ。
仕事が控えていて、飲めなかったけれど、酒も飲み放題になりそうな雰囲気の気の置けない店でしたよ。
6
そして、お隣の飲食店から出前をしてもらった丼がコレ
いくらと大助(おおすけ)。
大助は脂の乗りまくったサーモンのこと。
あえて、何も言いませんね、シッシッシ~
7
さて、その晩はまた飲みに繰り出す。
人気の割烹居酒屋「かけはし」へ。
七輪で自分で焼く肉厚の道内産シイタケ。
狂おしいまでにうまい。しいたけは肉だったんだ。
8
それから、馴染みのママさんにご挨拶。
ここまでは連れと一緒。
9
久しぶりの札幌だ、これも馴染みの店にご挨拶。
酔いというのは恐ろしいもんだ。
でも美味しいものは、ちゃんとわかるんですよ
10
大将が、次々にうまいもの出してくれましたよ
ウニ、塩辛、アワビ、ホタテ貝焼き・・・。
日本酒飲んでるし。
隣に座った方が、かつての取引先の方で、話が弾んでしまった。
でも、いまや覚えていない(汗)
寿司屋さんなのに、鉄火巻きしか食べれなかった。
11_2
あと、挨拶回り、もう一軒。
ばかだね、おいら。
豚丼食いました。
「まむろ」の親父さんも変わらない。
「いつ来たの? 札幌は景気悪いわ。いつ帰んの?」
あとは、何をしゃべったか覚えておりません。
気が付くとホテルで朝を迎えておりましたとさ。
写真のみが、自分の行動の記憶を留めるものなんです
12
翌朝は、完璧なる二日酔いだし、朝からお腹が一杯。
もう食えないよ
車を借りて旭川方面に移動。
気持ち悪ぃ・・・、運転していて目が回ってきた。

雨もようやく上がり、札幌は、路傍の桜も満開に。
 旭川は、さらに寒く、というか夜は零下に近くて死ぬかと思った。
旭川紀行は、また次回に。

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2010年5月12日 (水)

ブラームス ドイツ・レクイエム シュナイト指揮

Megumi
澄み切った青い空に十字架。
平安を心に呼ぶ容としての十字架は、均整のとれた人間の容ともとれるから安心感も生まれる。
仰ぎ見るとき、宗教観は関係なく落ち着きある存在として感じるのは私だけではないかもしれない。
 この教会は、私が通った海のそばの幼稚園併設のもの。
耳を澄ますと、潮騒の音、風に揺れる松の樹の音が聞こえたものだ。
1960年代、高度成長期の可能性にあふれた時代。
テレビはまだ白黒が主体の頃でありました。
帰りたいな、あの頃に。
日本も青年期を迎える前だったな・・・・。

Brams_ein_deutsches_requiem
プロテスタントのレクイエムといえば、ブラームス
典礼としての死者のためのミサ曲=レクイエムのラテン語の世界から、聴衆に身近なドイツ語によるコンサート作品としてのレクイエムを書いた。
篤信家であると同時に、音楽への忠実な僕であったブラームスらしい真面目な「ドイツ・レクイエム」。
敬愛するシューマンの死をきっかけとして、また完成を後押ししたのが、愛する母の死。
でもそうした要因がなくても、ブラームスはこの曲を書いたであろうと思われるし、それほどに、ドイツ人としての音楽家魂の発露にあふれている。

 イエスの名前や復活という言葉を歌わないレクイエムは、聴く機会に特別な状況を選ぶことがない。
どんな時も、安らぎと平安をもとめて聴くことができる。
 そんな通常のレクイエムから離れたメッセージ力をもっている特別なレクイエムを書いたのは、シューマン、ディーリアス、ブリテンなどでしょうか。

この渋くも、味わい深い「ドイツ・レクイエム」が、ブラームス24~35歳で書かれたのは驚きで、例によって時間をかけて悩みながらの作曲ぶり。
ブラームス自身がルター訳の聖書から選んだその歌詞を、この曲を聴きつつ読み進めるとやたらと感動し、涙さえ出てくる。
それは、宗教を超えた、人間存在としての普遍の言葉であり、心にどんどん染み込んでくるんだ。

Ⅰ「悲しんでいる人たちはさいわいである。彼らは慰められるであろう」
Ⅱ「人はみな華のごとく その栄華はみな草の花ににている
  草は枯れ 花は散る」
Ⅲ「主よ、わが終わりと わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ
     わが命のいかにはかないかを知らせてください」
Ⅳ「あなたの家に住み 常にほめたたえる人はさいわいである」
Ⅴ「このように、あなたがたにも今は不安がある
     しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう」
Ⅵ「この地上に永遠の都はない 来たらんとする都こそ
     わたしたちの求めているものである」
Ⅶ「彼らはその労苦を解かれて休み そのわざは彼についていく」


どの楽章も、素晴らしい旋律と歌にあふれていて好きであります。

のオーケストラの静かで大らかな開始のあとに、歌いだす「悲しんでいる人は・・・」の合唱。それがだんだんと盛り上がりを見せて、やがて明るく安らかな雰囲気を醸し出してゆく。全曲のエッセンスのような楽章。オーボエが美しい。
の十字架を背負うかのような重い足取りの音楽もよいが、において登場するバリトンの神妙で切実な歌が好きで、ここは歌い過ぎると軽々しいアリアのようになってしまうところが難しいところ。後半の壮麗なフーガとの対比も見事な音楽。
の抒情的で優しい合唱に心なごまぬ方はいますまい。
、天国的ともいうべき無垢のソプラノ独唱。
は、他曲の怒りの日と比べると壮絶さはないが、それでも全曲の中で一番ドラマテックな場面が展開し、バリトンも劇的なものだ。ここでも終結部のフーガがやたらと感動的。
Ⅶ、この独特のレクイエムを完結するに相応しい平安に満ち足りてくる安堵の世界。

今日は、シュナイト師と師のもとに集まったシュナイト・バッハ合唱団・管弦楽団の2008年4月のライブ録音で。
この演奏会場に、私もいました
その時の感動は、聴き終わって一献傾けて、家に帰っても、そしてその翌日もずっとしばらく、さらに次の日もずっと、じんわりと継続するたぐいのスルメ系のほのぼの演奏であった。
この時は、コンマス石田様をはじめ、神奈川フィルのメンバーが主力のオーケストラで、長年シュナイトさんを奉じて歌ってきた合唱団とともに、親密で信頼感に満ちた演奏が繰り広げられたものだ。
 その時の雰囲気をそのままに、CDだけにその精度はさらに高まっていて何度聴いても完璧な仕上がり感を強く持つことができて、この名曲名演を手元に置くことができる喜びはまったくもって尽くしがたいものがある。
シュナイト師ならではの、明るい基調と歌心、そして言葉の意味に深く根ざした祈りの音楽。
ライブの感銘がなかなかCDには収まりにくいシュナイト師の音楽だけど、この1枚はホールの響きもうまく取り入れ、指揮者の唸り声までもまともに捉えた雰囲気豊かなものに仕上がっている。

   ブラームス    ドイツ・レクイエム

          S:平松英子    Br:トーマス・バウアー

    ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                          コンサートマスター:石田泰尚
                                                                      シュナイト・バッハ合唱団
                           (2008.4.5 @オペラシティ)

過去記事

「シュナイト&シュナイトバッハ」
「シュナイト&神奈川フィルハーモニー」

「尾高忠明&札幌交響楽団」

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2010年5月11日 (火)

ヴェルディ 弦楽四重奏曲 ヴェルディ四重奏団

Azeria_5
またもや、つつじの花。
今年の色は鮮やかに感じるのは、寒かったせい?

緑豊かな法面があるせいで、私の住む供同団地は住民による除草作業が始終ある。
たいてい、日曜の朝早くだし、もの急斜面の中を草木をかき分けて行うものだから、傷だらけになるわ、腰は痛くなるわ、頭が日に焼けるわで、歳とともにキツクなってるんです。

 でも、うまいことやるもんで、作業のあと、ドリンクがふるまわれるんだけど、婦女子はお茶やジュース、おいらたちオヤジどもにはビールなんですわ。
人間、目先にニンジンがぶら下がってると、頑張りますな。はははっ!

Verdi_quartet
オペラ作曲家のヴェルディが書いた弦楽四重奏曲を聴く。

ワーグナーは、若気の至り的な交響曲をいくつか書いたけれど、ヴェルディは書かなかった。
ワーグナーは、ピアノソナタをいくつか書いたけれど、ヴェルディは書かなかった。
 逆にヴェルディは、弦楽四重奏を書いたけれど、ワーグナーは書かなかった。
ヴェルディは、レクイエムをはじめとする宗教作品を書いたけど、ワーグナーは、ほとんど書かなかった。
でも、歌曲作品はともに残した。

ちなみにプッチーニは、交響曲はなしで、管弦楽作品はあり。
四重奏曲はありで、宗教曲・歌曲もあり。
ベルリーニ、ドニゼッティ、マスカーニ、レオンカヴァッロなども同じ感じ。

そう、大きな相違は、交響曲、しいてはソナタ形式へのこだわりの、ドイツとイタリアの相違かもしれない。

こんな比較も楽しいものです。

ヴェルディの弦楽四重奏曲は、1873年の作品で、ヴェルディ最後期の充実時期のもの。
アイーダの上演が歌手のトラブル等で遅れる合間に、われわれから見たら余興のような流れでもって書かれた音楽。

細かな経緯は不詳なれど、この素敵な四重奏曲を聞けば、こんな親しみあって、思わず歌いたくなる旋律を書いた人はだれだろうとの思いになり、その名を聞けば、なんだヴェルディじゃん、ということになること請け合いの音楽なんです。

正統的4つの楽章からなる本格四重奏曲は正味30分。
憂愁あふれるホ短調の1楽章に、まるで仮面舞踏会のリッカルドの歌を思わせるような嘆息に満ちた2楽章。
3楽章は、これもまた仮面舞踏会風の急なる出だしに、アリアのようなビオラの素晴らしい中間部が光る。
終楽章は、模索する出だしから疾風するメイン場面まで一気に聴かせる明るい音楽。

これはもう、室内楽というジャンルを借りた、ヴェルディのオペラそのものの音楽なのでありました。
ヴェルディの名前を冠したドイツの四重奏団は、伸びやかなヴェルディを聴かせてくれます。
こんな曲と演奏なら、これを背景に何か歌が歌えそうでありますね~

この曲の弦楽オーケストラ版に、プレヴィンとウィーンフィル盤もありますぞ
カップリングのベートーヴェンの記事。

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2010年5月 9日 (日)

コルンゴルト 「ポリュクラテスの指輪」 ザイベル指揮

Ikura
「美しく赤きいくら」

お口の中で、プチポチと、思わず微笑んでしまいますね。
海の宝石やぁ~

でも、美味しいものにはトゲがある。
食べ過ぎ注意だ。

美味しいものや、美味しいお酒ばっかり摂取していると、懐への負担もかかるが、何よりも体に悪いですな。
野菜中心生活を心がけ中のワタクシですが、野菜がまた高いときたから困ったもんだ。

いまは大変なことになってるギリシアの紀元前の昔、「ポリュクラテス」という王がいて、連戦連勝、やることなすこと人生旨くいっていた。
この幸運が不幸へと変わらないように、一番大切なものを捨てるようにと、忠告を受けた。
そして、大事な指輪を海に捨てた。
でもそれを呑みこんだ大魚がいて、そいつを捕まえた漁師が王に献上して、指輪が戻ってきちまった!
やがて、ポリュクラテスの運命は下降線に・・・、娘が止めるのを聞かずに、わかっているのに暗殺者が待ち受ける場所へと飛び込んでゆく。

 絶頂期に大事なものを捨てるなんて、なかなか出来ないですねぇ。
酒や美味しいものはやめられんない。まして音楽を止めろって言われたら死んじゃう。
 わかってて、自らはまること・・・・罰せられたい欲望を、「ポリュクラテス・コンプレックス」  というそうな。 (ウィキをちょろっと参照しました)

Korngold_polykrates
その「ポリュクラテスの指輪」をタイトルに持つオペラ。

エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルト(1897~1957)のシリーズ。
全部で5つあるオペラの最初の作品であります。
こんな小難しそうな内容のオペラを書いたのが、17歳の青年コルンゴルト。
毎度ご紹介のとおりの早熟ぶりだが、ユダヤ人ゆえにアメリカに渡り、ハリウッドで活躍し、ヨーロッパを夢みたものの戦後は、まったく受け入れられず失意の後年・・・・。

このオペラは、自作の「ヴィオランタ」とともに、ブルーノ・ワルターによって初演され大成功を収めているが、この頃から、亡命前の40歳くらいまでが、クラシック作曲家としてのコルンゴルトの絶頂期だったかもしれない。

タイトルは難しそうでも、こちらは、1幕ものの洒落たラブ・コメディなのでありました。
青年にして、男女の機微をオペラに創作しちゃうなんて、モーツァルトみたいですな。
 そして、その音楽は親しみにあふれ、いつものように甘味な旋律も次々に溢れだしてきて陶然としてしまうし、一方ではユーモアやしっとりしたビターな雰囲気もありだ。
音楽家が主役だから、ハイドンの話になったりすると、驚愕94の旋律がちょろっと流れてきたりする。

  ウィルヘルム・アルント(宮廷音楽監督):エンドリック・ヴォトリヒ
  ラウラ (その妻)              :ベアテ・ベランツィヤ
  フローリアン・ドブリンガー(打楽器奏者/写譜屋):ユルゲン・ザッヒャー
  リーシェン(ラウラの家政婦)       :キルステン・ブランク
  ペーター・フォーゲル(ウィルヘルムの友人):ディートリヒ・ヘンシェル

   クラウスペーター・ザイベル指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
          
                   (95.9@ベルリン、イエスキリスト教会)

簡単なあらすじを。

 

古典派の時代1797年、ところはザクセン国の宮廷音楽家の邸宅にて

ウィルヘルムのアシスタントのフローリアンが、リーシェンと仲良くしていて、二人でウィーンのハイドンの元にいって・・・と夢を語っている。
一方、ウィルヘルムとラウラは結婚して2年。幸せ絶頂継続中で、今日もベタベタしてる。
そこへ、友人のフォーゲルからの手紙。
彼は二人の結婚いらい、ヴァイマールに去ってしまっていたのだ。
その彼がいますぐそこに来てると。なんでも、財布をすられて金に困っているのだそうな。
 ひとりになったラウラは、夫への変わらぬ愛を美しく歌う。
そして、日記を取り出し、読みながら淡々と歌う~なかなかに素敵なモノローグなのだ。
15歳の3月、ペーター・フォーゲルに出会った・・・、不器用でシャイな彼、彼のこと好きなのかしら?

ページをめくる・・・。
20歳の8月、そしてウィルヘルムがやってきた、私は彼を見つけ、彼が私の人生に入ってきた・・・、そして結婚したの・・、と暖かく歌う。

フォーゲルがやってきて部屋に一人、幸せそうな室内を観察し、私はまだ独りもの、と呟く。
やがて、ウィルヘルムと友情を交わし合うが、ウィルヘルムのとどまるところを知らない幸福話と成功話に、もうたくさんだと、ムッとしてしまう。
 実はね、こんな素晴らしい本を見つけたんだ、とフォーゲル。
シラーの詩集で、「不幸の妬みで神を鎮めるために、犠牲を払う準備をしなさい・・」とうもの。じゃぁ、最愛の人を手放さなくてはならないのか・・・と、最初は取り合わないウィルヘルムだが、喧嘩したことある?何か隠し事は?自分の前に好きな人がいたんじゃないの?とかとか、いろいろ不安を焚きつけるので、ウィルヘルムもその気になってしまう。

妻と二人になったウィルヘルムは、徐々に、友人の助言通りに妻を試すが、何度聞いても、妻の自分への篤い思いは変わらないという・・・。
ここで二人は、素晴らしく甘い二重唱を歌い、よかったよかったということになるのだが・・。
ウィルヘルムは、実はね、フォーゲルに言われてテストしてみたの、とばらしてしまう。
ラウラはこれには怒り、でも内心、フォーゲルが自分の執心を試しに来たんだわ、と困惑。

ついに喧嘩して泣きだしちゃう。
 これじゃいけない、すべてを明快にしよう、とのことで、お互いに「日記」と「詩集」を交換し合い、別室で確認することに。

ここに登場のフローリアンとリーシェン。
ともにご主人たちの様子を観察していて、フローリアンも「海に指輪を捨てるんだ」と、リーシェンを試してみるが、平手でビンタを喰らってしまう。
これを見ていた夫婦たちは、笑いあう。
そう、もうお互いがわかったのですな。
リーシェンに求婚するフローリアン。
そして、ウィルヘルムに、彼女との結婚とウィーンへ行く許しを乞い、ウィルヘルムは快諾。

こんな和やかなムードのところに、フォーゲルが「ポリュクラテスの指輪」と言いながら、手に指輪を掲げてやってくる。
 一同、え?確かに犠牲の印だ、と笑いだす。
きょとんとするフォーゲル。
シラーの詩集は、私たちを惑わしたけれど、神が望んだ犠牲は、そう、君だよ、と親愛をこめてウィルヘルムは歌う。

二人きりになった夫婦は、さぁ、これから新しい詩を読んでいこう。。。
と仲睦まじい~


だいたい、こんな感じかと。
気の毒なフォーゲルさんだけど、こうした役回りの人ってよくいますよねぇ。

ほんと、よく書けてる音楽でして、CD1枚・70分だから気楽に聴けます。ホンワカします。

歌手の中で、オッと目を引くのが、そうヴォトリヒですな。
新国ですっかりおなじみのテノールなんだけど、劇場と発声の相性からか、いつも声が埋もれてしまうひと。
こうしてCDで聴けば、そんなことはなくって安心して聴いてられます。
ジークムントのような悲劇的な役柄よりは、こうした甘口の役やキャラクター役の方がよいかもしれない。
 ほかの歌手のみなさんも、本物です。
ドイツ語が美しく感じられるのも、コルンゴルトの音楽の特徴かも。
 それとオケがやたらとウマいし、録音もよいです。

さぁ、みなさんは、大事なものを捨てられますか
わたしは、まだ幸福はこれからだから、捨てるものはこれから・・?
いや、知らぬ間に捨ててしまっているかもです。
そう思って、笑ってすませましょうかね。

 

 

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2010年5月 8日 (土)

R・シュトラウス 「ヨゼフの伝説」 若杉弘 指揮

Fuji_1
「ふじ」の花が満開。
棚にするともっとキレイだけど、自立したものもよい。

ちょいと調べたら、「ふじ」には、動脈硬化・糖尿・メタボに効く成分が含まれているんだそうな。
蔓を粉状にしたり、花を酢の物、芽や種なども食べれるらしい。
あの豆みたいのはそのまま食べれそうだけど・・・・・。
 「ふじ」の花を見る目が変わってしまった。
これからは、「うまそ~、おいしそ~」って見ることにしましょう(??)

でも、「つつじ」とともに、その甘い香りは初夏の魅力のひとつですな。

Strauss_joseph
歌曲と室内楽以外は、大方取りあげたR・シュトラウス
残された管弦楽曲のなかから、バレエ音楽を。
劇音楽では、いうまでもなくわたしの愛してやまない15のオペラ作品がるのだけれど、それ以外は少ないし、演奏機会もまったくない状況。
劇付随音楽として、「町人貴族」。
バレエ音楽として、「ヨゼフの伝説」「あわ雪クリーム」「鳴りやんだ祭典」の3作。

本日は、それらの中で一番の大作「ヨゼフの伝説」を聴く。
作品番号は63で、1914年の作曲。
最後の有名な交響作品「アルプス交響曲」(作品64)と同時期で、オペラでは「アリアドネ」(作品60)と「影のない女」(作品65)の間に位置する関係。

豪奢なオーケストラ作品ながら、上演されないのは、あまりのフルオーケストラなのでピットに入れるのが興行的に大変だし、1時間あまりなので、同時上演作品の選別も難しそう。
 また、コンサートにかかりにくいのは、視覚的な要素がないと、その物語の理解が難しいのがお得意の交響作品との大きな相違だし、馴染みの少ない旧約聖書の物語を基本にしているためと思われる。
 それ以上に音楽に親しみやすさがやや足りなく、シュトラウスの霊感もやや欠如しているように感じるのも事実。

でもシュトラウス好きとしては、ほっとけない音楽だ。
鳴りっぷりのよい大オーケストラを眼前にする楽しみは随処にあるし、たとえば砂金がさらさらと舞い落ちるモティーフとかヴェールの薄衣をあらわすかのような、毎度おなじみのシュトラウスの手管が満載。
 全体に東洋・中近東風のエキゾテックムードに覆われているのも新鮮で、オペラでいうと、「エジプトのヘレナ」とか「サロメ」みたいな雰囲気もあり。
 そして、なんといってもドラマの外面的描写力と心理的描写力の両面に秀でていること。
これはまさに、オペラ作家のシュトラウスならではの強み。

このあたりを捉えて聴き込めば、なかなかによくできた作品だし、好きな音楽にもなってくる。

簡単なあらすじ

 ヤコブ(アブラハムの子イサクのそのまた子)とラケルの子ヨセフは、父に溺愛され、神格も宿っているため、たくさんいる兄弟たちから妬まれ、ユダヤの地からエジプトに奴隷として売られてしまう。
この少年ヨセフをひと目見て、魅せられてしまい、買い取った待衛長ポティファルの妻。
さっそく、ヨセフの枕元に忍びより迫ろうとするが、ヨセフは逃げ、マントをかぶってしまう。
なおも言い寄り、マントがはぎ取られ、上半身をあらわにしてしまったヨセフ。
もう、爛々の妻はうっとりである。
騒ぎを聞きつけ召使たちがやってくるが、ヨセフに罪を着せる爛々妻。
ポティファルに逮捕されてしまい拷問を受けんとする憐れヨセフ。
拷問の準備を見て再び、熱い心を燃やすポティファルの妻であるが、ヨセフは軽蔑のまなざし・・・・・。
 そこへ閃光が差し込み、大天使があらわれ、ヨセフの鎖を解き外へと導く。
妻はもう敵わぬと感じ、自らの首飾りで首をくくりこと切れる・・。
ヨセフと天使はそうして、天上へ消えてゆくのでありました・・・。


どうです、この筋立て。
まるで、「サロメ」じゃありませぬか。
権力側の俗たるサロメと、権力を超えた神的なヨカナーンとの対比に同じ。
人間の持つ二面を象徴的に描いた聖書の基本をそのままに、みずから台本を書き、作曲もしたR・シュトラウスでありました。

最後の天使の場面の神々しさと盛り上がりの素晴らしさは、シュトラウスの音楽を聴く喜びにあふれております。

この全曲盤に若杉弘さんの録音が残されていることは望外の喜び。
87年の全曲として世界初録音は、東京都交響楽団の演奏。
その後、シノーポリやI・フィッシャーの録音も続いた。
それとサヴァリッシュとN響の放送もCD化が望まれる。
 珍しい作品へのチャレンジという以上に、ここではシュトラウスやワーグナーを愛し続けた若杉さんの熱意がひしひしと感じられる熱演となっている。
時おり唸り声まで聴こえてくる。
息の長い旋律を伸びやかに歌い込み、ライトモティーフの浮かび上がらせかたもまったくもってうまいもので、錯綜した響きのなかから主要なメロディが見事に浮かびあがってくる。
録音がやや硬いのが難点だが、世界に誇れるシュトラウス演奏であります。

この録音、先ごろ、ほかの劇作品と組んで4CDで格安に復活したようだ。
これ1枚しか持ってないので、組物にされると本当に不便でならない。
どうにかならないだろうか。
シノーポリは、未所有だが、こちらも既得のものと組物にされてしまった。
 安くすればいいばかりじゃないと思うんだけど!

 ちなみに、旧約でのヨセフ物語は、続編があってややこしい。
逮捕されたヨセフは、夢を解き明かしそれが現実に起こったりするので、大いに重用されファラオにも認められ、エジプト宰相となる。
やがて、飢饉で苦しんだ母国の兄弟たちを助け、和解し、老いた父とも涙の再会をし長命を全うしたとさ・・・・・。

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2010年5月 7日 (金)

「悲劇女優」 ミレイユ・ドゥランシュ

Azeria_4
もう立夏を過ぎて、暦のうえでは初夏。
ちゃんとした、うららかな春がなかった気がする今年の陽気ですな。
以前出したツツジの別カット。
実はこれ、住んでるマンションの法面なんです。
周囲3面が法面で、そのすべてが芝とこうした光景。
一年のうちで、一番美しい眺めを迎えているのです。

Delunsch

また雨が戻ってきたし。
でも暖かい雨。
少し憂鬱。

こんな日にピッタリのフランスのメロディなどを。

歌うのは、最近お気に入りのフランスのソプラノ、「ミレイユ・ドゥランシュ(Mireille Delunsch)」。
彼女は、フランスでも、ドイツ・スイス国境に近いアルザスの美しい街Mulhouse(ミュルーズ)の生まれ。

この街の名前、ムルハウスと検索したらドイツにある別の街だった。
原語で調べたら、中世の雰囲気と現代風建築の混合した趣きある街のようである。
ミュールは、水車のこと。そして、「美しい水車屋根の娘」の独語Mullenもそう。
水の街=工業の街でもあるそうな。

こんなことにこだわったのは、歌手の故郷って、その歌やレパートリーに影響があるだろうから・・・。
日本でもそうでしょ。東北の歌手と、九州の歌手って心の心象風景が違うから、その歌の表現にも何かしらの影響があると思うし。

音楽はストラスブールで学び、デビューはミュルーズ。
ボリス・ゴドゥノフ(たぶんクセーニャ)でデビュー。
詳細な経歴は、手元では不詳ながら、彼女はミンコフスキと組んだいくつものバロックオペラで名をあげ、各地でひっぱりだこになって、この10年あまりで、いまやバロックから現代もの、フランスからドイツ、イタリア、イギリスものまでを歌う広大なレパートリーを持つ最先端歌手となっているのである。
最近新しい録音がないのが寂しいところ。
アルザスの清涼な水で育まれたようなステキな歌声。

その声は、リリコだが、スピント系も充分カヴァーし、かつ音域も広く、ワーグナーのフリッカまでそのレパートリーにあるとあった(これ本当かな?)
でもワーグナーではエルザを歌ってる。
その一方で、モンテヴェルディやラモー、グルック、モーツァルト、ヴェルディ、グノー、チャイコフスキー、プッチーニ、ブリテンなどなど・・・、すごいですね。
あと、歌曲ではフランスのメロディ系すべて

 ビブラートの一切かからない、真っ直ぐなクリアボイスはバロックや古典を歌うのに最適で、20世紀ものも、ねじの回転の教師役などもばっちり。
ヴェルディやワーグナーは、これからの歌い込みで独自のスタイルを築くのではと期待。
あと、なによりも素晴らしいのは、自国の歌曲。
民謡的でないメロディという詩的なジャンルのフランス独特の歌曲に、アルザス生まれの明晰な歌声を持つドゥランシュは、澱や埃といった雑味のまったくない純な世界でもって新鮮な感銘を与えてくれる。
このクリアさは、明快な発声によって心地よいフランス語の語感をも堪能させてくれて、ある意味快感を呼び覚ますのであります。

   デュパルク 「旅への誘い」
            「ミニョンへのロマンス」
               「悲しい歌」

   ブロッホ   詩編114&137

   ヴィエルヌ  「嘆きと絶望」から
               「愛の詩」から

   ロパルツ   歌劇「故郷」から

     S:ミレイユ・ドゥランシュ

     Pf:フランシス・ケルトンキュフ

  ディヴィット・シャローン指揮 ルクセンブルク・フィルハーモニー(ブロッホ)
  ジャン・イヴ・オソンス 指揮      〃

ティンパニレーベルに入れた彼女のアルバムから、そのエッセンスが抜粋となった1枚。
なんといっても、デュパルクが曲も含めて魅力的。
おフランスな雰囲気にうっとりしてしまうけど、往年のねっとりした歌唱と明らかに異なるスマートでセンス満点のミレイユの歌たち。

ブロッホの詩編は思わぬ世紀末系ミュージックで、ユダヤ語によりながらも、宗教的な雰囲気は希薄で、甘ささえ漂う歌。

馴染みないヴィエルヌは、抒情と洗練、そして情熱も同居したなかなかの音楽で、彼女の歌も徐々に熱を帯びてゆくのがステキでありました。

それとロパルツにオペラがあったのは知らなかった。
抒情派としてフォーレ系統のレクイエムを聴いてはいるが、2時間以上の大作オペラらしい。これは是非とも全曲聴いてみたい。
オーケストラの背景を受けて、華のある歌唱のミレイユだけど、その声はどこまでも真っ直ぐで気持ちがよい。

最後に、ラモーの「プラテー」の有名な歌を。



素晴らしいでしょ

ついで、音源だけで、パトリシア・プティボン



プティボンも才気煥発、よくハジけてますが、オケで損してます。
鮮度高いミンコフスキの比じゃありませんな。

ふたりの、才能豊かで美しいフレンチ・ソプラノ。
どちらもお気に入りでございますよ

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2010年5月 6日 (木)

ジュリエッタ・シミオナートを偲んで

Enoshima_1
イタリアの往年の名メゾ・ソプラノ、ジュリエッタ・シミオナートさんが亡くなったそうです。
5日、ローマにて。
1910年5月12日生まれ。
あともう少しで100歳を迎える間近だった。
まさに、イタリアオペラ界の一時代を築き上げた大歌手の大往生であります。

1930年代から1966年の引退まで、少しばかり短く感じる現役時代。
自己に厳しかったのか、その早すぎる引退のこともあって、私がクラシックを聴き始めたころには、もう伝説と化していた名歌手。
そう、でも私たち、日本人にとって、かけがえのない存在の歌手であったのです。

NHKが企画し、何度も本場のオペラを楽しませてもらった「イタリア・オペラ」団の初回から来日して、テバルディ、デル・モナコ、ゴッピ、バスティアニーニ、トゥッチ、ステルラ、コレッリらとともに、われわれ日本人が、イタリアオペラがなんぞやという初歩から真髄を味あわせ、植え付けてくれた恩人の一人なのであります。
56年から4度の公演で、アムネリス、ケルビーノ、カルメン、サントゥツァ、アズチェーナ、ロジーナなどを歌っている。

Simionato
生粋のイタリア歌手。
アメリカ、北欧、アングロサクソン、アジアなど、いまやオペラ界は多土済々にあるけれど、
「純正」という言葉がまさしくあてはまる、どこもかしこもイタリアの太陽と土、空気を感じさせる「ホンモノ」の歌うたいが、初期イタリアオペラ団のメンバーだったし、ジュリエッタ・シミオナートでもあったのだ。

ロッシーニを中心とするベルカント、ヴェルディ、そしてヴェリスモと、イタリアオペラのすべてを歌い込んだシミオナート。

今日は、そんな大歌手を偲んで、私の好きなジャンルから、ヴェリスモ系のロールをふたつ。

Cavalleria_simionato
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」から、サントッツァ役で、「ママも知るとおり」。
デル・モナコの一直線のトゥリッドウと張り合い、そして彼の老いた母と合い哀れむ、悲しいシチリア女を、強くそして優しく細やかに歌い込んでいる。
それにしても、気品があります。思わず背筋を伸ばしてしまいます。
 そして、これまたセラフィンとローマのオーケストラの耳洗われるレモンを絞ったがごとくのフレッシュな音色にも感激。

ついで、私の最愛のオペラのひとつ、チレーアの「アドリアーナ・ルクヴルール」から。
こちらは、ブイヨン公妃、メゾのロールによくある憎っき恋敵役。
テバルディと丁丁発止、恋のさや当てを演じきるシミオナートは、テバルディとともに大女優の雰囲気にあふれながらも、決してワルじゃない、女性らしいいじらしさをも感じさせる。
相手役が、あまりにヒロイックなデル・モナコだからよけいにそう感じるかもしれない。
第2幕から不倫の恋の喜びに打ち震える「甘き喜び・・」。
そのあとの、マウリツィオ(モナコ)に迫る二重唱。
その幕の最後の、テバルディとの熾烈な応酬。
3幕で、その戦いの勝ち誇ったさまと、その反動の憎しみの爆発。
 もう、すごいのであります。

ロッシーニやヴェルディを置いておいておいて異論はあろうかと思いますが、私はシミオナートの代表盤は、このアドリアーナのブイヨン公爵夫人ではないかと思うのです。

彼女のあとには、フィオレンツァ・コソットが続いたイタリアのメゾ。

まさにオペラの歴史に、その名を刻んだ名花でありました。

ご冥福をお祈りいたします。

(写真は、遠く富士を望む相模湾の夕日)

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2010年5月 5日 (水)

シューベルト 弦楽四重奏曲「死と乙女」(マーラー編) テイト指揮

Azeria_3
連休も今日でおしまい。
ずっとお天気だったのは、関東に限っては50年ぶりとか。
街のいたるところ、ツツジが咲き乱れております。
桜はきれいに散ってしまい潔いけれど、ツツジは咲き終わるとあんましきれいじゃないね。

千葉テレビで、「必殺仕事人4」をやっていて、思わず1時間見てしまった。
時代劇大好きの私。最近はますますホロリときちゃうし、仕事人なんか見てると、「許せねぇこの野郎」と一緒になってムカムカしちゃう。
火事で失明してしまった娘と朝顔作りの職人が再会して晴れて夫婦に。
江戸で巻き起こった朝顔ブームが呼ぶ悲劇。新種の朝顔を開発した職人が狙われ、二人とも殺られちまうんだ。晴着を世話してくれた爺さんも一緒に。
死に際に、よたよたと雨の中を歩く娘・・・・、可哀そうでしたよぅ

Schubert_mahler_tod_und_madchen
今日は、シューベルト「死と乙女」を。
死と・・、と打とうとすると、死と変容と指が自然に動いてしまうシュトラウス男。
歌にあふれたシューベルトも好きです。

弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」D810
シューベルト27~29歳にかけて作られた短調の作品で、20歳のときに書いた歌曲「死と乙女」の伴奏部分の旋律を、第2楽章の変奏主題に用いていることで、このタイトルとなっている。

この名作を、なんとマーラーが弦楽オーケストラのために編曲しているのでありました。
マーラーが手をいれた作品というと、シューマンの交響曲とウェーバーのオペラなどがすぐに頭に浮かぶが、こちら「死と乙女」は、研究家D・ミッチェルがマーラーの娘から受け取った楽譜の中から発見し、1984年に初演、86年に出版がなされたレアものであります。
いまやたくさんCDも出ております。
そして、マーラー編の作品はほかにもたくさんあるみたいで、今後楽しみ。

コントラバスも加わっていて弦楽は5部となり、その響きも厚く、聴きなれた弦楽四重奏のスリムで透明感あるものからすると、最初は違和感がある。
ベートーヴェンの四重奏曲の同様の版の方がもう少しすっきりしてる。
でもそれもすぐに慣れてしまい、シューベルトの新しい曲を聴くかのような喜びに加えて、マーラーの施したダイナミクスの増幅され豊かな響きに酔いしれることができるようになる。
ただでさえ、劇的で短調のほの暗い音楽の「死と乙女」が、悲劇的な交響曲に聴こえる。
これも充分あり、の素晴らしい作品に思えるのだ。
第2楽章の憂愁漂う音楽は、悲歌であり、さながらレクイエムのように響く。
それと、一気呵成に駆け抜ける終楽章は興奮を覚えるフィナーレ。
演奏会でやったら手に汗握るであろう。

ジェフリー・テイトの真摯な演奏は、見事なアンサンブルのイギリス室内管弦楽団とともに、しなやかな音楽を聴かせてくれる。
85年の録音で、いつもさわやかな演奏を聴かせたテイトは、最近名前を聞かないがどうしたろうか。
と思って調べてみたら、ナポリのオペラハウスや、ハンブルクのオケのポストにあるみたい。なんでも振れるし、ピアノもうまいから、もっと重宝がられてもいいのに。

そのテイトが伴奏し、アン・マレイが歌った「死と乙女」も、このCDには収められていて、その旋律の聴き比べができるのが好企画であります。

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2010年5月 4日 (火)

オッフェンバック ホフマン物語 ジュネーヴ大劇場

Ninomoya
この連休中、5月初頭の青い空と新緑ですよ。
この時期は、紫外線が強いから思わぬ日焼けに注意だ。
わたしは地肌をやられちまうから、よけいに注意。

でも、なんだか連休も、天気がやたらといいだけに、かえって虚しくて、疲れちまいますね。
何も楽しみがないオッサンだからよけいでしょうか。

音楽聴くしか能がないオッサン1号でございます。

そんなオヤジ心をくすぐるオペラ映像を今日はどうぞ。

Img_0001
最愛のソプラノ歌手、パトリシア・プティボンが得意のオランピアを歌うDVDを観劇しましたぞ。
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だいぶ前から購入していたけど、どうも触手が伸びなかった映像。
HMVサイトから買ったのだけど、そちらの宣伝文句からして、妙な先入観を植え付けられてしまい、半年間放置
 そして観ましたがね、予想通りの嫌な展開に目をつぶりたくなる。

注目のパトリアシアのオランピア。
目をつぶってきくと、これはまさに、いつもの慣れ親しんだ完璧なまでに歌い込まれたオランピアで、これは完成された芸術品なのであって、思わぬほどの意思を持った力強い歌は、技巧だけ・キレイなだけ・お人形さんらしさ、などなどの表現の歌が浅薄に感じてしまう。

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でも目を開けると、このジャケット写真のようなあられもないお姿に身をやつしたパトリシアが・・・(笑)。
ギリギリの肉襦袢であるのだけれど、これはまさに、南極2号状態(知ってますかね・・)
知らない方は、ググってみてくださいまし。
本物のプロとしてのプティボンは、こんなことにも果敢に挑むわけであります。

こんな格好をさせたクソ演出家は、フランスの映画監督・俳優・演出家のオリヴィエ・ピィだ。
同じような経歴を持つ人として、パトリス・シェローを思いおこすことができるけれど、シェローは音楽をよく理解し、何よりもその演出には品があり、説得力があった。
同じジュネーヴのトリスタンは、あふれかえる水をうまく使った美しい舞台に思ったけれど、自身が携わったものと思われる映像のカメラワークが最低で、欲求不満の残ったDVDだった。
 今回は、そんなこと以前の問題で、モノクロームの舞台に、人工的な照明や鏡面。
2階・3階に別れた足場のような多層的な舞台装置。
それらが、目まぐるしく変転し、動き回る。
訳もなく裸が満載で、あっちでブラブラ、こっちでもぞもぞ。
実はこれがまったく困ったもので、先のプティボンのオランピアはいい方で、3幕に登場の情夫シュレミルなどは、全裸を余議なくされているし、冒頭近くに出てきて酔えるホフマンを別世界へいざなう牧神のような連中も全裸で、男子たるワタクシとしては、そのブラブラ加減が鬱陶しいことこのうえなし。
女性も同じく、ウニャウニャでてきますぜ・・・。
S○●もどきの動きも満載だし、歌手ってたいへん。

こんな映像を、家族を持つワタクシがどのようにして自宅で視聴したらよいのだろうか。
観てたら、娘に踏み込まれてしまったし・・・。
夜中に、こっそり観るしかねぇえんだわ。

そのブラブラ・うにゃうにゃが、音楽を邪魔せず、演劇の必然として機能してれば、どんなに過激でもよしとしよう。
でも、私にはまったく音楽とは別物に感じざるを得ないのだ。

何百ものオペレッタを書いたオッフェンバックが最後に書いた3つの恋物語。
酔っ払いの居酒屋のホフマンを前後に挟んで、夢想の中に登場する、オランピア・アントニア・ジュリエッタ。
それぞれ、人形・歌手・娼婦。
男の側からのみ見た、女性の3態。そこにいとも簡単に溺れるホフマン。
ある意味、男からしたら、この女性遍歴は深淵なる世界ともとれ、これをオペラ化したオペレッタの王様のオッフェンバッハの心に宿ったのもユーモアの精神だったりして・・・。

この3つの恋物語に統一感を持たせようとしたのは、まず3人のお顔と髪型。
それぞれ、おかっぱで、パンダ顔の化粧。キョンシーみたい。
でも、他の人物たちはホフマンも含めて、ごく普通の人物。
ただし、リンドルフ・コッペリウス・ミラクル・ダッペルトットの4役はよくあるように同一歌手が演じ、まさに悪魔的な隈どりの濃い人物。というか、悪魔か。
3人の女性の特異性と同一性を浮かびあがらせんとする演出はどれも一緒だけど、少々気持ち悪し。
 舞台には、仮面を付けた無表情の第3者(=合唱)と、骸骨やおかっぱの女性多数。

だいたい、こんな舞台をご想像ください。
オペラの内容は検索してください。
なぜだか、投げやりなオペラ記事でありました。

でも、ここに演じる歌手たちが素晴らしいんです。
まさに彼らはプロ中のプロ。
映像なしで、音源のみ聴いて素晴らしい。

  ホフマン :マルク・ラオ  ミューズ、ニクラウス:ステラ・デュフェクシス
  リンドルフ、コッペリウス、ミラクル、ダペルトゥット:ニコラス・カヴァリエ
  アンドレス、コシュニーユ、フランツ、ピティキナッチョ:エリック・ヒュエ
  オランピア:パトリシア・プティボン 
  アントニア:ラヘル・ハルニッシュ
  ジュリエッタ:マリア・リッカルダ・ヴェッセリング   他

    パトリック・タヴァン指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
                   ジュネーヴ大劇場合唱団
                   演出:オリヴィエ・ピィ
                   装置、衣装:ピエール=アンドレ・ウェイツ
                      (2008.10@ジュネーヴ)

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ホフマン役のベルギーのテノール、マルク・ラオの伸びやかな声がいい。
この役はドミンゴの訳知り顔の歌が刷り込みの方も多いかもしれないけれで、ベルカントを得意とするラオの歌は、適度にアホっぽくて純でよろしい。
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 そのホフマンにいつも付きまとう、ミューズ=ニクラウスのドゥフォー。フランクフルト生まれらしく、真面目な歌いぶりだけど、ちょっぴりセクシーで、可愛い狂言回しになってる。
アバドのファルスタッフにも出てたっけ。
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N・カヴァリエの悪魔三役は、かなりの説得力。
同じ4役のヒュエのキャラクター・テノールぶりもよろしく、実際、ベルクなども歌う人みたい。
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そう、あと素晴らしいのが、ハルニッシュのアントニアの清純無垢ぶり。
映像見てると変なお嬢さんだけど、音源のみで聴く彼女の澄み切った歌いぶりは、プティボンとラホと並んで、このプロダクションの白眉。
 
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ヴェセリングのジュリエッタは、ワーグナーメゾのそれ。
強くて、おっかないのです。そのお姿のエロさよりは、滑稽さが。。。、でも歌は素晴らしい。

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指揮は若いパトリック・ダヴァン
この人結構いいです。
スイスロマンドから、鮮度高い生き生きとした音楽を引き出してます。
このひと、世紀末系の音楽も得意にしていて、私の感度とばっちり合いそう。

この映像、一度見たら、あとは音だけで楽しんでます。

自分も含めて、お口直しのプティボン映像をどうぞ。



この頃は、おきゃんなムードで、かわゆかったけど、母となり、その歌もスケールを増して、女を歌う歌手になってきたパトリシア。
でもジュネーヴの「ルル」もそうだけど、ピィはやめて欲しいなぁ。

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2010年5月 3日 (月)

フォーレ ドリー組曲 カサドシュ

Tokyo_tower
連休まっさかり。
神奈川フィルと焼肉以外、私は日頃できない事務仕事や、CDの整理等で、淡々と過ごしてます。
 こちらは、休み前、4月上旬の東京タワーの足元の様子。
鮮やかですねぇ。
風もあって、泳ぎっぷりもよし。

Casadesus_french
ドビュッシーの子供の領分を聴くか悩んだけど、より優しいフォーレの音楽。
フォーレのピアノ連弾のための唯一の音楽、組曲「ドリー」を聴いてみましょう。

こちらも、フォーレが描いた子供目線の音楽。
のちに、ドビュッシーの2度目の夫人となるエンマ・バルダックの娘「エレーヌ」の誕生祝いに書かれた作品で、エンマはフォーレの妻のつながりから知己を得たのだけれど、どうも愛人であったらしい。
エレーヌ自身も、もしかしたらその二人の子供では、と言われてるようです。

そのエレーヌの愛称が「ドリー」だったとの由。

「子守唄」「ニャーオ」「ドリーの庭」「キティ・ワルツ」「やさしさ」「スペイン風の踊り」
この6曲からなる、心優しく愛らしい連弾組曲。

どう聴いても、私は第1曲の「子守唄」が大好きであります。
誰しも聴いたことがあるかもしれないし、初めて聴いてもすぐに馴染んでしまう無為なまでの天上の音楽。
単純で優しいフレーズの繰り返しから、どこまでも知れぬ安らぎを感じます。
 活発な「にゃんこ」の飛び回る音楽の「ニャーオ」。
小花の咲き乱れるがごとくの小洒落たガーデンを思わせる「ドリーちゃんの庭」。
飼い犬の優雅な動きを音楽にしたという「キティ・ワルツ」に、「やさしさ」では夢見るような茫洋感が印象派を思わせる。
そして、最後は快活な踊り。幸せあふれるスペイン風の踊り。

カサドシュ夫妻の優雅かつ典雅、そしてキリリとしたピアノは、まさにフレンチ。
陽光あふれるなか、軽いキューヴェル・ヌイジーヌのランチに、ちょっとドライな白ワインを飲んでみた感じ。

フォーレにも、こんな顔があるんですな。

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2010年5月 2日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 聖響音楽堂シリーズⅢ+「焼肉祭」

Kamonyama_3
神奈川県立音楽堂の裏手にある掃部山にて。
私の右手には、井伊直弼の像が建ってます。
 一帯が井伊家の所有だったことから、井伊掃部頭(かもんのかみ)の名前が付いたとのことで、現在は市へ寄贈されている由。

幕末の動乱にまつわるものが、こんなところにも。

波乱動乱(中)の神奈川フィルの演奏会、1週間前にマーラーの名演を聴かせてもらったけれど、「ロマンの響き」と称せられた音楽堂シリーズやいかに。

Kanagawa_phil_ongakudo1_2

   メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」

   シューベルト    交響曲第4番「悲劇的」

   メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」(1834年改訂版)

    金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                     (2010.05.1@神奈川県立音楽堂)

シューベルトメンデルスゾーンを特集する聖響音楽堂シリーズ
見事なプログラミングじゃございませんか。
しかし、看板に偽りあり。
私が思う「ロマン派の響き」は、ここには聴かれません。
新緑を感じさせる馥郁たるロマンの滴りは今回もお預け。
マーラーが良すぎただけに、二匹目のドジョウを期待してしまったワタクシがばかでした。
 でも、不思議と安心してしまったり。
簡単に変わってもらっちゃったら、いままで聴かされてきたのは何だったんだ・・、ということになりますからね。
 だいぶ、コツがつかめてきた。
演目さえ間違えなければ。
それでも、神奈フィルファンとしては聴き続けますよ。辛抱辛抱、我慢です、勝つまでは。

ほの暗い憂愁の海を感じさせることのないあっけらかんとしたフィンガル。
曲の冒頭と最後を締める荘重な和音も空しく響いたシューベルト。愛らしさと悲しみの同居する第2楽章も歌心なし。
ツィーツィーと、いつものノンビブラートが悲しいイタリア。
Keiji_2 3曲ともに、ベーレンライター版を使用。
改訂版を聴くのは初で、聴きなれないところも散見できたが、それもどうといったことなし。

ブラボーも飛んでたけど、アンコールはなし。ネタ切れかしらん。

先日のマーラーでは、素直に音楽を語ってくれた聖響さん。
それに完璧に応えた神奈川フィルの美音。
今回は、何も引っかかるところなく、すいすいすらすらと終わってしまった。
あまりにも何もなく、何も感じさせてくれない不感症の響き。
あのマーラーのように小手先を労せず、普通に若い感性でもって感じたまんまを聴かせて欲しいんです。
そうすればおのずと、聖響さんの音楽の個性が開けるんじゃないかと。
偉そうに言って申し訳ないのですが、普通に演奏するのが一番難しいことだと思うのですすからして。

Kamonyama2_2

何もしてないのに、春になれば、草木はこんな美しい花を咲かせてくれますね。
期待して待ちましょう。

さて、これより第2部
てか、こっちがメインか

Keijyouen1_3
かねてより楽しみにしていた焼肉屋さん
いつもお世話になっております、「勝手に神奈川フィルを応援する会」幹事長のyurikamomeさんのご案内で、保土ヶ谷の隠れたる名店にて大アフターコンサート。
そして、まったくの素晴らしい焼き肉が次々と供せられ、アタクシは、甘味なる陶酔にふけってしまったのでございます。

そう、草食系の演奏では、こちとら体が持たねぇぜ。
凶暴に焼き肉を食らう会(クラウ会?)と化してしまいましてよ。
今回は特別に画像をたくさん載せてしまいますわ。
お腹の空いた世の善男善女・紳士淑女のみなさま、覚悟おし

Keijyouen2_2
見よ、この分厚いハラミを。
肉が立つ。

Keijyouen3_2
美しい炎で焼かれる肉たち。
君たちもまた美しい。
Keijyouen4
大きなタンですねぇ。
指まで食べないから安心してね。出演ありがとうございました。
yurikamomeさんのお勧めどおり、炙る程度でいただきます。
Keijyouen
うんもう~、はふはふ・・・、たまらんばい

Keijyouen5
これまた美しいホルモンちゃんたち。
牛がミルクを製造する動物だということに納得。
クリーミーであま~いの
Keijyouen7 
焼かれよ、君たち。そして吾が輩に食われよ
Keijyouen6
ロースざます。
このまま食べちゃいたい。きれいな肉たち
Keijyouen8
サムゲタン風雑炊を作ってくれました。
大将、こりゃうまいわ。

ぐわぁ、皆様食べましたね、そして呑みましたね。
焼酎2本飲んで、保土ヶ谷の駅でもまた緑茶ハイ飲んじゃった。
素晴らしい、死ぬほどうまい焼き肉店をご案内いただきありがとうございした。

コンサートは忘れても、この焼き肉は忘れないことでしょう

おまけにロース1枚。
Keijyouen9
これ見てご飯一杯食べれる。

こちらのお店の名前は、「京城苑」でございます。

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