ブラームス ドイツ・レクイエム シュナイト指揮
澄み切った青い空に十字架。
平安を心に呼ぶ容としての十字架は、均整のとれた人間の容ともとれるから安心感も生まれる。
仰ぎ見るとき、宗教観は関係なく落ち着きある存在として感じるのは私だけではないかもしれない。
この教会は、私が通った海のそばの幼稚園併設のもの。
耳を澄ますと、潮騒の音、風に揺れる松の樹の音が聞こえたものだ。
1960年代、高度成長期の可能性にあふれた時代。
テレビはまだ白黒が主体の頃でありました。
帰りたいな、あの頃に。
日本も青年期を迎える前だったな・・・・。
プロテスタントのレクイエムといえば、ブラームス。
典礼としての死者のためのミサ曲=レクイエムのラテン語の世界から、聴衆に身近なドイツ語によるコンサート作品としてのレクイエムを書いた。
篤信家であると同時に、音楽への忠実な僕であったブラームスらしい真面目な「ドイツ・レクイエム」。
敬愛するシューマンの死をきっかけとして、また完成を後押ししたのが、愛する母の死。
でもそうした要因がなくても、ブラームスはこの曲を書いたであろうと思われるし、それほどに、ドイツ人としての音楽家魂の発露にあふれている。
イエスの名前や復活という言葉を歌わないレクイエムは、聴く機会に特別な状況を選ぶことがない。
どんな時も、安らぎと平安をもとめて聴くことができる。
そんな通常のレクイエムから離れたメッセージ力をもっている特別なレクイエムを書いたのは、シューマン、ディーリアス、ブリテンなどでしょうか。
この渋くも、味わい深い「ドイツ・レクイエム」が、ブラームス24~35歳で書かれたのは驚きで、例によって時間をかけて悩みながらの作曲ぶり。
ブラームス自身がルター訳の聖書から選んだその歌詞を、この曲を聴きつつ読み進めるとやたらと感動し、涙さえ出てくる。
それは、宗教を超えた、人間存在としての普遍の言葉であり、心にどんどん染み込んでくるんだ。
Ⅰ「悲しんでいる人たちはさいわいである。彼らは慰められるであろう」
Ⅱ「人はみな華のごとく その栄華はみな草の花ににている
草は枯れ 花は散る」
Ⅲ「主よ、わが終わりと わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ
わが命のいかにはかないかを知らせてください」
Ⅳ「あなたの家に住み 常にほめたたえる人はさいわいである」
Ⅴ「このように、あなたがたにも今は不安がある
しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう」
Ⅵ「この地上に永遠の都はない 来たらんとする都こそ
わたしたちの求めているものである」
Ⅶ「彼らはその労苦を解かれて休み そのわざは彼についていく」
どの楽章も、素晴らしい旋律と歌にあふれていて好きであります。
Ⅰのオーケストラの静かで大らかな開始のあとに、歌いだす「悲しんでいる人は・・・」の合唱。それがだんだんと盛り上がりを見せて、やがて明るく安らかな雰囲気を醸し出してゆく。全曲のエッセンスのような楽章。オーボエが美しい。
Ⅱの十字架を背負うかのような重い足取りの音楽もよいが、Ⅲにおいて登場するバリトンの神妙で切実な歌が好きで、ここは歌い過ぎると軽々しいアリアのようになってしまうところが難しいところ。後半の壮麗なフーガとの対比も見事な音楽。
Ⅳの抒情的で優しい合唱に心なごまぬ方はいますまい。
Ⅴ、天国的ともいうべき無垢のソプラノ独唱。
Ⅵは、他曲の怒りの日と比べると壮絶さはないが、それでも全曲の中で一番ドラマテックな場面が展開し、バリトンも劇的なものだ。ここでも終結部のフーガがやたらと感動的。
Ⅶ、この独特のレクイエムを完結するに相応しい平安に満ち足りてくる安堵の世界。
今日は、シュナイト師と師のもとに集まったシュナイト・バッハ合唱団・管弦楽団の2008年4月のライブ録音で。
この演奏会場に、私もいました。
その時の感動は、聴き終わって一献傾けて、家に帰っても、そしてその翌日もずっとしばらく、さらに次の日もずっと、じんわりと継続するたぐいのスルメ系のほのぼの演奏であった。
この時は、コンマス石田様をはじめ、神奈川フィルのメンバーが主力のオーケストラで、長年シュナイトさんを奉じて歌ってきた合唱団とともに、親密で信頼感に満ちた演奏が繰り広げられたものだ。
その時の雰囲気をそのままに、CDだけにその精度はさらに高まっていて何度聴いても完璧な仕上がり感を強く持つことができて、この名曲名演を手元に置くことができる喜びはまったくもって尽くしがたいものがある。
シュナイト師ならではの、明るい基調と歌心、そして言葉の意味に深く根ざした祈りの音楽。
ライブの感銘がなかなかCDには収まりにくいシュナイト師の音楽だけど、この1枚はホールの響きもうまく取り入れ、指揮者の唸り声までもまともに捉えた雰囲気豊かなものに仕上がっている。
ブラームス ドイツ・レクイエム
S:平松英子 Br:トーマス・バウアー
ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
コンサートマスター:石田泰尚 シュナイト・バッハ合唱団
(2008.4.5 @オペラシティ)
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コメント
こんばんは。「ドイツ・レクイエム」ジュリーニ、ウィーン・フィルはシブいブラームスに青空のようなサウンドとボニーの歌唱を融合させたのか魅力的。イタリア人が作れる特権です。カラヤンのはヤノヴィッツがオルガンの音色が効いてダイナミックでお気に入り。標題通りで楽しめます。(他にもトモワ=シントウなどいくつか存在している)実はラトルのがカラヤンと同じベルリン・フィルであまりにも冷めたサウンドで幻滅。本当はラトルを応援したいのに・・・。後から中古店でアバドのベルリン・フィルを購入したが、こちらの方が血が通っているし、合唱も熱い。指揮者でオケの音色がこんなに違ってきてしまうのか。
明日からかなり寒くなる。また、冬に逆戻りするのかな。布団を1枚増やそうと。
投稿: eyes_1975 | 2010年5月12日 (水) 21時31分
ドイツレクイエム。名曲です。妻と一緒に演奏会で聴いた数少ない宗教曲です。最初にワルターの古い録音で聴いて、途中で聴くのをやめた記憶があります。その後、やはり録音は良くないのですが、カラヤン・ウィーンフィルの最初の録音を聴いて(バリトンソロがハンスホッター^^)急に好きになりました。私のような無宗教の人間の心にも響きますから、信心深いクリスチャンにはたまらない曲であろうと思います。私は最初に聴いた演奏が好きになって、その呪縛から離れられない傾向が強いのです。マタイならミュンヒンガー、ヨハネはリヒター、冬の旅はプライ、水車屋はペーターシュライヤーと、最初に好きになったレコードって影響が大きいですよね。
投稿: モナコ命 | 2010年5月12日 (水) 21時41分
eyes_1975さん、こんばんは。
いま、北海道にいるんですが、こちらは冬の寒さですよ。峠は雪だと言うし、桜も道央あたりで足踏み状態。
どこか変だよ世界の天気!
私の、当曲は、ほかには、ジュリーニ、アバド、プレヴィン、ハイティンク、バレンボイムなどです。
カラヤンを持ってないのがいけませんね。
この曲、ウィーンフィルとベルリンフィルの録音が多いし、いい演奏も多いですね。
eyes_1975さんのご指摘どおりの各演奏。
ラトルさんも、曲との相性がいろいろあって油断ならない人なんですね。
投稿: yokochan | 2010年5月13日 (木) 22時22分
モナコ命さん、こんばんは。
あら、奥様との初コンサートですか!
しかも渋いですね。
ホッターで聴くこの曲。想像するだけで感動してしまいます。
ワーグナーでいうと、アンフォルタス歌いのバリトンの曲だと思います。
そして、初聴きの演奏による呪縛説。大いに賛同します。
バッハはリヒター、ベートーヴェンはカラヤン、ワーグナーはベーム・・・・、こんな図式がいくつも出来上がってますよ(笑)
投稿: yokochan | 2010年5月13日 (木) 22時28分