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2010年6月 9日 (水)

シューマン 「ばらの巡礼」 クーン指揮 ②

Yamashita_rose_1
今が盛りの「ばら」。
いろんな色や種類があるもんです。

そして、「ばら」にちなんだ音楽はというと、私なら、真っ先に浮かぶのは、シュトラウスの「ばらの騎士」。オペラの中でも、最上位に好きな作品。
 そして、誰もが知ってるシューベルトの歌曲。
ヨハンの方のシュトラウスのワルツ「南国のばら」(これも大好き)
パーセルやドビュッシーの歌曲もあります。

酒とバラの日々・・・、一方でなにか退廃の匂いがするバラでもあります。

で、これは知らなかった、シューマン「ばらの巡礼」という作品を聴きます。

Schumann_der_rose_pilgerfahrt
1850年に、ドレスデンからデュッセルドルフに移住したシューマン一家。
ここでは、熱心なアマチュア合唱団と優秀なオーケストラを手にして、ライン交響曲やチェロ協奏曲も生まれたし、合唱曲もいくつか作曲された。
その中のひとつが、このオラトリオ「ばらの巡礼」。
 ロベルトとクララは、30人くらいの歌の会のようなグループから、ソワレ(夜会)の音楽ということで、歌曲集やオペラ風の作品の依頼を受けていて、書かれたのがこちら。

同時代の作家モーリッツ・ホルンの童話が原作。
1851年、独唱と合唱、ピアノのためのカンタータとして、クララのピアノで演奏された。
そして、翌52年に、自身でオーケストレーションを施し、管弦楽つきのオラトリオとして生まれ変わり、リストやヨアヒムといった著名人臨席のもと、オーケストラ版も初演されている。

国内盤がなく、私のクーン指揮によるシャンドス盤も海外盤だし、しかも英訳すらない。
でも、すごいもんですね、先達の方々は。
対訳がいくつもありました。
こちらを参照しながらの鑑賞は、作品理解にはなはだ有益なものがございました。

概要は、なかなかにロマンテッィクなものです。

春真っ盛りの5月、乙女たちが野辺で楽しく歌う。
バラの妖精は、乙女たちが愛について歌うと、それをうらやんで嘆く。
彼女は妖精の女王に願い出て、乙女となって地上に舞い降りることを願い出て、女王は、一輪のばらを手にゆくことを許す。このバラを手放すと、命がなくなると。
 地上に降り立ったバラは、乙女としてさすらい、孤児なので身を寄せさせて欲しいと、とある家を訪問するが、にべもなく断られる。
バラの乙女の苦難の始まりである。
 やがて、バラは、みすぼらしい小屋と墓掘り人夫を見つけ、恋に破れ死んでいった娘の話を聞き、弔いの列に同情の涙を流す。
旅を続けようとするバラを引きとめ、一夜の宿を提供した墓掘りの老人。
朝になり、感謝とともに出立しようとするバラをさらに引きとめ、優しい両親を紹介しようと、水車小屋へ連れてゆく墓掘り。
そこは、先に亡くなった娘の家。悲しみに暮れる両親は、娘そっくりのバラを娘として迎え、バラも歓喜とともにそこで暮らすようになる。
 やがて、バラの乙女は、森の番人の息子と恋に落ち、村人たちの祝福も得て結婚。
1年後、バラの乙女は、可愛い赤ちゃんに恵まれる。
そして、その赤ん坊の胸に、片時も手放さなかった一輪のバラを涙とともに置く・・・・。
感謝とともに、光に満ちた死をえらんだバラ。
天使の歌にともなわれ、高みへと昇ってゆく・・・・。


どうでしょうか、この素敵な物語。
ドイツ・ロマンティシズムの極みでございましょう。
ちょっと風刺も効いてるし、ほろ苦い結末もまた涙さそう悲しさ。

ここのつけられたシューマンの音楽は、なんでこんな素敵な曲が見捨てられているのかと思ってしまうくらいに、素晴らしい。
最初聴いたときは、正直退屈で眠くなりました。
でも、今日まで何度聴いたことでございましょう。
聴くほどに、味わいを増し、今や耳にその旋律や歌声が鳴るようになりました。
歌詞の理解は必須なれど、一度通してしまえば、あんまりこだわらずに、音楽だけを聴けばよい。

春の訪れに、のどかだけれど、ハミングしたくなるようなウキウキの冒頭。
バスが歌う墓掘りの老人、ソプラノのバラとの味わい深いやり取りは、まるでオペラのワンシーンのよう。
妖精の合唱は、まるで、メンデルスゾーンの真夏の夜の夢のよう。
森で歌う男声合唱は、勇壮なホルンを伴い、こちらはウェーバーですよ。
それから、愛の喜びを歌う神妙な合唱は、のちのブラームスを思わせる。
明るく楽しい水車小屋を賛美するソプラノとアルトの二重唱は、愛らしく、これぞシューマンのスケルツォ的な世界で、この曲集の中で妙に気にいったりしてる場面。
爆発的な歓喜に湧く婚礼の場面。オーケストラがいかにもシューマンだし、少しぎくしゃくした舞曲風な節回しがとてもいい。
それと対比するかのような、しんみりした、バラの乙女の生への別れの場面。
オペラ好きからすると、ここでお涙ちょうだいの大見得を切るところなんだけど、そこはシューマンらしく、少しクールに、でもとっても優しい眼差しを感じる音楽で、福音史家のようなテノールが悲しく物語を完結させる。
そのあとの、楚々とした天使の合唱のエンディングも心にしみます・・・・。

 バラ:インガ・ニールセン  テノール:デオン・ファン・デル・ヴァルト
 妖精の女王ほか:アンネマリー・モラー 墓掘り:クリスチャン・クリスチャンセン
   ほか

    グスタフ・クーン指揮 デンマーク国立放送交響楽団
                    〃        合唱団
                          (93.11@コペンハーゲン)


どういう事情で、コペンハーゲンなのかわからないけれど、この演奏はとても充実している。
クーンのシューマンのツボを押さえた抑制された表現は、つつましくも自然にシューマン・ワールドを表現している。
ニールセンのチャーミングなバラちゃんがいい。
あと、進行役のような語り手テノール、ファン・デル・ヴァルトは、とてもリリカルで伸びのよい声で印象深い。彼は、たしか銃で自殺してしまったはずだ。
貴重なテノールだったのに・・・。

というわけで、2日がかりで、記事完成。
シューマン200を祝う「ばらの巡礼」でございました。

Yellow_rose 
バラの乙女は、きっとこんな感じのバラちゃん

Bbar_6
そして、またまた、昨夜のドイツ・ビールの登場。

「酒とバラの日々」でございますよ

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コメント

お疲れ様です。
ショパン疲れ(とはいえ、6/6のツィメルマン@りゅーとぴあのショパンは凄かったです)と反抗心で、今、シューマンの管弦楽付き声楽曲(EMIの9枚組ボックス)とデムスの全集(13枚組)、オルガン作品集、ピアノ三重奏をi-Podに入れて通勤途上で聴いてます。
EMIのは古いデ・ブルゴス。でも歌手がドナート、ハマリ、ゾーティンなどが歌ってます。なかなかにヨイです。もうちょっとセンシブルであって欲しいけれど。他には「楽園とぺり」、「ファウストの情景」、ミサ・サクラ、レクイエム、ミニョン・レクイエムなど。その大曲の合間にバラードが入っていて、これがまたなかなかの「拾い物」でした。ひょっとしたら、このバラードこそがこのボックスの「売り」かもしれません。

投稿: IANIS | 2010年6月10日 (木) 02時44分

こんにちは
5月は薔薇の季節ですね。近所にけっこうある薔薇の庭、公園、そして自宅の狭いベランダの数個の鉢植えも満開でした。

シューマンのこの曲は知らないと思います。
「南国のバラ」は中学生のころ、大好きでした。
数少ないLPの一枚に入ってました。こちらの記事で思い出しました。懐かしいです。「南国のばら」ってどんな薔薇なんでしょう?

投稿: edc | 2010年6月10日 (木) 06時45分

IANISさん、毎度です。
りゅーとぴあで、ツィメルマンのショパンですか。
想像するだけで、ぐっとくるものがありますよ。

それでまたまた、そうなめ攻撃ですね。
もしかして、シューマン全作品コンプリートですか!

デ・ブルゴスの当曲、歌手がよいので気になるのですが、全集はダブリが出てしまいなんとも。
 そのバラードですか。
IANISさんが、推奨されるということは、きっといい曲なのでしょうなぁ。
う~む。探してみます。

投稿: yokochan | 2010年6月11日 (金) 00時39分

euridiceさん、こんにちは。
バラは、開き終わると、ちょっとさびしい雰囲気ですが、今や盛りと咲き誇る姿は、とても凛々しくあでやかですね。

このシューマンの大作。
こちらはカットがいくつかありますが、オリジナル・ピアノ版は、80分くらいかかると思います。
とてもいい曲と巡り合いました。

南国のバラは、そうですね、Jシュトラウスのものは、カルメンが投げてよこした情熱の赤とは違うような気がしますね(笑)

投稿: yokochan | 2010年6月11日 (金) 00時43分

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