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2010年7月

2010年7月31日 (土)

大阪ナウ

1

たこ焼きナウ。
彦根に出張。
客先の会議が延びてしまい、近くのフードコートで小腹を満たすさまよい人。
夏休みゆえ平日なのに、まわりは子供連ればかり。
 ふっふっふ。
今宵は、大阪入りして、飯守先生のトリスタンを聴くのだよ。
ところが、いつまでたっても会議が終わらない・・・、焦るさまよい人。

「ごめーーん、いま終わりました、上がってきて」
うぇーーーん、もうトリスタン間に合わないよう・・・泣き面をこれっぽっちも見せず打ち合わせに臨んだ、さまよい人でした。

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大阪駅工事中ナウ
着いたのはもう8時30分。
今頃シンフォニーホールでは、マルケ王の「トリスタンなんでやねん」の嘆きの歌が流れていることでしょうよ。チクショーーーーー。
コンサート行けると思って、大阪の理事の方々に声掛けせずに隠密できたのに、これなら京都か神戸に泊まるんだった。

2 

北新地ナウ
しょーがねぇ、飲むか
新地の入り口にある店で一杯。劇団ひとりの時によく来る店。
「あらぁ、いつ来はりなったの?」
「ナウ」
「いつお帰りになりますの?」
「トゥモロー」
言葉少ないさまよい人でございました。

3_2

うなぎの白焼ナウ
気がついたら、元気に飲んでペラペラしゃべってるさまよい人。

「明日は何時にお帰りになりますの?」
「明日はねぇ、音楽会なんですよぅ、でへへへ」
「どこでお聴きになりますの?」
「西宮、でへへへ」

ということで、気を取り直して、ホテルでアイス食って発泡酒飲んでるさまよい人でした。

朝、ホテルで「げげげ」見ながら記事書いてます。
あの主題歌の人たちって、「いきものがたり?」、「いきものがかり?」・・・どっちだ?
まぁいいか。
今日も大阪は暑そうだ

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2010年7月30日 (金)

ストラヴィンスキー 「春の祭典」 マゼール指揮

Roppongi_dinosaurs1
夏休みだから、六本木ヒルズまで息子と車を飛ばして恐竜を見にいってきましたよ。
地球最古の恐竜展」。
2億3000万年前の三畳紀の恐竜や哺乳類、ワニ類などが地上52階にリアルに展示されてます。

Roppongi_dinosaurs2
光と影をうまく使った効果的な展示でなかなかのものです。
このお口に、ちょうど人間の頭が入っちゃうスケール感。

Roppongi_dinosaurs4
地を這う草食系のスカフォニクスという可愛いヤツもいましたぞ。

Strawinsky_maazel
昨日までの涼しげなグリーグやシューマネスクの世界から一転して、ストラヴィンスキーの「春の祭典」。
暑さが舞い戻り、こんな暑苦しくてウザい曲を聴くなんて・・・・・。
しかも、マゼールの指揮だなんて。

でも、しょうがないのであります。
バイエルン放送交響楽団60周年ボックスを歴代音楽監督順に、順次聴いてきたけど、マゼールの前で止まったまんま。
いやいやながらも思いきって聴くことにしましたよ。

まずは、組曲「火の鳥」。
かなり繊細なタッチで、細部までよく見通せるマゼールらしい演奏だが、意外におとなしい。
で、「春の祭典」であります。
タイムは34分で、そこから判断するにはさほど遅くない。
マゼールのハルサイといえば、70年代に嫌がるウィーンフィルに鞭をくれつつ、のたうつような原色まるだしの演奏が嫌でも脳裏に浮かぶ。
その後のクリーヴランドとの演奏は未聴。
あと、フランス国立管とのライブを長く聴いているが、こちらは華やかな雰囲気が漂っていた。

今回のバイエルン放送響とのライブは、1998年4月のもので、聴衆のノイズは聴かれず拍手もないため、ライブとは思えないくらいの録音の精度の高さ。
そして演奏も、オケの高機能ぶりがひしひしと伝わってくるハイレベルの演奏水準にある。
うるさくならない金管、木管の暖かさはバイエルン独自の音色だし、弦楽器も鋭さよりはマイルド感が漂う。
これらは、これまで歴代の指揮者の演奏や現職ヤンソンスの指揮などにおいて、歴然と感じるミュンヘンサウンドなのである。

しかし、そこはマゼール。油断も隙もないオッサンはここでも健在であった。
どこもかしこも、策士マゼールのあざといまでの演出が散りばめられていて、ウザイと思いつつもついつい引きこまれてしまうのであった。
ヴィブラートをたっぷりかけて歌われる冒頭のファゴット、スピード感あるけど、意外とあっさりの春のきざし。
巨像のような長老の行進に、すさまじい迫力の沸き上がるような大地の踊り。。。
 第2部に入り、流れるように演奏されてしまう不思議な乙女の踊りは妙にミステリス。
そして、ここでもやってくれます、強烈な11本の連打
ウィーンでは異常としか感じなかったここは、少し速くなってなかなかの説得力がある。
タメも充分、聴いたことないフレーズや歌いまわしが、ポンポン出てきて、生々しい展開となる。
最後の打撃も相変わらずユニークなもんだ。

いやはやもう、困ったハルサイだわ。
面白かったけど、もういいや。

ハルサイは、わたしは、アバドやメータ、サロネンといったスピーディな演奏や、ハイティンク、デイヴィス、ショルティといったシンフォニックなかっちり演奏が好きであります。

マゼールのバイエルン放送響時代は、1993年から2002年まで。
この有機的な素晴らしいオーケストラが、マゼールによってどうにかなってしまうのかと、心配だったけれど、フレキシブルなこのオケは、ちゃんと伝統を守り通したし、マゼールの求める音をアメリカのオケよりも的確につかんで出していたように思う。
というか、彼らのCDは、ワーグナー以外持ってないんだよね〜
マゼールは、クリーヴランド時代までよく聴いてたし、ウィーン国立歌劇場時代のウィーン、ベルリンの演奏もよかった。
でもベルルン・フィルの座をアバドに奪われてしまうと、大人げない発言をしたりして、その演奏もわたしには妙に鼻につくようになってしまった。
 
 ありあまる才気を持て余してしまうマゼールは、常にどこかのオーケストラと関係をもってないといけないらしい。

  1965〜1975  ベルリン放送響
    〃 〜1971  ベルリン・ドイツ・オペラ
  1972〜1982  クリーヴランド管
  1982〜1984  ウィーン国立歌劇場
  1984〜1996  ピッツバーグ響
  1988〜1990  フランス国立管
  1993〜2002  バイエルン放送響
  2002〜2009  ニューヨーク・フィル
  2004〜      トスカニーニ管
  2010〜      ミュンヘン・フィル

80歳になって、どこまでも元気なマゼールさん。
今年暮には、東京でベートーヴェンの交響曲全曲を大晦日に指揮する予定。
ゼツリン・マゼールでございますね。

Roppongi_dinosaurs3
マゼールの鋭い分析眼に会うと、こんな風に見えちゃうます(笑)

バイエルン放送響60周年ボックス過去記事

「ヨッフム〜フルトヴェングラー交響曲第2番」
「クーベリック〜ブルックナー 交響曲第8番」
「コンドラシン〜フランク 交響曲」
「デイヴィス〜エルガー エニグマ変奏曲」




  

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2010年7月29日 (木)

シューマン 「アラベスク」  ピリス

Roppongi_hills2
日曜日、真夏の六本木ヒルズ
この不可思議なスポットも夏の青空だと、とてもシュール。

関東は今日は雨まじりの曇り空。
げんきんなもので、暑い暑いといっていたくせに、青空がもう恋しい。

Schumann_pires
今日は、シューマン154回目の命日
という情報が、どこからともなくメールで送られてきました(笑
200歳も祝ったのだから、その命日もシューマンを聴きましょう。

わたしの好きなアルバムをそっくり1枚聴きました。

 シューマン 「森の情景」
         「アラベスク」
         「3つのロマンス」
         「ウィーンの謝肉祭の道化」

    Pf:マリア・ジョアオ・ピリス
           (1991~94@ミュンヘン、ハンブルク)


ピリスの第二の黄金期ともいうべきDG時代。
モーツァルトやショパン、バッハなど、何を弾いても研ぎ澄まされた感覚でもって、深みある表現を成し遂げていたピリス。
このシューマン・アルバムでもそう。
モーツァルトのときは、そんなに集中し過ぎて大丈夫?と思えるくらいに根を詰めた感じで息がつまりそうなほどの緊張を強いる場面も散見され、それらと天衣無為の場面との対比がとってもよかった。
 これらのシューマンは、そんな厳しい姿は少なめで、繊細なタッチでふくよかな音色を醸し出すことに成功していて、あふれ出すファンタジーにうっとりと浸ることができるのであります。

どうしても、「予言の鳥」ばかりに耳が行ってしまうけれど、ほの暗いドイツの森を思わせる桂品ぞろいの「森の情景」。
まさにロマンス、特に2曲目が涙がでるほどにすんばらしい「3つのロマンス」。
これはもう、ピアノソナタの堂々たる大曲「ウィーンの謝肉祭の道化」。大都会ウィーンの街の快活さがよく出てるけど、1楽章には何故か「ラ・マルセイエーズ」の旋律が出てきたり、です。

そして有名な「アラベスク」。
唐草模様というタイトルに訳しちゃうと何だかなぁ、だけど、やはり「アラベスク」という幻想風な名前の方がイメージ通りに受け止められる。
5部からなる小品だけど、穏やかでありながら、ここにさりげなくも詰め込まれたロマンの芳香は、思いのほか濃厚なのであります。

 一日の終りに、いい夢見るためにほっと一息聴きたい「アラベスク」。
ピリスの誠実な演奏がことのほか素晴らしいです。

このCDは、ジャケットもステキなものでして、こうしたものこそ、レコードジャケットの大きさで欲しくなります。

Roppongi_hills1

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2010年7月28日 (水)

グリーグ ピアノ協奏曲 ルプ&プレヴィン

Toya

涼しい湖の光景。
「暑い」というのが口癖になってしまった。
誰に会っても、「暑いですなぁ」とか言っちゃうし、誰ひとり、「え、そうですか?」というリアクションがなくって、「ほんと、暑いです」と返ってくる。
時候の挨拶、会話の導入部としては、いま最も簡単なフレーズでありましょう。
 でも、もう飽きちゃった。
暑いを言わないで過ごしたら、ご褒美が出るシステムってなんかないでしょうかねぇ。
そんなもんあるわけないか・・・・・。

この写真は、ズルして数年前の洞爺湖。
サミットの少し前のもので、サミット関連のお土産がたくさん売ってましたよ。
このあたりで買ったトマトが、青臭くて、甘くて、新鮮で、もうむちゃくちゃおいしかった。
夏は、野菜がおいしい季節でもあります。
野菜食って暑い夏を乗り切ろう。

Schumann_grieg_lupu
定番すぎますがね、夏には涼しげな北欧音楽を。
それも、とびきり爽やかなグリーグピアノ協奏曲
ノルウェーの風土、フィヨルドの光景を思い起こすことのできるまるで描写音楽のような、素晴らしい協奏曲。
こんな風な自然美にあふれた協奏曲は、ドイツやフランスの作曲家では決して書けなかったかもしれない。
ディーリアスが尊敬し、またライプチヒでの学友でもあったグリーグ。
そのディーリアスにも相通じる心象的な自然描写と感覚的な音楽かもしれない。

レコード時代は、シューマンの協奏曲とのカップリングが多かった。
CD時代になると、その組み合わせはなくはなかったけれど、同じグリーグのピアノ作品や管弦楽作品とのカップリングが多くなった。
そしてそれよりも、シューマンにくらべ、グリーグの録音が減ったような気がする。
 ドイツロマンティシズムのシューマンと、自然・民族派のグリーグ、ともにイ短調という共通項を持ちながら、異なる世界を描いた音楽。
シューマンの方が演奏回数も多いし、高評価なのでしょうか・・・・。

わたしは、幻想的なこのふたつの協奏曲が大好きであります。
ことに、第2楽章のアダージョの北欧の海と山を思わせる自然美あふれる、抒情的な場面が大好き。

Schumann_grieg_lupu_decca
この曲、必聴の名演は、ラドゥ・ルプーアンドレ・プレヴィンロンドン響
涼やかだし、全編にあふれるリリシズムは、発売当初から人気を呼んだものだ。
それこそ、リリシストというキャッチフレーズで売り出されたルプーの、そのキャッチ通りに抒情と歌、ゆとりを兼ね備えた美しいピアノ。
そのピアノにぴたりと寄り添うナイーブなくらいに繊細で清潔なプレヴィンの指揮するオーケストラ。
これはもうエヴァーグリーン的な名演奏でございましょう。

デッカ初出と思われるジャケット。
完全にグリーグを意識したもの。
涼やかな演奏にピッタリですな。
日本盤は、ルプーの演奏姿を斜め上から捉えたものだった。

今宵は、これ聴いて、体温が2度ほど下がりました(笑)

手持ちの演奏でステキなのが、古い記事ながらこちら

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2010年7月26日 (月)

ワーグナー 「ローエングリン」 バイロイト2010 ネルソンス指揮

Lohengrin13
今年もドイツでは、バイロイト音楽祭が始まりました。
7月25日開幕。
今年のプリミエは、「ローエングリン」。
1999年から2005年まで続いた、キース・ウォーナー演出から5年ぶりのローエングリンは、今回はハンス・ノイエンフェルスの登場。
ノイエンフェルスは、奇抜で面白い、いやヘンテコ、そして時に気持ち悪い舞台をつくる人。R18なんてのもお構いなし。
この人出しちゃうんなら、次はコンヴィチュニー希望。

舞台の様子は画像をさっそく拾ってみて想像するのみだけど、音源はしっかり聴きましたよ。

 ローエングリン:ヨナス・カウフマン  エルザ:アンネッテ・ダッシュ
 ハインリヒ:ゲオルク・ツェッペンフェルト 
 テルラムント:ハンス・ヨアヒム・ケテルセン

 オルトルート:エフェレン・ヘルリツィウス 伝令士:サミュエル・ユン

   アンドリス・ネルソンス指揮 バイロイト祝祭劇場管弦楽団/合唱団
                    演出:ハンス・ノイエンフェルス
                           (2010.7.25@バイロイト)

Lohengrin4
ネズミであります。
いったい何なんでしょうね・・・。
まさか、ねずみが街に繁殖してしまう「ハーメルンの笛吹き」なんじゃないでしょうね(笑)
周りにいる人々は、みんなネズミですよ(爆)
エルザはネズミに矢打たれて串刺しになってるし。
て、ことは、ローエングリンはハーメルンの笛吹きかい(笑)
 実際のところを猛烈に知りた~い。

Lohengrin12
わたしのアイドルとなったアンネッテちゃんも、こんなお姿に・・・・・。

Lohengrin9_2 Lohengrin7 
天井からぶら下がるネズミ軍団・・・・ですよね、尻尾あるし・・・・。
キモイ、キモ過ぎ。
それと、羽根むしられ、包帯姿の白鳥のあわれなお姿・・・・。

ヘンテコリンだけど、なんだかやたらと想像力をかきたてられる舞台の様子。

1幕前奏曲の前に、かなり長いインターバルがあって、会場でクスクス笑いが聴かれる。
1幕が終わると、ブラボーと強烈なブーイングの応酬。
2幕の開始前も、会場から笑いが沸き起こる(笑)
お笑い系なのか、このローエングリン。
観たくてうずうずする。
2幕終了時も激しいブー。
でも、3幕の音楽が神々しく閉じられると、驚くべきことに会場には静寂が訪れる。
しばし後に沸きおこるブラボーと熱烈な拍手。

一体どうしたのだろうか?
最後の最後に唖然とするマジックでもあったのか。
期待のネルソンスの指揮も、最後のエンディングは、引っ張る引っ張る。
それが巧みなダイナミクスとともに、緊張感も持続して音楽上は見事に決まっているものだから、舞台と音楽で最後に仕掛けがあったのかもしれない。

Lohengrin10
カウフマンダッシュ
ねずみじゃない後ろの黄色い人々が気になるけれど、この主役ふたりの素晴らしい歌唱は、今のドイツで最高のものではないかしら。
 力強さとロブストな厚みも適度に合わせもちながら柔軟な歌い口のカウフマンのローエングリンは最高で、最後のグラール物語などは、充分に歌い込んだ余裕と説得力にあふれているように思う。
 で、アンネッテ嬢は、最初の夢物語りこそ固かったものの、キリリとしたステキなエルザ。
それもお嬢風から一歩切り込んで、自分の意思でもって禁断の誓いを破る強さのようなものを感じる彼女の歌声。これからもっとよくなるかも。

期待してたもう一人、ガッロが降板してしまったのはまったくもって残念。
替わったケテルセンはベテランの味がある歌い口だけど、クールで真っ直ぐな今風の歌声のほかの歌手たちに比べると、ちょっと古臭さを感じ、演出上のマッチングもどうだったかと・・・。
それを補ってあまりある、ヘルリツィウスのオルトルートには戦慄さえ感じるスゴミがある。
ドラマティックで、濃い口の声は、ダッシュとの声の対比においても申し分なし。
初登場のツェッペンフェルトの国王も印象的だった。

Lohengrin1
ネズミが抱える、白鳥号。
国王の王冠が黒なもんで、その後ろ姿がなんとも・・・・。

ネルソンスの指揮は、思った以上にまともでしっかりしてる。
最初の方こそ空転するヶ所を感じたが、よく歌っているし、生き生きとした生気とスリリングな迫力が全体にみなぎっているのがよい。
なによりも、ロマンティッシュ・オペラとしてのローエングリンを耳で聴いて感じさせるところがよいかも。

それにしてもどんな舞台なんだろう。
現地レポートが早く読みたいし、映像が観てみたい。

以上、画像はバイエルン放送局のサイトから、音源はハンガリーのラジオ・バルトークのオンデマンド放送から、それぞれダウンロードしました。
こんな風にタダで楽しめましたよ

過去記事

「アンネッテ・ダッシュ モーツァルト・アリア集」

「ヨナス・カウフマン&クラウディオ・アバド」


                

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2010年7月25日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 聖響音楽堂シリーズⅣ

Gas
ガス事業発祥の地。
横浜市中区花咲町にありました。
桜木町の駅から、県立音楽堂までの音楽通り沿い。

この画像は、今年3月、まだ寒かったころのもの。
聖響音楽堂シリーズの第1回、期待をこめたシューベルトとメンデルスゾーンの4回特集だった。
この時は、冷たい雨模様でしたよ。
そして、聴後もがっかりシリーズの第1回目。

Kanagawa_phil_ongakudo1
そして、季節は、異常に熱い夏となった、今日は4回目の聖響シリーズで最終回。
数か月前の冷たい雨がうそみたいな最終回は、紅葉坂を登るのさえ苦痛のロケーションに思われた県立音楽堂。

でも、音楽会が終了し、アフターコンサートへ向かう気分は上々。
そう、最後に至って、こちらの心に響く、素晴らしい演奏を聴かせてくれたのです。

  メンデルスゾーン  序曲「ルイ・ブラス」

  シューベルト     交響曲第5番

  メンデルスゾーン  交響曲第3番「スコットランド」

  シューベルト     ドイツ舞曲第1曲

     金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2010.7.24@神奈川県立音楽堂)

よかったのは、スコットランド
最初から、音のひとつひとつに気持ちがこもり、メンデルスゾーンの伸びやかな音楽が素直に、そして屈託なく眼前に展開されたのです。
この曲に特有の憂愁の陰りも、ちゃんと表出されていて、わたしの理想とするアバドの若い頃の方の演奏にも迫るような素晴らしい演奏だった。
褒めすぎと思われる向きもございましょうが、あの一連のマーラーと同じく、若々しい素直な感性が演奏にすっきりと反映されて、暑い夏にさわやかな一風をもたらせてくれた思いだ。
 ヴィブラートは少なめながら、毎度のような堅苦しいほどのこだわりはなく、適度にかかっていて、ここで歌って欲しいなと思うところは、しっかりと気持ちよく歌ってくれるから欲求不満には陥らず。
ことに第3楽章の連綿たる旋律が次々に歌いつがれるさまには陶然としてしまった。
オーケストラのメンバーも気持ちよさそうに体を揺らしながら演奏している。
神奈川フィルのこんな姿を久しぶりに見た感じ。
このオケの持つ繊細で美しい音色も、しっかりと味わえましたよ。
唯一、金管とティンパニがうるさく感じた程度。

アンコールのドイツ舞曲は、まさかシューベルトとは思わなかった初聴きの音楽。
弦だけの洒落た音楽で、弦楽カルテットが最後の方で活躍する桂曲。
シリーズを締めくくるのにとてもいい雰囲気でありました。

前半は、これは、いいじゃないか、と思わせた「ルイ・ブラス」。
歌なし殺伐のシューベルト5番は、またいつもの通りかとがっかり感が募る演奏。

でも、いいのです、終りよければ。

髪型もリニューアルした聖響さん、このあとも普通でいいいからよろしくたのみます。

最後に、行政からの支援も厳しい昨今、神奈川フィル応援のために、皆さま、一筆お願いいたします。
こうして各地で芸術が圧迫されることに。金がすべてない世の中はこないものだろうか・・・

 神奈川フィルのHP

 ほどがや日記~神奈川フィルスタッフのブログ

Daikokuya
アフターコンサートは新メンバーも交えて、野毛の老舗居酒屋で。
まずはビールですな。
Daikokuya2
めごちの天ぷら。
これ、サクサクで白身ほくほくで、超ウマイ。
Daikokuya3 Daikokuya4
焼き鳥に、まぐろのねぎま焼き

Noge
2軒目は、バーで、アイラモルトを一杯。
ズッキーニやチキンも乗った冷製パスタをつまみに・・・。

いやはや今回も飲みましたぞ。
皆さまお疲れさまでした。

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2010年7月23日 (金)

ラヴェル 水の戯れ ペルルミュテール

Sonybill
銀座に涼しげなアクアスポット出現。
夏のソニービルの足元に、大きな水槽が。
Sonybill_1

連日の猛暑。
この日は、新たに始まる仕事のちょっとした結団式で、家に帰れる終電ギリギリ。
見とれてしまいましたよ。
 見るだけでも、確実に体温は2~3度クールダウンするもんですな。

Ravel_peremuter
水にちなんだ音楽。
そして、音楽によるクールダウン効果のある曲。

ラヴェル「水の戯れ」を聴きます。
5分ちょっとの小品ながら、この音楽がもたらす水に対する豊かなイマジネーションと感覚的な美感は、ちょっとほかには例えようがないくらいに高次元のものだ。
 若い頃からずっと聴いてるけれど、歳を経て、徐々に酸いも甘いも噛みしめるようになってきた今、この曲は、表面的にはきれいごとで流れるがごとく終わってしまうけれど、実は詫び寂びの枯淡の音楽じゃないかとも思いだしている。
 印象主義をドビュッシーよりも先んじて取り入れたとされるこの曲であるが、わたしは、ソナタ形式で厳密に書かれたこの曲は、「水」もイメージのひとつとして想起させる、真剣な純音楽ではないかと思ったりもしてる。
学者じゃないからよくわからないけど、この曲はシンプルでありながら、すごく考え抜かれ、緻密に書かれている音楽と感知できる。

老境の域に達した、ウラド・ペルルミュテールが73年頃に録音したラヴェル全集は、香り高くも、まさに枯淡を感じさせる明鏡止水的な演奏であります。
ペルルミュテールの演奏は、コンサートホール会員だったこともあって、ショパンやシューベルトなどを若い頃から聴いていたけれど、やはりラヴェル演奏の神様だけあって、さすがにこれは別物。
美しい演奏です

Sonybill_2 Sonybill_3
銀座に鮫やエイが・・・・。
ブルーの世界です。

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2010年7月21日 (水)

ディーリアス 「夏の歌」 グローヴス指揮

Sunset_20100720
 昨日(7月20日)の夕焼け。
猛烈な暑さは、こうして日が暮れても続く異常な事態。
めったに見れない、壮絶な夕焼けです。
この画像は、千葉の自宅から。
私は、都内の職場にいて、外がやたらとオレンジ色だったので気になっていたけど、さすがは夕焼け好きのワタクシの娘。
ちゃんと撮ってくれてましたよ。
全体の構図バランスは、まだまだだけど、貴重な1枚でした。
 この日の翌早朝、奈良で震度4があったけど、この雲と夕焼けって、何か関係あるのかしら・・・・・。
奈良県の直下型で、なぜか、関東では成田市が震度1

Delius_groves
四季折々に、ディーリアスは日本の風土にもマッチングするけれど、なんといっても夏。
いまの日本のように、亜熱帯と化した風情もへったくれもない夏には不似合いだけど、われわれがイメージする、ぱっと来て短い命を思い切り謳歌するような英国の劇的だけど、詩情にあふれた夏をまさに思わせる音楽。
日本ならば、北海道の夏。
 もちろん、いまの地球規模の異常気象は英国も例外じゃないかもしれないし、北海道もそう。

「夏の歌」は、ディーリスの作品の中でも、1,2を競うくらいに好きな音楽。
未発表の交響詩「人生と愛の詩」の素材を用いて、1929年、視力を失ってしまった晩年のディーリアスが弟子のフェンビーに口述して書かれた作品。
 
以前の記事にも書いたけれど、その時のディーリアスの言葉を再褐します。

「海をはるかに見渡せる、ヒースの生えている崖の上に座っていると想像しよう。高弦の持続する和音は澄んだ空だ。・・・・・
・」(三浦淳史氏)

このイメージこそ、この詩的で幻想的な音楽そのもの。

厳しい自然の中、夏だけに咲く花と、そこから見渡す絶海。
海に沈まんとする日の最後の照射が眩しく、潮風も頬に厳しい。
やがて夕日は、眩しさから、空を紅に染める優しい光となり、その空も朱色と藍色のせめぎ合いでその境い目も曖昧になりつつある・・・。
ついに日の光は、その力を弱め、空色は紺青と闇が力を増してきて夜が訪れる・・・・。
壮大な夏も、終焉に近いと思わせるもの悲しいエンディングは、いつ聴いても陶然としてしまう。

ディーリアスを好きになってから、もう何百回と聴いてきた曲は、こんなふうな感じで、私の脳裏にイメージングされているのであります。
その音楽から、こんな詩的な情景が巧まずして思い浮かぶのです。

サー・チャールズ・グローヴスロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニーの滋味あふれる演奏は、バルビローリとともに、わたしにとって、いまだにこの曲最高の演奏であります。

なんて素晴らしい曲なのでしょうか

 

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2010年7月20日 (火)

リンドベリ 交響曲 ウェステルベリ指揮

Ikea_1
IKEAレストランの定番メニュー。
ミートボールにじゃがいも、ラザニアでございます。

わたしたち日本人は、欧米系の文化にからきし弱い。
もちろん、昨今はもっと近場もほんとに親近感が沸いてきて、同胞、韓国・中国をはじめ、東南アジア、中近東までも親しい存在になってきた。

でも衣食住は、どうしても先んじてるという意識が従前よりあって、やはり欧米信仰はゆるぎないのが現状か。
悲しいことに、中国は、日本の安全と堅実、美観を買うだけで、もう飽きられてしまい富裕層バブリーたちは欧米しか見ていない。
まさに今後は中間層の取り込みしかないのか、にっぽん。

そりゃそうと、日本人は海外進出組には現地と同じ本格的なものを求めるけれど、かつての欧米からの進出組は、日本の高度に難しい消費志向に合わせるために、日本のマーケットと同じような品ぞろえ・店造りをしてしまい、がっかりさせたもんだ。
フランスのカルフールがそのいい例で、パンとチキン以外は日本のものしかない、普通のスーパーだったもんだからがっかり。
 元気だったダイエーが仕組んだ「プランタン」の方が、フレンチ・テイストがあふれていて、まさにマルシェだった。
カルフールは、イオンに売却して日本撤退。
そのイオンもいまやカルフール・ブランドはなくしてしまい、普通の店舗に様変わり。
かくして残ったのは、おいしいパンとチキンのできるマシン、そして充実のワインコーナーのみ。

 欧米組で、残ったのは、ウォルマート(西友)と英テスコ(つるかめ・・・)、米コストコ、独メトロ、そしてIKEAのみ。
これらの中でも、日本の既存の仕組みに特化してしまったところと、世界基準を守り通し、まさに欧米テイストの合理性と機能性、そして日本人が抱く憧憬をうまく根付かせてしまったところと、それぞれ。
IKEAはまさに、後者で、各地で、IKEA待望論が起きている。

Ikea_2

 そのIKEAの店舗は、船橋・横浜・新三郷・神戸・大阪の5ヶ所。

次は福岡が決定。そのあとは、名古屋、東京西部となっているものの、物件なし。
その後も計画ななしとか・・・

 街づくり3法という、実質的な大規模店舗の出店規制という、制定当時は旧市街地活性化・イオン抑制という効果を見込んだ法律が施行され、意欲ある、そして消費者の期待する業態が日本から締めだされてしまったことになった。
 海外からの投資の意欲も摘んでしまうこんなバカげた法律を、数年かけて検討し、時代にそぐわない時期に施行してしまう、いまも変わらぬ日本の国家。
 こんな例はこの法律以外にも、枚挙にいとまがない。
事業仕訳のパフォーマンスも結構だが、既存の規制や法律、そして今後検討中のものも含めて、社会・経済の状況を市民目線で理解し、再考できるような仕組みづくりも必要ではなかろうか。

あっ、いったいワタクシ、音楽ブログはどこへ・・・・??

Lindberg_sym
 なんだかスウェーデンこじつけですが、オスカル・リンドベリ(1887〜1955)の交響曲を聴きましょうかね。
世代的には、毎度書くとおり、私の好きな後期ロマン派〜世紀末の作曲家。
こうした世代でも、今世紀に入ってからは先鋭な作風に走ったり、古典回帰を見せたりと、いろんなトレンドがあるなか、リンドベリはずっと自国の民族楽派的な作風と、後期ロマン派風濃厚サウンドの融合にこだわり続け、没年を鑑みると保守的とのレッテルを貼りたくなってしまう作曲家なのであります。

でもですよ、北欧といってもスウェーデンに特有のポルスカという舞曲のリズムも意識した音楽や、土着の民謡、それらと西欧の濃厚な後期ロマン派風音楽との融合はえも言われぬ快感を呼び起こすのであります。

同類の音楽に、アルヴェーンやステンハンマル、アッテルベリなどがあげられるでしょうか。
教会のオルガニスト兼指揮者でもあっただけに、オルガン音楽をたくさん書いたリンドベリ。
その分、オペラや劇作品は残さずに、オーケストラ作品も少なめ。

唯一の交響曲ヘ長調は、1913年から16年にかけて作曲された3楽章形式の作品で、完全な調性音楽で、マーラー没後、ドビュッシーは晩年、シェーンベルク活躍中の時期としては穏健な作品であります。

 メロディアスな第1楽章が一番いい。親しみやすい第1楽章に対比して、シリアスな第2主題はどこかシュトラウスの豊穣サウンドを思いおこす。
少し難解な表情を伴う真ん中の緩徐楽章は、北欧ムードがあふれていて、シャープな自然美を感じ取ることができる。曲の後半部分に、独奏ヴァイオリンの神秘的で甘いソロが入り、終結部は望郷のラフマニノフみたいになってくる。
 一転、元気をだして突き進むような終楽章は、やや霊感不足で、印象は薄いものの、やはり北欧の雰囲気は濃厚で、やや鄙びた管楽器の音色と、澄んだ弦楽器がうれしい。

このCDには、「スウェーデン民謡による狂詩曲(ジャケットのフィドルをもった爺さんのイメージ)」、「旅の3つの印象」というオーケストラ曲が収録されていて、それらも悪くない雰囲気です。

     スティグ・ウェステルベリ指揮 オレブロ交響楽団
                           (1994.5 録音)

このオケのあるオレブロ(エーレブルー)は、川と湖のあるスウェーデン南部の美しい街のようで、ここにも当然、IKEAはあります。
そこのHPのミートボール画像。
Kottbullar

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2010年7月18日 (日)

プロムスの千人とか、土佐とか、ゲゲゲとか

Hiromeichiba
まだ開けていない地域もありますが、私の住む関東は梅雨明け。
でも、まだ続く大雨による被害、お悔やみ申し上げます。

そして、今年の夏は早くもギンギンに暑い

こちらの画像は、高知のひろめ市場です。
数年前だから、いまはちょっと様子が変わってるかもしれません。
土佐藩の家老(ひろめという名前)の屋敷跡にできた市場・屋台村。
居酒屋フードコートみたいな、ナイスなやつです。
カツオの塩たたきとか、焼き鳥とかコロッケとか、好きなものを買って、適当に座って飲むんです。
この合理的かつ、安直な雰囲気がいいぜよ。

そう、わたくし、最近、「坂本竜馬」の見過ぎで、頭の中に土佐弁が渦巻いちゅう。
どしたらえいがかね

Kitaro Kitaro2

前にも一部登場させましたが、「ゲゲゲの鬼太郎」。
小学生の頃から見てましたよ。
ソノシートを買って喜んでましたよ。
絵本のようになっていて、薄い赤い透明のレコード1枚入っていて夢中になって集めましたよ。
朝日ソノラマからたくさん出ていて、ゲゲゲのほかに、「仮面の忍者赤影」「サイボーグ007」「アンデルセン物語」「おばけのQ太郎」「怪物くん」・・・、
本屋さんでたくさん買いましたよ。@300円也。

で、いまは、朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」をかかさず観てますよ。

ここでは、島根弁・鳥取弁が「ちょっこし」気になるんですよ。
先週からいよいよ、水木漫画がブレイクして、貧乏神も退散。いよいよ楽しみ~。
「そげですかぁ?」 とか、「だら!」とか、「こげ」とか「どげ」とか、気になってしょうがないんですよ~

ゲゲゲの過去記事~こちらとかこちら、ついでに出雲、あと、左側のマイフォトも宣伝しときます。

Proms2010
BBCのサイトのギャラリーから拝借。

英国では、プロムス2010が16日から始まった。
オープニングは、マーラー・イヤーらしく、「千人の交響曲
音楽祭のレジデント・オーケストラであるBBC交響楽団に、主席のビェロフラーヴェクの指揮。
プロムスの全演目が、ネットで聴けます
私の部屋の音楽環境は貧弱だけど、パソコンをステレオアンプに音声入力接続して視聴。
こいつが、オープニングらしく、最初はうわついているけれど、徐々に熱を帯びてきて、実に素晴らしい千人だったのだ。思わず、録音もしてしまいましたよ。
金曜にテレビで見た、このコンビの新世界も味のある名演だったけど、このマーラーも堂々として揺るぎなく、それでいて熱気ある素晴らしい演奏でありました。
独唱と合唱、とくに肝心のテノールがヘロヘロなところがなんですが・・・。

2か月続く今年のプロムスも、意欲的なプログラムが満載。
「ウェールズ・ナショナルオペラ&ターフェルで、マイスタージンガー全曲」
「コヴェントガーデン&パッパーノ、ドミンゴで、シモン・ボッカネグラ全曲」
「ラトル&エイジ・オブ・インストで、トリスタン2幕」
「ラニクルズ&BBCスコテッシュで、エルガー1番、マーラー3番」
「ゲルギエフ&World Peaceオケで、マーラー4番、5番」これ、一晩で
「メッツマッハー&ベルリン・ドイツオケで、シュレーカー、コルンゴルトVn協、マーラー7番」~これ、最高すぎ、でも長すぎ
「ユロフスキ&LPOで、はげ山、ショスタコ、プロコ3」
「サロネン&POで、ペルト、左手ラヴェル、法悦の詩!」
「ヴァンスカ&ミネソタで、ベルクVn協、第9」
「ガードナー&チェコpoで、謝肉祭、マルティヌー6番、グリーグP協、ヤナーチェク、ドヴォ8・・・・」、えぇーー、これも一晩でぇ
「ティチアーニ(?)LPOで、ヘンゼルとグレーテル」
「ブロムシュテット&マーラー・ユーゲントで、マティス、角笛、ブル9」
「ラトル&BPOで、パルシファル、4つの最後の歌、ウェーベルン6、シェーンベルク5、ベルク3」~うほぉーーっ、これ最高やん
「ラストナイト~その1  P・ダニエル指揮」
「ガッティ&フランス国立で、牧神、海、春祭」
「ビェロフラーヴェク&BBCで、ローエングリン、新作、ブル7」
「ガーディナーで、モンテヴェルディ ヴェスプレ」
「ラストナイト~その2 ビェロフラーヴェク&BBC&フレミング」

ざっと気になったプログラムだけで、こんなに。
この倍のオーケストラコンサートと、違う会場で、室内楽や歌曲も。
日本に1年の間に来日する外来演奏家を、2か月の間にロンドンに押し込めてしまった感じ。

最大に気になるバイロイトをはじめ、斜陽ながらザルツブルクとか、ヨーロッパ各国で行われる音楽祭。
夏枯れの日本とは大きな違いがありますな。

死ぬまでに一度行ってみたいな。

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2010年7月17日 (土)

アンネッテ・ダッシュ モーツァルト・アリア集

Rose_night
夜の公園で撮った「赤いバラ」であります。
ぎょっとするくらいに美しかったのでありますが、こうして画像にしてみると、そうでもない。
夜咲く花に惑わされませぬよーに、皆さま

Anette_dasch1

またもや懲りずに美人歌手。
こちらの方は、ドイツのソプラノ、アンネッテ・ダッシュAnnette Dasch)様でございます。

そろそろ開幕。
夏になるとワーグナー熱がジワジワと疼いてくる。
バイロイト音楽祭が7月の25日に新演出の「ローエングリン」でもって始まる。
今年は、戦後バイロイトを率いてきたウォルフガンク・ワーグナー総裁が亡くなって迎える初めての年。
エヴァとカテリーナの異母姉妹による舵取りはいかに。
その「ローエングリン」は、異才のノイエンフェルスの演出に、ネルソンスの指揮、カウフマンのタイトルロールに、お馴染みガッロ(!)のテルラムント、ヘルリツィウスのオルトルート。そして、エルザには、アンネッテ・ダッシュが起用された。
こんな話題性のあるメンバーでの上演は、実験劇場たるバイロイトではかつてないこと。
逆に言うと、ちょっと無難に走り過ぎてるのではないかしら。
 まぁ、蓋をあけてみなくてはわかりませんが。

で、そのアンネッテちゃんを、エルザの予習に、ちゃんと聴こうということでモーツァルトのオペラアリア集を新宿塔で購入してきました。

Annete_dacsh
アンネッテ・ダッシュはベルリン生まれで、いまや各地の劇場でひっぱりだこ。
そんな彼女が、2003年に新国でデビューしていたとは驚き。
ホフマン物語のアントニア役で、しかもこの時はガランチャも同じ舞台を踏んでいるからさらに驚き!
新国、やりますねぇ~

まだ10年くらいのキャリアだけど、彼女の歌は落ち着きがあって、一本筋が通っている。
ドイツ人らしい折り目正しさがあって、そのキリリとしたお姿どおりのイメージの歌声なんです。
フランスの歌手にはノンシャランな芳香、イタリアの歌手にはのびのびとした明るさ、英国歌手には気品と陰りが、アメリカ歌手にはおおらかさが・・・・・。
おおざっぱなイメージでは、各国そういうことになるのかしら。
で、アンネッテ・ダッシュの歌には、まぎれもないドイツの生真面目さと完璧はフォルムがある。

モーツァルトをこうして次々に聴くには、少しばかり硬質すぎる声かもしれない。
でも、思わぬ声の強さがあって、音域がとても広くて、低音域には余裕すら感じるから、表現の幅が極めて豊か。
モーツァルトのあらゆる役柄を難なく歌っている。
スザンナ、ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、フィオルディリージ、パミーナ、ヴィテリア・・・。

Annette_dasch2_2Annette_dasch3

最初は硬く感じたその声も、何度も聴くうちに耳になじんできた。
清潔で混じりけのない声質、ヴィブラートのかからない真っすぐな声。
10回目、聴いてます。
彼女の声のイメージが、耳にしっかり刻まれましたよ。

映像もいくつか観たけれど、雰囲気が可愛いことも手伝って、とても生き生きと快活な歌唱に感じる。ライブや劇場の人なのだろうか、CDには彼女のよさはおさまりにくいのかもしれない。
このあたりは、これから実績を積んで、エンターテイメント的な要素も加えて伸びてゆくのではないでしょうか。

「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「牧人の王」「ツァイーデ」
「皇帝ティトウスの慈悲」「魔笛」「ルチオ・シッラ」「コシ・ファン・トゥッテ」

  マルク・ピオレ指揮 ベルリン古楽アカデミー
                    (2007.ベルリン)


ドンナ・アンナとエルヴィラのふたりの女性の歌い分け、広い音域を駆使しヴィテリアの技巧を限りとするアリアの素晴らしさ、短いながらもドラマテックな声の威力を感じるルチオ・シッラ。
清廉な雰囲気が良く出ているフィオルディリージ。
 古楽オーケストラとのシナジーもとてもよくて、聴くほどに楽しめるアンネッテ・ダッシュのモーツァルトでございました。

テレビのインタビューとかで、いくつかネット上でその素顔を確認できるけれど、彼女、とっても気さくで明るい。
で、あたりまえのことだけど、彼女のドイツ語がこれがまた実に美しい。

歳とともに、ますます美人に弱い、さまよえるクラヲタ人。
また一人、お気に入りご贔屓歌手を加えましたぞ。

ザルツブルク音楽祭でのモーツァルト「牧人の王」。
表情がいいです。
指揮と演出は、おそらく来年バイロイトに登場する、次期北ドイツ放送響の指揮者、ヘンゲルブロックであります。すんばらし~い

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2010年7月16日 (金)

ヤナーチェク グラゴル・ミサ マッケラス指揮

Tokyo_catedral_1
東京カテドラル
近くで打ち合わせがあったので、足を延ばしてみました。
さすが、司教座のある東京の教会。
大きいものです。
そして、音楽ファンにとって忘れられないバッハやブルックナーの演奏会場としての大伽藍を持つ教会。
カトリック教会だけど、教派などは関係なく、音楽がいまにも響いてくるような雰囲気。

Janacek_glagolitic_mass_mackerras
サー・チャールズ・マッケラスが7月14日にロンドンで癌のため、亡くなったそうです。
享年84歳。
アメリカ生まれのオーストラリア人で、イギリス籍を持ち、チェコの音楽、とくにヤナーチェクのスペシャリストでもあったマッケラス氏。
実にいろんな顔を持つ多彩な指揮者でありました。

オペラも得意だったマッケラスは劇場の人でもありました。
モーツァルトやワーグナー、ヴェルディもよく指揮したが、なんといってもヤナーチェク、ドヴォルザーク、スメタナのオペラ。
ことにヤナーチェクにおいては、マッケラスがいなかったら、今のような受容状況にはならなかったに違いない。
70年代後半から、ウィーンフィルと録音を続けた一連のオペラ。
デッカの鮮烈な録音に、ウィーンフィルの魅力的な音色が、難解だったヤナーチェク作品をどれだけ魅力的にしたことであろう。
 ターリヒ仕込みの、根っからのチェコ魂を身につけていたマッケラスの学究的・献身的なヤナーチェクへの愛情が、いま残された数々の音源に息づいている。

マッケラスの偉業は、ヤナーチェクを主体とするチェコ系の音楽、英国音楽、そしてモーツァルトでありましょうか。

 キリスト伝来時の当時のボヘミアで、スラヴ語による布教をたやすくするため考案された文字がグラゴル。
 ヤナーチェクは、当時のグラゴルによる通常ラテン語ミサ典礼文に作曲をした。
それが本日、マッケラス追悼に取り上げた「グラゴル・ミサ」であります。

言葉が違うだけでなく、その造りも風変わりで、曲の前後に、有名なシンフォニエッタ顔負けの勇壮なファンファーレが付いているのだ。
おまけに、最後のファンファーレのひとつ前、オルガンのソロ曲が入ってる。
それらに挟まれて通常ミサ典礼文が5つ。
キリエ・グロリア・クレド・サンクトゥス・アニュス・デイ。

宗教的な雰囲気は、むしろ薄く感じられ、明るく前向きな人間讃歌のようにも聴こえる。
ヤナーチェクのオペラが持つような深い洞察力や、皮肉や諧謔といった内向的な部分は少なめだけれど、彼独特の人間に向けた優しい眼差しを感じ取ることができる名曲。

 S:エリーザベト・セーデルシュテレム A:ドラホミラ・ドロブコヴァ
 T:フランティシェク・リヴォラ       B:リハルト・ノヴァーク

 サー・チャールズ・マッケラス指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
                      プラハ・フィルハーモニー合唱団
                      オルガン:ヤン・ホラ
                           (1984 プラハ)


当時ウィーンとしか録音がなかったマッケラスのヤナーチェク。
レーベルを横断して、ついに本場チェコフィルとも録音をしたことで話題になった1枚。
ヤナーチェクの独特な語法を難なく引き出すマッケラスの指揮。
熱いけれど、整然としていて知的なアプローチ。
 録音に積極的だったマッケラス。
これからもヤナーチェクに関しては、ずっとスタンダードとして語り継がれてゆくことでありましょう。

サー・チャールズ・マッケラスのご冥福をお祈りします。

Tokyo_catedral_2
上から見ると十字架の形。
メタリックな輝き。
これ、一瞬、ベルリンのフィルハーモニー・ザールに似てる。
そう、今日、7月16日は、カラヤンの命日でもあるんですね。もう21年。
合掌。

追記~17日 0:40
 テレビで、新世界ナウ。
BBC響の唯一の来日公演の模様。
実に味わい深く、ブレのまったくない名演じゃぁないですか
ビエロフラーヴェクは、プロムスのCDやトリスタンの映像で、大物への変貌ぶりを感じていたのだけれど、この人は本物ですな。
マッケラスのあと、英国とチェコをつなぐ、ヤナーチェク指揮者になった。
                          
                   

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2010年7月14日 (水)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ミンコフスキ指揮

Nagoya_sushi1
先週のこと。
久しぶりに名古屋へ行ってきました。
今回の飲みは、駅周辺で、メニュー豊富な居酒屋さんと、そのあと、お寿司をちょっとつまみに、柳橋中央市場に隣接する「丸八寿司」に。
 ここは、安くて愉快。
ご覧のとおり、ちょっと変わった巻ものがあるんです。
名古屋らしものから、エッチなもの、風刺の効いたものなどなど

この中から、私が選んだのは、不感症巻にございます。なにせ、オヤジですからね
どんなものかは、記事の最後のお楽しみ~

Berioz_sym_fantastique_minkowski

ベルリオーズ幻想交響曲を。
久々の有名名曲に、みなさんホッとされたのではないでしょうか(笑)
実は、幻想は、わたくしのフェチ曲のひとつでして、いまはストップしてますがね、かつてはCDショップの巡回コーナーのひとつがこの作品だったんです。
フランス系のマイナーオケや指揮者で聴きたかったし、パリのオケもそう。
ドビュッシーの海も、フランクのニ短調もそう、おフランスの香りを求めたのでございますな。
今日、棚を調べたら25種類の幻想がありました。
月一回、幻想デーでもやろうかしら。

その第一回は、いま乗りまくってる指揮者マレク・ミンコフスキを知るきっかけとなった1枚です。
このCDは、2002年のライブ録音で、2003年に発売されたときに即購入。
目の覚めるような新鮮な喜びを、この演奏に見出したのが昨日のことのよう。
手兵のレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルマーラー・チェンバーオケとの合同演奏だが、楽器はどんな風になってるのか不明。多分、新旧混ぜての演奏かも。
 でも、そんなことを微塵も感じさせないくらいに、完璧な演奏で、いつものミンコフスキのとおりに切り口が鮮やかで、もぎたての林檎のような爽やかさと、鮮度の高さが横溢。

ともかくユニークな幻想で、聴いていて、あれっ、と思ったりするし、フランス・バロックの曲を聴いてるような錯覚におちいる瞬間もあったりする。
歳をとると、威勢のいい第4、第5楽章よりも、1~3楽章、とくに3楽章の「野の風景」の抒情味に心感じたりするのである。
で、このミンコフ盤は、この楽章が実に入念で味がある。普通とは全然違うゆったりめのテンポに、強烈なティンパニの雷の連打。
これがあるから、続く「断頭台への行進」の痛烈さが引き立つというもの。
清潔な1楽章もいいが、「舞踏会」のワルツが実に美しい。
微妙なポルタメントに、繊細な限りを尽くす弦楽器。
透き通るような美しいワルツで、曲が終わったあと、弦をハープをはじめ奏者が解放し続けて、それがホールに残響となってずっとこだましている。美しい瞬間だ。
 最後の「ワルプルギスの夜」の原色の生々しさと後半のモーレツなスピード感は、興奮なしにはいられませんぜ、お客さん。

まったく、ミンコフスキという人は、何をしでかすかわからない指揮者であります。
カップリングにベルリオーズの初期出世作で、幻想の旋律も出てくる歌曲集「エルミーニ」を選ぶところもさすがといえよう。

Nagoya_sushi2
さて、不感症巻きの答えはこちら。
たこ、はまち、まぐろの混合巻き。
で、何が不感症かって・・・

貝類がまったく入ってないからなんだそうな。
う~む・・・・、でげすな。
で、その隣の泡ランド巻は、貝だけ。
お隣の飲み助さん1号が食べてます(笑)
ふたつでセットか、このオヤジ系巻ものは

今日の演目と違って、ファンタジーはあんまりない寿司でしたが、ネタは新鮮、味もグッドにございましたよ。

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2010年7月13日 (火)

ロパルツ レクイエム M・ピクマル指揮

Otsu_church_5
教会の堂内に差す光は、神々しくも、心を透かしてしまうような清々しさがある。
教派によってその建築法も違うのでありましょうが、採光に心を配っているのは、どちらも同じ。
かつては、文字を理解しない人々のために四方に据えられたステンドグラスが、それこそ絶妙に映えるのであります。
 こちらは、以前に訪れた「大津教会」。
100年の歴史を刻む、珍しい瓦屋根をいただく教会。

Ropartz_requiem
ジョセフ・ギィ・ロパルツ(1864〜1955)は、ブルターニュ地方に生まれたフランスの近代作曲家で、大学で法学を専攻しつつも、音楽が好きで学生オケを指揮しつつ、その情熱は止むところがなく、パリ音楽院にさらに進んで、作曲家となった人。

年代的に、私の愛好する世紀末軍団のひとりでもあるが、その作風は後期ロマン派風ではありながらも、敬愛したフランクやフォーレの影響が多大で、全音階に基づく、フランスの穏健な抒情派とみてよいかもしれない。

ロパルツの作曲したジャンルは、交響曲・管弦楽曲・室内楽・器楽・オペラ・歌曲・宗教曲、といった具合に、クラシック音楽のすべてを網羅した広範なもので、ここ数年で、かなり多くの音源が出て、その全貌を確認することができるようになった。

5年以上前に、名前は知りつつも何気なく買ってはいたものの、あまりに甘すぎる音楽に、これはいかがなものかと、勝手に思い込み、それっきりにしていたムッシュー・ロパルツ。
 それが、ソプラノのドゥランシュ目当てに購入した、オペラ「故郷」が素晴らしく美しく、かつ劇的なものだから、このレクイエムを改めて聴き直した次第。

このレクイエムは、フォーレのそれを系譜に持つ抒情派ミサ曲で、全編が静かで優しく、聴いていてフォルテが一か所もないのではないかと思うほど。
ディエス・イレ、トゥーバ・ミルム、ラクリモサを欠き、ピェ・イエズスが入り、最後には、楽園にてで、締めくくるのもフォーレと同じ。
しかし、独唱はバリトンは入らないで、ソプラノとメゾ・ソプラノの女声ふたりによる。

1937〜8年の作品で、先輩フォーレのレクイエムは、1887年。
後輩デュリュフレのこれまた美しいレクイエムが1947年であります。

このロパルツのレクイエム。
ともかく美しい。そして甘味ささえも漂うくらいに神への祈りにあふれた敬虔な作品。
あまりにきれいなものだから、宗教感など持たずとも、ヒーリング的に癒しの音楽として受け止めて聴いても全然OK。
ピェ・イエズスは、それこそフォーレそっくりのムードで、無垢なソプラノ独唱と純な合唱とによる極めて優しい音楽でありました。

  ソプラノ:カトリーヌ・ドゥボー  メゾ・ソプラノ:ジャクリーヌ・メユール

   ミシェル・ピクマル指揮 ジャン・ワルター・オードリ・アンサンブル
                  イル・ド・フランス合唱団
                          (録音:90年頃)


名前の知らぬ演奏者の方々、なかなか心のこもったいい演奏ではないでしょうか。

Otsu_church_1
瓦屋根の大津教会。
十字架とも不思議なマッチング。
いまにも、戦国の切支丹大名が出てきそうな雰囲気であります。

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2010年7月11日 (日)

シュレーカー 「Flammen~炎」 ストローベル指揮

Tokyo_tower
東京タワーを三田方面から望むの図。
このオレンジカラーのバージョンは、冬ものなんです。
いまもそう。
いつ降るかわからない雨で、夏バージョンの白色に電球交換作業ができないのだそうです。
次の予定では13日に衣替えといいます。
無理に換えなくても、これはこれでいいと思うんですけどね。

Schrekker_flammen
フランツ・シュレーカー(1878~1934)のシリーズ。
完成された9作あるオペラの第1作、「炎」~Flammenを聴きます。
シュレーカー24歳の若書きで、彼のオペラは常にそうだが、台本もすべて自分で書き上げ、ウィーンにて学生たちによって初演された。
もともとのテキストは、シュレーカーが歌曲をたくさん付けている、ドラ・レーン(Dora Leen)。
初演ののち、ほどなく、オーケストレーションを施している。

作品10ではあるが、すでにかなりの作品を残しているものの、のちの濃密かつユニークな痺れるような大オーケストラサウンドを知るものとしては、かなり先達たちの強い影響下にある折衷的な音楽に聴こえる。
 その音楽は、ワーグナーというよりは、R・シュトラウスの古典風なスッキリサウンドでもあり、響きとしてはブルックナーのスコアを学んだとされるように、ホルンや低弦の重奏に多少の野暮っぽさも感じる次第。

中世十字軍派遣の時代の夫婦の物語で、忠誠を誓いつつも堕ちてしまい、やがて死を選ぶ女性を描いていて、こうした女性をかたちを変えつつも常にオペラの素材に求めたシュレーカー。変わっているといえば変わってるし、ひねくれてますな。

80分以内でCD1枚のオペラ。
15のシーンを前奏曲と間奏曲で二つの場に分けたシンメトリー構成。

 皇太子:アダム・クルーツェル   イルムガルト:クリスティン・ティーゼン
  アグネス(イルムガルトの妹):レスリー・ボーリンガー
 吟遊詩人:オイゲン・プロクター  未亡人マーゴット:ザビーネ・ヒューズ

  フランク・ストローベル指揮 ミュンヘンPPP劇場アンサンブル
                           (1989.8 @ミュンヘン)

吟遊詩人が、皇太子留守中の館にやって来て祈りをささげ、そこに滞在することとなる。
マーゴットが改めて歌う。
皇太子が十字軍に従軍し聖なる戦いに出征している。残した妻のがほかの誰かを愛するようになっていたならば、帰郷したときの、妻への挨拶の接吻が彼女に死をもたらすだろうと、その皇太子は言い置いて出ていったと。
 イルムガルトは妹と語る。夫の言葉は日々重くのしかかっていると。
純情な妹は、兄さんも遠い国で3年の間、あなたのことを思ってるのよ、と歌う。
 先の吟遊詩人の歌に妹アグネスは心動かされる。
ところが、テノール役の二枚目吟遊詩人は、情熱の歌の矛先をイルムガルトに向ける。
熱い歌の数々に、ついにイルムガルトもほだされ、二人揃って愛を高らかに語り始めてしまうのであった。

ところが、そこへ、夫の皇太子が帰還するとの伝令が入る。
帰国の喜びに湧く、マーゴット、アグネス、そして人々。
ますます盛り上がり、一緒に逃避行へと走ろうとするイルムガルトと吟遊詩人。
優しいアグネスは、兄が無事に帰り、そして何事も口づけで発覚しないようにと、姉のためにも祈る。
 ところが、イルムガルトは小一時間のうちに、自分の進むべき道を見出し、詩人に別れを告げ、詩人もなんでやねん、とかいいながらも別れ去るのであった。
館を飾り付け、夫の帰りを熱烈歓迎ムードにしたてるイルムガルトに妹も安心。
皇太子の晴れやかな帰還に湧きたつ人々。
おお、妻よ、と駆け寄る夫に、待ったをかける妻は、もうよろけるようで衰弱していて、妹は、姉が死んじゃうと慌てる・・・・。
イルムガルトは、吟遊詩人の歌声に魔法のように引きこまれ、幸せを感じてしまった。
彼の言葉は、詩になり、やがて甘い歌になり、愛を運んできたの。
でも彼は死も運んできた。
この燃えるような感覚は、今まで知らない世界で、私の魂は炎の中にあるの・・・。
 こうして、わたしはあなたの言いつけにそむきました。
神よお許しください、私は死を選びました。。。。
一方で人々は神を賛美しつつ、


なんだか、はっきりしませんねぇ。
対訳がないので、私も想像も交えてますが、もやもやしすぎですよ。
無理くりに浮気させて、いけない女にして、周りは固いオバサンと純な女子で固めて、際立たせている感じ。
登場人物の顔や性格が、まったく見えない。
 まだまだの若きシュレーカーのオペラ第1作でありました。

演奏してるグループは、ミュンヘンの劇場グループのもので、調べたら、ワーグナーの息子、ジークフリートのオペラを次々に取り上げている実験的な団体。
でも、合唱はヘロヘロだし、歌手も女声の姉妹二人は、かなり危なかっしくてガックシきてしまう。というか、ひどい。なんだろ、これ・・・って感じなんだけど、熱っぽさは大いに評価。
男は、まずまず。
あと、オケも頼りない・・・・。
CPOのキール盤を買うんだった。
指揮のストローベルは、マニアックな音楽、それも無声映画とか隠れた映画音楽などもどんどん取り上げる妙な指揮者で、これはこれで、そうした方面で実力発揮してる人。

演奏は、あれれ、なんだけど、シュレーカーののちのちの顔を拝める、妙に気になる第一作オペラを手軽に聴ける意義は大きく、楽しめました。

シュレーカーのオペラ9作中、この「炎」と「烙印された人々」は取り上げ済み。
あと、「はるかな響き」、「おもちゃと姫君」、「宝捜し」、「クリストフォス、あるいはオペラの幻想」以上4作のCDを手当て済みでして、日々聴いてます。
これらが入手できる音源でして、順次取り上げる予定ですが、この手のオペラは対訳もなく、独語だけのCDもあり、とっても難渋してます。
酔ってる場合じゃないけれど、シュレーカーの甘味かつシャープ、和声の失われつつあるギリギリの音楽は、私にとって、極めて魅力的なサウンドで、ついつい飲んじゃいます。

ヨーロッパの劇場のように、新国でも上演してもらいたいなぁ。
いまの状況では無理だろうな・・・・。 

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2010年7月10日 (土)

ドヴォルザーク 交響曲第7番 セル指揮

Oyama1
梅雨もそろそろ末期、ときおり雨脚も強く降るし、蒸し暑い毎日が続きます。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
久々の外呑みは、お馴染みのクラヲタ会小編成バージョンでございました。
ビール瓶一本は入っているかと思われる、巨大ジョッキを激しく上下したことで、本日は、ちょっと肩が痛い(な、訳ねぇって)。
 その飲食状況は、後半に。
まずは音楽。

Dovo7_szell
ドヴォルザーク(1841~1904)は、新世界や8番、スラヴ舞曲、チェロ協奏曲、アメリカばかりで、ほかの曲はあんまり騒がれない。
メロディメーカーだと思うんだけど、どこか地味。
来年は、生誕170年だけど何かあるかな?(170じゃ地味だよな・・・・)

かくいう私も、交響曲はせいぜい5番以降、数あるオペラも「ルサルカ」ぐらい。
室内楽なんかもたくさんあるから、ちゃんと聴かなくちゃ。

今日の交響曲第7番は、ブラームスの3番を聴いて、張り切って書いた曲だけに、民族色濃厚なこれまでの作風から一歩踏み出し、ドイツ風の純交響曲と持ち味の民族カラーの融合した、しっかりした交響曲になっている。

最初と最後の楽章がニ短調で、やや悲劇的なムードを持ってるけれど、それぞれの楽章の第2主題は、優しく田園風で、実に心和む。
で、中間のふたつの楽章が、とてもよろしい。
第2楽章は、ブラームスの3番のそれと似通っていて、とても抒情的で、自然の美しさに溢れて、私は大好き。
3楽章も、8番のスケルツォ楽章を思わせるようなメランコリックな雰囲気で、こちらは民族色濃厚。

この曲の初レコードは、ジョージ・セルクリーヴランド管弦楽団のもの。
ほかもいろいろ聴いたけれど、やはりこれが一番いい。
かっちりとした均整のとれたサウンドは、清潔かつシャープでありながら、歌心もあります。オケもべらぼうに巧いけれど、基本、ヨーロッパトーンなので落ち着けます。

レコード時代は、これ1曲で、1枚だったけど、CDで買いなおしたら、「謝肉祭」「モルダウ」「売られた花嫁」など盛りだくさんで、いまさらながらに、昔はいったい何だったんだろと、思わず遠くを見つめて嘆息してしまう、さまよえるクラヲタ人なのでありました。

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絶品メンチカツに、ハムカツ。
会場は、上野の「肉の大山」。
以前一人で、二期会ワルキューレの後、猛然と肉が食いたくなって来たお店。

お肉屋さんの経営するレストラン兼立ち飲み兼居酒屋。
お肉系料理主体に、いやというほどの豊富なメニューにお酒各種。
そしてものすごく安い。当然ウマい

左党さんminaminaさん、と3人。golfさん は都合つかず残念でしたが、ご想像どおり、ともかく呑み助軍団ですからして、巨大ジョッキを難なく空け、日本酒にワインに、ハイボールにウーロンハイ。
店の兄ちゃんに、そろそろお時間ですと言われてもお構いなしに飲んでる。

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アツアツ・ジューシーなメンチカツの断面の図。
箸をいれたら、肉汁がほとばしり出て、シャツを汚しちまった。
どーしてくれんだ、大山さん

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名物煮込みを背景に、日本酒つるつる一杯。
高知の銘酒「南」ざぁます。
うっひょーーーん、これ、おいちいーーー。

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牛肉と野菜の鉄板焼き            馬刺し

どうぞ、クリックして大きくしてご覧ください

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2軒目は、「日本酒Bar夜行列車」で、上喜元(でしたっけ?)をつるつる一杯。

今回も音楽談義はとどまるろころを知らず、最近か細いわたくしの記憶によりますれば、アバド愛、シベリウス讃歌、キテレツ・ポゴ、マーラー教、オペラ布教・・・・なんぞを語り明かしたようでございます。
みなさん、お世話になりました。

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2010年7月 9日 (金)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 デルネッシュ

Hanachou
鹿児島の芋焼酎、「花と蝶」。
今は、「花蝶木虫」という名前になってしまった。
かなり濃い口の芋で、これだけ自己主張があると、ツマミはいらない。
何があったか知らないけれど、昔の名前の方がいいな。

森進一の「花と蝶」。

  花が女か 男が蝶か     蝶のくちづけ うけながら
  花が散るとき 蝶が死ぬ  そんな恋する 女になりたい
  花が咲くとき 蝶が飛ぶ   蝶が死ぬとき 花が散る
  春を競って あでやかに   どちらもどちらも 命を賭ける
  花のいのちは 短いけれど 蝶のいのちも はかなくて
  花が散るとき 蝶が死ぬ  そんな恋する 二人になりたい

短い命をひさぐ、刹那的な「花と蝶」。
まさに艶歌でございますな。
こんな風に生きてしまったら、とっても家庭なんて築けないし、子孫も築けないわけなんだけど、人間どこかそんな甘味な思いを抱いているから、そんな歌が流行ったし、こんな焼酎を陶然として飲んだりしてるわけです。
 え?、わたくし? 
わたくしにそんな甲斐性はございません。
音楽がいつもあればいいんです。シュトラウスの甘味な世界に遊べればいいんです。

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R・シュトラウスのわたしの最愛のオペラ(楽劇)、「ばらの騎士」を抜粋ながら聴きます。
このEMIの1枚は、マルシャリンを歌う名ソプラノ「ヘルガ・デルネッシュ」ゆえに手に入れたものであります。
デルネッシュ以外の歌手は、さほど大物でもないし、指揮はギブソン、オケはスコティッシュだしで、ちょっと地味。
何ゆえにこれがレコーディングされたかは不明なれど、70年代最高のワーグナー・ソプラノだったデルネッシュのマルシャリンが聴けるという意味で、極めて貴重なもの。
全曲ライブの別途あるらしいが、発売された形跡はない。

デルネッシュは、1939年ウィーン生まれで、ウィーンやケルンで活躍後、65年、ベーム&ヴィーラントのリングの端役でバイロイト・デビューを飾り、数年でまたたく間に主役級を射止め、さらに69年、カラヤンに認められブリュンヒルデとしてザルツブルクデビュー&レコーディングを成し遂げた順風満帆の歌手なのだ。

カラヤンとの、ブリュンヒルデとイゾルデ、レオノーレ。
ショルティとのエリザベート。
これくらいしか正規録音がなく、残念なデルネッシュだけれども、それらはみな、ニルソン後の新時代のリリックで女性的なワーグナー歌唱として、いまでも極めて新鮮な歌唱として記憶される素敵な歌唱なのであります。
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 そして、なんといっても舞台映えするスマートな美人。
ビジュアルと歌唱で言ったら、リゲンツァやマイヤーと並んで、最高のブリュンヒルデとイゾルデであります。

70年代後半から高音域に支障をきたし、メゾに転向。
80年代は、やはりショルティに可愛がれ、録音もいくつか残したけれど、私にとって忘れらない、デルネッシュとの初出会いは、84年のハンブルクオペラの来日公演における「影のない女」。
かつての持ち役の皇后やバラクの妻ではなく、乳母役だったけれど、その神々しいまでのお姿と輝くばかりに美しい声は、メゾの音域とはいえ、ふるいつきたくなるような魅力を感じたものだ。
メゾ転向後は、性格的な役柄でもって、舞台に奥行きを与える名手として活躍しているデルネッシュさまでございます。

この抜粋盤では、尻切れトンボみたいで、彼女のマルシャリンを十全に楽しむいは至らないけれど、カラヤン盤で聴き親しんだあのステキで高貴なデルネッシュのお声がちゃんと確認できるのがうれしい~。
混じりけのないピュアな声で、怜悧。でも女性的な温もりもあるんです。
優しい大人の女性とともに、1幕のモノローグでは諦念も滲ませる素晴らしい歌唱。
3幕の若い二人を前にしたマルシャリンの気丈さと悲しみも、ほんの少しの場面ながら味わえます。
やはり、全曲盤が聴いてみたい。
へたくそな、テノール歌手のアリアなんか省いてしまって、彼女の場面をもっと挿入すべき抜粋盤であります。

 マルシャリン:ヘルガ・デルネッシュ  オクタヴィアン:アン・ハウェルズ
 オックス男爵:ミカエル・ラングドン   ゾフィー:テレサ・カーヒル
 ファーニナル:ゴードン・サンディソン テノール:デレク・ブラックウェル

  アレグサンダー・ギブソン指揮スコテッシュ・ナショナル管弦楽団
                          (1974.11@グラスゴー)


スコットランドのギブソンと郷里のオケは、なかなかのもの。
ギブソンは思いのほか熱い指揮をする人で、オペラも得意。

誰にもお薦めというわけにはいかない1枚なれど、70年代、デルネッシュに憧れた方には是非にも聴いていただきたいです。

「ばらの騎士」過去記事 (たくさんあります)

「ばらの騎士」~ワルツ ワルベルク指揮

「ばらの騎士」 クライバー指揮

「ばらの騎士」 アルミンク指揮 新日本フィル

「ばらの騎士」 ドホナーニ指揮

「ばらの騎士」 沼尻竜典指揮 ホモキ演出

「ばらの騎士」 ルイージ指揮 ドレスデン国立歌劇場

「ばらの騎士」 W・メスト指揮 チューリヒ歌劇場

「ばらの騎士」 シュナイダー指揮 新国立劇場

「ばらの騎士」 バーンスタイン指揮

「ばらの騎士」~組曲 プレヴィン指揮

「ばらの騎士」~抜粋 ヴァルヴィーゾ指揮

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2010年7月 8日 (木)

マーラー 交響曲第1番「巨人」 バルビローリ指揮

Rose_pork_misawa

 お腹の空いてる方、こんな「とんかつ」画像お見せしちゃってすんません
最近、ネタ不足なもんで、古めの写真を引っ張り出してます。
こちらは、茨城県小美玉市(小川、美里、玉里が合併~うまいこと付けた名前じゃないか)の旧小川町で食べたもの。
なんで、こんな変哲もない「とんかつ」画像を出したかというと、このお肉がべらぼうにウマイのである。
 茨城の銘柄肉のひとつ、「茨城ローズポーク」なんですわ。
自分の別館ブログに書いたことを参照にすると、いろんな系統豚を選りすぐって生みだした銘柄豚で、茨城の県花のバラの名前を冠したとあります。
 このお肉、ともかくジューシーで甘い。肉汁じゅわ~の、ころもカリカリで、口中が幸せの境地になるんですわ。

美沢」というロードサイドのちょっと大丈夫?的なお店だけど、味はばっちり。
でもじっくり、というか、のんびり調理していて、出てくるまで時間がかかる。
隣に座ってたおじさんは、あんまり出てこないもんだから眠りだしてしまい、しまいには熟睡状態。
料理をようやく運んできたおばさんに、ご飯できましたよーーーと揺り動かされる始末で、こっちは笑いをこらえるのに苦労しましたよ(爆)

音楽記事のあとにも、もう1軒ありますからね。

Mahler_1_barbirolli

 今日は、マーラー初心に帰って、交響曲第1番「巨人」を聴いてしまおう。
 このバルビローリのパイレーベルへの録音は、現在はあまり知られていないかもしれないが、70年代、テイチクがパイ録音を大量に廉価盤として発売したときに、数あるバルビローリ演奏の中のひとつとして含まれていたものだ。
当時は詰め込みすぎの痩せたステレオ録音だったが、CDで復刻したときは、モノラル録音として発売された。
1956(7?)年の録音だが、音は素直で、コシもあってとても聴きやすいもので、バルビローリの特徴あるマーラーを堪能できる。

バルビローリのマーラーは、放送録音が続々と発掘されて、それらも合わせて、今聴けるのは、1、2、3、4、5、6、9の7曲で、あと7・8番だけみたい。
バルビの7番なんて、合ってそうだし、8番もきっとやたら感動的なんだろうな・・・・。

それにしてもバルビローリが、70年の万博の年の来日直前に亡くなってしまったのは、われわれ日本人にとって痛恨の出来事であります。
まだ70歳だったし、これからの歳なのに。
で、ニュー・フィルハーモニアとの来日には、この「巨人」の演奏が予定されていたはずだ。
(いや、5番だったかな・・・・。変わりの指揮者はプリッチャードかダウンズだったか、NHKで放送されてました~無念)

で、この巨人は、オケの技量がやや気になるところはあるものの、実に味わい深い。
作今の、こぎれいで、バリッとした痛快な1番の演奏とくらべると、もっさりしてるし、流麗さや切れ味もなし。
でも、全編にみなぎる優しい歌心はどうだろう。

1楽章で、主部が組成されるまでの心をこめた盛り上げ方。
ゆったりしたレントラーの2楽章での中間部、これぞポルタメントの王道と思わせる甘い弦。
はらはらするくらいのコントラバスのソロに導かれた3楽章は、テンポの揺れがそれこそ自由自在で、かなり好きにやってるけれど、これが面白い。
で、爆発的なエンディングを抱える終楽章は、まさにそこにむかってじっくりと突き進み、途中また甘々の泣き節ポルタメント攻撃にあって、最後に至っての驚きの怒涛の高揚感と大解放感。何もここまで・・・、という気もしなくもないけど、いまやこんな風にマーラーを聴かせる指揮者はいません。
どろんどろんした情念型の演奏ではなくって、歌と優しさにあふれた、しっとり型のマーラーといえよう(と申せましょう)。

これがロンドンの優秀なオーケストラだったら、また違った味わいが出ていたかもしれないが、1番の場合、ハレ管のやや鄙びた雰囲気がいい具合なのだ。
ちょっとユニークなマーラーだけど、私は聴いていて、バルビローリの大傑作「蝶々夫人」が聴きたくなってしまった。
マーラーもバルビローリも、オペラ指揮者なんですな。

Yamachu2_2

 もうひとつ、ローズポークが食べれる店。とんかつ「山忠」。
こちらは取手なので首都圏の方も近いです。
6号線沿いの大型店で、昼時はいつも混んでます。
こちらは、特選ロースなんだけど、塩で食べるのが甘さが引き立って一番なんです。
ムチャクチャ旨いよ~

こちらの「とんかつ山忠」の過去記事

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2010年7月 7日 (水)

気持ちエエ「にゃんにゃん」

1

おっ、某駐車場で見つけましたよ、「にゃんにゃん」1号。
なにやってんだろ

2

取材班は、単身しずしずと怪しまれないようにカメラを構えつつ「にゃんにゃん1号」ににじりよるのでありました。

3

すると取材班の不安をよそに、にゃんにゃん1号は、体制を替え、このようなお気楽なポーズをとったのであった。
あっ、マズイ。
丸見えでねぇか
公開にあたって、モザイクを入れさせていただきます。
あしからず。

4

取材班の気配に気がつき、瞳孔を細める「にゃんすけ1号」(♂でした
おもろい格好やのう・・・・。

5

その体制から、またもやハグハグと熱心に・・・・。

6

 ひょい。
見事なポーズ。
でもお顔は股間に
ちょっと、あんた、取材中に困りますよぅ~
しっかし、足裏汚ねぇ~

7

あらよっと。
右足、左足、巧みなもんですな。

8

ふぁ~っ、気持ちエかった~
うふぅーーーん。

は、そうですか。
取材班のことなんか、ひとつも気にとめてくんないのね
さいなら。

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2010年7月 6日 (火)

ラモー 「サンフォニー・イマジネール」 ミンコフスキ指揮

Taiyaki_tetsuji_3_2
まぁるい「たい焼き」食べました。
東京駅の大丸の地下に売ってますよ。
たい焼き鉄次」というお店。
たい焼きは、尻尾がなくちゃ! と言われるのもごもっとも。
でも、この丸いたい焼き、とてもウマかった。
薄皮のパリパリ、ずしりと重く、あんこぎっしり。食べ応えありですよ。
 これを頬張りながら、広い東京駅を歩くもよし、お家で、温め直して熱いお茶と食するもよし。
Taiyaki_tetsuji_1
1個買っても、こんな凝った包装@160円也。

Rameau_minkowski
今日は古楽演奏を聴きます。
「さまよえるクラヲタ人」では珍しいエントリー。
でも、バロックオペラを中心に最近聴いているんですよ。
それと、かつては中世ルネサンス音楽に相当はまった時期もあったのですよ。

で、このところお気に入りのマレク・ミンコフスキラモーを聴くのであります。
ミンコフスキは、ラモーやリュリの演奏で名を上げ、グルック、ヘンデル、バッハとそのレパートリーも時代を昇ってきて、古典からロマン派の音楽までを広範に取り上げるオールランド指揮者になってきた。

その音楽は、熱心で熱き探究心を伴った説得力の高いもので、緻密な考察を経ながらも、それらが頭でっかちの無味乾燥なものにならずに、常にいきいきとした鮮度の高さが保たれていて、数百年前の音楽が、今生まれてきたばかりのような新鮮さで目の前に展開されるのだ。

ジャン=フィリップ・ラモー(1683~1764)のオペラがいくつ存在しているかは、不明だけど、いまや、オペラのジャンルにしっかりと根をはっていて、ちょっと昔には思いもよらないことだった。
古楽器による演奏法の確立と技術的な進歩、そして優れた歌手たちの台頭、そしてなによりも優秀な指揮者たちの活躍によるところが大きく、映像というツールの存在も大きい。

「サンフォニー・イマジネール」とは、「空想の交響曲」とでいうのであろうか。
ラモーの11のオペラから、序曲や劇中バレエ、前奏、舞踏曲などをミンコフスキが選びだし、順番も独自に配して、一夜のシンフォニー・コンサートのように仕立てあげたもの。
約1時間、2分から長くても6分くらいの活気みなぎるラモーの音楽の洪水を浴びることになる。

1. 英雄牧歌劇《ザイス》 序曲
2. 音楽悲劇《カストールとポリュクス》 葬儀の場
3. オペラ=バレ《エベの祭典》 優美なエール
4. 音楽悲劇《ダルダニュス》 タンブーランⅠ&Ⅱ
5. オペラ=バレ《栄光の神殿》 女神たちのための優美なエール
6. 音楽悲劇《レ・ボレアード》 ロンドー形式によるコントルダンス
7. アクト・ド・バレ《オシリスの誕生》 優雅なエール
8. 音楽悲劇《レ・ボレアード》 時とゼフィールのためのガヴォット
9. バレ・ブフォン《プラテ》 嵐
10. 音楽悲劇《レ・ボレアード》 前奏曲
11. コンセール 第6番(六重奏による6つのコンセールから)めんどり
12. オペラ=バレ《エベの祭典》ロンドー形式によるミュゼット
タンブーラン(第3アントレ: 舞踏)
13. 音楽悲劇《イポリトとアリシ》 リトゥルネル
14. 英雄牧歌劇《ナイス》 リゴドンⅠ&Ⅱ
15. オペラ=バレ《優雅なインドの国々》 未開人の踊り: ロンドー
16. 音楽悲劇《レ・ボレアード》ポリヒュミニアのアントレ
17.

オペラ=バレ《優雅なインドの国々》シャコンヌ

マレク・ミンコフスキ 指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーブル
                       (2003.6 ポワシー)

どの曲も、おっそろしく弾んでる。
聴いていて、こちらも弾んでくる。
心に、体の中のリズムに、手や足に、それぞれに刺激してくるものだから、気持ちいいことこのうえない。
オペラの中のオーケストラによる聴かせどころだし、バレエの見せ場でもあるから、短いながらも、個々に力のこもった作品ばかりで、これらをこうして連続聴きすることは、ラモーも想定してなかったことだろうけれど、ここまで鮮やかに、そして屈託なく明るく楽しくやられては、誰も文句のつけようがないのだ。
 これはまさにエンターテイメント
昨年のミンコフのライブは、行けなかったけれど、びっくりの仕掛けが満載。
クリスティ門下だけど、パトリシア・プティボンの魅惑のコンサートにも相通じるものがあるかもしれない。
日本人には、なかなかできそうにない、ラテン系のノリのよさでもあろうか。

これらの中では、プティボンのかかわいいダンスが印象的だった「優雅なインドの国々」が楽しくも愛らしいし、湧き出す感興がいかにもオペラの序曲らしい「ザイス」。
悲しみに満ちた葬儀の場、ノリノリで思わず指揮がしたくなる「ダルダニュス」。
「レ・ボレアド」も体が動きだしちゃう緩急豊かな活きのいい曲。同じオペラからでもは、優雅な雰囲気。
ぽつぽつ雨が、一気に風吹き荒れる悪天候に、「プラテ」の嵐は、すさまじいテンポで駆け巡る音楽。
は有名ですな、めんどり。田園曲のような
は、これらの中では大曲風で、交響曲の緩徐楽章のような「レ・ボレアド」とスケール大きな終曲「優雅なインドの国々~シャコンヌ」。

何度も聴いてたら、どれもこれも楽しくて好きになってしまった。
お酒をちびりちびりと飲りながら、ちょっと酩酊加減で聴くと、これまた空想の中に遊ぶがごとく楽しみもございますよ

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ラモーに、たい焼き、合うかも

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2010年7月 4日 (日)

ヤナーチェク 「死者の家から」 アバド指揮

1

アバド特集ラスト。

オペラ指揮者としてのアバド。
そしてその取りあげる演目への眼力。

アバドのすごさが一番わかる分野。

アバドの得意とするオペラ。

①クリティカル・エディションや原典・初稿による有名作品
②埋もれてしまった作品の甦演
③人間心理に食い込んだ深いドラマ性を持つ作品
④強い愛着をもって新解釈を施す作品
⑤その他

いろいろ跨るかもしれないが、こんな分類が出来るかもしれない。

①ロッシーニの諸作、ドン・カルロ、カルメン
②ランスの旅、フィエラブラス、シモン・ボッカネグラ、3つのオレンジの恋
③シモン・ボッカネグラ、ファルスタッフ、フィガロの結婚、ボリス・ゴドゥノフ
 死者の家から、仮面舞踏会、マクベス、アイーダ、オテロ、ヴォツェック
④トリスタンとイゾルデ、パルシファル、ローエングリン、ヴォツェック
 ペレアスとメリザンド、ボリス・ゴドゥノフ、エレクトラ
⑥ドン・ジョヴァンニ、コシ・ファン・トゥッテ、魔笛、フィデリオ、ルチア、ナブッコ
   
 これらの類型から伺えるアバドの渋好み。。。
イタリア人指揮者なら期待されるヴェルディの有名作品や、プッチーニのすべてが欠落している。当然、ヴェリスモ系のすべても。
マーラーがあれだけ大好きなのに、豊穣な世紀末サウンドともいえるプッチーニを避けているところが面白く、シュトラウスもエレクトラのみ。
これらについては、わたくしもなんともわかりません。
アバドに聞いてみたいところ。
 あと、とりあげようとする意向を持っていた作品に、モンテヴェルディ、タンホイザー、マイスタージンガー、モーゼとアロン、ルルなどがあったはず。これは残念。。。

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アッバードなんて風にNHKさまは呼んでましたぞ。
リベラルな思想の持ち主でもあったアバドが偏愛したのがムソルグスキー。
良家に生まれながら没落し、自ら社会的弱者となってしまったムソルグスキーの音楽やドラマには、弱者への優しい眼差しと、矛盾への怒りがある。

そんなところに共感し続けるアバドが、素材的に類似したヤナーチェク「死者の家から」を取り上げたのも大いにうなずける。
シベリアの収容所を舞台にしたドストエフスキーの小説を原作にしたオペラ。

ヤナーチェク(1854~1928)の9作あるオペラの最後の作品で、文字通り死の年に書かれた。
ヤナーチェクらしい民族風な旋律や、短いパッセージがぎくしゃくと散りばめられたモザイクのような構成は、一度や二度、音源で聴いただけではよくわからない。
ただ、シンフォニエッタの旋律で構成された前奏曲は聴きやすい。
最晩年のものだけになおさらの感はあるが、こうして舞台上演を映像を伴って観てみると、ヤナーチェクの音楽の緻密さと、優しい眼差しが実によくわかるようになる。

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1992年のザルツブルク音楽祭での上演。
暗譜で共感のこもった指揮をするアバド。

 アレクサンドル・ゴリャンチコフ:ニコライ・ギャウロウ
 マリエイヤ:エルズビエタ・シュミトカ  シシュコフ:モンテ・ペテルソン
 ルカ(フィルカ):バリー・マッコーリー  スクラトフ:フィリップ・ラングリッジ
 シャプキン:ハインツ・ツェドニク  大男の囚人:ボイダル・ニコロフ
 小男の囚人:リヒャルト・ノヴァク

  クライディオ・アバド指揮  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                   演出:クラウス・ミヒャエル・グリューバー
                      (1992.8.4@ザルツブルク)

出演者は全員男性。少年役のマリエイヤのみがズボン役で女声。
劇の内容も動きが少なく、渋く、陰惨。
ここに投獄されているのは、みんな殺人犯で、それぞれが劇中で、どうして自分が殺しに至ったかを語り、殺しのいわれを競い合うという犯罪者の黙示録みたいなもの。
新参者は、政治犯のゴリャンチコフで、ひとり毛色が違う。
それぞれが持ついわれなき過去。
それぞれがやむにやまれぬ事情があり、ドストエフスキーとヤナーチェクが深く切り込んでみせた人間の深層心理と、そこへの同情、そして最後は優しさの中に解放してゆく筋書き。
なかなかに深いのであります・・・・・。

ところは、シベリアのイルテシュ河畔にある獄中

第1幕
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 囚人たちのなか、大男と小男がいがみあっていっていて、囚人たちの傍らには、翼折れ傷ついた鷲がいる。(グリューバー演出では、着ぐるみの巨大なトリが座っている)
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そこに連行されてきたのが、立派ななりをしたアレクサンドルで、監獄署長はプライド高いその態度が気に食わず、衣服の没収と鞭打ち100回の刑を命じる。
囚人たちは、仕事(靴の縫製作業)に取り掛かるなか、舞台裏からはゴリャンチコフのうめき声が聞こえてくる。
 犯した罪の告白1人目は、ルカ。
軍隊生活を送っていたウクライナで、獄舎に入れられ、そこで所長の少佐に反感を抱いていた彼は、少佐が自分を神であり皇帝と威張るのに反抗して、ナイフで刺殺してしまう。
ウクライナ人よりナイフを得たのに、彼らに裏切られ、こうしてシベリア送りになったと。


第2幕
 1年後。
アレクサンドルは、少年囚のアリエイアを可愛がり読み書きを教えている。
今日は復活祭なので、囚人たちも休日。
司祭の祝福を受け、食事も楽しい。
そこで、告白2人目。

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1幕では頭の弱いスクラトフが、正気に立ち返ったかのように語りだす。
かつて身持ちの固いドイツ人女性と付き合っていたが、だんだんと疎遠になってしまい確かめると、家族の強い願いを聞いて金持ちと結婚することになったという。
どんな相手か、家まで確かめに行き、窓から覗くと、それは醜い老人だった。
激したスクラトフは彼を殺してしまう。


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ここで、イースターの楽しい演芸コーナーがはじまる。
①ケドリルとドンファン~ドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面のような感じ
②美しき粉屋の女房~三角帽子とドンファンの物語みたいなもの
(囚人たちが演じる劇中劇は、ドタバタ喜劇だけど、皮肉に満ちていて、殺しではなく色恋沙汰の罪の告白といえるかも・・・・。)


劇がおわると、くつろいでいたアレクサンドルに小うるさい小男の囚人が因縁をつけ、大きな湯沸かしポットを倒し、そこにいたアリエイアに大怪我を負わせてしまう。
少年を抱くアレクサンドル。


第3幕
 所内の病院。
少年を看病するアレクサンドル。まわりには、ほかの囚人もたくさん。


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 告白3人目は、シャプキン。浮浪者だった彼は仲間と押し込み強盗を働き捕まったが、担当裁判官が、かつて耳の突き出た書記官に金を持ち逃げされ恨みがあった。
シャプキンの耳は大きく突き出ていたため、彼一人が恨みを晴らす対象とされ、ここまで送られるしまうこととなったという・・・・。


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告白4人目は、シシュコフ。
一番長い告白であるし、このオペラの一番の歌の聴かせどころ。
かつて地主の娘がいて、村一番の悪党フィルカと付き合っていた。
フィルカは地主に持参金を寄こせと迫り、断られると娘との情事を村に言いふらした。
彼女は蔑まれ、父親からもぶたれたりしたが、シシュコフの母の強い説得で、彼は娘と結婚することにした。宴会のあとの初夜の晩、生娘とわかったシシュコフは、頭にきてフィルカのもとに仕返しにゆくが、逆に酔っぱらって騙されていて、お前はバカだなぁ、と笑われる・・・。帰って娘を打ってしまうシシュコフ。
フィルカは兵隊に行くことになり、娘にずっと愛していたと告白。これに娘もほだされ、娘もフィルカを愛していたとこれまた告白。
シシュコフは、娘の首を森の中で掻き切ってしまう・・・・・。

ここまで話したところで、病いで苦しんで呻いていたルカが息を引き取る。
ところがこの男こそ、フィルカであったのだ。茫然とするシシュコフ。


12
ここで舞台は急転直下。
アレクサンドルの名前が呼ばれ、彼が釈放されることとなったのだ。
署長はこれまでの非礼を詫び、囚人たちも喜び、舞台は明るい雰囲気につつまれる。
その時、翼の癒えた鷲が飛び立ち、アレクサンドルは死者が復活したぞと歌う。
囚人たちは「愛する自由」を歌い、憧れと希望を見出す。
アレクサンドルが、ぼくのお父さんと慕う少年を抱きしめ、囚人たちはまた日常に戻るところで幕となる。


最後がややあっけないが、陰惨な中にも明日の希望を感じさせるエンディングに、ヤナーチェクのオペラの素晴らしさを体感できる。

アバドは映画監督でもある演出のグリューバーとの共演が多い。
映像だと横広のザルツブルクの舞台のスケール感がわからないが、動きは少なめで淡々とした演出で、濃いめのブルーの背景に囚人服の黄色が妙に非現実的な雰囲気を高めているし、囚人たちの半分剃り上げた頭髪も不可思議。なんとも評価できません。
数年あとの、ブーレーズ&シェローの映像も観てみたいもの。

歌の内容でいくと、ギャウロウのアレクサンドルはさほどのものがあるわけではないが、そこはギャウロウ。彼がいるだけど、舞台が締まり存在感抜群。
長丁場を美しいバスで歌うペテルソンが素晴らしく、惜しくも亡くなってしまったラングリッや、ツェドニクらの芸達者で性格テノールぶりが実によろしい。
オケもウィーンフィルだけに、アバドの誠意ある指揮のもと、柔らくもリズミカルな音楽を万全にとらえている。

13
ヤナーチェクはこの時が初めてだったが、こんな渋いオペラを、スカラ座時代から一貫して取りあげてきたアバド。
オペラの運営サイドからしたら不安になってしまう、そんなアバドのオペラ気質でありました。

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2010年7月 3日 (土)

ベートーヴェン 交響曲第7番 アバド指揮

Aoyama1
久々のラーメンネタ。
といっても前の画像ですが、成田、といっても住所は富里の、「麺屋青山」。
人気店です。
いま大ブームのつけ麺食べましたよ。
魚介系のスープに柚子が効いていてこってり・さっぱり。
炙りチャーシューも美味。
で、生クリームを注入したという味付け卵がまた美味でした~

まだやってるアバド特集、ラストひとつ前です。

ベートーヴェンの交響曲でいまや一番人気の7番を聴きます。
表題なしながら、もともと人気のあった曲。のだめ効果の最たるものでありましょう。

で、なんたって、アバドのメジャー・レーベル・デビューの曲がこの第7交響曲
今回は、このデビュー盤をはじめとして4種類ある第7を聴いてみるのだ。

Abbado_beethoven
1966年、ウィーンフィルを振っての初録音。
アバド、33歳。当時はまだまだ保守的だったヨーロッパにあって、こんな若造が名門ウィーンフィルを振ってベートーヴェンを録音してしまう。
マゼールもそうだったが、アバドにかける期待と意気込みが感じられるレコーディング。
そのあと、ロンドンでプロコフィエフやメンデルスゾーン、ウィーンではブルックナーの1番。
ベルリンでは、協奏曲にブラームスのセレナード。
若い頃から取りあげる演目がいかにもアバドらしい。

で、こちらの7番。
さぞかし若気のいたり的なイタリアの若者演奏と思いきや、なかなかに堂々たる演奏で、老舗オーケストラに位負けしていない。
ホルンの咆哮が明るく強い印象を与える。
それはまた、ゾフィエンザールでのデッカ録音の生々しさとも結びつき、パンチも効いていて、この曲特有のウキウキ感をもよおすリズムの祭典状態でもある。
レコード時代から聴いてきた1枚だが、やっぱりいい。

Abbado_beethoven78_vpo
ウィーンフィルとの再録音は、87年のライブによる全集録音。
こちらは、メリハリの効いた1回目よりは、マイルドになりオーソドックス。
でも1回目より、思い切り歌っていて、弦楽器も目一杯、弓を引ききって気持ちよさそうだし、管楽器もいかにもウィーンの味わいで楽しい。
外観はきっちりと整っているけれど、躍動感はさすがのもので、時おり音を割るようなホルンでアクセントがとっても効いている。
1~3楽章は、意外と慎重な運びだけど、終楽章にいたり、テンションがかなり上がって、活気あふれるエンディングを迎える。
 ウィーンフィルとも気心が知れ、余裕すら感じさせるけれど、ライブならではの感興も爆発させているところがいい。
当時ウィーンの顔として活躍したアバドの、流麗でかつリズミカル、自信にあふれたウィーンのベートーヴェンである。
ムジークフェラインの響きも美しい。

Abbado_beethoven_bpo1
アバドがベルリン・フィルの指揮者になって再度挑んだベートーヴェンが、ベーレンライター版だったことに、当時少なからず驚いた聴き手が多かった。
1990年に芸術監督就任後、10年を経ての全集。
当初は、従来のブライトコプフ版を使用して、オケがウィーンからベルリンに変わっただけの演奏をしていたアバド。FM放送の音源でいくつか持ってます。

それが、96年の第9のザルツブルク・ライブあたりから、刊行中のベーレンライター版(校訂者は、音楽学者ジョナサン・デル・マーで、かの英国名指揮者ノーマン・デル・マーの息子!)を使用し始めた。
その頃は、あんまり内容を把握してないとか、アバド大丈夫か、などと囁かれたものだが、そこはアバド。数年のうちに全番号を研究し、99年から1年かけて全曲演奏と録音を行った。

古楽器による奏法を意識することが前提となっているベーレンライター版は、音符が変わってしまうことはないが、表情やダイナミクスが異なる。
世代交代進むとはいえ、天下のベルリンフィルでの大チャレンジ。
進取の気性に富むアバドであります。
編成を刈り込み、機動力に富んだ中規模なオーケストラを駆使したこの全集は、初めて聴いたときは、あまりも速過ぎるしどんどん先に行ってしまい、前のめりすぎると感じた。
 でも、不思議なもので、何度も聴きすすめて、さらに1年後の映像作品も観るにつれて、中身のぎっしり詰まった情報豊富な緻密な演奏に聴こえてきたんだ。
アバド好きだから贔屓目に見てるのは確かながら、やり過ぎのジンマンや薄味のガーディナーらと比べて、明らかに総合的なレベルが高く、シャープでかつしなやかなアバドの個性もしっかり出ている。
カラヤン後、数々の革新的なことを成し遂げたアバドの、これまた記念碑的なベートーヴェン。(ラトルは、アバドのあとだから楽です・・・・)

Abbado_beethoven_bpo2
1999年と2000年で、全集をライブ録音したアバドとベルリン・フィルは、2001年にローマで全曲演奏会を行い、映像収録も行った。(第9だけは、ベルリンでの収録)
当時のこのコンビが集中していたベートーヴェンの集大成がこの映像作品である。
これは、極めて素晴らしい。
 実は、このライブと前回の録音との間には1年しかないのであるが、その間にアバドは、胃癌のため手術と療養を行っていて、文字通り生へ生還したばかりの頃なのだ。
そうです、このライブの前には、日本にやってきてくれて、あの奇跡の「トリスタン」やベートーヴェンを聴かせてくれたのであります。

文化会館のオーケストラピットにあらわれた痩せ細ったアバドの姿に愕然としてしまったわたくし。頼むから、もういいから、と念じつつも祈るようにしてアバドをまじかに見守った。
でも、アバドはそんな私の気持ちなんて関係なく、暗譜のまま、長大なトリスタンを鬼気迫るものすごい気力と集中力でもって指揮をして、オケも歌手も全霊をアバドの棒に傾けていて、私もいつしか身動きとれないくらいの緊張感で金縛りにあったようになってしまった。

そんなアバドの凄い指揮ぶりが、このローマでの映像でも感じ取れる。
ともかくすごい気迫と、集中力。
時おりこぼれる笑みがアバドらしいが、死の淵をさまよった人間の到達した境地すらそこには感じる。
オケのむちゃくちゃな気合いの入れ方も尋常じゃない。
みんな夢中です。
終楽章なんて、ベルリンフィルじゃなくちゃできない、ものすごいことになっちゃってる。

映像作品の音源に自然さを出すためのマスタリングをアバドも立ち会ってほどこし、CD全集としても発売されたのがこちら。
耳だけで聴いても、前回録音よりも高密度。一方で自在な歌いまわしも目立つところで、こちらは映像で観てるから、アバドがオケに任せて流れるように指揮をしてる姿が思い浮かぶことになる。
指揮者とオーケストラが、お互い完全に信頼と尊敬によって結びついて一体となっている希有の姿をここに観て、聴くことができるのだ。

この時からすでに10年。
アバドはルツェルンという最強のオケでマーラーを心置きなく指揮しているが、6番のような曲でも笑みを絶やさずに無垢な指揮ぶりを見せていて、この人はいったいどこまでの高みへ向かってゆくのだろうと思わせるのであります。

このところの体調不良は不安材料ですが、きっとまたニッコリと、どこかのオーケストラの指揮台に立ってくれることでしょう。

ベートーヴェンの7番をこんなにたくさん聴いたの初めて。
しかも、この4CD+DVD、自家製CDRなどなど、全部アバドで。
もうお腹いっぱい。
でも、やたらと食傷ぎみだった7番が、とっても楽しく、新鮮に聴けたのもアバドゆえ。

アバド特集、あと1回。渋いオペラいきます。

最後に、4つの演奏のタイム。
全部繰り返し励行してます。

 

    Ⅰ   Ⅱ   Ⅲ   Ⅳ   TTL
 ウィーン66  13'10  9'47  10'06  9'02  42'05
 ウィーン87  14'30  8'37   9'03  8'56  41'06
 ベルリン99  13'22  7'55   8'46  8'08  38'11
 ベルリン01  13'34  7'38   8'58  8'12  38'22

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2010年7月 2日 (金)

ラトヴィア出身のソプラノ コヴァレヴスカ&オポライス

Asuka16
飛鳥山の紫陽花をふたたび。
集真藍~あづさあい・・・・、和名です。これが語源らしい。
そう、青が集まってる、という意味。
日本語って、ほんとにステキ。
そういえば、今をさること大学のサークルの先輩に「あずさ」って女性がいましたよ。
後輩から見たら、大人の女性って感じで、甘酸っぱい思い出がありましたねぇ・・・・・。

Kovalevska1 Opolais1

どうですか、世の殿方諸氏っ

美人でございましょう。

このお二人は、ともにラトヴィア出身のソプラノ歌手。
左が、マイヤ・コヴァレヴスカ
右が、クリスティーネ・オポライス

しかも同じ1979年の生まれ。
そして同じところで学び、ラトヴィア国立オペラでデビューも一緒。
さらにしかも、同じソプラノとして、レパートリーもかぶりが多い。
ミミ、リューなどのプッチーニのロールがそう。

でも、この二人の美しい姿から想像できるように、同じ美女でも持ち味が違う。

Kovalevska2

コヴァレブスカは、スーブレット的な優しい女の子役が多い。
ミミ、リュー、ミカエラ、モーツァルトの諸役など。
それもそのはず、フレーニの弟子なんですもの。
ビジュアル的にもカワユイ感じ。
 こちらの舞台は、2007年のザルツブルク音楽祭の「ベンヴェヌート・チェリーニ」。
ゲルギエフの指揮というところが気になるけど、オケはウィーンだし、マイアちゃん唯一の映像はうれしい。
まだ未入手だけど、楽しそうな演出が、「ローマの謝肉祭」の旋律が散りばめられた親しみやすいベルリオーズ作品ゆえ、お小遣い貯めます。
メトや、コヴェントガーデンでも活躍中。

Opolais3

一方のオポライスは、よりドラマテックな雰囲気。
ミミも悲劇性が強そうだ。
蝶々さん、リュー、トスカ、ヴィオレッタ、リーザ、そしてワーグナーではフライアなんて名前もバイオグラフィーにはあった。
彼女もラトヴィアから世界のオペラハウスに旅立ち、いまやベルリン、ミラノ、ウィーンで活躍中。
彼女のHPを見てたら、同郷の注目指揮者、アンドリス・ネルソンスとのツーショットが多いし、お手々つないじゃってる。
彼らは夫婦なのかもしらん。どこにも書いてないけど。別にいいけど。
 で、クリスティンさまは、来年の6月の新国の「蝶々夫人」で、日本デビューが予定されてます。
これは、大注目。
いまさらながら、新国運営陣の歌手の目利きには頭がさがります。
いながらにして、世界基準の旬の歌手の舞台に接することができるのだもの。

私も含めた日本人的には、声質は違えど、コヴァレブスカの方が好みかも。
でも、ふたりともに生で接し聴いてみたい歌手たちですな。

それにしても、あの赤い国崩壊後、バルト3国から輩出する優れた音楽家たちには目を見張る思い。
ヤルヴィ一族、ヤンソンス親子、その弟子たち、そして秀でた歌手たち。
もともとは、ヨーロッパだった国々が軛が外れて本来の姿に立ち戻ったがゆえか。
ほかの独立した旧ソ連系の国々と、かなり異なる存在に思う。

ふたりの歌で、プッチーニの「トゥーランドット」の気の毒なリューの最後の場面を聴いてみましょう。



まず、コヴァレブスカ。
ひどい画質とブチ切れの音だけど、彼女の歌声から、フレーニの面影を聴きとれるようだ。
白塗りの化粧は、ほかの人物も含めてキモイけれど・・・・。



オプライスは、より迫真的。
はかない命を燃やしてしまった感のあるコヴァレブスカに比べ、オポライスは、命を代償に自己を犠牲にした強烈な死をその演技とともに感じさせる。

どちらのリューも好きだな。

でもどちらも変な衣装に、なりですな。
西洋から描いた東洋は、いまだにどうもいかんです。
オポライスの蝶々さん画像も、なかなか濃いものがありますよ。

最近は、容姿も実力も伴った歌手が多く、演技も女優なみ。
おかげで、ますます手の込んだ演出が映えるようになってきた。
巨漢のカ○・・や、パ○・・らの舞台がいまや遠い昔に感じられる時代。
彼らは音源の中にしっかりとその存在を刻み、私たちの脳裏に生き続けるけれども、いまやオペラは映像で楽しむ時代にシフトしたから、昨今の歌手は、その声で記憶に残るのでなくビジュアルで残るという現象になりかねない。
 これで、いいんだろうか?
もちろん、ちゃんと歌を聴く耳をわれわれが持ち続けていればいいのではあるけれど・・・。

Asuka15

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2010年7月 1日 (木)

バルトーク ピアノ協奏曲第2番 ポリーニ&アバド

Chijimi_1
チジミで〜す
都内南長崎というレアなところにある韓国家庭料理のお店で〜す。
このところ何回かお邪魔していて、親しくなってま〜す
鍋ものとかも極めて美味しいし、韓国冷麺なんて最高で〜す
韓国ワインも飲めま〜す

Abbadopollini_bartok

アバド特集(どこまで・・・・、ご安心ください、そろそろ)

今回特集であえて意識したには、アバドの若い頃と、アバドの合わせもの。
レコード時代からよく言われたこと。
ソリストからみて、コンチェルトの指揮者として共演したい指揮者。
それはオーマンディ、ハイティンク、そしてアバドにプレヴィン。
オペラの得手不得手とはまた違う次元の見解かもしれない。
 協調性にあふれ、ソリストに歩み寄ってくれつつも、オーケストラの統率力は抜群。
そんな共通項がある人たちで、考えたらいずれも私の好きな指揮者ばかり。
ここにマリナーも加えたい。

そんなアバドの同郷でヴェルディ音楽院の永年の朋友がマウリツィオ・ポリーニ
10歳違いだけど、若き日々よりずっと共演を重ね、その初録音は、ノーノの新作で、その後のブラームスのピアノ協奏曲第2番の名演以来、数々の協奏曲録音を残しているコンビ。
そちらのノーノもそうだけど、一時、イタリア経済がグチャグチャの70年代半ば、そろって共産党員だったりもした間柄。
ベートーヴェンやブラームスもいいけれど、この二人はやはり近現代ものがいい。

その超代表格が、バルトークピアノ協奏曲第2番
3番が録音されなかったのが残念だが、当時親密だったシカゴ交響楽団とともに、それこそ、ピアノ・指揮・オケ・録音ともに、最高級のバルトークがここに記録されている。
ともかく、この頃のポリーニはすごい。
完璧なテクニックに、圧倒的な打鍵の強さと強靭なダイナミズム。
繊細さも、迫力も、小気味よさも、すべてがハイレベルな状態で、クールでありつつもホット。
これまさに、イタリア・ルネサンスの彫刻作品を仰ぎみるような美。

アバドの鋭い指揮がこれまたポリーニの紡ぎだすピアノとバッチリの相性。
ショルティの場合だと筋骨隆々たるシカゴ響から、刃金のように鋭いけれど、どこまでもしなやかで柔軟な響きを引き出している。
そう、あの一連のマーラーとおんなじ。
鋭くて柔らかいという、アバドならではの音楽なんです。

1933年、バルトーク自身のピアノにロスバウトの指揮で初演されたこの曲は、編成がユニーク。
第1楽章は、弦を除いた管と打楽器のみのスケルツォ。
第2楽章は、弦とティンパニのみのアダージョ。
第3楽章は、全オーケストラによる活気あるアレグロ。
真ん中の楽章を中心に、活気ある楽章で挟んだ左右対称。
しかも、その2楽章も緩急緩の3部からなる。
 賑々しく、親しみやすく聴こえるけれど、なかなかに難解な音楽に思える。
何度聴いても、私にはとらえどころがない曲です。
1番もそう。
3番は民族風でかなり聴きやすい。
 わたしにとって、バルトークは手ごわい作曲家です。
親しみをもってるのは、「マンダリン」と「青髭」ぐらい。オケコンも苦手。
弦楽四重奏なども、聴きこまねば・・・・。

でも、ポリーニ&アバドの演奏はすごいよ、すごすぎるよ

Chijimi_2
こちらは、チジミ&チーズ。
これ
まじウマイよ、うますぎるぜ

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