ディーリアス 「夏の歌」 グローヴス指揮
昨日(7月20日)の夕焼け。
猛烈な暑さは、こうして日が暮れても続く異常な事態。
めったに見れない、壮絶な夕焼けです。
この画像は、千葉の自宅から。
私は、都内の職場にいて、外がやたらとオレンジ色だったので気になっていたけど、さすがは夕焼け好きのワタクシの娘。
ちゃんと撮ってくれてましたよ。
全体の構図バランスは、まだまだだけど、貴重な1枚でした。
この日の翌早朝、奈良で震度4があったけど、この雲と夕焼けって、何か関係あるのかしら・・・・・。
奈良県の直下型で、なぜか、関東では成田市が震度1
四季折々に、ディーリアスは日本の風土にもマッチングするけれど、なんといっても夏。
いまの日本のように、亜熱帯と化した風情もへったくれもない夏には不似合いだけど、われわれがイメージする、ぱっと来て短い命を思い切り謳歌するような英国の劇的だけど、詩情にあふれた夏をまさに思わせる音楽。
日本ならば、北海道の夏。
もちろん、いまの地球規模の異常気象は英国も例外じゃないかもしれないし、北海道もそう。
「夏の歌」は、ディーリスの作品の中でも、1,2を競うくらいに好きな音楽。
未発表の交響詩「人生と愛の詩」の素材を用いて、1929年、視力を失ってしまった晩年のディーリアスが弟子のフェンビーに口述して書かれた作品。
以前の記事にも書いたけれど、その時のディーリアスの言葉を再褐します。
「海をはるかに見渡せる、ヒースの生えている崖の上に座っていると想像しよう。高弦の持続する和音は澄んだ空だ。・・・・・・」(三浦淳史氏)
このイメージこそ、この詩的で幻想的な音楽そのもの。
厳しい自然の中、夏だけに咲く花と、そこから見渡す絶海。
海に沈まんとする日の最後の照射が眩しく、潮風も頬に厳しい。
やがて夕日は、眩しさから、空を紅に染める優しい光となり、その空も朱色と藍色のせめぎ合いでその境い目も曖昧になりつつある・・・。
ついに日の光は、その力を弱め、空色は紺青と闇が力を増してきて夜が訪れる・・・・。
壮大な夏も、終焉に近いと思わせるもの悲しいエンディングは、いつ聴いても陶然としてしまう。
ディーリアスを好きになってから、もう何百回と聴いてきた曲は、こんなふうな感じで、私の脳裏にイメージングされているのであります。
その音楽から、こんな詩的な情景が巧まずして思い浮かぶのです。
サー・チャールズ・グローヴスとロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニーの滋味あふれる演奏は、バルビローリとともに、わたしにとって、いまだにこの曲最高の演奏であります。
なんて素晴らしい曲なのでしょうか
| 固定リンク
コメント