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2010年8月

2010年8月31日 (火)

もう~、やだ!

Hamasuta2010

はぁ・・・・、もうーーーっ。

この、すっとこどっこいsign03

やめちまえsign03

順調に負けを重ねる、横浜大洋ホエールズ
勝つ時は、やっとの思いで辛勝。負けるときは大敗。
大戦チーム成績。
阪神4勝12敗、虚人5勝11敗、中日8勝12敗
ヤクルト8勝11敗、広島9勝11敗

負の連鎖が生む悪循環の最たるものといえよう。
もう、くそったれのこんこんちきである。

今日は、テレビ放送があったので、発泡酒、それも7%の濃いヤツを用意して挑んだのにさ、あれよあれよで弄ばれるようにして、点差がついちゃった。

虚珍のコーチから略奪した監督さんや、その取り巻き、中古移籍選手、みーんなもういらん。
同じ名前の高校にも負けちゃうで。
おまけに、ドラフトではいつもいつも貧乏くじばかり。
地元超有力選手を逃し続けて30年。
永川、原、津末、愛甲、山本、松坂、涌井・・・・、なんのための地元球団じゃ。

もういいや。
さいならcrying

  

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ハイドン 交響曲第82番「熊」 マリナー指揮

Kumakaron6
ふふふheart04
これなんだかわかりますup

フランス菓子のマカロン。
その名も「クマカロン」でございます。
茶色のくまさんが、チョコレート。
ピンクがフランボワーズで中にそのソースが入ってます。
わたしの郷里の小さな洋菓子屋さん「サン・マロー」

今年のバレンタインやホワイトデー限定で発売されたけど、大ブレイクして、今でも売ってます。
お盆に買って食べました。
検索するとやたらと出てきますよ。

カワユイでしょnote

少し放置ぎみの、わたしの別館「さまよえる神奈川県人」でも紹介してます。

Marruner_haydn_paris_sym
こじつけのように登場のこちらのクマさんは、ハイドンの交響曲
第82番ハ長調「熊」であります。
熊さんのタイトルは、終楽章の冒頭が、熊の唸りながらの足取りを思わせる低音の持続音を伴うからだそうな。
熊の足取りや唸り声って??だけど、あくまでイメージですからして。
 実際聴いてみると、そのようでもあるし、

エステルハージー家での楽長時代に、パリの楽団からの依嘱によって書きあげられた6曲の交響曲が「パリ・セット」。
82番から87番まで。
この82番は、一番最後に書かれたものとされる。
最後の「ロンドン・セット」までの88番から92番までの5曲も、パリにまつわる作品で、ハイドンが当時、ヨーロッパの各音楽都市でいかに人気があったかがわかる。

ハ長調の調性のとおり、明るく元気な交響曲。
序奏なしでいきなり元気な1楽章はシンプルかつ明快。
次ぐアレグレットの第2楽章も単純なつくりながらも二重の変奏曲スタイルになっていてなかなかの雰囲気。
3つめは、メヌエット楽章で、調性の変化が楽しい。
そして、クマ登場の4楽章は、どことなくユーモラスな軽快な旋律が、例の熊さんに乗って何度も楽器を変えて繰り返される。
ほんと、何回も熊さんの低弦に軽快主題が出てくるから、いやでも覚えてしまい微笑ましい。ティンパニの連打を経て、元気に熊は終了

ネイムズ・シンフォニーの録音を敢行し、ほかの主要交響曲も収録した、マリナーアカデミー
1977年の録音で、この頃は、ハイドンやモーツァルトといえども、通常のオーケストラで、従来奏法にて演奏するのが普通だった。
そんな中でも、マリナーとアカデミーは、室内オーケストラの小回りのよさと機能性を完備した、キビキビとした新鮮な演奏でもって、ハイドンの交響曲にも爽やかな風を吹かせたものだ。
いまや、新しいスタイルにとってかわってしまい、われわれの耳もそちらに喜びを感じるようになってしまったが、マリナーのこのような、いわばオーソドックスで、可も不可もないが、過不足もない、という演奏にこそ、逆に新鮮味を感じたりするものだ。
 久しぶりに聴き直してみて、とっても気持ちがよかった。
このところの、朝晩の涼しさにも通じる、そんなマリナーのハイドンでした。
もうじき、来日するサー・ネヴィル。
せっかくの日本滞在、暑さも収まって欲しいですね。

Kumakaron1
クマさんにまじって、「ひよこマカロン」も登場してます。
こちらは、爽やかなレモン味~
神奈川の田舎町だけど、機会がありましたらどうぞnote

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2010年8月29日 (日)

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 サンティーニ指揮

Nagasakihana_kaimondake4

もうだいぶの前だけど、鹿児島に夏旅行に行った時のもの。
写真を整理してたら、出てきた。
子供たちも小さかった。小学生だもの。この頃の方がよかった・・・・。

ここは、薩摩半島南端の長崎鼻という岬と、そこから見える薩摩富士と呼ばれる開聞岳。
こんな景色を、西郷さんも、篤姫さんも見てたんです。
海を臨んでいると、人の心は大きくなるのかしらん。

そんな、私は、まだ冗談の通じない子供たちにむかって、「ここでは、買いもんだけ」と言って沈黙を作り出していた小さな人物であります。

Verdi_simon_gobbi
イタリアといえば、オペラ。
そして、イタリア・オペラといえばヴェルディであります。
ヴェルディのオペラで、一番好きなのが、「シモン・ボッカネグラ」
この男の渋いドラマは、ヴェルディ中期44歳の作品で、自信作と思っていながらも、フェニーチェ座で初演されたときは不評。
ヴェルディとしては愛着捨てがたく、長年喉に刺さった小骨のようにずっと気になっていた作品らしく、後期の円熟期にリコルディ社の提案もあってボイートとの共同作業で改訂版を作りあげたのが、68歳。
前奏曲などはまったく別物
ミラノ・スカラ座での初演は大成功だったそうな。

ヴェルディが、ここまで執着したのは、「シモン」が持つ深いドラマ性にあるのではないかと思う。
ヴェルディは、中期以降、ドラマと言葉と音楽の融合にますます磨きがかかり、そうした素材をオペラに求めるようになった。
それが、最大の結実を見せるのが、オテロとファルスタッフのシェイクピアの悲喜劇。

ここで思うのが、ヴェルディのオペラの主役たちに、バリトンのロールが多いこと。
ナブッコ、フォスカリ、アッティラ(バス)、マクベス、リゴレット、シモン、ファルスタッフ。
26作品中、7作品がバリトン系の歌手がタイトルロールになっている。
バリトンが重要な役回りをするオペラを加えたら、もっと多い。
もちろん、ヴェルディはあらゆる声部に万遍なく素晴らしい歌を書いたわけだけど、ヴェルディのバリトンは特別だと思う。
ソプラノを愛したプッチーニがメロディの人なのにくらべ、ヴェルディは、メロディもさることながらドラマの人・・・と言えるかも。

このシモン・ボッカネグラは実在の人物で、14世紀ジェノヴァの元海賊。
貴族派の対立の中、平民から選ばれた名総督。
この海の男の運命にもてあそばれる悲劇の物語。

絶対的に愛するアバド盤を取り上げたおりには、あらすじを略したので、簡単に。

プロローグ
平民のパオロとピエトロは、シモンを総督として推すことを決し、シモンを促すが、彼にはその気もなかったが、貴族派のフィエスコの娘マリアと恋仲だったシモンは、政敵ゆえに引き離されており、総督になることで和解が図られると思いその提案を受け入れる。
 ところがフィエスコの元にあったマリアが病気で亡くなり、フィエスコは有名なアリアで、その悲しみを歌う。
その悲しみの家に忍びこみ、かつての恋人の死を知ったシモン。
そこにシモンが総督に選ばれた知らせ。熱狂する市民に担ぎあげられるシモンの胸中とは裏腹に音楽は熱い。


第1幕
25年後、アメリーアが美しいロマンツァを歌っている。やがて恋人のガブリエーレが現れ、一緒になろうと二重唱を歌う。
アメーリアは孤児として、フィエスコのグリマルディ家に育てられているが、実はシモンと亡くなったマリアの一人娘で、その事実に誰も気づいていない。
シモンは、グリマルディ家を救うため、腹心のパオロとアメーリアの結婚話を進めようとしていた。
 そのアメーリアに会いに来たシモンに、彼女は自分が今好きな人のことと、孤児の過去を話すが、胸に付けたペンダントの肖像からそれが愛するマリアと自分の娘であることがわかり、感動の親子対面となる。

(ここにおける、ヴェルディの音楽の高揚感といったら、もう言葉にできないくらに素晴らしい。そして、それを心の高まりの必然として描いたアバドの実演は、もう忘れることができない体験だ)
 シモンは、パオロとの結婚話を中止し、アメーリアの意をくむこととする。
しかし、パオロはこれを逆恨みし、アメーリア略奪を計画する。

 ジェノヴァの議会。ガブリエーレとフィエスコが民衆に追われやってきて、シモンに襲いかかる。アメーリア誘拐はシモンと疑ってのこと。
シモンによって助け出されたアメーリアが飛び込んできて、これを制止し、犯人はほかにいると告発。シモンは、市民よ貴族よ、と争いの虚しさを名アリアで歌う。
シモンは、パオロに命じて、その犯人に呪いをかけろという。

(ここでもヴェルディの音楽の緊張感はすごいものがあり、アバドも演出もすごかった)
パオロは自分に呪いをかけることとなり、恐れつつも、さらにシモンを恨むようになる。

第2幕
怒りにまかせてパオロは、シモンの水差しに毒をもる。
捕えられていたガブリエーレとフィエスコに、シモン暗殺を持ちかけるが、フィエスコはきっぱりと断り退出するが、ガブリエーレはパオロにシモンとアメーリアの仲を吹きこまれ、怒りにまかせてその気になってしまう。
 アメーリアはシモンに、ガブリエーレの罪の許しを乞い、シモンも了解。
水差しの水を飲み、一人になったシモンは眠ってしまう。
そこへ隠れていたガブリエーレが剣を片手に忍びよるが、戻ってきたアメーリアに止められ、目覚めたシモンに父であることを告げられ、謝罪しシモンに臣下の礼をつくす。
シモンは二人に祝福を施し、素晴らしい3重唱が歌われる。
外ではパオロが反乱をおこし、ガブリエーレはそれを鎮めるべく退出する。


第3幕
釈放されたフィエスコに、反逆で捕えられたパオロは、シモンにもう毒がまわっていると伝え、フィエスコは汚いやつ、自分には関係ないこととして冷ややか。
 毒がまわり、体中が熱くなったシモンが、海をみて懐かしんで歌う。
フィエスコが現れ、もう時間がない、お前を許すには、お前たちの娘を探し出すことだ、と語るが、実はアメーリアがその娘だったのだ、とシモンはしみじみと歌う。
それを聴いて、自分が孤児から育てた娘が孫だったことがわかり、後悔の涙にくれるフィエスコと、運命のいたずらに泣くシモン。
ふたりの男の感動の和解。
そこに、結婚衣装姿の若い二人も加わって、4重唱となるが、シモンはいよいよ最後の時をむかえる。
くるしそうに、フィエスコにあとの差配を頼み、アメーリアの名前を呼んでこときれる。
窓の外の民衆に向かい、新総督はガブリエーレががなることをフィエスコが表明。
民衆は、シモンはどうした・・といぶかるが、フィエスコは死んだ。。。。と語る。
音楽はレクイエムのように静かに終わる。

(スカラ座公演では、ここでホールは静寂につつまれた・・・・)


身に染みついたようなオペラなので、なにも見ずにすらすらと筋が書ける。
1976年のNHKイタリア・オペラで、このオペラを見たのが本格外来オペラ初体験。
高校生だった自分は、大方が熱中したドミンゴが歌うカヴァ・パリは無視して、この「シモン」と「アドリアーナ・ルクヴルール」を観劇した。
チケット売り場のおばさんが、「え、ドミンゴはいいの?」とけげんそうにしてた(笑)

あの時のキャストは、カプッチルリギャウロウリッチャレッリ、メリーギと素晴らしいもので、オケはファブリティースとN響。
その5年後、社会人1年目にやってきたアバドとスカラ座の「シモン」を観劇。
これが、生涯忘れ得ぬ舞台であります。
アバドの一挙手一頭足、すべてがまぶたに焼き付いてるし、ストレーレルの緊張感に満ちた舞台の隅々と、名歌手たちの素晴らしい声と演技・・・、カプッチルリ、ギャウロウ、フレーニ、ルケッッティ。
NHKとはけた違いの完璧なオーケストラと舞台は、アバドが執念のようにして取り上げ続け完成させた最高峰のヴェルディ演奏であり上演である。

今回は、アバドのCDが今もって誰をも超えることができない超名演とわかったうえで聴く、サンティーニとローマオペラのもの。

  シモン・ボッカネグラ:ティト・ゴッピ  ヤコポ・フィエスコ:ボリス・クリストフ
  アメリーリア:ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス
  ガブリエーレ・アドルノ:ジュセッペ・カンポーラ
  パオロ:ワルター・モナチェージ    ピエトロ:パオロ・ダーリ
  
   ガブリエーレ・サンティーニ指揮ローマ歌劇場管弦楽団/合唱団
                     (1957.11@ローマ~モノラル録音) 

やはり、アバド盤の呪縛は解けないのだけれども、ここではなんといっても、ティト・ゴッピの歌うシモン。
これもまた、シモン=カプッチルリという図式が出来あがっていて、容易にそれは解けないのだけれど、やはりゴッピは旨いものだ。
ときどき、これまたゴッピ=イヤーゴということで、そちらの顔が思い浮かぶことがあるが、このシモンはとっても人間的で悩める海の男を見事に歌いだしている。
カプッチルリは、もっと気品があって、政治家としての複雑な心情や、それに対する親としての心情も種々歌い込んでいたがが、ゴッピはもっと真っ直ぐ。
全然悪くない。
 あと、ロスアンヘレスの清純なアメーリアもよい(でもフレーニとリッチャレルリも忘れられない)。
フィエスコに関しては、ギャウロウ以上のものはなかろう。これもまたイコールの関係にあって、同じスラヴ系のバスとしても、クリストフは圧倒的な低音ながらもアクがちょいと強すぎ。
サンティーニとローマオペラのオケは、これはまさに本場の香りむんむんで、オペラのオーケストラむき出し。いまどきこんな音は聴けない。
でもやはり、アバド&スカラ座以上のものではない。

あぁ、他盤を聴いて、本命盤を想い誉めてしまうというありさま。
シモンボッカネグラという作品は、それが宿命のようになってしまったオペラなんです。
みなさま、どうぞ、あしからず。

Nagasakihana_kaimondake

   

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2010年8月28日 (土)

レスピーギ グレゴリオ聖歌風協奏曲 アモイヤル

Fujisawa_sky
秋を先取りするような高い雲に月。
日がどんどん短くなってきて、6時過ぎると急に空が赤く染まって、一気に暗くなってしまう。
その按配が日によって、とても美しいことになる。
猛暑の異常気象のせいか、今年の夕空は、ドラマテックなものが多いような気がする。
夕焼け好きのワタクシには、うれしいこと。

Respigisaintsaens_vn_con
今日もイタリアsun
駆け足でイタリア作曲家をめぐっているけれど、イタリアで、オペラが主力じゃない近代作曲家といえば、レスピーギ(1879~1936)。
 ローマ三部作のみがあまりにも有名になりすぎて、それ以外のレスピーギは人気の点でいまひとつかもしれない。
それでも、「リュートのための古風な舞曲とアリア」、「鳥」、「教会のステンドグラス」、「シバの女王」、「ヴァイオリンソナタ」、歌曲のいくつか、などが比較的聴かれているのでしょうか。

しかし、レスピーギには、オペラもちゃんとあるんですな。
オペラ的作品として9作。
そのなかでは「炎」という作品を聴いてみたいし、それも含めて、ガルデッリの指揮のハンガリー録音がいくつかあってチャレンジしてみたいのだ。

前置きはともかくとして、今日は、そんなレスピーギのヴァイオリン協奏曲を。
レスピーギらしく、こうした協奏曲ジャンルでも、純協奏曲ではなくって、古風な旋法や旋律をまとったものが多い。
こちらは、グレゴリオ聖歌風協奏曲とあるだけあって、その旋法をとりいれた、まさに○○風の味付けによるヴァイオリン協奏曲。
だから、グレゴリオ聖歌の具体的引用はなく、あくまでテイストだけ。

1932年、イタリアでは、プッチーニの死後8年を経て、脱ヴェリスモ・19世紀ロマン主義への懐古運動が高まり、当時ローマ三部作を大成功させ、押しも押されぬ作曲家となったレスピーギは、そうした流れのなかにおいては、もっとも適任の大家であったようだ。
もう晩年を迎えつつあったレスピーギだが、ファシストの台頭など、きな臭い動きからも自由でいることは出来なかったであろう。

この協奏曲は、そうした復興運動以前、1921年に作曲されている。
今回、このCDを外盤初出の時いらい、15年ぶりくらいに聴いてみて、その美しさに、甘味なヴァイオリン協奏曲好きの私の心を大いに刺激してくれた。
え、こんな素敵な曲だったっけ。
古えの旋法をことさらに意識することなく、むしろ民謡風の懐かしい雰囲気すら感じつつ、ノスタルジックな思いを抱いた。
これは、私には、ブルッフのスコットランド幻想曲や、バーバーの協奏曲、しいてはコルンゴルトやディーリアス、モーラン、ハゥエルズなどの大好きヴァイオリン協奏曲軍団に一脈通じる音楽なのだ。

英国音楽の系譜を思い起こさせるということは、中世的な雰囲気がケルトの世界と相通じるからだろうか・・・・。

ローマの朝を思わせるようなさわやかで憂愁を帯びた旋律がオーボエから始まり、懐かしさも感じる第1楽章。
遠くを見つめるような儚い雰囲気の第2楽章は、泣きのヴァイオリンが最高。背景のオーケストラも注意深く聴いていると、うごめく低音に太古の響きを感じ取ることができる。このあたりは、ローマ三部作の作者であることを痛感。オーケストラ部分が精緻に書かれているのがさすが。
ともかく絶美の2楽章は、その終りの方はまるで、夕焼けが刻々と藍色に染まってゆく風情なのだ。
アレルヤと題されたフィナーレ楽章は、前ふたつの楽章とうってかわって元気があふれてる。少し浮ついて感じなくもない。親しみあふれる旋律が闊歩する。
その中間部では静かな雰囲気になり、その旋律をヴァイオリンが何度も愛しむように奏でるところは、オーケストラとともに、とても美しい。
最後は活気あふれたエンディングとなる。

フランスの名手、ピエール・アモイヤルデュトワ&フランス国立管は、これ以上はないというくらいの、素敵な演奏でありました。
ほかにもCDが出ているみたいです。一度、お試しを。

そうそう、この協奏曲と同じころに書かれた姉妹作みたいな、ヴァイオリンとオーケストラのための幻想曲「秋の詩」も収められていて、これがまた詩情にあふれた桂作なんです。
秋のムード、ばっちりです。

Gunma_sky

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2010年8月27日 (金)

マスカーニ グローリア・ミサ シモーネ指揮

Daiba

こちら、お台場ヴィーナス・フォート。

私のようなオヤジには縁のないところだけど、以前、仕事で近くまで行ったのでのぞいてみた。

青い空にヨーロッパの街並み。
噴水も美しい。
この空が時間によって色合いを変えてゆく。
イタリアの空って、こんなんかしら。

行ったことないけど。

Mascagni_messa_di_gloria

ピエトロ・マスカーニ(1863~1945)といえば、「カヴァレリア・ルスティカーナ」。
一般的には、完全にイコールの関係になってしまっているくらいに、オンリーワンの作曲家。しかも、オペラ好き以外は、その間奏曲だけ。

こちらもセットで出てくる、レオンカヴァッロと同じ運命。
でも、「友人フリッツ」や「イリス」が上演や録音に比較的恵まれているだけ、マスカーニの方に歩があるかもしれない。

でも二人とも、いろんな作品を残しているのだから聴かない手はない。
さまよえるクラヲタ人は、ヴェルディ以降のイタリア・オペラ作曲家を種々聴いてます。
これもレコード時代には考えらないくらい、マイナーレーベルから珍しい作品が手に入るがゆえにございます。

今日は、そんな中のひとつから、マスカーニの「グロリア・ミサ」を聴きます。

若い頃から早熟ぶりを示したマスカーニ。
プッチーニとレオンカヴァッロは、ライバルでもあり友人でもあった。
でも3人の中では一番若く、1863年生まれ。
レオンカヴァッロ1857年、プッチーニ1858年。
ところが、オペラでの本格的な成功は、マスカーニの「カヴァレリア」が一番早くて、1890年。
次いで、レオンカヴァッロの「パリアッチ」が1892年。
プッチーニが「ヴィリ」と「エドガール」はともかく、「マノン・レスコー」でブレイクするのは1893年。
このあたりの系譜が、とっても面白い。
ヴェルディの後継者として栄光に包まれたプッチーニが、いちばん嫉妬深く、ちょっとずるくて、取り巻きにも恵まれたのだけれど、ほかの二人はそうでもなく、結構お人よしで、立ち回りも下手だった。
おまけに、プッチーニは神経質なくらいに、台本の細かなところまでこだわり、劇と音楽の融合を完璧に図ったのに比べ、ほかのふたりは、ちょっとユルイくらいに呑気なところがある。
 マスカーニなんて、後年、指揮者としても活躍したものだから、ファシストに加盟してしまい演奏家としての地位を高めようとしてしまったくらい。
レオンカヴァッロも文才があったものだから、自分で作曲しないで、人に台本提供してお株を奪われてしまうことも多々。

でも、そうしたエピソードを知るにつれ、この方々の愛すべき音楽を聴く喜びがあるというもの。

16曲ものオペラのほか、オーケストラ曲に室内楽曲、歌曲を残したマスカーニ。
グロリア・ミサ」は、カヴァレリアに先んじること2年前、1888年の作品。
55分の大作でありまして、その編成が、テノールとバリトンのソロと合唱、オーケストラによるものとなっていて、かなりユニーク。
だからといって、男っぽいマッチョな雰囲気はまったくなくって、われわれが親しんでいる、カヴァレリアの間奏曲のように、美しく抒情的な歌心あふれる旋律に満ちあふれたミサ曲になっているんです。
甘過ぎて、ミサ曲という宗教曲に似つかわしくない、ともとれようが、そこはさすがに陽光あふれる歌の国、イタリアのミサ曲。
ともかく馴染みやすく、歌で人の心を優しく包んでくれる滋味に富んだ桂作。
 ちなみに、プッチーニの同名の曲も、男声ふたりのソロをともなう作品で、そちらは1880年の作曲・・・・。

冒頭のオーケストラ部分を聴くと、そう、これはまさにカヴァレリアの間奏曲の雰囲気。
そんな感じで、われわれが知ってるマスカーニの顔を随処に拝むことができます。
圧巻は、最後の方。
オーケストラによる間奏がありまして、ヴァイオリン・ソロが甘味かつ美しすぎる旋律を切々と歌います。
これ、もう、泣けます。完全にヴァイオリンによるオペラアリアみたいです。
 で、このあとに、おんなじ旋律を、今度はバリトンのソロがなぞるように歌うベネディクトゥス。
もうベタだけど、完璧にすぎて、涙も枯れてでない。けど、はまっちゃう。
そして、最後のアニュスデイでは、男二人のソロが、これまたオペラのクライマックスのように、朗々と歌いまくるのであります。

      T:ステファノ・セッコ  Br:コジモ・ディアーノ

    クラウディオ・シモーネ指揮 イ・ソリスティ・ヴェネティ 
                     テルツ少年合唱団(シュミット・ガーデン指揮)
                     サンクト・ペテルブルク室内合唱団
                         (2003.5 @Schio)

なにゆえ、サンクトペテルブルクの合唱で、テルツなんだろうか、不明なれど、いい雰囲気で明るく歌ってます。
シモーネもこういう曲が好きなんですね。
ヴェネチアの近くSchioという街の、サンフランチェスコ教会にての録音。
調べたら、ロシアのかの街と、関係がありそうだ。
で、この録音、教会の響きも美しいのですが、教会の外にさえずる鳥たちの鳴き声が聴こえるんです。
 まさに天国の調べでございました。

Schiochiesa  
教会の画像を拾いました。
こんな雰囲気で演奏したんですね。
この木々に小鳥がいるんですね。

マスカーニ関連の過去記事

「カヴァレリア・ルスティカーナ&パリアッチ ルイージ@新国」
「レオンカヴァッロ ラ・ボエーム」
「レオンカヴァッロ 五月の夜」
「プッチーニ グロリア・ミサ」

 

   

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2010年8月26日 (木)

プッチーニ 交響的奇想曲 ムーティ指揮

Asakusa_sky_2 
まだまだ暑い東京。
昨日は、所用で浅草に。
このアーケードに併行する浅草通りから真っ直ぐの先にスカイツリー。
日光から、浅草までを結ぶ東武鉄道。
中国や韓国の観光客をそうした流れで呼び込むんで狙う戦略もある。
それでも、浅草は国際的な観光地ですな。

Asakusa_sky_1
浅草寺から見たスカイツリー。
東京のいろんなところから見えるツリーは、出来あがりの暁には、東京の各所の風景を一変させてしまうことだろう。
ビフォアツリーとアフターツリー。

Muti_puccini
今日の音楽も陽光あふれるイタリアからsun
ムーティスカラ座フィルハーモニーによる、プッチーニ
実はこれ、かつて取り上げたことがあります。
でも個別に「交響的奇想曲」が大好きなものだから、イタリアンシリーズの一環で、もう一度取り上げてみたかった。
そして、このムーティさんのかっこいい粋なジャケット。
南イタリア、ナポリの男、リッカルド・ムーティ。
そのイメージ通り、縦ジマシャツに白いパンツ、真っ青な空と海sun

同じイタリア人でも、アバドではこんな構図は無理だし、ご本人は絶対やりたがらないし、そもそもがアルプスに近い北イタリア人と、南は全然気質が違う。

でも、ふたりとも、イタリア人として歌心を持ち合わせた素晴らしい指揮者たち。
さらにでも、ヴェルディは得意でも、プッチーニに対しては消極的。
ムーティは、「マノン・レスコー」と「トスカ」に、この1枚のみ。
アバドにいたっては、ひとつも指揮したこがないし、意識して避けているとしか思えない。
 ともに、形式美と絶対的な構成感を有するかっちりしたヴェルディを愛好するのはよくわかる。とくにムーティの場合、厳しい原典至上主義を持ち合わせているくらいだから、構成や形式から思い切りはみ出してしまったプッチーニとの相性は難しいかとも思われる。
でも、アバドはマーラーやシュトラウス、新ウィーン楽派といった後期ロマン派の爛熟したオーケストレーションを整然と歌を伴ってきかせることにかけては天才的なだけに、プッチーニを取り上げないのが不思議でならない。
 でも、アバドと数十年付き合ってくると、音楽にドラマとともに必ず感傷が付随するプッチーニや、それ以降の激情的なヴェリスモと、清潔で高貴な人間ドラマや社会派ドラマを好むアバドでは相いれないのもわかるようなきがする。

話かわって、ムーティのプッチーニ。
ムーティらしく、情に溺れず、純粋なプッチーニの旋律美のみで聴かせてくれる姿形の美しい演奏。

1883年、ミラノ音楽院の卒業制作として25歳の年で書かれた作品。
のちに、「エドガール」や「ボエーム」(冒頭の活気ある旋律そのまま)として引用したことから、ご本人は、この曲をあんまり世に残したくなかったようだが、誰がどう聴いても、プッチーニらしい愛らしい歌や抒情的な歌に満ちあふれた桂曲なのであります。

シャイーの演奏が一番素晴らしいけれど、ムーティ盤は、真面目なかっちりした取り組みの中にも、スカラ座の持つとんでもない能力=嵩にかかったような強靭な歌魂に後押しされた圧倒的な演奏になっている。

ちなみに、アバドのプッチーニは、①パヴァロッティと共演した「トスカ」~星は光ぬの映像、②ネトレプコとのCDで、「ジャンニ・スキッキ」~私のお父さん。
この2点があるのみ。

Asakusa_sky_2_2
8月25日。クレーンが3台に見える。

Sky_edogawa   
8月7日、首都高から。クレーンは4本見えます。

このクレーンに乗って作業する職人さんは、日本でも指折りの方々らしい。
朝登ったら、1日下に降りてこない、すごい精神力が必要ですよね!

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2010年8月25日 (水)

「ロッシーニ・リサイタル」 チェチーリア・バルトリ

Thirty_one
サーティワン・アイスクリームですよshine
たまに子供たちに連れていかれますがね、おじさんひとりじゃ行けないから、待ってるんです。
左が、トロピカル・アイス~パイン、マンゴー、ココナッツ。
右が、ファンタステックアイランド~トロピカルアイスやバナナ、ブラッドオレンジなどのミックス。
夏ならではの一品じゃぁございませんか。
 皆さんも、残暑厳しいけれど、夏が逝く前にどうですか・・・。

Bartoli_rossini_2
今日もイタリアです。
しかも、とびきりフレッシュなメゾの歌声。
チェチーリア・バルトリの1990年、今から20年前の歌声は、現在の円熟の声からすると、もぎたてのイタリア産のレモンを思いっきり絞った感じshine
当時まだ24歳。
思えば、デビューした時から完成された歌手だった。
いまでもフレッシュぶりは変わらず、しかもますます進化している。

目覚ましい技巧と幅広い音域を駆使して聴く者を圧倒し、彼女の歌の世界に引きずりこまれてしまう強烈さがあるけれど、それが極めて快感なんですぅ。
いや、その、変な意味じゃなくって、完璧な歌唱が極めて音楽的な意味での快感を呼ぶわけなんです・・・。

星の数ほどあるオペラ創作のあとに、これまたたくさん書かれたロッシーニの歌曲ばかりを集めた1枚は、ロッシーニとモーツァルトを得意とするバルトリのさすがと思わせる生き生きとした情感あふれるものになっている。

 1.「羊飼いの乙女」 2.「情け知らずの彼女」 3.「吟遊詩人」
 4.「ヴェネツィアの競艇」~競漕前のアンツォレータ、競漕中のアンツォレータ
   競槽後のアンツォレータ   5.「黙って嘆こう」~5曲
 6.「恨みごと」    7.「見上げた洒落女」  8.「昔風のアリエッタ」
 9.「チロルのみなしご」 10.「マルグリットのお話」 11.「ニッツァ」
12.「見捨てられた魂」  13.「スペインのカンツォネッタ」
14.カンタータ「ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク」  

       Ms:チェチーリア・バルトリ
       Pf :チャールズ・スペンサー
                   (1990.4@ウィーン)


粋でサロン風なアリエッタから、楽しい心弾むようなカンツォネッタに、その反対に悲しみに満たされた歌、そして、最後の長大でドラマテックな大作カンタータまで、バルトリのすさまじいまでの技巧と深い心情描写に耳はくぎ付け。
いろんなジャンルのオペラを残したロッシーニの幅広い音楽スタイルが、歌曲でもってこの1枚に集約されている感じ。
チェネレントラのアリアの旋律も聴こえるし、最後の大曲などは、手に汗握るような大アリアの様相で、バルトリの鮮烈で目覚ましい歌唱炸裂といった感じですごいのなんのってsign03

バルトリさんのライブを聴いてみたいけど、そのチケットはいつも非常に高い。
それがネックながら、オペラ舞台もふくめて、一度は経験したい、チェチーリア・バルトリさまでございました。

明日もイタリア行きますよ~

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2010年8月24日 (火)

ヴィヴァルディ 「四季」 マリナー指揮

Tomato
これは何だかわかりますか?
ミニトマトの品種で、とんがったヤツがありますね。
その中に、こんなひょうたん形のものがひとつ入ってました(笑)
おまけに首輪してます。

Cucumber
さらに、義父の家庭菜園で出来た曲がりキュウリ。
ど根性大根とは逆にとぐろ巻いてひねくれてますな。

Salada
夏は野菜を取らにゃかあかんでぇ。
毎日、サラダにして摂取してます。
盆休みに実家に帰ったときに、秦野の「JAじばさんず」に買い物に行ってきた。
今年の夏は野菜がものによっては高いけど、ここは新鮮で安い。
朝採れきゅうりが5本で100円、緑濃いピーマンが6個入って80円、トマトも3つで198円・・・・、すべて安いよ。
農事者が、直接持ち込み直売する店舗の強みですな。

Marriner_vivaldi_1
ヴィヴァルディ四季します。

こんな名曲、いまさら何も言うことはありません。
猫も杓子も四季を録音した70年代。
あのカラヤンまでも、天下のベルリンフィルで録音したのには驚いた。
四季をイメージした4つのリンゴのジャケットがとても懐かしい。

そして、今日のマリナーの四季のジャケットも、私のような世代の方々には懐かしい思いをいだかれるのではないでしょうか。
あと古いところで、四季のジャケットで印象に残ってるのが、四季の代名詞だったイ・ムジチ、パイヤール(ボッティチェルリの春)、ミュンヒンガーなど。
かつては室内オーケストラがブームともなり、バロック音楽は室内オケが定番。

いまの指揮者たちは、四季なんぞはまったく見向きもしませんな。
ティーレマンが四季を振るとは考えにくいし、想像もしたくもない。
ラトル、ヤンソンス、メスト、ゲルギー・・・みんな無縁です。
ピリオド奏法や古楽器が定着してしまい、奏法において手を出しにくくなってしまった現状もあろうかと思いますね。

71年に登場したマリナーの四季は、当時センセーションを巻き起こすくらいに、レコード愛好家を新鮮な驚きで虜にしてしまったものだ。
四季といえば、オーソドックスで歌に満ちたイ・ムジチがベストセラー街道を独走中だったが、サーストン・ダート教授やホグウッドなどの考証を得て、ユニークで切れ味鋭い清新な四季を世に問うたのが、マリナーアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールだったのだ。

いま聴けば、なんのことはないけれど、当時はびっくりするくらいに新鮮だった。
多弁なチェンバロに、驚きのオルガン使用、鮮やかな歌いまわしと極端なダイナミズム。
いや、これはこれで、いま聴いても、極めて音楽的だし、マリナーらしい清々しい爽やかさと気品がってとても気持ちがよろしい。
まだまだ鮮度を保ってる、マリナー&アカデミーの四季であります。
エヴァーグリーン的な名演でございましょう。
ヴァイオリンはアラン・ラブディ、通奏低音はサイモン・プレストンの懐かしい名前です。

そのマリナー卿が、9月にN響にやってくる。
演目がイマイチ(ブラームス1、2番、シューマン3番、ベートーヴェン7番)で、もっとマリナーらしい曲目を期待したのだったけれど、86歳にしてかくしゃくたるサー・ネヴィルの指揮姿をこの目にしっかりと焼きつけておきたいと思う。

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2010年8月23日 (月)

日伊声楽コンソルソ入賞者披露演奏会 イタリア・オペラ名曲アリア・コンサート

Suntry2
今年も聴いてきました。
46回を迎える日伊声楽コンソルソの受賞者コンサート
100名を超える応募者から選ばれた上位3人の若い入賞者の皆さん。
1次2次の予選を経て本選には12人。さらに選ばれた入賞者たち。大変なことです。

Suntry3
日曜日の午後2時開演。
猛暑のなか、一番暑い時間帯。
出演者の皆さん、体調管理が大変だと思います。
と思いつつ、こちらは開演前にさっそく1杯beer
くぅ~、たまらんばい。

46aria_concert

   ヴェルディ   「シチリア島の夕べの祈り」序曲

            「アッティラ」~「ローマの前で私の魂が」
 
             Bs:三戸 大久(第3位)

   レンカヴァッロ 「パリアッチ」~「ごめん下さい皆様方」

             Br:今井 俊輔(第2位)

   プッチーニ   3つのメヌエット~第1番

             「トゥーランドット」~「この宮殿に何千年も昔・・」

   ヴェルディ    「エルナーニ」~「エルナーニよ私を連れてって」

             S:岡田 昌子(第1位)

          ・・・・休憩(白ワイン一杯wineフッフッフ)・・・・・・

   ドニゼッティ   「アンナ・ボレーナ」~「あなた方は泣いているのですか」

   プッチーニ    「トスカ」~「歌に生き、恋に生き」

   チレーア     「アドリアーナ・ルクヴルール」第2幕間奏曲
                    〃    ~「私はいやしい神の僕です」

   プッチーニ   「つばめ ラ・ロンディーヌ」~ドレッタの夢

   ヴェルディ    「椿姫」~ 第1幕前奏曲
               〃 ~ ヴィオレッタとジェルモンの二重唱

   モリコーネ     「Se」(ニュー・シネマ・パラダイス「愛のテーマ」)

   サルトリ&クヮラントット 「CON TE PARTIRO」(Time To Say Goodbye)

             S:中丸 三千繪

             Br:大島 幾雄

        現田 茂夫 指揮 読売日本交響楽団
                      (2010.8.22@サントリーホール)

Shoko_okada_2
満員のホールの隅々まで、その若々しくハリのある声を響き渡らせ、聴く者すべての耳をそばだたせたのは、岡田昌子さんsign03
トゥーランドット姫が、若くて無垢な恋したことないお嬢様だったことを、そのスピントする真っすぐストレートヴォイスで今さらながらに、わからせてくれた数分間。
彼女の圧倒的な声に、ワタクシ、クラヲタ人、すっかり魅せられてしまいましたよ。
おっかなくて冷酷なお姫様ばかりを観て聴いてきたトゥーランドット姫。
こういう活きのいい若い方によって歌われる必然も本来の劇の人物としてありというもの。
同様に、蝶々さんもそう。
トゥーランドットや蝶々さんが、劇中、女性として成長を遂げる姿を歌と演技を通して確認してゆくのも、プッチーニのオペラの楽しみ。
岡田さんは、このあたりもしっかり押さえて実力を発揮してゆかれることでしょう。
 エルナーニのエルヴィーラのアリアにおいては、冴えわたる技巧と輝かしい高音を堪能させてくれた。
ほんと、素晴らしいんだから。
そんなに大きくない体からどうしてあんな声が出せるのかしら。容姿も可愛いし。
褒めすぎかもしれないけど、ダイヤモンドの原石を発見した感じですよnote

後半は、中丸さんのリサイタル状態。
岡田さんの声が耳に残るなか、ベテラン中丸さん、最近お名前を見なかったものだからちょっと心配だった。
でも、予想以上の健在ぶりに安心。
というか、上にはまた上があるもので、岡田さんは、ストレートな若さが武器で眩しかったのだけれど、中丸さんの女優のような立居振舞、そしてその声による豊かな感情表現を前にしちゃうと、役者が違うといわざるを得ないんです。
ステージにあらわれただけで、がらりとホールの雰囲気が変わっちゃう。
全盛期の声ではなかったかもしれないが、ともかく巧いし聴いてて、彼女の歌にどんどん引き込まれてしまい、いつのまにかホロリとさせられてしまう。
おまけに、ワタクシのブログをご覧いただいているとおわかりのように、大好きな曲ばっかり。
トスカの心境を歌いこむソット・ボーチェの素晴らしさ、気品あるアドリアーナ、プッチーニらしい甘味なつばめ、思わず襟を正したくなる真正ベルカントを聴かせてくれたドニゼッティ。

大島さんの美声は相変わらずで、実に安心で心地よいジェルモン。
ふたりの二重唱は、まるでオペラの舞台を観てるかのような感興あふれるものでございました。

最後のモリコーネとTime to Say Goodbyeは、ちょっと付け足しみたいに感じた。
中丸さんは、ちょっと苦しそう。
でも満員の聴衆は、このふたつに大満足みたい。
むしろ、わたしは、このふたつでは、歌上手の現田ワールドが満載で、オケに耳が行ってましたよ。

現田さんの歌ものへの合わせの巧さは、毎度感心してしまう。
あれこれ言われようと、これは天性のものと思ってます。
指先のしなやかな動きや身のこなし、それらが音楽とそして歌手の歌と一体になっていて、そこから自然に特有のビューティフルな響きが生まれてくる・・・・と思いながら聴いておりました。
ヴェルディの序曲からしてしなやかで輝かしい。
パリアッチにおける泣き節や優美なプッチーニ。
そしてチレアのアドリアーナの間奏曲をコンサートで取り上げるなんて、普通あり得ないけれど、この短いオーケストラ間奏は、この美しい旋律がたっぷり詰まったオペラのダイジェストみたいな部分。夕映えのように儚くも美しい名演でしたshine

話は前後してしまいましたが、バスの三戸さん、バリトンの今井さん、どちらも伸びやかな美声を聴かせてくれましたが、喉が全開になるまで、それぞれあと1曲ずつ歌わせてあげたかったかな・・・・。

若さという一度しかない強力な武器と、ベテランの味わいある人の心に響く歌い口。
どちらも、オペラを聴くという楽しみのひとつですね。

ベテランふたりの若い歌唱も、わたくしは、かつてしっかり聴いておりました。
中丸さんのデビューにあたる、小澤さんとの「エレクトラ」と若杉さんの指揮した、大島さんの「ヴォツェック」。ちなみに、鮫島有美子さんのデビューのデスデモーナも聴いてる。
 かくして、私も古い聴き手のひとりなのですな。
こうして若い歌手たちが檜舞台にこぎ出してゆくのを見守るのもオペラファンの務め。
岡田昌子嬢を応援しましょうup

Uokin_sanma
アフターコンサートは、ご一緒した「(懲りずに)勝手に神奈川フィルを応援する会」幹事長と新橋に出て、居酒屋ライフ。
明るいうちから飲みまくり。
これは絶品「さんまの炙り」、肝醤油でいただきますbottle

話題は尽きず、日曜にもかかわらず営業してた洒落たバーを発見しアイラモルトで乾杯。
お世話になりました。

Bar    

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2010年8月21日 (土)

ダルベール 「低地」 ヤノフスキ指揮

Iwakisan
青森の岩木山。
一面の田、そう津軽平野にそびえる美しい山でした。
北東北では、岩手の岩手山とともに、すくっと立つ姿が実によろしい。

わたしは、北海道・東北が好きでして、全国好きな県を順にあげると、上位はそちら方面だったりする。
これはなにかと考えると、豊富な自然と寒暖のメリハリ、そしてなによりも、食と酒がわたしに合うのでしょう。

その順位を書くといろいろ支障が出そうなので、ちょっとだけ・・・。
やっぱり①は神奈川、そして②北海道、いま住む③千葉、④青森、⑤静岡、⑥、⑦・・東北各県。。。。

外国の地域意識ってどうなのだろう?
アメリカやドイツは州政があるけど、州人なんてのがあるのかしら?
日本は、県別に県人意識が強いし、県単位でも地域によって違うものがあるし。
そう、南北に広く、海に山に川が豊富で、のっぺりしてないから、地域が際立つのでありましょう。
いいなぁ、日本good

Dalbert_tiefland

今日のオペラは、オイゲン・ダルベール(1864~1932)の「低地」
ダルベールという名前じたい初めて聞かれる方も多いと思う。
私はこのオペラのみで知っていた程度だが、今回リブレットを読んでみてびっくり。
オペラをなんと、22作も書いてる人なんです。
 そのコスモポリタン的な来歴もおもしろく、生まれは母方がイギリス人だったので、スコットランドのグラスゴー。父方はフランス人の作曲家。(ちなみに同い年がR・シュトラウス。)
ゆえにフランス風の名前を持っているが、ロンドンに学びつつピアニストとして活躍。
やがてウィーン留学。
そこでは、ハンス・リヒターと同門になり、ビューローともつながり、ワグネリアンとなる。
やがて、リストの目にもとまり師と仰ぎ、ドイツで活躍。
ドイツ人としてのアイデンティティを持ちながらも、最終的にはスイス籍を得て、ラトヴィアのリガに没している。
 まぁすごい経歴であります。
作曲家でありつつも、リスト直伝の有力なピアニストでもあったので、ピアノ作品も多く、バックハウスもその弟子筋にあたるらしい。

その音楽はというと、もちろんワタクシが喜々として取り上げるからには、ワーグナーの流れを引いたもの。でも、シュトラウスのように豊穣なものではなく、濃厚な後期ロマン派風でもないし、マーラーや世紀末風に分厚いオケが鳴り渡るものでもない。
 じゃぁ、何なの?ということになるが、この「低地」ひとつでは判断できませぬが、それらの要素がいろいろ融合された折衷的な音楽で、とても聴きやすいし、私なんぞ、これひとつでは中途半端とはいえ、いろいろな響きが楽しめちゃうから結構気にいっている。

たくさんあるオペラの素材も多彩。
29歳の初オペラはワーグナーどっぷりらしいし、新古典風のすっきりしたものもあるらしいし、キャバレーソングの盛り込まれたオペレッタ風もあるらしいし、フォックストロットやジャズの要素を取り入れたものあるらしい・・・・・・。
ともかく、多度済々。ゆえに印象に残りにくいのかもしれない。

この「低地」はというと、激情と愛増渦巻くドイツ風ヴェリスモオペラなんです。
当然、そこにはナイフはなけど、殺傷死もあります。
1903年、プラハで初演。

ところは、スペインのカタロニア、フランス国境近く、ピレネー山脈の麓の低地地区の村。

 セヴァスティアーノ:ベルント・ヴァイクル トマッソ:クルト・モル
 モルッチョ:ボド・ブリングマン     マルタ:エヴァ・マルトン
 ペドロ:ルネ・コロ            ナンドー:ノーベルト・オルト

   マレク・ヤノフスキ指揮 バイエルン放送管弦楽団/合唱団
                            (1983.2 ミュンヘン)

プロローグ

のどかな山岳地方を思わせるクラリネットのソロで始まる序曲。
夜明け、羊飼いのナンドーが羊の一群を連れて通りかかり、仲間のペドロは狼に注意するようにうながす。
(この狼が羊を襲う、というのはこのオペラの持つ残忍性と偽善の象徴ともある)
ペドロはもう何年もこの山の頂に住んでいて、低地の人々との関係を絶っている。
毎晩、祈ることはといえば、死んだ両親のことと、いい嫁さんが来ないかなぁ、ということ。
そして、昨晩は夢で、ふたつ目の祈りが近く叶うと・・・、ここのアリアはなかなかです。
 そこへ、遠く山の尾根から3人の人物が見えてくる。
専制的な地主のセヴァスティアーノと長老トマッソ、そして若い娘のマルタ。
彼女は亡くなってしまった粉屋の娘で、セバスティアーノの愛人となっているのだった。
 このセヴァスティアーノ親父がこのオペラのワル役で、狼に象徴されるわけ。
資産が破たんをきたしつつあって、金目当ての結婚を目論んでいて、そのために愛人が邪魔になり、誰かに娶らせようということを思いつき、自然児でちょっと頭の足りないペドロに白羽の矢がたった。
政略結婚をしても、引き続き愛人関係を継続しようとのたくらみもあった悪代官。
 そんなこととはつゆ知らず、思わぬ結婚話に喜々として山を降りるペドロなのでした。


第1幕

下界では、何も知らないペドロをバカにして嘲笑している。
村の男モルッチョなどは、以前からマルタが好きだったもんだから、これで自分にもチャンスが、と狙ってしまう始末。
またマルタは、ペドロのことをセヴァスティアーノの悪だくみに加担するとんまな奴と信じ込み、嫌っている。
 モルッチョは、村の長のトマッソを呼び出し、セヴァスティアーノが企んでることをタレこんだものだから、トマッソは悪代官地主に、ほどほどにしなさいよ、と忠告する。
そんな中で、結婚を祝う鐘が鳴り響き、ことは進行してゆく。
セヴァスティアーノは、マルタに愛人を続けることを改めて言い、今宵、部屋に忍んで行くことを約束させ、その合図は彼女の部屋の明かりを灯すこととした。
 なんにも知らないペドロは、不器用ながらも哀れで頑固な花嫁を励まそうとして、かつて羊を攻撃してくる狼を殺して得た銀貨を彼女にあげる。
マルタは、ペドロがセヴァスティアーノの陰謀の加担者でないことがわかってきて、好意をいだくようになる。
彼女は、今宵起こる真実を語り、明かりを灯さずにおけば、彼は来ないと語る。
ペドロは、彼女のそばの床にうずくまって眠ることを希望し、「今夜は狼はこない・・」と歌う。


第2幕

翌朝、明るくなりかけてくる。ヌーリ(子供)が愛らしい朝の祈りの歌を歌う。
ペドロは目を覚ますが、マルタの部屋の明かりが彼を不安にする。
ほんとうは、ここを立ち去りたいペドロは、村の人々と仲良くするこができないけれど、マルタとの友情を深めようと決心した瞬間に嫉妬にも似た思いを感じるようになった。
 一方のマルタは、ペドロに同情と愛情を持つようになる・・・。
長老トマッソは、マルタに自分の生い立ちをペドロに話したらどうかとすすめ、マルタはここでバラードを歌う。
路上でボロをまとって物乞いをしていた孤児のマルタを、家に連れて帰り、家事の仕事も与え育てたのがセヴァスティアーノだったのだ。
こう語って、恥ずかしさと怖れで、死にたくなってしまう思いのマルタ。喧嘩になってしまい、自暴自棄になる彼女、そしてペドロはナイフで彼女を少し傷つけてしまう。
しかし、ここでマルタは気付いたのだ。ペドロが彼女を愛していること、そしてはじめて、自分を束縛するものから解放してくれる人だということに。
ついに二人は心を通わせ合い、こんな低地とはおさらばして、山にいって暮らしたいと歌う。

さぁ、地主セヴァスティアーノがそこへやってきて、ギターを片手に歌う。
そしてマルタと一緒にダンスを踊ることを強要するが、ここへペドロが割り込むものの、摘み出されてしまう可哀そうなペドロ。
そこへ、長老トマッソが登場して、セヴァスティアーノの結婚先に、彼の悪だくみを暴露してやったことと、結婚が破談になったことを告げる。
 クソっとばかりに、何もなくなってしまったセヴァスティアーノは、いままでどおりに、マルタを囲いものにして、よりを戻すぞという。
ところが、マルタは、「ペドロとの愛のために、自由のために嫌よ、戦うわ」と抵抗する。
むりやり口づけしようとするセヴァスティアーノに突入するペドロ。
彼は今までみたいな単純な男じゃない、狼とかつて戦ったように、マルタを片方で守りつつ、片方でセヴァスティアーノに掴みかかり、そして力一杯首を絞めて、ついには殺してしまう。(これは、立派な殺人じゃね。)
「ふたりで低地とおさらばして、山頂へ行こう。正義と自由だ、狼に勝ったどーーー」と意気揚々と二人して山へ登ってゆく・・・・。


オシマイ。

人殺して、それで山へ籠って終わりかよ。。。。
ってな、腑に落ちない終りかただけど、歌手たちに歌いどころは満載、ワーグナーばりのライトモティーフもふんだん、そして何度も繰り返し登場する旋律はすぐに覚えてしまうので、音楽の魅力が台本に勝るということになる。
各幕で歌われる、牧人ペドロ(ペドロは独語にするとペーターですよ)の情熱的で甘味なアリア。
マルタの身の上を語る魅力的なバラード。
悪党セヴァスティアーノの明るくナイスなダンスソング。

羊の番人が、狼を倒す=マルタを愛したペドロが、セヴァスティアーノを倒し解放する。

これが、このオペラのモティーフですな。

このCDの配役は豪華です。
まずは、ルネ・コロにこうした役柄を歌わせると実にうまい。
自然児が人間界に辟易とし、やがて愛を覚えて成長する。
そう、まんまパルシファルでございますね。コロの美声を久々に堪能しましたよ。
 対する悪漢役のヴァイクルも歌い口のうまさが際立っているけれど、この人はやはり、悪人に向いてない。わけ知りのザックスみたいで、ちっとも邪悪さが出てこないのは困りもの。
 モルの長老は味ありすぎ。
で、エヴァ・マルトンのマルタなんだけど、実に立派なんだけども、ちょっと大味でペドロのおっかさんみたい。でもそのドラマテックな声の威力ななかなかのもので、バラードなんて泣かせます。

ヤノフスキのソツのない、オペラティックな指揮が素晴らしく、捉えどころのない音楽を見事に処理している。まさに職人技を感じさせる。

このオペラ、舞台で観てみたいし、チューリヒDVDのなんかも観てみたい。

ダルベールのたくさんあるオペラ、あと1作「死んだ眼」も入手済みなので、いずれご紹介しましょう。

 

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2010年8月20日 (金)

ディーリアス 「フロリダ組曲」 ハンドレー指揮

Azumayama9
たびたびの登場で恐縮。故郷の親善大使みたいになってるし。
数日前の相模湾。
夏は、空も海も、遠くの景色も青色になってしまい、全体が淡いブルーにぼやけてしまう。
光が強いからなんでしょうな。

Azumayama8
木陰と日の中のコントラストが美しい。
わたしの憧れる、英国の丘の丸っこい鮮やかな緑を想起できる郷里の景色。

Delius_florida_north_country
最愛の作曲家のひとり、フレデリック・ディーリアス(1862~1934)。
私の愛する作曲家を3人あげるとなると、ワーグナー、ディーリアス、R・シュトラウスということになるでしょうか。
でもこればっかりは難しくて、10人くらいあげることをお許しいただきたいのが実情。

ディーリアスは、英国作曲家という「くくり」にとどめ置くのが極めて難しい作曲家で、ドイツ人の両親に、ロンドン生まれながらも、実業家の父ゆえにアメリカでの事業体験や、ドイツやフランスでの音楽体験など、まさにコスモポリタンとしての多面的な人格が、こうした各国の体験や風物を通じて出来あがった。

父親は、アメリカ南部でのプランテーション事業を通じて息子に自己の会社を継がせたかったが、当のご本人は、事業にはあまり興味がなく、ネイティブの労働者たちが歌う黒人霊歌や民謡などに興味を示し、それらを採集し研究することに情熱を注いだ。
 実業家と音楽家とは相いれないのですな。
こうした性向は、生涯ディーリアスから離れないのであります。

1887年、ディーリアスの作曲生活の初期に、こうしたアメリカ生活の想いを作品にしたのが「フロリダ」組曲であります。
初のオーケストラ作品にあたるこの作品のライプチヒ初演は、真の聴衆がディーリアスと朋友グリーグの二人だったという・・・・。

4つの曲からなる組曲は、アメリカ南部・フロリダのゆるやかで暖かな風物そのものといった、「のんびり・のほほん・ぼんやり」、といった、いまの我々からしたら、はなはだマッチングする気持ちのよい音楽なんです。

夜明け~ラ・カリンダ
  カリンダ舞曲として有名な曲が第1曲。
  誰が聴いても気持ちいい曲ですなぁ。

②湖畔にて
  これも写実的な音楽で、ともかくフルートの旋律や、ハープの活躍などが涼しげ。

③夕暮れ~プランテーションのほとり
  単純な旋律による雰囲気豊かな曲ながら、盛り上がりはスゴイ。
  ニグロの悲しさと情熱をなんだか感じちゃう。

④夜に
  これ1曲で、南国フロリダのバケーションの結末を味わえる。
  ①の旋律も回帰し、懐かしさのなかに、河波のゆるやかな音も感じさせつつ、
    静かでロマンテックな曲。

これらの雰囲気ゆたかな曲を、明日も明後日もない、休日のゆったりした午後に、まっ白なベンチに腰掛けつつ、自然の醸し出す音を背景に聴いてみたい。
こんな贅沢って、きっと一生訪れることがないのでしょうねぇ・・・・・。
なんてセカセカした詰まらない人生だろうかsign02
亡きハンドレーアルスター管弦楽団の、ちょっぴりローカルな雰囲気の音色は、ディーリアスにぴったり。

テレビでは、ベルリンフィルのヴァルトビューネが放送されてます。
イオン・マリン君は、これからますます旬の指揮者。
N響でも評判がいいいみたい。
アバドの弟子でもあり、ロッシーニのスペシャリストでもある。
そのマリン氏が指揮するベルリンフィルで、濃厚フレミングが歌う「カプリッチョ」の令嬢のモノローグにコルンゴルトのマリエッタ、レオンカヴァッロのボエーム! 
なんて素晴らしいんざんしょnotenote

NHKさんよ、わたくしは、地デジ難民なんです。
今宵のバイロイト中継もふくめて、受信不能者なんです。
画像の右上にアナログの文字が燦然と不動のようにしてます。
これっておかしくないですか?
むりやり・むりくりのお国の政策になんで従わなくちゃなんないの??
全部共存、番組一律がどうしてできないのだろうか??
答えはあたりまえのようにあるんだろうけど、私には納得できませぬ。

  

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2010年8月19日 (木)

ルーセル 「バッカスとアリアーヌ」 エッシェンバッハ指揮

Higashimatsuyama_yakitori1
埼玉県東松山名物、やきとり
焼き鳥の街は、全国にいくつかあります。
北から、室蘭、福島、東松山、今治、久留米など。
 前日の記事で書いた、群馬化石発掘ドライブの帰りが超大渋滞で、高速は使わずに下道を駆使して東松山までたどり着き、名物の「やきとり」のテイクアウトが出来る店を探しまくり、めでたくゲット。

Higashimatsuyama_yakitori2
東松山の「やきとり」は、鳥もあるけど、その代表は豚なんです。
こちらは、そのカシラ肉。
薄めの塩焼きしたものに、手前にある辛味噌をつけて食べるんですup
これが、まぁ、旨いのなんのって。
ビールがんがん行けちゃいます。
車の中をやきとり臭ぷんぷんにさせて帰ってきて、むさぼるように飲んで食べましたよ。
かつて、東松山の現地でこの「やきとり屋」で飲んで食ったことがあるけど、勢いもあってか、20本くらい食べちゃいましたよ。
 肉好きには、たまらない東松山の「やきとり」なのでしたぁ~

Roussel_bacchus_et_ariane
酒の神様といえば、バッカス
ギリシャ神話でのお話。
子供の頃、ロッテのチョコレートで、バッカスというのが発売されチョコの間にブランデーが入っている優れものだった。それを平気で食べてた自分が懐かしいが、その名もバッカスというところがよく出来た命名だったんだ。

アルベルト・ルーセル(1869~1937)のバレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」は、そのバッカスと、アリアーヌ=アリアドネの物語を題材としたもの。
そうです、R・シュトラウス好きにとっては、アリアドネとくれば、「ナクソスのアリアドネ」という図式になりますな。
フランス風にすると優雅な「アリアーヌ」ということになっちゃう。

このバッカスという神様は独善的で、これはと狙った女はものにしてしまう色好きの方。
クレタの王ミノスの娘アリアーヌを怪物ミノタウルスを倒して救いだした英雄テセウス。
ナクソス島で、勝利の宴を催し、テセウスといい感じになったアリアーヌ。
ところが、その彼女をみそめて狙いをつけたのがバッカス様。
アリアーヌを眠らせ、テセウス一行を蹴散らし去らせてしまう。
眠りから覚めて、テセウスがいないことに消沈のアリアーヌが岩陰から身を投げようとするところにバッカスが現れ、その腕に抱きしめ不死の接吻を施し、星の冠を贈るというもの。

ギリシアの神々は、まったく好きものだし、ズルイ方々が多いのだ。

1930年の作であるルーセルのバレエ音楽。
ふたつの組曲として編まれたもののうち、第2組曲が有名で、フランスの演奏家を中心に録音も多い。
優美なフランス音楽としてのバレエを期待すると裏切られるくらいに、この曲は全編にあふれるリズム感と原色の官能美と絢爛豪華な響きに包まれている。
だから、大オーケストラサウンドを楽しむことにも事欠かない。

クリュイタンスやマルティノンらのラテン組のノーブルかつ躍動的な演奏が定番。
変わり種では、FM録音したグシュルバウアーとN響の演奏も素敵なものだった。

本日は、エッシェンバッハパリ管弦楽団と録音したルーセルの交響曲にカップリングされたものを聴く。
パリ管とはフランスものとドイツものをバランスよく取り上げていたエッシェンバッハ。
ベルリオーズ、ラヴェルやルーセル、ブルックナーにツェムリンスキーなど。リング全曲までやってた。
フィラデルフィアでは、マーラー、チャイコフスキーなどでアメリカの聴衆受けするものを。
ふたつの名門オケを、頭脳的に使い分けていたエッシェンバッハだけど、両方の任期が終わってしまったのが残念なことだ。
次のポストは、ワシントン・ナショナル響だというから不可思議なものだ。

このルーセルは、精緻で克明な指揮ぶりのエッシェンバッハに、管を中心にカラフルなパリ管のコンビネーションが鮮やかで、しかも最後の爆発的な全員の踊りの大団円に向けて全体がカーブを描きつつクレッシェンドしてゆくさまが素晴らしい。

酒を飲まずにいられない今日の1枚でありました。


ところで、大詰めを迎えつつある甲子園。
準決勝は、関東同士の組み合わせ。
期しくも、神奈川対千葉。
私の郷里と今の住処。
東海大相模は、体育会系の親類が大学まで出た学校だし、成田はいわばご近所。
どーしたらいいでしょうね・・・・。

どーしよーもないのが、またベイですわweep
他球団の皆さん、もう勘弁してくださいよ。
弱い者いじめはもういいでしょうよcrying

酒飲まなきゃいらんねぇbottle 

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2010年8月18日 (水)

プーランク 「田園のコンセール」 ロジェ&デュトワ

Nogurizawa
清流が涼しげでありましょうconfident

ここは、群馬県の上野村の野栗沢川。
そう、日航機事故のあった村です。
あの事故の日、まだ独身サラリーマンだった私は、一人住まいのアパートに帰るやいなや飛び込んできたニュースに驚愕した・・・。

いまや子供に囲まれて忙しい夏を迎える自分。
宿題の素材にと、盆前に、この隣町の神流町に化石の発掘に行ってまいりました。
奥深いこのあたりも、恐竜時代は海との境い目だったわけで、恐竜の足跡なども現存してます。
汗だくになりながら、息子と1億2000万年前の貝を発掘して、喜々とする親父でした。

この上流に、秘湯・野栗沢温泉があって、汗まみれの体をさっぱりさせようと、狭い道を車で登りました。
そしたらありましたよ、温泉宿が。
Suribachi
ちょいとボケでますが、こちらが宿で、隣にうどんを中心とした食事処。
しかし、ここに入っても見事に誰もいない。
料金のかごがあって、そこに入浴料@500円を入れるみたい。
そんで、奥にある小さなお風呂にかってに入いる仕組み。
しっかし、このお風呂が実にマイルドで、サラっとしててよろしい。
この一日、あたしのお肌はすっべすべ〜。

異常なまでの大渋滞だったけど、息子と二人、いい思い出がたくさんできました。

Poulenc_concert_dutoit
 クラシカルなまでに懐かしい雰囲気の協奏曲。
ランドフスカから依頼を受けてプーランク(1899〜1963)が書いた、ハープシコード協奏曲、「田園のコンセール」。
1927年の作品で、軽快で小気味いいプーランクならではの作風で、クラブサンという楽器も意識した古典的な作品。
深刻、荘重、激情、悲劇性などとはまったく無縁の世界。
これを聴いて、「フランス風に整えられた田園にいる気分になる」と言ったプーランク。
確かにバロック期の整然とした幾何学的な庭園とその周辺の緑を思わせる上質な音楽だ。
はっきりとした3楽章形式で、軽快かつ爽快な1楽章、やや憂愁を帯びた田園牧歌の2楽章、脳天気なまでにあっけらかんとした3楽章。

ほんと、お洒落で、爽快な曲であります。

パスカル・ロジェシャルル・デュトワ&モントリオールの演奏は、聴かずしても、そのイメージが浮かびますね。
そう、まさにそのイメージ通りの絵に描いたような素敵な演奏は、文句のつけようがない。
ルージッチコヴァとマルティノンのレコードをかつてよく聴いていたものだが、そちらも非常に音楽的な演奏だった。
でも、どちらも、もう少し遊び心が欲しいかな・・・・。

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2010年8月17日 (火)

バターワース 「青柳の堤」 デル・マー指揮

Azumayama1
残暑お見舞い申し上げます。

しっかし、暑いですなぁ~

今日は都内で38.2度を記録。
観測史上の最高気温は、熊谷と多治見の40.9度。
世界最高は、なんと、なんと、58.8度。イラクのバスラで記録されてるsun
いったいどんな気温なんでしょう 想像もつきませんよ。
50度超えは、各地で記録されてるみたい。

お盆休みに、実家へ帰り、のんびりしてきました。
暑いを連呼する休暇だったけれど、朝早く、毎度おなじみの吾妻山公園に登ってきましたよ。
朝でも30度超え。
でも、緑のシャワーを浴びながら汗をかきつつ、頂上はご覧の通りの絶景に、涼しい風。
生き帰りましたねぇ~dog

Azumayama2
相模湾、遠くに真鶴、伊豆半島を望む。
手前には、コスモスがもう咲きほこっておりましたよ。

Azumayama3
まだ淡い色合いで、線も細いけど、暑さにめげずに咲いてます。

Del_mar_bridge_butterwarth

こんどは、音楽でクールダウン。
ジョージ・バターワース(1855~1916)は、第1次大戦で31歳にして戦死してしまった英国作曲家。
父親のアレクサンダーは、北西鉄道を経営する実業家で、ジョージは法学を学びつつも、英国民謡の調査に没頭し、音楽にものめり込んでいった若者だった。

作品の多くは、自己批判精神の強いバターワース自身によって破棄されてしまい、のこされた曲は、そう多くはないが、そのいずれもがナチュラルで、シンプル。
そして詩情に満ちた桂曲ばかり。

1914年にロンドン初演された「青柳の堤」The Banks of Green Willowは、5分ほどの短い牧歌で、民謡調のフレンドリーな作品。
柳が垂れ下がる流れるともしれない河のイメージが、とてもよくあらわされている。
日本の夏の柳の下は、ちょっと怖いけれど、英国の夏の柳は、なんだかとても涼しげ。

柳の下の河・・・・、ハムレットとオフィーリアを思い起こすこともできます。
こちらは、とても寂しいシーンが想起されるけれど、このバターワースの音楽にも、どこか物悲しいムードが流れております。

このCDには、ブリッジの同様の荒涼とした作品もおさめられております。
それと、夏や弦楽組曲といった素敵な曲も。。。。
これらは、また機会をあらためてご紹介しましょう。

名匠ノーマン・デル・マー(あのベートーヴェンのベーレンライター版の親父)指揮する、ボーンマス交響楽団の雰囲気豊かな演奏で。

Azumayama4

「ネビル・マリナーのバターワース」

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2010年8月15日 (日)

ブリテン 戦争レクイエム ジュリーニ指揮

Sarusuberi
今が盛りの花、百日紅=さるすべり。
この漢字からどうやったら、「さるすべり」になるのだろうか?
調べたらなんのことはない。
二つの特性が読み込まれているわけだった。
「百日紅」は、原産の中国由来で、赤っぽい花が長きに渡って咲き続けるから。
「さるすべり」は、この花の木の幹が、つるつるしてて、お猿さんも滑って登れない、という日本名。
 面白いですな。

で、この花は、最近は、日本の8月、お盆の頃をイメージさせる花でもあります。

Britten_war_requiem_giullini

8月の日本は、広島、長崎、終戦と、戦争にまつわる悲しい出来事に塗りこめられている月だ。
それが、お盆という祖先を祭る日本の風土行事(新暦)と符合して、多くの方が生まれ育った郷里で過ごすという状況に結びついて、1年のうちで、もっとも懐かしくもゆったりとした気持ちになれる頃あいなのだ。

ヴェルディのレクイエムとともに、この時期に必ず聴いている音楽が、ブリテン戦争レクイエム
これまで、弊ブログでは、作曲者自演のCDや、アルミンクのライブなどを取り上げてきた。
1961年の暮れに完成し、翌年初演(メレディス・デイヴィス)、さらにその次の年63年に作曲者自身が蘇演したときに録音されたのが、永遠不滅のデッカ録音。

この録音があまりにすごすぎるものだから、門外不出的になってしまい、どこのレーベルもその後の録音ができなくなったくらい、というか作曲者の了解がとれなかった。
録音史上、次を飾ったのが20年後、83年のラトル盤。
そのあとは、多々録音がなされております。

一方、初演後の60年代の演奏状況は、コリン・デイヴィス(62独初演)、ラインスドルフ(63米初演)、ハイティンク(64蘭初演)、ケルテス(64墺初演)、アンセルメ(65瑞初演)、サヴァリッシュ(65独再演)、ウィルコックス(65本邦初演~読響)・・・、ざっとこんな感じです。
初演されてから世界に広まるまでのこの年月は、ちょうどビートルズの全盛期と重なるところが面白いし、ビートルズも若い世代の反戦の旗頭だった。

ジュリーニは、50~60年代イギリスを中心に活躍していて、ブリテンの作品も録音しており、この戦争レクイエムを指揮することも熱望した。
ブリテンに近かったM・デイヴィスやブリテンの生誕50周年(63年)を企画したギッシュフォードらに、このイタリア人指揮者に戦争レクイエムを指揮させるべきだ、との推薦をしてもらい、68年にエディンバラ国際音楽祭で、ついにジュリーニの戦争レクイエムが実現した。
この時のソリストは、レコーディングの時と同じく、ヴィジネフスカヤ、ピアーズ、F=ディースカウといった豪華面々。
戦勝国、敗戦国、ともに戦いをまみえた国々のソリストによる、まさに反戦レクイエムの趣旨を反映させたオリジナルメンバーで・・・(初演は実はH・ハーパーだった)

 さらに翌年69年に、ロンドンのアルバートホールでも演奏されたジュリーニの戦争レクイエムで、その時のライブが本日のBBC音源によるもの。
実は、ここではソプラノは、ポーランド系のヴォイツォヴィッツに代わっている。
68年のソ連のチェコ侵攻(プラハの春)の影響もあるわけで、戦争を憎んだブリテンはきっと歯ぎしりをするほどの思いであったでありましょう。

というわけで、60年代の「戦争レクイエム」の演奏史に大きな足跡を残したジュリーニの演奏が、こうして聴けるのは本当に喜ばしいことであります。
70年代後半、DGで活躍したころ、ジュリーニに正規録音の計画がありながら、それが実現しなかったのは極めて残念。
シカゴか、ロンドンフィル、フィルハーモニアあたりでやって欲しかった・・・・。

   S:ステファニア・ヴォイツォヴィッツ T:ピーター・ピアーズ
   Br:ハンス・ヴィルブリンク

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/合唱団
                    ワンズワース・スクール少年合唱団
  ベンジャミン・ブリテン指揮 メロスアンサンブル
                         (1969.4.6@RAH.ロンドン

音揺れが若干あるものの、鮮明なステレオ録音で、聴衆のノイズもしっかり拾っているけど、鑑賞にはまったく問題なし。
79分、CD1枚に収まってしまったこの演奏は、強い集中力で全体がキリリと引き締まり、聴く側も背筋を伸ばしつつ聴きこむことになる。
ブリテン自身が、小編成のアンサンブルを近くで指揮しているので、心強い半面、やりにくかったであろうが、ジュリーニは真摯かつ熱い共感をもって、そうあの指揮棒を握りしめる独特の指揮姿でもって曲に対峙しているのが目に浮かぶような演奏であります。

神秘的でクールな冒頭レクイエム、ピアーズが早くも没頭感あふれだす序章。
ミサ典礼文による場面と、オーウェンの詩による深刻なる場面が交互に交錯しあう曲で、それらの描き分けがポイントで、ジュリーニはオペラに打ち込むようにして見事に描ききっている。
金管のブリリアントな響きが威圧感なく響き、速めのテンポで駆け抜けるようなディエス・イレは超かっこいいブリテンサウンドが満喫できる!
訥々とした語りかけるようなラクリモーサは、ヴォイツォヴィッツの名唱もあって心に突き刺さるよう。
少年合唱が活躍する明るめのオッフェルトリウムの錯綜するリズムと楽器の交錯するさまがとても見事。
最後にオケと合唱が炸裂するリベラ・メに次いで、この曲の核心部が始まる。
テノールとバリトン、敵国同士の兵士の対話。ピアーズの背筋も凍るような迫真の歌にFDを忘れさせるィルブランクのバリトン。
オケの背景も不気味な静けさから、徐々に浄化されてゆくさまが実に素晴らしい。
そして最後の「Let us sleep now・・・・」の感動的な場面が始まる。
どんな演奏でも、ここに至ると感動で涙が出てしまうのだが、音楽の本質をとらえたジュリーニの厳しい眼差しから零れる優しい歌心が痛く素晴らしい。
 残念なのは、最後の和音で、聴衆の誰かさんの咳が一発思い切り入ってるところ。

ピアーズのブリテンの意志と、それこそ一体化したかのような迫真の歌は素晴らしい。
また東欧系のすこし陰りのある声をもったヴォイツォヴィッツも感動的。
そして、彼女は、アバドがザルツブルクでマーラー「復活」を指揮して衝撃登場したときのソリストなんです。気が付いたらシュタイン指揮による「トスカ」でも歌ってました。
ウマすぎるFDが、独自の世界を作ってしまったので比較されちゃうと気の毒ながら、オランダのヴィルブリンクというバリトンは、ニュートラルでその自然さがよいのかもしれないが最後は素晴らしいです。

好きな曲なもんで、思い切り長くなりました。
手持ち音源は、作曲者、ジュリーニ、ガーディナー。
FMCDRとして、サヴァリッシュ、ハイティンク、ギブソンなど。
これから毎年1作づつ増やしていこうと誓うクラヲタ人なのでした。

「ブリテンの自演盤」

「アルミンク&新日本フィル」

Takasaki

7月に従姉の1周忌で訪れた墓地は、高崎の街を見下ろす場所にありました。
この内陸の街にも米軍機は飛来し、焼き尽くしたのでありまして、調べたら8月14~15日のこと。
原爆投下後も、こうして各地の軍需工場のある街を攻撃した米軍。
意地を張り続けた日本軍が、もっと早く決意していれば、多くの犠牲者を出さずに済んだのに。そして、整然とした碁盤の目のような街なみじゃなくて、昔ながらの街がもっと各地に残ったのに・・・・・。
歴史は残酷であります。
敗戦の意味をよく考えてみる必要がある今のニッポンです。

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2010年8月13日 (金)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 アバド指揮

Biei_1
今年5月の北海道、美瑛。
前の晩が零下になるくらいに寒くって、翌朝は晴れ渡り澄んだ空となった。
有名なパッチワークの丘も、シーズンオフは、こうして何もなく、ひと気もない。
観光地の顔をしていない素顔の北海道が大好きで、苦労は並み大抵ではないけれど、引越してしまってもいいと思うくらい。
キーンと澄んだ空気がいい。

Salzburg1 Salzburg2

クリックしてしまいました、買ってしまいました、ザルツブルクの祝祭大劇場50周年のアンソロジーセット。
充実の25CDセット。
オペラ5作品、オーケストラ・コンサート18、リサイタル2。
ここにそのすべてをご紹介するゆとりはないので、HMVサイトで内容をご確認あれ。

カラヤンのバラキシ、フリッチャイのイドメネオ、アバドのヤナーチェック、バレンボイムのオネーギンなどのオペラに心動かされつつ、アバドの悲愴やメータの英雄の生涯などに大いに触手をそそられ購入、いや酔ってクリックしてしまった次第。

そのアバドチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」をまずは聴いてみる。
1993年8月23日のザルツブルク音楽祭での、アバドとベルリン・フィルハーモニーの演奏のライブ。
これは実にスゴイ演奏で、カラヤンの後ゆえに、あれこれ言われてたアバドが、ライブで本気出しまくりの乗りまくったアバドの最良の姿がここに聴いてとれる。
ともかくこの集中力と、それが引き起こす熱気は尋常ではないsign03

普通にテヌートぎみに始まる第1楽章が歌いまくりつつも、終始熱いまま終え、オケの隅々まで気持ちよさそうな第2楽章を経て、元気な第3楽章では、最初のほうこそ手堅くきっちりと進行するものの、徐々にテンションが上がってきて、テンポもあがって最後は熱狂的になる。
そのエンディングから息つく暇もなく、アタッカで始まる最終楽章。
これが、この演奏の白眉。
高弦で歌いまくる弦に、思いの丈を入れ込んだ管、むせび泣くような金管にメリハリの効いたティンパニ。
強弱の幅もはっきりしてて、高性能のオーケストラが、地位も名誉も、そして個人の領域もかなぐり捨てて、熱く燃え上がるアバドの棒のもとにその思いを集中させている。
アバディアンにとっては、この終楽章を聴くだけでも、この25枚の価値はあろういというもの。
ここでは、めったに聞くことができないアバドの唸り声も聴こえる。
亡くなった筑紫哲也氏が、この演奏を聴いて大変な感動ぶりを語っていたのが懐かしい。

アバドの3つめ、伝説の「悲愴」がここに登場したことを喜びたい。

ウィーン・フィルとの1回目の録音は、ウィーンの魅力溢れ、生々しい録音とともに、若いアバドの早春譜のような素敵な悲愴だった。
シカゴとの録音では、落ち着きとオケへの信頼感が、堂々とした悲愴を作りあげていた。
ここでは、CBSの潤いのない録音がマイナスで、DGに録音してくれればもっと印象は変わったかもしれない。
そして、ベルリンフィルとのライブは、ライブならではの壮絶な悲愴だった。
 シモン・ボリバルとのライブ映像は、録画済みながら未視聴。

「アバド&ウィーン・フィルの悲愴」

Biei_2
大地をひた走るように、どこまでも続く、未聴CDの山。
この先、どうなるんだろ。

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2010年8月12日 (木)

シュレーカー、コルンゴルト、マーラー プロムス2010  メッツマッハー指揮

Rainbow1
今日の夕方の空に虹がかかったそうな。
娘が撮った写真です。
レインボー、ダブルで。

Metzmacher2
プロムスの世紀末プログラムを録音しつつ聴きました。
マーラーをメインに、シュレーカーコルンゴルトを前半に据えた濃厚演奏会。
こんなことができるのは、メッツマッハーベルリン・ドイツ響のコンビならでは。
あとは、前任のケント・ナガノやコンロンぐらいかsign01

 シュレーカー  「遥かな響き」~夜曲

 コルンゴルト  ヴァイオリン協奏曲
   

          Vn:レオニダス・カヴァコス

 マーラー    交響曲第7番「夜の歌」
                                      

   インゴ・メッツマッハー指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
              (2010.8.10@ロイヤルアルバートホール)

シュレーカーの曲は、オペラの第3幕の間奏曲で、官能的な痺れるような音楽。
も~たまりません。
オケが完全にシュレーカー節を体得しちゃってます。
「遥かな響き」は、いまハマってるオペラでして、近々記事アップ予定です。
シュレーカー+メッツマッハー+ベルリン・ドイツ響・・・理想的な組み合わせじゃぁないですかsign01

ついで、カヴァコフの弾くコルンゴルト
も~とろけてしまいそう。わたしの最高に好きなヴァイオリン協奏曲。
わたしの、4大ヴァイオリン協奏曲は、コルンゴルト、バーバー、ベルク、ディーリアスなんです。
普通じゃないですな。
この曲のスペシャリストみたいなカヴァコスさん、素晴らしいです。
 1楽章が終ると拍手が起きてしまうのが、プロムスならではのご愛敬だけど、この拍手、マーラーでもちょびちょび起きてしまうから、これはどうも考えものだ。
センチメンタルで泣けるし、歌い口が鮮やかな第1楽章。
ロマンティックに滔々と歌いアルバートホールに美音が響きわたる第2楽章。
スリリングで無窮動的競演が見事な第3楽章。
これは、実にいい演奏じゃぁないですかsign01

最後は、ホルンが出だしコケちゃって痛いけれど、快調に低徊することなく進行するクールでキレのいいマーラーだ。
それでいて、7番の持つ奇矯な雰囲気も見事に醸し出しているし、セレナードも実によく歌っていて美しい。
これは、実にカッコいいマーラーじゃぁないですかsign01

メッツマッハーと相性ピッタリのベルリン・ドイツ響だけど、2007年から着任したこのオケをもう退任してしまうらしい。
いままで、この指揮者をろくに聴いてこなかったけれど、こうしてストライクゾーンを刺激してくれちゃう演奏を聴くと、これからいろいろ聴いてみたい。
 そうそう、今年、新日本フィルに来てマーラー振るみたいじゃないですかぁsign01

これまでの、プロムス、全部は聴いてないけど、ラニクルズのマーラーとエルガーがよかった。
あとラトルと古楽オケによるトリスタンの2幕も面白かったけれど、トリスタンのヘップナーがメロメロだった。
ネルソンスの新世界は奇をてらいすぎなれど、若々しい。
プロムスは、あと1ヶ月。大物が順次出てきます。

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2010年8月11日 (水)

どうした、ベイスターズ・・・・

Baystars
こんな力強いホッシー君とは無縁の、我がへっぽこベイスターズ
定位置に居座るのはいたしかたない(いや、この時点でもう情けなくも妥協してるファン)としても、先週末のヤクルト戦における3連敗はひどかった。
負けるにしても、ほどがあって、負けっぷりがハンパじゃない。
4対16、7対10、4対11の3連敗。
点を取られるのは投壊状態ゆえにやむなしながら、エラーがらみが多い。
そして、安打数は、17、9、13。
こんなに打って15点しか取れない異常な打線。
投打ともに、壊れてしまったベイスターズ。
12年前の優勝時に立ち会ったワタシとしては、こんなにふがいない思いをしたことはありませぬよ。。。。

ところが、昨日・今日と、中日に勝ってたりしてて、投手が踏ん張った。
でも得点は、外人選手のホームランばかり。
これもまた心配な勝ち方。

でも勝ちは勝ち。
ハーパーは年棒も手ごろで、日本球界での活動を希望してた拾い物のような助っ人。
7月から稼働で、3割7分、11ホーマーの29歳の真面目ハーパー君は、絶対に手放しちゃダメ。
シーズンオフには、くそ金満球団から狙われのは必須だが、第2のクルーンやウッズ、そしてパチョレックの二の前を踏んでは絶対にいけない。

ありあけのハーバー・キャンペーンや、打ったらIWハーパー半額のキャンペーンを打ってる球団。
ハーパー君が打って、勝てばこんなに嬉しいことはないですよーーーー。

Sihimura_bay_3 
西村智実さんも始球式に登場baseball

川崎時代から応援している大洋ホエールズ。

神奈川フィルともに、神奈川県人の魂をとらえてやまず、どっちもハラハラしながらも大好きなのであります・・・。
西村さんを聴いたことのない、クラヲタ人ゆえ、神奈フィルにも来て欲しいもんです。

しっかし、高校野球、仙台育英と開星の試合は凄かった。
ダイジェストでいま見て、体が震えましたよ、、、、。。。

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2010年8月10日 (火)

バーンスタイン 「キャンディード」序曲とアリア 

Tokyo_tower20107
三田方面から、赤羽橋・東京タワー方面へ走るクラヲタ人。
運転しながら、やみくものシャッターを切ったら、こんな感じに撮れました。
タワーは、夏バージョンの白いイルミネーション。

1週間前に観劇したバーンスタイン「キャンディード」がどうしても忘れられない。
佐渡裕さんの熱意あふれる指揮と、完璧に出来あがったチームの出演者もよかったが、何といっても素晴らしかったのは、ロバート・カーセンのセンスあふれる演出。

情報満載の舞台は、1度ではとうてい把握できず、何度も観て確認したい想いが捨てきれず、週末のオーチャードホールにどれだけ行きたいと思ったことか。
ウォーナーのトーキョー・リングにも匹敵するくらいの、豊富なアイデアとその垂れ流し状態。
受け取り手は、それぞれにその意味を受け止め、自分の中で消化・解釈するという楽しみがある。

「キャンディード」の全曲盤は、まだ持ってないので、今日は序曲と私の大好きなクネゴンデのアリア「着飾って浮かれて・・・」を手持ちの音源で聴いてみる。

Previn_lso
序曲で、一番好きな演奏は、プレヴィンロンドン交響楽団
歌いまわしが実にセンスがよくって、おしゃれ。
軽快さと沸き立つような喜ばしさにあふれ、羽毛布団のように豪華な肌触りもある。
70年代のプレヴィンとロンドン響の演奏は、いずれも素晴らしいものばかり。
Fiedler_bpo
これぞ、アメリカン!
とか思いつつ聴くと、意外と渋い感じで、かなりシンフォニックにまとまってるのが、フィードラー指揮のボストン・ポップス
ヨーロピアンな雰囲気あります。
しかし、このオケはうまいもんだ。DGがこのコンビの録音をたくさん残したのに、日本では、あんまり発売されなかった。
Copland_bernstein
そして、ご本人バーンスタインの演奏。
ニューヨークフィルとの演奏は未所有、晩年のロンドン響との全曲ライブは遅すぎ。
ロサンゼルス・フィルとの演奏は、まさに自在そのもので、ご本人が一番楽しんじゃってるナイスな雰囲気。
ロスフィルの音色は明るいsun

Upshaw
このたびのオペラ観劇がなければ、クネゴンデはこんなに我がままで、お金大好きな女子だとは思わなかった。
 華やかな生活に、金銀ネックレスに囲まれて贅沢に生きるのと歌うクネゴンデ・・・・。
生真面目なお人よしのキャンディードは、子供をたくさん育てて小じんまり幸せに畑を耕しながら暮らしたい・・・。
この鮮やかな対比が面白いし、人間のサガを感じさせますな。

で、私が好きなのが、ドーン・アップショウの素敵な歌。
この人のきめ細やかで、明るい人柄がにじみ出たような歌声に、わたしはどこにでもいる等身大の女性を感じ取ることができる。
アメリカンな彼女、バーンスタインと同じDNAもありやと思わせる朗らかな歌いぶりnote
Emi_gala
ところが、このアリアを歌わせては、この人の右に出るものはいない。
ナタリー・デセイ様であります。
まさに王女さまの風格。
天衣無為、変幻自在、完璧無比・・・、どんな賛辞をも辞さないとてつもないすんばらしさsign03
それでいて、メカニックな王女さまだけど、全然冷たくなくて、あったかい歌声。
クールで暖かい、という妙な誉め方であります。
グライドボーンのガラコンサートのライブだけど、ライブとは全然思えない完璧さに驚嘆heart02

この映像をご覧ください。
目が覚めますeye



それから、忘れてならない私のアイドル、パトリシア・プティボンもこの曲が得意。
昨秋の来日時には、このアリアばかりか、キャンディードの最後の歌までも披露してくれた。
完璧な技巧を伴いながらも、デセイとはまた違う次元で、小悪魔的なカワユイ女子を歌い込んでました。
彼女の音源はなくって、ここでそのサワリが見れます。



佐渡裕プロデュース「キャンディード」記事 ①

佐渡裕プロデュース「キャンディード」記事 ②

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2010年8月 8日 (日)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 バイロイト2010 ティーレマン指揮

Bayreuthjpg2
行きたいな、憧れのバイロイト
いまはもう違うんでしょうけど、ワーグナーにハマりだしたころに読み漁った本では、この劇場は空調がなく、椅子も木でお尻が痛くなるし、通路がないから、端の方の人は中の方が席に着くまで立っていなくてはならない。。。。云々と。

まさに聖地とも呼べる厳しさを感じたけれど、そうした苦行を経てもワーグナー作品を味わうために世界からワーグナー好きが集まるわけだ。
わたしの部屋には、昨年まで、冷暖房がなく、夏は汗だくになりながら、冬は厚着をして丸くなってワーグナーを楽しんできた。
これも苦行といえよう(笑)。
オペラや楽劇が最終場面を迎え、その末に味わう快楽たるや、そうした苦しみを乗り越えてあまりある喜びなのです。
 そんな中でも、リング4部作をすべて聴き終えるときの満足感と完結感は、あらゆる音楽作品の中でも特別なものでありましょう。

Thielemann
ティーレマンが指揮する「ニーベルングの指環」も今年5年目で、最終回。
タンクレート・ドロストの演出は、画像だけではさっぱりわからない。
妙な衣装が気になるのみで、今年ビデオ撮りが行われるだろうからいずれのお楽しみに。

しかし、バイロイトのサイトからオンラインライブが放送されますよ。
「ワルキューレ」のみですが、有料で8月21日から。
な~んて言ってたら、NHK様が同じものを生放送するじゃあ~りませんかぁsign03
しかも、マイスタージンガーまで。トリスタンもやるけど、こちらは持ってるし。

ワルキューレだけ見せて、4部作で釣ろうという魂胆に違いない。まったく。

Rheingold
今年のリングを、オンデマンド放送でちょろちょろと聴き進め、ついに全部聴きましたよ。

ラインの黄金」からでも顕著で、「神々の黄昏」を聴き終えて痛感したのは、やはり、ティーレマンの指揮のすござ。
ベームやシュタイン、シュナイダーらの速めのインテンポによるカッチリとしたリングとは、一線を画する自在かつ重量級のリング。
かつての、パウゼを多様しまくり、かえって気の抜けた空虚ぶりを感じさせてしまったティーレマンのイメージはバイロイトに登場し始めてからすっかり影をひそめ、タメやのばしなど、時おりやらかす仕掛けが次々に決まり、不自然さもなくなって堂々たる演奏をするようになったと思う。
 リングを知りぬいた者としては、「ここでこんな風にしてみたらどうだろう・・・」っていうところが、ティーレマンだと、そうしてくれるので、「あ、そうなるか」とか「それいい!」って思えて、まことに気分がよろしい。
それは、の輝かしいエンディングだったり、ジークムントとジークリンデのロマンテックでかつ悲壮感あふえる二重唱や逃避行だったり、ウォータンの別れの切なさだったり。
またジークフリートの憧憬や、ミーメとさすらい人の長いクイズ合戦、ラインの旅・葬送行進曲、自己犠牲らの名曲の神々しさだったり・・・と、あれこれあげ連ねたらキリがない。
15時間の長丁場、空白感はひとつもなく、すべてにドラマがみなぎっていて、音楽がそれこそ語っているのがわかるのだ。

Walkure
 しかし、この説得力あふれるティーレマン・リングに疲れてしまうのも事実で、そう何度も聴けるものでもない。繰り返し聴けと言われたら、しばらくいいです、と答えるでしょう。
ベームやショルティ、カラヤンの方が長く聴き続けるに耐えうるものと思ったりしてる。
 ティーレマンは、その点、実際の劇場で一度限りに体験すべきものかもしれないし、もしかしたら毎度異なる演奏をもしかねない油断のならないツワモノにも思われる。

Walkure2
実力派のそろった歌手たちは、私には好みがわかれる方々も混在。

今年は、最後なのに新顔がいて、これは次のリングのプロダクションに向けた布陣なのだろう。
 ヨーハン・ボータのリリカルなジークムントは、美声でありながらスピントも効いていて、こんなに素敵な歌声のジークムントは聴いたことがない。陰りはいま一つだけど。
しかし、この人、声とそのお姿にギャップがありすぎ。(そう、デカイんです)
 ジークフリートは、このところ活躍中のカナダのランス・ライアン。メータのヴァレンシア・リングにも出てますな。私は初聴き。
この若々しいジークフリートは、なかなかのもので、力強さとリリカルな歌いまわしと両方を兼ね備えているように聴こえる。時おり、歌い崩しが聴かれ、それがちょっといまひとつ。
経歴を見ると、J・ライモンディやベルゴンツィにも学んでいて、イタリアものも歌うみたい。
これから活躍しそうな人。
Siegfried1
最初の頃はイマイチだったドーメンのウォータンも、暗めの音色による堂に入った独自の神々の長を作り出していたし、クンドリーからフリッカにまた戻ってきた藤村さんの存在感もまた嬉しいもの。
新国で楽しんだ、シュミットのユニークなミーメ、端役からジークリンデとグートルーネに上がったエデット・ハラーの真摯でチャーミングな歌。
あと、新国バラクが素晴らしかった、ルーカスのグンターもいいです。

Gotterdammerung
 ワトソンのブリュンヒルデも、われわれには親しみ深いものだけれど、ちょっと大ざっぱすぎやしないか、と。
ショーアのアルベリヒ、ハルファーゾンのハーゲンは、ともに長く歌っているけれど、ちょっと声が軽すぎと聴かれるが、演出上はもしかしたら合っていたのだろうか。

Bayreuth
舞台奥から見た劇場の画像を発見しました。
死ぬまでに、いつかあの席に座ってやるsign03

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2010年8月 7日 (土)

ヴェルディ レクイエム シュナイト指揮

Anne_3

先週末の、西宮「キャンディード」観劇前に訪問した「アンネのバラの教会」。
アンネの日記につづられた平和と愛への思いを受け継ぐべく設立された教会。
庭には、アンネの立像が立ち、そのまわりには、「アンネのバラ」と呼ばれる黄金に近い色のバラがたくさん植えられている。
もうシーズンは終わってしまって残念。
こちらで見てみてください。

Anne_5
西宮の山の手に建つちょっと可愛い教会。
かなりの坂道を登り、もう汗だく。
でも、ここは高台、さわやかな風が吹き抜けていました。

Verdi_requiem_schneidt
 毎年、夏のこの時期に聴きたくなる曲。
ヴェルディレクイエム
何度も書くことで恐縮ですが、中学の時に、テレビでバーンスタインの指揮する演奏をテレビで観たのが8月で、これがきっかけ。
飛んだり跳ねたり忙しいバーンスタインだったけど、祈るような指揮姿にこそ、レクイエムの本質を見た思いだった。

いくつも音源を揃えたけれど、やはりアバドとスカラ座のものが一番であることは自分のなかで変わりがない。

今回は、見つけたとき、こんなのあったのかと驚いた、ハンス・マルティン・シュナイト指揮のCD。
シュナイト師のイメージは、どうしてもバッハを中心とするドイツの宗教音楽のスペシャリストということになってしまうが、教会の少年合唱団からスタートし、オルガンも修めたことから宗教と教会音楽が身にしみついている事実からである。
そして、急逝したリヒターのあとを継いで、ミュンヘンバッハの指揮者になったことも、そのイメージを強める事実であろう。

でも、シュナイト師は、オペラ指揮者としても活躍したし、コンサート指揮者としてもいろんな録音を残しているはずだ。
そして、我々がよく知っているシュナイト師の顔は、日本を愛した滋味あふれる姿である。
時に厳しすぎて、演奏者を震え上がらせたらしいけれど、出てくる音楽はいつも優しい歌に満ちあふれ、聴く者を大きく包みこんでしまうような大人であった。

    S:シャロン・スゥイート    Ms:ヤルド・ファン・ネス
    T:フランシスコ・アライサ  Bs:サイモン・エステス

  ハンス・マルティン・シュナイト指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
                       ミュンヘン・バッハ合唱団
                       フランクフルト・ジングト・アカデミー
                         (1988.10.30@ミュンヘン)

この演奏は正直素晴らしい。
イタリア人が一人も見当たらない演奏であるが、ここにあるのはまぎれまない歌心と真摯なる祈りの音楽であり、たまたまそれはヴェルディの音楽であることにすぎない。

だからもっともヴェルディ的な、インジェミスコではテノールのアライサは押さえに抑えられていて、清潔な歌に徹しているのが面白い。
華やかなサンクトゥスも、流線的な流れるような解釈で、少しも浮つかない。
よって、多くの聴き手が期待する、怒りの日の爆発力とドラムの迫力は、ここではおとなしめで、足音はドタドタするけれど、少しも威圧的じゃない。
次ぐトゥーバ・ミルムでは、ラッパの付点が感じられるような特徴的な吹かし方で、まさにくしきラッパを思わせる克明なもの。迫りくる地獄の裁きをいやでも感じさせる迫力も次いで現出する。

ゆったりとしたラクリモーサは、重い足取りで涙にくれているようだが、音色は不思議と明るい。そしてアーメンをもう止まるくらいにじっくり歌う。
哀れなる我、レコルダーレ、ルクス・エテルナ・・・、これら、ヴェルレクの中でも美しい場面は、それこそ歌と温もりに満ちていてずっと浸っていたい耽美すれすれの演奏。

劇的な解釈や抒情的な場面は、聖句の意味するところに重きを置いて施しているようで、こうすることによって、ヴェルディの歌心が不思議とシュナイト節と渾然となってしまい、ユニークなレクイエムが出来あがっているのだ。

女声ふたりは素晴らしいし、バランスもいいが、アライサは苦しそうだし、エステスはちょっと異質で時おりオランダ人が顔を出すのがおもしろい。
合唱の精度はもう完璧です。さすがにミュンヘンバッハ

壮絶でやや重いリヒターの演奏と比べ、少し歌に傾きすぎるくらいに祈りをそこに乗せてしまいヒューマンな演奏としたシュナイト。
ヴェルレクは、どんな演奏でも素晴らしい。

Anne_4_2 

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2010年8月 6日 (金)

ベルリオーズ レクイエム 小澤征爾指揮

Hiroshima_1

去年訪問した広島の平和記念公園。
修学旅行生や、外国のお客さんがいつもたくさん。
どんな人間でも、ここへ行ったら無口になり、同じ人間が造り出す戦争の凶器への怒りを感じることになる。

Hiroshima_3

8月は、日本の戦後のスタートラインの月でもあるが、日本が世界にも例のない悲惨な体験をしてしまった月。
86(ハチロク)、89(ハチキュウ)のことを、もっと世界に声を大にして言うべきとも思うし、一方で、他国になしてきたこともしっかりと認めて、みそぎを続けるという、そんな強いしたたかさも必要で、日本人にはなかなか持ちえない気質かもしれない。
 その点、同じ敗戦国でも、ドイツ人は明快であり続ける国民性で、自己主張とともに、自己批判精神もはっきりしてて豊かだ。
いい悪いがはっきりしてる。

Berlioz_requiem_ozawa

小澤征爾が、渡仏してコンクールをいくつも突破していったのが50年前。 
 一人の才能ある音楽家として、こいつはいい、と認められた日本人。
師事した名指揮者たちの中にシャルル・ミュンシュがいる。
思えばミュンシュと同じポストをたどり、ベルリオーズやラヴェルを特に若い頃に得意にした小澤さん。
ボストン交響楽団と同時に、パリ管弦楽団をもよく指揮してたので、パリ管の指揮者になることもファンとしては願ったのだけれど、いくつかの録音を残したあとは、パリでの活動はフランス国立管が中心となった小澤さん。
フランスのオケとのベルリオーズも聴きたかったところである。

DGへのベルリオーズ録音がコンプリートされず、RCAやCBSにまたがることになったのは、イマイチ残念。
DGというレーベルは、有力アーティストが名前を連ねていたので、アーティストが録音したいレパートリーも非常に制約を受けると、というようなことを小澤さんはDG専属時代に語っていた。
ちなみに、DGは、そのあと、バレンボイムとパリ管でベルリオーズ全集を企画し、さらにそのあと、レヴァインとベルリンフィルでも企画したが、いずれも未完。

合唱付きの大作を手際よく明晰に聴かせる小澤さんは、ベルリオーズのレクイエムを若いころから得意にしていて、何度も取り上げていたはずだ。
シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、という途方もなくバカらしい巨大な編成を必要とするこのレクイエム。
さぞかしすさまじい大音響なんだろう、とやたらと期待しつつFM放送を録音したのが小澤&ベルリン・フィルのライブで、高校生の頃。
 たしかにティンパニとラッパが鳴り渡るトゥーバ・ミルムのド迫力はすさまじいもので、カセットテープでは音がびり付いてしまい、どうしようもなかったくらい。
でも、そんな大音響の場面は、全曲80分間の中のごく一部。
 このレクイエムは、抒情と優しさに満ちた美しい音楽なのだと、何度もそのカセットテープを聴いて思うようになった。
その後にやはり放送録音した、レヴァインとウィーンフィルのライブでも、ウィーンのしなやかな音色が際立つ優しい音楽として実感。

こうした硬軟の際立つイメージを持ちつつ、正式音源を手にしたのはCD時代になってから。
その珍しい組み合わせとレーベルの珍しさからずっと聴きたかった「ミュンシュ&バイエルン放送、シュライヤー」のDG盤をまず購入。
この剛毅さと歌心を併せ持った名盤は、いずれまた取り上げたいと思う。
 その後、バーンスタイン、プレヴィン、そして今宵聴いた小澤と揃え、演奏会でもゲルギエフと読響の意外なまでに祈りに満ちた名演も聴くことができた。

ベルリオーズのレクイエムが結構好きなのであります。

作品番号5、ベルリオーズ34歳の作品は、その若さがとうてい想像もできないほどの、壮大さと緻密さ、そして教会の大伽藍のもとで聴かれることを想定して書かれた響きの放射。
一方で、心にしっかりと響いてくる祈りの音楽としての立ち位置もしっかり確保されている。
ベルリオーズの本質は、ばかでかい巨大サウンドではなく、抒情味にあると確信できる音楽に思う。

冒頭のレクイエムからキリエの場面では、死に際しての戸惑いや祈りを模索するかのような静かな出だし。
そして、最後のアニュスデイでも、冒頭部分が繰り返されるが、不思議なまでの清涼感が漂い、ティンパニの静かな連打もかつての怒りが遠く過ぎ去って平安が訪れようとする安堵感に満たされて曲を閉じる。

 これらに挟まれて、ディエス・イレ(トゥーバ・ミルム)の爆音、明るいまでの輝かしさを持つみいつの大王、無伴奏の合唱による静かな雰囲気のクエレンス・メ。
ラクリモーサは、涙の日を怒りで迎える趣の強い大音響サウンドを持っている。
オーケストラのリズムの刻みがやたらと印象的で、この作品の中でも好きなか所。
続く奉献唱のドミネ・イエスでは、また静かで抒情的になって木管を中心としたオーケストラの背景が美しい。
終曲にも同じ場面が回顧されるホスティアスは、男声、トロンボーン、フルートによる宗教的な対話のようである。
そして、この曲最大の聞かせどころがサンクトゥスで、テノール独唱が天国的なまでに美しく神を賛美して歌う。これはもうオペラアリアのようである。
続くホザンナのフーガのような壮麗な合唱、そしてまたテノール独唱が回帰し、その後も眩しいくらいに高らかにホザンナが歌われ、最終のアニュスデイに引き継がれる・・・。

小澤さんの演奏は、この作品のこけおどし的な存在から背を向け、ベルリオーズの抒情性が綾なす祈りの音楽という本質に迫った真摯なもので、師であるミュンシュやバーンスタインとも違った独自のベルリオーズとなっていると思う。

  小澤征爾指揮 ボストン交響楽団/ダングルウッド祝祭合唱団
            T:ヴィンソン・コール
                    (1993.10@ボストン)

Hiroshima_2

Hiroshima_4

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2010年8月 5日 (木)

神奈川フィルハーモニー@ミューザ川崎 金聖響 指揮

Mua
あちぃ~川崎です。
フェスタサマーミューザKAWASAKIの、神奈川フィルハーモニーの演奏会に行ってきました。
それも、水曜日の午後3時、という誰が行けるんだ、というシチュエーションのコンサートにさりげなく。

Muza2010

    シューマン 歌劇「ゲノフェーファ」序曲

          劇音楽「マンフレッド」序曲

          交響曲第2番

       金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                      (2010.8.4@ミューザ川崎)

酷暑の平日昼に、このような渋くも意欲的なプログラム。
シューマンイヤーに相応しい、正味70分のコンサートだったけれど、会場は6割ほどの入り。
そりゃそうですね。
しかし、暑さを一時忘れさせてくれる爽やかなシューマンが期せずして聴くことができた。

それにしても、シューマンのオーケストラ作品のなかでも複雑な佇まいを見せる晦渋3作品。
唯一のオペラ作品にして来年2月本格上演が予定されている「ゲノフェーファ」は、そろそろ聴きこみ準備に入りたかった曲で、オペラの開始に相応しい、喜ばしい雰囲気も聞かれる桂作。
そして演奏回数は多いけれど、その暗い雰囲気に息が詰まるくらいで、緊張に満ちた「ンフレッド」。
昨年のシュナイトさんの壮絶な長大な演奏がまだ耳に新しい。
 そして、第2交響曲は、そのシュナイト翁の指揮で、まさに耳から鱗(?)の歌う大交響曲的演奏を聴いたのが一昨年。

聖響&神奈川フィルは、こうした忘れえぬ前任者の演奏とはまた違う次元でもって、わたしを納得させてくれるシューマンを紡ぎだしてくれた。

ロマンがどうのコクがどうのこうの言っても始まらない。
マーラーやメンデルスゾーンの時と同じように、聖響さんが感じたままを何の作為も要せずに、素直に表出していて、それを神奈川フィルがすんなりと受け止めて、ただでさえ美音のオケが良質のサウンドでもってホールを満たしてゆくっていう感じ。

その瞬間の連続が極めて好ましく、薄口ではあるけれど、こんな音楽造りは私はとっても好きだな。
 聖響さんのピリオドへのこだわりは、今回も少なめ。
教条的なまでのピリオド奏法と、通常奏法の中間に位置するような、ヴィヴラートやや弱めの立ち位置か。
曲やホールなどによって、フレシキブルに変えつつ思考錯誤していけばよいと思っている。
 それもこれも、素晴らしいマーラーを聴かせてくれたものだから、毎度聴いてるこちら側にも気持ちのゆとりと、愛着が出てきているのであります。
ともかく、彼等は若い。
若いゆえに、その時にしか聴かせてもらえない若竹のような演奏をしてくれればいいのです。そして、成長や停滞もあるかもしれないが、それもまた楽しみたいのです。

げんきんなもんです、あんなにブーブー言ってたのに。
まだ油断はできないけれど、私の方もだいぶ受け止め方がわかってきた。
でも、「田園」やったあっちのゲルとかいう若造はもうイカンよ

第2交響曲は冒頭、金管がまともにこちらを向いていて、モロに耳に飛び込んできてバランスがどうかとも思ったけど、手探りの状況から主部に入っての弾むような音楽の運びにワクワク感を募らせることができたし、爽快な2楽章もキマってる。
そしてなんといっても、第3楽章。
シュナイトさんが歌うことに徹底してこだわり、そこに甘味なまでの陶酔感を漂わせていたのに比べ、ここに聴かれた美しい歌は、日本の風景、それも稲の匂いを感じさせるようなグリーンな風景。
とってもよかったし、神奈川フィルの魅力満載だった。
 そのあとの終楽章も一転、アタッカで突入するところも効果的。
それにしても、シューマンは弦楽器が大変。常に、すばやいパッセージをギコギコこなしていなくてはならないし、それが浮かび上がってしまってもいけないし、埋没してしまっても中声部がスカスカになってしまう。
シューマンをライブで聴く楽しさは、そのあたりを観察することにもあって、神奈フィルの皆さん、最後のティンパニ連打の大団円まで、聖響さんとともに大いに盛り上げてくれましたね。

とっても気持ちのいいシューマンでしたnote

9月定期は、最愛のR・シュトラウス。「ドン・キホーテ」であります。楽しみhappy01

Marudai1

平日でも、どこからともなく、いろんな理由をこじつけて集まってしまう「懲りずに応援するメンバーたち」。
ホールを出たらまだ16時30分。
ぎんぎんに明るいsun
あそこに行くしかない・・・・、ディープな川崎らしい朝からやってる大衆酒場bottle
丸大ホール」であります。
味ありすぎの、おばちゃんたちと会話しつつも、白昼堂々と飲む。
まわりは満席で、それこそ職種の坩堝。
愉快愉快、安い安い・・・・・。

Marudai2Marudai3

ねっとり感ある、まぐろ刺し。   そしてデカ盛りポテトサラダ。

Marudai4

そして、神奈川らしく、キスの天ぷら。
これ絶品でしたわheart04

で、またもや懲りずに終電コース。
湾岸半周したら、日付が変わってましたよ。
どんだけ飲んでんでしょうね。お付き合いありがとうございました。

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2010年8月 3日 (火)

ベルリオーズ 幻想交響曲 小澤征爾指揮

Narita1
木の陰からあらわれた旅客機。
成田空港のそばです。

Narita2
着陸するところの、ブリティッシュ・エアライン。

Narita3
こちらはデルタ航空機。

写真だとそうでもないけど、実際に見てるとなかなかの迫力なんですよ。
海外からの各国機が、ひっきりなしに飛んできて、また飛んでゆく。
ここから一望すると、すごいラッシュだし、空港のキャパは満杯。
成田空港まで、我が家から車で高速利用で30分。
羽田より近いのがなんとも・・・・。
でもこうして誰がみても、問題ありすぎの空港だけど、ずっと海外への玄関だったことに変わりはなく、思い出もそれぞれ。

Berioz_ozawa
思い出といえば、昨日、食道癌から復帰した、小澤征爾さんに関してはたくさんあって、それも中学・高校時代の懐かしい思い出と結びついているんだ。
サザンの桑田さんは、大学時代の身近な存在だったし。

その小澤さんも、もう74歳。
昨日の会見で、痩せてお爺さんみたいになってしまった姿を見てびっくりした。
病からの復帰というのは、とても嬉しいことだけれど、すごく体力を消耗してしまったのでありましょう。
さっそく指揮する小澤さんの映像が流れていたけれども、痛ましいくらいに思った一方、鬼気迫る尋常ならざる気迫、そして同時に極めつくした修行者のような澄みきった目を感じた。
 胃癌克服の時のアバドの壮絶な指揮ぶりも思いおこしてしまう。
ともあれ、小澤さんの復帰を心から祝福したいと思います。

今日は、ちょっと早いけど、月イチ「幻想」。
たくさん集めたベルリオーズ幻想交響曲を、毎月聴くシリーズ。

音楽史上でも実に長かったコンビ、小澤征爾ボストン交響楽団の音楽監督就任後の初録音だったと記憶する。
RCA時代にいくつかあるけれど、ボストン響がDG移籍後、小澤と入れた第1弾で1973年の録音。

当時サンフランシスコと掛け持ちだったけれど、名門オーケストラを前に少しも委縮せず、切り込み鮮やかで清々しいベルリオーズを堂々と聴かせてくれる。
まだ38歳の小澤さん。その年齢を考えれば、もっと大胆に振る舞っていいのではと、かつては思えたが、さわやかとも思える抒情味と豊かなリズム感がいま聴いてみると実に特徴的で、スピード感あるしなやかさも誰の幻想にもないものだ。

早めのテンポで、一気に駆け抜ける感もある後半は、欧米の伝統あるクラシック社会に、刀一本で切り込む若武者のようであり、実に爽快。

私はふた周り下だけど、小澤さんの若き日の自伝にある通り、船で苦労しながらヨーロッパに渡り、ブザンソンまで駆けあがっていった冒険心とバイタリティに、大いに共感した世代であります。
いまや隔世のストーリーだけど、日本人が西欧音楽を、しかも西欧のオケを目の前にして指揮することが奇異だった時代を切り開いた小澤さんは、本当に私たちのヒーローといってもいい存在であります。

この爽快な幻想を聴いて、小澤さんの今後の活躍がまた楽しみになりました。

Narita6_2

ユナイテッド・エア機。
かつてのアメリカは、パンナムだった。

小澤&ベルリオーズを暑い夏にちょっと特集しようかしら。

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2010年8月 1日 (日)

バーンスタイン 「キャンディード」 佐渡裕プロデュース・オペラ②

あらすじを舞台の様子を含めて書いときます。

東京公演を観劇予定の方は、ネタバレとなりますので、以下はご覧になりませぬように。

Candide6_2

舞台には、テレビが据えられてます。
それもスイッチ類がガチャガチャまわす式の懐かしいヤツ。
このブラウン管の中で、キャンディードのドラマが行われるわけでして、これもカーセンお得意の劇中劇風の心地よい倒錯感をもたらす仕掛け。
ほんと、よく出来てるんだから。

序曲が始まると、このテレビから映像が流れだす。
それは、幸福の絶頂にあったアメリカン・ドリームの映像。
私たちも「ルーシー・ショー」や「奥さまは魔女」などで憧れた電j化製品満載の家庭の様子や、ブロードウェイ、ハリウッド、アポロの月面着陸、ケネディ、モンロー、プレスリー等々。
強いアメリカでございますね。

第1幕
  
ブラウン管の部分が開くと、舞台はウェストファリアの金持ち男爵の豪邸。
ヴォルテールその人が出てくる。
この方が、舞台の進行役で狂言回し的存在。
ブラウン管のこちら側、すなわち、われわれ観衆とテレビの中の間に終始たっていて、常にこちらに背を向けてテレビの中で行われることを見守っているのだ。
 ヴォルテールは、劇中のパングロス博士と掛け持ちなので、博士になるときは、鬘もとって18世紀の衣装も早変わりして、ブラウン管の中にはいってゆく。

Candide2_3
豪邸、そこはホワイトハウスに置き換えられている(笑)
大統領風の家主とファーストレディの夫婦には、マクシミリアンとクネゴンデの兄妹ふたりと、非嫡子のお人よしのキャンディードとメイドさんのパケットがいて、仲良く、何不自由なく暮らしている。
お父さんはメイドさんに手を出してるし、奥さんは世間体ばかり。
 教師であるパングロスは、子供たちに「最善説」を説く。
「この世界は、あらゆる可能性の中で最善に造られている」と。
 そんなパングロス先生、自説の一環として、これもメイドさんとデキていて、別室でよろしく事にいたっていて、それを見ていたキャンディードとクネゴンデは、自分たちも最高に気の合うペアなのだからと、いちゃいちゃする。

Candide2_4
この二人、お互いの思いを二重唱で歌うのだけど、キャンディードは真面目に暮らして農場やって・・・と、クネゴンデはお金持ちになって大きな家に住んで何不自由なく・・・と、実は内容が全然かみ合わない(笑)
 二人の絡みを、兄に密告されてしまい、キャンディードは着の身着のままで追い出されてしまう。
ブラウン管の中には、まるでタイムマシンのように奥へゆくほど、すぼまって見えるパースペクティブな背景が出来て、ここに一人キャンディードがあらわれる。

一文なしで、さまよっているところを、兵隊にスカウトされ、兵士となるが、束縛を嫌う彼は脱走し、たびたびの鞭打ちの刑に合い、ついには死刑宣告もされるが、ぎりぎりで大赦を受け死を免れるものの、ウェストとイーストの間で戦争が始まる。
 ヴォルテールが戦争が引き起こす数々の惨状を語るなか、奥では兵士たちが左右に別れて闘っていて、やがてみんな倒れてしまう。
そんな中に、クネゴンデの死体を見つけてキャンディードは彼女の名前を何度も何度も呼んで嘆いて歌う。
 ここでパケット先生と出合い、さまようなか、こんどは、知的な人を求めていたとして再洗礼派に呼び止められ船で出港。
しかし、この船が沈没してしまい、なんとかかんとか陸地にたどり着く。
そしてそこは、ビジネスマンが忙しく歩き回る都会。
Candide7
 ところがこの都会も、大地震が襲って崩壊してしまう。
多くの犠牲者を出した惨事の責任を問われキャンディードとパングロスは逮捕されてしまい、大審議会にかけられる。
ここでは、まるでKKKのような禍々しいなりの連中が踊りながら批判を繰り返す。
その対象は、まずはユダヤ人、そして赤、それと我らが二人。
絞首刑が言い渡され、天井から首つりの縄が下りてきて、驚くことにほんとに首をくくられてしまうんだ。(ワイヤーで体がしっかりつながれいたから大丈夫だけど、すごいリアル)

一方ウソみたいだけど、クネゴンデは奇跡的に農場主に救われ手当てを受け生き返っていた。
派手な生活を捨てきれない彼女、多くの女性たち(遠くてわからなかったけど、オードリー・ヘッバーンみたいに見えた)と一緒に映画のオーディションを受けていて、映画製作家風の二人のパトロンを獲得。
ブラウン管の舞台には、モンローの唇の幕がかけられ、さぁ、始まります、このオペレッタ最高のアリアが。
幕の間から、ふたつの手がニョッキリ出て艶めかしい動き・・・・。
そこから登場のクネゴンデは、まさにマリリン・モンローheart02
Candide3
10数人の男たちに囲まれ、宝飾で着飾る彼女。
俗で無邪気で男も自分のためにあると思ってる彼女。
すごい描き方だと思いませんかsign01
Candide14
この場面のダンスの振り付けも最高に楽しめましたよ。
男子は、輪っかになって彼女の周りをくるくると回り、やがて彼女を抱えて曲のフィナーレに。盛大にブラボー飛んでました。
 拍手が鳴りやむと、奥から兵隊姿のキャンディードがあらわれ、感動の対面。

彼女の付き人のようなオールド・レディが飛んできて、パトロンの一人が来るから隠れてと忠告するが、キャンディードはお供の美人秘書3人を引き連れて登場のパトロン1号を何気なく手にしたピストルで撃ってしまう。
あれ大変と思う間もなく、パトロン2号もやってきて、こちらもまたさりげなく殺してしまうキャンディード。
 二人とオールド・レディは、レディの馴染みの船長の船で新世界に向けて出港する。
ここでは、リアルな船のデッキが出てきてみんな甲板で来るべき世界に望みを託す。
ここまで外で見てたヴォルテールは、キャンディードが忘れていった大きなリュック(これがのちに活躍するツール)を船に投げてあげて、出港。

第2幕

 間奏曲の間は、また懐かしのアメリカン映像。
今度は、豪華客船で旅する幸せ夫婦やキャデラックなどの大型アメ車の映像で、大量消費社会の始まりの象徴か・・・。

Candide9
 船上で、キャンディード、クネゴンデ、オールド・レディ、新たなキャンディードのお供のインディアンのカカンボがデッキチェアに寝そべり、ボーイがドリンクを運んでいる。
ここで、オールド・レディが自分の数奇な生い立ちを語る。自分は法王の娘で、戦争に会い捕えられ、レイプされ、お尻の半分を切り取られたと(ほんとかいな)。
ここでは場面は夕方となり、上からカラフルな豆電球が下りてくる。
 やがて船は新世界の港に到着し、入国審査官が書類を厳しくチェックしていて、オカマちゃんの乗客に手厳しく対応するが、袖の下を受け取って通したりしている。
ところがこのオッサン、クネゴンデを大いに気に入り、いきなり結婚の約束をして囲い者にしてしまう、という急展開。
一方のキャンディードは、ここでも殺人罪のお尋ね者とされていることを知り、カカンボとともに逃げる。

二人は荒野を走るハイウェイを旅するが、ハレルヤを歌い、プラカードを持った宗教団体に出会う。
道路の奥の標識には、ソルトレイクシティ・ユタ州の表示が・・(よく考えられてますなぁ)
ところが、この中に兄マキシミリアンの姿を発見して、二人はまたもや感動の再開。
死んだと思ってた妹がまだ生きていて、自分は彼女と結婚したいと語るキャンディードに、身分違いでけしからんと手厳しい兄。
キャンディードは、なんだかんだで、またさりげなくピストルでズドン(連続殺人者ですよ)。

 またもや逃げるふたり。
原作では黄金境エルドラドとなっているが、ここではテキサス。
困ったキャンディードが、大きなリュックを地面にドカンと降ろすと、そこから黒い石油が噴水のように沸き出てくる。
そこへ来たテキサスの実業家数人は、この油田を買うといい、安く買いたたかれてしまうが、それでも二人はそこそこの金持ちになる。
実業家たちは、幸運のシェルとかテキサコとかのアドリブも言いあっていて笑えた。
お尋ね者の自分はあまり動き回れないからと、カカンボにクネゴンデの捜索を頼んで、しばしの別れをする二人。カカンボは、人を信じちゃいけないよ、と忠告するのが印象的。

一方、クネゴンデとオールド・レディは、テレビとコーラとポテチのカウチライフをする暴力的で猥雑な審査官~典型的なアメリカン~にうんざりしている。
アメフトを見る審査官、それをイライラしながらショー番組に切り替えるクネゴンデ。
さらにテレビを消すオールド・レディ。この繰り返し、3人のイライラは募るばかり。
これを外から見てるヴォルテールも、大テレビのチャンネルを回してましたよ(笑)

キャンディードは船で国内移動しようと探す途中、砂糖工場で酷使され不具になった男と、貧乏で金がなくゴミ掃除をしている男と出合い、彼らの悲観論を聞き、最善説にやや疑問を持ち始める。
ところがそこに、またもあらわれた実業家(車で来て不具の男を轢いてしまう)が船を出すという話にまんまと引っ掛かってしまい、お金のぎっしり詰まったリュックを信用して預けて奪われてしまう。このリュックは、オイル缶の中に隠される。
 ハワイの人々が大勢出てきて見事なダンスを披露して、出港を見送り。
ところが、キャンディードが乗ったその船はまたしても沈没。
実業家のタンカーと船が衝突して、あたりの海は黒い原油だらけになってしまい、赤いオイル缶がたくさん浮いている中、キャンディードのリュックも漂っていて、それを頼りにしがみついている人物がひとり。そう、パングロス先生です。
まだ自分の理想論である最善説を説いてるしぶとさ。
この人も、絞首刑の縄が緩んでいて、助かったと(なんでやねん)。

彼ら二人が見守るなか、左右からかぶり物を付けた水着の男が5人、国旗を象ったマットレスに乗って出てくる。
手前から、スコッチを持ったイギリスの元首相トニー・ブレア、赤ワインボトルを持ったフランスの元大統領シラク、ウォッカを持ったロシアのプーチン元大統領、白ワインのイタリアベルルスコーニ首相、そして一番奥には、バーボン持ったブッシュ元大統領。
この5人が笑えるシュールな会話を、原油の海で歌うのです。
しまいに、5人集まって、体にオイルを塗り合ってましたよ(笑)
なんだか呑気な戦犯っていう感じ・・・・・。すごい風刺ですな。

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場面変わって、ラスベガス。
胴元、バニーちゃんや、警官、ウェイトレスなんかが、いい加減に金儲けの歌を歌い合う。
ドル紙幣の幕で飾り付けられた舞台。
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ここで、クネゴンデとレディはダンサーとして働いていてセクシーかつ滑稽なダンスを披露。
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 そこへついにキャンディードとパングロスがやってきて、ウェイトレスとなった実はパケットを見つけ出した先生は、追いかけて舞台に上がってしまい、ダンスと歌をやむなく披露することになるが、これがどうしてなかなかのもの。
一方、胴元オーナーから金持ちそうな兵士から金を巻き上げろと指示を受けて、仮面をつけて、キャンディードに接触するクネゴンデとレディ。
彼女たちとわからないキャンディードが背負ったリュックから、クネゴンデたちがお金を1枚1枚抜きとってゆく傍らで、先生はイケてるダンサーたちにお金を配っている。
このベガスの場面では、金が一番となってしまった今の世の中を風刺しているとしか思えない。
 仮面が落ちて、クネゴンデとわかったキャンディード。
二人きりになった舞台。
結局は君もそういうことだったのかと、お金を彼女に投げつけるキャンディード。
ショックで、茫然とするクネゴンデ。
この悲しい光景に、私は涙が出てしまった。まわりでも泣いてる女性が・・・。
結局、最善説なんかありゃしない。でも悲観論ばかりでもない。
わかったのはその中間に、人の幸福とはあるんじゃないだろうか、とキャンディードはしみじみと歌う。

最後は、これまでの登場人物が全員出てきてブラウン管の中からこちらを見ている。
畑を耕そう、今できることをやろう・・・、キャンディードが中心となって歌う、感動の大団円。
 テレビからひとり抜け出してきて歌うキャンディード。
そしてクネゴンデに結婚しようと申し出ると、ヴォルテールが歩み寄り、彼女がテレビから抜け出すことに手を貸してあげる。
やがて、登場人物すべてが、テレビの中から舞台の前に出てきて歌う。

背景のブラウン管画面では、いま起きている人間が引き起こした世界の災害が次々に映し出されてくる・・・、原油流出、干ばつ、津波、酸性雨、森林減少、大気汚染・・・。
見るにも酷な映像が次々と流され切なくなる結末。
最後に地球が映し出され幕。。。。。

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 前向きなエンディングでありながら、観る私たちに不安の種を植え付ける。
人物たちが、テレビから抜け出してきたのは、これらはテレビの中のことじゃなく、いまある私たちの問題なんですよ、との提起に他ならない。

娯楽性とメッセージ性に富んだ実に素晴らしい演出であり、同様に素敵なバーンスタインの音楽でありました。
ドタバタ・コメディじゃなんかじゃ決してなかった。
深い感銘を覚えました。

終演後、バスで伊丹空港に向かうさなか、甲子園球場では黄色い声援が盛んに飛んでおりましたよ。

以上、オシマイnote
画像は一部、公演チラシとHPから拝借しております。

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バーンスタイン 「キャンディード」 佐渡裕プロデュース・オペラ①

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初めての兵庫県立文化センター
阪急西宮北口駅に直結。

この施設が開館5年。震災から15年。バーンスタインが没後20年。
この符合の年に、バーンスタイン晩年の最愛の弟子、佐渡裕が、氏が1956年の作曲以来こだわり続けた「キャンディード」を上演する。
しかも演出は、今をときめくロバート・カーセン
2006年のシャトレ劇場版で、スカラ座、SNOの共同制作とある。

西宮で7回、東京(オーチャードホール)で3回の東西上演で、わたしの場合、東京で観ればいいのだけれど、オーチャードはどうも舞台が遠く好きじゃないし、チケットも東京の方が高い。
ということで、初ホールでもあるので、西宮へ。
すっきりとした木質感漂うホールで、席もゆったり、ステージの観え具合もよし。
音は、曲が曲だから次の機会に再度確認したいところ。

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キャンディード」は、ミュージカルでありながらコメディ・オペレッタとしてのクラシカルな存在でもある。
1956年にブロードウェイで初演されたものの、翌年の「ウェストサイド・ストーリー」の影にすっかり隠れてしまった存在。
フランスのヴォルテール(1694~1778)の「カンディード」を原作として、アメリカ人のリリアン・ヘルマンが台本を書いた。
その哲学的な複雑な内容からか、初演は失敗で、その後も作曲者の手を離れて、何回か改訂されていて、その時はジョン・モウチェリが行っているのが面白い。
そして88年にSNO(スコテッシュ)で上演する際に、バーンスタインによる改訂が行われ、このときもモウチェリがたずさわり、そこに常に居合わせたのが佐渡さんだったわけ。

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レニーの娘にあたるジェイミーさんも来日して応援メッセージを残してます。

 ヴォルテール(パングロス博士):アレックス・ジェニングス
 キャンディード:ジェレミー・フィンチ クネゴンデ:マーニー・ブレッケンリッジ
 オールド・レディ:ビヴァリー・クライン 大審問官:ボナヴェントラ・ボットーネ
 パケット:ジェニー・バーン     マクシミリアン:デヴィット・アダム・ムーア
 カカンボ:ファーリン・ブラス     そのほか多数

      佐渡 裕 指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団
                ひょうごプロデュース・オペラ合唱団
                オリジナル・ダンサーメンバー
         演出:ロバート・カーセン  振付:ロブ・アシュフォードほか
                  (2010.7.31@兵庫県芸術文化センター)


第1部75分  第2部:80分 

長丁場を飽きることなく楽しむことができましたよ。
荒唐無稽・支離滅裂の目まぐるしいドラマ展開を、一本筋の通った見事な舞台に仕立てたカーセンのお洒落でかつ鋭い解釈は、原作の持つ社会風刺をさらに深めていてお見事sign03
ヴォルテールの描いた18世紀の世界を、バーンスタインの作曲当時に移し替えたカーセン。そればかりでなく、現在の問題も諸所提起。

序曲とクネゴンデのアリアしか知らなかったわたくしですが、いっぺんでこの作品が好きになってしまった。
チケットはあまりないかもしれませぬが、東京公演を是非観劇いただきたいと思います。

長くなる舞台の様子は次の記事にて。

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クネゴンデ、ヴィルテール、キャンディードの3人。
ブレッケンリッジはオペラ畑の人で、しっかりしたコロラトゥーラを駆使して見事な歌いぶり。真夏のロングランだったから、ちょっと声をセーブぎみだったかも。
キャンディードのフィンチは、英国のミュージカル歌手とのことで、伸びのよいよく通る声で、無垢なこの主役を歌い込んでいた。
そして、終始舞台に出まくり、パングロスや労働者も演じたジェニングスは英国の名優との由。
その味わいある語り口のヴォルテールと、嫌味と自信に満ちたパングロス先生、先生の最善説と対比する悲観論者の労働者マーティンの怒りに満ちた存在感。
これら3役を鮮やかに演じていて、このオペレッタの核になりきってました。
 あと、ユーモラスなオールド・レディのクラインも楽しかったし、その歌も踊りもたいしたもの。
古楽系の歌手や、ミュージカル系歌手、本場のすてきなダンサー、地元兵庫の合唱団などが、たくさん出演した今回のプロダクションは、チームとして完全に出来上がっていて、東京の千秋楽ではその完成形を披露してくれることでしょう。

で、この上演のカーセンと並ぶ立役者、佐野 裕さん。
終始、オーケストラとともに舞台をリードしつつ、師の作品を愛情込めて、時には情熱がほとばしらんばかりに指揮をしておりました。
舞台の動きも目まぐるしいものだったけれど、ピットの中の佐野さんの指揮ぶりを覗き込むのも楽しいものでありました。
 これだけ、完璧な上演だから、是非とも映像化をして欲しいものであります。

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休憩時間には、3階にある中庭に出て冷えた体に喝入れsign01

         

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